五節の舞は、新嘗祭(今の収穫感謝の日)に帝の前で四人の乙女が舞う「舞」のことです。
天つかぜ雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ (僧正遍昭)
源氏物語にもふたりの五節の舞姫(ごせちのまいひめ)が登場します。
ひとりは、若かりしころの源氏が舞姫を見て心おどらせ和歌を贈った、筑紫の五節と呼ばれる女性。
もうひとりは、夕霧(源氏の息子)が年頃になったとき、父と同じように舞姫の美しさに感動して、舞姫(藤典侍)に和歌を贈りました。
父と息子はこ似たような行動をとりましたが、その後はちょっとちがいます。
先代の舞姫は、地方官である父親とともに赴任先の筑紫へ渡ったため、源氏とは和歌のやりとりがあっただけでした。 仄かな恋心で終わったのですね。
ところが夕霧の場合は、この舞姫(藤典侍・とうのないしのすけ)を第二夫人にしました。 堅物と言われた夕霧にしては電光石火の早業です。
夕霧は幼なじみの雲居の雁(くもいのかり)と付きあっていたのに、彼女の父親に仲を引き裂かれてしまい、傷心の日々を送っていました。
そんな時に美しい舞姫を見たものですから、つい心が動いてしまったのでしょう。
日影にもしるかりけめや少女子が天の羽袖にかけし心は (夕霧)
藤典侍(とうのないしのすけ)、典侍は女官の役職名。
彼女は舞姫になったあと、その美貌を買われて宮中に出仕をしたため、藤典侍という役職名で呼ばれています。
藤は藤原のこと。 彼女は藤原惟光(ふじわらのこれみつ)の愛娘で、惟光は掌中の珠のように大事にして可愛がっていました。
惟光は出仕には反対していたようです。 ですから夕霧に見初められたことは、惟光にとってはたいへん喜ばしいことだったので、この縁組みには大賛成だと自分の奥方に話すシーンがありました。
藤原惟光は源氏の家来ですが、源氏が若い時代には物語にしょっちゅう登場していたので知名度はそこそこ高いのではないでしょうか。
「夕顔」では彼は大活躍をしたし。
夕霧の夫人となった藤典侍の子ども達は、誰もが頭が良くて姿形も良かったんですね。
北の方(第一夫人)の雲居の雁の子ども達より出来がいいとはっきり書いてあるのは、雲井の雁がちょっと可哀想。
宇治十帖で、匂宮が六の君を第一夫人に迎え、先に結婚していた宇治の中君が悲しむシーンがありました。 その六の君は、夕霧と藤典侍の間に生まれた女君なのです。
祖父である惟光が健在だとしたら、さぞかし喜んだことでしょう。
~~~ちょき
ちょき~~~
モノクロの写真は大嘗祭(だいじょうさい)の五節の舞です。
大嘗祭は天皇が即位をした年の新嘗祭のことでして、ご覧のとおり五人で舞います。
一番下は昭和天皇即位の五節の舞。
今上天皇即位の五節の舞はTVで観ました。
宮内庁の女官が舞姫になったようなのですが、すべて中高年の女性たちだったので、なんだか淋しかった。