プロフィール

東京在住。元メインフレーム系SE。
趣味は読書、絵画鑑賞、オーケストラ、小劇団演劇、最近宝塚にも…
そうそうカントリーダンスも始めました。
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源氏物語の男たち(12) 夕霧(その二)

2009-06-20 00:48:59 | 源氏物語
宇治十帖を除く源氏物語本編の最後を飾るのは、夕霧と落穂の宮(おちぼのみや)の恋物語ですね。

女三宮と結婚できなかった柏木を哀れに思った朱雀帝は、女二宮を彼のもとへ降嫁させました。
このとき朱雀帝は既に退位し、そのうえ出家もしていましたから、妃や子供たちとは別居しています。
それでも帝が溺愛した女三宮は同じ敷地内で暮らしていたようです。
なぜかというと彼女の母親(藤壺の女御)は既に亡くなっていたからで、一方の女二宮は母親(一条の御息所)とともに一条の宮に暮らしていました。

柏木と結婚した後も女二宮は柏木の邸にはお入りになりません。 といいますか、これが本来のかたち(通い婚)だったのですね。
女三宮は母方の実家がなかったため、光源氏の住む六条院にお嫁入りしましたが、こちらのほうが特別でした。

柏木は女二宮と結婚はしたものの、女三宮へのあこがれが強すぎて、自分の妻は妹(女三宮)に比べて器量がはるかに劣っていると思いこんで、自分は落ち穂を拾ったと嘆きました。 
これが物語の中で「落穂の宮」と呼ばれる由来なのですが、まったくもって失礼な話しです。

とはいうものの、柏木は落穂の宮を粗略にあつかってはいませんでした。
柏木の死の間際、落穂の宮はお見舞いに訪れようとしていますし、柏木のほうも宮に先立つことを気にかけていました。
光源氏の女三宮に対する態度、(柏木とのことがなかった以前から)幼い妻をつまらない女だと決めつけていたこと、のほうがよほど冷たかったのではないかと思います。

さて。
柏木は、死の間際に親友の夕霧を呼び寄せ、落穂の宮をよろしく頼むと遺言いたします。
まじめな堅物男の夕霧は、友の遺言通り一条の宮を訪問するようになりました。
いくら身分が高いといっても有力な後ろ盾(夫)がなければ人は集まってまいりません。 柏木はそれを心配して夕霧に落穂の宮が落ちぶれることがないようにと頼んだのです。

夕霧/一条の御息所(母)/落穂の宮は、光源氏/女五宮(叔母)/朝顔宮の組み合わせに少し似ています。
母親や叔母を訪問すると見せて、本命はその後ろにひっそりと隠れている女性であること。 いかにして本命に近づくかの画策。
面白いことに、光源氏は本命(朝顔宮)を射止めることができませんでしたが、夕霧は射止めることができました。
どちらの女性も言い寄ってきた男を拒否したのに、光源氏ではなくて夕霧が成功したところがおもしろい。

夕霧の正室、雲居の雁は長年連れ添ってきた(きまじめが取り柄の)夫が、他の女性に心を移したことに衝撃を受けていたのですが、或る日、落穂の宮から夕霧への手紙を隠してしまいます。
ところがこの手紙は落穂の宮ではなく、母親の一条の御息所からのものでした。
御息所は娘の再婚には反対だったのです。 しかし世間は夕霧と落穂の宮は「できている」と噂していて、それを否定するのもむずかしい状況でした。

御息所は夕霧の真意を確かめたいと、病をおしてお手紙を書いたのですが夕霧からの返事が来ない。 夕霧の手元に届かなかったから仕方がないのですが、それは御息所のあずかり知らぬこと。
夕霧からの返事を待って、待って、待ちかねているうちに、病状が急変した御息所はあっけなく亡くなってしまいます。

夕霧は実務派の人でした。
この顛末に、最初は呆然としましたがすぐに立ち直ります。
亡き御息所の手紙は夕霧に有利な内容ではなかったのですが、一条の御息所からのお手紙には、娘をよろしく頼むと書いてあったと世間に発表して、婚礼の準備を始めます。
ふたりの結婚に反対だったのは、当事者の落穂の宮、それから当然のことですが雲居の雁。 そうですね、亡き柏木の両親もあまり良くは思わなかったでしょう。
しかし、それ以外は好意的に受け止めていました。 夕霧は世間を味方にして落穂の宮との結婚に成功した。 なかなかやりますね。

~~~~~~
宮さまが最後の抵抗をしたのが、有名な「塗籠(ぬりごめ)立て籠もり事件」です。 塗籠=納戸でしょうか。
夕霧が嫌いだからというよりも、自分にはもう誰も味方がいないことを悲観した宮さまは塗籠の内側から鍵をかけて立て籠もったのですが、女房たちが夕霧が塗籠へ入れるようにしたために、せっかくの苦労が水の泡になってしまいました。

そうそう、雲居の雁と落穂の宮は同格の正室だったようですよ。
夕霧は一日おきに二人の妻の許へ通いました。
いかにも彼らしいじゃないですか、わたくしは夕霧ismと呼んでいます。

源氏物語の男たち(11) 柏木

2009-06-13 04:59:37 | 源氏物語
古本屋で円地文子訳の「文庫版源氏物語」ひとそろいを買って、読みふけっています。
Blogでは柏木(かしわぎ)を取りあげるつもりだったから、「若菜」から読み始めたのですが面白くなって止まらない。
この分では宇治十帖の最後まで読むことになりそうです。

宇治十帖を読むと、主人公の薫(かおる)を通して柏木が透けて見えてきます。
本編での柏木は平時の男としてではなく、戦時の男それも恋の負け戦さの主人公として慌ただしく登場し、退場してしまうためか、わたくしの中では柏木像がはっきりしませんでした。

それにしても柏木は、衰弱死をしてしまうほど女三宮との密通を悔やんで苦しみますが、それほどに思い詰めなくてもよかったのに。
天皇の妃を寝取ったのなら死んでお詫びもあり得るでしょうが、それを実戦した人は死なずに栄華の道を歩んでいます。
柏木も須磨あたりに数年隠遁して、様子見をすれば良かったのだ。

彼の親友 夕霧は光源氏の息子である。
夕霧は(恋愛面では面白みがないとしても)事務能力に長けている人物だったから、父親と柏木の折り合いをつけたにちがいない。
もったいないことをした。
恋に恋をして、自分が創造した恋の亡霊と道行きをした柏木・・・ 

それにしても朱雀帝(源氏の兄)はなぜ女三宮を光源氏のところへ降嫁させたのかと思います。
結婚当時の女三宮は14歳、源氏は40歳です。
大切にしている姫宮の将来を託すには光源氏は歳を取りすぎていました。
現代の年齢に換算すると(0.7で除算)、女三宮は20歳ですが光源氏は57歳、なにをか言わんやであります。

一方の柏木は夕霧と同年配かやや年上。
夕霧は源氏が18歳の時の子ですから、女三宮降嫁の頃は22歳。 現代の年齢に換算すると31歳です。
柏木も35歳にはなっていないでしょうから、姫宮の後ろだとしてはちょうどいいはず。
柏木には姫宮が降嫁するときに対立するような正室もいませんでしたから、普通の流れなら女三宮の夫は柏木と、わたくしは思う。

自分の正室になるべき人が、別の人の妻になっている。
柏木はこれを不条理ととらえ、自ら崩壊していったのです。

~~~~~~
顔かたちは特別すぐれているとは見えなかったが上品で魅力的というのは、柏木にも薫にも共通する長所ですね。
それから、柏木は薫のように優柔不断な性格ではなかったのではないでしょうか。
筋が通っていることを重視するのは、父親の頭中将によく似ています。

源氏物語は、柏木が平穏に生きていたら後世まで伝わらなかったでしょうから、彼の密通、彼の死は避けることができなかった。
そして今回もお騒がせの原因をつくるのは、源氏の兄である朱雀帝。
人には持って生まれた役割があって、それを演じるのが人生なのかもしれません。




えんじ・げんじ(円地文子訳、源氏物語)

2009-05-24 01:36:18 | 源氏物語
昨日、お昼休みに古本屋を覗いたら円地文子訳の源氏物語が、文庫本ですが、全6巻まとめて売っていました。
¥1700ってお買い得ですよね。

単行本のほうは初版を持っています。
単行本は著者の思い入れがあって装丁も特別仕様のことが多く、円地源氏もその通りで取り扱いに気が張る。
文庫を買おうと思っていたのが、中古本で入手ができて嬉しいです。
(開けて見たら本の状態がとても良かったから嬉しさもひとしおでした。)



「若菜」から「御法」までを久し振りに読み流して、わたくしが記憶していた円地文子訳は平易な文章だったのに、全くちがいました。
いやぁ・・・ わたしの読解力が落ちているんだと思います。
単行本は1977年(昭和52年)から上梓されておりまして、当時は与謝野晶子訳と比較してなんと読みやすいと感動したのにね。

中学生か高校生の頃に読み始めた時には、与謝野晶子訳でした。
最初でしたからストーリーに気を取られて、文章のつくりを楽しむ余裕はなかったですね。
お定まりの「あたしはどの女君が好きか」についてランチタイム友だちと語り合ったことも懐かしい。

塩崎さんが朝顔の君ファンだったことはよく憶えています。
「最後まで源氏と関係を持たなかったところが好き」と言った彼女は、とうとう結婚しませんでした。(これからするかも知れないけど)
タイタイは「朧月夜に勝るものなしよね」と朧月夜の尚侍を支持していました。 彼女はちょっと大人っぽいところがあって
いい意味で顰蹙を買っていたと思う。 うーんとたしか今はメキシコ在住です、メキシコ人のお金持ちと結婚したはず。

また話しがずれていますね。 もとい。。。
円地源氏を読むと、ストーリー以外の情景描写に目を奪われます。
奇妙な表現だと自分でも思いますが、紫式部日記を読んでいるようで、季節の移り変わりや死生観がじわっと染みこんできます。

上の写真で中帯に「ひとこと」が書かれているのにお気づきになったと思います。
これは、各巻の解説を書いた人たちの言葉で、なかなか面白い。
この中で瀬戸内寂聴の、「なんといっても訳文が艶麗で美しい」と、石田衣良の「センスの冴えた描写、男性的な訳だ」は
的確な表現と感心しました。

今どきの表現でいうと、普通に名訳ですね。
(普通に、、というのは、一般的な目線でみて○○であるが、あとは好みで別れるところだね、という意味で使っています。)
ただし、淡々とした訳がお好みの人にはくどいかもしれません。

~~~~~~
(えんじ・げんじ)と書いておりますけれど、円地文子さんは(えんち・ふみこ)が正しい発音です。
でも、わたくしは(えんち・げんじ)とは舌が回りません。 ということで誤発音ですがお許しください。

源氏物語の男たち(10) 螢宮と髭黒の大将

2009-05-11 23:20:26 | 源氏物語
光源氏には二十人以上の兄弟姉妹がいますが、螢宮(ほたるのみや)と呼ばれた弟宮とは親しい交流がありました。

桐壺帝の第一皇子は朱雀帝、第二皇子は光源氏、第三皇子がこの螢宮ではないかと言われています。
源氏物語には螢宮の名前がよく登場します。 源氏の君は遊びの折りには螢宮にいつも声をかけていましたから、
まるでオーケストラの一員のように、管弦楽の集いには必ず参加をしています。

光源氏の親友頭中将は、右大臣家の四の君を正室としていました。 
螢宮も右大臣家の姫君(三の君か?)を正室としています。
右大臣家の女性たちは弘徽殿の女御を筆頭に揃って気が強いと評判ですが、螢宮の奥方様はどうだったのでしょう。
ところが奥方様は早くに亡くなってしまいました。 このあたりは兄の光源氏と螢宮は境遇が似ていますね。

「螢」の巻では、螢宮は源氏の養女・玉鬘(たまかずら、夕顔の忘れ形見、頭中将の娘)の求婚者として登場いたしますが、
兄の源氏が玉鬘の部屋に螢を放つ仕掛けをしたため、本来なら結婚するまで見ることがない玉鬘の姿を見てしまいます。
この事件により、彼は螢宮と呼ばれることになりました。

ところがこれこそ運命の悪戯でしょう。 玉鬘に仕える女房は、螢宮よりも髭黒の大将を婿としてふさわしいと考えて、
大将を玉鬘のところへ手引きをしたために、螢宮は哀れにも失恋をしてしまいます。

これは光源氏にとっても衝撃でした。 自分の計画通りにものごとが運ばない、そんなことがあって良いのか。
この世をばわが世とぞ思ふ望月も・・・ 
時代は、光源氏から次の世代へ移ろうとしていました。

さて、螢宮は誰と結婚したのでしょうか。 だいぶ後になりますが、髭黒の大将の娘、真木柱の君と結婚しています。
実は髭黒の大将は、北の方(正妻)が居る身でありながら、玉鬘に求婚をしていました。 
そして玉鬘との結婚が認められるとすぐに、北の方と離婚してしまいます。

光源氏は髭黒の大将の杓子定規的な直情さを嫌っていました。
長年連れ添った正妻を実家へ追い返すとは、自分には考えられない。 なぜ二人の妻とうまくやれないのか。
結婚が決まった途端に、玉鬘を自分の邸に連れて行ってしまった髭黒の大将、光源氏は恨んでいます。

そして髭黒の大将は、玉鬘の君にこのようなアドバイスをいたします。
「源氏の君は養父に過ぎない、これからは実父の頭中将とだけ付き合うべきだ」
正論ですね。(笑)

すみません、話しが逸れてしまいました。
螢宮が結婚した真木柱の君(まきばしらのきみ)は、髭黒の大将が離婚した正妻との間に生まれた娘でした。
螢宮と真木柱の君は夫婦仲はいまひとつだったようですが、それは螢宮が亡くなった正室を忘れることがなく
真木柱が亡き正室に似ていなかったため、お気に召さなかったのです。

~~~~~~
光源氏からの評価は低かったけれど、髭黒の大将は出世をしています。
玉鬘の君の女房たちが、髭黒の大将を婿殿にしたかったのはその辺りでしょうね。 女房たちには見る目があった。

国宝 源氏物語絵巻 (五島美術館)

2009-05-06 01:58:02 | 源氏物語
■特別展示 国宝 源氏物語絵巻 鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法

東京世田谷区上野毛の五島美術館では毎年GW休暇の時期に10日間ほど源氏物語絵巻を公開しています。
今年は4月29日~5月10日。一昨日、Blogを検索していたらご覧になった人の記事がたくさん見つかりました。
さぁ大変だ、行かなくちゃ。

気がつくのがもう少し早かったら、源氏物語繋がりのお友だちteapotさんにお声をかけることができたのに。
teapotさん、紫式部日記絵巻の公開は毎年秋だそうです、こちらはぜひご一緒させてください。
上野毛からは二子玉川がすぐだから、美味しい物計画も一緒に。

~~~~~~
源氏物語絵巻の修復についてTV番組でも何回か取り上げていたので憶えていらっしゃる方も多いと思います。
五島美術館の所蔵品は、鈴虫の巻から二つ、夕霧、御法、全部で四つ。 地味で奥が深いところですね。

絵巻物だから長く巻いてある・・・と思うのが素人の浅はかさ(浅ましさでしたっけ?)、切って箱に収められています。
そもそもこの絵巻物はダイジェスト版なんですね。
各巻の名場面をひとつふたつ選んで描き、その絵に対応する物語(詞書き)が切り取られたように添えられている。
そういう作りになっています。

原本は、詞書き(ことばがき)も絵も真っ黒・・・とまでは言わないまでも劣化が進んでいました。
原本のイメージ
これはこれで趣がありましたし、有識者の目で見れば注目するべき箇所はいくつもあるのだと思いますが
わたくしは復元模写と原本の絵を見比べることしかできません。
といいますか、復元模写を観に行ったというのが本音です。

復元作者は加藤純子さんです。
復元画はお見せしたいのですがそうできない仕組みになっておりまして、五島美術館まで出向いていただくしかありません。
ええと、想像していたよりもずっと良かったです。
復元したら薄っぺらい印象になった、少女趣味な感じがする、と目にしたことがあったので心配だったのですが
すっきりした上品な作品だったので、ほっとして嬉しくなりました。

極色彩ではなかったですね。
地味目な巻だからではなく、当時使われていた顔料がそう多くはなかったから、らしい。
濃い青や灰色が多く使われていました。

登場人物の顔はどれも同じです。 まったく区別がつきません。
夕霧の巻では、冷泉院の帝(源氏の不義の子)、光源氏、夕霧(源氏の子)、螢宮(源氏の弟)が一堂に会していて
全部が同じお顔なのを見て、好意的に受け止めることにしました。
「そうよね、全員が親子兄弟なのだから同じ顔でもしかたがない」

~~~おまけ~~~
他の展示では、横山大観の水墨画が目を引きました。
だんだん分かるようになってきたわ。
彼の絵は決して端正ではないんだ。 丸みがあるというのか、愛くるしいところがあります。
色気がある? ああ、そうかもしれませんね。

さぁ、明日は美術館巡り

2009-05-04 20:13:14 | 源氏物語
明日は五島美術館へ行こうと思います。
RSSリーダの検索キーに「源氏物語」を設定した効果ありです。

五島美術館
■特別展示
国宝 源氏物語絵巻 鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法

帰りは渋谷のBunkamuraミュージアム、国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」に寄りたい。
Bunkamuraミュージアム

私の美術館巡りはいつも駆け足です。
二つの美術館を廻るとなると、飲まず食わずになる可能性大。
全行程6~7時間に収めたいから。

~~~~~~
鈴虫、夕霧、御法は光源氏の物語の中でも後半、夕映えの巻々ですね。
源氏の君が女三宮と結婚したのが40歳の時ですから、それから約10年の歳月が過ぎています。
女三宮は柏木の子を出産した直後に出家し、光源氏の邸(六条院)から三条の邸(父・朱雀帝が贈った邸)へ移ろうとしていますが
出家した宮との縁が完全に切れてしまうことに、源氏の君はまだ納得できていない。
そんな時期の絵巻物です。
一方、女三宮とのごたごたに気を取られている間に紫の上は体調を崩して、御法の巻では消え入るように亡くなってしまいます。

自分が若い時代には登場人物に色々と意見もございましたが、今はもう物語全体の流れを楽しむという感じですねぇ。
誰が好きとか嫌いとかなくなっちゃったな。
ううう、なんか寂しい。

源氏物語の男たち(9) 明石の入道

2009-04-29 23:54:29 | 源氏物語
光源氏には何十人もの夫人たちがいる、と思っていらっしゃいませんか。

それでは、数えてみましょう。
正室と呼べるのは葵の上と女三宮のふたりです。 葵の上が亡くなったあとは約二十年正室は不在でした。 
花散里と紫の上は、どちらも後ろ盾がなかったために世間からは正室として認められておりません。
愛人よりは格が高い側室として認知されていたようです。
だからこそ光源氏の兄、朱雀帝が、自分の愛娘女三宮を光源氏のもとへ降嫁させることを思いついたのです。

源氏の君が須磨・明石に蟄居した時代、現地での愛人としてつきあっていたのが明石入道の娘、
後に明石の上と呼ばれる女性でした。
もし、彼女が妊娠しなかったらどうだったでしょうね。
明石の浦に捨て置かれたか、それとも都へ呼び寄せていたでしょうか。
わたくしは光源氏の律儀な性格から推して、都へ連れて行ったと思います。
末摘花、空蝉、五節の舞姫(初代)たちと同様に、光源氏の別邸二条院で暮らしていたでしょう。

しかし、明石の上は源氏の子を産んだことによって愛人から側室に昇格し、六条院(本邸)の冬の御方と呼ばれる
確固たる地位を獲得しました。
ちなみにでございますが、六条院は春夏秋冬の四つの区画に別れていて、春は紫の上、夏は花散里、
秋は秋好中宮(六条御息所の姫君)のお住まいでございます。

~~~~~~
明石の入道(あかしのにゅうどう)は源氏物語の中では一番作り物っぽい人物だと思います。
彼は光源氏の母、桐壺の更衣の従兄弟でした。
大納言クラスの上流貴族だった彼は、神のお告げ(自分の娘から将来帝と后が生まれる)を信じて
受領(地方官)として明石へ下りました。
自分の娘に十分なことをするには財力が必要と考えた彼は、中途半端な上流貴族としてではなく
裕福な中流貴族として生きる道を選んだのです。

入道(にゅうどう)は出家者のことです。
お坊さんなのに妻や娘と暮らすのは変でしょう?
明石の巻を読むと、海側と山側にふたつ住まいがあることがわかります。
明石の入道と光源氏は海側の邸に住み、明石の君と母親は山側の邸に住んでいました。

そうそう、光源氏がなぜ明石の入道の邸に滞在していたか。
彼は初めは須磨に蟄居していました。 朧月夜とのスキャンダルのため、都に居られなくなったからでしたね。
ところが大嵐がやってきて須磨の屋敷がぺしゃんこに潰れてしまったのです。
呆然とする源氏の一行を救出に来たのが明石の入道でした。

明石の入道は神のお告げを実現する人物、源氏の君に、自分の愛娘である明石の君を紹介し、
その後はとんとん拍子に話しが進んでいきます。
とんとん拍子というのは、自分の娘から将来帝と后が生まれるお告げに対してであって、
明石の君がすぐに幸福になったわけではありません。
大願成就のためには枝葉は落としても構わない。 男のロマンといいますか野望といいますか、
目的のためには手段を選ばない性格に思えますが、物語はすべては神が定めたこととして当然のように進んでいきます。

明石の入道も、娘の明石の君も琵琶の名手でした。
満月の夜に明石の浦を見下ろす濡れ縁で、父と娘が琵琶をかき鳴らしている姿を想像することがあります。
波の音と琵琶の音色、かなりの迫力がありそうな。

源氏物語の男たち(8) 夕霧(その一)

2009-04-22 00:20:34 | 源氏物語
夕霧は姿形こそ父親である光源氏に瓜二つですが、性格は母親の葵の上に似ているようです。
真面目で融通が利かない典型的なA型・・・ はっきり言って男としては小粒だろうなぁ。

でも彼が主人公の物語は楽しい。
真面目で融通が利かない<まめ人>が恋をしますから、風流もへったくれもございません。
父親である光源氏は恋の達人ですから、息子のがむしゃら振りに当惑して<周囲に角が立たない恋愛>を
手ほどきをしようとするのですが、聞く耳持たずなのでございました。

夕霧が主人公となる物語は初々しい青年時代と、左大臣になってからの壮年時代の二つです。
今日は青年時代の恋についてお話しをいたしましょう。

~~~~~~
葵の上は光源氏の最初の正室です。 残念ながら夕霧の出産後すぐに亡くなってしまいました。
夕霧は葵の上の母親、物語の中では大宮(おおみや)と呼ばれるお祖母ちゃまに育てられます。
大宮は夕霧の他にもうひとり、女孫を育てていらっしゃいました。
それは後の夕霧の初恋の人であり、筒井筒(つついつつ)の愛を成就した、雲居の雁(くもいのかり)でした。

光源氏の息子と頭中将の娘の縁組みは、はたから見れば申し分のないものだったと思いますが、
双方の親はそれぞれに高望みをしていたため、スムーズにことは運びません。

頭中将は雲井の雁を、東宮(皇太子)の女御として参内させたかったのですね。
それが夕霧と恋仲であると噂になって、当時の男女関係はかなり大らかだったとはいえ
皇室に嫁がせるとなればそれは致命的なこと。

一方、夕霧の父親である光源氏は、頭中将が夕霧に好意的でないことに機嫌を悪くいたします。
釣り合いの取れた縁組みだと心の中では思っていたようですが、向こうがそういう態度ならこちらにも考えがある。
お祖母ちゃまの手元で育てられていた幼い二人はそれぞれの父親に引き取られて、別れ別れになりました。

さぁ、この悶々とした恋心をどう整理したらいいのでしょうか。
ひと昔前はこの問題はスポーツで発散して解消しましたよね。

千年前の夕霧はこのやりきれない思いを、勉強に打ち込んで発散いたします。
といいますか、光源氏が勉強を押しつけたのです。
夕霧は過酷な受験勉強を父親から押しつけられますが、根が真面目な夕霧のこと、なぜ明けても暮れても
勉強をしなければならないかと不服には思いながらも、せっせと勉学に励んでしまう。

六年後。 学問に熟知し相応の出世を果たした夕霧は、ようやく雲井の雁との恋を成就しました。
成人してすぐに引き離されて六年ですから二十歳少し前といったところでしょうか。

筒井筒(つついつつ)とは幼なじみという意味です。(伊勢物語が出典)
私たちの世代にわかりやすい例では、「タッチ」の達也と南ですね。

ところで頭中将の母君、夕霧の祖母である大宮は桐壺帝の妹、それも同腹の妹宮でした。
ということは、光源氏と頭中将は従兄弟同士。
だから、頭中将は光源氏に強烈なライバル心を燃やしていたのです。
「オレだってあいつとは同等の身分なのだ、負けてたまるか」

夕霧は雲居の雁との結婚によって頭中将家の婿殿となります。
夫婦仲はたいそう良かったそうです。
後に落穂の宮(おちぼのみや)が登場するまでは。。。

源氏物語の男たち(7) 冷泉帝

2009-04-07 23:52:57 | 源氏物語
源氏物語の流れからいうと、次は明石の入道、明石の君の親父さんなのですが、
前回の藤原惟光と重なる部分も多いので後に回そうと思います。

源氏物語の男たちとして取り上げてみたいのは、冷泉の帝、夕霧、柏木、薫、匂宮、それから光源氏。
周辺人物としては明石の入道、螢兵部卿の宮(光源氏の弟)、髭黒の大将(玉鬘の君の夫)、
宇治の八の宮(大君、中君、浮舟の父)、僧侶のうちの誰か(例えば末摘花の君の兄さんとか・・・)ですね。

「男たち」のシリーズが終わったら続編もと妄想中。
「源氏物語の女たち・番外編」として、夕顔の女房・右近、藤壺中宮の女房・王命婦、源典侍(恋多き老女)、
近江の君、真木柱の君といったところで。

~~~~~~
さて、光源氏には三人の実子がいました。
夕霧、明石の姫君、薫、これは表向きの実子です。
遺伝学的な見地からいいますと、冷泉の帝、夕霧、明石の姫君と変わります。

冷泉の帝が自分の実の子であり、薫は実の子ではないことを知っているのはごくごく少数の人々です。
桐壺帝が寵愛した藤壺の宮と密通したことにより誕生した、冷泉帝(れいぜいのみかど)も
母の藤壺の宮が亡くなるまでそのことを知りませんでした。

では誰が「真実」を告げたかでございますが、これがお坊さんなのです。
藤壺の宮の逝去にともない冷泉帝に招かれていた僧侶が、実はこれこれかくかくしかじかで・・・とお教えした。
宮の出産の折り、僧侶は光源氏から「無事出産の願」として、お経をあげるように頼まれていたのです。

たぶん、仏様にはうそをつくことができなかったのでしょう。 父親としての願をかけたのだと思います。
藤壺がたでもこれは密通の子とわかっていましたから、大赦の願を立てた。
この両方を頼まれたのが、この僧侶だったのです。

「昨今の天変地異は、本来天皇であってはならない人が、天皇の地位についているために起きたことだと思われます」
僧侶からそう告げられた冷泉の帝は驚きました。
そうか、自分は桐壺帝の実の子ではなかったのだ。 早く帝から降りなければなるまい。
ここまではよろしいんですけれどね・・・
な、なんと、帝の位を実父の光源氏に譲れないかと思ったのです。

次に驚いたのは光源氏でした。
藪から棒に「天皇になって欲しい」と何も知らないはずの我が子からの申し出です。
やや、これは誰かが告げ口をしたな。

光源氏は冷泉帝の申し出を丁重にお断りいたします。
それはなぜかといいますと、「この人は帝の器であるが帝になると世の中が乱れる」
源氏の君がまだ幼少だった折りに、中国の占い師からそう告げられていたことを憶えていたからでした。
結局、光源氏は准太政天皇(じゅんだいじょうてんのう)という、名誉職のような地位について、
冷泉帝もすぐには譲位しないことになりました。

さて冷泉の帝でございますが、物語の重要人物であるにもかかわらず深い描写がありません。
姿形は光源氏とうり二つと書かれています。 ところが性格についてはほとんどわからない。
というわけで、わたくしも彼については印象が薄くて好きとも嫌いとも言えないのです。

冷泉の帝は子供を持つことはありませんでした。(正確には、譲位後に内親王が生まれていますが皇位継承権はない)
ですから、源氏物語の中では天皇の血統が乱れたのは一代限りで後世には影響がなかったとしています。

紫式部はなぜこんな物語を書いたのでしょうか。
天皇の血筋が正しくない、現代だったら絶対に書けませんよねぇ。
千年前は物語として書くことができた、焚書処分にもならずに現代まで生き延びた。 さて、なぜでしょうか。

源氏物語の男たち(6) 藤原惟光(ふじわらのこれみつ)

2009-03-24 23:26:16 | 源氏物語
天つかぜ雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ (僧正遍昭)

さあ、クイズです。をとめとは誰のことでしょうか。
そうそう天女のことですね、でも僧正遍昭はどこで天女を見たのでしょうか。

~~~~~~
藤原惟光(ふじわらのこれみつ)は光源氏の家来です。源氏物語の初めのほうにはちょくちょく登場していました。
夕顔の巻では、光源氏と夕顔を引き合わせるために暗躍し、夕顔が急死した時には光源氏の代わりに葬儀一切を行っています。

源氏の君が惟光をそこまで信用したのは、惟光が乳母子(めのとご)だったからだと思います。
この二人の会話は、主人と家来というよりも兄弟に近いニュアンスで、惟光は敬語こそ使っていますが
光源氏にずけずけと物言いをしているからおかしい。

しかし惟光が物語に登場するのは須磨・明石の巻あたりまで。
その後はほとんど顔を出しません。
いえね、逃げ出したわけではなくて、彼は地方官(受領)として都を離れていたのです。
家来といっても惟光は中流の貴族です。 そのうえ光源氏の引きがありましたから参議という職にまで出世しました。
こうやって書き出してみると、惟光は実に運の強い人だと感じます。

物語の中盤に入ってから、惟光は再登場いたします。
それは「乙女の巻」で、惟光の秘蔵っ娘が五節の舞姫に選ばれたときでした。

源氏物語にはふたりの五節の舞姫が登場します。
ひとりは光源氏が思いを寄せた筑紫の五節と呼ばれる舞姫、もうひとりが惟光の娘で、夕霧が恋心を抱いた舞姫です。

夕顔は葵の上の忘れ形見で、光源氏の長男。 当時の夕霧は失恋の身でした。
そんな折りに五節の舞を見た彼は、憂鬱な気持ちを胸に秘めながらも、惟光の美しい娘に恋をしたのです。
彼はラブレター(恋歌)を詠んで惟光の娘に贈ります。

大事な娘にラブレターが来たことを知った惟光はかんかんに怒りましたが、それが夕霧からのものだと知ると急に笑顔になります。
五節の舞姫に選ばれた娘たちは宮中へ出仕しなければいけない決まりがあって、惟光は気が進まなかったのです。
宮中へ入ったら惟光の目が届きませんから、悪い虫が(宮中へ出入りする貴公子たち)ついても追い払うことができない。

光源氏の息子夕霧はいずれは大臣になろうお方、彼の夫人になることは娘の幸福だ。 出仕なんてくそくらえ。
惟光はそう思い、それを彼の妻に言いました。

惟光の娘、藤尚侍(とう・ないしのすけ)は夕霧の三人の夫人のひとりとなります。
身分には限りがあったので、雲居の雁(頭中将の姫君)、落穂の宮(朱雀帝の女二宮)に次ぐ第三夫人でしたが、
当時のものさしで計れば、素晴らしく幸運な女性と噂されたことでしょう。

惟光が他界した後のことになりますが、彼の孫娘(夕霧の六の君)は匂宮の正室になりました。
宇治十条をお読みになるとわかりますが、匂宮は次の皇太子候補なのです。
ということは惟光の孫娘は帝の妃が約束されている女性。
藤原惟光は明石の君の父、明石の入道に匹敵する幸運な男だったと言えます。

~~~~~~
というわけで、天つかぜ雲の通ひ路・・・の をとめは五節の舞姫、が正解です。
これならば、宮中の行事に招かれた僧正も天女を拝むことができたでしょうね。

五節の舞姫については、故障中のDoblogにも書いたことがあったので、興味がございましたらご覧くださいませ。
■GENJI雑感 五節の舞姫

源氏物語の男たち(5) 朱雀帝

2009-03-20 21:18:05 | 源氏物語
光源氏の腹違いの兄さん、桐壺帝の後継者です。

光源氏は成人する(といいましても13歳)と同時に皇室を離れ、左大臣家の婿殿になりました。
北の方(正妻)は5歳年上の葵の上、彼女の兄は光源氏の親友 頭中将でございます。
この左大臣家と対立した一大勢力が右大臣家。
朱雀帝は右大臣家から入内した弘徽殿の女御から生まれた親王です。

ちなみに光源氏は28人兄妹でした。親王が20人、内親王が8人。
朱雀帝と源氏の君はこのおびただしい兄妹の中で年嵩のほうです。
(わたくしは父帝から溺愛された源氏の君は末っ子だと思い込んでいたので意外でした。)

朱雀帝は外戚である右大臣家の意向に沿う政治を行いました。
源氏物語は、朱雀帝の外戚びいきをを非難する口ぶりなのですが、それは当然のこと。
あとの時代では光源氏も婿として入った左大臣家に有利な政治を推し進めましたからおあいこです。
上流貴族は帝の外祖父をめざし、競って自分の娘を宮中へ送り込んだのです。
その結果は28人兄妹・・・

朧月夜の君・・・彼女は右大臣家の六の君でした。
彼女は朱雀帝の女御として入内することが決まっていたのですが、光源氏との恋愛が発覚しこの縁談は潰れました。
念のため申し上げますと、長女は朱雀帝の母である弘徽殿の女御、四の君は頭中将の北の方で夕顔を脅かした女性です。

しかし朱雀帝は朧月夜の君を諦めきれず、源氏の君が須磨へ隠遁したのをきっかけに、彼女を事務職として宮中へ招きます。
宮中へ出仕するには二通りございまして、女御更衣として正式に入内するか、事務職として出仕し
実質的には女御更衣に次ぐ立場になる方法があったのです。
朧月夜の君が尚侍(ないしのかみ)とか、尚侍の君(かんのきみ)と呼ばれるのはそのためです。

もうひとり、朱雀帝が思いを寄せていた女性がいます。
それは、のちに冷泉帝へ入内し、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)と呼ばれた六条御息所の姫君でした。
14歳の時に伊勢の斎宮に任命された姫君は、宣下の儀式のために宮中へ赴き朱雀帝にお目通りしました。
美貌の姫君をご覧になって、朱雀帝は一目惚れをされたというわけです。

彼女が斎宮の役目を終えて帰京したとき、朱雀帝(上皇)は彼女との結婚を望みますが、光源氏は気がつかない振りをして
なかなか意地悪なんですよ、この人は、、、冷泉帝に入内させてしまいました。
年齢的には朱雀帝と釣り合っていると思ったが、この人のために自分は須磨へ隠匿しなければならなかったことを思うと
好意を持てないと源氏の君は呟いています。

そうではなく、入内が決まっていた朧月夜の君にちょっかいを出した貴方が悪いんですよ、って言いたいですね。
六条御息所の大切な姫君を、引退した帝なんかに差し上げるのは勿体ないとも言い訳していましたが・・・
やっぱり貴方がいけないんですよ、源氏の君様。

朧月夜の君は、朱雀帝と結婚後は光源氏との付き合いを絶っていましたが、やがて朱雀帝が出家すると実家に下がりました。
そうして光源氏と朧月夜の君の老いらくの恋が始まります。

でもまぁなんといいましょうか、光源氏にとっては朱雀帝はなにかと厄介のタネを撒く人でしたね。
溺愛する女三宮を源氏の正室として降嫁させたのは朱雀帝でしたし、夕霧と落穂の宮(女二宮)の奇妙な恋愛事件も
元を辿れば、無理強いした女三宮降嫁事件が発端です。

朱雀帝は源氏物語の陰の主人公なのかもしれませんよ。

源氏物語の男たち(4) 前坊(ぜんぼう)

2009-03-17 23:07:39 | 源氏物語
源氏物語では前坊(ぜんぼう)は六条御息所の夫を指します。

坊は皇太子(東宮、春宮)のことですから、前坊は「帝に即位することなく亡くなった皇太子」という意味になります。
六条御息所は16歳で皇太子に嫁ぎ、20歳のときに夫に先立たれて、娘(後の秋好中宮)と共に宮中を去りました。
実家が六条にあったため、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)と呼ばれることになります。

前坊がどのような人であったかはわからないので、前坊の皇女である秋好中宮(冷泉帝の夫人)から推測してみましょう。

春よりも秋を好む・・・秋好中宮の名前の由来はここにありますが、前坊もそうだったとは言えないですね。
絵が上手だった・・・これはありそうです。 絵合の巻では、帝も秋好中宮も絵画が好きで自分でもお描きになったとあります。
母の六条御息所に画才はなかったようですから、これは父である前坊から受け継いだものと思われます。

光源氏は秋好中宮が美貌の持ち主であることを知って自分のものとしたかったのですが、
六条御息所の遺言・・・決して娘には言い寄らないで欲しい、には逆らえず、後見人の役目で我慢しました。

また光源氏は、紫の上との会話の中で「中宮はあまり才気走った人ではない」と洩らしています。
母の六条御息所は才気走った女性でしたから、似ていないと言っているんですね。
凡庸な人だから自分がきちんとお世話をしなくてはならない、ってちょっと失礼だと思います。

おっとりとした穏やかな人柄で、絵画に造詣の深い男性、私の想像する前坊はこんな人。
前坊は桐壺帝の弟か、あるいは朱雀帝の兄宮ですから、みかけは華奢な人だったと思われます。
早く亡くなったことを考えれば病弱だったのでしょう。
六条御息所にとっては少々物足りなかったかも。

未亡人となった御息所が、少なく見ても7歳年下の才気煥発な若い光源氏に惹きつけられたのは
仕方がないこと、運命だったんだろうなぁ。

源氏物語の男たち(3) 頭中将(とうのちゅうじょう)

2009-03-14 00:45:56 | 源氏物語
光源氏はどんな姿をしていたのでしょうね。
想像力がないのか、どうしても思い浮かびません。
何度も読んでいると性格はほぼ掴めてきますが、容姿についてはいまだに見当が付きません。
若い頃は痩せていたけれど、中年以降は少し太っていたようです。

頭中将は光源氏の親友、でも年齢は大分上です。5歳年上の正室葵の上の兄さんですから8~10歳は年上と考えられます。
六条御息所と同年配ですね。

光源氏を除けば、貴公子の中ではトップに位置する男性です。
光源氏に拮抗できる唯一の人物だが、あらゆる面で光源氏よりも劣っていたと紫式部は書いています。
ううむ、厳しい。。。

源氏物語の前半の頭中将は、雨の夜の品定めの巻の「夕顔を捨てた男」としての印象が強い。
実際には頭中将の北の方(正室)が夕顔を脅迫したため、怖じ気づいた夕顔が自ら去ったのですが、
頭中将が熱心に捜索すれば彼女を見い出すことは出来たでしょうから、やっぱり頭中将に非があるということか。

夕顔と頭中将のあいだには女の子が生まれていました。 彼女は20年後に玉鬘の君として登場いたします。
この時も光源氏がひとあし先に玉鬘を見つけて、さっさと自分の養女にしてしまいました。
生き馬の目を抜く江戸っ子顔負けの素早さで、帝の御曹司とは思えません。

                    

わたくしにとっての頭中将は、紅葉の賀の巻に登場する「青海波の舞」です。
辛口批評の紫式部でさえ、桐壺の帝に「頭中将の舞もなかなかよかった」と言わせていますから、かなりの出来だったのでしょう。

桐壺の帝の御前で、光源氏と頭中将が組になって舞う姿は臨席した一同が感動して涙するほど美しかった。
光源氏は、御簾の向こうで自分の舞姿を見ているはずの藤壺女御を意識していますが、頭中将は光源氏に負けまいと
十分に稽古を積んで臨みました。 無心の境地で舞ったのだと思います。

わたくしは紫式部が源氏の口を通じて頭中将を批判するたびに反発を感じてしまいます。(笑)
頭中将は光源氏の悪口は言わないんですよ。 絶対に彼のほうが漢らしいと思いますね。

源氏物語の男たち(2) 左馬頭、藤式部丞 (雨の夜の品定め)

2009-03-09 22:58:49 | 源氏物語
宮中には宿直勤務がありました。
どうやら若い貴公子のお仕事だったようです。

雨の夜の品定めで知られている「帚木の巻」で、光源氏、頭中将、左馬頭、藤式部丞の四人が、
源氏の私室で、女性論、いや妻論を戦わしていました。
そうそう、宮中には光源氏の私室があったのです。
桐壺の更衣(光源氏の母)が暮らしていた局を自分の部屋として使っていました。
光源氏はいろいろと口に出せない秘密があったせいでしょうね、うっかりしたことは言えないとばかりに聞き手に徹しています。

三人のうちのひとり、光源氏の親友と呼ばれている頭中将(とうのちゅうじょう)は、葵の上の兄でした。 義理の兄弟です。
源氏は左大臣家の婿殿、頭中将は右大臣家の婿殿。 どちらも気が張るところへ帰るのが嫌で、宿直勤務を喜んでいました。
このふたりについてはいずれまた。

左馬頭(ひだりうまのかみ)、藤式部丞(とうしきぶのじょう)は、源氏や頭中将よりは格下でした。
このまま帝へお仕えするか、それとも思い切って地方官(受領)になったほうが良いのか、微妙な地位にいたからです。

末は大臣が約束されている、光源氏や頭中将とはちがい、宮中に残っても出世の限界が見えていました。
都落ちして地方官になれば、貴族としての地位は下がるけれども豊かな収入が保証されています。 さてどうしようか。
悩みを抱えた二人の貴公子は、どんな妻を娶るかにも真剣だったのだと思います。

この時代の貴族社会では妻問婚が主流でしたが、地方官の場合は少々ちがうんですね。
地方官は一族郎党みな引き連れて赴任地へ行きますから、妻とは同居が原則でした。
四六時中一緒に暮らすとなれば、細かいことにも注文が付きます。
家政能力は高くあって欲しいが、かといって実用一点張りの見てくれの悪い女ではがまんできない。
嫉妬深い女は嫌だ。 しかし淡泊な女には他に男がいるかもしれない。
真剣で具体的な妻論が展開されたのです。

それに比べると、光源氏にしても頭中将にしても元服と同時にしかるべき地位の女性と結婚しています。
第二夫人、第三夫人を探すにしてももっと身分が高い人でなくてはならない。
この場で話題になる女たちとはほとんど縁がなかったのです。
そんな女たち、夕顔、空蝉がこの巻で話題となって、それが次の巻に繋がっていったのですからわかりやすくて面白い。

帚木は「玉鬘系」の先頭の物語です。
若い頃は、この玉鬘系、b系、傍系と呼ばれる一連の物語が特に好きでした。
満を持して玉鬘が登場したときは、文字通り目が丸くなりましたっけ。

ところで、左馬頭、藤式部丞がその後どうなったのか私は把握していません。
源氏物語に登場する男たちは役職名で書かれているために消息を辿るのが難しいのです。

源氏物語の男たち(1) 桐壺の帝

2009-03-05 23:13:02 | 源氏物語
光源氏の父親です。

光源氏の母、桐壺の更衣は「いとやむごとなき際にはあらぬ」と表現されていることもあって
身分が低い女性だと思われていますが、それはまちがいです。
左大臣家、右大臣家が後ろ盾ではなかったけれど、更衣の父は大納言まで昇進した人でしたから
決して卑しい身分ではありませんでした。

問題は桐壺の帝のほうにあります。
宮中に出仕する目的は次の帝の母親になって、実家が帝の外戚になることです。
大臣家の場合は、これによって左右どちらが優勢になるかが決まってしまう。
帝は両家から出仕した女性たちと、どちらかへ偏ることなく付き合っていく能力が必要でした。

大臣家以下のクラス、例えば桐壺の更衣がそうですが、実家の格に合わせて会う回数を調節することも
帝に必要な技術でした。 ところが桐壺の帝はその能力が欠けていたのです。

桐壺の更衣に夢中になって昼も夜もお側に置いた。 これは女性の立場を十分に考えていなかったからでしょう。
使用人(女房)ならば四六時中お側に置いても構いませんが、妃にたいしてこのような扱いをするのは失礼なことなのです。
それもあって桐壺の更衣は軽んじられていたと、物語の中にも記されています。

桐壺の更衣が亡くなると、今度は藤壺に夢中になりました。
藤壺は身分が高かったので(先帝の内親王)、帝のお側にはべらかすことはしませんでしたが
その代わりに帝は藤壺の住まいに日参いたしました。 それも幼少の光源氏を連れて。

光源氏が藤壺に憧れて、やがて重大な過ちに繋がっていくのは、桐壺の帝に原因があります。
父帝から「お前の亡くなった母親によく似ている人だ、可愛がってもらいなさい」と言われ、
その人が6歳年上の美しい女性だったのですから、どんなことが起きても不思議ではありません。

桐壺帝と光源氏はあまり似ていないようですね。
桐壺亭に似ているのは光源氏の腹違いの兄、朱雀帝のほうです。
嫋々として美しく優柔不断なところがあるが、周囲から愛される人柄という点がそっくり。

朧月夜の尚侍は光源氏との恋愛の果てに、朱雀帝のもとに出仕しました。
「光源氏は素晴らしい人であるが、冷たいところがあった」
朧月夜は朱雀帝と光源氏を比較してそうつぶやいています。