読書人俱楽部のブログの原稿をお願いしたら 竹森さんが早速原稿を持って来て下さいました。
福士幸次郎展
郷土文学館 今年いっぱい
現在、弘前郷土文学館で「福士幸次郎展」が開かれている。福士幸次郎といっても馴染みのない人には、サトウハチローの先生といっておこう。「小さい秋みつけた」詩人はとんでもない悪餓鬼だった。感化院送りになるところを、福士が引き受けると申し出、二人は小笠原諸島の父島へ行く。二人は奇妙な共同生活を始めるが、結果、サトウハチローという詩人が誕生するのである。
今回の展示の特徴は、同世代の詩人たちの中にあって、福士がどういう存在であったかを分かり易く伝えようとしている点にある。
会場を入って右手には、日本の近代詩を代表する詩集の復刻版がずらりと並ぶ。復刻とはいえ、写真でしか見たことが無いような貴重な詩集である。これを間近に見るだけでもこの展示、見る価値がある。この煌めく詩集たちを見て、日本の近代詩はすごい、と思うか、この程度だったよな、と思うかは人それぞれだろう。私としては、近代日本語=口語は、まだワーヅ・ワースやゲーテを生み出していないと思う。百何ちょっとでは、まだ言葉が熟成するには早すぎるのだろう。もちろん日本の古典は世界に通用するものだけれど。
しかし、創生期の詩人たちの熱い意気込みはしっかりと伝わってくる。ダンテに、イエーツに、ランボーになろうとした詩人たち。イカルス失墜の苦み。
その中にあって、福士幸次郎の無骨な歩みは、力強くさえ感じられるのである。
「福士幸次郎展」が、今後開かれる当てはない。詩に、日本語に、興味のある人はぜひこの展示は見て欲しい。
(図録は読書人俱楽部においてあります。)
福士幸次郎展
郷土文学館 今年いっぱい
現在、弘前郷土文学館で「福士幸次郎展」が開かれている。福士幸次郎といっても馴染みのない人には、サトウハチローの先生といっておこう。「小さい秋みつけた」詩人はとんでもない悪餓鬼だった。感化院送りになるところを、福士が引き受けると申し出、二人は小笠原諸島の父島へ行く。二人は奇妙な共同生活を始めるが、結果、サトウハチローという詩人が誕生するのである。
今回の展示の特徴は、同世代の詩人たちの中にあって、福士がどういう存在であったかを分かり易く伝えようとしている点にある。
会場を入って右手には、日本の近代詩を代表する詩集の復刻版がずらりと並ぶ。復刻とはいえ、写真でしか見たことが無いような貴重な詩集である。これを間近に見るだけでもこの展示、見る価値がある。この煌めく詩集たちを見て、日本の近代詩はすごい、と思うか、この程度だったよな、と思うかは人それぞれだろう。私としては、近代日本語=口語は、まだワーヅ・ワースやゲーテを生み出していないと思う。百何ちょっとでは、まだ言葉が熟成するには早すぎるのだろう。もちろん日本の古典は世界に通用するものだけれど。
しかし、創生期の詩人たちの熱い意気込みはしっかりと伝わってくる。ダンテに、イエーツに、ランボーになろうとした詩人たち。イカルス失墜の苦み。
その中にあって、福士幸次郎の無骨な歩みは、力強くさえ感じられるのである。
「福士幸次郎展」が、今後開かれる当てはない。詩に、日本語に、興味のある人はぜひこの展示は見て欲しい。
(図録は読書人俱楽部においてあります。)