しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ヨブ記40章 <神の挑戦>

2016-10-26 | ヨブ記

鶏頭花「あなたには神のような腕があるのか。神のような声で雷鳴をとどろき渡らせるのか。さあ、誉れ、気高さで身を装い、尊厳と威光を身につけよ。」(ヨブ記40:9,10新改訳)

ヨブに対する神の挑戦は続く。ヨブがたまらず、「もう口答えしません」と恐れに身をふるわせて叫んでも、やめない。▼それまで偉そうな口をきき、「たとえ神の前に出ても私は自分の正しさを主張する」とうそぶいていたヨブは、言語に絶する神の顕現を前にしたとき、無に等しい自己の存在に初めて目が開かれた。これがほんとうの人間の姿である。▼人間は最後の審判の日、生者死者をとわず、この神の前に出る。「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。」(黙示録20:11,12同)▼その日、神は炎のごとき目をもって私を見るであろう。その瞬間、私の地上における全生涯は、心の奥底に秘められた動機まであらわにされ、白日のもとにさらされる。続いて私という全存在はまたたくまに、聖なる方により計測されるであろう。いかなる言語をもってしても、絶対審判の日の峻厳さを表すことは不可能なのだ。人よ、これでもあなたは神の前にひれ伏そうとしないか。これでも用意されたこひつじの贖いという船に乗船しないのか。▼このときヨブは生命を絶たれ、滅びに落とされないですんだ。それは全能の神が、彼の心の無知をあわれみ、知識もないのに言い分を述べることを見逃されたからだろう。後世の私たちへの教訓とするために。ヨブにかぎらず、私たちはあまりにも神が見えず、自己の姿も見えない「裸の王様」である。