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フリースクールを信用しないこと

2006年11月29日 13時01分12秒 | 不登校
↓ はあるフリースクーラーから受け取ったメールである。

おひさしぶり。
もう学校も大学もいきたくない、というのはまったくそれでいいと思います。
望まない予備校で、体はそこにいても心は死んでるようでは、いのちがもったいない。親とけんかしても自分を取り戻せるよう祈っています。そういう親ではどうしようもないのかもしれませんが、抵抗する元気を取り戻してください。今は若い人が本当に働き口がなく、使い捨てで就労政策もめためたな時代です。しかし、それに乗れないからといって、価値がないという見方にはくみしないで、
どうせ自分は、などと卑下しないで、自分を大事にして
行く中で何か見つかってくる気がします。ほんとに大変ですね。なお、親の福祉は受けていいと思います。


こういうところは労働組合ではないのだし、相談メールなど送った自分が悪いのかもしれないが。
この方は、基本的に分かっていない。
偽装請負・派遣で悪いのはその労働力を買う派遣先企業であって、そこに登録して働く従業員・失業者ではない。
また、田舎の保守的な親というのは、まともに話せる理性ある存在ではない。言葉の通じない、人ならざるものである。

すべてを心理的抽象的な問題にすりかえようとしているが、意味がない。
親福祉は親に遠慮し、生理的嫌悪感と根本的不信感のあるむこうに侮辱されつづける地獄である。
派遣・請負の風潮にのる・のらないという問題ではなく、競争環境上いやおうなしに巻き込まれることになる。

学校からの自由ばかり求めて、学校への自由がないとこういうことになってしまう。
とはいっても、もともとこの人を信用していたわけでもないし、この人の作ったフリースクールに通っていたわけでもない。相談したのが悪かったのだと思う。

イヤでも何でも学校や大学に行くことはできない。
女性差別に折れた面と、子ども差別から自由になりたい。これは両立不可能なものだったようだ。
それは、子どもの権利をとって女性の権利を捨てたということではない。
両方とも手にいれられなかったのだ。

自分にとって助けになるのは、学校の外・教育の外・フェミニズムの外だと思っていた。今では、家庭や地域も同じ地獄だと認識できる。
しょせんフリースクールも元祖リストラ学校だ。偽装請負もみんな自己責任にして企業の責任・政府の責任はとわないようにというリアリティをおしつける。
フリースクールもまた大人が子どもに理不尽を強いる地獄なのだ。
子どもの収容所であり、教育の地獄を味わわせる絶望と痛みの場なのだ。

信用できるのはやはり最後には天皇とか神とかいうところしかないのだと思う。