どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ386

2009-02-04 23:13:45 | 剥離人
 午前十時、久しぶりに見る社長の井村が、現場にやって来た。

 年齢は私よりも六つ上、世間的に見てもかなり若い社長だ。だがその中身は、在任期間40年の中小企業のベテラン社長よりも遥かにエグい。
「相変わらず似合わんなぁ、王様の作業着姿は」
 作業用コンテナに向かって歩いて来る井村を見て呟く私に、隣にいたハルがクスクスと笑う。ちなみに私は井村のことを『王様』と呼んでいる。あだ名の由来はもちろん、『裸の王様』というお話だ。
「今日はどうしちゃったのかな、社長は」
 滅多に現場に姿を見せない井村を見て、ハルは興味津々だ。
「よくレストランに、『シェフの気まぐれサラダ』ってあるでしょ」
「うん、あるねぇ」
「あれよりも気まぐれな視察だと思いますよ」
「うひゃひゃひゃひゃ!きっと暇なんだね、最近は」
「そうだと思いますよ」
 実際には、渡が井村に向かって、
「ま、今後はコンクリートのハツリは重要な仕事になりますんで、一回位は見ておいてもらえますか?」
 と言ったので、渋々見に来ているというのが現状だった。

「木田君、ご苦労さん、ハルさんもご苦労様」
「あ、どーも」
 ハルが笑顔で挨拶を返す。
「ちょっと現場を見させてもらうからね」
 井村の頭には、ピカピカの白いヘルメットが輝いている。まるでそれは、
「私は現場に入り慣れていない、ド素人でーす!」
 と主張している様で、私には滑稽に見えた。
「さ、行きましょうか!」
 私は前に立って早足で歩き出す。こういうどうでも良い行事は、さっさと終わらせるに限る。
 槽内に降りると、私は井村に声を掛けた。
「コンクリートの破片が飛んで来ますんで、注意して下さいね」
「ああ、はいはい」
 私は自分のヘルメットのフェイスガードを下ろすと、堂本がハツッている作業場所に進入した。
「ブォおおおおおん、バシュぅうううう、ガロガロガロ、バゴっ!ビギっ!」
 丁度天井がある部屋をハツっているので、ジェットの発射音が反響し、物凄い騒音を出している。ハツられたコンクリート片は、まるでショットガンの様に細かい破片となって周囲に飛散し、近づく人間に襲い掛かって来る。
「ピキッ、コンっ!ビシッ!ココんっ!」
 襲い掛かるコンクリート片が、私のフェイスガードにビシバシと命中する。
「き、木田君、凄いねぇ!」
 井村が大声で叫ぶ。
「これが普通ですよ、毎日これですからぁ!」
 私も大声で返す。
「…!?…!!」
 井村は両手で耳を塞ぎ、必死に顔を肘で覆い隠し、コンクリートの破片を避けようとしている。
 須藤は、私が言った、
「槽内に俺が入って来たら、死ぬ気でハツリ倒せ!」
 という指示を厳守し、パワー全開でコンクリートをハツリ倒している。
「っつう、あっ、いてっっ!」
 なんとか我慢をしていた井村だったが、耐え切れずに槽内から逃げ出した。
「…ふぅ、なるほどね、うん…」
 平静を装っているが、かなり嫌そうな顔をしている。
「あ、忘れてました、これ使いますか?」
 私は作業着のポケットから新品の耳栓を取り出すと、井村に差し出した。
「いや、いいわ。今日は帰るよ」

 井村はたった二十分ほどの滞在時間で、たっぷりと疲れて現場から帰って行った。
 


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