寺の通信を作る前に、星野泰司『俺は死事人』(http://osaka.yomiuri.co.jp/bungaku/bg100810a.htm)を読んでたら、携帯電話に見知らぬ番号よりの電話。門徒さんからだった。「なんで携帯やねん」と思ったのだが、そういや、寺の通信には携帯番号が思いっきり書いてるし。というか、『住職携帯』として、携帯番号しか書いとらんし。まあ、そういう事もあるわな。
お婆ちゃんが亡くなられたらしい。いつもお参りに行くと仏間に居たお婆ちゃん。
続きで『俺は死事人』を読んでたら、最後の葬儀シーンで泣いてもうた。いや、エエ葬式坊主やってんなぁ。。。
真宗は『ただ念仏』なんだが、葬儀って、『行』ではないが、絶好の学びの場やな。
とはいえ、「葬儀だけが」で当然あるわけもない。「葬儀だけ」であるのならば、葬儀の回数が誇りになる。葬儀を経験した事が誇りになる。そんな事はナンセンス極まりない。
しっかし、まあ、なんちゅうんやろ。自信喪失した坊さん、自分達のやっている事、日々のお参りや、葬式や法事に意味を見出せずにいる坊さんとかは『俺は死事人』は読んだ方がエエと思ったりする。
「○○寺です~」と、お参り先に行くよりも、『遺族外来』なんぞの言葉の方がカッチョエエとか、「一緒に正信偈をお勤めしましょう」より『グリーフワーク』の方がカッチョエエとか。まあ、新しい価値観の方がカッチョエエのは『流行』っちゅうのがカッチョエエのと同じやねんやろうけど、普段やってる事って、結構スンゲー事なんではないかと。
これからの寺業界は、カウンセリングやってた人が「実践の場として僧侶の道を選びました」とか言いながら、『楽しく』、まあ、誤解を生みやすい言葉だが、楽しく毎月のお参りや、法事、葬儀なんぞを。「他の多くの坊さん達と同じく月参りさせて頂いています」とかでんな。
まあ、飲み屋のマスターも、ママも、ホステス、ホストだって、カウンセラーみたいなもんなんやし、ただ、『カウンセラー』に比べて『成りやすい』から評価が『水商売』として低いだけの話であってやな。
坊さんの中でも「月参りは誰でも出来る」なんぞと、差別化でカッチョエエ、っちゅう話なんかも知れん。
しっかし、平等を標榜する仏教徒、ましてや『僧侶』の中での差別化って、何の話やねん(笑)衣の色の代わりに社会貢献か?一休さんにしばかれるぞ。
お婆ちゃんが亡くなられたらしい。いつもお参りに行くと仏間に居たお婆ちゃん。
続きで『俺は死事人』を読んでたら、最後の葬儀シーンで泣いてもうた。いや、エエ葬式坊主やってんなぁ。。。
真宗は『ただ念仏』なんだが、葬儀って、『行』ではないが、絶好の学びの場やな。
とはいえ、「葬儀だけが」で当然あるわけもない。「葬儀だけ」であるのならば、葬儀の回数が誇りになる。葬儀を経験した事が誇りになる。そんな事はナンセンス極まりない。
しっかし、まあ、なんちゅうんやろ。自信喪失した坊さん、自分達のやっている事、日々のお参りや、葬式や法事に意味を見出せずにいる坊さんとかは『俺は死事人』は読んだ方がエエと思ったりする。
「○○寺です~」と、お参り先に行くよりも、『遺族外来』なんぞの言葉の方がカッチョエエとか、「一緒に正信偈をお勤めしましょう」より『グリーフワーク』の方がカッチョエエとか。まあ、新しい価値観の方がカッチョエエのは『流行』っちゅうのがカッチョエエのと同じやねんやろうけど、普段やってる事って、結構スンゲー事なんではないかと。
これからの寺業界は、カウンセリングやってた人が「実践の場として僧侶の道を選びました」とか言いながら、『楽しく』、まあ、誤解を生みやすい言葉だが、楽しく毎月のお参りや、法事、葬儀なんぞを。「他の多くの坊さん達と同じく月参りさせて頂いています」とかでんな。
まあ、飲み屋のマスターも、ママも、ホステス、ホストだって、カウンセラーみたいなもんなんやし、ただ、『カウンセラー』に比べて『成りやすい』から評価が『水商売』として低いだけの話であってやな。
坊さんの中でも「月参りは誰でも出来る」なんぞと、差別化でカッチョエエ、っちゅう話なんかも知れん。
しっかし、平等を標榜する仏教徒、ましてや『僧侶』の中での差別化って、何の話やねん(笑)衣の色の代わりに社会貢献か?一休さんにしばかれるぞ。