坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

常在道場

2010年08月31日 | 坊主の家計簿
 寺の通信を作る前に、星野泰司『俺は死事人』(http://osaka.yomiuri.co.jp/bungaku/bg100810a.htm)を読んでたら、携帯電話に見知らぬ番号よりの電話。門徒さんからだった。「なんで携帯やねん」と思ったのだが、そういや、寺の通信には携帯番号が思いっきり書いてるし。というか、『住職携帯』として、携帯番号しか書いとらんし。まあ、そういう事もあるわな。
 お婆ちゃんが亡くなられたらしい。いつもお参りに行くと仏間に居たお婆ちゃん。

 続きで『俺は死事人』を読んでたら、最後の葬儀シーンで泣いてもうた。いや、エエ葬式坊主やってんなぁ。。。

 真宗は『ただ念仏』なんだが、葬儀って、『行』ではないが、絶好の学びの場やな。

 とはいえ、「葬儀だけが」で当然あるわけもない。「葬儀だけ」であるのならば、葬儀の回数が誇りになる。葬儀を経験した事が誇りになる。そんな事はナンセンス極まりない。

 しっかし、まあ、なんちゅうんやろ。自信喪失した坊さん、自分達のやっている事、日々のお参りや、葬式や法事に意味を見出せずにいる坊さんとかは『俺は死事人』は読んだ方がエエと思ったりする。
 「○○寺です~」と、お参り先に行くよりも、『遺族外来』なんぞの言葉の方がカッチョエエとか、「一緒に正信偈をお勤めしましょう」より『グリーフワーク』の方がカッチョエエとか。まあ、新しい価値観の方がカッチョエエのは『流行』っちゅうのがカッチョエエのと同じやねんやろうけど、普段やってる事って、結構スンゲー事なんではないかと。
 これからの寺業界は、カウンセリングやってた人が「実践の場として僧侶の道を選びました」とか言いながら、『楽しく』、まあ、誤解を生みやすい言葉だが、楽しく毎月のお参りや、法事、葬儀なんぞを。「他の多くの坊さん達と同じく月参りさせて頂いています」とかでんな。

 まあ、飲み屋のマスターも、ママも、ホステス、ホストだって、カウンセラーみたいなもんなんやし、ただ、『カウンセラー』に比べて『成りやすい』から評価が『水商売』として低いだけの話であってやな。
 坊さんの中でも「月参りは誰でも出来る」なんぞと、差別化でカッチョエエ、っちゅう話なんかも知れん。

 しっかし、平等を標榜する仏教徒、ましてや『僧侶』の中での差別化って、何の話やねん(笑)衣の色の代わりに社会貢献か?一休さんにしばかれるぞ。

視界

2010年08月28日 | 坊主の家計簿
 一泊二日の家族旅行。高野山を越えて和歌山へ。龍神村で車が車道の片車線を封鎖する形で、え~、つまり『横』に停まってた。「なんじゃ?」と思って通り過ぎようとしたら、オっちゃんと、オバちゃんが手を大きく振って何かを叫んでた。「事故か故障かな?」と思って停まると「脱輪しまして」との事。「私は真宗門徒ですので聖道の慈悲は出来ません」なんぞと言うわけもなく、車から軍手を出して手伝おうとすると、役場の人も来たり、もう一台の兄ちゃんも降りて来て「よいしょ」と。しっかし、道を間違えてUターンでもしようと思ったんだろうが、ビックリしたやろうなぁ。。。

 夕方、宿に着く。温泉に入って、晩ご飯。その宿を選んだ理由が「夕食、朝食共に部屋食」だったので、ゆっくりとメシを喰う。風呂場を出た所に売ってた自動販売機の発泡酒(500ml)が300円だったので、部屋に持ち込んで飲む。ついでに旅館前の酒屋で芋焼酎を買って来たので、それも飲む。う~ん。。。部屋食は娘との食事にも便利だが、酒飲みパパの為にもエエのぉ。安くつくわ。
 しっかし、1才の娘は暴れる、暴れる。毎度の食事風景なんだが、旅館の食器って高そうだし、もう、食べた食器から自分達で片付けに入る。とりあえずテーブル上をすっきりさせないと娘が手を出してしゃーない。『赤ちゃん、子ども大歓迎』の宿だったんだが、え~。。。娘用の食器以外の食器もプラスチックで出来んか?なんぞと話しつつ、いつもよりかなり早い時間(まあ、晩ご飯タイムなんだが)から酔っぱらってたら、御仕事の電話。
 一応、想定はしていたのだが、やはり入ると戸惑うのだが、仕事は仕事。当然引き受ける。まあ、ママと娘と置いて帰る事も一応想定していたのだが、まあ、今日の夕方までに帰ればなんとかなる仕事だったので、一安心。その後も、飲む、飲む。部屋食でなくとも飲むのだが、部屋食は飲み放題状態であるので、飲む、飲む。
 早い時間から飲み始めて、娘とママと同じ時間に寝る。娘、大はしゃぎ。まあ、いつもと環境が違うから興奮してるねんやろな。

 朝は早起き。温泉浴場が6時30分から利用出来るという事だったので、6時30分に起きて、温泉へ。昨夜もだったのだが貸し切り状態。なので、ゆっくり風呂に入って、無料のマッサージ機があったのでママと娘を待つ。
 朝ご飯を食べて、急遽予定を変えたコースへ。白浜にも少しだけ寄ったり、天神崎にも行く。あ、真夏の天神崎は幼児虐待かも知れん(笑)なので、40分程の散策で済ます。娘が大きくなったら、天神崎ではなく田子の海岸やな。幼児を抱いたままは無理。幼児は天神崎。小さなカニとか、ヤドカリなんぞの貝類、小魚を見て「ほらほら」なんぞとやってたんだが、娘、イマイチ興味がなさそう。フジツボには興味があったみたいだが。白崎海岸にも寄って、時間がないので高速道路に乗って帰宅。
 帰宅後、明日の仕事の準備。

 娘のチャイルドシートがようやく前向きびなった。産まれた当初は横向き。こないだまでは後ろ向き。で、今回の旅行からは前向き。
 前向きになると娘に私の運転手姿を見て貰える。娘の相手は主にママ。車中でもそれは同じ。でも、横向き、後ろ向きの時と違って今回からは「あ、パパが運転してるんだ」と見える様になった。「そうだよ、娘。ママが相手をしている間、パパは眠くても我慢して運転してるんだよ。」なんぞと(笑)
 ふと、我を振り返る。娘は前向きのチャイルドシートでパパの運転姿を見て、『お陰様』を知ったかも知れんが、私はどうなのだろうか?と。
 横を向いたり、後ろを向いたりしてたら、直接の人しか見えない。車中の娘で例えるならばママしか見えない。
 私ならば直接の恩師であるとか、世話になっている人達である。でも、見えない感じない、いや、見ようとも感じようともしなかった多くの人達と一緒に人生を歩んでいる。

 あ、娘がグズってるので寝よ。

大逆丼

2010年08月26日 | 坊主の家計簿
 先日、少し遠方の御参り先に行ったのはエエのだが、「ガソリン、ピンチ!」であった。時間がなかったので「ヤバイ、ヤバイ」と思いつつ、御参り先に行って、帰りに速攻でガソリンスタンドへ。当然の如く、初めてのガソリンスタンド。凄く感じのいい女の人が対応してくれた。タイヤの空気も心配だったので見てもらう。「タイヤにヒビが入っているので早めに交換して下さいね」と。「さては霊感商法か?」なんぞと思ったのだが、別にタイヤを売りつけられる事もなかったので霊感商法ではなかったし、点検してみると結構なヒビ。「こりゃ、アカンわ」と、本日、タイヤ交換へ。
 とりあえず某バックスに出かける。いや、近所でタイヤ交換出来る所って、某バックスしか知らなかったので。タイヤ交換なんぞ自分の車ではした事がなかったので店員さんを捕まえて「この車のタイヤ交換をしたいねんけど、タイヤのサイズってどこに書いてるの?」と車検証を渡す。「車のドアの所に書いてあるんですわ」と、「なんじゃ?こんな所にシール貼ってたんけ?」っちゅう所に貼ってあったシールを見たのだが、少し破れがあったりしてイマイチ分からなかったのだが、さすがはプロであって、「あ、このサイズですね」と、適応出来る三つのサイズを教えて貰って、「で、一番安いのってどれ?」と聞くと交換費用なんぞを全部ひっくるめて3万3千円ぐらいのを紹介してくれた。
 「こんなに高いん?もっと安いのはないの?」と聞くと、ないらしい。他はもっと高かった。
 タイヤ交換なんぞ自分の車ではした事がなかったので、つまり職場の車でタイヤ交換をした事はあったが、あれは「行ったらやってくれる」っちゅう感じやったので、某バックスなんぞで「6000円」とか、「1万円」とかと書いてあったのを「4本全部交換した値段」だと思ってたんだが、あれって、1本の値段だったのね。1つ勉強になった。
 とはいえ、3万ナンボの金は用意していない。いや、「念の為に」と3万少し持って出かけたのだが、一応予定していた金額は1万円なのだ。「まあ、2万ぐらいあったら十分やろ」である。そんな所にいきなり3万オーバーの金額を提示されて「俺は騙されてるのと違うか?」と微妙にイライラ。3万ナンボの買い物ならば他の店舗も見て探さないと気が済まないので、某バックスに行く途中に見つけたタイヤ屋へ。
 店頭には、それこそ1本1万以上のタイヤがゴロゴロ。4本交換したら9万なんぞのが目について「アカン、ここは絶対にアカン。もっとバーゲン品はないのか」と思ってたら店員登場。サイズを見て貰って「どこにあるの?」って聞いたら「カタログを見て下さい」との事。「カタログ?んなもん高いに決まっとるやろ」とイライラしつつもカタログを開く前に「で、ナンボなん?」と聞くと2万3千円だった。「それって、全部込みで?」と聞くと、全部込みらしい。「これは絶対にバッタもんのタイヤに決まっとる」と、カタログの表紙を開くと、私も知っているタイヤメーカーだったので即決。タイヤの性能は知らん。まあ、あんまりないサイズらしいし、某バックスに売ってたやつ(メーカーも商品も知らん)よりも1万安いので即決。帰る時にオイル交換の売り込みも受けたのだが、これも某バックスよりも安かった。まあ、製品は知らんが、別にこだわっとらんし。動けばエエねん、動けば。

 という事で、タイヤ交換も出来たし、旅行である。

 旅行の準備で録画していたテレビを見る。
 数日前にやってたETV特集「埋もれた声~大逆事件から100年~」っちゅう番組である。なんせ旅行先は和歌山なので、この番組を見て旅行気分を盛り上げるのだ。
 番組は大逆事件の新宮グループに的をしぼった番組。残されれた家族(遺族・末裔)を取材してはった。
 前にも書いたかも知れんが友人に新宮グループの中心人物である大石誠之助の末裔が居ている。別に知って友人になったわけでなく、たまたま友人が大石誠之助の末裔だっただけの話である。なのでテレビを見ながら、「なぜ彼を出さない!なぜ彼を取材しない!」とムカムカ。彼ならばきっとナイスでファンキーなインタビューになっただろうに。。。
 彼ならばきっと「俺がガキの頃にメシ喰う前に親父が日本刀を抜いて殺陣をしてたのも大石誠之助の末裔として差別されたからや!」とか、「婆ちゃんがボケた時に親父が『そんなもんシャブ射ったら治るわ!』という事も大石誠之助の末裔として差別されたからや!」とか、「俺が車で土手から落ちて大怪我したのも大石誠之助の末裔として差別されたからや!」等、NHKでは使えない様な話を沢山してくれたはずなのに。また、彼から聞いた、末裔ならではの大石誠之助の話、「大石誠之助って、無茶苦茶なヤツやんけ」っちゅう話もNHKではやはり無理なのだろうか。まあ、大石誠之助のイメージが壊れるかも知れんし(笑)

 なんせ、大逆事件の新宮グループは今日では正義の味方なのだ。なんせ、新宮の駅前にあるらしい石碑には

【1911年、この熊野の地で、「天皇殺害を企てた」とする大逆事件のために、死刑2名無期懲役4名都合6名の人々が犠牲になった。
 ・大石誠之助  ・成石平四郎 ・高木顕明
   ・峰尾節堂   ・成石勘三郎 ・崎久保誓一
太平洋戦争後、この事件は自由思想弾圧の国家的陰謀である事実が判明し、かれらはその犠牲者であった。
これらの人々は必ずしも同じ思想を有していたわけではないが、熊野独特の進取の精神や反骨の気風の中で、平和・博愛・自由・人権の問題においては、むしろ時代の先覚者であった。
こうした彼らの志は、今熊野に生きる我々にも当然受け継がれなければいけないものと確信する。】(http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Shingu-taigyaku-1024.jpgより)と書いてあるらしいし。
 『平和・博愛・自由・人権の問題においては、むしろ時代の先覚者であった。』である。その時代の先覚者にとって非常に都合の悪い、でも、まあ、松本治一郎もヤクザもんやってんし、別にエエとは思ったりするのだが、まあ、都合が悪い証言なのかも知れん(笑)
 でも、まあ、新宮の駅前に石碑を立てているし、また、新宮の観光協会のホームページでも紹介されている(http://www.shinguu.jp/modules/guide/index.php?lid=39&cid=13)ので、結構、観光としても売り出そうとしているのかも知れん。なんせ新宮といえば中上健次である。中上健次という、恐らく全共闘世代の人達やその影響を受けた人達、まあ、私もなんだが、私や、「昔、学生運動やってまして」っちゅう人にとっては新宮はエエ観光スポットである。団塊の世代も定年を迎えて、ゆっくりと旅行も出来るだろうし、中上健次と新宮グループの足跡を巡る旅行なんぞはエエ旅行ではないか。

 あとは名物である。新宮といえば、友人から教えてもらった『さんま寿司』であったり、あるいは『めはり寿司』なんだろうが、これだけではちょっと弱い。両方とも、華がない。北海道の『うに丼』『いくら丼』なんぞと比べて、やはり華がない。
 そこで、『大逆丼』というのはどうだろうか?もう、そのまんまのネーミングなんだが、『大逆丼』、なかなかエエ感じではないか。
 具材はイルカである。出来れば「今朝殺しましてん」という新鮮なイルカの刺身で丼を作って頂きたい。まあ、冷凍技術も発達しとるし、「今朝殺したてでんねん」でなくともエエのかも知れん。また、イルカを醤油と生姜で煮付けて丼にしてもエエかも知れん。んが、まあ、せっかく新宮まで行くねんやったら出来るだけ新鮮なイルカが食べたいわな。旅行客としては。なので、やはりイルカの刺身の大逆丼である。
 
 んが、まあ、イルカの刺身の大逆丼は、一部の人達には非常に評判が悪いであろう。ひょっとしたらオーストラリアとかイギリスとかから弾圧に来るかも知れん。「知能の高いイルカを殺して食べ、またそれを名物として売りさばく事はあってはならない事です」と。

 【天皇三后皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス】(旧刑法第116条)
 【天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス】(1947年改正前の刑法第73条)

 である。まさに大逆丼である。
 新宮は大逆丼でもっても『平和・博愛・自由・人権の問題においては、むしろ時代の先覚者であった。』

俺の音楽が分からない奴はクズ。 by イングヴェイ・マルムスティーン

2010年08月25日 | 坊主の家計簿
 パパーンは早くも夏休みモード。「今度こそ、ホンマに夏休みやろな!」である。っちゅうか、明日も仕事があるのだが、最早夏休みモードである。
 
 葬儀の一連が終わって、夕方から仮眠。
 「復活!」と、パパ復活。今日の晩ご飯は、ママ=お昼に頂いたお膳。パパはお腹の調子がイマイチなので食べれないのだ。娘は最近お気に入りのトウモロコシをワシワシと。パパもちょっと食べたかったので、小さくカットされたトウモロコシを1つ手に取って食べる。娘、怒る、泣く。もう、手を差し出して「パパ、それは私のトウモロコシです。よこしなさい」と。娘にトウモロコシを取り上げられて、両手にトウモロコシを持ってワシワシ食べる娘を眺める。「テメー、テメーが俺の娘でなきゃシバくぞ」なんだが、パパは娘に弱いのであった。まあ、両手に持って食べているのを「ちょっと頂戴」と、一口食べさせてくれたし、エエ子や、エエ子や。と、親バカ丸出し。

 しゃて、本日のタイトルは

【俺の音楽が分からない奴はクズ。】( by イングヴェイ・マルムスティーン)

 である。
 ちなみに昨日の深夜に書いた投稿は、諸々の理由で削除して、昼間に投稿し直す。いや、たまたま見てたテレビについての事も書いてたのだが、「ちょっとヤバいかな?」っちゅう事で、編集する気力が残ってなかったので、そのまま削除。
 最近、「不謹慎は事が話てぇ。。。」なんだが、不謹慎な話は相手を選ばないと大真面目に怒られたりするのでかなわんのだ。ママも不謹慎な話は多少は理解してくれるのだが、ママは娘の相手で忙しく、また、パパも娘と遊ぶのが楽しく、どうしても家庭では不謹慎な話がし難い。こういう時は飲みに行くのが一番なんだが、お腹がパンクしているので飲みに行っている場合ではない。旅行までになんとかせなアカンわけだし。
 なので、非常に不謹慎な話を書いてしまって、「これって不特定多数に対してはヤバいよなぁ。。。」と削除。
 で、本日、非常に道徳的に(あくまでも私の判断基準であるのだが)昨日の投稿の続きを書こう。
 大丈夫だ。明日は14時までに二日酔いが治ればエエのだ。お湯割飲んでるし、お腹も大丈夫だろう。

 んでもって、

【俺の音楽が分からない奴はクズ。】( by イングヴェイ・マルムスティーン)

 である。
 素晴らしい。。。素晴らしいぞ。なんちゅう、我が娘ばりの純粋さなのだ。
 あ、「子どもは純粋だ」なんぞとよく聞くが、これからは「子どもはイングヴェイ・マルムスティーンばりに純粋だ」とか、「子どもはヒットラーばりに純粋だ」とか、いう比喩表現、まあ、厳密には差別表現なんだが、これくらいの不謹慎さは別にエエやろ。

 さて、この『俺の音楽が分からない奴はクズ。』という言葉を変換してみよう。

 「俺のやっている事が分からない奴はクズ。」

 と変換してみる。
 まさに、私の心、そのまんまである。そして、多くの方々の心とも同じではないか?と思ってみたりする。「私は違う!」「あの人は違う!」のならば、それはそれで目出たい話である。「ホンマか?心を見つめる作業をサボってるだけと違うん?」なんぞとツッコミを入れたくなるのだが。

 まあ、自分がやっている事を理解して貰いたい、というのはシンプルな願いである。しかしながら、理解して貰えない事を相手のせいにするのは、ちょっと幼稚である。他人が見えていない。世の中に多く存在する『他者』が見えていない。あくまでも自我(エゴ)の拡大にしか過ぎない。
 この場合、『苦労』とか『経験』っちゅうのが、結構邪魔をする。まあ、『邪魔』という『魔』でんな。魔が差し込む。
 「なんでやねん、俺がこれだけ努力して苦労してやっている事をなんで分かってくれへんねん」だけならまだしも、「分からない奴はクズである」になると、完璧にカルトである。で、エゴなんぞは全くのカルト(あ、日本語でのカルトね)にしか過ぎない。閉鎖的な思考にしか過ぎない。

 昨日(厳密には一昨日か)にツイッターでイングヴェイ・マルムスティーンの名言を読んで「お、まさに俺やんけ」と。
 ちなみにイングヴェイ・マルムスティーンは確かメタルの人であって、私はメタルがキライなので名前ぐらいしか知らない。なので、イングヴェイ・マルムスティーンがどういう芸風なのかも全く知らない。なんだが、私にとっては自分の心を見透かされた言葉であり、エゴを指摘された言葉である。

 信国先生が「全く、本当に全く、他人の事を、全く、本当に全く考えようもしないような私」みたいな表現で話されていたテープを聞いた事があるのだが、なんか、それを思い出した。まあ、信国先生は深い慚愧からの言葉であるが、イングヴェイ・マルムスティーンも苦しみの中からの言葉だろうし。
 我が身を立てる、「俺ってこんな事やってるねんで」と自慢し、誇り、やらない、出来ない、やろうとしない人達を貶めるのはよくある話であり、それこそ今日のツイッターでも葬儀社の方々がそういう話題をしてはったし、私も必ずやっている事である。表現として出しているかどうかは分からんが、心の中ではそうである。
 我が身を立てなければならないのは、孤独だからである。「見て見て、私ってこんな事をしてるのよ。だから認めて」である。そして「俺のやっている事が分からない奴はクズ。」になる。そして最低のクズに私がなる。
 
 なんてね。イングヴェイ・マルムスティーンの言葉を見た直後はそう感じたのだが、今はその事を思い出して「ほらほら、僕って偉いでしょ」である。下がった頭は次の瞬間に自慢になる。「俺が一番」という意識が出て来る。卑下する、最低を自慢するのが私である。私の心である。だからまあ、

【俺の音楽が分からない奴はクズ。】( by イングヴェイ・マルムスティーン)

 という言葉に敏感に反応してしまうのだろうが。

【ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してもくれないし、逃避させてもくれない。ただ、悩んだまま躍らせるんだ。】( ピート・タウンゼント)

 これもツイッターで知った言葉なんだが、真宗仏教って、こんな感じやなぁ~、っと。苦悩から解放してくれないし、逃避もさせてくれない。悩んだまんま、まあ、某恩師から教えて頂いた、故・某恩師の言葉「そこで生きていける」という言葉を思い出す。

俺以外の奴らはみんなカス by イングウェイ・マルムスティーン

2010年08月24日 | 坊主の家計簿
よく『あなたのアルバムはみんな同じに聴こえますね』って言われることがあるけど、そういう奴には「お前、音痴だろう?」って逆に訊き返してやりたいぜ by イングヴェイ・マルムスティーン


俺の音楽が分からない奴はクズ。 by イングヴェイ・マルムスティーン


わかりやすいヤツやのぉ…
んが、ひごろのこころ、そのまんまやな。

坊主とは○○である。

2010年08月23日 | 坊主の家計簿
 何がどうなっているのか解らんのだが、私の中で8月20日金曜日が日曜日という頭になってて、「明日、月曜日でゴミの日やんな」とママに言って笑われる。
 夏休みなのだが、夏休みのはずなんだが、なんか葬儀の連続。なのでバタバタと。

 やっぱし、疲れているのだろう。法名が思い浮かばない。明日が通夜の方の法名なんぞ、まあ、友引のせいで1日延長になった葬儀なんだが、全く思い浮かばない。まあ、院号があったからなんだが、院号と合わせての法名が全く思い浮かばない。なのでむっちゃ時間がかかって、むっちゃ疲れた。。。

 しゃて、「坊主は○○や」等とたまに聞いたりする。つまり『坊主』としての条件である。例えば「坊主は声明や」とかである。
 私も意見しよう。

 1 坊主は白衣の裾の長さである

 2 坊主は黒衣(直綴)の畳み方である。

 3 坊主は位牌の文字である。

 等と書いてみた。

 白衣の長さは、先日ボケーっとツイッターを眺めてたら、どこかの坊さんが「白衣の裾が洗濯のしすぎで短くなって来た」等と書いてあって、「そういえば」と。私の白衣の裾も短い。かなりの枚数を持っているのだが、まあ、ほぼ全部短い。理由は洗濯である。特に夏用の白衣なんぞは独身時代は毎日、もしくは2日に一度洗濯してたので、そりゃ、ちじむわな。なんせ、結構忙しかったので毎日白衣まで汗でビッチョリ状態であって、シミを危険視して洗濯ばっかししてたのだが、短い、短い。なんとか裾を伸ばす方法を考え中。

 黒衣(直綴)の畳み方は、こうである。
 http://www.h5.dion.ne.jp/~souonji/jikitotsu_tatamikata.htm
 なんだが、これもちゃんとやっている時間がない場合が多く、もう、グッチャグッチャになる。

 位牌の文字は、「練習せえ!」なんだが、これがなかなか。。。

 と、まあ、思いつく出来ていない事をピックアップしてみた。つまり課題とされる事である。っちゅうか、ホンマはもっとあるのだが。。。

悩んだまま躍れ!

2010年08月20日 | 坊主の家計簿
 風呂上がりのコンビニから外に出たらメガネが曇った。。。大丈夫か?大阪。

 本日は通夜。昨日は枕経。共に見事に冷房にやられた「頭痛いよぉ。。。」状態。通夜で喋ってたら、もう、何を喋ってるのかワケ解らんようになる。通夜法話や、っちゅうねん。。。なんだが、もう、あったまが痛くてワケ解らん。
 
 横になってテレビ見てたら「風呂で大汗かいて、体を冷やす事を3回ぐらい繰り返すと新陳代謝で楽になる」みたいな事を言ってはったので、銭湯へ。滅多に入らないサウナなんぞに入る。効果バッチシ。お陰でかなり楽になる。

 帰宅して、明日の仕事は葬儀だけだし、今日ママと喋ってた夏休みの旅行計画について諸々調べる。あ、一応、私、夏休み中ね。なんじゃかんじゃと仕事が入ってるけど、まあ、一応。
 予定を見ると一泊二日が限界。まあ、金銭的にも。
 「ドライブに行きたい!」という私の願いと、娘にエエ野菜を食べさせたい願い。いや、今日はとうもろこしをバシバシ食べてはったし。

 通夜法話。先日、先輩のサイトで紹介してた『チューリップ』

 ♪さいた さいた チューリップの 花が
  ならんだ ならんだ 赤 白 黄色
  どの花みても きれいだな

 を、勢いで紹介したのはエエねんけど、控え室の冷房が痛くて痛くて、体に痛くてしゃーなくて、もう、撃沈。やっぱし、法名の意味だけで留めといたら良かった。。。

 と、まあ、書いてみたのだが、よう考えてみたら、これって「私が」やな。「私にとって話がまとまった」かどうかであって、聞く人は無視しとるのぉ。。。んが、まあ、今日は、聞く人の顔を見る余裕なんぞなく、「しんどいよ~」「あったま痛いよ~」だったのだが。。。
 まあ、間違いなく上手くは話せなかったが、仏教の伝統の言葉は諸々紹介出来たはずである。

 打ち合わせの時までは「今日は法話しない」と決めてたんだが、いざ打ち合わせになると「少しだけ」と。で、読経後に喋りだしたのだが、この『落ち込む』のはプライドである。「エエ住職と思って貰われへん」である。
 でも、まあ、「法話なし」ならば仏教の伝統の言葉の紹介もゼロである。ゼロならばミスもしないであろうが、ゼロである。
 しんどかろうが、なんだろうが、仏教の伝統の言葉を伝えない事と、伝える事とは比較にならない。

【ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してもくれないし、逃避させてもくれない。ただ、悩んだまま躍らせるんだ。】( ピート・タウンゼント)
 
 っちゅうか、やっぱし、仕事やねんしちゃんと喋らんかい。

ピラミッドは存在しない

2010年08月18日 | 坊主の家計簿
 ロンゲの学長http://www.doho.ac.jp/doho/introduction/message.html(笑)
 っちゅうか、ロンゲの住職でもあるねんな。勝手に想像するに『男性住職ロンゲコンテスト』に出たらトップクラスかも知れん。。。

 あ、特に意味はない。ヒマだったので「そういえば尾畑先生って学長になったらしいやんけ」と、先日先輩から聞いた情報を調べてみただけの話である。

 お盆が終わって、「ふ~」っと。
 昨日は親子3人でIKEAに行って来ました。「鶴浜ってどこや?」って、調べたら鶴町の海辺だったのね。
 で、IKEA鶴浜店。食べ物には期待せん方がエエ。同時に「スエーデン料理って不味いのぉ。。。」なんぞと思わん方がエエ。IKEAのレストランがイマイチなだけなんだろうし。っちゅうか、ファミレス・ガスト価格で変わった料理を食べれるねんし、まあ、エエかも知らん。
 腹ごしらえをして、IKEA散策。え~。。。何やら2キロのコースらしい。当然、ウロチョロするので、もっと歩く。お盆の疲れが。。。まあ、家具屋なのでベッドやソファーなんぞの上に座ったりしながらお買い物。私は食器系を購入。ママは娘のオモチャを買ってた。
 なんじゃかんじゃで約5時間。ゆったり回ったらきっと一日中遊べるし、冷暖房完備やし、鶴町の夕日はエエ感じやし、結構気に入ったりする。

 帰宅して、チャリンコで街へ。難波屋ライヴに行く予定だったのだが、路上から店内を見たら満員。クソ疲れているので「満員はうっとうしい」と却下。難波に出て岩崎塾で1050円のホルモン500グラムセットと、ビールを飲んでドグラマグラへ。
 ドグラマグラ、なんでか閉まってる。月曜日が定休日になったのか、お盆休みなのか、マスターがまた倒れたのかは不明なんだが、とりあえず店は閉まってた。なので三ツ寺会館で2軒はしごして帰宅。

 で、本日。午後からの法事だけだったのでゆっくり寝て、ん?帰宅したのが6時前やったから6時間ぐらいしか寝てないのか?まあ、法事へ。
 暑い。暑いぞ。お盆の忙しいピークが過ぎて緊張感が切れた私にとって、昼の暑さは暴力的。駐車場から御参り先まで徒歩5分以上かかる所で、5分ちょいで汗、びっしょり。
 帰宅して、娘と夕寝。

 復活。晩飯食べながら録画してた『やりすぎコージ』の都市伝説スペシャルを見る。
 ちなみに日曜日昼にも『たかじんのそこまで言って委員会』で都市伝説をやってた。こっちはホンモンの山口敏太郎が出てた。山口敏太郎はスンゲーぞ。多分、数年後には大谷派の同朋新聞とか、別院で講演会とかやりはる事になるねんやろうけど、山口敏太郎はスンゲーぞ。

【筆者は今まで妖怪や幽霊、宇宙人、都市伝説を扱ってきた先人たちとはスタンスが違う。今までの人はどちらかというとそういう不思議なモノを全肯定してきた。だが筆者は全てを認めているわけではなく案件ごとに否定・肯定をジャッジしている。とにかく何でもかんでも認めてしまう全肯定はいただけない。逆に科学を信奉し、ろくに調べもせず全否定する姿勢も疑問に思う。全肯定、全否定ともに偏重思考だし、こういう偏りがカルトをうむと思っている。 】(http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/e/fe8c4ef7b6f6a92d767a48b24082ec75より)

 である。
 大谷派僧侶の中には全否定をしたがる人も多くいるけど、親鸞だって

【奇瑞称計すべからず。『別伝』に見えたり。】

 なんぞと書いていたりするのだが。
 まあ、オカルト的な世界を特異な事にする必要は一切ないわけであって、オカルト好きな人が「私たちって特別♪」もアホ臭い差別思想だし、典型的な優生思想だし、故にまあ、カルト的になるのだろうが、反オカルトの人たちだって「あの人達はおかしい」なんぞというカルトなんだろう。だいたい、共感覚をどう説明するねん。
 科学で説明出来ない事を『嘘』『偽』とするのはちょっとなぁ。。。

負の遺産

2010年08月16日 | 坊主の家計簿
 最後の仕事が終わって、ヘタる。見事にヘタる。まだ釜ヶ崎夏祭りのヘンリーライヴに間に合う時間だったので、「アカン、アカン、気合い入れんとアカン」と、腹が減ってたので枝豆を喰らいつつ発泡酒をプシュっと。「アカン、アカン、こんな事してる場合ではない」と、寝る。イヤ~、見事に体が動かんかった。

 全身筋肉痛なので銭湯へ。っちゅうか、最近しょっちゅう行っているのだが、やはり銭湯へ。
 風呂上がりに大量のサロンパスを貼って、寝転びながらここしばらく録画して溜まっているものを諸々見る。


 『歸國』http://www.tbs.co.jp/kikoku2010/
 え~と、ラストシーンが象徴的かな?ラストシーンでたけしが石坂浩二を殺す。で、殺された石坂浩二が幽霊となって、幽霊のたけしと出会う。ここで非常に不思議なのだが、たけしに殺された石坂浩二はたけしに対して「何故あなたに殺されなければならないのですか!」と噛み付くのではなく、たけしに対して『感謝』や『謝罪』みたいな感じで接する。見ながら「おいおい、ちょっと待たんかい」とツッコミ。いかなる理由があろうとも殺人は殺人である。で、殺したたけしが謝罪するのでなく、殺された側が『感謝』や『謝罪』みたいな感じで接するのは、一体どういう思想なのだ?あれが戦争をおこした思想そのものではないのか?他国の人達を殺して置きながら「私たちはあなた達を解放した」なんぞとヌカすのは鬼畜米英の思想やろ。帝国臣民として恥ずかしくないのか。。。
 ん?まあ、あのシーンが象徴的なドラマだと思うのだが、ただ、「靖国で待つ」と行って亡くなられた方々一人一人の人生を考えさせられた。
 靖国神社が国家護持になるのは他宗教の私には真っ平ゴメンだ。んが、『公式参拝』は慣例になるし、国家護持に繋がるから反対だが、あくまでも個人としての参拝はありやろ。信教は自由である。そんなもんは当然の事である。だから、まあ、菅直人が行くとは思えんが、辻元ソーリが仮に総理大臣になった時に参拝するのなら勝手にすれば良い。祥月命日みたいなもんやろ。総理大臣が法事に出かけた時にSPなんぞが付いてて「総理、これは公式参拝ですか?」なんぞとヌカすんかい。そんな話は聞いた事がなく、単に『靖国神社』だから問題なのであるわけなんだが、個人的に勝手に行くのならば行けばエエ。
 靖国神社に対する参拝を強制されるのも真っ平御免だが、靖国神社に参拝出来ない人が居ている様な不自由な世の中も真っ平御免である。


 『戦争と仏教 ~寺報が記した戦時の教え~』http://ktv.jp/document/#a2010813
 番組の主題とは全然違う部分で「お!小谷さんや」「お!みやこネーチャンや」「お!白井さんや」なんぞと信楽先生なんぞの出演が想定されていた人以外のチュイ役出演者に目が行く。これは映画『靖国』を見てたら突然「お!菱木や」「お!金城実や」とビックリしたのと同じだったりするのだが、もっとビックリしたのは本願寺派の『念仏者9条の会』かな?で、鈴木邦男を呼んだらしい、っちゅうか出てた。講演録を手に入れなければ。。。
 で、一番ビックリして刺激を受けたのは、「しっかりした寺報を戦前から作ってはってんなぁ。。。」っちゅう事である。
 あ、番組内容については上記リンクを。真宗教団の戦争責任についてはどこか別のホームページとか、ブログを読んでね。
 で、『しっかりした寺報』である。番組を見る前までは勝手に手書きのガリ版印刷みたいなもんを想像していたのだが、活字の印刷やんけ。。。しかも、文字数、多い、多い。何ページなのかは知らんが、とにかくしっかりした寺報である。私も毎月、寺報を出しているのでこれは刺激になる。
 まあ、『しっかりした寺報』の内容は神戸修氏が語られていたが、当時の本山が言っている事「そのまま」だったのかも知れない。確か「疑いを持たなかったのでは?」やったけな?まあ、大真面目に当時の本山の教えに忠実であったのだろう。「主観で書かれたものではない」みたいな事を神戸氏が語られていたので。
 う~ん。。。それに比べると私が出している寺報は主観だらけやのぉ。。。まあ、このブログよりはマシで、一応、書く際には「え~と、大丈夫かな?」なんぞと本なんぞを読みながら勉強したりしているのだが、え~。。。
 しかも、これは想像なんだが、『しっかりした寺報』が発見された寺は吹田の千里山である。ひょっとして開教してはったのかな?勝手な想像なんだが。今でこそ千里山辺りは住宅街なんだが、戦前ってどうやってんやろ。非常に勝手な想像なんだが、『ニュータウン』で『しっかりした寺報』を出しながらパワフルに開教をなさっておられた住職さんを想像したりする。

 なんかツイッターをボケボケ見てたら最近(ここ数日)やたらとイオンの僧侶派遣の事なのか、それとも先日やってたNHKの葬儀特集の影響なのか知らんが、やったら滅多ら「これからの寺のあり方について」なんぞの事が多い。まあ、危機感は救いなんだが、結局、地味な宗教活動をやって行くしかないんと違うんかなぁ。。。
 だって、まあ、どこまで直接的な影響があったのかは知らんが、『しっかりした寺報』を出したりしたから『戦争責任』なんぞの言葉が付き回るわけであって、『しっかりした』『しっかりしていない』は別にして何かのメッセージを出さない限りは『戦争責任』もクソもない。
 『戦争と仏教 ~寺報が記した戦時の教え~』で取り上げられた寺の当時の住職さんは、メッセージを出し続けて居られたから明確な『戦争責任』として、現住職さんより「私の責任として」等と『負の遺産』を残されておられるわけであって、メッセージを出さなければ『負の遺産』もなかっただろうし、今回の番組もなかった。

 今月号の寺報の表紙には大谷派の不戦決議を紹介したのだが、あれが『参戦決議』であったとしても、今、それだけパワーがあるとは思えない。なので、このままだと、教団はともかく、少なくとも、今私が預かっている寺に関しては、私が出している寺報に関しては戦争責任に問われる事すらないのではないか?と、寂しく想像したりする。
 
 今日、御参りを飛び回っていると、まあ、殆ど会話出来ないのだが、寺報を渡すと「宗教活動も大変やな」等と声をかけて頂いたのだが、大変である。大変で当たり前である。営業職はやった事がないが、営業やろ。
 
 ついでなんだが、他の教団は知らんが、『開教』と言っているが、あれは『顧客管理』ではないのか?
 なんとなくの勝手なイメージなんだが、『開教』っちゅうたら『新規開拓』やろ。つまり、江戸時代の遺物である檀家制度では他宗だった人達を真宗門徒にするのが『開教』だと思ったりするのだが。え~。。。当然、出来てませんが。。。
 でも、まあ、今日、『しっかりした寺報』を出して戦争責任の番組を作られる程パワフルに布教活動をなさっておられた住職さんに刺激を頂いた。

 と、まあ、番組の趣旨とは違った事なんだが、一番刺激を受けたのはその事なんだから仕方がない。

Aの調書

2010年08月15日 | 坊主の家計簿
 今日もバタバタと。

 どれだけバタバタしていたかというと、「お、ようやくメシ喰えるやんけ」と、最後の御参り先近くに到着。結構、遠方。朝飯を食べる習慣がないので、移動中にパンを一個食べただけで、お腹は空いている。ちなみに午後14時30分過ぎ。御参りは15時30分から。小一時間あったので、近くにあったラーメン屋へ。駐車場がなかったので、近くにあったショッピングセンターの駐車場へ。なにやら「30分150円。ただし買い物した人は2時間まで無料」との事。まあ、ラーメン食った後に何か買い物すればエエわけであって、ラーメン屋へ。優しい味だけど、しっかりとした鶏ガラの味が出たラーメンだった。結構気に入った。で、お買い物。ショッピングセンターなんだが、お盆のせいなのか、それとも普段からなのかは知らんが、開いている店が少ない。仕方がないのでスーパーへ。新潟名産の茶豆(枝豆)が158円で売ってたり、他にもお買い得商品を厳選して購入する。レジで駐車券を出そうとすると「2000円以上のお買い物で駐車場2時間無料」との書き込み。時間もなかったので「もうエエわ」と、300円の駐車料金を払う。まあ、きっと、よく見なかったがか駐車場の入り口に小さな字で書いてあったのだろう。面倒だったからちゃんと読まなかったが。。。

 っちゅうぐらいにバタバタしてました。

 帰宅すると17時ぐらい。
 とりあえず「パパ、疲れた」とメッセージを残して仮眠しようとするのだが、300円の駐車料金を払った事に対する後悔&ムカつきが止まらずにツイッターに愚痴。
 まあ、しかし、3時間ぐらい300円損した事に対して後悔&ムカつきがあったので、1時間100円である。1時間100円で後悔&ムカつきを購入出来たと思えば。。。って、別に無理矢理納得せんでもエエ、っちゅうねん。だいたい、どんな理屈やねん。
 なんだが、まあ、300円で3時間どころか、深夜のブログに書き込むぐらいの人生経験を体験出来たわけか。

 と、まあ、んな事を『お遊び』で書けるのも300円が「それほど痛くない金額」だからである。確かにタバコ一箱であり、私の小遣いの100分の1なんだが、100分の1である。これが300円でなく、3万円であったりすると駐車場の主と揉めているだろうし、30万だったら「俺はお前を殺しても大義がある」なんだろう。「世の為、人の為に、ひと~つ、人の世の生き血を啜り、ふた~つ、不埒な悪行三昧、みっつ、醜い浮き世の鬼を、退治てくれよう、エロ坊主」

 っちゅう事で、100円ローソンの缶酎ハイ500mlと、トップバリューの発泡酒でベロンベロンに酔っぱらってしまった。。。

 

本日放送『戦争と仏教 ~寺報が記した戦時の教え~』

2010年08月13日 | 坊主の家計簿
 しんどいっす。
 朝ご飯を食べる習慣がないので、水分塩分カロリー補給の為に100円ローソンで売っている1リッターのスポーツドリンクを飲みつつ、自転車でダッシュ&御参り。途中、むっちゃ疲れて来る。「なんでや、ちゃんと諸々補給しとるやんけ」って、買ってたスポーツドリンクはノンカロリーだったのね。そら疲れるわ。。。

 晩飯喰ってたらママが「そういや夕方のニュースアンカー(関西ローカルか?)で竹中彰元の特集やってたで」と。
 「録画しとかんかい!」
 だったのだが、何やら娘との風呂上がりでそんな状況ではなかったらしい。

 で、ツイッターで知った情報。

 明日、っちゅうか、本日午後 3:57~4:53に『戦争と仏教 ~寺報が記した戦時の教え~』っちゅう番組があります。

 http://ktv.jp/document/#a2010813

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100812-00000115-san-ent

 ひょっとすると関西ローカルかも知れません。

フレンチ牛丼

2010年08月11日 | 坊主の家計簿
 松屋の牛丼は最強かも知れん。。。
 いや、今日もハイパー忙しいモードでバッタバッタしていたのだが、早めの昼飯を軽く(うどん一杯)喰っただけだったので15時前になると腹が減って松屋に飛び込む。別に狙って入ったわけではなく、行ってたホームセンターの近所にあったので。
 松屋の牛丼は250円である。これがキャンペーン価格なのか、恒久的な価格なのかは知らんが、とりあえず今日は250円だった。
 牛丼は『すき家』が好きである。決して「すき家が好きや」等という親父ギャグは飛ばさない。なぜなら真面目な話であるからだ。『すき家』の牛丼の味付けが個人的相性で非常に好ましく食べていたのだが、今日、久々に松屋に入ると、「あれ?味が変わってないか?」と。「お、これは結構好みの味になっとるやんけ」とワシワシ食べる。
 松屋は定食類なんぞが充実している。なのでサラダ用のドレッシングや、焼肉用のタレなんぞもある。
 使い放題である。
 例えば「今日は、ちょっとおしゃれにアッサリと牛丼を食べたいよね」とかいう日にはフレンチドレッシングを牛丼にぶっかけてみよう。あら『フレンチ牛丼』が出来上がるじゃないですか。フレンチドレッシングが牛丼にマッチしてまるでサラダ感覚で牛丼を食す事が出来るじゃないですか。。。
 なんぞという事を、焼肉用のタレを牛丼にぶっかけて食べながら思ったりする。
 私みたいに気が弱く「汁たくで」と言えない人には、松屋でお好みの汁をぶっかけて食べるとエエかも知れん。ちなみに焼肉用のタレで喰ったら、むっちゃ美味やった。牛丼が焼肉丼になっただけの気もするのだが。。。

 っちゅう事で、本日はカーラジオ以外の情報源がない。で、ちらっと聞いたニュースで菅直人総理がなにやら韓国併合についての談話をしたらしい。今年は韓国併合100年やし。

 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100810dde001010004000c.html

 ふと、良からぬ妄想が頭をよぎる。
 「菅直人って、この為だけに総理になれたんと違うやろなぁ。。。」

 いや、戦後50年に村山談話がありましたやん。で、「おお、この村山談話路線は使えるのではないか?」と。
 「おい、今総理になったら韓国併合100年でなんか喋らんとアカンぞ。どうする?」
 「んなもんは、左派にやらしときゃ海外ウケがエエねんし、左派にやらしとけ」
 「ほな、管か。」
 「管やのぉ」
 みたいな感じがでんな(笑)

 まあ、見事な妄想なんだが、何にしても9月の代表選挙で菅直人が負けたら、菅直人はこの談話だけを残して行くのか。まあ、エエ記念なのかも知らんが。

 その他、元阪神の藪恵壹が楽天で日本球界に復帰したらしい。
 井川はどうしてんやろ。。。向こうでアカンかったら帰って来たらエエのに。

 タイトルを何にしようか迷い、『フレンチ牛丼』で検索してみる。
 「おお!同士がこんなにも!!!」
 っちゅうくらい、松屋の牛丼にフレンチドレッシングをぶっかけて食べている人がいてるみたいである。
 なんと、『松屋牛丼にフレンチドレッシングをかけて食べる会』(http://matsuya-gyudon.seesaa.net/)という会まであるみたいである。素晴らしい。。。

 しっかし、ネットでやっぱりスンゲーなぁ。いや、個人的好みってありまんがな。その個人的好みが少数意見だったりすると孤立化してしまいまんがな。まあ、人間関係が狭まれると。ようするに街中に余り出られないガキの時代とか。そういう時って、かなりキツい。そのキツさが、今は『ネット一発』で解消されるのかも知れん。
 ただ、このキツさが私個人にとっては結構良かったんではないか?なんぞと思ったりもする。私の人生だし、あの時代のキツさが無ければ今の私はないわけなんだから。
 けど、まあ、『キツさ』なんぞは『ネット一発』で同じ考えを持つ人達に出会っても必ず出て来るものなんだし、孤独感なんぞは必ず出て来るものなんだし、変わらんか。時代が変わっただけの話であって、世間が変わっただけである。
 次から次へと新しい情報を素早く手に入れて、もしくは調べられる時代であっても、そうでない時代であっても、『キツさ』の内容、『苦』の具体的な内容は違っても、まあ、変わらん。苦が苦である事は変わらんし、キツいのは変わらずキツい。
 個人的経験でいうのならば、「こういう風になったら楽になるのに」とは変わらず思ってしまうのだが、そこにはそこなりの『苦』『キツさ』がある、っちゅう事、『ユートピア幻想』っちゅうか、『隣の芝生は青く見える』やったけ?『隣の芝生は青く見える』のだろうが(うちに芝生はない)、『隣の寺は楽そうに見える』のならばよく解る(笑)んが、それは主観として、偏見として『見えているだけ』にしか過ぎない。よく知らないからである。そこで生活しておられる人が見えていない。脱亜入欧だけが幸福なわけがない。

 日曜日、『たかじんのそこまで言って委員会』やったけな?を見てたら西尾幹二が出てた。ちらっとしか知らない情報で勝手な偏見を持っていたのだが、番組を見ても変わらず「相性が合わんのぉ。。。」なんだろうが、人となりが少し見えた。そして私が抱いていた偏見も少しだけ消える事が出来たのだが、まあ、基本的な思想は全く違うのだが、結構な影響を受けたりした。真面目なのだ。当たり前ながら。その真面目さを『思想の違い』から偏見の眼でしか見れなかった事を反省と謝罪したい。

 今日の菅直人総理の談話はきっと一部ではかなり評判が悪いのだろう。昔表現でいう『右派』からも『左派』からも。

 保守。「一人の人間を粗末にしないし、無視もしない。何かの『正義』という旗印でもって斬り裁かない」というのが私の保守思想である。これが私には無茶苦茶難しいのだが。。。『革新』になって斬り裁いたりするのが性にあっているのだが、『性に合っている』と思想は違う。私は『一人』を大事にする保守活動家で居たいわけだし。
 故に、『国家』であるとか『天皇』とかを『個人』よりも先に考える思想・信条を持つ人とは全く意見が違う。意見が違う事をあざ笑う事、批判でなく、議論でなく、あざ笑う事は、私の思想信条に合わん。

「唯」は、ただこのことひとつという。ふたつならぶことをきらうことばなり。(親鸞)

2010年08月10日 | 坊主の家計簿
 雑務に追われて、あら、深夜。もう、寝んとアカンねんけど、一言。
 こら、HP130。テメー、諸々調べたら問題の多いインクカートレッジらしいやんけ。クレームに出すには保障期限がどないなっとるのか知らんから、まあ、良しとするけど、もう二度と使わん。

 あ、もう一言。
 晩ご飯を食べながら『TVチャンピオン』っちゅう番組を見てた。何やら今回は金魚すくいのチャンピオンを決めるらしい。
 親子や兄弟(姉妹)でのタッグマッチ。金魚すくいに全く興味のない私はふと

 娘「お父さん、この人、金魚すくいの日本チャンピオンなのよ」
 父「それがどうした」

 っちゅうシーンを想像する。

 もの凄く当たり前の事なんだろうけど、私に興味ない世界でも、その世界の中では「あの人って凄いね」と言われていたり、憧れられていたりするのだろう。

 娘「お父さん、そんな事いうのなら、一度、彼の試合を見てよ」
 父「おお!なんちゅうスンゲー技や。なんであんなに多くの金魚がすくえるねん」

 に、なったりするのかも知れんのぉ。。。

 全くどうでもエエ話なんだが、『朝倉世界一』っちゅう漫画家が居ている。きっと彼は世界一の『朝倉世界一』なんだろう。
 なのできっとTVチャンピオンで『朝倉世界一決定戦』っちゅうのがあれば、きっと彼がチャンピオンになったりするのだろう。

 非常に親バカ丸出しの話なんだが、最近娘が指一本を立てて「ファック!」っと言い出した。。。あ、嘘です。立てている指は人差し指で、人差し指一本を立てて、タマに『天上唯我独尊』をやっている。あ、もう一本の手で下向きにやらないので『天上唯我独尊』ね。
 っちゅうか、『天下』(下方世界)がないねんから、天上(上方世界)もないか。
 「おお、これは。。。」と、親バカ丸出し。



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 本年八月八日夜、恵里(えり)が産まれました。
 私たち夫婦を縁にして産まれて来た娘は、『私たち夫婦の子』でも、『犬伏家の子』でも、『円覚寺の子』でもなく、あくまでも如来様より御預かりした『如来の子』であります。

 【生後三ヶ月の陽子を抱いて、私たち夫婦の仲人をしてくださった先生のお寺を訪ねたときのことでした。
 「この娘は女の子だから、私は何も期待しないわ。ただ、心やさしく、明るく、素直に、誰からも好かれてスクスク伸びやかに育ってもらいたいの」
 そう言ったとたん、隣に座っていた年長の法友は、「まあ、そんなにたくさん期待して」と、言下に言い放ったのです。】(渡辺尚子『あなたは、あなたに成ればいい』より)

 私たちは『愛情』という言葉を借りて自分のエゴ(わがまま)を相手に押し付けます。あるいは「あなたの為を思って」等という表現でもってエゴを押し付けます。一体、私たちは何時から「相手の為」を判断出来る様な『御偉い人間』になったのでしょうか?『人の為と書いて偽りと読む』との言葉通りです。私たちにはそんな判断は出来ません。凡夫である以上、絶対に不可能であります。
 しかしながら私たちはつい『愛情』とか「あなたの為を思って」等という美名に酔いしれ、己が煩悩を抱えた凡夫であるという身の事実を忘却し、それが故に愛情が通らなかったり、相手が自分の思い通りにならなければ相手を恨んだり、相手を見放したりしてしまいます。そして相手のせいにして、自分の身を守ります。自己愛に固執して、その自己愛を満たす為の道具として相手を利用しているだけにしか過ぎません。それが悲しいかな、生身の人間の『愛情』の正体です。
 また、渡辺尚子さんの文中にもあるように、『女の子だから期待しない』などと平気で性差別をしてしまったりするのです。
 娘・恵里はそういう私たちのエゴを告発して下さる、大切な如来様の子です。

 『里に恵まれ、里を恵む。』恵里はこれから私たち夫婦や皆様を筆頭とする多くの里の人たちに恵み育てられる事でしょう。それと同時に、恵里には里に迎合して『生きる屍』として生きて行くのではなく、一人の人間として私たちや皆様を筆頭とする里の仲間たちに対して「あなたは人間である事を忘れてませんか?人間は対等なものです。決して何かの条件を得たから貴いとかいうものではありません。人間は人間以上でも以下でもなく、それだけで貴い存在なのですよ」と、里を恵む人間に育って頂きたいという『願い』に名を借りた『親のエゴ』で『恵里』という名前を付けさせて頂きました。
 これからも恵里を宜しく御願い致します。

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娘の誕生日

2010年08月09日 | 坊主の家計簿
 すっかり手抜き状態のブログでおます。

 【理由1】 
 先週、仕事はヒマだったのだが、夜の予定が満載であって、しかも『次の日休みやも~ん』だった場合が多く、次の日を無視して大酒煽ってしまう場合が多くてですねぇ。。。一応、『確か』という限定をつけるが、確か終電をブッチして自転車で帰ったのは一日一夜だけだったはずなんだが、まあ、帰宅したらベロンベロンですし、「んなもん、パソコンなんか開いて
られるか!」状態ですし。

 【理由2】
 っちゅう、感じの一週間だったので、週の初めに腹をやられる。ようするに下痢である。
 このクソ暑く、体力の必要な夏に下痢→夏バテ。。。

 明日は、遠方の御参り一件だけだし、しばらく夜の予定もなし。なので、夏バテでノビノビになってた寺の通信を仕上げる。しかしながら、夏バテで、え~。。。どれだけ夏バテかというと、『読経を間違える程』の夏バテであって、結局、先月書いてボツにした文章をそのまま使う。まあ、『金城実』っちゅう反戦彫刻家について書いた文章やし、まあ、大谷派の非戦決議につながるやろうと。多分、そのうちにホームページにアップするので、ヒマと関心のある方は御一読下さい。

 っちゅう事で、本日8月8日は娘の1才の誕生日であった。
 誕生日なのはエエねんけど、パパは夕方遅くまで仕事だったし、プリンターの調子がおかしかったので電気屋にその後に行ったりして、イマイチ誕生日気分ではなかった。
 ママは「娘の誕生日!」っちゅう事で、娘も食べれる手作りケーキを作ってたりしてたんだが、かつ、娘の御飯もカワユイおにぎりもあったりして、結構、誕生日誕生日してたんだが、当事者の娘が「誕生日って何?」やし(笑)ケーキを食べる前に、晩ご飯でお腹パンパンになってやがんの(笑)なので、ケーキは明日。

 しゃて、一年前に自分で

 仏事としての誕生日

 という事を書いて居る事に気づく。
 当然、やってないし、「やろうともしていない」である。
 「夏バテ、しんどい。」やし、「俺って、エエ加減」。

蝉は早起き

2010年08月05日 | 坊主の家計簿
 寺の通信が。。。
 いや、8月は特殊事情でもって6日に仕上げたらエエねんけど、明日も外出(飲む)であり、酒癖の悪い私は「ひょっとすると6日は一日中二日酔いかも解らん。。。」と危険を察知して通信作り。あ、そういや、ここ2ヶ月ぐらいホームページにアップしてないのぉ。。。

 なので、今日は早寝。うそ。ママと娘と一緒の時間に布団に入って寝ようとしたんだが、「まあ、別に寝られへんかってもエエわ」と、今月の通信の企画を考える。とりあえず表紙は「大谷派の非戦決議で行こう」と以前から決めていたのだが、え~。。。それ以外が。。。
 結局、決まらんまま、「とりあえず寝られへんし作りだしちゃえ」と、作り出す。なんとか3枚完成。残り1枚。
 残り1枚ならば二日酔いでもなんとかなるか。。。最終ページ(コーナー)に書きたいネタも2つに絞り込んだし、なんとかしよ。
 んじゃ、寝よ。