パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ガツンとくる音楽

2020-02-26 13:01:29 | Weblog
 今は見る番組がなくて、本当に困っているが、中で面白かったのは、イーテレの坂本龍一がホスト役で、音楽についていろいろやっていた番組。浅田彰が脇でうんちくを語るのだが、それはともかく、昨日は、なんとかという日本人の指揮者が登場した。

 音符なし、何をするのも個人のイマジネーションが優先というかなりユニークな指揮をすることで最近有名になってきたようだが、その彼が登場して、自分の指揮の方法を解説しながら、音楽学校の生徒を指揮する。

 譜面はまったくなし。

 演奏は完全に個人の自由なのだが、指揮者がグーを出したらガツンとした音を出すとか、そういう約束はある。

 そう言う約束の中で、「ガツン」をどう理解し、どう表現するかは演奏者の自由なのだ。

 ウィーンのニューイヤーコンサートで、指揮者が最後のラデツキー行進曲で、会場の拍手を指揮するが、要するにあのような感じで、音をだんだん大きくとか、小さくとか、そのまま続けるとか、いろいろなサインで指揮をする。

 私がもっているテープで言うと、ラウンジリザーズみたいな、要するにフリージャズのようなものだが、 その指揮者が、まったく音楽には全く無縁だったフクシマの被災者たちを集めて指揮して、それがレコードにもなったらしいのだが、これには感動した。

 絶望の中に希望を見いだすとか、そんなわけのわからないことではなく、端的に「自由」と「未来」にあふれていた。

 なぜ、「自由」と「未来」があったのかというと、指揮者の指示で音を出し、周りの音を聞くことに集中することで、フクシマのことを忘れていたからだ。

 だいたい、あの状態で生き残った人は、運が良かったのだ。

 どう考えても。

 「希望」は、それを自覚するところからしか生まれない。

 と、思ったりしていた翌日、これまたNHKで、激しい耳鳴りで、耳が聞こえなくなった作曲家が、その自分の過酷な運命を被災者に重ね、「運命に負けるな!」というストーリーのドキュメントをやっていた。

 この作曲家がどういう人なのか知らないし、また彼が津波で母親を失った女の子のために書いたピアノ曲をどう評価するかも、ご遠慮申し上げたいが、ピアノ曲をプレゼントされた格好になった女の子が、曲の感想を聞かれてどぎまぎしていたのは「過酷な運命に勝て!」というメッセージのわからなさと相関的な態度と言っていいだろう。

 ともかく、勝手につくったストーリーを人に押し付けるなと、NHK、およびマスコミには言いたい。
 ついでにもう一つ、付け加えておくと、北朝鮮の拉致被害者家族が、「○○ちゃんは、今日も、日本に帰りたい、そして私たち家族と一緒に暮らしたいと日々願っているんです」と言っているが、それもマスコミがつくったストーリーにすぎない。

 それは、東北の被災者たちが、毎日真面目に働いていて、家族との絆もしっかりしていたのが、突如の地震と津波でそれが壊れてしまったというストーリーと全く同じである。

 「想像力」は、そんなありふれたストーリーの案出のために使うものではない。

 むしろ、運命は個人のもので、みんなちがうのだ、ということをリアルに受け止めることにこそ、「想像力」は使われるべきなのだ。

 例の「指揮者」が誰なのか、ネットで調べたら大友良英というミュージシャンで、相当有名な人であるらしい。

 ちなみに耳の聞こえない作曲家は佐村河内守。投稿間もなく、耳が聞こえないというのはウソだ、という週刊誌報道でスキャンダルの主人公になった。

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