祐さんの散歩路 Ⅱ

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・ 日本が自滅する日 第2章第2節 民間経済の上に君臨する特殊法人

2015-06-28 06:09:26 | 石井紘基


官僚は自分たちの天下り先を確保するために、政治屋は利権のために特殊法人を作っている。その特殊法人に流される国民の税金は出資金や補助金として配られ、官僚・政治屋に吸い上げられている。当然経営は成り立つはずがなく、石井紘基氏が調べた時期で借金累計額は344兆円・・・・・・誰かに指摘されまずくなると清算するが、その際の借金は全て国民が背負うことになる。JRが民営化した際にあった27兆円の債務のうち23兆円は国民負担・・・・・・
以下、阿修羅さんのブログにより、刺殺された石井紘基氏の「日本が自滅する日」の第2章第2節を転載します転載します。




第二章 経済むしばむ“官企業”

第二節 特殊法人は法的には幽霊だ

 民間経済の上に君臨する特殊法人

 そもそも特殊法人とは、戦後経済復興のため短期・集中的に住宅、道路、鉄道等の基本的社会資本整備を行うために設けられたものであった。行政主導の社会資本整備は、初期の工業化時代には必要だったといえる。しかし、国営・公営形態は、経済が一定の発展段階に達すると逆に自由な競争を封じてしまう。

 ところが、わが国政府は、こうした官庁を動員した中央集権的、計画的経済支配から退こうとしなかった。経済への実権を放擲(ほうてき)しなかったばかりか、特殊法人を増やし、事業領域を広げ、関連公益法人や認可法人、孫会社、曾孫会社等をもって経済のあらゆる分野に行政企業の綱を張りめぐらしたのである。「甘い水」に味を占め、国と国民の未来への責任を放棄したのだ

 特殊法人の事業規模を図表2-3に示した。NTTやJRを含むが、総額で五二兆七六〇〇億円である。これら特殊法人の拡大は地下水脈のごとく政官権力内部でひたすら膨らんでいったため、国民の目には見えにくかった。

特殊法人の事業規模



しかし、私は平成六年、この実態は自由主義市場経済体制を空洞化し、事実上社会主義体制に移行するほど大規模でかつ質的な変化であると考えた。そして国会で調査を進め、平成八年四月には『官僚天国・日本破産』(道出版)を著して、国政調査権による実態調査の中間結果を公表し、わが国は「官営経済体制」 であると規定した。

 官企業としての特殊法人は巨悪である。巨悪である第一の理由は、特殊法人が民間経済の上に君臨し、経済の資源を行政の事務(行政の本来の仕事は事務である)に取りこんで利権の糧とし、国民の借金を増やし、公共(高狂)料金や将来への不安で国民の生活を圧迫していることだ。

 公団、事業団、公庫などの特殊法人が経済の領域から吸収している仕事は、金融、建設、住宅、運輸、不動産、流通、保険、食品、レジャーの各事業、鉄道、空港、道路その他の交通・運輸産業、農業・漁業・林業、その他通信、電力などほとんどの産業分野に及んでいる。

 進出していないのは自動車、電機、機械などの製造業ぐらいのものである (これらの分野では、権力の経済侵蝕がもたらした高コスト構造に悲鳴を上げて、生産地を海外に移転している)。しかも行政企業は、それぞれ進出した分野で支配的地位を占めているのだ。

 この結果、経済の衣を着た行政機関である特殊法人などはそのファミリーとともに市場(経済)を狭め、あるべき税収を減らして国家財政と国民経済に致命的打撃を与えている。


 特殊法人は行政機関ではない?

 巨悪である第二の理由は法的違法性にある。

 わが国は法治国家として行政機関の存立や民間機関の存在根拠が法律によって定められている。いうまでもなく行政機関は「公法」に属する行政法令によって定められ、公のために行う事務を司るものである。これに対して民間の団体・企業などは「私法」である民法や商法などに基づいて存立することになる。

 それでは、現在七七ある特殊法人とは、いったい、いかなる存在なのか。行政機関なのか民間団体なのか。行政法令を見ても民法や商法などをひもといても、どこにも特殊法人を定める条項は見当たらない。つまり特殊法人は法的に幽霊なのだ。

 本来すべての団体はどの法律によって設立されたかによって、行政機関か民間団体かに色分けされる。ところが、特殊法人の場合は上位の根拠法がなく、いきなり「日本道路公団設置法」「石油公団設置法」というようにそれぞれの「設置法」が作られた。

 どうしても、特殊法人という行政機関を作りたいのであれば、国家行政組織法を改正して、特殊法人というカテゴリーを明記しなければ法体系上、整合性がとれないし、適法性も保てない。しかし、それができなかったのは、行政の仕事でないこと(収益・投資活動)をやる団体を行政機関とすることは、法の建て前上、許されなかったからだ(憲法第七章)。それで、やむを得ず、法の孤島=「設置法」でごまかしたのである。

 しかし、いかにごまかそうとも「政策目標を達成するため」法律によって直接設置され、政府が人事権を有し、財投を含む政府予算で運営される以上、特殊法人は「(違法な)行政機関」と見なさざるを得ない。にもかかわらず国家行政組織法に規定はなく、政府は「行政機関ではない」といい逃れている。

 平成二年一一月一九日の衆議院行政改革特別委員会で私はこの点を追及した。特殊法人や独立行政法人について、その存立は「公法」によるのか「私法」によるのか、行政機関であるのか民間機関であるのか1との私の質問に対して、政府は二転三転の答弁を繰り返した揚げ句、旧総務庁の持永政務次官は「公法ではなく私法」によるもので「行政機関ではなく民間機関」だと答弁した。続訓弘(つづきくにひろ)総務庁長官もそれに同意した。

 しかし、その直後、政府参考人の河野昭氏(中央省庁等改革推進本部事務局長)があわてて答弁席に進み出て、大臣、政務次官の答弁を訂正し「公法法人である」が「行政機関ではない」と述べたのである。これによって、政府の立場はちんぷんかんぷんであることが判明した。この答弁によると、わが国には「行政機関ではなく公法法人」という概念の組織が、司法府でも立法府でも行政府でもない所に存在していたことになる。



 法が法を破壊している

 これらの「公法法人」は実際、数千にもおよぶ子会社、孫会社、系列公益法人などを作ってビジネスを展開している。いうまでもなくこれらの株式会社や財団法人などは、商法や民法によって存立する「私企業」「私的団体」として都合よく扱われている。

 わが日本という国は、国が設立し、国民の税金で運営されている「公法法人」が、その金を私企業などの私的所有団体に持ち出し処分することを、ある法律によっては禁じ、別の法律によっては認めている1そういう国なのである。まさに、特殊法人などを通じて法が法を破壊していることになる。

 特殊法人の経理は正確には誰にもわからない。どんなに借金が膨らもうと不良債権に漬かろうと、責任を問われる者がいない。民間企業のように「株主」に監視されることもないし、行政機関として議会で承認される必要もない

 たとえば、都市基盤整備公団からマンションを買った一七〇〇人(世帯)ほどの人々が現在、公団の住宅販売のやり方が詐欺的商法だと裁判に訴えているが、公団の方は「国の政策」なんだ、詳しいことをいう義務はない、と反論して通ってしまう。

 特殊法人には経営そのものに対する責任の主体がない。企業のように個人責任が問われない。一方、国会で国の機関が詐欺的行為で国民を騙していいのかと追及されると、「契約書を取り交わした。受託の価格は売り手と買い手の合意で決まる」などと「私的契約の自由」や「市場原理」を持ち出してくる。時と場合によって、行政機関のようにも振る舞い、民間企業のようにも振る舞うことができるのだ。

 関連法令はそれぞれの特殊法人を持っている省庁が所管しているので、自分に都合のよい勝手な法解釈がまかり通ってしまう。つまり、族議員と官庁だけの思いのままになる存在なのである。

 政府は特殊法人の不透明財務と借金残高のとほうもない増大に対する批判をかわすため、平成一三年度から「財投債」「財投機関債」を発行し、「市場」からの資金調達を行うことにしたが、この措置は笑止千万である。

 私は、この悪あがきを国会でも批判してきたが、案の定、一三年秋になってもさっぱり財投機関債(個別の特殊法人が発行する債券)の引き受け手がつかない。投資家は、「元本回収のリスクを評価できない」「破産法の摘要もない団体である以上債権は保証されない」と腰を引いている。当たり前のことである。幽霊の発行する借金の証文を受け取る者はいない。

 またそうした事情のうえに、借金の山、不良債権の蔵となっている特殊法人の債券など、自由主義市場経済であれば成り立つはずがないのだ。しかし、それでも官庁は関係機関に一兆円余り引き受けさせたようだ。これぞまさに、オール無責任の官制経済、護送船団国家の極みである。



 子会社、孫会社がどんどん増える

 特殊法人(や認可法人)はどんどん子会社(公益法人も含む)、孫会社などを作る。株式持ち合いの関連企業を含めるとファミリー企業は約二〇〇〇社にのぼる。

 その役職員数は本体を除いて少なくとも一〇〇万人と推計される。本体と合わせると一五〇万人である。政府が大半の株を保有している旧特殊法人であるJRやJT(日本たばこ産業)などを含めると、関連企業数はさらに一〇〇〇社以上増え、就業者数も数十万人増加する。

 特殊法人のなかには民間企業をほとんど丸がかえしているものもある。しかも、特殊法人の事業は公共事業や委託業務が多く、特殊法人によって生計を立てている企業は非常に多い。したがって、特殊法人関係の実質就業者数は二〇〇万人は下らないはずだ。

 特殊法人は資金調達は思いのままだし、株主に対する事業報告書の開示義務もなければ、経理内容も公開しない。国の財投計画の大半を受け入れて事業を展開し、膨大な下請けを抱える特殊法人は、いうなれば企業の王様だ。製造業を除くほぼ全産業分野に君臨している存在なのである。

 特殊法人こそ、日本の資本主義経済にまとわりつく〝締め殺しの木”(ファイカス)の親分格である。ファイカスにまとわりつかれた木は、成分を栄養として吸い取られ死んでしまう。日本経済は死に瀕しているのである。



 借金のツケは国民に回される

 旧総務庁は平成二年五月、特殊法人の一部について財務調査の結果を公表した。それによると、本州四国連絡橋公団については、道路事業だけで七二〇〇億円以上の債務超過となっている。瀬戸内海の狭い区間に三ルートもの橋を架けているので収支率が極めて悪い。一〇〇円の収入を得るのに二〇〇円以上の経費がかかり、利子が利子を生んでいるのである。

 石油公団も二百数十の探鉱事業のうち採算ラインにあるのが数個しかない。石油探鉱会社に出した財投の残高一兆五〇〇〇億円のうち七七〇〇億円以上は回収困難ということだ。

 もちろん、政府がこれまで出し続けてきた税金四兆一七〇〇億円は、まるで何事もなかったかのように掘った穴に消えてしまう(実際は、とっくに利権に消えている)。

 核燃料サイクル開発機構(旧動燃)は一兆六〇〇〇億円の欠損金が累積している。鉄建公団や空港公団の赤字も見通しは暗い、という。旧総務庁から報告のあった九法人とも、まともなものはない。

 国鉄清算事業団は平成二年三月末日をもって解散した。そのさい残された二七兆円の累積債務は全額が一般会計に付け替えられた。そのうち三兆円だけはたばこ税の増税分で償却することになったが、残り二四兆円は全額国民にツケ回しされた。

 いま、道路公団や都市基盤整備公団は「第二の国鉄」といわれている。それら特殊法人の赤字のツケは、国鉄の前例にならって国民に回される可能性が強い。特殊法人の借金残高は認可法人を含め三四四兆円であり、その金額は年々歳々膨らみ続けている。

 ここであらためて強調しておきたいのは、特殊法人の借金は国の借金以外の何ものでもないということである。なぜならば、公庫、公団、事業団といった特殊法人は国会の議決で設置された国の政策遂行機関であり、国の出資金や補助金で運営されているからである。

 特殊法人には財政投融資から毎年二五兆円もの融資がなされ、その利払い金や出資金として毎年四兆円以上の国費が注入されている。そのうえ、国鉄清算事業団をはじめとする特殊法人の清算金や欠損金は現実に国民の負担に転嫁されている。

 しかも、恐ろしいことに、特殊法人は一般企業のように倒産することがないため、借金はどこまでも際限なく膨らみ続ける。こうした事実だけからでも、特殊法人というものが、いかに巨大な利権装置であるかがわかる。それだけに、じつは政と官にとって、何としても守らねばならない砦なのである。

 節を改め、代表的な特殊法人について具体的な活動をみてみよう。

第二章 第二節 ここまで
 

・ 日本が自滅する日 第2章第1節 経済むしばむ“官企業”―特殊法人と公益法人など

2015-06-12 07:16:06 | 石井紘基


日本は自由経済主義だと思っていましたが、どうもそうではないらしい・・・・・刺殺された石井紘基氏が調べ上げた内容によると社会主義経済のようです。以前に勤務していた会社の経理部長が同じようなことを言っていました。その時もなるほどと思いましたが、石井紘基氏はそれを日本全体の数字を分析した結果としてまとめているため説得力があります。
以下、阿修羅さんのブログより転載します。



第二章 経済むしばむ“官企業”― 法人と公益法人など

第一節 日本は官制経済の国だ

 事業、開発のための法律が三〇〇

 わが国は“官制経済”の国だ。いや、社会主義経済の国といってもいい。金を上から下へと流しこみ、途中で政官権力が掬(すく)い上げる“流しそう麺”式の社会主義的計画経済の性格がきわめて強いのである。

 その第一の根拠は、法的な側面である。今日、わが国には「事業」「開発」「整備」等のための法律が約三〇〇を数えるに至っている。このほとんどは一九六〇年代以降制定されたかまたは改訂されたものである。わが国の全ての法律の数が一六〇〇に満たないことを思うと、いかに政治・行政が経済行為に介入し、実質的に市場を支配しているかがわかる。

 しかも、政令、省令、通達などによる事業展開はさらに膨大な量にのぼるばかりか、それぞれの法令や規則の中に無数の事業が盛り込まれている。今日、省庁が直接指揮をとる経済プロジェクト、経済関係事業の数がどれほどの量になるのかは、ほとんど想像を絶する。個々の事業を紙に書き出しただけでも、一省庁あたりダンボール何箱という単位の話である。

 横浜国立大学の花田頼明名誉教授は、わが国の権力による経済支配の手法について「日本の場合には許可制や免許制を取り、これらを通じて行政が関連企業を自分の世界に抱き込んで、一方では命令や行政指導を通じて規制しながら、他方では抱き込んでいる企業や業界を育成し保護していくというやり方を取っている」と指摘している。彼はこれをアメリカと対比して「アメリカではもともと規制はなく自由放任主義的に競争させることから出発しています」、自由競争の弊害に対しては「独立行政委員会をつくって、そこで審判という方法で行き過ぎを是正し……抑えていくというやり方をとっている」と説明している (『ジュリスト』一九九四年五月一日号)。

 つまり、アメリカでは、まず、市場があって、その上でルールが作られるが、日本では逆だというのだ。



 GDPに占める公的需要は極端に大きい

 わが国を“官制経済” の国とみなす第二の根拠は、経済に占める公的需要の大きさである。

 わが国経済の規模を国内総生産(GDP) で見れば五一〇兆円(平成一二年度名目)だが、このうち、一二一兆円は「政府消費支出」および「公的資本形成」といった、政府による直接の買い物、すなわち「公的需要」 である。これには特殊法人の建設・設備投資以外の支出や公益法人、第三セクターなどの事業に係る支出は含まれていない。このため、GDPに占める公的需要の全体は
もっと大きい
と推定される。

 また、国による歳出は一般会計と特別会計を合わせた純計で約二六〇兆円、地方公共団体の支出は(国とのやりとりを除いた)純計で九〇兆円である。したがって、国と地方を合わせた一般政府の支出は三五〇兆円となる (平成一二年度)。

 GDPは本来、付加価値の規模を示すものと考えられていて、この中には、政府による消費(支出)も含まれている。一般にGDP統計の中では、政府支出も付加価値を生み出すとされている。しかし、経済活動における付加価値は、本質的には市場における資本の運動の中で形成されるものであり、政府自らが資本の運動に参加することはできない。

 むしろ、政府による市場への関わりが強過ぎると(政府の消費=支出が多過ぎると)、政府が配分したお金で作られたものを、そのコストで政府が買うという性格が増し、市場における付加価値創出能力が減退する。つまり、市場経済の本来の機能が失われていく。したがって、わが国でGDP数値に対する政府歳出の割合が異常に高いということは、わが国市場経済の能力を判定するうえで重要なメルクマールとなる。

 わが国の一般政府歳出の中には、年金のように実際の消費(支出)ではなく、お金の移転として計上されているものもあり、そうした部分を除いたとしてもざっと三〇〇兆円規模の政府支出がある。GDP統計においても一二〇兆円超の政府支出がある。GDP統計の中身をお金の流れで捉えれば、政府消費に計上された支出の中には、再び民間最終消費支出の数値に現れて出てくるものもある。

 こうした事情を考慮したとき、いずれにしても、わが国においては、GDPの中に市場の成果といえる部分は微々たるものでしかないことがわかるのである。つまり、わが国は政府のマネーが大きすぎ、市場が著しく縮められ、資本の拡大再生産機能が働かなくなっているのだ。

 ちなみに国家予算とGDPの関係を国際的に対比してみると、フランスの場合、国家予算三一兆円に対してGDPが一六三兆円イギリスは国家予算四五・六兆円に対してGDPが一六四兆円ドイツは連邦政府予算四〇兆円に対してGDPが二四〇兆円(以上、一九九九年)と、いずれも中央政府の予算規模は、GDPの三〇%以内である。付加価値の規模を示すGDPと政府歳出との関係を国際比較してみればGDPに対する政府歳出比率の異常な大きさは浮き彫りになる。

 つまりわが国の経済では、政府に関連したおカネにかかわる部分が異常に大きく、市場経済活動の成果は極めて小さい



 資本主義の仮面を着けた社会主義

 市場経済にとってもう一つ恐ろしいことは、わが国ではGDPに近い額の郵貯・簡保・年金の積立金が政府資金として運用されており、しかも、この内二〇〇兆円を超える巨額の資金が債券や株式など有価証券市場に投入されていることである。

 そもそも資本主義経済の動脈ともいうべき内外の金融市場に対して大量の政府資金を動員することは、自由・自然な生きた市場を撹乱する。血管に血液型の異なる血液を輸血注入するに等しい行為である。否、危険な非加熱製剤の輸血といってもよいであろう。

 政府により金融市場に出される資金のうち、国際金融市場に当てられる資金量はざっと五〇兆円である。内訳は外為特会二八兆円、財政融資資金四〇〇〇億円、郵貯特会四兆六五〇〇億円、簡保特会四兆一五〇〇億円、年金資金運用基金一兆二六〇〇億円、簡保事業団(金額非公開だが、郵貯特会から一五兆円、簡保特会から一〇・五兆円受け入れる預託金の約三分の一と推測)八兆
円、農林中金七兆円(農林中金は現在は特殊法人でないとされているが、法律により特別に設置された官企業)、その他である。

 各国とも一定の外貨準備等により、国際金融市場への調整介入政策をとることはある。しかし、それは国家的な緊急かつ不測の事態への調整手段ないしは外交的必要性によるものである。それにしても自由競争と市場経済を前提としたルールは守られなければならない。最大の金融大国たるアメリカの場合でも、政府の外貨準備高はせいぜい七兆円程度(六六二億ドル)に過ぎない。これを見てもわが国は世界に特異な資本主義の仮面を着けた社会主義国(国家資本主義) であることがわかる。

 こうした政府の巨額の(借金)資金による国際証券市場への進出という財政・金融構造こそ、国内はもとより世界の金融市場を歪め、日本が世界経済の破壊者となる可能性を高めている。今後、郵貯、年金等の自主運用が進めばますます危供される。



 政府系金融はオール民間の一・二五倍の規模

 わが国経済の異常さを、具体的に金融事業についてみてみよう。

 わが国金融事業全体の中で政府系(行政)金融が占める量と割合はどれくらいだろうか。日銀の資金循環統計をはじめとする公表データで集計すると、民間の都銀、地銀、第二地銀、信金、信組、その他の貸金業の融資総額は図表2-1の通り約五二〇兆円である。

 これに対して行政による金融事業の規模は融資残高約六五〇兆円、つまり、民間金融の一・二五倍に達している(図表2-2)。しかも、官は民間金融機関の運営を細かく干渉する。つまり、わが国の民間銀行は、仕事を取り上げられ、規制され、かわりに公的資金という人工呼吸器をあてがわれているのに等しい。

民間金融機関貸出残高


公的金融機関融資残高



 不動産事業の一一%は官企業が独占

「官」 の進出が「民」を衰退させている例として、さらに不動産・住宅事業を挙げよう。「官」 の雄であり、規模においては世界一のディベロッパーである都市基盤整備公団の不動産部門の事業費支出は、一兆二三〇〇億円である (総資産一七兆五六九〇億円)。そしてこの公団の直接の子会社における不動産事業の合計は、一八三〇億円である。さらに、各省庁の傘下にある特殊法人・公益法人、その子会社が土地取得事業などを行っている (平成一二年度)。

 たとえば、(財)民間都市開発推進機構の土地取得事業費は一五〇〇億円、(財) 日本勤労者住宅協会は六四五億円、(特)地域振興整備公団が三二〇億円などだ。また、(特)雇用・能力開発機構の住宅事業は三八二億円、地方住宅供給公社は七一〇〇億円、地方土地公社は一兆一〇〇〇億円、その他運輸施設整備事業団なども相当額の事業展開を行っている。ちなみに、地方土地公社は都道府県と指定都市及び市区町村に一五九四社あり、保有土地は金額ベースで八兆三〇〇〇億円である。「官」 の企業の場合、性格上 「売り」 「買い」 「賃貸」 のいずれかに偏る場合があり、正確な数字の計上は困難であるが、その事業規模は年間およそ三兆五〇〇〇億円と推計される。これに対して民間不動産会社の (売上げ)事業総額は、「財務金融統計月報」
(財務省) によると約三二兆三七〇〇億円である。

 したがって、全不動産事業の約一一%が行政企業によって占められていることになる。

 最近民間が弱っていくなか、派手な土地買収でとくに目立つのは米国の企業と都市基盤整備公団と(財)民都機構だ。一方、住宅建設戸数においてみれば、官企業によるものが民間を庄倒している。すなわち、都市基盤整備公団はこれまで賃貸住宅で七七万戸、分譲住宅で二八万戸を供給した。

 さらに、地方住宅公社がこれまでに供給した賃貸および分譲住宅は七五万三〇〇〇戸にのぼり、同じく雇用促進事業団が一四万五〇〇〇戸で、これに公務員住宅等を加えると、昭和三〇年代以降、官が供給した住宅はざっと、二〇〇万戸に達する。その補修・管理を含む関連事業も、官の系列企業が独占してきたのだから、民間市場への影響は、はかり知れないものがある。


 市場原理が機能しない経済

 それにしても、日本はいつからこのような、市場が機能しない国、政と官が結託して利権をほしいままにして民を圧迫する国になってしまったのだろうか。来生(きすぎ)新・横浜国立大学教授の『産業経済論』(ぎょうせい、平成八年)によりつつ、振り返ってみよう。

 国家と市場、権力と市場の関係について考え抜かれた著書によれば、敗戦からの復興過程では、希少な外貨のコントロール権を行政が握り、それを最終的な担保として強権的な政治主導型の経済運営が行われた。国内的にも、重要な物資については官僚主導の計画経済が行われた。

 高度成長経済も基本的には政官主導による重工業主体の産業政策が追求されたが、この時代までの政策は今日の直接介入とは異なっていた。権力といえども、産業との協力の下に、あくまで産業そのものの発展を目指す「誘導」「育成」がキーワードだった。

 したがって、この過程では政官主導とはいえ、経団連や商工会議所の財界リーダーたちが日本丸の船頭となっていた。他方では中小企業が活力を発揮した。だからこそ「経済は一流」といわれ、市場経済体制が花開くかに見えたのだ。

 戦後経済でもっとも重大な転換期は、その後の一九七〇年代であった。この時期以降の日本経済について来生氏は「市場を支える勢力が完全に経済運営の主導権を獲得しつつある時代」とみているが、それは誤りだと私は考えている。市場から後退し、自立的な企業同士の民主的かつ公正な競争による自由経済体制を築くべき政治・行政権力が、むしろ力を増したのだ。

 この時期、政官権力は正面から民に対抗するのではなく、新たな協調を求めたようにも見える。しかし、実際は、そうしたポーズをとりながらも、一方で行政指導、経営規制を拡大し、他方で自ら行政企業(官企業) の大群を率いて市場に侵入していった。それだけでなく権力は、自ら法令にょり産業ごとの開発プロジェクトを打ち出し、大規模な事業経営を展開した。

 こうして、市場は、「政官の行政経済」に侵蝕され、自主性と主体的活力を殺(そ)がれ、権力に対して完全に敗北した。政治家と官僚が結託した支配は、一九八〇年代後半以降、どんどん強められていった。そして、ついに、日本経済は市場原理が機能しないものとなったのである。

 資本主義経済で「必然」とされた寡占化、過当競争、失業、恐慌などを克服するものとして、二〇世紀にケインズ経済学が登場した。不況が深刻な恐慌に至らないよう、政府や中央銀行が時宜を得た景気対策や金融政策などを発動し、それによって資本主義経済は息を吹き返した。

 政府の経済政策は独占の制限、労働・雇用対策、税政策などにもおよび、それとともに中央銀行による金融政策の重要性も高まった。日本の公共事業政策が効果を発揮した時期もあった。

 主要国首脳会議(G8)や主要七カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)など、政府の経済政策を国際的に調整するシステムも確立されていった。

 しかし、こうした政府による経済政策や国際的相互作用も、それが有数であり、意義あるものであるためには、その国の経済が自由競争を原理としたものであり、資本主義経済の本質を維持していることが前提条件となる。かりに、その国が金融においても産業においても、自由競争の要因が薄い国になったとしたら、あるいは、経済活動に拡大再生産の資質が失われた国だったとしたら、あらゆる経済対策は景気や雇用問題を解決する力を持たない。一九九〇年代の日本経済が陥ったのは、まさにこうした病弊なのである。政府は公共事業などで、「史上最大規模」の“景気対策”を重ねる。日銀は金融機関に対して「借りてくれ」と懇願するようなウルトラ金融緩和政策をとる。しかし、財政、金融の両面でいくら力んでも、景気はよくならない。その理由は、経済そのものの存立基盤が失われているからなのだ。

 このように、わが国を非効率な社会主義経済にしてしまった機構面での大きな要因は、特殊法人や公益法人を中心とする“行政企業群”、略して“官企業”である。以下、節を改め、特殊法人とはどんな性格のものであるか、主要な特殊法人は、どんな活動をしているか、そして、公益法人とはどんなものか、をみてゆくことにしよう。

第二章 第一節 ここまで

・ 日本が自滅する日 第1章第4節 50兆円をバラ撒く補助金制度

2015-06-05 23:42:28 | 石井紘基


国民から税金・保険料などの名目で集めた金は、官僚が補助金の名目で好き放題にばら撒いている。それが官僚の権力を維持し、それにつながる政治屋の寄付金のもとでもあり、官僚の天下り先との接点になっている・・・・・以下、阿修羅さんのブログより刺殺された石井紘基氏の「日本が自滅する日」の第1章第4節を転載します。



第四節 五〇兆円をバラ撒く補助金制度

 国民の金で国民を囲いこむ制度

 わが国予算の中の「補助金」は約五〇兆円超である。五〇兆円といえば一年分の国税収入を超える金額だ。わが国の予算制度の基本は、政府が税金と郵便貯金や年金の積立金等を用いて行う「補助金」 の配分である。他の先進諸国のように、国民のために、主に福祉や教育、医療、治安、防衛に必要な事務経費だけを使うのではない。同様に、地方自治体がそれぞれ独自の徴税をし、税収の範囲内で必要に応じて使うのでもない。政府が民の生活を“補い、助ける”のだ。

 後に見るように「公共事業」予算も三〇兆円であり、その大部が団体への補助として配分されることを考えれば、わが国では予算は大方、補助金として使われているといえる。「補助金」とは、法律(補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律) によれば、「補助金」「負担金」、及び(利子) 「補給金」とその他「給付金」である。「地方交付税交付金」「援助金」「国際分担金等」も一種の「補助金」 である。「給付金」とは、七九本の「政令」にそれぞれ定められている「交付金」「給付金」「委託費」「助成金」などである。

 さらに、これらの他に、行政企業に出される「出資金」や「資本金」も明らかな「補助金」というべきである。それぞれの違いについてはあまり論ずる意味はない。「補助金」は、公益法人や特殊法人、業界団体、一般企業に直接支払われるものと、公共事業補助金のように建設費、整備費等の一定割合として地方公共団体や公益法人、特殊法人等を経由して出されるものに大別される。

 国・地方から「補助金」を受ける団体・企業などは数万(社)にのぼる。業界などを通じて間接的に補助金の“恩恵”にあずかる企業・団体はざっと二〇〇~三〇〇万(社)に達している。「財政調査会」が出している『補助金総覧』はA四判八四〇頁にも及ぶ大部なものであり、「補助金」の種目が非常に細かく分類されている。よく見ると同じ団体にたくさんの項目から支出されている。交付先の事業の一部始終をつかみ、金額の増減も自在にコントロールされるわけである。同時にあうんの呼吸で二重取りや不正使用が起こり易く、事実そうした事例も数多くある。

 平成一二年度一般会計の「補助金」総額は、「国際分担金」の二四〇〇億円を除いて二〇兆七〇〇〇億円。ODAの援助金を含めると二〇兆九四〇〇億円となっている。同じく「特別会計」の方は七兆余円。「地方交付税交付金」を含めると「特別会計」全体で二九兆九〇〇〇億円である。したがって平成一二年度予算の「補助金」の総合計は約五一兆円となる。これに特殊法人、認可法人が独自に支出する「補助金」を加えると、全般的な補助金はさらに一〇兆円程度は増えるだろう。一般会計の旧通産省分を例にとってみよう。『総覧』の該当欄には八五種類ほどの「補助金」が列記されている。さらに同数程度の細目があげられている。交付対象は特殊法人、財団法人(以下、(財)と略す)、認可法人、地方公共団体などのほか、多数の業界団体、商工団体、民間企業などである。団体等の職員の給与補助だけで二二〇〇人分を計上するなど、団体ぐるみ業界ぐるみで“面倒”をみている。

 支援している業界団体である(財)日中経済協会、(財)交流協会、(社) ロシア東欧貿易協会、(社)日タイ経済協力協会などの国際貿易関係団体の下には、それぞれ数百社の企業が参加している。同じく補助金を出しているのは、認可法人の産業基盤整備基金と情報処理振興事業協会や、特殊法人の新エネルギー・産業技術総合開発機構、日本貿易振興会、金属鉱業事業団、中小企業総合事業団などだが、それらの大部分はそれぞれ数百の子会社、関係会社を持っている。

 また「補助金」項目のなかにある「地域新産業創出総合支援事業補助金」「新規産業創造情報技術開発費補助金」「情報処理振興対策費補助金」等々は、大企業から中小企業までの個別の各企業に対して補助金を出し、政官権力が直接手を差しのべる、いわば“嗅ぎ薬”の役割を果たす。 少なくとも旧通産省だけで合わせて数十万社という企業に対して直接間接の支援を行っているのだから、お金をもらった企業側としても役所に頭があがる訳はない。首輪で繋がれている状態といってよい。

 こうして企業はいつも政治家を通して要望し、役所の様子を見ている。家畜や池の鯉のように常にお役人の一挙手一投足を見守り、新しい「事業予算」や「補助金」情報があれば政治家を介して瞬時に跳びつくのである。それが多くの企業のビヘイビアである。

 同じ「補助金」でも、一般会計の「補助金」と、特別会計のそれとのあいだには建て前上、若干の区別がある。つまり、一般会計の補助金が事務・管理関係の補助や経済支援に支出されるのに対して、特別会計の補助金は事業費等に支出されている。特別会計ごとの補助金額は、道路整備特別会計二兆円弱、治水特別会計九五〇〇億円、石炭・石油特別会計四〇〇〇億円、食糧管理特別会計、国有林特別会計各二八〇〇億円前後、厚生保険特別会計八〇〇億円、港湾整備特別会計六〇〇億円等々であり、支出先は一般会計の場合とほぼ同じである。

 通常多くの特殊法人、公益法人、地方公共団体等は一般会計、特別会計の両方から補助金を受け、二つの予算書を持っている。行政機関の財務に投資的ビジネスを合体させることは憲法や財政法にそぐわないからだ。正確には彼らの団体は少なくとも三つの予算書を持っている。「一般会計」と「特別会計」、もう一つは、二つを合体させた実際の運営のための公にできない予算書なのである。

 こうして政治と官庁は「補助金」を通して各種業界団体と個別企業を縛りつけ、天下り行政企業を増殖させる。そして、発注される「補助金」付きの“事業”を通して同じように“民間”を支配する。また“民間”企業の多くは官公需を通して生き延びるのである。



 集金、集票の道具

 このように「補助金」が広くビジネス領域に行きわたるということは一見政府が企業の経済活動を助けているように見えるが、じつは政治との主従関係を決定づけることになるとともに、政治が経済の本来の機能を換骨奪胎することになる。 俄然、政治家の“顔”が大きな役割を果たす世界が出現し、ビジネス界が集金と集票、天下りの道具となり、経済そのものが機能マヒに陥るのである。

 今日の日本経済、日本社会では「補助金」が「主食」となりつつあるといっても過言ではない。「補助金」の行く先を、大都市圏と地方に分けると、最近は相当に大都市圏にも広がってきたが、まだ地方の方が厚い。そもそも「補助金」の名分が、経済力の強い大都市圏から経済力の弱い地方にカネを回す予算編成上の役割とされてきたからだ。

 しかし、カネの最終的な落ち着き先という意味からいえば、大型“公共事業〟の「補助金」などは地方を経由して結局は大都市(大企業) へ戻ってくるものが多い。「補助金」支出も、また省庁による行政権限の行使として行われるため、各業界団体は日本中から中央省庁へ陳情に参上する。国会議員がそれぞれの陳情団長の役割を担う。政府の予算編成作業には二つのピークがある。八月末の各省庁概算要求締め切りと、一二月の財務省による予算編成である。これらの時期に全国から殺到する霞が問詣での人波は、さながら聖地巡礼のごとき風景である。天の恵み、お上の恩恵をさずかりに来るのである。

 国の予算を補助金で編成するということは、国民を縛ることにつながる。与党議員にとっては、政治献金を召し上げ、票をも確保する道具となる。 この国で支配的な民意は、お上の恵みへの「待望」である。地方の人たちにとってみれば、政治家の顔はカネの力を連想させる。政治家は、乾ききった地方経済の大地に、補助金という恵みの雨をもたらすことのできる魔術師なのだ。

 日本の地方は、農業も漁業も商業も自立的活力を失っている。あらゆる営みを中央省庁に管理され続けたからである。補助金の注入がなければ生きていけないように仕組まれているのが地方経済である。地方で補助金と無縁に生活できる職場は郵便局、電話局、市役所の三つに、あとは学校と商店の店員しかない。 市役所職員や学校教員の給与は、税金から支出される。郵便局は官営企業であり、電話局もかつては公共企業体だった。商店の場合、店員は補助金を意識しないですむが、経営者はそうはいかない。

 こうしてみると、地方ではもはや「官」に頼らなければ生きていけない構図が完成しているといえる。国から流れてくる補助金が主食となってしまったのである。 補助金はうわべでは「オアシス」のようにみえるが、本当は「エサのついた釣り針」である。この事実を人々は気付こうとしない。釣り針はエサに隠れているから気付かないという理屈はあるかもしれないが……。

 しかし、エサに喰いつくと、必ず上納金を納めなければならない。その上納金にはお札(ふだ)もついていく。選挙のときの「票」である。票を上納金とともに差し出すというのは、自分の身体を献上するのと同じことである。こうして、権力構造は社会の隅々に生活意識として貰徹し、維持されている、ということになる。

 地方経済が官従属になりきってしまっていることはすでに指摘した。一九九〇年代にはその官従属体質が、中央にも浸透してきたことを指摘しなければならない。つまり日本経済全体が、官従属となっているのである。

 平成一一年度以降の予算編成では、環境、情報通信、福祉、中小企業対策などにあてる特別枠が設けられた。このため、これまで目立って土木建設業界で行われていた受注のための工作に、他の業界も拍車をかけるようになった。土建業界の官従属体質が、他の産業にも広がる傾向を助長することになったのである。

 予算を補助金として支出するという手法のネライは、政・官のエゲツない税金“かすめ取り”にあるが、その結果は民間経済の活力を損なうという、さらにとんでもない効果をもたらした。最近、政府はイメージが悪くなった公共事業から、予算配分を他の投資に移そうとしている。

 しかし、それも、補助金などの財政のシステムが変わらなければ意味はない。IT産業の振興、ベンチャーの育成、福祉産業へのシフト、雇用対策予算など、耳ざわりはよさそうだが、カネの流れる仕組みは同じだ。しょせん、経済に役立つはずがない。問題は予算をどこに付けるか、ではないのである。



 農水省の事務次官と技官、宿命の対決
 補助金と政治の関係をめぐって、以下主に農業行政の問題をとりあげるのは、農林水産省が中央省庁の中でもっとも政治に強い存在だからである。政治に「最強」なのは旧大蔵省、現在の財務省に決まっていると考える方が多いかもしれない。 確かに予算配分権限をタテに、国会議員にさえアタマを下げさせるのが財務省高級官僚である。しかし、それとは別種の、都道府県、市町村などを通じて末端の有権者をどの程度つかんでいるか、という尺度で見た場合、農水省こそ政治に強いのだ。

 そうした力は、かつては参議院選挙全国区の得票で測ることができた。各省庁がOBを候補者に立てて得票を競った結果が、そのまま省庁の「強さ」を示したものだった。 最後の全国区選挙となった昭和五五年の参院選で、得票数上位一〇位以内に入った候補者のうち、事実上のタレント候補でないのは、八位の岡部三郎氏と一〇位の大河原太一郎氏の二人だけである。この二人はともに農水省のキャリア官僚OBである。

 その後、全国区は比例区に変更されたが、農水省は毎回、必ずといっていいほど、二人の当選を確保している。農水行政が末端の有権者まで締め付ける強い力量を持っていることを示す、何よりの証拠といっていい。 農水省OB候補たちの略歴を見てみると、興味深い事実に気づく。比例区に出馬するコンビが、一人は事務官出身、もう一人は農業土木技官出身なのである。

 大河原太一郎氏(東大法学部卒、事務次官で退官)と岡部三郎氏(東大農学部卒、構造改善局次長で退官) の五五年当選のコンビ、石川弘氏(東大法学部卒、事務次官で退官)と須藤良太郎氏(東大農学部卒、構造改善局次長で退官) の平成元年当選のコンビといった具合だ。

 このような組み合わせになるのは農水省の官僚構成と深くからんでいる。農水省の技官は、人事上の差別構造に押し込められている。官僚トップの事務次官はもちろん、局長にもなれないのだ。技官たちは官僚人生の大半を構造改善局(平成一三年度から農村振興局に改名)ですごし、最高ボストは構造改善局次長。それに次ぐのが同局建設部長だ。ともに官僚の世界で「中二階」と呼ばれる、局長と課長の間のポストにすぎない。

 建設省の場合、事務次官は、事務官と技官が交代で就く。しかも技官のトップのために事務次官と同格の技監というポストも用意されている。これと比較すると、農水省の技官の待遇はあまりにみじめともいえる。 その代わりに農水省の技官たちは、構造改善局を「独立王国」とすることに成功した。構造改善局も局長や農政・計画両部長、総務課長は事務官である。しかし構造改善局の仕事の中核である農業公共事業について、彼らは口を出せない。

 公共事業=土木工事に関することは、予算要求から工事の実施まで、すべて技官が取り仕切る。予算だけではない。技官の世界は人事においても独立王国である。農水省の人事担当課は大臣官房秘書課だが、技官の人事は技官グループが取り仕切り、勝手に決める。

 事務官と技官の差別の構造が温存されているという歪んだ構図が、参院選での農水省の強さを保証することになる。すなわち、通常の省庁なら一人しか出せない比例区候補を農水省だけは二人出せる。事務官・技官双方の代表である。

 技官OBの候補を支えるのは、土地改良政治連盟(土政連)である。ちなみに事務官OBには農協政治連盟(農政連)、その他の系列団体がつく。一般に農協(政治面では農政連)は日本最大・最強の集票マシーンだといわれるが、土政連は農政連をはるかに上回る力を持っている。

 土政連も農政連も、会員は農家であり、末端ではほとんどの農家が重複加盟している。そこで個々の農家の奪い合いが激しい。特定の農家が、土政連の推す候補の後援会員となり、そのルートで自民党員になるか、それとも農政連の推す候補の後援会員となるか。参院選の前年には必ず「身内の争い」が展開され、この争奪戦があるからこそ農水省の集票マシーンは強いのだといわれる。

 農水省官僚にとって、日本農業の将来像などどうでもいい。農水省の「縄張り」を維持すればそれでいいのである。縄張りの中で最も重要なものが財務省から獲得する予算であり、参院比例区での農水省OBの議席も、その一つといえる。日本の省庁はどこでも“政策なき縄張り行政〟であるが、農水省が最も著しい。私が日本の農政を「ノー政」と呼ぶ理由はそこにある。



 ノー政の補助金に群がる“名士”たち
 土政連を理解するには、「土地改良区」を知らなければならない。土地改良区は、「農用地の改良、開発、保全及び集団化に関する事業を適正かつ円滑に実施する」ため、昭和二四年に制定された土地改良法に基づいて設立されたものである。当時は敗戦後の食糧難の時代であったから、「農用地の改良、開発」などが必要だったが、コメをはじめとして国産農産物が過剰となった現在でも、こんな法律が残っていること自体がおかしいのだ。だが、現在もますます盛んなのである。

 土地改良区は、この法律によって農家が一五人以上集まれば結成できると定められており、公益法人と位置づけられている。土地改良区はほとんどすべての市町村にあるだけでなく、秋田県田沢疏水土地改良区や福島県安積疏水土地改良区といった、特定の事業に関わる土地改良区もある。その数は全国で七七〇〇にものぼる。

 これらは都道府県レベルでは「○○県土地連(略称・県土連)」を構成している。県土連の役割については後に述べる。全土連はその上に立つ全国組織であり、政治家、官僚と土建業界、それに農民の関係を調整することが役割である。表向きの業務は、全国の土地改良施設の維持・管理、資金管理、技術指導などとなっている。国と都道府県から毎年補助金が出ている。

 全土連と表裏一体の土政連が、参院選のたびに、構造改善局次長を擁して選挙戦を戦う。自民党の課すノルマに沿って後援会員や自民党員を集めるのである。その作業が、政官業の癒着の構図を三年に一度、確認・点検することになる。 全土連=土政連に群がる人々こそ、農業予算という大をな餌に群がるハイエナたちである。再び強調するが、日本に「農政」はない。莫大な補助金をばらまくだけの「ノー政」があるだけだ。ノーは無策のNOでもあり、ノーテンキのノーでもある。

 以下で、「ノー政」の構図とそれに群がる政治家の行動様式を解明するつもりだが、それには農水省予算とその大半を占める補助金について知らねばならない。 農水省の年間予算は約二兆五五〇〇億円で、そのうち二兆円は補助金として配られている。これ以外に、いわゆるウルグアイラウンド対策予算が八年間で六兆円あった時期もある。

 農水省の補助金は、団体への援助金と、土木工事に化けて消化される「公共事業」予算に二分される。その公共事業と補助金配分の権限を主に握っているのが構造改善局である。 農水省の補助金には、潅漑排水事業補助金(年間約一〇〇〇件)、圃場(ほじょう)整備事業補助金(年間一千数百件)、土地改良事業補助金(年間約一〇〇〇件)、農道整備事業補助金(年間約一〇〇〇件)、集落排水事業補助金(年間数千件)などがある。

 これら数千項目にわたる補助金の一つ一つを農水省と財務省が査定し配分額を決める。公共事業の場合、地方公共団体が主体となるものであっても、国の補助が付かなければ実施されない。このシステムの下で、地方のごく細かな畔道(あぜみち)の改修や排水施設の整備にまで、農水省が権限を握ることとなっている。

 補助金は原則として、都道府県・市長村を通じて各団体に渡るのだが、農水省から直接行くものも少なくない。たとえば、いわゆる農協五連向けである。農協五連とは、「全農(全国農業協同組合連合会)」「全中(全国農業協同組合中央会)」「全共連(全国共済農業協同組合)」「全厚生(全国厚生農業協同組合連合会)」「農林中金(農林漁業中央金庫)」のことで、県段階でも同じ組織をもっている。

 全農には二億円全中には一〇億円の補助金が出ている。前に述べた全土連への補助金は四八億円(平成一三年度)だ(全土連に対しては都道府県からもほぼ同額の補助金が出ている)。その他の業界や個別団体では(財)全国土地改良資金協会(二〇〇億円)、(社)配合飼料供給安定機構(一〇〇億円)など九二の団体に出されている。九二の団体の中には、(社)国際食糧農業協会、(社)国際農林業協力協会など海外に関する団体が一五もあり、大半が外務省など他省庁からも補助金を受けている。

 農水省が全農に出している農業構造改善の補助金の中に、「農業基盤確立事業」と称するものがある。乾燥貯蔵施設や精米貯蔵施設(ライスセンター)などの機械に対して二分の一を補助するものだ。施設は全農が事業主から委託されて建設するのだが、事業主(単位農協や生産組合)にも補助金が出る(両方に補助金が出る二重払いである)。そのさい全農は補助金のうちから、きわめて高い手数料も受け取る。たとえば新潟県広神村の施設は七%に設定されていた。

 会計検査院はこうした実態を調査し、平成二年八月、四億五〇〇〇万円の払い過ぎを指摘した。また、平成二年末には、農水省職員一八人が「業者との癒着」を理由に処分された。業者らと海外旅行や会食を重ねたためで、うち五人は、減給処分だった。

 構造改善局農業経営課の課長補佐は平成七年以降、三二回も業者と会食し、うち一七回は代金をまったく払っていなかった。この補佐はさらに「費用は負担した」というものの、業者と一緒に韓国に旅行していた。また、別の同局農政課課長補佐は、同省の外郭団体「ふるさと情報センター」に計九回で総額約四〇万円(推定)をつけ回ししていた。 処分を受けた中にはキャリア官僚三人が含まれており、高木勇樹事務次官も「職員に相当の裁量をゆだねていた点で(構造的な)問題があった」と認めざるをえなかった。


“公共事業”予算の箇所付けと国会議員の手柄
 補助金の「箇所付け」というものをご存じだろうか。補助事業の一つひとつがどこで実施されるのかを決める作業である。何万ヵ所というその「箇所付け」が省庁によって決まった瞬間、国会議員たちは省庁から示された「表」を基に競って自分の選挙区に電話をし、FAXを入れる。これこそが国会議員の「業績」なのである。

 国の補助事業を獲得したい市町村にしてみると、当該の事業を、まず都道府県の予算要求の重点項目にすべり込ませ、次に八月の概算要求の段階で各省庁の要求の中に入れ、そして各省庁と財務省の折衝で箇所付けが決まる。

 この各段階で市町村は国会議員の「お世話になる」。箇所付けが決まった瞬間に電話することによって国会議員は、自分の貢献がいかに大きかったかを実証できる。なかには役所への口利きもしていないのに自分の手柄にしてしまうちゃっかり者の議員もいる。このことは役所の方もよく心得ていて、選挙区ごとに仕分けして一覧表を議員に手渡す。

 支援した議員たちは、市町村に対し自らの系列の業者に発注するよう圧力をかける。業者は国会議員に時期を違え「上納金」を差し出す。その金額は、請負額の三%とも五%ともいわれている。 上納金だけでなく建設業者たちは、選挙のたびに集票でも議員に貢献する。大は全国レベルのゼネコンから小は個人経営の零細な土建業者まで、「われわれの営業は政治」と口をそろえる。どのレベルの土建業者も、厳しい価格競争がある民需だけではやっていけない。価格査定が甘く、しかも競争のない談合の世界である官需こそが儲けを支える。これこそ利権政治の構図である。

 地方で金持ちになり、よい暮らしをするにはどうすればよいか。農業団体でのし上がるか、与党の政治家とつき合って献金することだ。土木なら公共事業農畜産業なら補助金がある。こうして“名士”となった人は数知れないし、権勢を誇った政治家も枚挙に暇がない。こうした白アリたちを繁殖させた政治が、日本を潰してしまったのである。

 国民の立場からすれば、数万にのぼる中央省庁の補助金査定などまったく不要である。徴税も予算編成も、はじめから地方のものとすればよく、地方の細かな事業は市町村や民間法人に自由にやらせればいい。そうすれば、多くの不要な事業は行われなくなる。政治家の省庁への「顔」も不要になるから、莫大な利権と無駄遣いが消える。政治と行政はすっきりする。「官公需政治」という長らく続いている日本の政治システムを崩すには、「地方分権」という革命が必要になる。分権のかけ声だけは大きくなっているが、実効のある分権は、けっして行われない。その背景には土建屋政治と補助金でできあがった既得権益があるのだ



 土地改良予算は政治家に流れる
 土地改良区には必ず政治団体が付いている。改良区の構成員たちが「○○県土地連政治連盟」と名乗る政治団体、「土政連」を組織するのである。これが都道府県段階では「県土連」を、全国レベルでは「全土連」を組織していることはすでに述べた。

 この土政連が、年間一兆数千億円の土地改良予算の一部を政党や政治家が吸い取るパイプ役となる。他の公共事業とともにそれを受けた業者から、政治家たちが吸血鬼のようにピンバネする。農業予算は農家に行くのではなく、実際は土建業者、天下り官僚、政治家の三者が山分けしているのである。

 全国各地の土政連はまた、自民党への入党活動や党費肩代わり、政治団体への会費納入を行っている。このことは平成七年から私が国会で明らかにしてきたことだ。 土政連は、国の予算で運営されている土地改良のおカネを迂回して政治に回す団体であるが、迂回さえもさせずに、直接、全国の土地改良区が特定の政党の党費を支払っていたり、政治団体におカネを回していたことも判明した。

 二〇〇一年四月、私たちの追及に対して農水省はこの実態を調査し、「土地改良法違反」であることを正式に認めた。私は同僚三名の衆議院議員とともに「業務上横領罪」で東京地検などに告発したのである。

 私の別の調査では、農業土木族の国会議員がこうした公金を公然と受けとっていた。埼玉県土連の会長を務めている三ツ林弥太郎前衆院議員は、平成八年度だけで県土連から四五一万円、葛西用水路改良区(理事長を務めている)から三一四万円、庄内古川悪水路改良区(理事長を務めている)から八四万円の計八四九万余円を受けている。国会議員の収支報告などで表に出ている分だけでこの有様なのだ。

 浦田勝参院議員(熊本県)や鹿熊安正参院議員(富山県)、石橋一弥衆院議員(千葉県)、青木幹雄参院議員(島根県、小渕恵三改造内閣の官房長官)、農水省OBの須藤良太郎参院議員などもこの面で繋がりの強い議員たちである。 こうした報酬とは別に、土政連は多数の政治家に政治献金を行っている。たとえば須藤良太郎氏の場合は二〇〇〇万円(平成六年)を受けている。

 土地改良予算は平成五年度から一四年度までの九力年計画で四一兆円規模となっている。これら土地改良事業を推進するのが、農水省の技官である。技官は研究職まで含めると六〇〇〇人以上おり、土地改良、潅漑排水、開墾、干拓、圃場整備、農業用ダムなどの設計・審査・技術指導・監督などの権限を持つ。受注先の企業にとって絶対に逆らえない存在で、「神様」と呼ばれている。

 大手ゼネコンから中小コンサルタント会社まで、関連業界への天下りは二〇〇〇人以上(ノンキャリを含む)といわれる。平成五年のゼネコン汚職事件のとき、事務官の農水省首脳は「建設業界への天下りは自粛する」と語ったが、天下りの実態の説明を報道関係から求められると、「五階(構造改善局)に聞いてくれ」と述べたという。結局、天下り自粛など実行されていない。要するに、構造改善局(現・農村振興局) には事務官は関与できないのだ。

 巨額の予算を握る技官たちは、補助金行政と政敵家対応のプロである。予算の箇所づけのさい、「はがし」という細かい芸当をもちいる。 事実上決まっている政府案のうち、あらかじめ一部の事業を書き込まずに削っておいて、政治家が地元代表を引き連れて財務省に陳情すれば「復活」するというものだ。政治家に花を持たせる場面を用意しておくのである。こうして官僚たちは族議員を手なずける。

 構造改善局の予算はほとんどが、OBの天下り先となっているコンサルタント会社や建設会社に流れる。私が関東農政局について調査したところ、天下り企業への発注率は九割以上だった。天下りの受け入れを減らした企業には、パタッと仕事が来なくなる。それは 「見事なものだ」と多くのゼネコン関係者が証言するほど徹底されている。

 毎年一兆二〇〇〇億円にのぼる構造改善局予算を自由に動かすのは、全土連を中心にした政・官・業連合の集団である。そのボスが元参院議員で全土連会長を務める“土地改良のドン”梶木又三氏だ。 梶木氏こそ、農水省技官OB参院議員の草分けである。京都帝大農学部農林工学科を出て農林省に入り、農地局建設部長で退官。昭和四六年の参院選で当選し、参院議員を三期つとめた。環境庁長官などを経て自民党参院幹事長となり、平成元年の参院選を機に引退した。

 その辣腕(らつわん)ぶりを示すものが、全国土地改良資金協会の存在である。梶木氏引退の翌平成二年に設立され、梶木氏が理事長に就任した。基本財産は一億円で、農水省と全土連が五〇〇〇万円ずつ拠出した。農水省からは別に平成六年度までに一〇〇〇億円が支出され、三年度までにさらに一〇〇〇億円出された。

 この団体の主たる目的は、「土地改良区を支援すること」である。いってみれば、公共事業のお先棒を担いでくれている単位土地改良区に対して、利子補給などの形でお駄賃をやるのである。土地改良などの農業公共事業は、表向き「受益者負担」の形をとっているが、その受益者負担分についてはこの利子補給などで面倒を見ているのだ。完全な二重払いである。 そうでもしなければ、公共事業は維持できない。「受益者」とされる農家は、その負担分の借金にあえいでおり、新しい負担など引き受けようとしないからだ。農家を無理やり受益者に仕立て上げて公共事業を維持するのが、この資金協会の役割である。まるで「やらせ」だ。農業公共事業は、しょせん政治と役所の都合で行われる“狡凶(こうきょう)”事業であることを証明している。

 資金協会の常勤役員である専務理事は農水省の天下りである。



 生産性向上に役立たない農業構造改善事業
 全土連と単位土地改良区をつなぐ(県)土連の会長には、農水系国会議員や県議、知事などが据わっている例も多い。(県)土連は単位改良区から事業実績に応じた賦課金を徴収する。

 土連の仕事は、改良区への技術指導との建て前であるが、実際には建設および維持・補修のコンサルタント業務が主である。市町村の改良区から事業の設計委託が回ってくる。土連は、適当な建設コンサルタントを選び、設計・工事を丸投げ発注する。丸投げする対象となる建設コンサルタントは、なれ合いの構図で決まっていくことはいうまでもない。

 土連と密接な関係にあるのが、(社)土地改良建設業協会である。名前の通り、土地改良事業と関係の深い土建業者の団体で、両者が組んですべてを仕切るため、協会に入っている業者以外にはまず仕事は与えられない。

 工事が分配され予算が業者に渡った段階で、土政連の出番となる。各業者の公共工事契約実績に合わせて寄付を集めるのだ。業者の差し出す寄付金は当然受注の見返りである。公共事業の見積もりは甘いから、寄付金を「上納」しても十分儲かる。また「上納」しなければ来年度の予算は保証されないのである。この寄付金は、経理上使途不明金として処理される。 土政連、土連に寄付を出す業者は、都道府県、市町村レベルの農業土木関係職員の天下り先でもある。こうして都道府県・市町村段階の自治体もまた、「中央」と同様の官尊民卑体質にはまっていく。

 農業振興、農地保全の名目で税金がこのように使われ、世界一コストの高い農地事業を生んでいる。他方、農家には受益者負担が背負わされる。改良事業・整備事業の農家負担は三〇〇坪(一反歩=一〇〇〇平方メートル)あたり七万円から二五万円だといわれる。そこで最近では 「農地事業を正規にやると高くつく」と、農家が個人で事業を発注するケースが増えているという。

 国道や県道で十分な地域に、立派な農道が延々と走っている。公共下水道のすぐ隣に、並行して農業用の排水施設が作られる。これらは重複した投資であって、典型的な無駄である。さらには利用価値のない農道空港が各所に建設されている。結局、農業構造改善事業は、政治家・官僚・土建業者以外、誰のためにもなっていないのである。

 農産物の輸入自由化の波を受けて、日本の農業は大きな変革を迫られている。どの分野でも、競争力が強く、経営基盤が安定した、自立した農家を育てなければならないはずだ。それなのに農水省は、農業生産のコストを上げ、農家を生かさず殺さずの状態にしておいて、補助金の鎖で縛りつける政策をとっている。なぜか。それこそが、官僚機構と政治家の生き延びる道だからである。

 その典型がコメの減反政策である。都市近郊農家もコメどころも、丹精して美味いコメを作ろうと努力している農家も、会社勤務の片手間に「休日農業」でコメを作っている農家も、すべて一律に減反を課し、その見返りに補助金を支給する。こんなことが、日本のコメ農業の未来につながらないことは、子どもでもわかる。



新橋の天下御免の政官業伏魔殿
 東京都港区新橋五ノ三四ノ四に、農業土木会館という五階建てのビルがある。表札が出ている部屋は一部で、表札のない部屋も多い。 表札が出ているのは、土地改良建設協会(社団法人)、全国土地改良政治連盟(政治団体)、土地改良人自由国民会議(政治団体)、土地改良測量設計技術協会(社団法人)、農業土木事業協会(社団法人)、農業土木機械化協会(社団法人)、日本農業土木コンサルタンツ(株式会社)、農業農村整備情報総合センター(社団法人)、海外農業開発コンサルタンツ(社団法人)などだ。ほとんど農業利権にからんだ団体で、この薄汚いビルは天下御免の「政官業伏魔殿」といえる。

 私はこれらの団体間の金の流れを調べてみた。以下に書くのは旧自治省に届けられた分だけだから、実際に裏で還流している使途不明金は計り知れない。

 全国土地改良政治連盟の平成七年度の収支報告書によれば、収入は一億一六八二万円(うち七年度に受け入れた収入は五五八四万円)。その内訳は、全国五四の土地改良政治連盟から各三〇万円ずつなどで一六五〇万円。個人会員からの会費が二六〇八万円などとなっている。支出の部では、全国一五三の土地改良政治連盟に、それぞれ一〇万円から五〇万円ずつ配られている。

 次に、土地改良人自由国民会議の政治資金収支報告書を調べてみる。平成七年度収入は六四二四万円(前年度繰り越しを含め七〇〇〇万円)。妙なことに、この収入の大部分に当たる六四二〇万八〇〇〇円が、自由民主党の政治資金団体である自由国民会議から入っている。そのうち約二二〇〇万円が、全国土地改良政治連盟(一二一四万円)、宮崎県農業農村建設政治連盟(三八〇万円)、自由民主党福岡県土地改良支部(一七四万円)、自由民主党岩手県土地改良支部(一三九万二〇〇〇円)などに配られている。

 カネの流れは、きわめて複雑だ。土地改良人自由国民会議という団体は事務経費ゼロ。どうやら自民党の政治資金団体から金を受け取って、地方の自民党「土地連」一家に配っているトンネル団体のようだ。 さらに妙なことが出てきた。全国土地改良政治連盟の前述以外の支出である四五一三万六〇〇〇円は、自由国民会議への立替金とされている。ところが、自由国民会議の収支報告書にはこれについて影も形も出てこない

 自由国民会議からの収入として記載されている六四二〇万八〇〇〇円のうち、四五一三万六〇〇〇円が未収であるということが考えられる。かりに、その未収分を立て替えという形で計上したとしても、自由国民会議の収支報告には、実際に支払った金額と立て替えてもらった金額が計上されなければならないはずだ。しかし、その計上もなされていない。今日に至るも修正もされてい
ない。四五一三万六〇〇〇円がどこかに消えてしまっているのである。旧自治省も、私の国会での追及に違法の疑いを認めた。

 冒頭に述べたように、農水省は参院選の比例区で事務官と技官の二人を当選させてきた。ところが、平成一〇年の参院選で「異変」が起きた。恒例となっていた事務官のトップ、次官経験者の立候補が実現しなかったのである。原因は、その六年前の平成四年選挙のさいの名簿順位が、岡部氏五位、大河原氏一〇位と、それまでとは逆転したことにあるといわれている。

 このことが事務官のプライドを傷つけた。大河原氏は平成六年に成立した村山富市内閣の農相に起用されたほどの大物だ。その大河原氏が、構造改善局次長にすぎなかった岡部氏の後塵を拝することに、事務官たちは我慢ができなかったに違いない。このため後継者選びは難航した。

 大河原氏が引退を表明し、何人かの候補者が浮上したが、いつの間にか消えた。迷走を続けた揚げ句、元農水省農蚕園芸局長の日出英輔氏に落ち着いたが、次官を出す伝統は絶たれてしまった。こうした事務官の自民党に対する抵抗をよそ目に、技官の方は早々と後継者を決めていた。技官トップの構造改善局次長だった佐藤昭郎氏である。自民党候補者名簿の順位は、佐藤氏八位で、
日出氏は九位。この選挙でも技官は事務官に勝った。この技官の勝利こそ、農業土木をめぐる政官業癒着が健在であることを示している。



 農地拡大のご褒美としてもらった夢の橋

 補助金を受けるために求められるのは、基本的には官僚への忠誠心である。ここで、官僚への忠義だてによって生まれた想像もできないようなケースを一つ紹介しょう。とは言っても無数にある類似のケースの中のひとつで、これだけを採りあげるのははばかられるのだが……。それは鹿児島県最北端の東町にかかった伊唐大橋である。

 東町は、八代海(不知火海)に浮かぶ一八の島々で構成される島の町で、町役場は長島にある。伊唐島は、長島の北東に浮かぶ面積約三七〇ヘクタール、周囲一八キロの小島で、約一二〇戸、三〇〇人が住んでいる。じゃがいもの産地として知られ、東京や大阪にも出荷している。 伊唐大橋は全長六七五メートルで、平成八年八月に開通した。着工以来、六年かけ、総工費は一二三億円にのぼった。つまり、伊唐島の住民一世帯につき一億円以上のカネが注ぎ込まれた計算になる。東町も鹿児島県も財政が豊かなわけではない。それなのにどうして、この橋が架かったのだろうか。

 建造費の内訳は、国が五〇%、県が約四九%、町は約一%となっている。県はその拠出額の九五%について地方債を発行した。つまり、大半を借金で賄ったのである。その借金の元利返済額の八割は、地方交付税があてられる。地方交付税は本来、一定の配分方式で地方自治体に配分する金だから、すべての都道府県・市町村が少額ずつ損をしていることになる。その分、鹿児島県は得をしたことになる。

 橋の紹介看板には「農林漁業用揮発油税財源振替農道整備事業」とある。揮発油税(ガソリン税)は本来、旧建設省所管の特定財源として道路特会に入れられる。しかし、農水省はその一部は農機具用ガソリンからの税収だとして、農家に還元すると主張。その分の使途は農水省が決めることになったという経緯がある。

 地方交付税、特会など、財政のからくりをフルに利用して、この「夢の橋」ができた。通行量は、計画段階では一日五〇〇~一五〇〇台とされていたが、開通後の実測では、平均三〇〇台程度しかない。一時間に一二台強、五分に一台が通るだけということになる。

 東町が伊唐大橋をかけたいと陳情し始めたのは一九七〇年代だった。一九八〇年代に入ると、橋を架けるには「農道橋」しかないと、陳情の対象を農水省に絞った。すると、農水省の側から、島の農地を増やせば「農産物を運ぶ橋」として説得材料になるという示唆があった。 東町は伊唐島の農家に、橋を架けるための農地拡大を呼びかけた。当初は三割が反対だった。「橋はありがたいが、労力と金銭の負担が増える」「農地を増やされても、年寄りばかりで担い手がいない」という理由だった。

 最終的には町職員が説得に回り、全世帯に協力させた。島の農地面積は、九〇ヘクタールから一七一ヘクタールへと、倍近くに拡大した。伊唐島の住民は、農業を見捨てず、逆に農地を拡大した。農水省という「お上」に忠実だったのである。そのご褒美として、農道橋というプレゼントをもらったのだ。

 旧国土庁は平成一〇年、全国の離島架橋の投資効果を分厚いリポートにまとめたが、その中に伊唐大橋の利点も強調されている。「島の農地面積は、造成前の九〇ヘクタールと合わせて一七一ヘクタールとなりほぼ一〇〇%作付けされている」という記述だ。橋をかけさせるための戦術が、逆に橋によるメリットとされているのである。

 平成七年には、東町の女子高生が、橋の建造が進んでいることに感謝する作文を書き、国税庁の「税を知る週間」作文コンクールに応募した。そして、「一本の橋が欲しい。国民の方々が納めてくださった税金のおかげで、伊唐島の人の生活は必ず変わります」という文章で国税庁長官賞を射止めた。

 こうして「夢の橋」伊唐大橋を肯定する神話がどんどん作られていくのである。

第一章 第三節 ここまで 第一章ここまで。次は第二章
 

・ 日本が自滅する日 第1章第3節 管制経済を支える”闇予算”財投

2015-05-16 00:37:41 | 石井紘基


官僚が国会の議決を得ずに使う闇予算・・・・・年金のスタートはもともと積立方式でスタートしており、世代間の人口構成がどのように代ろうとも、決して破たんしない仕組みであった。しかし、1970年代から好き放題に使い始め、最終的に支払いが出来なくなる時は賦課方式にしてしまえ・・・というのが元厚生省年金課長 花沢武夫が考え出した悪知恵ですね。そのことは「厚生年金保険制度回顧録」に書かれています。その後も、集め続けた年金も、「国債買い切りオペ」に使われ何にもなくなっているようです。これじゃ、積立金は無いので賦課方式と言わざるを得ない・・・・完全に詐欺の世界ですね・・・・
以下、阿修羅さんのブログより、刺殺された石井紘基氏の「日本が自滅する日」の第1章第3節を転載します。



第一章 利権財政の御三家―特別会計、財投、補助金


第三節 官制経済を支える“闇予算”財投

 「財投」は「特会」「特殊法人」と不離一体
「特別会計」が“裏予算”であり財政の黒幕であるとすれば、「財政投融資計画」はその裏予算を支える“闇予算〟である。国ぐるみの投資事業(=行政ビジネス)のために大量の資金を供給する“胴元”といってよい。先進諸国には例のない特異な制度であるとともに、日本の“歪み”の根元でもある。

財投は特別会計とともに多くの特殊法人などの官企業と相互に不離一体の関係にあって政官業の一大利権体制の主な資金源となっている。しかも、特別会計と財投は、国家予算であるにもかかわらず、省庁の裁量で動くのが特徴である。

財投の原資となるのは、国民の税金の一部のほか、郵便貯金簡易保険、さらには厚生・国民年金の積立金などである。それら「国民の積立金」はいったん大蔵省の資金運用部(会計上の名称で、そういう組織があるのではない。平成一三年度から財政融資資金に名称が変わった)に繰り入れられる。その資金を社会資本の整備などのために「投融資」するというのが、教科書的な財投の定義である。財投の貸出残高は四一七兆八〇〇〇億円で、年間予算額は約四三兆円(平成一二年度)にのぼる。

過去一〇年ごとの残高をみると、財投が本格的に動き出した昭和五五年度末に九三兆七〇〇〇億円あったものが、平成二年度末で二二八兆三〇〇〇億円、平成一二度未には四一七兆八〇〇〇億円となっている。対前年比で最近の五年間を見ても、平成八年が二一兆円、平成九年が一八兆円、平成一〇年が六兆円、平成二年が一三兆円、それぞれ増加している。この結果、昭和五五年度を一としたときの平成一二年度の指数は四四・六となる。驚異的な伸びである。

財投は、特会と同様に官僚たちにとって魅力的なカネである。一般会計よりも自由に使えるからだ。“有能”な官僚たちは、財務省が所管する一般会計でなく財投や特別会計を「有効利用」しようとする。

参考までに、平成一二年度財政投融資計画を見ると、財投や特殊法人は「郵便事業」「郵便貯金」「国民年金」「簡易保険」「産業投資」「資金運用部」などの特別会計と省庁の権限を介して連動しており、補助金関係団体につながっている。たとえば国有林野事業特会は森林開発公団、都市開発資金融通特会は都市基盤整備公団、空港整備特会は空港公団、電源開発促進対策特会は電源開発、石油・エネルギー特会は石油公団といった具合で、これに財投の資金がからんでいる。さらに一般会計を加えて複雑怪奇な予算操作が行われているのである。


 複雑で無定見なシステム

財政投融資計画」は平成一二年度までは国会にもかけられなかった。一三年度からはじめてその大枠が国会に提出され審議・議決を受けることになった。しかし、財投は投資・運用(公会計と国家財政法になじまない)であるために決して「予算」とはいわない。しかも、実際には長期の投資・運用計画であるにもかかわらず、(当然のことだが)当該年度分しか議決できないという矛盾した姿になっている。

「財投」はきわめて複雑で無定見なシステムである。平成一三年度から国会提出以外にも若干制度が変更されたが、新制度に触れる前に平成一一年度末現在の概要を見ると以下の通りである。「原資(=入り口)」は大きく分けて二つある。一つ目の資金の「入り口」は、政府の「資金運用部」から入るルートである。つまり国民が預けた郵便貯金(二五五兆円)や厚生年金・国民年金の保険料(一四〇兆円)、その他(四八兆円)が、政府の「資金運用部」へ預託される。その「資金運用部」は国債の引き受け等に二五兆円を使い、残りの三二八兆余円が「財投」に入ってくる。

もう一つのルートは、国民の簡易保険積立金(二二兆円)のうち六〇兆円、国民が銀行などに預けた預金等の中から政府保証債を発行するなどして調達した二二兆円、NTTや日本たばこ産業の政府保有株配当金等の資金を運用・管理する「産業投資特別会計」の三兆円、の合計八五兆余円だ。

こうして「財政投融資計画」は、四一四兆円(平成二年度)という、とてつもない国民の金が使える巨大なサイフとなるのである。一九六〇年代以降、ブレーキや安全装置を備えなかったこの制度の下に、国民の金が定期便トラックで運び込まれたのだった。

財政投融資


「使途(=出口)」、つまり「財投」資金の“貸し出し先〟は、「政策目的」の名分で社会資本整備住宅対策地域活性化中小企業対策国際協力などを行う機関である。こうした事業はすべて諸外国では税金でやるか、または民間企業がやっていることである。対象となる機関は地方公共団体、特殊会社、公共事業”関係の九つの特別会計、それに三三の特殊法人である。「財投」 の矛盾に満ちた〝闇会計”ぶりの一部を指摘してみよう。

各年度の財政投融資計画(「予算書」)は、各機関における具体的な金の使途が示されないきわめて抽象的かつ模糊(もこ)としたものである。莫大な国民の金を使う特殊法人特殊会社予算などの財務内容も出されなければ、それらの機関に例外なく巣喰う天下り役員の給与なども公表されない。この国では、それがまかり通っている。

「財投」資金は「政策目的」に使う、ということであるが、これは詭弁(きべん)である。「財投」の当初の目的はきわめて限られた、国民生活に欠かせない基本的社会資本整備としての鉄道や少数の港と空港、国道、電力基盤などでその財政規模もきわめて限定的なものであった。

ところが、とくに一九六〇年前後から「整備法」「開発法」等の他、特殊法人などの「設置法」、予算の「措置法」という具合に次々に新たな“事業〟 のための「政策」が法定化された。

しかも、「政策」は必ずしも国会の議決がなくてもできる。そのため、閣議決定や総理決定、政省令、通達などで無節操に増やし続けた。つまり「政策」も金も“叩けば出せる打ち出の小槌”という事情の下での「政策目的」である。そんな「政策目的」に客観性や正当性があるわけがない。「財投」は「民間でできない大規模で長期の資金調達を要する事業を行う」というタテマエも、無理矢理作られた屈理屈だ。そもそも政治・権力が経済活動に進出せず、市場経済を健全な姿にしていれば、世界一、二の水準にあった日本の企業に大規模な事業ができないわけはない。大規模な経済活動が企業にはできなくて行政ならできるという理屈は、社会主義国でも通用しない

また、大量資金の長期調達も全く同じことだ。市場を離れて行政で行えるビジネスは原理的にあり得ない。「市場に固有の剰余価値である利息をあてにした行政の“投資”活動」とは論理矛盾以外の何ものでもない。げんに年金、郵貯、簡保などのこうした手法での「運用」は無惨な〝失敗”を示していて、一億二七〇〇万国民を底知れぬ将来不安に陥れていることが何よりの証左である。大失敗は決して「バブル」のせいなどではない。「財投」は「民間と競合しない」「民業を圧迫しない」、というのも方便である。これについては「財投」と不離一体の制度である「特別会計」や“公共事業”、特殊法人などとともに別の項で説明しているので、ここでは省略するが、「民間と競合しない」「圧迫しない」というのは逆説的に言えば事実である。

つまり、民間を近づけず、民間につけ入らせることがないからである。はじめから民間の上に君臨し、ひいては“市場”そのものを絶やすことになるという意味では「競合」などあり得ないのである。

「財投」は「運用益で国民の年金や貯金の利息を有利に生み出す」 - これもまた「目的」とされてきた。その結果は「将来、年金は本当に受けられるのか」という懸念を国民に生み、「貯金の利息は一〇〇万円を一年間預けて二〇〇円」にしかならない現実になっている。

それどころか、年金も郵貯も基本的に不良債権化しているのである。このまま行けば、ごく近い将来にも悲劇的事態を迎えることが確実だ。年金や郵貯から「財投」への貸出残高は鰻登りに増えているが、それはすでに“使い込み総額”といっても決して過言ではない状態になっている。

というのも、特殊法人などは、返済相当額を毎年、新たに借り入れる“サラ金地獄”に陥っているからだ。「財投」 の“使い込み”が将来返済される見込みはきわめて薄い
請求書は必ず国民に回される。そのとき「知らなかった」では済まないツケなのである。



 「財投」は市場の“疫病神”

「財投」制度の矛盾が露呈するなかで完全に行き詰まった政府は、平成一三年度から「財投」制度の仕組みを少し変更した。しかしその基本的性格や役割は同じだ。つまり、「資金運用部」という名称がなくなり、かわりに「財政融資資金」となった。これは郵貯や年金が“自主運用”となり、「資金運用部」への義務委託制が廃止されて「財投債」の引き受けに替わったことに伴うものである。「財政融資資金」は郵貯や年金、簡保の資金を直接預かる代わりに、政府保証付きの「財投債」を郵貯、年金、簡保に引き受けさせることになっただけの話である。

政府の「財政融資資金」は従来通り郵貯、年金、簡保等から資金を調達して「財政融資資金特別会計」を運営し、「財政投融資計画」を実施している。郵貯、年金も“自主運用〟になってきたとはいえ、結局はそれぞれの特別会計や特殊法人の年金資金運用基金などで周債や「財投債」を引き受けているのである。

平成一三年度当初計画の財投貸付残高は四四〇兆円、財投計画予算額は三二兆五〇〇〇億円で、平成一二年度決算額の三八兆三〇〇〇億円の一五%減となっている。しかし、減ったのは郵貯、年金などに直接「財投債」を引き受けさせることにしたからに過ぎない。借金の保証人が替わっただけだ。また、特殊法人などの財投機関が“借金” の一部を「財投機関債」という、別のかたちで調達することになったからだ。いずれにしても国民に回されるツケという意味では同じことである。

各々の特殊法人による「財投機関債」の発行は矛盾そのもので、無責任極まりない。この制度導入に当たって政府は「市場原理に則した資金調達方式」などと喧伝してきた。いわんとするところは「ダメなものなら引き受け手がつかないから自然淘汰される」というのだ。これは笑えない話である。

そもそも「市場原理」という言葉はそのように使う言葉ではない。また、国の機関であり莫大な税金を注ぎ込んできて莫大な借金を負っているものを自然淘汰とはどういうことなのか。結局、一方に「財投債」を設けて、「機関債」の引き受け手がないところに対しては「財投債」で郵貯や年金の 「国民の金」を注ぎ込むことになるのではないか。「財投機関債」など現実に引き受け手があるのが、そもそもおかしい (平成一三年度に調達の目途がついたのは必要額の約四〇分の一の一兆円程度)。その理由は次章の 「特殊法人」 の項で述べる通りである。

郵貯、年金、簡保の「国民の金」は「財投債」でますます窮地に立たされ、その上「機関債」にまで手を出そうものなら、いよいよもって特殊法人とともに沈没が目に見えてくる。「財投」は市場にとっての“疫病神〟であり、国全体を抜け出すことのできない底なし沼にはめ込んだ“怪物”なのである。



 国債買い切りオペで長期金利を下げた旧大蔵省の離れ業

ところで、本来なら財投の健全な運用を目指さなければならない旧大蔵省自身が、特殊法人や公共事業への投資以外の面においても、郵貯や年金を破綻に導くような馬鹿げた運用を行ってきた。この間題はあまり追及されていないので、以下に指摘しておこう。

この旧大蔵省の行為は「国債買い切りオペ」と呼ばれるものだ。資金運用部資金を使って国債を買い切ってしまうのである。平成八年六月に開始し、一回一〇〇〇億円ずつ毎月二回、必ず買い切りオペを実施してきた。郵貯・簡保、年金資金を原資とする巨額の資金運用部資金を持っているからこそできる離れ業だった。

そのころすでに、政府が発行する大量の国債は、市場でだぶつき気味だった。国債買い切りオペは、だぶつき気味の国債を買い支え国債価格の下落を防ぐ意味があった。

他方で国の財政政策は、景気対策のかけ声の下で、国債乱発型になろうとしていた。だぶつき気味の国債が市場で売れず、価格が下落するというのは、いわば国の財政政策に対する「市場の批判」である。買い切りオペは、この市場の批判を封じる意味があった。

債券市場の取引の実勢を反映するものとされる長期金利は、指標銘柄の国債の金利で表示される。買い切りオペによって、国債価格は上昇し、長期金利は下がった。旧大蔵省は、資金運用部資金を運用することによって、長期金利の管理まで始めたのである。

旧大蔵省が国債買い切りオペを始めた平成八年六月、日銀は公定歩合を超低金利の〇・五%から引き上げようと動いていた。大蔵省が国債買い切りオペを始めたねらいは、この日銀の動きを「粉砕」することにあったとみられている。

周知の通り公定歩合操作について旧大蔵省は、大きな影響力を持っていた。しかしこのときは「超低金利の解消」が正論であり、それを論駁できない。このため旧大蔵省は「実力」で長期金利を引き下げ、日銀の利上げを阻むという行動に出たのである。

資金運用部資金には預託金利という制度がある。預託金利とは、旧郵政省、旧厚生省が郵貯・簡保や年金を資金運用部に預託するさいの金利だ。その預託金利は、長期金利に連動して決められてきた。大蔵省の主導で利率が決められ、金主であるはずの郵政・厚生両省は、それを了承するだけというのが実態である。

こうしてみると、国債買い切りオペを実施することによって長期金利を引き下げることは、郵貯・簡保、年金資金の運用利回りを下げることに直結している。国債買い切りオペの原資は資金運用部資金であり、つまるところ郵貯・筒保、年金資金である。それを使って郵貯・簡保、年金資金の運用利回りを下げるための操作を行っていたのが旧大蔵省なのである。

平成九年四月四日付『朝日新聞』朝刊経済面に「預託金利最低の二・七%郵貯・年金、統合運用の矛盾拡大」という見出しの記事が掲載されている。詳しくは原文に当たってほしいが、要するに、預託金利が引き下げられて、年利五・五%の運用利息を稼ぎ出さなければならない年金は大変だが、郵貯の場合は黒字になっている、というのがこの記事の主旨である。しかし、郵貯の黒字というのは、単に数字の操作にすぎない。

郵貯資金の中には、平成二、三両年度に呼び込んだ巨額の定額貯金がある。このときの定額貯金の利率は三年以上の場合、年五・八八%だった。半年複利方式で利息がつくため、一〇年間預ければ年平均利回りは、税引き前で七・八五二%になる。定額貯金はこのような高金利を売り物にしてきたのである。

この記事でいう郵貯の黒字というのは、そのときどきに支払った利息しか計上しないという計算方式だから出てくる数字でしかない。この計算方式では、定額貯金の金利は、満期のときに一括計上するのである。つまり、郵貯の主力である定額貯金は、満期を迎えるときまで利息はゼロという条件で計算されているのである。それでは黒字が出ないほうがおかしい。

こんな馬鹿げた計算方式はない。定額貯金の金利は、毎年膨らんでいる分を年ごとに計上しておかなければ、郵貯の運営が健全であるかどうかがわからない。つまり、平成二、三年度に預け入れた定額貯金については、毎年七・八五二%の利息を計上しておかなければ、実態を反映した収支計算にはならないのである。

いずれにせよ巨額の定額貯金が満期を迎えた平成一二、一三両年度には、郵貯は一挙に赤字に転落。つまり政府の国債買い切りオペは、郵貯・簡保、年金をともに犠牲にし、乱発した国債と官制経済の胴元である財投の潰減を回避するという“生けにえ政策”だったのだ。

郵貯・簡保といい、年金といってもいずれも国民のカネである。国民のカネがこんなデタラメな使い方をされている。当面問題になっているのは年金財政であり、支払いの水準がどんどん切り下げられようとしている。少子化の影響でやむをえないようないい方をする専門家もいるが、とんでもない。特殊法人による年金の使い込み運用とともに政府の国債買い切りオペが大きな原因となって年金財政が破綻している。


 郵貯も額面どおりに戻らなくなる日は遠くないだろう

旧大蔵官僚が国債買い切りオペをやった理由はわからないわけではない。すでに書いたように、当時は、国債の値崩れを防ぐことが至上命題であった。銀行業界に多数の天下りを引き受けさせている旧大蔵省は、銀行の守護者でなければならない。そして政府が銀行に大量の国債を引き受けさせていることは、政府と銀行が運命共同体であることを意味している。

最近の数字でいえば、民間の銀行に保有させている国債の総額は七三兆四〇〇〇億円(平成一三年三月現在)にのぼっている。ちなみに生保も二七兆五〇〇〇億円を保有している。平成八年六月の段階で超低金利施策が放棄されたなら(国債価格が急落して)、銀行の経営は大きな困難に直面するという見方があった。旧大蔵省は銀行を守ったともいえる。それは、国債の六割を保有している政府(機関)をも同時に守ったことになる。これも、もとはといえば無責任な借金によるバラ撒き政治の結果である。国債買い切りオペはそうした国を潰す政策と政府を守り、国民を犠牲にしたといえる。

しかし、低金利、金融債和という厳しさを欠いた金融政策が続くと、どの企業もそうした経済環境にどっぷり浸かってしまう。

旧大蔵省による国債買い切りオペは平成一〇年一二月を最後に打ち切られた。一〇年末に相次いで行われた一〇年度第三次補正予算、〓年度予算の編成で、政府は景気対策のため財投をフルに活用した。このため資金運用部資金に余裕がなくなり、打ち切らざるをえなかったのである。


 民間経済の“死”を裏づける超低金利政策

政府・自民党は橋本内閣時代「財政再建最優先」を掲げながらも、巨額の赤字国債を発行した。このため市場では国債価格が下落し、長期金利は上昇に転じた。この事態に直面して政府・自民党から起こったのが、日銀による国債買い切りオペの実施論だった。「長期金利が上がると経済に悪影響を及ぼす。そうした事態を未然に防止するのが日銀の役割だ」というわけである。

中央銀行の国債引き受けというのは、どの国でも戦時経済で行われたパターンであった。戦費調達のため、国は国債を発行する。それを買うのは中央銀行である。こういうことになれば、政府予算は制約がなくなり、糸の切れたタコのように財政の節度が失われ、円の価値が下落する。中央銀行は無限に紙幣を印刷、発行する。すさまじいインフレになり、経済は壊滅状態に陥る。

よく知られたケースが、第一次世界大戦後のドイツであり、第二次世界大戦前後の日本であった。日本ではそういう苦い経験があって、財政法(第五条)により国債の日銀引き受けは禁止されたのだ。

そのため、抜け道としてとられた手段は、いったん市中銀行を通して買うという手法だった。この方法は今でも続けられ、政府の“たれ流し財政”に貢献している。

脆弱(ぜいじゃく)になった日本経済に対して日銀が現実にとったのは「ゼロ金利政策」だった。日銀が自発的にとったというよりも、強いられたといったほうが適切だろう。平成二年二月、短期金利の誘導目標を〇・一五%とし、その後もいっそう低下を促していくと宣言したのである。銀行間取引のコール市場にどんどん資金を流し続けるから、そこからあふれ出た資金は債券市場にも流出する。だから長期金利上昇は防止されるという理屈だった。

この時期、日本の長期金利が上昇したといっても、最高が平成一〇年一二月末の二・〇一%であった。米金融市場は、ブラジル経済への不安とともに資金を安全な投資先とみられる米債券に移し替える動きが活発になって国債相場が急上昇(長期金利は急落)した二年一月二二日でも、五・一二%だった。

つまり日本経済は、二%の長期金利でもやっていけないほど、脆弱なものとなってしまった。その脆弱さは、公定歩合が指標となる短期金利も長期金利もともに低いという「双子の超低金利」が定着することによってもたらされたのである。

もちろん公定歩合の決定権をもつ日銀には責任がある。また、金融政策の全体をとり仕切ったのは旧大蔵省だ。私がいいたいのは(旧大蔵省の肩を持つ訳ではないが)個々の局面における政策判断もさることながら、深層深部の問題として、わが国には「市場」の機能そのものが失われており、またそのことに対する問題意識が決定的に欠落していることである。つまり、資本の拡大再生産がない官制経済の下では、「利息」が生まれるまでに経済は活性化しないのだ。

双子の超低金利政策はいかなる意味を持つだろうか。明白なのは、それがどういう結果をもたらすかわからない生体実験だということである。公定歩合〇・五%などという例は先進国を見渡しても皆無である。中央銀行制度を持っている国では、どんなに探しても見つからないだろう。それどころか、平成一三年九月一九日から、ついに〇・一%になってしまった。

長期金利の歴史的低水準の記録は、最近では第二次大戦中の昭和一六年のアメリカだった。財務省長期証券の金利が1.85%まで下がった。しかし、これは特異現象である。第二次大戦を前にルーズベルト大統領が非常事態を宣言していた時期に起きた例外的な記録である。世界大恐慌に見舞われていた一九三〇年代のアメリカでも、せいぜいのところ二%台後半までの下落だった。

国民経済は、躍動する生き物である。その生体の中を流れるのが金=マネーであり、人体の血液に相当する。そのマネーの流れは、金利によって左右される・・・・。こう考えると、前例のない金利政策をとる(とらざるを得ない)ということは、まさに生体実験なのである。

平成一三年暮れの時点で、公定歩合〇・五%となってから六年を経、国債買い切りオペが実施されてから五年半になる。その間に日本経済は、すっかり「双子の超低金利」というぬるま湯に浸かり切ってしまった。

長期金利、公定歩合とも五%前後という普通の経済環境に戻ることさえできない体質になってしまったのである。民間経済の活力が死んでしまった。これこそ、とどのつまり……官制経済ご臨終の姿である。



・ 日本が自滅する日 第1章第2節 究極の“裏帳簿”特別会計

2015-05-05 11:11:00 | 石井紘基


石井紘基氏が国会議員の持つ調査権を駆使して調べ著書にしたした中の「特別会計」について書かれているものです。国会で承認されるのは一般家計だけで、実態はその4倍ほどの裏帳簿があります。この裏帳簿は官僚が国会の承認なしに好き放題に使えるもので、一般会計の半分以上もこの特別会計に組み入れらています。
昨年、特定秘密保護法案を決め、各省庁が勝手に指定していますが、多くは国家の安全の守るものではなく、官僚・政治屋の都合の悪い実態を調べられないように隠すものでしょう・・・・・あくどいですね。
以下、阿修羅さんのブログより転載します。



日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569614140/asyuracom-22

第一章 利権財政の御三家―特別会計、財投、補助金

第二節 究極の“裏帳簿”特別会計


 闇の世界で三三〇兆円を動かす特別会計
現在ある特別会計を網羅したのが図表1-7である。特定の事業を行う「事業会計」が一〇、特殊な保険を管理する「保険会計」が十一、特定のものの管理や需給調整を行う「管理会計」が八、など合計三八もある。

このうち、とくに公共事業関係の特別会計に問題が多い。国営土地改良事業特別会計、港湾整備特別会計、空港整備特別会計、道路整備特別会計、治水特別会計の五つが代表的である。

特別会計一覧

これら三八ある特会の予算規模の合計額の推移を図表1-8に示した。いまや年間予算規模は三三六兆円で、一般会計のちょうど四倍である。しかも「一般会計」の過半は特別会計に入ってしまぅのだから、何といっても国の予算の黒幕はまさに「特別会計」なのだ。ということは、わが国の財政制度は国民の福祉のための財政ではなく、憲法に違反する政府の投資事業、すなわち官制経済のための会計が主体となっているといえるのである。

特別会計の予算額


「国の予算」というと一般会計と思われているのが通常で、特別会計(以下、特会と略称)といってもその存在すら意識しない人が大半かもしれない。しかし特会に投入される税は、国民誰もが支払っている。五一兆円を超える一般会計からの繰り入れを別にしても、クルマに乗る人は揮発油(ガソリン)税軽油引取税を、電気を使う人は電源開発促進税を、石油を使う人は石油税等を払う。

図表1-9に示したように、これらを含め九種類の税金は一般会計を素通りして (一部はいったんくぐつてから)特会に入れられる。また、会社に勤める人が納める雇用保険労災保険、さらには国民の年金保険料郵便貯金健康保険電信電話の株式売却益なども特会の財源となる。

特別会計に投入される特定財源


マスコミも特会や財投についてあまり報道しようとしない。政府は「知らしむべからず」で、詳細な内容を示したがらない。マスコミは調査に手間がかかるし、それぞれ複雑な仕組みなので、読者・視聴者に説明しにくい。マスコミが報道しないのにはじつは記者クラブ制も影響している。特別会計の実態を探ることは省庁の権益を傷つけることになり、官僚からの情報に依存している新聞社などにとっては自殺行為にもなりかねないからである。しかし実際には財投や特会、それに特殊法人予算など「隠された大きな財布」を見なければ、税金の使われ方はわからない。

特会が大規模なものになるのには理由がある。特会は財投と同様、基本的に各省庁が予算編成権を持っているので、省庁の自由裁量で事業予算を決めることができる。そのため、特会を持っている省庁は、お手盛りで予算を膨らまそうとするのである。

他方、政治的公共事業や官営ビジネスが増えすぎて、一般会計では到底合理性を貫くことができない規模になっている。そこで国民の監視の目が光っている一般会計については一見もっともらしくカムフラージュし、本体は特別会計に隠蔽(いんぺい)するという形になる。意外に知られていないことだが、国家公務員の五割以上は特会から給与をもらっている。これも一般会計をきれいに見せようというつまらない見栄か、あるいは官僚ビジネスの人件費を公然と一般会計から受け取りにくいので裏帳簿にしたのか。いずれにしても釈然としない。



 逆マネーロンダリング、一般会計予算の大半は特会へ
「マネーロンダリング」とは、麻薬売買など犯罪で儲けた汚いカネをきれいなものに見せかけるための「洗浄」行為をいう。日本の財政では、それと逆のような操作が行われている。税金や社会保険料として集めたお金が「きれいなカネ」であることはいうまでもない。それを使うにあたって、その大半を特別会計という裏帳簿に入れる。つまり税や保険料の大半を、見えない裏帳簿に入れ、「汚染」させて使うのである。

これを平成一一年度の予算でみると、なんと一般会計の七割を特別会計に繰り入れた。一般会計予算は八一兆八六〇〇億円であった。そのうち特別会計を通して使われた五八兆円の内訳は国債償還費二〇兆円、前年度不足分一兆六〇〇〇億円、地方交付金一三兆五〇〇〇億円、公共事業費九兆八〇〇〇億円、社会保障等の補助金一六兆円のうちの一三兆円、などとなっている。

いったん特会のトンネルをくぐった公共事業費、社会保障費などは、大部分が補助金の形で地方公共団体や特殊法人、公益法人などを通して業者へと流れていく。それらの経路はすべてにおいて政治家とつながっており、金の流れは本流から傍流へ、傍流から支流へと消え去っていく。

なお、特会を通らない補助金もあり、これは各省庁から直接に特殊法人、公益法人、業界団体へと配られる。一部は直接業者に行くが、いずれも政治献金と天下りがつきものであることに変わりはない。

以下、いくつかの特会について、実際の運用がどうなっているのかを詳しく見ることにする。特会がいかに利権の温床として重要な役割を果たしているかが明らかとなろう。



 利権の巣窟 - 道路特別会計
道路整備特別会計は、高規格道路と国道・県道など一般道路整備事業を扱うものとされている。財源の中心となるのはガソリン税(揮発油税)である。

道路特会をめぐるカネの流れをまとめたのが図表1-10である。ガソリン税、軽油引取税などの特定財源を四つのルートに分けて、また一つの所に集めるという奇妙な仕組みをとっていることがわかる。

ガソリン税収は年間三兆円弱で、その四分の一が直接、道路特会に入る。残りの四分の三はさらに二ルートに分かれる。いったん一般会計に入れ、そこから道路特会へ入るのが一つ。もう一つは交付税特会に入ってから一般会計経由で道路特会に入る。石油ガス税もガソリン税とは別に二分割で道路特会に入る。さらに軽油引取税、自動車取得税、自動車重量税が道路事業に使われる。NTT株売却益を使った産業投資特別会計からの無利子融資もこの特会に入る。

目的税としてのガソリン税などと道路特会がある限り、道路整備事業は自動的に、無限に続いていく仕組みになっているわけだ。道路特会の予算規模は四兆四七六〇億円だが、中には受託工事や附帯工事費、貸付け・償還といった「通り抜け」経費もあるから、実質規模は約四兆二〇〇〇億円である。この予算はどう使われているのか。

一部は特殊法人である日本道路公団等への出資金、利子補給金に当てられている。高速道路事業を中心とする道路公団とファミリー企業群は利権の巣窟といわれている。他は道路建設費などに支出されるが、地方公共団体を通して回っている金が建設地点でドッキングし、道路事業関係のゼネコンを中心とした業界団体から公益法人、第三セクター、政治団体へと連結している。道路予算全体は、この他に道路公団、地方事業分など併せて年間一三兆円の巨額にのぼる。これが、土建業界と政治家を潤わせる。

誰かが潤っているということは、誰かがその分を負担しているということだが、いうまでもなく、ガソリン税などを納めている国民全員の負担である。この負担は結局、運輸、流通、製造など多くの産業分野にかかってくる。すなわち、これらの産業で使うガソリン代や通行料などが、世界に類例のない高価格のものとして直接国民生活に跳ね返る。他方では、高いガソリンは生計費を押し上げるから、従業員の給与水準も引き上げなければならず、それが物価に反映されるという側面もある。

つまり、ガソリン税を道路の特定財源とするシステムによって、政治屋と官庁の天下りだけが潤い、政治系土木業者が喰いつなぎ、それ以外のすべての産業が犠牲をはらうという構図になっている。これが日本経済全体にとって大きなデメリットになっていることはいうまでもない。

日本が貧しかった時代、確かに基礎的社会資本は生産性の向上に役立った。しかしいまや社会資本も高い水準に達した。とりわけ日本的利権構造の下では、政府が行う社会資本整備はむしろ極端に経済的社会的コストを高進させてしまう。わが国の国土面積当たりの道路延長は、アメリカの一七倍、ドイツの一・七倍である。高規格道路のみで比較すると、ドイツに次いで第二位となっている。日本は国土の三分の二が山地なのだから実質ドイツ以上である。

わが国で道路整備に使われる予算額は、平成一二年度で約一三兆円というべらぼうな数字である。ちなみに一キロあたり建設費の単価は、首都高速道路で一〇〇〇億円、東京湾横断道で九五〇億円となっている。山の中の高速道路でも一〇〇億~二〇〇億である。日本の高速道路は、カネを敷きつめているベルトだといってもいい。



 税金をたれ流す ― 石油特別会計
石油特別会計の正式名称は「石炭並びに石油及びエネルギー需給構造高度化対策特別会計」である。通常石油特会と呼ばれるこの会計は、そもそも昭和四二年に原重油関税を特定財源とする「石炭対策特別会計」として発足した。「石炭対策の緊急性」を旗印に、炭鉱労働者の離職対策を目的とするという看板だったが、同時に石油開発公団(現・石油公団)も設立した。

その後、昭和四七年に「石炭及び石油特別会計」に名称変更し、平成五年の法改正で、現在の名称になった。この間、昭和五三年には財源として石油税を創設、昭和五五年には石油代替エネルギー開発を、平成五年には省エネ対策を、それぞれ目的に追加した。

 石油特会にからむカネの流れを描いたのが図表1-11である。
石油特会


石油税は年間約五〇〇〇億円で、一般会計を経て石油特会に入る。原油、灯油、重油、軽油、ガソリン等にかかる税も、他の特別会計に入る分を除いて石油特会に入る。特会の支出は年間約七五〇〇億円だが、ほとんどが補助金として、公益法人、企業などに流れていく。支出の半額の三六三〇億円が特殊法人である石油公団に与えられるのが、この特会の大きな特徴である。

石油特会と密接に連動する石油公団については第二章第三節で述べるが、石油特会は石油公団の乱脈経理を国民の目から遮蔽するための隠れ蓑(みの)であるだけではない。八〇年代以降、新たに広がった「エネルギー需給構造高度化」や「産業体制整備」などの名目で出している補助金二二五〇億円は四八の公益法人に配られている。大きいところでは、全国石油協会や日本アスファルト協会、日本エルピーガス連合会、日本ガス協会、セメント協会などの業界団体への調査委託費(石油協会は一八〇億円など) がある。

ここで税金を使う目的は、旧通産省と政治家による業界支配である。民間を隷属化させる行政であり、これでは民間産業の活力が死滅してしまう。民間産業は競争の世界であり、競争が活力の源泉なのである。同一業種の企業を集めて業界団体を作り、政官業の仲良しクラブとなって競争を止める。しかも「官」からの補助金に頼って、官に支配される。こんなことでは、日本経済の活力はどんどん失われていく。


 業界支配のための ― 港湾整備特別会計
港湾整備特別会計が扱っている事業額は平成一三年度予算で四五八八億円である。歳入の主なものは、一般会計からの受け入れが三四〇二億円、その他は港湾管理者(地方公共団体など)からの工事費負担金と受益者工事負担金、受託工事費納入金、償還金などとなっている。歳出の主なものは、建設事業費が四一〇四億円で、その他は受託工事費、工事諸費などだ。

国土交通省には港湾局と港湾技術研究所があり、全国に五つの港湾建設局四三の工事事務所開発建設部港湾建設事務所(二〇ヵ所)などが配置されている。港湾局が支配している系列公益法人は社団法人(以下、(社)と略す)日本港湾協会、(社)日本埋立浚渫(しゅんせつ)協会、(社)日本作業船協会など三二団体がある。

さらに、旧運輸省のウォーターフロント事業展開の中でも、関連営利事業のため、無数の行政系列の株式会社が作られてきた(第三章第二節参照)。これらの公益法人を含む行政企業群が政治家への“財布”として、また集票マシンとして重要な地位を占めていることはいうまでもない。

図表1・12 港湾整備特会をめぐるカネの流れ(平成13年度予算) (単位:億円)
港湾整備特会




 壮大なムダ ― 空港整備特別会計
図表1-13は空港整備特会をめぐるカネの動きを描いたものである。特会らしい収入は空港使用料と航空機燃料税の一部で、特会全体の三分の二程度にすぎない。一般会計と財投からのカネを受け入れるためのものという性格が強いのは、すでにみた道路、石油などの特会と共通している。平成三一年度の財政融資資金からの借り入れは五〇二億円で借入残高は九九〇〇億円に膨らんだ。新東京国際空港公団と関西国際空港会社に五一四億円の補助金などを出している。その他の支出は地方にある空港のための補助等である。

この特別会計の中で目立つのは、関西国際空港会社とともに新東京国際空港公団の壮大なムダである。もともと佐藤首相は、茨城県潮来町出身の佐藤派幹部、橋本登美三郎氏(運輸相、自民党幹事長など歴任、ロッキード事件で有罪判決を受ける)に「新しい国際空港を作るから、利根川沿いに候補地を検討しておいてくれ」といっていた。しかし、昭和四三年、佐藤三選の総裁選(当時は党大会で実施)で三木武夫、前尾繁三郎両氏と争うことになり、川島正次郎氏の支持が必要になった。このため新空港を川島氏の選挙区内とすることになったのである。

このことは石原慎太郎氏が著書『国家なる幻影―わが政治への反回想』(文藝春秋)で、橋本氏から直接聞いた話として明らかにしている。それだけでなく、川島氏の当初の構想は成田市の隣の富里町を候補地とするものだったが、それが不可能となったために成田市三里塚になったのである。要するに新空港を利権がらみでしかみない政治家の動きが、成田空港建設の混迷をもたらしたということだ。

成田空港を管理するのは新東京国際空港公団で、空港は昭和五三年に開港したが、いまだに第二滑走路もできず、世界一着陸料が高く都心から遠い空港として有名だ。建設費のうち収入で賄い切れない分の二割を政府が出資金として補助し、残りは借入金として積み上がっている。関西国際空港公団と合わせた二公団の現在の財投からの借入金残高は特会とは別に七三二五億円(平成一二年度末)となっている。

韓国・仁川、中国・上海、香港、タイ・第二バンコク、シンガポール・チャンギ、マレーシア・クアラルンプールなど次々に建設されるアジア諸国の国際ハブ空港化の中で、取り残されたわが国空港の国際的地位と役割を回復するためにも、航空政策の根本的見直しが求められる。



 二重三重の補助金をバラ撒く - 農業経営基盤強化措置特別会計
農業構造改善事業のためには特別会計が利用されている。その一つが農業経営基盤強化措置特別会計だ。これはもともと戦後の農地解放時に設けられたもので、農地解放によって多くの農家が小作人から脱皮し農地の所有者となったため、その経営基盤を強化するのが目的であった。

だから、その役割はとっくに消滅しているはずなのだが、その後は資金貸し付けなどの事業を増やし権益の拡大を行っている。一般会計から一八五億円を受け入れ、農地保有合理化促進対策、農地改良資金貸し付け、就農支援資金貸し付けなどの無利子融資や補助金交付などをやっている。

図表1-14で示すとおり、農地保有合理化促進のために国が出している補助額は平成三一年で一五五億円。都道府県を経由して「(社)農地保有合理化法人」という団体に渡っている。この法人は都道府県に一つずつある農業公社(四七)と市町村の外郭団体である農業公社(二一)をはじめ一部の市町村(七)などが構成員となり、約二六〇〇人の職員を抱えている。これは存在そのものが無駄な団体である。

農業基盤特会


農地改良資金貸し付けのための国の予算は二三三億円。この資金は「生産技術改良」などの名目で機械や設備の導入に貸し付けるもので、都道府県を通して農協系金融機関である「信連」に渡り、そこから個別農協を窓口に借り受け人に渡る。市町村でなく農協にやらせているところがミソだ。

また、地域農業改良普及センターなどという第三セクターも窓口として位置づけられている。無利子貸し付けであるから、この貸し付け業務では収益は生まれない。そのための農協や第三セクターの事務費や人件費として別途莫大な予算が組まれ、支出されている。二重払い三重払いである。このほか(特)農林漁業金融公庫を経由した融資事業(二六九億円)も扱っている。

この特別会計では農水省職員三二一一人分(平成一〇年度)の給与も支払っている。農水省の職員定員は四万二九九〇人であるから、全体の七%余を特別会計で負担していることになる。なぜ一般会計で全体の給与を払わないのか。農水省に説明を求めると、「工事の受益者負担分の中に人件費も組み込まれているので」という。理解不能な説明である。

就農支援資金貸し付けは、新たに農業に就きたいという人を支援するために国が二四億円を出すというふれ込みで始まった。これも都道府県、市町村や「合理化法人」、農協がやっている事業で、国がそれに便乗したかたちだ。国が直接無利子貸し付けを行うことにしたのだが、資金量がたった二四億円と、あまりに少額である。

しかも、その業務は外郭団体にやらせている。地方にある「青年農業者育成基金」や「農業公社」がそれである。これらの団体には別途補助金を出している。

これは、さまざまな名目で補助金を出すという口実の下で、市町村の役所で十分間に合うにもかかわらず、外郭団体にわざわざ仕事をやらせていることにはかならない。都道府県や農協、合理化法人は、これらの団体を「支援」する立場だと位置づけられている。そのための金は別途きちんと支出される。要するに、訳のわからない仕組みを作って、訳のわからないことをやっているのだ。それが利権と政党・政治家の集票・集金に結びついていくのである。




 「仕切り」の世界 - 国営土地改良事業特別会計

農業構造改善事業に関しては、国営土地改良事業特別会計というのもある。これは、一般会計から二七八〇億円を受け入れ、財投から五二五億円を借り入れて、主に国直轄の潅漑排水や干拓事業などの「公共事業」をやっている会計である。借入残高は一兆六七四億円に達している。そのカネの流れを図表1-15に示した。

ちなみに、公共事業には地方がやる公共事業と、国が予算の全額を出す公共事業(直轄事業)とがあるが、地方の公共事業もその内容はほとんど中央省庁が決めている。地方が単独で事業を行う力は自治体に残っていないので、地方もそれに従う。

事実上、地方負担分には国の裏補助もつく。だからすべての公共事業は事実上、国がやっているといっていい。直轄事業の予算は農水省の地方農政局(全国七ヵ所) を通して都道府県に渡る。この過程で、特定のコンサルタント会社に設計を委託し、施工会社も自動的に決まっていく。談合というより、「仕切り」 の世界だ。地域ごとの有力政治家が仕切るのである。当然のことながら、コンサルタント会社や業界・業者からの政治献金がつきものとなっている。

土地改良特会



第一章 第二節 ここまで
 

・ 日本が自滅する日 第1章第1節 誰も知らない日本国の予算

2015-05-03 23:27:37 | 石井紘基


昨年6月に刺殺された元民主党議員であった石井紘基氏の事を知りました。闇の世界から命を狙われるほどの事がなんであるのか興味を持ち、いろいろと情報を探している最中に、石井紘基氏の著書の一部がネット上に出ていることを知りました。
一部で利権のために動いている官僚や政治屋がいるとは感じていても、どのくらいの規模で利権の獲得に夢中になっているかは分かりません。そのことに、国会議員の調査権を活用し、鋭く切り込んでいったのが石井紘基氏ですね。ここまで調べ上げたのはすごい力です。その凄さに命を抹殺しようと影の力が働いたのでしょう・・・・・今回は第1章の第1節を掲載します。
以下、ブログ阿修羅さんより一部を転載します。


日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)
  投稿者 たけしくん 日時 2009 年 8 月 17 日 11:35:50: IjE7a7tISZsr6
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569614140/asyuracom-22



第一章 利権財政の御三家 ― 特別会計、財投、補助金

第一節 誰も知らない日本国の予算

 本当の予算額は二六〇兆円
われわれはこの章においては、わが国の政官一体の利権システムを台所で支える財政の仕組みについてみることにしよう。利権システムを財政の面から支えている財政制度は、特別会計と財政投融資計画、そして補助金である。

これを私は「利権財政の御三家」と呼んでいる。政官権力はこの 「御三家」を使って、財政的に特殊法人や認可法人、公益法人を支え、増殖し、天下り、巨大な権力ビジネスを展開する。これこそ経済・財政を根底から犠牲にする国をあげての利権システムの要である。

まず、図表1-1によって、この国の財政をめぐる資金の流れをみておこう。
財政の第一の枠組みは、表の顔である「一般会計」だ。平成一二年度でいえば、税金と借金(国債発行)を主な財源として八五兆円を集める。それを社会保障や公共事業、教育、防衛などに使う。その使い方を別の角度から分類してみると、図のように、特別会計への繰り入れが五一・六兆円で最も多い。補助金等も二一・二兆円に達している。

財政の仕組み

図表1-1 財政の仕組み(資金の流れを中心に:平成12年度) (単位:兆円)


通常、国の予算というと、この一般会計のことをいい、マスコミもこれしか報道しないが、じつは「特別会計」と呼ばれる裏の予算があり、こちらのほうが規模ははるかに大きいのである。特別会計については次節で詳しく説明するが、国が郵政とか道路整備とかといった特定の事業を営む場合や、厚生年金保険のような特定の資金を保有してその運用を行う場合につくることができる、一般会計とは別の会計のことだ。

その特別会計がいま三八もあって、それらの歳入を合計すると三三六・五兆円、歳出を合計すると三一八・七兆円にもなる。ここに入ってくるのは、揮発油(ガソリン)税のような税金もあれば、厚生年金の保険料もある。一般会計の四倍もの規模をもつ、この特別会計こそが”財政の横綱″なのである。

この国の財政にはもう一つ、他の先進国には見られない 「財政投融資」という大きな枠組みがある。詳しくは第三節で説明するが、私たちの郵便貯金や簡易生命保険の保険料、年金の積立金を集めて、それを特殊法人に融資したり、国債や地方債を引き受けたりしている。その規模が平成一二年度の計画段階では四三・七兆円だった。

これら三つについては通常、一般会計を第一の予算とみなし、財政投融資を「第二の予算」ということが多いが、それはことの本質をみていない。規模の点でも、実質的な意味でも、特別会計こそ第一の予算であり、財政投融資はそれに次ぐ第二の予算、一般会計は単なるたてまえ予算といっても過言ではないのだ。

また、これら三つの枠組みの問では、たとえば一般会計から特別会計に資金が繰り入れられたり、財政投融資で調達された資金が特別会計に繰り入れられたり、相互に複雑な資金のやり取りが行われている。そしてその財政資金がさまざまなルートを通って地方自治体に流れたり、特殊法人・公益法人に流れたりし、さらには関連企業に流れて、この国の”管制経済”体制の動脈を形成しているのである。

それではわが国の本当の予算はいくらなのか。これをはじき出すためには「一般会計」と「特別会計」から、複雑極まりない出入りや二重三重の重複部分を除いた数字を算出しなければならない(さらに正確には財政投融資会計との関連においても集計しなければならないが、それは不可能に近いほど複雑であるので、ここではこの関係を捨象する)。

まず平成一二年度の一般会計予算は八五兆円である。
次いで平成一二年度の特別会計の概要をみると、(歳入)の単純合計が三三六・五兆円であり、そのうちの重複分(一般会計、他の特別会計から入ってくる分)は一九二・三兆円である。つまり、重複分を差し引いた総計は一四四・二一兆円である。

これに対して(歳出)は単純合計が三一八・七兆円であり、その内の重複分(一般会計、他の特別会計へ出ていく分)は一四三・三兆円である。つまり、重複分を差し引いた総計は一七五・四兆円となるわけだ。

ここで重複分というのは、歳入であれば、国債整理基金特別会計に一般会計から入る二二兆円や、地方交付税として交付税及び譲与税配付金特別会計に入る一四・九兆円などを指す。歳出であれば、一般会計へ繰り入れられる印紙収入一・二兆円や、重量税〇・八兆円などを指す。

以上の通り、一般会計の歳出が八五兆円、一般会計との重複分を除く特別会計の支出が一七五・四兆円であるから、わが国の歳出における財政規模(=年度予算額) は二六〇・四兆円ということになるのである。



 税収二二年分の借金大国
つぎに、二一世紀初頭におけるわが国の借金について見ていきたい。「平成一三年度末で国と地方を合わせた借金は六六六兆円になる」とよくいわれる。この数字は、旧大蔵省が平成一三年度予算案を編成したときに発表した「国および地方の長期債務残高」に示されている。国債や長期借入金など国の長期債務が五〇六兆円、地方の長期債務が一八八兆円、重複分二八兆円を差し引いて六六六兆円というわけである。

しかし私にいわせれば、この数字は債務を長期に限るなど過小評価である。そこで、財務省、総務省などで把握されているデータに基づいて推計してみた。それによると少なくとも、わが国の借金は六六六兆円などというものではない。実際には一〇〇〇兆円を上回っていると思われるのである。

まず国の借金について、財務省が平成一三年六月二五日に出した「国債および借入金並びに政府保証債務現在高」に示されている数字は図表1-2、他方、総務省が把握している地方債の平成一一年度末の現在高は図表1-3の通りだ。
国債などの債務残高


二つの図表に示された国の借金と地方の借金を合計すると、(若干の時期的ズレはあるが)ざっと七八〇兆円となり、これだけでもすでに六六六兆円をはるかに超えている。 政府の六六六兆円という計算には、特殊法人の借金の一部を保証している「政府保証債務」と恒常的な調達資金である「政府短期証券」、さらに地方の公営企業分の一部を含めていない。

だが、特殊法人の借金残高は、第二章の特殊法人の項でも述ベる通り、年々歳々大幅な増加を続けている。しかも、特殊法人の経営構造はほぼ例外なく赤字体質で、莫大な欠損金を政府補給で埋めている。

さらに、若干の資産はあるものの、それらは売却しても今日までの政府出資金にも到底満たないことと合わせて、現実には行政による社会資本整備部門の資産評価は論外というべきであるから、現在、特殊法人(認可法人も同様)が抱えている借金は事実上、国の借金なのである。特殊法人と認可法人が積み上げてきた借金残高は、財投からの二五七・三兆円を含め計三四四兆円である。

なお、特殊法人の借金のうちの一部は「政府保証債務」に計上されており重複するので、この分は特殊法人の借金から除く。また、「政府短期証券」は外貨資金証券や食糧証券などの資金繰りに使うお金であるが、恒常的にある借金である。

これらの借金のほかに、一般会計と交付税特会のやりとりの中に隠れた借金がある。財務省の試算では五兆円前後ということだ。 以上、わが国の長期・短期の借金総額ははっきりしているだけでも一〇六六兆円超となるのである。これは国税収入の二二年分に相当する。

中には、この借金の一部に見合う資産があるので、借金は実際には、もっと少ないかのごとく吹聴する向きもある。しかし、それは後述するようにまやかしであり、正真正銘、わが国は一〇〇〇兆円以上のマイナス勘定である。

また、約一四〇〇兆円の個人金融資産(国民の預貯金等)があるではないか、とする見方もあるが、これは国のものではなく国民のものである。しかも、この数字には、国民が将来受けるはずの社会保険給付分なども含まれている。さらには住宅ローンなどの負債もあるのだから、実質的な個人金融資産はこの半分程度しかないのである。

わが国の財政が想像を超える恐るべき事態に直面していることは、国債の状況を見ればさらに明らかである。平成二一年度に返済しなければならなかった「国債償還額」は五七兆七五七九億円で、じっに、当年度の税収入を一〇兆円も上回っている。

なぜ収入以上の借金返済をクリアできるのかといえば、借金返済のための借金に併せて返済繰り延べのための借金操作もしているからにはかならない。五七兆七五七九億円の国債償還額のうち、五三兆二六九七億円は借替債の発行によって返済が先送りされているのである。それに上乗せして新たな国債発行による借金の積み増しも行われている。政府は、三四兆五九八〇億円の新規国債発行を行った。一方、国債整理基金特別会計に入れられた国債費は二一兆九六五三億円。このうち九兆九〇〇〇億余円が償還に、一〇兆余円が利払いに、残りが手数料などにあてられた。一日当たりの利息等は三〇〇億円超となる。借金返済のための借金、そして新たな借金である。

ところが、「借金のための借金」 のほうは特別会計という襖の奥で操作され、目立たないようになっている。



 自分の借金を自分が引き受ける自家撞着国家
日本政府の国債発行残高は、世界に類例を見ない四四〇兆円(平成一三年度末、図表1-4)という巨額に達している。しかもその過半は発行者である政府自身の関係機関が所有しているという恐るべき実態だ。

日銀の資金循環統計(図表1-5) によると、国債の時価総額は四二四兆円であり、そのうち政府機関財政融資資金(特別会計、以下特会と略す)が、七六・六兆円郵貯や簡保(特会)が六一・三兆円、(国家機関である)日銀六〇・七兆円その他で計二一四兆円を保有している。全体の五〇・五%である。つまり、国債発行残高の半分以上は、じつは国自身がかかえているのである。

国債


さらにこの統計では、事実上の政府機関である農林中金が所有する国債(七兆五七三七億円)は、「市中金融機関」に分類されていると思われる。同様に特殊法人(以下(特)と略称)年金資金運用基金、(特)簡易保険福祉事業団など四二の特殊法人が財投資金で運用委託している分(約一八兆三九〇〇億円、図表1-6参照)は、「証券投資信託」や「証券会社」などの分類に含まれているはずである。

国債を保有している特殊法人


そうだとすれば、国の機関の保有高は、さらに(特殊法人と農林中金の保有分を合せて)約二六兆円も増える。したがって、実質政府関係機関の保有高は二四〇兆円、五六・六%になる(国債総額の数字に、財務省の資料と日銀統計で相違があるのは、財務省は発行残高、すなわち簿価で、日銀の数字は時価評価額となっているからである。ちなみに、財務省資料はあくまで発行残高を表したものである。たとえば、「財政融資資金」の四三・九兆円は発行した金額であり、同じく「財政融資資金」であっても日銀統計の七六・六兆円は、財政融資資金特別会計が保有している国債額である)。

一方、民間が保有する国債においても、銀行や証券会社のものは、必ずしも自主的な市場原理による保有とはいえない。旧大蔵省の強い指導・監督下にあり、その子会社といわれた市中銀行や証券会社は、国債を買ったのではなく、否応なく割り当てられたといってよい。

このようにわが国は、際限のない借金財政の結果、市場の許容範囲と返済能力をはるかに超える、とてつもない規模の借金の証文を出し続けたため、自分で自分の足を食わなければならない事態に陥った。いまや足から胴体へ、胴体から心臓へ、自分の口が伸びている。心臓に触れるのをむりやり緊急避難したのが日銀の国債買い切りオペ (本章第三節) であった。しかし、もはや、そうした問題先送りの悪循環も限界にきた。

わが国の、洪水のように溢れ出した国債は、定まらない構造改革によって、日本列島を倒壊の危機にさらしている。国債の暴落ももはや一触即発の段階に入ったといってよい。国債の暴落によって長期金利が急上昇すれば、市場が失われた官制経済国家日本は、ひとたまりもなく経済恐慌に直面してしまう。この日本崩落を防ぐ道は、意を決した、正しい構造改革、すなわち市場経済革命しかないのだ。


 この国のバランスシートはできない
大蔵省(現・財務省)は政府の指示に従って平成一二年一〇月一〇日、「国の貸借対照表(試案)」なるものを発表した。これによると、公的年金を除く負債の合計は六三八兆円であるのに対し、資産総額は六五八兆円となっている (公的年金については、三通りの試算を示しているが、ここではそのうちの「案一」によって、公的年金が一五三兆円の預かり金をもっているとした)。

これを見る限りにおいては、資産が負債を上回り、バランスしているように見えるが、この「バランスシート」には大きな問題点がある。

第一に「資産」評価にどれほどの意味があるかという点である。まず、貸付金(二六八兆円)と投資等(三九兆円) の大半は、資金運用部、郵貯、年金などの財政投融資から出ている特殊法人や地方公共団体、公益法人に対するものである。これら貸付金や出資金の大部分は実際にはすでに消えてしまっているものが多く、とても簿価によって資産に計上できる性質のものではない。

またそれ以前に、特殊法人、公益法人については本質的に行政との関係があいまいであるため「国のバランスシート」に載ってこないという問題がある。他方、特殊法人等の財務、経営実態に手を伸ばせば、それが基本的に投資による収益事業であるがゆえに、国の財務の範囲を逸脱することにもなるという矛盾を含んでいる。このため「バランスシート」に載せられないのである。

あるいは、道路や国有林、建造物、土地、公共設備等についても売却できないものを資産といえるのか。建設費や投下予算額をもって資産価値とすることに意味があるだろうか。むしろ国民の目をあざむくものである。基本的に営利事業ではなく清算を前提としない国の財務に関して「資産」を計上することはばかげている。

わが国には外国に売却できそうな地下埋蔵資源のようなものは、きわめて少ないうえ、人的資源や技術などは国家が自由にできる財産ではない。ましてや、個人の金融資産などをあてにするなどは論外である。つまり、わが国の貸借対照表には貸方(資産)はほぼないといってよいのである。借金の額がそのまま国の資産状況を表し、国民の負担の重さを表すのである。

第二に、国の負債に関しての問題である。「バランスシート」では国の債務を(公的年金分を除いて)六三八兆円としている。しかしこれには、特殊法人等の借金の他に地方公共団体の借り入れが含まれていない。地方公共団体が財政破綻に直面した場合には再建団体として国の財務管理に移行する建て前から、地方の債務を国の借金にカウントすべきである。

特殊法人についても行政上の法人である以上、破綻に際して基本的に私的責任を追及することはできない。したがって、特殊法人等の借金も当然に国の借金である。しかも、繰り返し述べているように、この借金は返済がほぼ不可能なものである。


 「企業会計」の導入と「長期予算論」は危険
第三に、国の会計のあり方の問題である。そもそもわが国政府は憲法違反を犯し、法律に反した財政運営を行っている。憲法第八三条は「国の財政を処理する権限は国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」と謳っている。

しかし、国の一般会計予算から特別会計、特殊法人などへ年間約三〇兆円も投資されており、この財務については現実には国会の与(あずか)り知らぬところとなっている。特別会計における〝公共事業″などの事業予算・箇所付けについても国会を素通りして決定されているのである。一方、財政法第二条は、国の会計についてその 「現金主義」を定めており、企業会計における「発生主義」と明確に異なる概念に立っている。つまり、営利を目的とする企業会計においては、期間損益計算を行うため「発生主義」がとられているのに対し、国の予算・決算は損益計算を目的とするものではないから「現金主義」となっているわけである。併せて憲法第八六条と財政法二条は予算・決算の単年度主義を定めている。

そもそも国の予算とは、税収の範囲内ですべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障し、「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進」 (憲法第二五条) のための配分を行うものであって、税収を収益事業に投下することを目的とするものではない。国には費用と収益の対応関係は基本的にあり得ないので、企業会計の原則で費用を把握することは不可能である
と同時に、誤りなのである。

したがって、旧大蔵省がいうように「国において企業会計と同様に損益計算を行う場合には、本来伝達されるべき会計情報が伝達されない、あるいは歪められた形で提供される」 (「国の貸借対照表」)ということになる。旧大蔵省がいいたいのは、わが国の財政は、現実には特別会計や財政投融資で多くが動いているにもかかわらず、国の損益計算では、それが出てこないのだから
「バランスシート」は矛盾なのだ、ということである。

この指摘は正しい。憲法や財政法は、資本主義に立脚し、国には投資・収益事業を予定していないのだから、企業会計のようなバランスシートを作ったところで意味をなさないのである。

最近国会の審議などで 「企業会計」を導入すべきだとか、予算の単年度主義を改めるべきだといった議論が増えている。また、「行政評価法」も俎上(そじょう)に昇り“公共事業”を含めた事業評価を行うという傾向が強まっている。政府の投資活動としての公共事業が常態化したからだ。

これらの動きは公共事業のあり方とともに行政の原則を踏みはずすものであり、断固排斥されなければならない。むしろ反対に行政による投資活動としての “事業” や開発をなくし、行政事務を基本とする財政に戻ることこそ必要なのである。



 決算せずに予算を組む国
わが国では、税金の使い方や配分には血道を上げるが、その金がどう使われたか、つまり、決算にはほとんど無関心である。すなわち、わが国の決算は二一世紀になったというのにまだ平成九年度までしか行われていない。平成一〇年度分の委員会審議は、ついに平成一四年に持ち越しというありさまなのだ。つまり決算がなくても予算が組める、決算の結果が予算に影響を及ぼさない国会では四年前の決算が行われなくても何ら不都合はない(!)、というのがわが国の現状なのである。

また、わが国には一応、会計検査院という機関がある。補助金や交付金など国の予算が不正に使われていないかを検査する建て前だが、実際には使い途を決める各省庁に対してほとんど口出しできない足し算引き算の間違いや水増し支出などを捜し出す程度で、幾多の議員の“口利き”や利権による不正支出や無駄な“政策”をチェックする力はない。強制権限もなく、比較的細かな不正を「指摘事項」などとして公表するのみだ。

これには財政や法律、政策を各省庁が所管し、権限も握っているという要因がある。予算の多くは省庁が持つ特別会計、事業法、事業認可などの権限に基づいて“合法的”に執行されるため、問題があっても、その限りでは不適正といえないのである。

また、九〇〇人程度の調査官では、調査対象の補助金交付団体等が七万団体近くあるのだから、とうてい十分な検査もできるわけがないうえ、族議員が群がる他省庁に比して補助金の配分先を持たない会計検査院には利権の手がかりもなく、わが国政界から見向きもされない存在なのだ。私が仲間に呼びかけて「国民会計検査院」を設立したゆえんである。

企業経理では、こんな監査制度はありえない。企業では監査役による監査が義務づけられており、監査役がなれ合いの監査ですませていると背任に問われることも珍しくない。国税庁などの監視の目も光っている。経理上の不正や不当支出が見つかれば、すぐにフィードバックして、その不正の芽を摘むというのが、企業経理の原則だろう。

国の決算がお座なりにされている理由はただ一つ、税金の本当の使途を国民に知らせることができないからなのである。ご承知のように、予算委員会ではもっぱら政策論議やスキャンダル追及が主で、予算そのものについての具体的な議論は少ない

これにはさまざまな要因があるが、根本はわが国の財政制度に問題があるのだ。わが国の財政制度は行政権力による“事業”展開の体系として各省庁が所管する「特別会計」を軸に構成される。その中で歳出については大半が「補助金」 であり、それは行政権限による配分の形で決められる。

年間予算二六〇兆円のうち「一般予算」として提出されるのは八〇兆円余であり、それも大半は「特別会計」に繰り入れられ、省庁による箇所付けに付されるため、予算は事実上、決して憲法の定めるように国会で決められているとはいえないのである。国会で決めるのは単に抽象的な「予算」 に過ぎない。「予算」支出の中身は省庁(官僚) が与党の指示や族議員の意向などを考慮して決めるのである。

この節で示したようなわが国の全体予算の総額については、私が指摘するまで国会で議論されたことはなかった。国の主たる予算に浮上した「特別会計」についても、その実態については語られたことすらほとんどないのである。もっぱら予算といえば「一般会計」で論議されてきた。 しかし、「一般会計」はまさに“大本営発表”以外の何ものでもなく、実際の国の会計とはまったく異なるものである。

このような“カモフラージュ (迷彩)”された 「一般会計」を重要な予算として示すのは国民に対する欺瞞(ぎまん)であるし、これを真に受ける議員も議員である。

なんと、わが国の国会やマスコミ、学会のほとんどがこの“大本営発表”にマインドコントロールされてきたのである。このように、わが国では予算の実態がわからない仕組みであることが、予算委員会をはじめとする国会の議論で予算審議が空回りしている原因の一つである。


第一章 第一節 ここまで

 

・ まともな政治家 石井紘基議員

2014-06-25 02:35:54 | 石井紘基
ネット上に石井紘基議員の殺人事件について書かれていました。当時のニュースでは何のことなのかは分からなったのですが、今その内容が分かってきました。まともに政治家としてこの日本を守りたかったのでしょう。こんなまともな人間を利権のために殺害する奴らがいることを多くの人が知るべきでしょう。当時の自民党が築いてきた闇を追及してきたにもかかわらず、殺害された後、民主党はその追跡調査をしていないようです。まさに利権側の思うつぼ・・・・・一人殺すことにより、「そのことに首を突っ込むとこうなるぞ」と脅されているのと同じですね。そしてそれに対して意志継続をしようとする民主党議員が一人もいないことにがっかりします。こんな民主党じゃ政権交代してもまともに仕事ができるはずがない。以下転載します。


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石井紘基(いしい こうき、1940年11月6日 - 2002年10月25日)
元民主党衆議院議員
2002年10月25日、世田谷区の自宅駐車場で指定暴力団山口組系の右翼団体『守皇塾』(構成員は本人一人のみ)代表・伊藤白水に柳刃包丁で左胸を刺されて死亡。享年62。


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■事件
2002年10月25日(読売)

25日午前10時35分ごろ、民主党の石井紘基衆院議員(61)(東京6区)が、東京都世田谷区代沢1の自宅前で男に刃物で刺され、目黒区内の病院に運ばれたが死亡した。男は現場から徒歩で逃走、警視庁捜査1課と公安部は殺人事件として北沢署に特捜本部を設置、捜査に乗り出した。
調べによると、男は無言で石井議員に近づき、左胸の上部1か所を柳刃包丁のような刃物で刺した。年齢50歳ぐらい、身長約1メートル70。グレーのジャンパー姿で、頭にバンダナのようなものを巻いていた。男は京王井の頭線池ノ上駅方向に逃走、現場近くでは、犯行に使われたとみられる刃渡り約30センチの包丁が見つかった。
衆院第1議員会館の石井議員事務所によると、この朝、公用車の運転手が同議員を迎えに行き、議員が自宅から出た直後に襲われた。石井議員は午前11時に世田谷区内で支持者と会った後、東京・永田町の議員会館へ向かう予定だった。
病院から石井議員の事務所に入った連絡によると、石井議員は心肺停止状態で運びこまれ、午後零時5分、失血死した。同議員の左胸には横に約3センチの刺し傷、下あごにも約5センチの切り傷があったという。

10月26日 (http://www.geocities.co.jp/04/20021026i303.htmより引用)

民主党の石井紘基衆院議員(61)(東京6区)が、東京都世田谷区の自宅前で刺殺された事件で、石井議員と面識のある右翼の男(48)が26日朝、警視庁本部に出頭した。男は犯行を認める供述をしており、同庁北沢署の特捜本部は殺人容疑で逮捕状を請求するとともに、取り調べを始めた。容疑が固まり次第、逮捕する。男は昨年秋ごろから、石井議員に対し金銭を要求するなどしていたと見られ、同本部で詳しい動機を追及する。
 男は同日午前7時前、東京・霞が関の警視庁本部の正面玄関受付に1人で出頭してきた。調べに対し男は、「自分がやった」と供述している。
 調べによると、男は25日午前10時35分ごろ、同区代沢1の石井議員宅の前で、迎えの公用車に乗り込もうと玄関を出てきた石井議員に近づき、刃渡り約20センチの柳刃包丁で左胸上部などを刺し、失血死させた疑いが出ている。
 包丁を事前に準備し、同日午前8時ごろから待ち伏せして犯行に及んでおり、石井議員の左胸には背中に貫通するほどの傷が残っていた。
 同本部は、残忍な手口から、恨みによる計画的犯行とみて石井議員の周辺トラブルを捜査していた。これまでの調べや関係者の証言によると、男は昨年秋ごろから、石井議員の世田谷区内の事務所や永田町の議員会館の部屋を頻繁に訪れ、秘書らに「(石井議員に)金を貸している。仕事を紹介しろ」などと執ように迫っていた。また、今年春ごろからは、「都庁幹部を紹介しろ」などと要求をエスカレートさせ、そのたびに石井議員側に断られていたという。同本部は、こうした一連のトラブルで男が石井議員に恨みを持っていた疑いが強いとみて、行方を追っていた。
 男は右翼団体を主宰し、政治団体の届け出もしていたが、警視庁によると、構成員は本人だけだったといい、今月中旬に、住んでいた同区奥沢のアパートを出た後、行方がわからなくなっていた。 (10月26日13:06)

■事件の謎

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伊藤白水容疑者 (書面審理のみで2005年11月15日最高裁判所で上告が棄却され無期懲役が確定)

1.刺殺の手際の良さ 一突きで死傷。
2.犯人は被害者と顔見知りにもかかわらず無言で刺殺。
3.現場からすぐに逃走。
4.返り血を浴びた衣服などの「秘密の暴露」が一切ない。
5.犯人のバンダナの謎 (目だって周囲に印象を残す)。
6.革新で不正追求する側の石井紘基議員に金を無心する不可解。
7.逃走したのにすぐに警視庁本庁に出頭。
8.伊藤容疑者の背格好が目撃情報と違う。
9.伊藤容疑者は顔見知りなのに襲われた時、石井代議士が「誰だ!」と叫んだ。
10.石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった

・家族の証言

「あの日は、朝、庭がごそごそいうので、前に頼んでいた庭師かな? って思って、インターホーンで聞いたら『XXX』って言って行ってしまいました。窓から見ると坊主頭でバンダナを巻いた屈強な男でした」
「石井はひとつきで刺されました。下りてみると、ナイフを引き抜いているところでした。すぐに警察に電話をしようとしたのですが、最初は電話がぜんぜん繋がらなかったんです」
やっと電話がつながり、最初にパトカーが数台来た。しかし多すぎた。あとから来た救急車は道路をふさぐパトカーのおかげで、石井の家までなかなか辿りつかなかった。パトカーが道をあけなければならなかった。その間、石井は出血しつづけていた。
「不思議なのは、救急車にやっと乗って病院に向かった時間にすでにテレビのテロップに石井紘基死亡って流れていたんです。国会でももう、犯人は右翼の伊藤白水(はくすい)ってメモ書きが議員の間を行き来してました。伊藤はXX日前に怪我をして事務所に傷の手当てを受けにきたりしていて、そんな人が石井を殺すなんて!」

■他の事件との類似

一撃での刺殺、犯行現場から逃走、数日後の土曜日(警察の非番日なので2日稼げる)警視庁本庁に出頭、単独犯を強調、意味不明な動機など元厚生事務次官襲撃事件との共通点は非常に多い。同様に、動機の不可解さや、単独の右翼団体等、オウム村井秀夫刺殺事件との共通点も多い。


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■石井紘基が追っていたもの

「消えた書類」は整理回収機構の不正関連 石井紘基氏刺殺事件で金融専門家が証言 当日「国会質問の最終準備を予定」(日刊ベリタ スクープ 2005年12月22日)

特殊法人をめぐる税金の流れなど国の不正を追求し続けた民主党の故石井紘基議員(当時61)が刺殺されてから、3年以上が経過した。事件現場である自宅玄関前で石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。今回、筆者はカバンに「入っていたはず」の書類の作成に携わった金融専門家のA氏と接触した。A氏は、その書類内容とは、国策会社「整理回収機構(RCC)をめぐる不正を示すものだった」と証言した。(佐々木敬一)


山田洋行オーナーによる資産隠し疑惑 (Wikiより抜粋)

山田洋行の代表取締役社長は長年、秋山と懇意だった東京相和銀行(現・東京スター銀行)の長田庄一の大番頭だった山田正志が務め、後に息子の山田真嗣が代表取締役に就任している。山田洋行の95%の株式は山田グループの不動産会社である弥生不動産が保有している。加えて弥生不動産社長でもある山田真嗣も約3%所有する。

多額の負債を抱えた山田洋行の親会社「弥生不動産」の債務回収は東京相和銀行から「整理回収機構」(RCC)に移行されている。当時、融資の担保になっていたのは銀座にあるクラブが入居しているビルなどである。通常、整理回収機構はこうした担保物件を別会社等に売却して資金回収をするが、現在もこれらビルは弥生不動産所有のままで、整理回収機構の担保設定は解除されている。
しかしながら、整理回収機構側は弥生不動産の不良債権(113億円)処理に際し、一時金37億円の支払い、2016年までの12年間に30億円の分割払い(計67億円)、残り46億円の債権を整理回収機構が放棄するという弁済案で2004年3月に終結したものの、現在も不動産・グループ企業多数を所有しているため、資産の過少申告や整理回収機構との裏取引があったのではないかとの報道がある。
山田正志は、田村秀昭元参院議員や、宮崎元専務から飲食接待を受けた久間章生元防衛相と懇意だったとされる。


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■石井紘基とオウムと統一教会
『オウム事件は終わらない』 (石井議員 談)

僕の地元の成城で、最近統一教会が建物を借りて改装工事を始めたのです。それで地域住民はこぞってピケをはり、統一教会が建物の中に入れないようにしていますが、こんなことにしても、始まってから何ヶ月経っても政治家はさっぱり表に出てこないんですね。いろいろアプローチしていくと、どうも統一教会の息のかかった政治家というのが随分といるようだと、地元の人も言っていました。
未来に向けて社会をどのように改革していくか、ということを政治家が真剣に考えないものだから、その間に経済活動や政治活動を通じて宗教団体にどんどん侵食されているという面がありますね。
錦織:「ともかく私には、オウムは統一教会をラジカルにしたものだという感じがするのです。オウムの原型というのは、つまりオウムの初期の活動形態は、統一教会がやってきたことときわめて類似しているのです。」
石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。
石井:捜査についてですが、日本ではオウムの全容が明らかにされません。オウム事件というのは、いったいどういうことだったのか。僕は、岡崎さんがおっしゃったように、オウム真理教は、宗教法人制度をうまく利用してアンダーグラウンドで儲けようという要素を非常に強く持っていたのだと思います。それが暴力団と結びつき、国際的に密貿易をしたり、薬物を流したりしたのはいったい何のためだったのか。

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■裁判の経緯
(故・衆議院議員石井こうき事件真相究明プロジェクト より)

書面審理のみで、2005年11月15日、最高裁判所で、上告が棄却されました。
無期懲役が確定しました。

しかし結局、犯行の動機も真相も藪の中です。
控訴審
05.1.25(火) 13:30~ 控訴審第1回公判(725号法廷)
05.3.24(木) 13:30~ 被告人質問(主尋問1時間30分)
05.5.12(木) 11:30~ 結審
05.6.30(木) 11:00~ 判決


原審
02.10.25(金) 事件
02.11.18(月)  起訴
03.01.21(火) 10:00~12:00 第1回公判(425号法廷)
03.2.20(木) 15:00~17:00 第2回公判(425号法廷)
03.4.22(火)  10:00~12:00 第3回公判(425号法廷)  秘書1への尋問
03.5.13(火) 13:30~16:30 第4回公判(425号法廷)  秘書2、被告人が住んでいた賃貸人への尋問
03.6. 9(月) 10:00~12:00 第5回公判(425号法廷) 
03.6.26(木) 13:30~16:30 第6回公判(425号法廷) 
03.7.18(金) 13:30~16:30 第7回公判(425号法廷)  警察官への尋問、被告人質問
03.9.1(月) 13:30~16:30 第8回公判(425号法廷)  被告人質問
03.09.22(月) 13:30~16:30 第9回公判(425号法廷)  被告人質問(検察側)
03.10.29(水) 10:00~12:00 第10回公判(425号法廷) 被告人質問
03.11.14(金) 13:30~16:30 第11回公判(425号法廷) 取調検事への尋問、被告人質問
03.12.24(水) 10:00~12:00 第12回公判(425号法廷) 被告人質問(弁護側)
04.2.6(金) 10:00~12:00 第13回公判(425号法廷) 証拠物(ビデオテープ)の取調べ、被告人質問(双方)
04.3.5(金) 15:00~15:30 第14回公判(425号法廷) 証拠の取調べ
04.3.24(水) 13:30~16:30 第15回公判(425号法廷) 遺族の意見陳述と、論告求刑(無期懲役が求刑)
04.4.27(火) 13:30~16:30 第16回公判(425号法廷) 弁護側弁論と被告人の意見陳述(結審)
04.6・18(水) 10:00~10:30 第17回公判(425号法廷) 判決(104号法廷) -無期懲役の実刑判決が出ました。

■そして闇へ

整理回収機構に関する政財会の癒着、オウムの覚せい剤製造と、その販売ルートでの暴力団の影、その後明らかになった山田洋行の防衛庁官僚との癒着、内閣府の機密費の闇、厚生省の年金流用疑惑、彼が抱えていた問題と、犯行手口の類似した事件との関連を考えると、この事件が、とち狂った右翼の単独犯とは到底言えない。彼のような本物の政治家が殺されて、本当に残念である。心からご冥福をお祈りする。

然しながら、この国のマスコミの対応には、改めて幻滅する。彼らがするべきなのは、誰でも知っている石井氏の足跡をたどる事ではなく、彼がたった一人で集めた六十三箱の遺品となった資料を分析し、今も甘い蜜を吸い続けている、彼が戦っていた者の正体を究明する事である。

石井紘基 日本病の正体



■伊藤白水が自供か(2009/02/11(水) )

故・石井紘基議員の殺害犯、「本当は頼まれたから殺した」「法廷での証言はでたらめ」と獄中で告白…テレ朝が報道

石井紘基議員刺殺の真相 1/2

石井紘基議員刺殺の真相 2/2


■2010年10月30日 テレビ朝日『報道発ドキュメンタリー宣言』にて「追跡・・石井議員殺害、実行犯が語る真相」が放映される。


石井紘基暗殺の真実 1/3

石井紘基暗殺の真実 2/3


石井紘基暗殺の真実 3/3


■ 主観:放送を見て
 
番組の主旨からすれば、この事件の『闇』を追い続ける、テレビ朝日の大野公二記者が白水受刑者に再度面会、新たな事実が語られるのでは?というものであったが・・大野記者が面会に行ったところ、面会に応じる旨を了承し、過去記者とは、何度も書簡を往復させ、幾度かの面会経験も有り、当然面識があるはずの白水受刑者は、ドア越しに3秒ほど大野記者に目をくれただけで「この男は知らない」と言い放ち、何故か面会が拒否された、という内容。白水受刑者のその様な行為自体が「依頼者に向けたメッセージでは?」というのが今回の番組としての結論であった。残念ながら、これでは、番組タイトルとその内容に違いを感じる、些か期待はずれなものである。
補足になるが、
番組において発表された情報は

白水受刑者が石井議員殺害の報酬として、3000万円と1500万円、計4500万円を二回に分けて『依頼者』から受け取った。

・金銭の授受に関しては『依頼者』に迷惑がかかるので、裁判では言わなかった。

・石井紘基刺殺事件の前日の伊藤白水の不可解な行動として、わざわざ新宿南口のドヤ街に宿泊している。

・事件当日、事件の2時間も前に石井議員の自宅付近に到着している。

事件後の伊藤白水受刑者の足取りがも不可解。事件後、高尾山に移動等・・。

・石井議員の遺体の左手の指が切られており、元検死官の所見として「これは防御傷ではなく、事件の時、議員が左手に持っていた『カバン』を犯人が執拗に狙った為ついた傷である」との指摘。

・かつての盟友であり事件の真相究明の為に民主党内に設立された「資料調査解明委員会」の委員長である江田五月氏が、石井議員の八回忌の墓前で彼の殺された理由を記者に問われ
当時の政権中枢に大きなダメージを与える情報を握っていたから・・」と返答。


個人的な感想だが
そもそも、伊藤白水受刑者を「殺害の実行犯」と決め付けた番組の報道姿勢に疑問がある。
原点に立ち返り、伊藤白水受刑者が「実行犯ですら無い可能性」も検討しなければならない。
事件の関係者ではあるが、一般人という事で番組内では言及できないのであろうが、この事件のキーマンは「運転手」である。


■石井議員と親交のあった元衆議院議員保坂展人氏の重大な指摘、番組内容にも言及。

石井紘基さん殺害事件から8年、封印されたもうひとつの「謎」 (保坂展人のどこどこ日記)

(一部抜粋)
私はその日、翌日に訪米して平和集会でスピーチをするために、議員会館で苦手な英語のレッスンを受けていた。そこに、テレビで「石井議員刺される」のスーパーが緊急ニュースとして出てきたから驚愕した。その衝撃もさめやらない頃に、私の携帯電話が鳴った。

「保坂さん、伊藤白水という男を知っていますか」

石井議員が救急搬送されて「絶命」したかしないうちに、永田町の新聞記者の間では、翌日に出頭逮捕される人物の名前が流れていたのである。これが、昨夜のテレビ朝日が取り上げることのなかった大きな謎のひとつだ。国会議員が襲撃されて殺されるという異常事態の上に、翌日に犯人として出頭してくる人物の名前が、事件直後に政治記者の間に拡がったとしたら、どんな事実が推測出来るだろうか。

「襲撃殺害計画を事前から知る立場」「襲撃殺害するならこの人物しかいないという確実な情報を持っている立場」「襲撃殺害したと関係者からの電話などで報告を受けた立場」などが考えられる。自首してきた被疑者の名前は報道されるから誰でもわかる。でも、この事件では事件直後で犯人逃走中の早い段階から「名前」が流れていたのである。…

…民主主義が日本にあるなら、先の選挙で、大量に当選した民主党所属議員の誰かが、真相究明の作業に乗り出すはずである。その誰かに期待したい。
(抜粋終了)

(資料)第157回国会法務委員会 保坂氏が事件に関して法務大臣に言及した際の議事録
第2号 平成15年10月3日(金曜日)


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■膨大な資料に陽の当たるとき
「皆さんに石井紘基の遺志を継いで欲しい」 「週刊文春」2003年12月18日のP18から

「資料を活用していただくことによって、石井紘基の遺志を皆さんに継いで欲しい。そして石井紘基のことを決して忘れないで欲しい」

石井ターニャ

そう語ってくれたのは、石井ターニャさん(写真)。誰よりも借金まみれの国を憂い、誰よりも調査・取材し、疑惑を追及し続け「国会の爆弾男」と呼ばれた故・石井紘基代議士の娘である。石井議員が遺した段ボール箱60個以上の膨大な資料は、ターニャさんにとっても、そして日本にとっても貴重な遺産といえる。

去年の10月、石井議員は、右翼団体代表の伊藤白水被告の凶刃により帰らぬ人となった。あれから1年余り、ターニャさんは、これらの資料の公開を決断した。

「現在、データベース化し、検索ができるように、資料をまとめておリます」(同前)

一方事件の真相はまだまだ解明されていないという。

「事件に関して、多くの疑問があるんです。例えば、死亡してから30分で、犯人の名前が出回ったことや、資料の一部が無くなったりしています。民主党は、『真相を究明する会』を発足してくれたんですが、きちんと活動をしているようには見えない。国会で、事件の質問すらしてくれないんですよ」(同前)

先月の総選挙のとき、ターニャさんは亡き父の遺志を継ぐべく、民主党候補の応援のため、一心不乱に全国を飛び回った。しかし、民主党側は、そんな遺族の思いに誠意を持って応えているのだろうか。 撮影 本社 田中 茂


■インタビュー 『ACT―市民の政治―』227号(2004年10月11日)より

父・石井紘基は誰に、なぜ殺されたのか
石井ターニャさん(政治文化研究所代表)

10・25暗殺事件から2年
権力と裏社会が結託すればそれは十分に可能なこと

Tanya Ishii
1972年5月15日(沖縄返還年月日)生まれ。NHK教育テレビロシア語会話レギュラー出演(94~95年)。ロシア語通訳(エリツィン大統領来日時、サッカーワールドカップ海外遠征時テレビ局通訳等)。衆議院議員公設秘書など務める。2002年10月25日、自宅前にて父、石井紘基衆議院議員が暴漢に襲われ命を奪われる。その後、裁判傍聴と同時進行で、63箱に及ぶ父の調査資料を整理調査している。父が調査分析した日本の現状と改善のためのプログラムを引き継ぎシンクタンクへの協力や総選挙において候補者に政策協力を行う。現在、政治文化研究所代表。
●石井ターニャ ホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/tanya/

10月25日、石井紘基衆議院議員が東京・世田谷の自宅で何者かに殺害されてから、ちょうど2年。特殊法人などの受け皿になっている日本の裏予算=特別会計にメスを入れつづけた故石井議員の志を引き継ぐ最愛の娘、ターニャさんにお話を伺った。【インタビュー:大野拓夫/構成・写真:大島正裕】
父が殺されたのは2002年の10月25日です。それから2年、3回忌を迎えようとしています。「犯人」とされる被告に対して無期懲役の一審判決が今年6月18日にありました。残念ながら、裁判で事件の真相が明らかになることはありませんでした。
 
今、一番悔やんでいるのは、最後の一年、私は民間企業で働いていたので、父の側にいることができなかったこと。私が秘書を続けていたなら、事件直後に何者かが奪っていった大切な資料のことや、誰かに狙われていたことに気づけたかも……という自責の念があって、今でも私の心的外傷(PTSD)の一つの要因になっています。
肉親の凄惨な姿とその痛みを目の当たりにすると、自分の痛みとして受け止めてしまいます。同時に自責の念からも逃れることができない。記憶を閉じ込めたりする症状も起こり、この2年間、母も私も言葉では言い表せないほど複雑な思いで生きてきました。「犯罪被害者」という当事者になって、私自身、初めて実感していることです。
 
亡くなった父が事件の直前まで調査していたことは①闇金を含めた金融問題、②パチンコ問題、③産業廃棄物処理問題、④警察の特殊法人の問題、⑤歴代首相の裏口入学斡旋問題や大物政治家のマネーロンダリングのことなど。いずれも我が国でタブー視されている問題ばかりで、その中には「日本がひっくり返る問題が含まれている」と母には話していたようです。「これで小泉首相と取り引きできる」って。実際、何かの取り引きに行ったようですが、詳細は調査中です。取り引きというと何か悪いイメージがありますが、父の場合、その材料と引きかえに他の資料を出させたりすることがあったそうです。
 
事件の1週間前の10月19日、父は経済に詳しいある知人のところに足を運んでいます。その時の父は「まさにすごい形相で駆けこんできた」のだそうです。父は「車につけられている。追い回されている」と言っていたそうですが、父を殺したということで逮捕された被告人は、原付のオートバイしか乗っていません。ですから、被告とは別に父を狙っていた人たちがいた可能性も感じます。