ドドンパ和也&ラッキーの湘南花鳥風月 

ドドンパ和也が、湘南逗子での四季折々の日々の出来事を徒然なるままに書き綴るページ

526, レ・ミゼラブル

2007-03-30 22:44:37 | Weblog
丁度、1年前くらいに、僕の親友だった見良津の末期癌が発覚し、
同時期に、僕の昔の同僚の末期癌が発覚し、
その数ヶ月後には、今度は僕自身の大腸癌が発覚し、
見良津と僕の昔の同僚は、残念ながら癌に命を奪われ、
僕は、なんとか命を永らえる事が出来、いまでもこうして生きている。

こんな短い期間の中で、自分を含めて3人もの人間が癌に侵され
そしてあろう事か、その内2人もの人間が死亡すると言う
最悪の期間を僕は過ごして来たが、こんな事は
僕の人生の中でも初めてだし、確率的に考えても
もう、自分の身の回りでは、しばらくは、
「癌」関係の事は起こらないだろうと思っていた。

しかし、人生はなかなか上手くいかないものである。

僕が湘南逗子に引っ越して来てから知り合った友人に、
癌患者、それも僕と同じ、大腸癌を発症した人間が出てしまった。

それも、僕より、症状が重く、非常に危険な状態だと言う。

彼は、自営業を営んでいるので、大企業のように、
会社での定期健診とかが無いので、
健康診断には、全く行っていなかったそうで、
癌で亡くなった僕の2人の友人や僕自身と同じように、
彼も又、健康診断に行くのを怠っていたが為に、
癌が、かなり進行してから、発覚するという
癌患者に良くありがちなケースに陥ってしまった。

僕は、昨年、彼と同じ大腸癌で危うく死に掛けたので、
当然であるが、大腸癌には、普通の人よりかは詳しくなった。

勿論、僕は医者では無いので、素人の知識でしか無いが、
僕が彼にしてあげれる事は、すべてやろうと思っている。

彼は50代の男性だが、稀にみるほどの好人物である。

彼は身長が、180センチ以上もある長身だが、
彼の弟さんは、生まれつき体にハンデを持っていて、
色々な身体的な障害と共に生きて来て、
そのせいで、成人しても、体が普通の成人男子と比べてかなり小さく、
それ以外にも、色々な病状と闘っている状態で、
現在、50歳だが、まだ独身なので、
せめて、その弟さんが、嫁を取りやすくなればと、
彼は弟さんの為に、一戸建ての家を建ててあげたそうである。

大金持ちで、お金が余っているならともかく、
彼自身は、奥さんと2人のお子さんと、二間の賃貸アパートに
住んでいるにも関わらずである。

実の弟の為とは言え、なかなか出来る事では無い。

又、彼の奥さんも、

「私達の住まいが、賃貸のアパートなのに、
 弟に 家を建ててやるなんて、どういう事よ!
 それよりも、まず、私達の家が先でしょ!」

と、言いそうなものだが、夫が弟に家を建ててあげる事を応援し、
又、その体の弱い義理の弟さんに献身的に尽しているのである。

彼等、夫婦の心根には頭が下がる思いである。

そんな稀にみる好人物の彼なのに、癌、それもかなり重症の
大腸癌が彼を蝕むとは、この世には、神も仏も居ないのであろうか?

彼が、健康診断に行っていなかったからと言ってしまえば、それまでだが、
あまりと言えば、あまりである。

ああ!無情!

525, 47歳の迷子

2007-03-28 19:32:09 | Weblog
昨日、鶴見の従兄弟の家を母と2人で訪問した。

数日後に、その従兄弟の三女の結婚式があり、
その司会を僕は依頼されたので、その打ち合わせに行く為である。

午後二時に、従兄弟の家に到着して、最初は真面目に
打ち合わせをしていたのであるが、そこは、親戚。

だんだんと真昼間からの酒盛りとなって来た。

そして、酒の勢いもあって、僕のギャグは冴え渡り、
宴会は爆笑に次ぐ爆笑!

そして、大盛り上がりの宴会を負え、僕と母は、
逗子へと帰宅する為に、電車に乗ったのであるが、
大量のお酒を飲んでいた為に、僕はトイレに
行きたくなったので、横浜駅で、電車を乗り換える時に、トイレに行った。

トイレに行くのに、荷物を持って行く必要も無いので、
母に、財布から携帯電話や僕のすべての
所持物が入った鞄を預けてトイレを探したのであるが、
これが、どこにもトイレが無い!

駅ビルの人に聞くと、あるにはあるが、かなり遠いと言う。

しかし、そうこうしている内に、かなり便意を催して来ていた僕は、
駅ビルの人に教えられたまま、入り組んだ経路を通って、
かなり遠い場所にあったトイレに辿り着いて、やっとの思いで用を足した。

しかし、いざ、母の待っている場所まで帰ろうと思ったら、
あせって闇雲にかなり遠い場所にあるトイレまで
突き進んだので、帰り道が解らなくなってしまったのである。

まだ、シラフだったら、それでもなんとか母の待っている場所まで
戻れたであろうが、かなり酒が入っていたせいもあり、
どうしても、母の待っている場所に戻れない。

いい年をして、僕は横浜の駅ビルで迷子になってしまったのである。

母に電話をしようにも、母は携帯電話を持っていないし、
母が、僕に電話をしようにも、僕の携帯電話は
母に預けている鞄に入っている。

おまけに、財布まで母に預けていたので、
逗子に帰ろうにも、電車の切符も買えない有様。

そこで、恥を忍んで、横浜駅東口の交番で事情を説明して、
電車賃を借りようとしたのだが、身分証明書を持っていない人に
お金を貸すと、借用書に嘘の連絡先を書いて、
借りたお金をネコババする人が多いので、
警察の経費からは、貸せないと言う。

僕は、免許証等のIDカードが入った財布も、
母に預けていたので、全く身分を証明するものを持っていなかった。

しかし、僕を可愛そうに思ったのか、対応してくれた
警察官の方は、彼の個人の財布から、電車賃を1000円貸してくれた。

その表情からは、

「あ~あ、このお金は帰ってこないんだろうなあ・・・・。」

と言った、彼の心情が読み取れた。

実際、そういう場合が多いそうである。

僕は、その警察官にお礼を言って、逗子に帰宅したが、
自宅では、鬼の形相で僕を待ち構えていた母に、
散々嫌味を言われた事は言うまでも無い。

その親切な警察官の方は、翌朝の朝9時までの
交番勤務だと言っていたので、
僕は翌朝早起きして、車で、横浜駅東口の交番の
その親切な警察官の方に、電車賃を返しに行った。

すると、その警察官の方は、本当に僕が逗子から
横浜まで、それも早朝に、たった1000円を返しにくるとは
思っていなかったようで、大層喜んで僕を歓待して下さった。

困っている時に、それも、彼の個人のお金を貸して頂いて、
それを返しに来るのは当たり前だと思うだが、
そうしない輩が、余りにも多いそうで、
中には、警察官から、金をせしめる為に、
わざと身分証明書を持たないで、
事もあろうに、警察官から、500円、1000円、の
金を騙し取る為に、交番を訪れる不届きな輩までいるそうである。

警察官も、貸すお金が、小額なので、
警察の経費を貸せない場合でも、
その人が、昨夜の僕のように、
本当に困っている人だったら気の毒だと思って、
ついつい、自分の財布からお金を貸して、
これまで、そのかなりのお金が戻って来ていないと嘆いていた。

まあ、お金を返しに来なかった人の大部分は、
金額が小額だし、返さなかったとしても、
まさか、警察に捕まる訳は無いだろうとたかをくくっているか、
その小額のお金を返す為に、わざわざ横浜まで行くのが
面倒臭かった人だと思うが、それにしても、
人の親切心につけこんで、それも警察官の
財布の金を寸借詐欺する輩が結構居るとは、世も末である。

しかしまあ、お酒が入っていたとは言え、いい年をして、
横浜駅ビルで母とはぐれて迷子になってしまった僕が悪いんだから、
反省(猿の次郎君風で・・・・)である。

p、s、

先日、鎌倉のホームセンターの野外の園芸用品売り場を歩いていたら、
どこかから、石が飛んで来て、僕に、ビシッ!っと当たった。

一体、どこから石が飛んで来たんだろうと思って
廻りを見渡すと、数メートル先に、商品である園芸用の
砂利の石を、ふざけて投げている幼稚園児くらいの子供が居た。

僕は、

「人に向かって、石を投げつけたりしちゃ駄目だ!
 もし、目に当たったりしたら、危ないじゃないか!
 それに、その石は、この店の売り物だろう!」

と注意したのであるが、子供と一緒にいた若い母親は、
子供を注意するでも無く、子供の代わりに僕に謝るでも無く、
僕に敵意むき出しの目で、僕を睨んで来た。

昔の僕だったら、ツカツカとその親子の元に歩み寄り、
子供が泣こうがわめこうが、ちゃんと謝るまで
一歩も引かないところだったろうが、
その時は、そのあまりに常識の無い馬鹿親子の存在が
悲しくなってしまい、それ以上、追求せずにその場を立ち去った。

母も、町中で、非常識な若者を見かけても、
下手に注意して、逆ギレされて、
刃物で刺されでもしたらいけないので、
いけない事だとは思いつつも、
見て見ぬ振りをする事にしているそうである。

安倍総理は、「美しい日本」を作ると言うが、
この国は、なんかおかしくなっていると思うのは僕だけだろうか?

524, 開花宣言

2007-03-25 23:38:00 | Weblog
先日、気象庁がコンピューターにデータを入力し間違えて、
桜の開花日予想を何日かし間違えたとかで、
気象庁の担当者が、会見を開いて、謝罪し、
改めて、開花日を発表しなおしている模様が
テレビニュースで流れていた。

又、毎年この時期になると、どのメディアでも、
桜の開花に関するニュースで持ちきりである。

東京の開花宣言に至っては、その基準となる
靖国神社の桜のつぼみが、いくつか咲いているかどうかを
気象庁の職員が目視で確認している様子を
テレビで放映する手の込みよう。

しかし、幾ら桜が、天皇家の御紋である、菊と並ぶ、
日本の国花であるとは言え、日本人の桜に対するこだわりは、
外国人には、理解不能のようである。

確かに、外国の国花で言うと、
イングランドのバラ、スコットランドのアザミ、
ウェールズのリーク(ニラネギ)、フランス(ルイ王朝)のユリなどがあるが、
それらのその年の開花予想や開花宣言に、その国の国民が一喜一憂し、
その開花予想がはずれたからと言って、
その国の気象庁が、公式に謝罪するなんて話は聞いた事が無い。

僕の友人の外国人は、日本人が、毎年春になると、
開花予想や開花宣言に一喜一憂し、
又、花見に大軍団で押し寄せる事が不思議でならないらしい。

言われて見れば、確かにそうだ。

又、秋の七草を愛で、春の七草を「七草粥」にして食す習慣などは、
ここ最近では、一般的には、ほとんどすたれてきているにも関わらず、
花見は、すたれるどころか、どんどんパワーUPしているようにすら思う。

ものの本に寄ると、花見の起源は・・・・・・・・

日本では、中国大陸から渡ってきた人々が稲作の文化を伝えました。
地域により桜の花が咲く時期により、稲を植える時期を知り
その桜の花の散り具合を見てその年の米の出来具合を占ったのでした。
満開に咲いた桜を見上げては、神様にお酒など奉げ物をして豊作を祈ったそうで、
それが、花見の習慣の起源になったそうです。

とある。

稲作のスタートを花見のスタートと仮定するならば、
花見の始まりは、紀元前5世紀あたりまで遡ることになり、
7世紀後半に万葉集に初めて書き記された「七草」の習慣より、
1200年もの昔から、現在まで、2500年もの長きに渡って、
現代まで続いている日本人の時節の習慣と言う事になる。

日本人の花見好きは、並みの年季の入り方じゃ無い。

これじゃあ、花見の習慣が、後、1000年くらい続いても
不思議でもなんでも無い。

恐らく、2500年の歴史を誇る日本の「花見」は、
今年の日本列島を、喧騒の大宴会の渦に巻き込むのであろう!

勿論、僕も、今年も花見に参戦する積りである!!

花は桜木!男は度胸!!!!!



2007-03-24 00:52:55 | Weblog
昨日までの帰省では、今回の帰省目的である所用は、
徐々に片付けていたが、比較的時間に余裕のある日もあるので、
その合間に母を温泉に連れて行ってあげた。

温泉と言っても、香川県の温泉は、
熱海や別府のような、本格的な温泉ではなく、
健康ランドに毛のはえたような程度のものだが、
それでも母は、大いに喜んでくれた。

母が昨年末のNHK紅白歌合戦で聴いて、大のお気に入りになったと言う、
テノール歌手の秋川雅史の「千の風になって」と言う曲のCDを、
僕が買って来てあげると、母は温泉に向かう道中の僕の車の中で、
すこぶる上機嫌でCDに合わせて歌っていた。

こんな上機嫌の母を見るのは久しぶりである。

昔から、音楽好きで地元の合唱団にも入っていた母だったが、
その車中で夢中で歌う姿は、
子供が大好きな玩具に夢中になっている様のようで、
僕は、母が、たまらなくいとおしく思えた。

又、後、何年あるかわからない母の余生に、
僕の出来る限り、母に、楽しい思いや、
安らぐ時間を与えてあげようと、心から思った。

我が家は、元々大家族だった。

僕が生まれた時には、僕の曾祖父、曾祖母、祖母、
(祖父は、若くして、33才で他界している)僕の両親、姉、
そして僕に、家事手伝いのおばさんまでいた。

更に、当時、我が家は大店の金物屋を営んでいたので、
その従業員が沢山居て、それはそれは賑やかな家だった。

しかし、時代の流れとともに、家族の年寄りは、順番に他界し、
姉は嫁に行き、10数年前には、金物屋も廃業し、
父も、すい臓癌で他界し、それから母は、実家で、たった1人で暮らしている。

僕の若い時には、親の面倒なんて考えもしなかったが、
年老いて、実家で1人暮らしをする母を見るにつけ、
その事を強く考えるようになった。

それは、「義務」とかの感覚では無く、
自分から進んでそうしてあげたいと言う、自発的な感情である。

僕が帰って来ただけで、又、一緒に食事をしたり、
話相手になってあげるだけで、
すこぶる喜ぶ母を見ていると、尚更そうおもうのである。

母の20代の時の写真を見ると、息子の僕が言うのもなんだが、
かなり可愛らしく美人である。

その若く美しかった母が、50年の年月を経て、
背は少し縮み、その顔には、シワが年輪を刻んでいる。

そのシワの何本かは、僕が母に掛けた苦労に寄って刻まれたものであろう。

自分がこの年になって、やっと親孝行をしようと考えるなんて、
遅すぎるかもしれないが、今回の帰省で、強くそう思う僕なのである。

僕の実家のリビングルームの軒下に、鳩の夫婦が巣を作って雛を育てている。
鳩の親は、一日中、休み無く、雛にエサを運んでいる。
どんな動物でも、親の愛情は変わらないんだなあと思うと、
又、一層、そういう思いを強くした僕なのである。

親御さんと離れて暮らしているあなた。
別に用事が無くてもいいから、親御さんに電話一本してみてあげて下さい。
親御さんは、喜んでくれるはずですよ。

変わりゆく我が故郷

2007-03-23 00:19:18 | Weblog
今回、1ヶ月も故郷に帰って来たが、僕が、故郷や実家に
これほど長く帰省いたのは、大学時代の夏休み以来である。

なので、これまでの帰省は、盆休みか正月休みの、
数日か、長くても1週間以内の滞在だったが、
今回は、長かったので、ジックリと我が故郷を見れたし、感じる事が出来た。

そして、思った事がある。

僕は、逗子では、毎日、ジョギングするのを日課にしているが、
香川県の実家に帰省してからは、ズボラをかまして、全く走ってなかった。

その理由の一つには、逗子でジョギングする時には、
そのジョギングコースは、海岸であったり、山であったりで環境抜群だが、
僕の香川県坂出市の実家の廻りには、ジョギングに
最適の環境が無いと言うのもある。

まあ、近所に僕が子供の頃から釣りに行っていた港があるので、
海を見ながら走ってもいいのだが、港には、多くの野犬が居り、
ジョギングで通り掛かると、吠え掛かってくるので、うっとおしいのである。

都会じゃ考えられないだろうが、僕の故郷では、
いまだに、野犬は、そこら中に、ゴロゴロいるのである。

それと、僕が走る気になった理由には、数日前に、
運動が、3割も、男性成人の癌の発症の可能性を下げると、
ニュースで見たからである。

毎日の適度な運動は、僕の大腸癌の主治医に指示されていて、
なるべく続けていたが、だから、先日の癌検診で、
パーフェクトな結果がでたのかも知れない。

なので、僕は実家帰省中も走る事にしたが、
港でのジョギングをやめて、コースを変えた。

ジョギングコースは、僕の幼稚園時代、小学生時代、
中学生時代の通学路を走ってみる事にした。

当時、僕の実家であった金物店は、
坂出港にほど近い、アーケード商店街の中にあった。

僕の実家の金物店が開業したのは、100年以上前の明治時代だったので、
当時は、まだ、鉄道が発達しておらず、交通の要は船だったので、
商店を構える好立地は、駅前では無く、港町だったのである。

時代は流れ、交通の要が鉄道に変わっても、
坂出商店街は盛況を極めたが、ここ10数年は、
郊外の巨大駐車場付きの大型ショッピングモールに客を取られて、
衰退の一途を辿っている。

今回の帰省で、久し振りに訪れた、僕の通学路だった坂出商店街は、
人並みに溢れた昔の面影は無く、ゴーストタウン化していた。

平日の昼間だと言うのに、ほとんどの商店は廃業してしまい、
店舗のシャッターが閉まっており、営業している商店の方が、
遥かに少ない有り様である。

昔の僕の実家の隣は、昔は天皇陛下も宿泊された、由緒正しき旅館で、
隣家の我が家にも、芸者さんの奏でる三味線や長唄が聞こえて来て、
風情があったものだが、今じゃ、フィリピンパブになってしまっている。

今日の添付写真は、その店に貼られていたポスターである。

子供の頃、広く思えた道は、実際には、かなり狭く、
僕が初めてギターを買った楽器屋も、
僕のお気に入りだった、当時の人気アニメ「スーパージェッター」の
絵の入った枕を母に買って貰った布団屋もなくなっていた。

良く、タレントが、思い出の地を訪ねると、昔の街並みのおもかげは無く、
そこには、近代的なビルが建っていた的な番組を目にするが、
それはそれで寂しいが、その逆で、ビルが建つどころか、
昔のままの、商店街が古ぼけて寂れて行くのは、もっと寂しいものである。

数年前に、坂出商店街が、TBSの筑紫哲也のニュース23で、特集されて、
全国的に有名になった事があったが、
その特集コーナーのタイトルは、「寂れゆく商店街」だった・・・。

坂出市と言えば、学校の社会の授業で、
「塩田の町」として習ったかもしれないが、
今では、その塩田も無く、商店街も衰退している。

坂出市の人口は、逗子市と同じ59000人で、
その周辺の街はもっと少なかったりするにも関わらず、
都会と違って土地が安いせいか、その郊外に、欧米型の
巨大な駐車場、レジャー施設、病院、郵便局、レストラン街、
シネマコンプレックス、その他、なんでもござれの
大型ショッピングモールが次々に出来、
その大型ショッピングモール同士の客の取り合いの競争が激化している昨今、
世の中が自動車社会になる前に作られた為、
消費者が自家用車で買い物に来れない、
我が故郷の坂出市商店街をわざわざ選んで買い物に来る消費者は
素人の僕が考えても少ないだろうし、実際、閑古鳥が鳴いている。

これでは、車で買い物に行けない、古ぼけた商店街に買い物に行くのは、
僕の母のように、高齢になって、自動車の運転が出来ず、
買い物は、徒歩で自宅近所の商店街でするしか無い
お年寄りだけになってしまう。

実際、今回、1ヶ月も帰省していた僕は、ほとんど毎日、
何らかの買い物に出掛けていたが、
坂出の商店街の皆さんには申し訳無いが、
坂出商店街で買い物をした回数は、皆無である。

やはり、便利な大型ショッピングモールを選んでしまう。

ここ1週間でも、僕の実家の近くの店3軒が店を畳んだ。

坂出市の人口も僕の子供の頃から比べると、2万人も減った。

我が故郷の坂出商店街に幸あれ!



521, 帰湘

2007-03-22 02:55:18 | Weblog
昨日、香川県の実家から、逗子に帰って来た。

僕の住まいは、東京では無く、神奈川県の湘南なので、
「帰京」では無く、言うなれば、「帰湘」と言ったところか?

今回は、車で帰省していたので、ノンビリと、
旅行気分で高速を走って逗子に戻って来た。

それでも午後2時には、箱根を越えて、神奈川県に入った。

都内に住んでいる頃は、東名高速を終点まで走って、
首都高速に乗り継いでいたが、今は、東名高速の
秦野中井で降りて、10kmほど南下して、
二宮辺りから、相模湾沿いの湘南湾岸道路で、
右手に湘南の海を見ながら逗子へ帰る事になった。

昨日の湘南は、ここのところ冬のような寒さだった香川県と正反対で、
晴天の上、ポカポカ陽気で、海を見ながらの湾岸ドライブは
最高の気分だった・・・・・・・と言いたいところだが、春分の日の休日で、
晴天でポカポカ陽気と来ると、湘南が混まない訳が無く、
多少渋滞したが、それも気にならないほどだった。

二宮から、大磯、平塚、茅ヶ崎を過ぎると、
サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」の歌詞じゃないが、
まさに、「♪~江ノ島が見えて来た 俺の家も近い~♪」である。

江ノ島から、我が家は10kmの距離なので、江ノ島が見えると、
地元に帰って来たなあ~と言う気分になる自分を、
僕もだんだん湘南ジモピーになって来たなあ、
なんて思いながらハンドルを握っていた。

僕の実家も海のすぐそばだが、同じ海でも、当たり前だが
香川県の海と湘南の海ではかなり雰囲気が違う。

瀬戸内海は、島だらけの上に、四国側から本州が見えているので、
かなりせせこましい感じがあるが、湘南の海は、
太平洋なので、ドドーンッと、開放感がある。

それに、湘南の海上では、ウインドサーフィン、ヨット、
カイトサーフィンその他のマリンスポーツで賑わっているが、
僕の地元の海では、客船か貨物船か漁船くらいのものである。

僕の実家の近くにもマリーナはあるが、停泊している数十艘の船の内、
ヨットはわずか1、2艘だけである。

これも、香川県と湘南の文化の違いであろうか?

今や、僕は、香川県の実家に帰る時よりも、湘南に帰って来た時の方が、
ずっと、ホッとするようになった。

僕の気持ちもかなり地元に根付いて来たようだ。

1ヵ月振りの湘南は、すっかり春の様相を呈していた。

湘南が生き生きとする季節の到来である。

披露山公園の桜も、間もなく満開である。


パスモ

2007-03-19 23:48:38 | Weblog
関東で、電車もバスもタッチ一発で乗車OKの、パスモが、いよいよスタートする。



便利になって大歓迎だが、疑問がある。



パスモは大人用と子供用があると言う。



考えてみたら、これまでのスイカも、子供用の定期があったはずだ。




しかし、スイカもパスモも、財布の中に入れたままで、改札のセンサーに感知させるだけで改札を通過出来る。




財布の中に入れてしまえば、スイカもパスモも外から見えないので、子供用のカードを大人が使用していたとしても、改札の機械が、カードを使っている人が大人か子供かは判別出来ない訳で、自分の子供に駅で購入させた定期カードを、大人である親が通勤に使っていたとしても、大人が子供用カードを使用して改札を通過しようとした時に、改札の機械のディスプレイに、「子供通過中」とかの表示が出たのを、たまたま駅員が見つけない限り、不正をチェックするのは、特に朝夕のラッシュ時間などは、まず不可能である。




このような不正乗車は、開発の段階で、開発者も気がついているはずである。




一体どんな不正防止策が施されているか、知っている人がいたら是非教えて頂きたい。




もし、不正防止策が施されて無いなら、僕が子供用カードを使って・・・・・・何でやねん!


519,国際結婚

2007-03-18 10:37:46 | Weblog
今朝の朝日新聞の日曜版に、国際結婚の記事が掲載されていた。


今や、日本では、20組に1組が国際結婚だそうだ。


都道府県別で言うと、最多の東京は、10組に1組が国際結婚だそうである。


いまや、日本の人口の1%が外国人である事と、この国際結婚の多さは無関係では無いのかも知れない。

良く考えてみると、外国人と国際結婚をしても、外国で住んでいる日本人もいるから、実際には、国際結婚カップルは、もっと多い、という事になる。


しかし、東京の10組に1組が国際結婚と言う高い数字には、僕は、いささか驚いた。


僕は、これまでの仕事柄、普通の人よりも周りに外国人の多い環境に居たが、それでも、僕の周りの国際結婚カップルは、すでに離婚した夫婦を含めても、10組にも満たない。


これは、僕の周りの数多い友人夫婦の数からすると、10%にも満たない。


外国人が周りに多くいる環境の僕でさえその程度だから、いくら日本で国際結婚カップルが増えているとは言え、世間では国際結婚なんて、せいぜい全体の数%と思っていたので、驚いたのである。


しかし、僕は感覚が古いようで、日本人の国際結婚カップルと言うと、欧米人の白人男性と日本人女性の夫婦をイメージしてしまう。


実際、僕の一番短かな国際結婚カップルが、カナダ人男性と日本人女性の夫婦や、ベルギー系アメリカ人男性と日本人女性だったりするので、その僕の国際結婚カップルに対する古い固定観念が、尚更、助長されたのかも知れない。


朝日新聞によると、昔は、僕がイメージした通り、一番多かったのは、アメリカ人男性などの欧米人男性と日本人女性の結婚が一番多かったそうだが、1975年には、妻が外国人で、夫が日本人と言うカップルの方が逆に多くなったそうである。


それも、一番多いのが、日本人男性と中国人女性との国際結婚だそうである。


又、過疎に悩む東北の農村に初めてフィリピン人花嫁がやってきたのは、1985年だそうだ。


さる研究機関は、日本人男性とアジア人女性との国際結婚が増えだした背景には、円高などの経済的な側面が大きいと分析している。


その結果、日本人男性はアジアから花嫁まで金で買って来る、と蔭口を諸外国から叩かれた事もあった。

しかし、中国の嫁不足に悩む農村部でも、北朝鮮から日本円にしてわずか数十万円で若い花嫁を買って来て、子供を産む機械や召使いのような扱いをして問題になっている例もあるようである。


又、逆に日本人女性とアジア人男性との結婚も増えているそうで、今や、アメリカ人男性と日本人女性の結婚の数を追い抜いて、第二位だそうである。


じゃあ、日本人女性が一番国際結婚をしている外国人男性って、一体どこの口の男性なんだろう?


20年後には、中国とインドでは、女性より男性の方が、3000万人も多い、アンバランスな人口比率になってしまうそうで、その時には、中国やインドでも、嫁不足で国際結婚ブームが訪れるのであろうか?


しかし、問題は世間の国際結婚より、未だに未婚である、僕の結婚である。


トホホホ・・・・。

518,天然と養殖

2007-03-17 00:15:30 | Weblog
僕は魚が好きで、僕の食事のおかずはほとんど魚で、魚は魚屋でも良く買うし、僕は釣りが好きなので、天然の魚を食す事も多いので、天然の魚と魚屋やスーパーで売っている養殖魚の味の違いは良くわかっているが、言うまでも無く天然の魚の方が美味しい。

魚は、美味しいかどうかは別にして、ほとんどの魚は食べられるが、岩場の魚などは網で大量に捕獲する事が出来ないので、単価がどうしても高くなるので、なかなかスーパーには並ばない。

メジナやイシダイなどは、その代表である。


又、ハゼは、未だに日本に大量にいるのし、最高の天ぷらだねになるのに、魚屋にはまず並ばない。

とまあ、魚でも色々あるが、やはり、魚の場合は、養殖物より天然物に軍配が上がる。

アユ、渓流魚などでは、天然物と養殖物の差は歴然である。
ブリなどは、養殖物の味が、かなり天然物に近づいて来てはいるが、やはり、天然物に軍配が上がる。

昔は養殖は不可能と言われたマグロも近畿大学が30年も掛けて養殖に成功させたが、まだまだ天然物には及ばない。

しかし、これが魚では無く、牛や豚になると、天然物(野生)と養殖物の立場は逆転する。


牛も豚も大昔は、野牛や野豚を狩って食していたはずたが、今では、それらの野生の牛や豚より、人間が飼育した牛や豚の方が、遥かに高級になっている。


松坂牛や米沢牛などは、その代表格であろう。

このまま行くと、海の魚も、天然物より養殖物の方が美味しいと言う時代がやってくるのてあろうか?

別に食べる為だけに、釣りをしている訳では無いが、もしそうなってしまったら、寂しいなあと、思ってしまう僕なのである。

517,動物の命

2007-03-16 18:31:05 | Weblog
昨日、クジラ救出に関して書いたが、以前、友人から聞いた、クジラに関する話を思い出した。


その友人Kは、カツオの一本釣りで有名な、高知県の土佐清水の出身である。


何年か前に、茨城県の海岸に巨大なクジラが打ち上げれて、地元住民が、そのクジラを沖に誘導して何とか救出しようとしたのであるが、地元住民の努力のかいも無く、結局そのクジラは、海岸に打ち上げられたままで、死んでしまい腐敗した。


こういう場合、本来は、地元の行政が、クジラの死体をしかるべき廃棄場所に運んで、廃棄しなければならないそうだが、数十トンもある巨大なクジラを廃棄場所まで運搬して廃棄するには、数千万円もの費用が掛かるが、なにしろクジラが打ち上げられたのは、突発的な出来事なので地元の市には、それだけの予算が無かったと言うニュースがあった。


このニュースを聞いて、土佐清水出身のKは、笑った。


Kが言うには、彼の地元の土佐清水だったら、こういう場合は、とっととクジラを解体して、地元住民みんなでクジラを食べてしまうそうで、クジラの所に地元住民が、クジラの肉を受け取る為に、鍋を持って並ぶそうである。


そんな土佐清水出身のKにしてみれば、この茨城県の住民は、一体何をやっているんだ?ってな感じで、滑稽にうつったそうなのである。


まあ、クジラがまだ生きている間は、沖に返す努力をしてもいいのだろうが、死んでしまったなら、数千万円も市の税金を投入してまで廃棄しないで、Kの言うように、解体して食べてあげる方が、経済的だし、死んだクジラに取っても、良い供養になると僕も思うのである。


時々、若い女性で、食用にするために飼育されている鶏、豚、牛の子供をみて、「こんな可愛い動物が、食べられてしまうなんて、可愛いそう~。」などと馬鹿な事を言う奴がいるが、元来人間は、命あるものを食べなければ生きていけない罪深い生き物なのである。

農作物も命ある植物であり、人間は、その植物が寿命で枯れる前に、その生命を奪って食べているのである。


日本人は、食前に、「頂きます。」と言うが、これは、「これから食べるものの命を頂きます。」と言う意味である。


それが、自然の摂理である。


その事を認識するべきであり、そんな馬鹿は、食用の動物を可哀想とか言う前に、ミンクのコートを着るのをやめるべきである。

食用にされる為に潰された動物の皮や毛皮の製品を着るのはわかるが、ミンクは、毛皮を取るためだけに殺されるからである。


僕は、養殖のみならOKで、野生のミンクはNGとかの問題では無いと思うのである。


僕は釣りが好きなので、普通の人より多く殺生をしているが、釣った魚には、感謝して、その骨でさえダシを取ったりして、なるべく無駄にしないように食べている。勿論、食べない魚は持ち帰らない。


さあ、今夜も、生きとし生けるものに感謝して食卓に付こう。