先日、職場で食事介助中に、NHKのニュースでやっていた悲惨な事件・・・利用者の口にご飯を運びながら涙がこぼれてこぼれて、自分達の無力さをこれほど痛感したことはありません。絶望感でいっぱいになりました。
まず、こちらに掲載されている新聞記事を読んでください。じょんのびBlog
こちらには詳細をあえて詳しくは書きませんが、要は長年認知症の母親の介護にあたってきた息子が、母親の承諾を得て母親を殺害、自分も自殺を図る・・・という、なんとも悲しい事件です。しかもこれ、京都市内でおきた出来事・・・。テレビに映った現場は私も学生時代によく通ったことのところ。気持ちの良い憩いの場所で自らの命を絶たれることを承諾した母親、そしてその母親を手にかけた息子。誰に頼ることもなく、誰を恨むこともなく、事件の前日には「最後の親孝行」と称して車椅子の母親を市内観光に連れて行ったそうです。まわりの人も、気にはしていたんだろうけど誰も彼の心の苦しみを分かってあげられなかった。母親を担当しているケアマネですら、なにもすることはできなかった。
これが介護の現実です。所詮私たちのやってることなんて、結局はなにもできていないのと同じなんです。弱者はどんどん切り捨てられるのです。それを誰一人として救うことはできなかったのです。
「介護職」というと「大変な仕事だけど、人のためになるやりがいのある仕事」「心のやさしいひとにしかできないすばらしい仕事」なんていう人がいますが、現実はこんなもんなんです。どうぞ軽蔑してください。人一人の命も救えないような仕事しかしてないんです。どうぞ罵倒してください。
こんな事件がなくならない限り、介護職なんて、介護保険なんて、福祉国家なんてクソくらえだ!
・・・そのような事件があったとは・・・
テレビも新聞もあまり見ない私は知りませんでした・・・
(社会人として失格ですね)
あの記事を読んで涙が止まりませんでした。
結局介護って何なんだろう・・・
あまりにも・・・悲しすぎます。
伏見と言えば、神戸の施設で働いていた時の本拠地でした。
あまりにも悲しい事件、でも次々起こってしまうのでしょうね・・・
クソくらえ、私もそんな心境です・・・
制度と現実の狭間で切り捨てられた弱者となってしまった人がいた事実に哀しみを感じ、そこにある需要を拾い出し、フォローしきれなかった制度に、制度側に身を置く者として悔しさを感じます。
北朝鮮以上スウェーデン未満な日本の福祉、間違いだらけ・穴だらけなのは判ってる。
でも、ここで見過ごしてはならない物を見過ごしてはならない。そんな風に強く感じた事件でした。
偉くなりたい。制度の歯車にされないくらいに。
今、それを強く感じています。
私はこの事件を全国ニュースでさらっと見ただけで、あまり深く考えていませんでしたが、詳細を知って泣いてしまいました。
自分の親が認知症になったら…。その面倒を自分が見ていたら…。
どうなるのだろう…。
『死』を考えるほどまでに追い詰められる状況は、こんな未熟な私には想像できません。
ウチのデイでも季節的になのか、年齢的になのか、認知症が進行している利用者様が数名いらっしゃいます。
中には息子さんと2人暮らしという方もいらっしゃいます。
色々なことが怖いです。
>こうさん
事件がおきたのは2月ごろなんですけど、公判が先日始まったところです。寒い中悲惨な事件が起きたわけです・・・。被告は罪を償うべきではあるけれど、同じような事件は一向にあとを絶たない気がします・・・。どちらの立場にもなりうるだけに、辛いです。
>mizzieさん
新聞をみると毎日のように介護心中、介護自殺が起きていますよね・・・結局のところ、介護職だの、ケアマネだの言っても本当の弱者は救えていないわけですよ・・・まったく情けない限りです。現場にいるのになにもできないだなんて・・・。
>ko-daiさん
お久し振りです。
今は「仕事」として介護をしているけど、いずれ必ず、親の面倒を見る日が来ますよね・・・私にも、ちゃんと親の人生をまっとうさせてやれる自身はありません・・・。仕事で接している要介護者の心の叫びを見逃していることだってあるかもしれません。どうしたらいいのか分からないけれど、とにかく毎日を頑張るしかないのかな・・・とも思います。