時のそとがわ

毎朝の新鮮な風を頭の方にも通し、なるべく悔いのない夜を迎えたいと思い、日々感じる事をまとめています。

おばさん雑記「時のそとがわ」その117

2008-03-18 20:01:00 | Weblog
その117
3月18日朝刊に、    ・・・温暖化による環境変化が進むなか「『現在あるものを“最後に”見よう』のツァーだの、『氷河が溶けて水中に崩れ落ちる時の波を利用したサーフィン』だの…「危機をさえ遊びにしてしまう人間の性質」が述べられていました。 (一方で「植物」が、温暖化や寒冷化に適応して自らを変化させてきたことが、DNAサンプル分析の結果わかったともありましたが、 人の方も生物である以上、「多分」何万年もの長い長い時を経る内には、人体も環境に即応して変化していくのでしょう。)
人間の「最後の審判観光」…などは、もしかしたら破局の実感がまだまだ希薄なせい…なのかもしれないけれど、人は確かに肉体が動く限り遊ぼうとするものだろうと思います。   
科学は遊びの一種と相変わらず思っていて、この科学好きの性格が、どれだけ環境変化へのブレーキになり得るか、今は選択の時なのだろうと思います。   ・・・つまり、科学の目的をどれにするのか?  科学の為の科学か、または金銭的にも優遇された金儲け用(戦闘機器開発等)の科学か、自然の叡智を探求し、それを尊び、より持続させよう、生かそうとする科学なのか・・・。
宇宙実験棟「希望」に関して、…地上での実験で充分カバーできるのに、どうして宇宙でやらねばならぬのか…と、費用対効果の面で言われているみたいですが・・・、確かに費用が莫大なのは問題だとは思うけれど、どんなものが得られるかは、まだまだ未知数の部分が果てしなく多いような気がして仕方がないのです。(大体、 地球と離れているという、その一点にさえ意味を感じてしまいます)
実は18日の新聞には、「合成の誤謬・・・部分では正しい判断処置であっても、トータルとなってみるとその反対の結果がでる事」・・・についてのコラムもありましたが、 例えば日本に住んで生活していて考える事と、太平洋の真ん中で考える事と、さらに宇宙で考える事は、どうしても違ってくると思うのです。        つまり、科学の目標選択を大きく誤らない為にも、 宇宙体験は貴重なものになるのではないかと思えるのです。
宇宙飛行士たちの肉体への負担も又、短期長期合わせ未知数です。 確かにほとんどは人工的な空間なのでしょうが、しかし、どの位かわからないけれど少なくとも部分的には大気圏外の(もろに宇宙)環境。 全く異質の環境に彼らは晒されているわけです。  
いわば命がけの、彼らパイオニア達の言葉を、立花隆でなくとも、漏らさず書き留めておくべきでしょう。

「その1」から順序に、きちんと並ぶようにしたいと思っています。  実際は、そうする事で時間が前後する事になるけど(「その59」が一番古い)、たいした差はないので。
それから、「その100」で安楽死のことを書きましたが、但し書きが必要なことを忘れました。    ・・・ただし、 食欲もある健康体での断食による安楽死(?)は、決して自然に即した事ではないがゆえに、安楽であろうはずがないと思っています。

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