「物語」との対比によって「純文学」の特質をあぶりだそうとする「純文学って何?」と、講談社文芸文庫「戦後短篇小説再発見」に収められた作品の詳しい解説を通して純文学を考察する「戦後短篇小説再発見」、これら二つのカテゴリをそれぞれ総論、各論として話を進めているわけだが、ここではいったん小休止して、雑談めかした切り口からこの問題に迫ってみたい。
少しでも文学に関心を持っている人ならば、島田雅彦(1961~)という名前を知らない者はいないだろう。村上龍(1952~)と同じく、二十歳を超えるか超えないかといった年齢でデビュー、しかし村上が群像新人賞からいきなり芥川賞まで駆け抜けたのとは対照的に、その処女作『優しいサヨクのための嬉遊曲』は芥川賞候補にはノミネートされたものの受賞には至らず、その後も毎回ノミネートされては落選落選を繰り返し、ついには最多落選という名誉だか不名誉なんだかよく分からない記録を樹立、しかしいっぽう村上春樹のような幅広い支持こそ得られぬものの若者を中心にじわじわファンを増やしていき、「新世代の旗手」として玄人筋の評価も高く(あの中上健次さえ、一定の留保つきだが誉めていた。大江健三郎もずっと好意的だった)、「文壇」内に着実に地歩を築いていく。
70年代の連合赤軍事件を経てすでに衰亡があらわになっていた学生運動のありさまを、「左翼」を「サヨク」へと変換することで風刺的にカリカチュアライズしてみせた『優しいサヨクのための嬉遊曲』に明らかであったように、その作風は当初から一貫してはなはだ策略的であり、従来の日本的リアリズムとはもちろん、春樹・龍のW村上に見られるようなニューウェーブ風リアリズムともまた一線を画していた。プロの学者や批評家には及ばないにせよ、ポスト構造主義などのいわゆる「現代思想」にもそれなりに造詣がふかく、あの浅田彰とも臆することなくサシで対談をしてみせるなど(とうぜん押され気味ではあったが)、その批評性は早くから若手作家の中で群を抜いていた。そして、スーパーヒットを放つこともなく、ロングセラーも持たないかわりに、一定の水準を落とさず大量の作品を書きつづけることで、つねに露出を保っていた。
批評能力の高い作家は重用される。80年代バブルのなかで新鋭としての足場を固め、そろそろ中堅と目されるようになった90年代以降には「文學界」新人賞や朝日新聞の文芸時評を担当、そしてまた、芥川賞はダメだったけどいくらなんでもこれは取るだろうと噂されながらこちらもなぜか結局は取れずに終わった「三島由紀夫賞」の選考委員にもなる。そしてとうとう、芥川賞の選考委員にまで上り詰めたことはご承知のとおりだ。やはり積年の恨みを晴らしたってことになるんだろうか。
すなわち島田雅彦は今や日本を代表する作家のひとりであることは間違いない。しかるにぼくは、この島田さんの作品と昔からずっと相性が悪い。今回の記事で書きたかったのはそのことである。『優しいサヨクのための嬉遊曲』が文庫になった(今は亡き福武文庫だ)のはぼくが大学生のときで、授業前に立ち寄った生協の書籍部で見つけて買い、教室のいちばん後ろの席に座って、講義のあいだに読み終わると、チャイムが鳴って教室を出たあと真ん中から二つに破って廊下のゴミ箱に捨てた。いかに文庫といえど書物に対してそのような蛮行をしたのは後にも先にもこれだけである。山田悠介の『リアル鬼ごっこ』を読んだ時でさえすぐに破り捨てたりはしなかった(ブックオフに売った。まあ、これはかなり後年になってからの話ですがね)。
むろん、下らねえ、と思って腹を立てたわけだがその下らなさがなんというかこう、スカした嫌味な下らなさで、しかも、スカして嫌味なわりにはガキっぽくって、たとえば同時期に読んだ田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)だってスカして嫌味で下らないんだけどしかしまあ、そこに描かれた「クリスタル」(笑)でファッショナブル(笑)なライフスタイル(笑)は、ド貧民の小倅(こせがれ)であったぼくにとってはけっこう魅力的でもあり、副業でモデルをやってる女子大生の一人称で書かれたそのお話は、いま読むともちろん笑止千万なのだけれども、当時のぼくには「オトナじゃん。お洒落じゃん」と思えたのである。嫌味ではあっても「ガキっぽい」とは感じなかった。
「ネクラ」(80年代用語)な70年代から「軽薄短小」(というかおバカ)な80年代への移行を、「左翼」を「サヨク」へと変換することで捉えた島田雅彦の批評性というものが理解できたのは、前回の記事で挙げたような諸作、つまり柴田翔とか高橋和巳とか大江健三郎とか庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』とか三田誠広『僕って何』とか立松和平『光匂い満ちてよ』などの全学連小説・全共闘小説を系統立てて読んでいってからである。初期の島田雅彦の作品はそういった系譜のなかに置いて初めて理解できるわけで、これだけをポンと孤立させて読んだらそりゃ下らなくって読めたもんじゃない。しかし一般の読者がそんな系統立った読み方をするのは容易ではなく、ぼく自身、20代の頃は島田雅彦のどこがいいのかさっぱり分からずほとほと困り果てていたのである。
ほとほと困り果てていた、というのは誇張ではなくて、それというのもぼくはその頃からもう小説を書き始めていたし、なるべく早くデビューしたいと焦ってもいた。しかし80年代初頭あたりの「新人」というと島田さんのほか高橋源一郎、小林恭二といったいずれ劣らぬ「ポストモダン」の策略的な書き手があまた台頭してきていて、しかも彼らの書くものは、ぼくが「これこそ文学だ」と信じて書いているものとは似ても似つかぬ代物だったのである。たとえば羽生善治の将棋を見れば、向こうが天才でこっちが凡才だってことは否が応でも一目でわかる。しかし、島田や高橋の小説を見てもぜんぜんそうは思えなかったし、そもそもどこがいいのかすらわからない。自分の進もうとする途上に、まるで得体の知れないものたちが立ちはだかっている光景ほど気色の悪いものはない。それで20代のぼくは泣きそうなくらい困惑してたし混乱していた。いま思うと、そんなことには委細かまわず自分の信じる「文学」をひたすら書き続ければよかったんだろうな。だって、どちらにしてもこの齢でまだデビューできてないんだからね。しかし後の祭りだ。しょうがねえこれからまた頑張ろう。
それはともかく、島田雅彦の文学ってものを少しずつ理解できるようになったのは90年代後半、ぼくが30代に入った頃である。『僕は模造人間』が三島由紀夫『仮面の告白』の、『彼岸先生』が夏目漱石『こころ』の批評的パロディーであるというように、島田さんが文学史上の画期的な作品をポストモダンの文脈の中で換骨奪胎して再構築しているらしいってことがわかってきたのだ。確かにそれは意義のある仕事だ。むろん、「青二才」を標榜しつつも彼の作品がそれなりに成熟してきてガキっぽさが薄れ、比喩とアフォリズムに頼りすぎだった文体が潤いを増してきたことも大きい。昔よりはずいぶん読みやすくなった。ただ、それでもやっぱり根本的にスカして嫌味なヤローだなという印象だけは変わらない。なにをそんなに気取ってやがんだと読むたびに思う。これはもう文学がどうのといった話じゃなくて、いわば「生まれ育ち」に関わってくることだろうからどうしようもない。こっちの生まれが酷すぎるのだ。べつに島田雅彦にかぎらず、オペラやクラシックについて嬉々として語る輩を見るだけでいつも微かな殺意を覚えるのである。
80年代バブルがはじけて90年代に入ると、町田康、保坂和志、川上弘美、堀江敏幸といった人たちがあらわれる。川上、堀江両氏の力量は早々ともう芥川賞の選考委員に抜擢されたことによっても明らかだろうけど、町田、保坂両氏の実力のほどもけっして引けを取るものではない。島田雅彦のデビューが早すぎたせいで後塵を拝したかたちにはなるが、これらの人たちは島田さんとほとんど年齢差がなく、保坂、川上さんに至ってはいくつか年長ですらある。相次いでこの四名が出てきたときに、ぼくはほんとにほっとした。その作品がどれも心に沁みたからである。全員が最初からちゃんと成熟していたし、スカしてもいなければ嫌味でもなかった。地に足が着いてる感じがした。20代のころにこういう作家たちが居てくれたならば、ぼくもあんなに混乱させられることはなかったと思うがしかしそれは言い訳だろう。ぼくに真の才能と信念があれば、自分自身がそのような作品を書いていたはずだから。それにつけてもバブルというのはつくづく異常な時代だったとは思う。
島田雅彦の話に戻ると、この人は高橋源一郎と同じく根は批評家なんだと思うわけである。批評ではメシが食えぬから小説を書き始めたとしか思えなくて、今だってこの二人の書く「小説」と「批評」とを並べて見比べたなら明らかに批評のほうが面白い。「小説」のほうはいかにも拵え物というか、われわれがふつうに「小説」と呼んでいるものの精巧な模造品のような気がする。それは意図してそのように作ってるってこともあるんだろうけどそれも含めてやっぱり「根っからの小説家」ではないんじゃないかと思えてならない。そのような意味で、「根っからの小説家」だなあとぼくなんかが思うのは今回お名前を挙げたなかでは川上弘美である。このひとの紡ぐ物語の数々は、ほんとうに身体の奥から湧いてきてるんだなあと思える。じっさいにはどうだか分からないけれどそう思わせるところが重要なのだ。また、町田康は太宰治に匹敵するほどの「天性の語り部」だなあとも思う。いずれにしても今回の記事はコーヒーブレイクの雑談なので、なんかけっこう失礼な書き方をしてしまった島田雅彦をも含め、これら現役ばりばりの作家たちについてもいつか正面からちゃんと論じてみたい。
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