里山の農園

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東日本大震災

2016-03-11 | ぶらーり ブラブラ
     3月11日  天気 曇り

   ・ 東北地方太平洋沖地震2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒、
       日本の太平洋三陸沖を震源として発生した地震。                   (2011年 平成23年)
   ・ ゴルバチョフ氏が書記長に(チェルネンコ書記長死去に伴う)、ペレストロイカ開始し91年にソ連は崩壊
                                                     (1985年 昭和60年)   
                                               *参考 今日は何の日より



    その時私は、車で移動中でちょうど信号待ちをしていると車が揺れているなと感じ外を見たら、

   電線が左右に大きく揺れて地震が起きたのだなと思った。

   ラジオを聴いていると番組を中断して地震についての速報を流し事の重大さに驚いた。

    まさかあの巨大津波が襲うとは思いもよらず、又東北地方の方もおそらく同じ思いだったのではないだろうか

   私自身も自分の眼で、この地震を見ておく必要があると思ったが、なかなか出かける機会がなかった。

   震災から2年過ぎた2013年4月中旬に南三陸町へ行き、あたり一面何も残ってない景色を見たとき

   只々驚き、見えるのは道路だけの町並みだった。

    高台から見ると、鉄骨だけの建物が見えるだけで、そこが、防災センターだったところ

   やはり背筋が、ぞっとする思いがした

   ここに最後まで頑張って亡くなった人、津波が押し寄せ水位が上昇した時の

   気持ちを思うと手を合わせずにはいられなかった。






 
    


   又、仮設商店街に行って店の人にどうやって逃げたのか、どうして犠牲者が多かったのか・・・

  お店の人は、海のすぐ近くで商売をやっていた、私達を含め多くの人が高台に逃げたが、

  忘れ物をしたと言って 家に戻って行った人が、津波にのまれたも多々。

  留まっていたらここまで多数の人が亡くなることはなかったと。

  要は、津波は第一波、二波と何時間もあとに襲ってくる。 



   わが町内会も今度の日曜日、防災訓練があるが参加する人が年々少なくなっているように感じる。

  こんな一例も、ある観光地で海辺の堤防を高くすることに、賛成(避難に時間がかかる年寄りが多い)

  反対(景観を重視又津波が来るのが見えない)と意見が分かれている。

   私だったら、賛成する 景観も大事だが自分の子供、孫を犠牲者にしたくはない。

  なぜなら、私の子供のころチリ地震があり東北地方で多大な犠牲があった。

  あれから何十年過ぎただろう、同じ過ちを犯している気がしてならない。

  それが今回の反省として、土地のかさ上げ高台移転等をあちこちで実施している。

   
  
   
コメント
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