先日、会津若松で開催された風とロックフェスティバルで、
齊藤和義が「ずっとウソだった」を唄ったという事がちょっとした話題に。
あの替え歌聴いたときに、絶対福島に来て唄って欲しいと思ってたので感謝です。
そんで、youtube見ていたら、関東のほうで放送されたドキュメンタリーを見つけたので、見てみました。
2つに分かれていて、以下、後半ですが、ここに出てきたミュージシャンの若者が、
「無関心っていうのが僕らの敵」といっていた。全くその通り。
齊藤和義のファンの子達が、難しい事よくわかんないけれど、
自分の好きな人が言ってる事は聞こうと思う、的な発言をしていた。そういう意味で、
ミュージシャン達の発信するメッセージていうのは、若い人たちを動かす力があるのかな。
この番組では、60年~70年代にも反戦運動、反戦ソングなどのブームがあった、と紹介している。
その頃は反戦、だけではなく、経済中心とならんとしていた時代に対してのカウンターカルチャーが活発だった時期でもある。
私が生まれた時からそんな時代だった。しかし、そうしたムーヴメントは高度経済成長の波に呑まれて、
80年代に近づくにつれて、つまんない時代になっていった。
バブルの頃なんか最悪だった。
ずっと最悪な世の中だと思っていた。
ずっとウソだった...密着 斉藤和義 2011.8.20 2/2
無関心。
自分の生活に関係ないから無関心になるということだと思うし、
遠いところの出来事が、このグローバルな社会では少なからず自分の暮らしと関係している
ということに気づけなくなっていうのかもしれない。
しかし、シンプルな思考、そして、正常な感性さえあれば、
嫌なものや嫌、おかしいものはおかしい、という不協和音を感じるのではないかと思う。
どこから、その感性が狂っていき、失われていったのかを考えなければならない。
自分がどう生きて生きたいのか、周囲の雑音を取り払った時に何が残るのでしょうか。
震災や放射能の影響を受けた地域の人たちから良く聞くのは、
家族と一緒に食事をする、一緒に笑う、一緒に過ごす、そうした当たり前のことが幸せだと。
テレビが無いと、ゲームが無いと、車が無いと、○○が無いと幸せじゃないですか?
そうはいっても、寒いのは嫌だし、食べるものがなかったら寂しいよね。
最低限必要なものと、欲求が過剰に刺激されて欲するものの区別はつけなければいけない。
搾取の頂点にいる人たちは、どんな暮らしをしたいのか、なぜそんなにむさぼるのか訳がわからんですが、
なぜ、そうなっちゃうのか、にも関心を持ってみるのも悪くは無いと思います。
そんなこんな、311から半年、福島では自治の芽が、いろんなところで芽生え始めていると思う。
日本は、全く民主主義の国ではないことがバレちゃいましたね。
それは、福島だけの問題ではなくて、国民皆に関係がある重大な事実であるし、
福島で起きた東京電力の原発事故、その影響により何が起こっているか、
それをよく見る事で様々な事に気づく事ができます。
福島県民、全員避難だ、というのは簡単です。
とえあえず、わかんないからそう言っておけばいいのですから。
311から半年が経ち、放射能が大丈夫なのか大丈夫じゃないのかわからない中、
福島に住む私たちは、それぞれの覚悟をし始めている気がします。
放射能がある場所という現実に向き合うって言う事は、自分の命がかかっている。
子供たちの命を守るってことも、同様。
サバイバルするためには何が必要か、ということに、
この平和ボケした日本の中で向き合わざるを得ない、
静かな戦場のようなものかもしれません。
それぞれの覚悟は、避難することかもしれないし、
そこで生きる事かもしれない。
そして、私たちは、それぞれが「自分で決めた」結論を尊重する。
フクシマでは、新しい未来をつくるためのチャレンジが、
いろいろなところで起きているような気がする。
住民の意思により、福島県の給食が変わった。
齊藤和義が「ずっとウソだった」を唄ったという事がちょっとした話題に。
あの替え歌聴いたときに、絶対福島に来て唄って欲しいと思ってたので感謝です。
そんで、youtube見ていたら、関東のほうで放送されたドキュメンタリーを見つけたので、見てみました。
2つに分かれていて、以下、後半ですが、ここに出てきたミュージシャンの若者が、
「無関心っていうのが僕らの敵」といっていた。全くその通り。
齊藤和義のファンの子達が、難しい事よくわかんないけれど、
自分の好きな人が言ってる事は聞こうと思う、的な発言をしていた。そういう意味で、
ミュージシャン達の発信するメッセージていうのは、若い人たちを動かす力があるのかな。
この番組では、60年~70年代にも反戦運動、反戦ソングなどのブームがあった、と紹介している。
その頃は反戦、だけではなく、経済中心とならんとしていた時代に対してのカウンターカルチャーが活発だった時期でもある。
私が生まれた時からそんな時代だった。しかし、そうしたムーヴメントは高度経済成長の波に呑まれて、
80年代に近づくにつれて、つまんない時代になっていった。
バブルの頃なんか最悪だった。
ずっと最悪な世の中だと思っていた。
ずっとウソだった...密着 斉藤和義 2011.8.20 2/2
無関心。
自分の生活に関係ないから無関心になるということだと思うし、
遠いところの出来事が、このグローバルな社会では少なからず自分の暮らしと関係している
ということに気づけなくなっていうのかもしれない。
しかし、シンプルな思考、そして、正常な感性さえあれば、
嫌なものや嫌、おかしいものはおかしい、という不協和音を感じるのではないかと思う。
どこから、その感性が狂っていき、失われていったのかを考えなければならない。
自分がどう生きて生きたいのか、周囲の雑音を取り払った時に何が残るのでしょうか。
震災や放射能の影響を受けた地域の人たちから良く聞くのは、
家族と一緒に食事をする、一緒に笑う、一緒に過ごす、そうした当たり前のことが幸せだと。
テレビが無いと、ゲームが無いと、車が無いと、○○が無いと幸せじゃないですか?
そうはいっても、寒いのは嫌だし、食べるものがなかったら寂しいよね。
最低限必要なものと、欲求が過剰に刺激されて欲するものの区別はつけなければいけない。
搾取の頂点にいる人たちは、どんな暮らしをしたいのか、なぜそんなにむさぼるのか訳がわからんですが、
なぜ、そうなっちゃうのか、にも関心を持ってみるのも悪くは無いと思います。
そんなこんな、311から半年、福島では自治の芽が、いろんなところで芽生え始めていると思う。
日本は、全く民主主義の国ではないことがバレちゃいましたね。
それは、福島だけの問題ではなくて、国民皆に関係がある重大な事実であるし、
福島で起きた東京電力の原発事故、その影響により何が起こっているか、
それをよく見る事で様々な事に気づく事ができます。
福島県民、全員避難だ、というのは簡単です。
とえあえず、わかんないからそう言っておけばいいのですから。
311から半年が経ち、放射能が大丈夫なのか大丈夫じゃないのかわからない中、
福島に住む私たちは、それぞれの覚悟をし始めている気がします。
放射能がある場所という現実に向き合うって言う事は、自分の命がかかっている。
子供たちの命を守るってことも、同様。
サバイバルするためには何が必要か、ということに、
この平和ボケした日本の中で向き合わざるを得ない、
静かな戦場のようなものかもしれません。
それぞれの覚悟は、避難することかもしれないし、
そこで生きる事かもしれない。
そして、私たちは、それぞれが「自分で決めた」結論を尊重する。
フクシマでは、新しい未来をつくるためのチャレンジが、
いろいろなところで起きているような気がする。
住民の意思により、福島県の給食が変わった。