祐さんの散歩路 Ⅱ

日々の目についたことを、気ままに書いています。散歩路に咲く木々や花などの写真もフォトチャンネルに載せました。

・ 倉本聰さん父 投稿で摘発 信仰、戦争の標的に

2014-09-17 23:31:51 | 政治
アベシ、自民党が一丸となって戦争のできる国づくりにまい進しています。東京新聞(2014年9月15日)に70年前の状況を伝える記事が掲載されました。倉本聰さんのお父さんの投稿文です。正しいことを言えない環境に追い込まれていく事が、分かりますね。2年ほど野党になり、その期間中に反省どころか、こんな事しか考えられい自民党は早く潰さなければならないですね。

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東京新聞


ちょうど七十年前の一九四四年九月、神道、仏教、キリスト教の宗教者が団結して戦争に協力する「大日本戦時宗教報国会」が設立された。天皇以外の神を信じたり、平和を求めたりしたことで、治安維持法による摘発の標的となった宗教界。戦局が悪化する中、国の締め付けは厳しくなっていった。信仰と、戦争という現実に引き裂かれる苦悩を、脚本家の倉本聰(そう)さん(79)=北海道富良野市=の父で俳人の故山谷(やまや)太郎さんも味わっていた。 (大平樹)


 クリスチャンの山谷さんは四二年一月、信濃町教会(東京都新宿区)の月報に「決戦下に於(お)ける伝道」と題した一文を投稿した。「戦争は罪悪である」というくだりが問題となり、当時の牧師の故・福田正俊さんは四谷署で特別高等警察(特高)から事情を聴かれた。「一般論だと言い訳して難を逃れたそうです」。福田さんの三男、啓三さん(75)=世田谷区=は話す。
投稿文


 山谷さんの次男の倉本さんは、投稿の件を今回の取材の申し込みで初めて知ったという。きょうだいたちに電話で聞いてみたところ、一人の妹だけが亡くなった母から話を聞いていた。「豚箱に入ったのよ。誰にも言ってはいけない」と口止めされていた。


 摘発されたのは倉本さんが山形県に疎開した四四年八月以降とみられる。国が大日本戦時宗教報国会を通じ宗教への圧力をより強めた時期とも重なる。


 倉本さんは投稿文を「理解に苦しむくらい回りくどい」と苦笑する。文中で世界平和を願う一方、戦死を恐れることを「か細い感傷」と批判もする。当時のもの言えぬ空気が行間からにじんだ


 戦後、山谷さんは日本野鳥の会の再結成に尽力し五二年に亡くなった。倉本さんは、戦後信仰から遠ざかったものの、正義感は父から受け継いだとの自負がある。代表作のドラマ「北の国から」では、主人公が食事前に神に祈る。父が戦時中も祈りを欠かさなかったからだ。倉本さんも、スポンサーに表現を制限されて苦々しく感じたこともあった。「信仰を規制されることがどれほど嫌なことだったか」


 自由な表現が再び制限されかねない特定秘密保護法が成立し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がされたことに危機感をおぼえる。言論統制を受けた父の世代はほとんど亡くなり、空襲を経験した自分たちの世代も減りつつある。「血のにおい、硝煙のにおいを、少なくとも私はかいだ。今の政治家は戦争を知らなすぎる


 戦時下のキリスト教弾圧 国は戦争のために国民の思想統制を進め、信仰にかかわらず天皇を神と信じるよう求め、礼拝時に君が代を歌い、皇居の方角を拝むことを義務付けた。宗教者たちは特高に監視され、反戦を唱えたり神社参拝を拒否したりした場合、治安維持法違反などを理由に摘発された。国の意向で、プロテスタントは約30の教派が日本基督教団に、カトリックも日本天主公教教団に、それぞれ統合され、戦意高揚や資金面で戦争に協力した。

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