鉄道博物館を後にして大宮駅へ戻ります。
往路とは違うルートに使おうと思ったので、遭難顰蹙ライン湘南新宿ラインに乗り大崎へ。そこから山手線で向かった先は新橋です。
最後の目的地は鉄道発祥の地、「旧・新橋停車場 鉄道歴史資料館」です。
旧・新橋駅は鉄道開業以来、長らくターミナル駅として機能してきましたが、1914(大正3)年に東京駅が開業すると、ターミナル駅の機能を譲り旅客営業を廃止。汐留駅と改称して貨物駅として再出発しました。当時は広大だった駅敷地も時代が下がるにつれてやがて狭隘化し、また鉄道による荷貨物輸送がトラックの台頭により衰退したこともあり、JR化直前の1986(昭和61)年11月に汐留駅は廃止されました。
駅の跡地は再開発され、現在は汐留シオサイトとして高層オフィスビルが立ち並ぶ、近代的なオフィス街に変貌しました。
旧・新橋停車場は再開発の過程で駅舎やホームの遺構が出土し、発掘調査が行なわれた後で駅舎とホームの一部が再建されたもの。資料館の説明によれば、遺構の90センチ直上に再建されているとのことで、高層オフィスビルの谷間でビル街のオアシスとして機能しています。
再建された旧・新橋停車場駅舎。中は資料館として開放され、入館料無料で見学できる施設となっています。館内の床の一部はガラス張りとされ、駅舎やホームの遺構を見ることができます。1階にはレストランもあります。
0哩(マイル)標。鉄道開業当時に起点として設置された場所を全く同じ位置に再現され、そこから当時のレールが数メートル敷設されています。
駅舎の裏側にはプラットホームと上屋の骨組が再現されています。周囲はオープンカフェ風で、オフィス街の清涼剤といった感じ。
さて、2日間で色々と見て回った「鉄分補給の旅」もこれで終わりです。かなり足早に行動しましたが、それなりにいい気分転換になりました。
ここ数年の旅行というと野球遠征観戦にまつわるものが多く、あまり観光気分にはならなかったので、たまにはこんな小旅行もいいものかと思います。
最後に・・・
旧・交通博物館の現在の状況。本館の建物は現在も残されており、特徴あるガラス張りの螺旋階段もそのままです。
戦前からある建物だけに、今後どのように活用されていくのか、あるいは取り壊しの運命が待っているのか・・・
少しばかり気になるところです。
往路とは違うルートに使おうと思ったので、
最後の目的地は鉄道発祥の地、「旧・新橋停車場 鉄道歴史資料館」です。
旧・新橋駅は鉄道開業以来、長らくターミナル駅として機能してきましたが、1914(大正3)年に東京駅が開業すると、ターミナル駅の機能を譲り旅客営業を廃止。汐留駅と改称して貨物駅として再出発しました。当時は広大だった駅敷地も時代が下がるにつれてやがて狭隘化し、また鉄道による荷貨物輸送がトラックの台頭により衰退したこともあり、JR化直前の1986(昭和61)年11月に汐留駅は廃止されました。
駅の跡地は再開発され、現在は汐留シオサイトとして高層オフィスビルが立ち並ぶ、近代的なオフィス街に変貌しました。
旧・新橋停車場は再開発の過程で駅舎やホームの遺構が出土し、発掘調査が行なわれた後で駅舎とホームの一部が再建されたもの。資料館の説明によれば、遺構の90センチ直上に再建されているとのことで、高層オフィスビルの谷間でビル街のオアシスとして機能しています。
再建された旧・新橋停車場駅舎。中は資料館として開放され、入館料無料で見学できる施設となっています。館内の床の一部はガラス張りとされ、駅舎やホームの遺構を見ることができます。1階にはレストランもあります。
0哩(マイル)標。鉄道開業当時に起点として設置された場所を全く同じ位置に再現され、そこから当時のレールが数メートル敷設されています。
駅舎の裏側にはプラットホームと上屋の骨組が再現されています。周囲はオープンカフェ風で、オフィス街の清涼剤といった感じ。
さて、2日間で色々と見て回った「鉄分補給の旅」もこれで終わりです。かなり足早に行動しましたが、それなりにいい気分転換になりました。
ここ数年の旅行というと野球遠征観戦にまつわるものが多く、あまり観光気分にはならなかったので、たまにはこんな小旅行もいいものかと思います。
最後に・・・
旧・交通博物館の現在の状況。本館の建物は現在も残されており、特徴あるガラス張りの螺旋階段もそのままです。
戦前からある建物だけに、今後どのように活用されていくのか、あるいは取り壊しの運命が待っているのか・・・
少しばかり気になるところです。