時のそとがわ

毎朝の新鮮な風を頭の方にも通し、なるべく悔いのない夜を迎えたいと思い、日々感じる事をまとめています。

おばさん雑記「時のそとがわ」その86

2008-02-01 21:08:37 | Weblog
その86
民主主義をいう時、「理想の…」という言葉を入れたくなります。 民主主義はまだ今のところ「理想」だからです。   それに向かって着々と歩みを進めているように見えるところのひとつがEUだと思います。   ・・・日本の場合は、まだ少し「衆愚・・・」の方かもしれません。  
31日のNHKクローズアップ現代を見て、「自分の頭で考え、判断する事(自由)」が、日本の教育ではあまりなされていないのを感じます。 まるで「神様の仰る事」みたいに、「知識」が伝えられ、批判する間もなくスピーディーにそれを取り込むことばかりが求められがちになっていないでしょうか?
その点、その84などでも取り上げた和田中は、「自分」を育てているように思います。

「自分」・・・は、社会からの評価とか「死にたくない(負けたくない)」本能、あるいはそれを保障するお金や権力、更に勲章のような自己存在への栄誉など、様々な欲望の荒海の中に漂っていると思います。  
そのような状態の自分自身を、せめて「見る」ことができるなら、衆愚・・・にはならないで済むでしょう。 でも、自分というのは社会の中に生活していて、「目」に入るのは世間であり、会社の利益・・・のような、「この世」です。  そこから「目」を転じて「自分」を見ようとしても、波しぶきばかりが見えてしまい、本気で探そうとしない限り、漂う自分はそのまま流れていってしまいます。
だから、夜が来て、朝が来るのだとおばさんは考えていると、以前にも書いたとおりです。
流れから抜け出る「節目」として・・・。 昨日の自分の考え方や感性へ疑問符を置いて、新たな視点で「チェック」し直したいのです。    

…それから、以前にも書いたかもしれないけれど、おばさんは「宇宙(命)の意思」に沿った生き方をする事にしている訳です。(勝手にそう決めました。)  それが一体どういう生き方なのか、・・・まさにそういうことを考える為の「学問」・・・だと思っています。   (「宇宙の意思」を神様とも宇宙の法則とも言い換えることができるでしょう。
おばさんは勿論ですが、誰もこれを知っているわけではなりません。…こうではないかな?と、美意識とも一定の距離をとるよう気をつけながら考え続けているのです。)

「自分」を押し流している荒波を、シン…と鎮める技が「瞑想」ではないかと思います。    あるいは神棚や仏壇にお灯明を点し、ちーん・・・という異次元へ誘うような波の音を聞く自分を感じながら手を合わせる時も、まとわり着いている流れから「自分」を切り離せるひと時になり得るかもしれません。

国より大衆が・・・などとその85などにも書きましたけど、 その為にも「教育」のあり方を考え、お金も時間も掛けて自分を育てる環境を整えなければならないと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿