ダンナはゴリラ似である。カシュとマシュが「おさーるさん」と呼ぶと「ウキッ」と返事する50歳越えの男。
前はこんなキャラじゃなかったし・・・。
確かに、カシュが小学校に入ることまでは、どっちかというと「コワーい」お父さんだった。
ムナシ先生から禁止令が出るまで
「~しろっ」「~しなさい」と命令口調バンバンの人だった。何だろう、父親の威厳?を見せるというか、まあ仕事のイライラを持ち帰ったりもしてたんだろう。
7歳年上のゴリさんとは(←すでにゴリラ呼ばわり)、交際期間が9か月という短さで結婚してしまったため、結婚してから「知らなかったぁ」ってことがいっぱいあった。
特に食べ物の趣味は全く違い、何度も連れて行ってもらったイタリアン「我慢してた」そうだ。 わたしが「のだめ女」なことも結婚してからバレた。
ゴリさんは千秋センパイのように、買い物に行き、食事を作り、ゴミ出しまでする。
交際期間は本当に短かったのだが、それから一年の間に、カシュを身ごもり、一緒に住んでた祖母が逝き、結婚式。半年後には同居の舅が逝き、カシュが生まれた。
泣いたり笑ったり泣いたり笑ったりの怒涛の日々だった。
その後、ゴリさんの勤めてた会社がダメになってリストラ。舅の残した借金を返済中だったため、生まれたばかりのカシュを抱いて区役所へ相談にも行った。
今は自分で会社をしているゴリさんである。
マシュが学校に行けなくなった時、「休むとくせになるから」とゴリさんは言った。いかにも・・なセリフだ。「抱っこすると抱き癖がつく」みたいな間違った常識のようなものか。
あの「今にも行かなくなっちゃいそう」な感覚は本当に怖かった。不登校の親を経験したことのない人に例えてお知らせするなら、「もうこの恋は終りに近づいてるんじゃないだろうか・・」という確信めいた予感そしてそれを認めたくない感じかな。(※あくまでも個人の感想です)
私は、マシュには悪かったけれど、ゴリさんがそう思うなら「やってみればいい」と思った。
すでに歩いて登校できなくなっていた。「明日は行くって先生と約束したから行かなきゃ」って泣きながら歩くマシュと一緒に登校した日から、私は『そんな約束をさせる先生』に不信感をつのらせていたし、「帰ろうよ」と言っても「でも、行かないと怒られる」と、足をひきずるようにして行くマシュの姿は今も目に浮かぶ。
・・・今なら、私もそんな状態で行かせようなんて夢にも思わないし、マシュも行かないと思う。その頃はやっぱり親子して追い詰められていたんだろうな。ほんまゴメン。
とにかく、マシュの中に「行かなきゃならない」って思いが強くあったことは確か。そして、「このまま行かなくなっちゃうんじゃないか」っていう不安でいっぱいの親はそこにすがって、押してしまう。
「車で連れて行こうとしても降りてしまうし、私ひとりじゃもう無理やし」私はもうお手上げ宣言。戦線離脱。
ゴリさんは何回か車でマシュを送って行った。私も同行したけど、「甘えるな」とか叱って叱って連れて行ってた。
保健の先生が門まで迎えに来てくれたらすんなりと入って行った。
何日めかのこと、学校の前でマシュはついに車から降りなくなった。担任の先生が車に乗り込んで説得。それでもおりないマシュ。
校長先生がやってきてゴリさんに「ちょっと休ませたほうがええでしょう」と言ってくれた。
2週間続いた朝の戦争にマシュは勝った。車から降りなかったマシュ。今、私があの場にいたら拍手喝采を送りたい。
校長先生に言われたことで、ゴリさんは「しょうがなく」休むことを認めた。そして、家でいろいろ今まで我慢してきた分が噴出して泣き暮らすマシュに心を痛めていた。
その後、カナー先生に「お父さんも休むこと認めてくれています」っていう話をしたら、「それは大変良かったですね。お父さんは日々社会で頑張っていらっしゃるから、『学校くらい行けなくてどうする、社会に出たらもっと大変なんだぞ』って思われることが多いのです。頑張っている人は頑張っていない(ようにみえる)人を許せないものなのです」
という話を聞いた。
その話は結構、目から鱗で、今までにもあちこちで話しているのだけれど、『母親の私が「休んでいいよ」と思う感覚とは違うのだなあ、ゴリさんは「しょうがなく」でもよく認めてくれたなぁ。
と、感謝の気持ちがうまれた。そんで、素直に「ありがとう」と言ってみた。そしたら、単純な(スマン)ゴリさんは、喜んでくれて機嫌がよくなった。
あれっと思って「一日一回ありがとうキャンペーン」をやってみた。そしたら、どんどん機嫌がよくなって文句も言わなくなってきた。
今も本心では「毎日行って欲しい」と思ってるだろうゴリさんであるが、「笑って暮らしてくれてたらええ。寝れへんかったり、泣いてるのは可哀そうや」と言う。
一時期、家で元気になってきた頃「元気になったんやったら、学校に行け。わがままにしか見えへん!」と言ったことがあった。私はカナー先生に相談。
「怠けているように見えても決して怠けているわけじゃないんです。行こうと思ったら親が止めても学校に行きますよ」と言ってくださった。
以来、ゴリさんに何を言われようと、実家の母に「まだ?」みたいにせかされても、「行こうと思ったら止めてでも行くらしいよー」とあたりまえ、と言えばあたりまえのセリフを印籠のように使っている。このセリフは期限なく使えるところがありがたい。
「行かなくなっちゃうんじゃないか」と思っていた時より、行かなくなっちゃてからのほうが気分がよっぽと楽だった。
「彼と別れちゃうんじゃないか」と思ってた頃より、別れてしまってからのほうが、泣くだけ泣いてさっぱりして次の恋に行けた。「もう一度あの頃にもどりたい」と終わった恋にすがるより、前を向いて自分を磨いて、次の出会い。
・・・やっぱり、似てるかも。「学校に行ってた頃のあなたに戻って欲しい」と思ってるうちは、前に進めなかったしねー。
そう思うと、失恋しといて良かったなぁ~。(※あくまでも個人的な感傷です・・負け惜しみってか)
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前はこんなキャラじゃなかったし・・・。
確かに、カシュが小学校に入ることまでは、どっちかというと「コワーい」お父さんだった。
ムナシ先生から禁止令が出るまで
「~しろっ」「~しなさい」と命令口調バンバンの人だった。何だろう、父親の威厳?を見せるというか、まあ仕事のイライラを持ち帰ったりもしてたんだろう。
7歳年上のゴリさんとは(←すでにゴリラ呼ばわり)、交際期間が9か月という短さで結婚してしまったため、結婚してから「知らなかったぁ」ってことがいっぱいあった。
特に食べ物の趣味は全く違い、何度も連れて行ってもらったイタリアン「我慢してた」そうだ。 わたしが「のだめ女」なことも結婚してからバレた。
ゴリさんは千秋センパイのように、買い物に行き、食事を作り、ゴミ出しまでする。
交際期間は本当に短かったのだが、それから一年の間に、カシュを身ごもり、一緒に住んでた祖母が逝き、結婚式。半年後には同居の舅が逝き、カシュが生まれた。
泣いたり笑ったり泣いたり笑ったりの怒涛の日々だった。
その後、ゴリさんの勤めてた会社がダメになってリストラ。舅の残した借金を返済中だったため、生まれたばかりのカシュを抱いて区役所へ相談にも行った。
今は自分で会社をしているゴリさんである。
マシュが学校に行けなくなった時、「休むとくせになるから」とゴリさんは言った。いかにも・・なセリフだ。「抱っこすると抱き癖がつく」みたいな間違った常識のようなものか。
あの「今にも行かなくなっちゃいそう」な感覚は本当に怖かった。不登校の親を経験したことのない人に例えてお知らせするなら、「もうこの恋は終りに近づいてるんじゃないだろうか・・」という確信めいた予感そしてそれを認めたくない感じかな。(※あくまでも個人の感想です)
私は、マシュには悪かったけれど、ゴリさんがそう思うなら「やってみればいい」と思った。
すでに歩いて登校できなくなっていた。「明日は行くって先生と約束したから行かなきゃ」って泣きながら歩くマシュと一緒に登校した日から、私は『そんな約束をさせる先生』に不信感をつのらせていたし、「帰ろうよ」と言っても「でも、行かないと怒られる」と、足をひきずるようにして行くマシュの姿は今も目に浮かぶ。
・・・今なら、私もそんな状態で行かせようなんて夢にも思わないし、マシュも行かないと思う。その頃はやっぱり親子して追い詰められていたんだろうな。ほんまゴメン。
とにかく、マシュの中に「行かなきゃならない」って思いが強くあったことは確か。そして、「このまま行かなくなっちゃうんじゃないか」っていう不安でいっぱいの親はそこにすがって、押してしまう。
「車で連れて行こうとしても降りてしまうし、私ひとりじゃもう無理やし」私はもうお手上げ宣言。戦線離脱。
ゴリさんは何回か車でマシュを送って行った。私も同行したけど、「甘えるな」とか叱って叱って連れて行ってた。
保健の先生が門まで迎えに来てくれたらすんなりと入って行った。
何日めかのこと、学校の前でマシュはついに車から降りなくなった。担任の先生が車に乗り込んで説得。それでもおりないマシュ。
校長先生がやってきてゴリさんに「ちょっと休ませたほうがええでしょう」と言ってくれた。
2週間続いた朝の戦争にマシュは勝った。車から降りなかったマシュ。今、私があの場にいたら拍手喝采を送りたい。
校長先生に言われたことで、ゴリさんは「しょうがなく」休むことを認めた。そして、家でいろいろ今まで我慢してきた分が噴出して泣き暮らすマシュに心を痛めていた。
その後、カナー先生に「お父さんも休むこと認めてくれています」っていう話をしたら、「それは大変良かったですね。お父さんは日々社会で頑張っていらっしゃるから、『学校くらい行けなくてどうする、社会に出たらもっと大変なんだぞ』って思われることが多いのです。頑張っている人は頑張っていない(ようにみえる)人を許せないものなのです」
という話を聞いた。
その話は結構、目から鱗で、今までにもあちこちで話しているのだけれど、『母親の私が「休んでいいよ」と思う感覚とは違うのだなあ、ゴリさんは「しょうがなく」でもよく認めてくれたなぁ。
と、感謝の気持ちがうまれた。そんで、素直に「ありがとう」と言ってみた。そしたら、単純な(スマン)ゴリさんは、喜んでくれて機嫌がよくなった。
あれっと思って「一日一回ありがとうキャンペーン」をやってみた。そしたら、どんどん機嫌がよくなって文句も言わなくなってきた。
今も本心では「毎日行って欲しい」と思ってるだろうゴリさんであるが、「笑って暮らしてくれてたらええ。寝れへんかったり、泣いてるのは可哀そうや」と言う。
一時期、家で元気になってきた頃「元気になったんやったら、学校に行け。わがままにしか見えへん!」と言ったことがあった。私はカナー先生に相談。
「怠けているように見えても決して怠けているわけじゃないんです。行こうと思ったら親が止めても学校に行きますよ」と言ってくださった。
以来、ゴリさんに何を言われようと、実家の母に「まだ?」みたいにせかされても、「行こうと思ったら止めてでも行くらしいよー」とあたりまえ、と言えばあたりまえのセリフを印籠のように使っている。このセリフは期限なく使えるところがありがたい。
「行かなくなっちゃうんじゃないか」と思っていた時より、行かなくなっちゃてからのほうが気分がよっぽと楽だった。
「彼と別れちゃうんじゃないか」と思ってた頃より、別れてしまってからのほうが、泣くだけ泣いてさっぱりして次の恋に行けた。「もう一度あの頃にもどりたい」と終わった恋にすがるより、前を向いて自分を磨いて、次の出会い。
・・・やっぱり、似てるかも。「学校に行ってた頃のあなたに戻って欲しい」と思ってるうちは、前に進めなかったしねー。
そう思うと、失恋しといて良かったなぁ~。(※あくまでも個人的な感傷です・・負け惜しみってか)
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そしてゴリパパ素敵!
行かなくなっちゃてからのほうが気分がよっぽと楽だった
ってとってもわかる。でもその後また嵐が来るんだけどね~
落ち着いたのに また行こうとすることで、はらはらドキドキな毎日よん。
ずっと家にいたらいいのにって思ったわ。
だからもう見ないふり。自分の楽しみ事に徹してます。
かーちゃんは「機嫌がいい」にかぎるよね
u-たんさんのハッピーオーラにふんわりつつまれた気持になりました。ありがとう~
所々読ませて頂き、共通点をいくつか見つけました!わが子が自閉症スペクトラム系であり、且つ不登校な事、片付けられない症候群な事、それから、結婚までの交際期間9ヶ月ゆえ、結婚後に相手の知らなかった事だらけでビックリした点、などなど・・・。(うちの夫は、千秋先輩系ではなく、私より酷いのだめ系だったので、フォローしてくれる人がいないのですが)
不登校と失恋をかけるところは、本当になるほど~!ですね。そうそう、一旦完全に不登校になると、その生活に慣れてきて、楽になるんですよね。うちも、4月から、学校生活再挑戦になるので、また、試練の時かもしれません・・・。
初コメなのに、長くなり失礼しました
また、遊びに来ます~♪
そうなんですか~そんなに共通点が(笑)
なんだか、二人三脚させてもらってるような気分になりますワッセワッセ。
不登校×失恋
『そうそう』と感じてくださるかたが他にもいらっしゃることを知り、むっちゃ嬉しいです(『セロリみたいに』~グッチさんにも共感していただきましたぁ)みんな、いい恋したんですね・・