明日へのヒント by シキシマ博士

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「春との旅」 そしていつか、我らも旅する

2010年08月03日 22時37分40秒 | 明日のための映画
昨年の夏に父が緊急入院してから、早いもので1年過ぎました。
今では要介護5になってしまい、特養のベットの上に居ます。たまに面会に行っても私が誰か分からない時もあり、もはや意思の疎通は難しいです。
誤解されるかもしれませんが、こんな状態になってほっとしています。
今だから言えるのですが、昨年、父が入院する前の我が家は修羅場でした。
認知症が進行した父は、我が家の平穏を容赦なく壊して行き、それを目の当たりにした私は冷静でいられずに声を荒げる。そんな毎日でした。
あの状況がずっと続いていたらと思うと…。だからほっとしてます。
介護関連の残念な事件のニュースを見る度に、自分も昨年はそれらと近い所にいたんだと思い知るのです。

「春との旅」は高齢者問題についての映画です。

足の不自由な元漁師の老人・忠男(仲代達矢)が18歳の孫娘・春(徳永えり)と、北海道の寂れた海辺の家をあとにするところから物語は始まります。
5年前に母が自死して以来、春は仕事しながら一人で忠男の面倒を見ていましたが、その仕事が無くなってしまったのです。
地元で新たな職に就くのは難しく、今後の忠男の面倒を見てくれる者を探すため、疎遠だった親類縁者を訪ね歩くことにしたわけです。
しかし行く先々の親族らとの再会は気まずく、それぞれに事情も抱えており、忠男を容易に受け入れてはくれません。
肉親ゆえの確執と情。
忠男は落胆します。
しかし、そんな祖父と肉親との再会を見ていた春は、かつて自分らを捨てた父に会いに行きたいと言い出し…。
(監督:小林政広 134分)


私も障害のある高齢の母と暮らす身ですから、観る前は、もっとどっぷり感情移入してしまう映画かなと思っていたのですが、良い意味で違っていました。
二人が訪ねて行く先々で直面する厳しい現実は、表面だけで安易に解ったつもりになるべきものではありません。

最初に忠男が会いに行った兄・重男(大滝秀治)。自分も老人ホームへの入居が決まった身だからと言うことで、忠男の頼みを断ります。もともと忠男と反りが合わなかったとは言え、今後の当てもない弟をどんな思いで見送ったのでしょう。

そして姉・茂子(淡島千景)。自分を頼ってきた弟・忠男に対して、どんな気持ちで「働かざる者食うべからず」と言ったのでしょう。

弟・道男(柄本明)。悪態を尽いておきながら、最後に何故あんな心遣いをしたのでしょう。

勝手放題してきた老人を誰もが好ましく思わない。
が、それを無下に身捨てることもできないし、かと言って半端な覚悟で手を差し伸べられるほど容易くもない。
歳を重ねた分、兄妹たちは皆、そういった現実も知っているのです。
きっと身を切るような思いでしょう。けっして薄情なのではありません。

それに対し、春の父が再婚した相手(戸田菜穂)はまだ若い分、純粋に忠男に手を差し伸べようとします。
このシーンは涙を誘われます。
まだ現実の厳しさを知り尽くしていないゆえの、純粋な優しさです。
あるいは、その優しさにすべて委ねてしまうこともできたのかもしれません。
が、忠男はその申し出を受け入れようとしません。
これが忠男の節操というものでしょう。

そして、春もまた、あらためて忠男のそばに居続けようと覚悟を決めます。
忠男と共に旅をし、何度も理不尽な目に遭い、久しぶりに会った父(香川照之)に感情をぶちまけ、忠男の我儘に散々振り回され…、そんな経験をした挙句に、それでも忠男を見捨てまいと覚悟を決めるのです。
この春の気持ちはとても尊いものです。
が、未来ある若者が老人のためにそこまで犠牲になるというのは、やはり、あまり望ましくありません。

だから、あのラストになったんだと思います。
確かに作劇としてはありきたりだし、別のラストにしたほうが良いと言う人もいますが、行き着く現実とはやはりこういうことだと思います。
こういう現実を、私たちは誰でもいつか、受け入れなくてはならない日が来るのです。

出演者は皆、演技派ぞろいです。
そんな中にあって尚、春を演じた徳永えりちゃんの演技が光ります。
この娘は「フラガール」の時から気になっていましたが、今回、仲代達矢さんや香川照之さんを相手に真っ向勝負しています!
ただ、(監督の指示らしいのですが)あのガニ股歩きはちょっとやり過ぎな気もします。
あんな小細工をしなくても十分に表現力を備えた女優さんですよ。
次はガニ股でない役柄で観てみたいですね。

医療の進歩と少子化によって、日本は未曾有の高齢化社会となりましたが、それがもたらしたのは幸福ばかりではありません。
孤独死や虐待などの不幸なニュースを見聞きします。
たしかに老人や障害者をサポートするシステムはそれなりに増えましたが、それだけでは足りないのです。
こういったことに無関心でない心ある者ほど純粋な気持ちで手を差し伸べるのに、厳しい現実の前ではなかなか思い通りに行きません。
そのうちに冷静さも最初の純粋さも打ちのめされてしまいます。
その結果が哀しい事件となったり…。
だから…、
そういうことのないようにするには、誰もがいずれは老人となる当事者なのだと自覚することです。
そして、自分だけでなく他の人のことも大切に考え、共に皆で助け合っていく社会にすることなのだと思うのです。


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