久しぶりに橋本治の「ああでもなくこうでもなく」(『広告批評』)を本屋で立ち読み。
テーマは、「日本の政治が混迷している原因は何か」という、橋本治、お馴染みのものだが、そのとりあえずの答は――ちょっと「意訳」になるが――日本の政治を実質的に担っているのは「官僚」であり、選挙によって選ばれた「議員政治家」は、平安時代の貴族たちがそうであったように、もっぱら「人事争い」に明け暮れることで足りてしまっているから、ということになる。
そもそも、江戸幕府を倒した明治政府が、まず何をしたかと言うと、武士階級に代る「官僚」を育成するための学校を作ることだった。もちろん、これが「東大」だ。
つまり、日本の近代政治は、東大出身者による「官僚政治」から始まったのであり、その後、明治憲法が発布されたことで、「天皇の官僚」として確立した。そして、その政治的・社会的本質は、対米戦争に敗れたことで「天皇の官僚」というアイデンティティこそ失われたが、議会、つまり選挙を通じて行われる政治体制とは独立して行政を司るという「形」はそのまま続いている。
と、このような実態をちゃんとわかることからはじめないと、混迷を何とかしなくちゃといっても、何も変わらない、変えられないよ、というのが橋本治なのだが、彼の説明でもわからないことが一つある。
東大卒の高級官僚(キャリア)が、実質的に日本の有り様を決めていということは、守屋防衛次官騒動でもわかるのだが、しかし、この守屋防衛次官にしても、ほぼ私と同世代。ということは、基本的価値観は私とそんなに変わらないはずだ。実際、私の中学時代の同級生から、たしか4、5人もの東大法学部生が誕生していて、担任教師Tが鼻高々だったという話を後で聞いたことがあるが、彼ら東大法学部生がどこでどのような教育を受けて、日本国首相も鼻であしらう尊大な高級官僚に育っていくのか、それが全然想像もできないのだ。
何故なら、そんな「ストーリー」は、戦後の教育体制では、根本から否定されているはずだからだ。否定されたはずの価値観を、なんで今も維持し続けることができているのか。これがわからない。
高校・義務教育までは、「役人は国民に奉仕するもの」と教えられるが、東大法学部に入ると一転、特に選ばれたものが安田講堂の裏かどこかに招集され、フリーメーソンの入社儀式のようなよろしく、「君たちは高級官僚となって国民を教育し、善導するのである」と特別に教えられたりしているのだろうか。
まさか、である。
実は、私の実家の裏に住んでいたMさんは、事務次官こそならなかったが、通産省に勤めた東大法学部卒のキャリア官僚だったので、ぜひ一度、「日本の真の支配者であるという自覚はどこで、どのように得られるのですか」とインタビューしたいと思っていたのだが、その前に亡くなってしまった。残念。
それはともかく、この私の疑問には、橋本治も答えてはいない。というか、考えてもいない感じがするのだが……私の想像では、彼らの、いかなる世論をも受けつけない、明治以来の強固な官僚のエリート意識は、実は、学閥、つまり、学問を通じての強固な先輩後輩意識を通じて保存されているのではないだろうか。
たとえば、キャリア候補生として入省した若者は、事務次官を目指して一斉に競争をはじめるが、彼らのうち誰かが事務次官に就任するとレースは終了し、敗れた他の者たちは、職場をやめ、天下って行く。
――これは、最近の報道等でようやく知られるようになった天下りの実態だが、いったい、なんで職場を去らねばならないのか。実は、そのままでいると、年下の事務次官のもとで働かねばならないからなのだ。
普通の人から見たらなんてバカバカしい理由だろうと思うが、「学問(学閥)の世界」では、絶対的基準となる。
たとえば、私は機械工学部中退で、機械科就職先はほとんど民間企業なのでそれほどではないが、政治(国家予算)と関係の深い土木工学などとなると、先輩後輩関係は極端に厳しい。土木では、技術革新のスピードもそれほど早くないので、昔の権威がそのまま生き残っていることも大きいと思われるが、医学部のような技術革新の盛んな学部でも、先輩後輩はえらく厳しい。これは、健康保険等を通じて官僚政治と密接に絡んでいるせいだろう。
ともかく、そんなわけで、高級官僚は、いわば、「青春時代」の序列に今も呪縛され、なおかつ、その「呪縛」を自らの利益としているのだ。したがって、それを自ら断ち切ることが求められるような「内部改革」は、ほぼ絶対的に不可能であり、外から壊すしかないことになる。
「改革は不可能」という結論は、橋本治も同じだったが、肝心なのは、何故、「改革」は不可能で、「壊す」しかないのかという理由であり、それについて、ちょっと想像してみた。
テーマは、「日本の政治が混迷している原因は何か」という、橋本治、お馴染みのものだが、そのとりあえずの答は――ちょっと「意訳」になるが――日本の政治を実質的に担っているのは「官僚」であり、選挙によって選ばれた「議員政治家」は、平安時代の貴族たちがそうであったように、もっぱら「人事争い」に明け暮れることで足りてしまっているから、ということになる。
そもそも、江戸幕府を倒した明治政府が、まず何をしたかと言うと、武士階級に代る「官僚」を育成するための学校を作ることだった。もちろん、これが「東大」だ。
つまり、日本の近代政治は、東大出身者による「官僚政治」から始まったのであり、その後、明治憲法が発布されたことで、「天皇の官僚」として確立した。そして、その政治的・社会的本質は、対米戦争に敗れたことで「天皇の官僚」というアイデンティティこそ失われたが、議会、つまり選挙を通じて行われる政治体制とは独立して行政を司るという「形」はそのまま続いている。
と、このような実態をちゃんとわかることからはじめないと、混迷を何とかしなくちゃといっても、何も変わらない、変えられないよ、というのが橋本治なのだが、彼の説明でもわからないことが一つある。
東大卒の高級官僚(キャリア)が、実質的に日本の有り様を決めていということは、守屋防衛次官騒動でもわかるのだが、しかし、この守屋防衛次官にしても、ほぼ私と同世代。ということは、基本的価値観は私とそんなに変わらないはずだ。実際、私の中学時代の同級生から、たしか4、5人もの東大法学部生が誕生していて、担任教師Tが鼻高々だったという話を後で聞いたことがあるが、彼ら東大法学部生がどこでどのような教育を受けて、日本国首相も鼻であしらう尊大な高級官僚に育っていくのか、それが全然想像もできないのだ。
何故なら、そんな「ストーリー」は、戦後の教育体制では、根本から否定されているはずだからだ。否定されたはずの価値観を、なんで今も維持し続けることができているのか。これがわからない。
高校・義務教育までは、「役人は国民に奉仕するもの」と教えられるが、東大法学部に入ると一転、特に選ばれたものが安田講堂の裏かどこかに招集され、フリーメーソンの入社儀式のようなよろしく、「君たちは高級官僚となって国民を教育し、善導するのである」と特別に教えられたりしているのだろうか。
まさか、である。
実は、私の実家の裏に住んでいたMさんは、事務次官こそならなかったが、通産省に勤めた東大法学部卒のキャリア官僚だったので、ぜひ一度、「日本の真の支配者であるという自覚はどこで、どのように得られるのですか」とインタビューしたいと思っていたのだが、その前に亡くなってしまった。残念。
それはともかく、この私の疑問には、橋本治も答えてはいない。というか、考えてもいない感じがするのだが……私の想像では、彼らの、いかなる世論をも受けつけない、明治以来の強固な官僚のエリート意識は、実は、学閥、つまり、学問を通じての強固な先輩後輩意識を通じて保存されているのではないだろうか。
たとえば、キャリア候補生として入省した若者は、事務次官を目指して一斉に競争をはじめるが、彼らのうち誰かが事務次官に就任するとレースは終了し、敗れた他の者たちは、職場をやめ、天下って行く。
――これは、最近の報道等でようやく知られるようになった天下りの実態だが、いったい、なんで職場を去らねばならないのか。実は、そのままでいると、年下の事務次官のもとで働かねばならないからなのだ。
普通の人から見たらなんてバカバカしい理由だろうと思うが、「学問(学閥)の世界」では、絶対的基準となる。
たとえば、私は機械工学部中退で、機械科就職先はほとんど民間企業なのでそれほどではないが、政治(国家予算)と関係の深い土木工学などとなると、先輩後輩関係は極端に厳しい。土木では、技術革新のスピードもそれほど早くないので、昔の権威がそのまま生き残っていることも大きいと思われるが、医学部のような技術革新の盛んな学部でも、先輩後輩はえらく厳しい。これは、健康保険等を通じて官僚政治と密接に絡んでいるせいだろう。
ともかく、そんなわけで、高級官僚は、いわば、「青春時代」の序列に今も呪縛され、なおかつ、その「呪縛」を自らの利益としているのだ。したがって、それを自ら断ち切ることが求められるような「内部改革」は、ほぼ絶対的に不可能であり、外から壊すしかないことになる。
「改革は不可能」という結論は、橋本治も同じだったが、肝心なのは、何故、「改革」は不可能で、「壊す」しかないのかという理由であり、それについて、ちょっと想像してみた。