坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

罪業深重・九条の会

2008年01月21日 | 坊主の家計簿
 1月21日

 雑費  エスカップ12      648円
 食類  穴子飯          200円

 合計               848円
 1月累計          126923円

 しゃて、『真宗大谷派・九条の会』が出来たらしい。
 大阪では『念仏者九条の会』と一緒にやっている(はず。結成には仕事で行けなかったのでよく知らん)のだが、『念仏者九条の会』が本願寺派が強いし、他の九条の会に参加する事に二の足を踏んでいた人達も参加しやすくなったのではないかと思う。
 特に、この会の凄い所は呼びかけ人である。これくらいは書いてイイのかな?チラシにも載ってるし。あ、一人Macではブラウザ表記されない名前の先生が居るから辞めとこ。
 まあ、永年解り易い形で平和運動に取り組んで来た先生もいる。人権問題に熱心に取り組んで来た先生もいる。でも、驚いたのが後の二人。この辺が九条の会だなぁ。。。と思う。誰が中心になって『実際の呼びかけ人』なのか知らないが、偉い。素晴らしい。
 とはいえ、最初の講演会には参加しない。っちゅうか、仕事で出来ないのだが。。。講師も好きではないし。どうせなら、私が驚いた二人の呼びかけ人の先生のどちらか一人が講師になられた方がよかったと思うのだが。だって、『真宗大谷派・九条の会』なら最初にやっておかないといけないのは大谷派教学での九条の問題だろうし。別に他の講演会に行って聞ける講師の話よりも『聞法会』の方がエエと思うのだが。。。

 この『真宗大谷派・九条の会』とは別に真宗大谷派教団公式の九条の会ではない。あくまでも有志が集まって出来た会である。
 っちゅう事は、例えば現宗務総長達が呼びかけて『元祖真宗大谷派・九条の会』とかを作ったりして。で、刺激を受けた門首さんや由緒ある寺の人達が『本家真宗大谷派・九条の会』とかを作ったりして(笑)
 そのうちに刺激を受けた坊守、役僧達が『真宗大谷派草の根・九条の会』とかを作ってやな(笑)
 まあ、賑やかになるのはエエ感じや。内ゲバさえしなければ。

 『九条の会』っちゅうのは入り口やと思う。別に九条の会に入らなくてもエエのやし。私は別にどこの九条の会にも入ってないけど(参加はしてるが)、まあ、個人でアピールはしているし、国民投票法案があれば当然、改正内容をよく見てから判断する。

 今回出来た『真宗大谷派・九条の会』は驚いた二人が呼びかけ人になっているので大丈夫だと思うのだが、大谷派内部には『兵戈無用』という言葉に反感を買う人達も多くいるのではないかと考える。それは無量寿経の言葉だからでは当然なく、『兵戈無用』という言葉を使って来た人達に対して。まあ、具体的には『兵戈無用』のTシャツとかステッカーを持ってる人達でんな。え~。。。私もTシャツ持ってます(笑)
 でも、当然、今回もやはり反感を買う人がいてるだろうし、ただ、反感を買ったからと行って九条改憲に賛成というわけでもないだろうし。あくまでも『会』に対する反感なんだから。その辺を勘違いして「会に反感=改憲賛成派」という安易な思考は成り立たないのだが、でも、ちょっと心配。『敵』を作って、身内の正しさを証明したい人達も結構居るし。そういう人達を『貴族の道楽趣味』と私は呼んでいるのだが。まあ、『僧侶』『寺族』としてのプライドを保つ為に運動を利用しているわけでんな。貴族がボランティアに熱心な事とあんまり変わりまへんな。

 金沢の『宗林寺・花山聖徳堂』と云う所に行きたくなった。読んでた『小林弘忠 巣鴨プリズン』に出て来たからなんだが。なにやら、場所の『武蔵辻』っちゅう所は近江町市場の近くらしい。っちゅう事は駅からそう遠くないし。
 花山信勝氏の寺。ABC戦犯の寺。

 親鸞は有名な
【誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。】
 という言葉を書いた後に涅槃経の引用に入る。阿闍世王の問題である。親殺しの阿闍世王。親鸞は丁寧に阿闍世王がどのように救われて行ったのかを涅槃経から引用する。

 花山信勝氏は巣鴨プリズンで『戦犯』と呼ばれた人達の教誨師だった。その御陰で多くの『戦犯』と呼ばれた人達が仏教に帰依して死刑になっていった。
 東條英機氏の法名は光寿無量院釈英機である。その他の人達も同じ『光寿無量院』の院号である。だから故花山信勝氏の寺には『光寿無量院之碑』があり『光寿無量院塔』があるらしい。
 これは忠魂碑の対極にあるものだと思う。

【「仏心とはなにか。たとえば殺人を犯した人がいたとする。真の仏心とは、殺された人の立場にたって殺人者をにくむことではない。むしろその逆である。殺人者に、君、からだは大切にしなさいよ、と声をかけることである。」】(花山信勝氏 但し『中公文庫 小林弘忠 巣鴨プリズン 187ページより)

 死刑廃止運動をする僧侶は多い。
 『戦犯』だって、そのそれぞれの人生の中に於いてでの罪だった『だけ』。

 【私は今日まで 海の 大地の 無数の生き物を食べてきた 私の罪深さは底知れず】(榎本栄一)

 九条の問題を議論する時に避けて通れない戦犯問題。
 亡くなられて行かれた、殺されて行かれた戦犯達の本意から離れるのかも知れないが、『戦犯』だけに戦争の罪を着せて後は被害者であった、では危ないと思う。
 「自民党が勝手にやった事」
 「民主党が勝手にやった事」
 「政治家が勝手にやった事」
 では危ない。

 やれ「体制側」だの何だのと云うのは左翼に任せておけばイイ。戦争を戦犯のせいにするのも左翼に任せておけばイイ。
 宿業の問題だと思う。

 花山信勝氏の次男、花山勝友氏の入門書を20年ぐらい前に読んだ。20年ぐらい前なので内容は殆ど憶えていない。でも、「真宗は二次災害を防ぐ」という事が書いてあったのは何だか憶えている。

 「私は戦争なんてしない平和的な人間です。」
 というのと、
 「私は縁さえ整えば戦争だってします」
 とは全然違う。
 縁さえ整えば戦争してしまうからこそ、九条改憲に反対なのだ。

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2 コメント

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武装せずにはいられない (シズオ)
2008-01-22 11:17:06
いわゆる平和運動が好きな人たちが好きな
『兵戈無用』の社会的実現、実はそれが日本で
完成した時期があったそうです。

それは戦後すぐ。
軍隊が解体され、警察の武装も許されなかったんです。
んで、素行に問題のある日本人、戦勝国の外国人、
日本人に恨みのある人たちによって、強盗、強姦、
窃盗が大蔓延し、民衆みずからが自警せざるを
えなくなり、大活躍したのがヤクザ。
今でも「みかじめ料」がその名残だそう。

「国家の武装は人を殺すためだけのものだ!」と
おっしゃる人たちもいるんですが、私はそうでは
ないと思います。
「国家の武装」、それは民衆に武装する必要がない
生活を保障するためのものだと。

国家の武装を解体することは、同時に民衆の無制限の
武装を認めることになりかねない危険がおおいに
あるんじゃないかと。現実的にはどちらがいいかと
いえば、まだ国家の武装のほうがマシだと思うんですね。
戦闘や殺戮は国家間のみのものではありませんし。

その上で、やはり憲法9条は今のまま、守られるべきだと思うんです。
矛盾、二律背反、おおいに結構。憲法9条と国家の
武装の狭間で悶々と葛藤できる状態のほうが、
9条が無いよりまだましです。

『兵戈無用』って「完全平和のユートピア」じゃなく
戦闘せずにはおれない、人間の根源的な武装性を
問題にしているものだと私は思います。

今日、誰かに振り上げたコブシ、吐いたツバをも
問うているのが『兵戈無用』。
でも『憲法9条』にそれはできません。

あ、東條さんの原稿の約束、もうちょい待ってね(^^;)

長文、ごめんなしゃ~い(ぺこり
Unknown (エロ坊主)
2008-01-23 01:15:09
 大阪ミナミという繁華街に居たので戦後の話はタマに聞きました。もう、『ド露骨』。ナマナマしい話。だからいまだに(いうても10年前になりますが)朝鮮の人に対する恨みを持たれる方も居られました。個人的な体験での恨みらしいです。
 また、これは神戸なのでしょうが、山口組が活躍した時代とか。

 国家の武装に関しては、え~。。。いまだに左翼がですね(笑)タマによく行く飲み屋のマスターと論議するのですが、私は選挙制度がある限りは暴力革命には反対です。例え、限界があるにしてもやはり選挙でしか国家なんぞ変わりようはないと思いますし。正義の革命は選挙でしかあってはならない事だと思います。
 っちゅうか、あんな武力で自衛隊に勝てるとも思いませんし。せめてヤクザ並みの武力があれば。。。(笑)

 憲法九条は『唯除の文』だと思います。
 やっぱり法然みたいにすんなり行かない。唯除の文がある事によって罪を知るわけですし。

 東條英機氏の話。秋の彼岸法要の時に少しだけ話しました。靖国問題には一切触れずに、ただ一人の念仏者の御話として。優れた能力があるから救われるのでなく、A級戦犯だから救われないのでなく、誰だって念仏申せば救われるという例として最適だと思いましたし。
 打ち上げでは別の話になったので反応は聞いてませんが。

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