東京&Paris フラワーライフ

パリスタイルフラワーアレンジメントをこよなく愛するマダムの日々★

さあ、 仕事をしよう***

2011年03月31日 | 未来都市  未来の私 スマートに
大手町 の大手門、

白壁が剥がれ落ちてました。


東京タワーの 先も曲がったままですが、


桜も咲いた東京です。


三月も最終日。  きっちりと終わらせましょう。


あす、四月一日、 良いスタートが出来ますように



2人旅

2011年03月30日 | 永遠の課題
2泊3日 の浜松滞在。

30年振りの 親子旅 でした。


まさか母と旅に行ってくるとは思いもよらなかったですが、出掛け、

先程無事戻ってきました。


最近食が進まなかっつた母、

3月になり、 母の食事作戦開始。
 

手作り料理で、母の美味しい!を数多く聴くことが出来ました。


今まで、食べられないのよ・・・の母の言葉に・・・

検査しに病院に行こう! と、言っていた私も、 かたくなに嫌がる母に、

泊り込みで、ご飯を作り、一緒に食べたのでした。


不思議や不思議、 美味しいと食べる母。 


結局、食の楽しさを忘れていたんですね!  


そして、出掛けないと言っていた母に、一緒に浜松に行こうと急遽提案。

はじめ 行かないと言ってましたが・・・


母のきもちに寄り添って旅しました。


年取り小さくなってしまった母ですが、戦争も乗り越えてきた母、

考えは力強く、前向き、母娘の時間は人生訓を聴く旅 でもありました。



浜松だより

2011年03月30日 | 日本の旅
ガラガラの新幹線で浜松に来ました。

桜は蕾、寒く、コートが離せません。

水もお野菜もフルーツも美味しい浜松。

ところが、スズキも、他の工場も操業停止。
トラックも見られません。

大変なことになってしまいました。

五月の凧揚げも、、、中止。
経済効果も見込めなくなりました。

リーマンショックからやっと明るい見通しも、

今は逆転です。


そんな浜松です。

今日の私と 明日

2011年03月27日 | おもてなし、フラワー、 テーブル、
スマイル それだけでこころは開放される作り笑いでも。


しぜんにほほえむいつもの私はどこかにいってしまって・・・


どうしたんでしょう~ 


今はそんな気持ちになれない。 心の底から思っている、悲しみの塊がある。


でも予定はよてい。 撮影があった。

そして考えた。   今の私記録に残そう。


黒の服に、シャネルのアンティークのペンダント。



でも、やっと後半花を生けて、花を無心で見たとき、 自然になれた、不思議な力、


  はなのちから  花



今はひたすら ひたすら  手探りで生きる歩みをつなげて行く、

明日は見えないし、明日の答えはわからない。


でも、勇気を持って紡いでいこう一手一手、




 









何もなかったような 東京の道路   デパートの食堂

2011年03月26日 | 東京 TOKYO
ガソリンも 行き渡り 東京の道路は渋滞。

カーナビの渋滞情報も赤く示されてました。


余震も あって当たり前、

バッグの中には、水、飴、帽子に手袋、お金(千円札で)、、、

歩きやすい靴。


で外出です。


不便が普通生活  不安でも普通生活 


そして、 


外に出たくない!!! の母を、昨日はお天気が良かったので、

デパートに誘い出しました。


三越本店は、外パーキングが節電のためか閉鎖。

高島屋に行きました。エスカレーター中止で、大回りでエレベーターで上に。


特別食堂に入りましたが、 満席。

母と同年齢の方が多く、母は顔がすっかり平穏だったときに戻りました。


人の顔は、 別人のように 変わりますね。

娘ながら驚くほどでした。


食の細い母 ですが、お魚のグリルを頼みました。
丁寧に焼いてあり、おいしい、と完食。これも驚きました。

母にとり、同年代の方の中に入ることは安心感があったようです。

余震もありましたが、 移動中は気づかず、知らぬが仏。


今日は揺れないね、母。 


母の地震恐怖 取り除き作戦完了の日となりました。


元気だった 日吉

2011年03月25日 | 未来都市  未来の私 スマートに
昨日、

とても出たくなかったですが、

日吉まで、用事があり出掛けました。


まず地下鉄、 まだ大きな余震があると言われています、、、

でも乗ったら、 以前と変わらず・・・


中目黒で 東急に乗り換えると、

すべて各駅、 暖房なし、でしたが、 無事日吉到着。


寒いと思ったらなんと、雪がちらつきました。


用事済ませかえり、 あまりの賑やかさで、日吉の東急に入ってみました。

営業も7時まで、  それはそれは、美味しそうな食材が沢山。

お店の方々も頑張って力を入れて作っていることがよく分かります。


テイールームも 人で満席。  おしゃべりに花を咲かせています。


私も母のお夕飯に、お弁当を買ってきました。


仕事場と、自宅の往復の私、いつもと違う大学のある住宅地の街に来て、

大勢の人が活気あり楽しげにしているのを見るに付け、

東京が一足早く 元気にならないと、 経済が活性化しないと、観光客も着てくれないと、

国際会議も行われないと、 被災地の復興のためにならない。

私が、地震を怖がっていたんでは、ダメ。


地震との知恵くらべです。

余震を怖がる母もいますが、準備万端して、

東京の揺れるビルの上で生きて行くしかありません。


神奈川から元気をもらった 私でした。

浜松

2011年03月25日 | 日本の旅
東京から 新幹線ひかり で 1時間半 の浜松。

東京よりも あたたかく、

余震もなく、

ホテルも 中部電力で明るく 照らされていました。


暖かさはありがたい。 ひかりの明るさも頼もしい。


姉に会い、 買い揃えてきたものを渡し、来週の打ち合わせをして慌ただしくひかりに飛び乗り

暗い東京に帰りました。


東京駅には 暗くともお店には沢山の食べ物。

めったに来ないのでお上りさんの私。

物珍しくキョロキョロしながら迷いつつ山手線に乗りました。

やはり東京って すごい!

化粧

2011年03月23日 | 未来都市  未来の私 スマートに
 
 スギ花粉アレルギーの私、

 今年は大変きつく 喉まで痛くなり大変でした。

 マスク、めがね、 薬、、、

 
 そんな中 大地震。


 混乱の中、気がついたら なんとノーメイク、

 これがとても心地よい。


 マスクをするので、 ファンデーション も ルージュ も

 煩わしい。

  
 アイメイクも、 目が痒かったりで いらない。

 ・・・・・


 でも昨日 娘に言われてしまった、

 化粧しないと そのまま老けてしまうんじゃない?と

 眉墨 はしたら? 

  ありがたい忠告 です。

 
 あ! もしかして、


 でも、反論してしまう、言いたくなってしまう私、

 髪は、こんなに気にして ・・・  セットしているし、

 髪型が崩れないようにも。。。などと、

 
 今思い返すと 可愛げのない母親。

 そろそろ、子に従いもありにしないと*** 


 気が張り詰めている今は、それだけで化粧は要らないが、

 回りも緊張してしまったりするかもしれない。

 家族 の太陽 母親は、  その役割も果たさないといけない
 


 

おいしい  を 求めて

2011年03月23日 | 未来都市  未来の私 スマートに
 
 テレビのニュースで

 被災者の方が、

 満足気に、お味噌汁の椀を手に、


 ずーっと 温かいものは口にしなかった、ほんとうに美味しい!!!

 と、



 そんな画面に私も共に 美味しい を 体感し、安堵します。


 人は美味しい の ため 生きるし、

 美味しい は 人を生かします。


 人は、 生 を得るために  生命誕生の時から貪欲に進化してきました。


 生きるための 食 のため 進化もし続けてきました。

 
 地球の人類、 その住まいする地により、

 腸の作りも違う程。


 最近、地産地消 も 話題です。 

 昔は、地産地消しか有り得なかったんですがね、

 文明により 交通機関も便利となり 今は人は不可能がないと思うほど

 世界中の食を 手に入れました。 


 飽食 そんな単語も良く耳にしました。



 一椀の 味噌汁 の画面、 


 の意味するもの、 心に残る ニュースでした。


   


 

明日から浜松 往復

2011年03月22日 | 永遠の課題
毎週、行くことになります。


今日は、姉に届けるものを購入にデパートに行きました。

銀座三越。

午後5時過ぎです。

お店は6時閉店です。レストランは5時までで、ラストオーダーは4時。

ラデュレは閉まっていました。



けさは、いつも見ない、見たことのない工事車両を多く見ました。
そして、
新宿区の作業車
給水車、、、も


車がほんとうに少ないので、

目立ちます。


緊急事態です。


明日のため、 今から荷物を作ります。





地震があり

2011年03月21日 | 未来都市  未来の私 スマートに
 棚の奥から、顔を出してきた物たち・・・

 片すことに。

 50年も前の写真、

 父の旅のスクラップブック、初めて見る。

 残した旅の記録に従って旅に出てみたい!!!

 写真の中の

 元気な父、楽しげな母、 友人達。


 いろいろな時代があった。

 
 そして・・・ 高齢になった母、


 余震もあり、今後も不透明、

 なので、


 母を中心にまた暮らしを共にしようと思う。

 その時が来ました。 昔とおなじ生活ではない。

 人生の何幕目だろうか?

 
 全く新しい、関係、 そして、 新しい生活。


 大きな揺さぶりが 落ち着くべきところに 私を運んだ。