ドドンパ和也&ラッキーの湘南花鳥風月 

ドドンパ和也が、湘南逗子での四季折々の日々の出来事を徒然なるままに書き綴るページ

272, GW初日は空回り

2006-04-30 18:10:08 | Weblog
とうとう、ゴールデンウィークがやって来た。
僕は、当然、ゴールデン・フィッシング・ウィークである。

そして、昨日の初日は、天候は曇りだが、潮周りは最高の大潮で、
波も静かで、風も弱い事を下調べしてあったので、早朝4時に起きた。

そして、すぐに逗子海岸に海のチェックに行った所、
予報通り、曇りだが、海は実に穏やかだったので、
急いで朝食を取り、釣りの準備をして、出船した。

ボートを持ってから、大潮で、海が穏やかで、更に、寝坊せずに、
早朝に起きられて、出船出来たのは、今日がはじめてである。
(写真は、本文中の釣果。ゴールデンウィーク初日だと言うのに、なんとも、寂しい釣果である。)


そして、ゴールデンウィークの初日!
いやが上でも、気分は盛り上がる!!!
目指すは、大漁である!!

いつも、寝坊」してしまって、釣りをする時間が短くなってしまい、
なかなかいけなかった、僕がボートを出す、逗子海岸からは、
僕のミニボートで、小一時間も掛かる、葉山沖の
真鯛も釣れる一級ポイントを目指した。

そこは、僕の住む逗子海岸の隣の葉山の森戸海岸の、更に隣の
天皇陛下の葉山の御用邸がある、一色海岸の沖のポイントなので、
そりゃあ、遠いはずである。

ポイントの到着すると、早くも多くの釣りボートが集まっている。

僕も遅れを取ってはならずと、早速釣り始めるが、

1時間経ってもl、2時間経っても、小魚1匹釣れない。

こりゃあ、まずいとばかりに、錨を上げて、先日、大型サバや、
超高級魚のマハタを釣った、逗子沖のポイントに移動するがやはり釣れない。

それで、困っていると、はるか沖合いに釣り船の船団を発見。

普通は、ミニボートで行ける海域では無いので、行かないが、
今日は、本当に沖合いでも、室内プールのような海面だったので、
意を決して、その沖合いの船団のところまで行って見た。

かなり水深のある場所の船団だったのと、季節から考えて、
アジ・サバ、もしくはマダイ狙いの船団と言う予想は容易についたが、
近づいてみると、アジ釣りの船団であった。

僕は、その中でも一番、釣り客が大勢乗っている釣り船の後方にボートをつけた。

その釣り船の客が海中に撒いたコマセ(撒餌)が、僕のボートの方に
流れてくるので、有利になるからである。

同じ、理由で、コマセを使う釣りでは、船の一番トモ(船尾部分)が、
一番釣れる釣り座と言われている。

釣り船の近くで釣りをすると、いろんな情報が得られて助かる。

釣り船では、船長がマイクで、釣り客に、魚の居る水深を伝えたり、
いろんな指示を出すので、近くで釣りをしていると、
それが丸聞こえだからである。

「水深は、65mだけど、45mから、35mの間で反応が出ているよ。」

と、船長の声が響いた。

僕の魚群探知機は、¥5000で買った、おもちゃのような代物なので、
65mもの深い水深のい場所では役に立たないので、
この情報はありがたかった。

それを知らなければ、海底を狙っていたところである。

そして、仕掛けを海面から45m降ろして、そこから探ってくるが、
いっこうに釣れない。

廻りの釣り船も、皆、ほとんど釣れていない。

しばらく粘って、やっと、27cmのアジが1尾掛かったが、
後が続かず、結局、初のかなり沖合いでの釣りは、アジ1尾。

これでは、晩御飯のおかずには足りないので、逗子海岸に帰る途中に、
シロギスを狙ったが、これが又、釣れない。

やっと2尾釣ったが、その内の1尾が、ピンギス(体長10cmほどの小型のソロギス)

だったので、これを生餌にして、ヒラメを狙ってみたが、
全くあたりも無く、その内、大粒の雨が降って来た。

釣れない上に、冷たい雨は、戦闘意欲をそぐ。
とうとう根負けして、帰港する事にした。

今日は、ゴールデンウィークの初日とあって、ちょっと気負いすぎたようである。

まあ、その数少ない獲物を、夜、塩焼きにして食べたら、
ほっぺたが落ちそうなくらい美味しかった事が、唯一の救いとなった。

泣くな、和也。明日は、必ず、大漁旗!!


271, どこにも行かないゴールデンウイーク

2006-04-28 21:29:23 | Weblog
いよいよ明日から、ゴールデンウイークが始まる。

又、例によって、テレビのニュースでは、全国各地の行楽地の混雑ぶりや、
海外に出掛ける人々の成田空港の模様を報じるのであろう。

世間の人に取って、ゴールデンウイークは、1年で一番長く休みが取れる
期間なので、張り切っていろんなレジャーに出掛けるのであろうが、
僕は、仕事が仕事なので、社会人になってから、ゴールデンウィークに
遊びに行った事はほとんど無い。

大体、コンサートの現場か、地方のイベントの仕事の現場に行っていたように思う。

稀に、ゴールデンウィークに休みが取れたとしても、
何か、変な日本人根性が出てしまって、どこかに遊びに行かないと
損をしてしまうような脅迫観念があって、無理にでも、
どこかしらに、出掛けていたように思う。

そして、現在、僕は、湘南逗子に住んでいる。

週末の休日や、ゴールデンウィークみたいに時に、
大渋滞、大混雑の中を、リゾート地に出掛けるなら、
いっその事、そのリゾート地に住んでしまえ!
とばかりに引っ越して来たのが、暖かい季節なんぞには、
余りのリゾート振りに、労働意欲など全く無くなってしまうような
リゾート感覚の街、逗子なのである。

だから、僕は、今年のゴールデンウィークは、どこにも出掛けない!

ずっと逗子に居る。

そういう事がしたいから、逗子に引越して来た訳で、その恩恵を
十分に受ける時が来たのである。

当然、人気のリゾート地、逗子にも明日からのゴールデンウィークには、
大勢の行楽客が訪れるだろう。

彼等は、渋滞の高速道路を車で何時間も掛け湘南までやって来て、
どこに行っても人、人、人、の、鎌倉や葉山、江ノ島の行楽地を巡り、
又、午後3時過ぎには、帰宅渋滞が始まる高速道路を
疲れた身体で運転しながら、何時間も掛けて帰るのである。

そんな、東京へ帰る車で大渋滞する湘南湾岸道路を、
逗子の海の上に浮かべたマイボートの上から、釣り糸をたれながら、
余裕で見る僕なのである。快感である。

まあ、ほんの数年前まで、僕もその行楽渋滞の中に居た人間なので、
同情はするが・・・・・・

まあ、僕も、このゴールデンウィークに毎日出掛けはするが、
自動車ででは無い。

先月購入した、マイボートで、自宅から、逗子の海にである。

ゴールデンウィークともなると、逗子葉山鎌倉の海も、
ヨット、ウインドサーフィン、ジェットスキー、その他で賑わうが、
流石に渋滞はしないし、ちょっと沖まで出れば、貸切状態である。

さあ、明日からのゴールデンウィークは、リゾート地に住む、
優越感を思いっきり感じてやろうと思っている僕なのである。

遊び過ぎて、脳みそのシワが伸びきってしまわないように、気をつけなくちゃ。

270, 中国雑技女性芸人 Yさん

2006-04-27 08:21:55 | Weblog
自ずから、「釣りバカ」を自称してはばからない僕は、
このブログを、ネタが尽きるまで、釣りネタで書き続けると
数日前に宣言したが、早くも釣りネタが尽きてしまった。

釣りのネタは尽きたが、先週末に釣った魚は、まだまだ
我が家の冷蔵庫の中に貯蔵してあるので、僕は、毎日、
朝食と夕食は、その魚をおかずに食事を取っている。
そのせいか、自宅で肉を食べる機会が極端に減ったような気がする。

それでは、早速、釣り以外の話題を。

僕は、このブログでは滅多に仕事に関する事は書かないが、
今日は、珍しく、仕事関係の話題を。

昨日、僕が仕事で現在制作している、王晶と言う、
中国人女性二胡奏者のCDアルバムのジャケット写真の撮影があった。

撮影は、「南国の楽園」の雰囲気を出したかったので、
撮影スタジオでは無く、都内の熱帯植物園で行った。

現場には、弊社のレーベルである、メロネストエンターテインメントから、
僕を含めて3人と、衣装担当のスタイリスト、ヘア&メイク、カメラマン、
王晶本人と、王晶がまだ、来日1年で、日本語があまり喋れ無いので、
通訳代わりに来て頂いた、王晶と同じ中国人プロダクションの、
中国雑技の女性芸人さんの中国人のYさんの、総勢8人が揃った。

そして、王晶にメイクが施され、衣装に着替え、熱帯の植物が生い茂る
熱帯植物園の中で、撮影は進んでいった訳であるが、
その撮影の合間に、王晶の通訳代わりに来て頂いた、Yさんと
(勿論、日本語で)色々話をしていたのであるが、人の人生は色々だなと思った。

二胡演奏家である、王晶も、幼少の時から、音楽学校一筋で学校を出て、
現在に至っているので、普通の学校に通って大人になった中国人や
日本人とは、違った生き方をしてきていると思うが、
Yさんの場合、もっと、特殊な人生を歩んできているようだ。

Yさんは、7歳で、天津の雑技学校に入学して、雑技を習い始めたそうだ。

雑技の練習は、幼い7歳児相手でも、まったく手加減は無く、
最初の2年間ほどは、来る日も来る日も、基礎練習ばかりを
やらされるのだそうだが、それが、とてつもなく厳しいのだそうだ。

あまりの練習のキツさに、雑技学校の子供達の顔からは笑顔が消え、
笑うのは、2週間に1度くらいだったと、Yさんは、回想していた。

おまけに、雑技学校は完全寮生活だった為、家に帰れるのは
たまにだけだったそうで、それはそれは、キツイ学校生活だったそうだ。

言い方は、適切では無いもしれないが、日本に於ける。
「戸塚ヨットスクール」のような、キツさだったのかもしれない。

7歳の子供が、自分で、雑技学校への入学の意思を、
両親に告げて、入学をした訳では勿論無く、親が、
我が子の事を思ってか、何らかの思惑があって、
雑技学校に入学させたのであろうが、雑技学校と言えば、
日本風に言えば、「サーカス学校」である。

Yさん本人が言っていたが、普通の学校はバランス良く、
すべての知識を学生に教えるように授業が組まれているが、
雑技学校は、雑技を習得する事を、すべてに優先しているので、
自分は、20代の若者なら、世界中のかなりの同世代の若者が、
普通、学校で勉強してきている英語も、雑技学校と言う、
特殊な学校にずっと通っていたので、勉強した事が無いと言っていた。

雑技学校時代は、かなり辛い思いをしたようだが、
卒業後は、雑技の花形芸人として、文化交流の一環として、
ヨーロッパでは、オランダ、ドイツ、ベルギーを公演で廻り、
その他にも、エジプトやアフリカのモロッコも公演で行ったそうである。

それも、全部、20代前半の頃に世界を廻ったそうで、
ワールドワイドな芸人さんである。

特殊な雑技学校に入学したせいで、普通の学生が享受してきたような
楽しい学校生活は経験出来なかったかもしれないが、
その特技のお陰で、若くしてこれほどの諸外国を、
それも仕事で廻れたのであるから、正に、「芸は身を助く」、である。

そういう、自立心の強い女性は、どこに言ってもやはり、
ポジティヴなようで、Yさんは、日本に来てからも、
来日してすぐ、雑技の仕事をはじめたので、
日本語学校にも通っていないそうだが、
来日して、5年だと言うYさんの日本語は、
とても、来日5年とは思えないくらい流暢だった。

そのほとんどを、テレビを見て、テレビドラマの役者が喋る日本語を
まねして、日本語を覚えたと言っていた。

外国に行っても、日本人同士で徒党を組んでしまって、
ほとんど、その国の言葉を覚えようとしない日本人や、
その逆に、日本に何年も住んでいるのに、
全く日本語を覚えないと言うか、覚えようともしない
外国人が居るが、このYさんを見習って欲しいものである。

特に、外国の球団から、助っ人外国人として来日する、
プロ野球選手の外人連中のほとんどは、何年日本に居ても
ほとんど日本語が喋れ無い選手が多い。

勿論、彼等は日本に、野球をしに来た訳であって、
日本語を勉強しに来た訳では無いが、
覚えた方が、野球のプレーにも、当然役に立つ訳で、
それを実感して、一生懸命に、日本語を覚えようとする、
千葉ロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督と
比べてしまうのは、僕だけであろうか?

更に、これは昔から思っている事であるが、相撲界に入った
外国人力士の日本語の上手さは、驚異的である。

来日、5年くらいの力士になると、そのほとんどが、
日本人と遜色無いくらいの流暢さで、日本語を操っている。

プロ野球の助っ人外人の場合、それが、マイナーリーグ出身の選手であっても、
球団が通訳を用意するが、相撲界の場合、その入門する外国人力士が、
母国で、どんなスポーツエリートであっても、通訳を付けないどころか、
相撲部屋では、すべて日本語を喋る事を強いるそうであるから、
外人力士の方が、日本語が上達するのは当たり前かもしれない。

Yさんの場合にも、彼女が来日した当時は、彼女の中国人プロダクションに
通訳を出来るスタッフは居なかったそうで、
事務所の社長から、芸人たるもの、舞台でも自分で日本語で喋る為に、
日本語を勉強するように、厳しく言われたそうで、
そういう環境も手伝って、日本語が上達したのかもしれない。

それにしても、一芸に賭ける人達は若くても、
根性が入っているなあ、と改めて感心した1日であった。

王晶さんの場合、事務所の寮で、同僚の中国人に囲まれて暮らし、
毎日舞台に立っている都内のホテルの高級中国レストランのステージの
仕事の時にも、仕事の相棒が、やはり中国人演奏家で、
事務所のスタッフの方も中国語が喋れるので、
Yさんの来日当時のように、どうしても日本語を喋らなければならない、
と言う場面が、少ないようなので、日本語はまだまだのようであるが、
彼女のCDが、8月上旬に発売されると、ラジオ出演や、
雑誌や新聞の取材は、まあ、なんとか通訳の同席を許してもらったとしても、
CDショップのインストアライブや、コンサートでステージに立つ際には、
通訳は、確実に付かないので、その時に、日本語が喋れなくて困るのは、
本人なので(スタッフである僕等も困るが)、日本語習得に
頑張って頂きたいものである。

王晶さんの場合、うら若い女性なので、間違った日本語を喋ると、
恥ずかしいと言うのもあるんだとは思う。

僕の場合、中国語を仕事上で、少しは覚えなくてはならなくなったのが、
35歳の時だったので、そういう羞恥心は全く無かったし、
僕の片言の中国語を聞いたら、どの中国人の方だって、
僕が、中国語の初心者である事は、すぐにわかるだろうから、
間違ったって、許されるだろう、と言う、勝手な思い込みがあったので、
平気で、間違った中国語で喋りまくっていたが、それも問題があるが・・・・

例えば、僕は「オナラ」と言う中国語は知っているが、「ゲップ」と言う
中国語は知らなかったので、ゲップの事を、「口のオナラ」、
ってな具合に、勝手な中国語を造語して喋っていたのである。

下ネタを話す時にも、「包茎」と言う中国語を知らなかったので、
「皮を持ったオチンチン」と言う言い方をして、中国人に笑われた。

普通の若い女性にとって、外国語の間違いで笑われると言うハプニングは、
恥ずかしい、避けたい事なのかもしれないが、
僕の場合は、それは、そうなるように望んでいる事であり、出来れば、
わざと間違って、笑いを取りたいくらいなので、
根本的に考え方が違っているかもしれない。

しかし、本気で外国語を勉強しようとすると、最終的は、
僕のようないい加減な考え方では、外国語は上達せず、
その証拠に、僕の中国語も英語も、ネイティヴスピーカーが、
自分の身の回りにたくさんいるにも関わらず、いまだに、片言である。

何にしても、親元を、母国を遠く離れ、言葉の通じない日本で
うら若い女性がやっていくのは大変だと思うが、王晶もYさんも、頑張れ!

加油!!

269, ボート釣りとシャワートイレの意外な相関関係

2006-04-26 00:24:57 | Weblog
僕の家は、中古で購入した時に、トイレにシャワートイレが付いていたのだが、
故障していたので、修理を頼んだが、型が古すぎて修理が出来なかった。

なので、わざわざ数十万円を投じて、新品のシャワートイレを
我が家のトイレに設置した。

工事費を入れた、その総額は、僕のボートの値段より高い。

どうして、そこまでしてトイレに、シャワートイレを付けたかと言うと、
第一に、それまで住んでいた都内の家のトイレには、
シャワートイレが付いていて、一度、シャワートイレを
経験してしまうと、僕の場合、もう、シャワートイレ無しでは
居なれない体になってしまったという事がある。

僕は、良くお酒を飲むので、年中お腹がゆるく、
軟便が出る事が多く、下痢も良くするのであるが、
そうなると、トイレットペーパーで、オシリを拭いても拭いても
なかなかオシリが綺麗にならなかったりする。

しかし、シャワートイレの温水で洗浄すると、
オシリが非常に綺麗になるので、綺麗好きの僕としては、
シャワートイレが無い生活は、もう、考えられないものだったのである。

第2の理由としては、以前、このブログでも書いたが、
いつからか原因不明の痒みに、僕のオシリの穴が見舞われるようになり、
まずは、オシリの穴を清潔にする事が、一番大事だと、
逗子駅前の内田肛門科病院の医者から、シャワートイレを
進められたというのがある。

そして、第3の理由だが、これは、以外にも、現在、僕が凝っている
ボート釣りの為なのである。

ボート釣りと、シャワートイレが、一体何の関係があるんだと、
皆さん思われた事でしょう。

しかし、シャワートイレは、海のボート釣りに、
非常に重要な役割を果たしているのです。

ちょっと話がそれますが、僕が大好きな釣りは、その愛好者の人口は、
圧倒的に男性が多く、女性は、まだまだ少数派である。

その理由としては、ミミズ等の、決して気持ちが良いとは言えない
生きたエサを触るのが嫌だ、と言う女性が多い、と言う事もあるでしょう。

確かに、釣り好きの僕だって、川釣りをする時のエサの、
ミミズや、海釣りをする時の、海版ミミズとでも言うべき、
イソメ、ジャリメ、ゴカイ、を触るのが好きだと言う訳では無い。
触るとベタベタウネウネしているし、臭いし、イソメに至っては、
ハリのような牙があるので、時々噛み付かれたりするので、
僕だって、出来れば触りたく無いが、それらの気味の悪いエサが、
魚の好物なんだから、触って、釣り針に付けるしか、
仕方が無いのである。

そして、もう1つの理由としては、釣りは、当然、野外での遊びなので、
ほとんどの場合、釣り場には、トイレが無いと言う事が、
釣りの女性愛好者が少ない理由の1つになっていると思う。

料金を支払って、魚を釣る、管理釣り場や、海でも、
入場料を支払って魚を釣る、海釣り公園とかには、
ちゃんとトイレが常設されているし、
船釣りの場合でも、30人乗りクラスの遊漁船になると、
流石に水洗では無いが、100%トイレが装備されているので、
そういう場合の釣りの場合には、女性でも、
釣りに参加出来るであろうが、
山の上の渓流釣りとか、海の磯釣りとかになると、
大自然の中での釣りになるので、当然、トイレなど無い。

そして、やはりトイレに困るのが、ボート釣りである。

海岸や湖で、釣り客用に貸し出している手漕ぎボートや、
僕が持っているような、エンジン付きとは言え、
2人乗りクラスのミニボートの場合、当然であるが、
トイレなどは付いていないので、やはり、トイレに困るのである。

一昨日に、このブログで書いたが、15年程前に、
ブラックバスのルアーフィッシングにはまって、
千葉の印旛沼に通っていた時には、早朝の6時から、
夕方の5時まで、実に11時間も手漕ぎボートに乗って
釣りをする訳だけど、当然、11時間もボートに乗っていたら、
オシッコだって、ウンコだって、催してくる訳で、
僕は男なんで、オシッコは、ボートの上から、
湖面に向かって、立ちションをしていたが、
ウンコは、流石に、立ちウンコを出来る訳でも無く、
どこか人気の無い岸にボートを付けて、その草むらで
用を足した事が、何度かある。

しかし、現在僕がやっているボート釣りは、海のボート釣りである。

一旦、沖に出てしまったら、オシッコは、湖の場合と同じように、
ボートの上から、海にするとしても、ウンコの場合は、
そういう訳にいかないし、湖の場合のように、
ボートを寄せる岸など、大海原ではどこにも無い。

もし、1時間掛けて、沖のポイントに来ていた場合には、
ウンコをする為に、海岸に戻って、用を足して、
再び沖合いのその釣りのポイントの戻って来るのに、
最低でも、2時間以上掛かる事になる。

そんな、事をやっていたら、釣りの時間が無くなってしまうのである。

そこで、シャワートイレが活躍する事になるのである。

だから、僕は、ボート釣りに出る前には、ちゃんとトイレに行くだけでなく、
シャワートイレの洗浄の水圧を最強にして、
そろそろ出ようかな?どうしようかな?と、大腸の中で、
躊躇しているウンコ君を、シャワートイレの強烈な水圧で刺激して、
本来なら、排便するのは、まだ、何時間も後のはずの、
ウンチもそのシャワートイレの強烈な水圧の刺激を借りて、
全部出してから、ボート釣りに出かける。

お陰で、現在の所、沖合いで、大きい方の便意を催した事は、
まだ、一度も無い。これも、シャワートイレ様々である。

シャワートイレは、そもそも、排便をした後の、オシリを
清潔に洗浄する為のものであり、排便を促す為のものでは無いので、
そういう使い方をするのは、体に良くないと忠告してくれる知人も居るが、
それなら、ボート釣りに出る前の僕に、浣腸をしてから、海に出ろ、
とでも言うのであろうか?!

スポーツ紙で読んだが、スポーツ選手も、サッカー選手は、
フル出場する場合には、最低でも45分間はトイレに行けないし、
野球選手も守備が長引いた場合には、数十分トイレに行けないので、
試合に出る前に、シャワートイレで、出すものを全部出してから、
試合に出る選手が多いと言う記事を読んだ。

たかが、数十分の為にでさえ、シャワートイレを利用しているのである。

僕のボート釣りの場合、長い時には、10時間以上、ウンチが出来ない
状態に居る訳なので、シャワートイレを使って、出すものを
全部出して大正解なのである。

このように、大きい方の用が足せない、海のボート釣りに出る前には、
シャワートイレで、お腹の中をスッキリさせてから、海に出る事が
非常に重要なのである。

意外と知られていない、ボート釣りとシャワートイレの意外な相関関係である。

p、s、

海上で釣りをしていると、手漕ぎボートで、それもかなり海岸から遠い沖で、
釣りをしている女性釣師をたまに見かけるが、大きい方をもよおした場合や、
大きい方で無い場合でも、オシッコがしたくなった場合、一体どうやって
処理をしているのであろうか?

謎は、深まるばかりである。

268, 僕の釣りバカ遍歴 その2  釣りの為に逗子に引越し

2006-04-25 07:39:53 | Weblog
僕は、1ヶ月前に、2度目のマイボートを入手し、
毎週末そのボートで海に釣りに出ているが、その状況を見て、僕に、

「御自宅から、ボートで海に出て、釣りが出来るなんていいですねえ。
 でも、それも今のお宅のように、海まで歩いて1分の、
 海に近いおうちに御住まいだから、出来る事ですよ。」

などと言う人が居るが、その意見は、根本的に間違っている。

今の海に近い家に住んでいるから、自宅からボートで海に出られるのでは無く、
自宅の庭に釣り用のボートを置き、自宅から出航したかったからこそ、
引越し先を逗子に決め、それも、なかなか出物が無い、
海に近い家を、わざわざ探して探して住んでいるのである。

今の家に住むまでに、何十軒と言う家を見て来たが、どの家を見る時でも、
ボートを置くスペースがあるかどうかを、そして、家の前の道幅が、
ボートが通れる道幅であるかどうか、そして、逗子海岸までの距離を、
一番最初にチェックした。

幾ら、釣り好きの僕でも、自宅から、3m以上あるボートを、
1km以上も住宅街を引っ張って逗子海岸まで行く訳には行かないので。

僕が、現在の家を、不動産屋に連れられて、はじめて見に来た時、
普通は、まずは、家をジックリ見るのが普通なのだろうが、
いきなり、家の前の路地の幅をメジャーで計り出した僕を、
不動産屋は、たいそう不思議そうな顔で見たものだであった。

しかし、僕にしてみれば、家の内装よりも、家の前の道幅の方が重要だったのだ。

当たり前だが、自宅から、その路地を通って、ボートを
逗子海岸まで運ぶ訳なので、その道幅より幅があるボートは、
物理的に、家の前の路地を通れないので、買っても意味が無いのである。

そして、どうせ買うなら、そこそこの大きさのボートにして、
それで、かなり沖まで出て釣りをしよう、と言う、
滅多に我が家に来ない友人の進言も聞き入れず、
たった2人しか乗れない、小型のミニボートにした訳だが、
今では、大正解だと思っている。

結局、このボートで海に出るのは、僕1人の場合が、
圧倒的に多いので、たまにしか来ない、釣り仲間の意見を取り入れて、
又、大き目のボートを買ってしまうと、15年前の二の舞になってしまうからである。


しかし、僕のボートだと、ちょっと海が時化た時には、すぐに
海に出られなくなる事も、又、事実。

そんな時には、今回のボートはKeepしておいて、
更に、友人何人かと共同で、7人乗り位で、かなり沖まで出れる
伝馬船を、逗子から車で10分の、安価な横須賀市営の秋谷港マリーナに
置ければいいなあ、なんて事も考えている僕なのである。

葉山の漁師から、伝馬船を安く譲ってもらって、7人くらいの
地元の釣り仲間と、共同で、そのマリーナにその船を置けば、
その市営マリーナは、月額21000円で、1回のボートの、
クレーンでの陸上から海への上げ下ろしが、3000円、
駐車場が1日で、600円と、民間の逗子マリーナや、
葉山マリーナに比べると、10分の1以下の格安なので、
共同で船を持つと、1人あたりの、1ヶ月の負担額は、
僅か3000円で、1回マリーナを使うごとに掛かる費用は、
3600円なので、これなら、葉山の海岸で、
釣り用の手漕ぎボートを借りるのと同額だし、安いので
僕のような庶民でも可能である。

しかし、この秋谷マリーナは、「マリーナ」とは、名ばかりで、
基本的には、秋谷漁港なので、レストランも売店も、いわゆる
一般の人がイメージする施設は一切無い。
敷地には、漁師の漁の網が干されていたり、
日焼けした漁師が漁具の手入れをしており、
港に繋がれている船のほとんどは漁船である。

しかし、それでいいのである。
基本的に、マリーナに観光客は要らない、が、僕の持論である。

しかし、これを実現するには、その秋谷マリーナに置いた船の所有者の1人が、
横須賀市民である必要があるので、これから、地元で釣り仲間を増やして、
いつかは、この秋谷マリーナに、中型の船を置く計画も、
実現してやろうと思っている僕なのである。

まあ、僕が金持ちなら、自宅から歩いてもいける、葉山マリーナに船を置きたいが、
まあ、それは、宝くじでも当たった暁にでも・・・・・・

まあ、横須賀市民の釣り仲間が出来るまでは、
葉山マリーナで、レンタルボートクラブの
会員に入会し、大きなモーターボートに乗りたい時だけ、
葉山マリーナで、高速モーターボートを借りればいいや、
なんて、色々考えているのである。

自宅が逗子なので、海釣りばかりやっているが、
逗子からは、日本no,1のブラックバスフィッシングのメッカの
箱根芦ノ湖もそう遠くないし、車で1時間ほどで行ける伊豆半島には、
1000m級の山々があり、渓流魚が棲む渓流が多々ある。

ボート釣りの合間をみて、その芦ノ湖のブラックバスや、
伊豆半島の渓流魚にも、挨拶に行かなければならない僕は
忙しいのである。

と、まあ、湘南在住の僕の夢は拡がる一方なのである。

マイボートで、再び火がついた、僕の釣りバカ。

一体、どこまで加熱するかは、僕自身にもわからないのである。

p、s、

釣り以外にも、ウインドサーフィンやシーカヤック等々のマリンスポーツも
はじめようとは、考えているのであるが、それらをはじめると、
それらのマリンスポーツは、風が強くボートが海に出られない時や、
雨天の時でも、天候に関わらず楽しめるマリンスポーツなので、
それらを会得すると、今まで、風が強く波が高かったり、
雨天とかで、釣りに出掛けられなかった日は、
自宅で地団駄を踏んでいたが、今後は、そんな日も、
海で遊べるので、僕の湘南ビーチサイドライフは完璧になるのである。

う~ん。なんて、僕は道楽者なんだろう・・・・・・・

267, 僕の釣りバカ遍歴 その1 初めてのマイボート

2006-04-24 23:09:11 | Weblog
ここのところ、僕のブログは、完全に、「釣りバカ日誌」になっている。
それだったら、ネタが尽きるまで、釣りネタで押し通してやろうと決めた。

では、早速・・・・・

僕が、1ヶ月ほど前に、釣り用のボートを買った事は
このブログで書いたし、僕が無類の釣り好きだと言う事も、
僕のブログを読んで下さっている方には、良くお分かりだと思う。

僕は元々、子供の頃から釣りが好きだったし、
大学時代には、魚を釣りたい一心で、
今、考えると完全なインチキ商品だった、
「フィッシュカモン」(名前からして、すでに怪しい)と言う、
電動集魚機まで購入するほど釣りが好きだったが、
廻りの人達から、呆れられるほど、釣りにのめりこみ始めたのは、
30歳の頃に、当時勤務していたプロダクションに所属していた、
ロックバンドのメンバーから、ブラックバスフィッシングを
教えてもらってからである。

それまで、話には聞いていたが、やった事が無かった
ブラックバスのルアーフィッシングは、元々好きだった僕の釣り熱を、
早稲田大学のイベントサークル、スーパーフリーの和田代表、
いやさ、レイプ犯の和田被告の性欲のように、炎のごとく燃え上がらせた!!!

釣り好きは、釣り熱に火がついてしまうと、自分に関わる可能な限り
多くの事を、釣りに好都合なように変えてしまう。

僕の場合、ブラックバスフィッシングをする為に、毎週、
都内の目黒から、成田空港の近くの印旛沼にまで、
毎週のように通って、朝、6時から借りれるレンタルの手漕ぎボートで
釣り仲間とブラックバスフィッシングを楽しんでいた。

すると、印旛沼の湖面には、レンタルボート軍団以外に、
バスフィッシング専用の個人所有のバスボートで
釣りをしている人達が居るではないか!

バスボートと言っても、ピンキリで、下は10万円以下のものから、
上は、500万円以上し、時速100km以上スピードの出る、
高級艇まである。

彼等は、印旛沼のどこかの港にそのボートを係留していたり、
ボート専用のトレーラーでボートを車で牽引して来たり、
もっと小型のボートの場合には、車の屋根に、
ボート積載用のキャリアを付けて、車で運んで来たりしていたが、
彼等に共通している事は、マイボートなので、
時間を気にせず、好きな時間に釣りが出来ると言う点である。

僕は羨ましかった。

しかし、当時、マンション暮らしの僕では、安価なボートを買えたとしても、
置き場所が無いし、当時、僕が乗っていた車も、
屋根にボートを積載できるようなタイプの車では無かった。

それに、ボートを操船するには、船舶免許が必要だが、
僕は、それすら持っていなかった。

しかし、僕は考えに考えた挙句、マイボート入手に向け、
一歩一歩前進を続けた。

まず、大前提となる、船舶免許の講習会に通い、実技を練習し、
船舶免許試験を受験して、船舶免許を取得した。

そして次は、ボートを買った場合、それを釣り場まで運搬出来る車に
愛車を買い換えた。

それまで僕が乗っていた車から、
4WDのアウトドア用の車に買い替えたのである。

勿論、ローンだが、ここまでで、すでにかなりのお金と労力を使っている。

そして、ついに、ボートを(またもや、ローンで)購入したのである。

しかし、自宅はマンションなので、平置きすれば、
軽自動車を置くくらいのスペースを実用とするボートを
置く場所なんてどこにも無い。

しかし、蛇の道はスネイク。

色々調べた結果、ボートの中には、分割式のものがあることがわかった。

つまり、80cm×160cm程の、バスタブのような、ボートのパーツを、
4つつなぎあわせると、長さ3,2m、幅1,6mの、3人乗りの
ボートが出来上がる、組み立て式ボートなのである。

これなら、分解した時のパーツは、僕のマンションのベランダにも置けるし、
4階の僕の部屋から、1階のガレージの僕の車の屋根に積むために、
エレベータで運ぶ時にも、ぎりぎりエレベーターにも乗る。

と言うか、まず、マンションのベランダの寸法や、
エレベーターの寸法を計り、それに合ったボートを選んだのである。

しかし、分解しても、1つのパーツが、20kg以上有り、
非常に重かったので、それを運ぶ為の、特注の台車を、
東急ハンズに特注したほどの熱の入れようであった。

そのモーターボートは、一旦水上に出てしまうと、
そこが湖であろうが、海であろうが、9,9馬力の
エンジンの推進力で、高速で移動出来たので、快適そのものだったが、
問題も多かった。

まず、マンションの4階の僕の部屋から、1階の駐車場まで
ボート本体や船外機エンジンや、それ以外の様々な道具を合わせると、
おそらく200kg近い荷物を、4階と駐車場を何度も何度も往復して
運ぶのは、想像以上に疲れる作業だった。

そして、次は、それらの大量の荷物を車に積み、総重量が60kg以上の
ボート本体を、車の屋根に運び上げ、くくりつけるのは大変な作業だし、
第一、最低2人いないと出来ない作業だった。

そして、やっとの思いで車に積み込んでも、目的地の海や湖にt到着したら、
又、その荷物全部を車から降ろして、今度は、ボートを組み立てなければならない。

そして、やっと出航になる訳だが、そこまでで、すでに疲れてしまっている。

そして釣りが終わって、岸に返って来たら、又、出航するまでにやって作業の
逆をやらなくてはならない。

釣りに行く前は、胸がわくわくしているので、そうでも無いが、
釣りから帰った時のヘトヘトの状態での、その作業はとても辛かった。

なので、最初の頃こそ、マイボートで、湘南の海、印旛沼、そして、
伊豆の海まで足を伸ばした事もあったが、
やはり、その余りの面倒臭さから、組み立てるのが嫌になって、
しまいには、葉山の森戸海岸に放置し、海に出る時だけ、
船外機エンジンを持って行って、乗るようになっていたが、
いよいよ最後には、それすらしなくなり、葉山の釣り仲間に
管理を任せるようになっていた。

100万円以上もした、モーターボートであったが、結局、数年しか使わず、
ローンの支払いだけが、残るという寂しい結果になってしまったのである。

高い勉強料に付いたが、こうして、僕の最初のマイボート作戦は
大失敗に終わったのである。

しかし、その為に、船舶免許を取得し、ボートを運べる車に買い替え、
そして、マンションのベランダや、エレベーターの寸法まで測り、
それに合う、モーターボートを探し出して、入手した、
釣りバカの情熱だけは、認めて頂きたいのである。

そして、この15年前の失敗を糧に、今回の僕の、2回目の
マイボート購入作戦に繋がっていくのである。

明日に、つづく・・・・・・

266, 初の早朝出航したのに・・・・

2006-04-23 18:00:47 | Weblog
(今日の釣果。釣れてうれしくない事は無いが、そろそろ、先日のマハタや大型のカサゴのように、ちょっとサプライズな獲物が釣りたいなあ・・・・)


昨日は、寝坊して、4時間ほどの釣りになってしまったし、
今日は、天気予報に寄ると、昼くらいまでは、
釣りが出来る天候らしいので、午前中だけでも
つりをしようと、早起きして海に出た。

早朝の4時30分に起きた。

どえらく早い時間に思うだろうが、都内に住んでいた頃は、
湘南まで釣りに行くのに、深夜2時頃おきていたので、
それに比べれば、遅いくらいだが、マイボートを持ってからは、
いつでも海に出れると言う余裕からか、
早起きして海に出る事が無く、今日が、はじめての、
つりの日らしい、早起きとなった。

朝食を食べ、ボートに釣り道具を積み込んで、6時に逗子海岸から出航した。

昨日の、イワシの生餌を使っての釣りが面白かったので、
今日も、まず、サビキで、エサとなる、イワシを狙ったが、
雑魚のイワシと言えども、釣れない時には釣れない。

しかし、割と速めの時間帯に、10尾ほどイワシがつれたので、
それを生餌に肉食魚を狙った。

しかし、イワシエサの竿には、アタリが無く、そのイワシを釣った
サビキ仕掛けの竿に、大きなアタリが来た!!

それもかなり強い!!

昨日、大型のサバを釣った竿に比べると、かなり太い竿だったが、
その竿先が、海面に突き刺さった!
そして、かなり強い力で、海底に向かって、グイグイ引く。

今日は、サビキ仕掛けを、かなり太い仕掛けにしておいて良かった。

昨日使っていた、細いサビキし掛けだったら、
一発で、糸を切られているような、強烈な引きだ!

僕のボートのすぐ近くで、つりをしていた、遊魚船の釣り客の視線が
くの字に曲がった竿でファイトする僕に集まっていた。

ここで、バラす(魚を逃がす)訳にはいかない。

長いやり取りの後、海面に浮かんで来たのは、
昨日の大型のサバより、更に大きなサバだった。

しかし、その後が続かず、投げ釣りの竿に、シロギスが、
ポツリポツリ、飽きない程度に釣れてくるが、
今日使っているエサは、昨日の残り物なので、
数時間つりをしていたら、エサが無くなって来た。

後、1回、仕掛けを海中に投入したら、エサが全部無くなると言う時に、
うまくしたもので、又、カタクチイワシが何匹か釣れて来たので、
土壇場で、そのイワシをエサに、又、青物を狙った。

すると、またまた、昨日から何度か経験した、強烈なアタリが来た。

先程のサバほどでは無いが、良型のマサバが釣れて来た所で、
イワシも切れたので、12時に沖上がりした。

今日は、僕がボートを買ってから、はじめて、一日中海が穏やかだった日なので、
エサさえあれば、つりを続けたかったが、おなかもへっていたので、沖あがりした。

考えてみれば、早朝5時に朝食を食べてから、何も食べていないのだから、
おなかがへって当然である。

まあ、早朝から、つりをして、お昼くらいに上がる、
と言うのが、正しいつりのあり方なのだから、
今後も、早起きしよう。

この土日も、やはり、釣りに明け暮れてしまった。

釣りバカモード全開の僕なのである。

今は、大物と言っても、サバくらいしか釣れて無いが、もっと暖かくなると、
カツオや、ブリの若魚のイナダ、そして、真夏に、大型魚のシーラ、
そして、回遊魚が大挙して相模湾にやってくる秋には、
相模湾は、釣り天国になる。

それを考えると、今から、アドレナリンが、体内で、
噴出している僕なのである!!!!

p、s、

もう、完全に、「湘南花鳥風月」では無く、
普通の、釣り日誌だなあ・・・・・・・・

しかし、昨日今日の釣りで、我が家の冷蔵庫の中は、魚だらけである。

265, 安上がりな遊び

2006-04-22 21:51:20 | Weblog
(写真は、本文中に出てくる、今日の釣果。是非、写真をクリックして、拡大して見て下さい下から、サバ、ヤリイカ、キュウセン、クラカケトラギス、カタクチイワシ。)

最近、この僕のブログは、「ドドンパ和也の湘南花鳥風月」と言うより、
「ドドンパ和也の釣りバカ日誌」の様相を呈して来ているが、
湘南は、海のシーズンに突入したので、今日も、やっぱり釣りネタである。

今日は、最近の湘南の週末には珍しく、天気も良く、風も弱く、
波も穏やかで、ある1点を除いて、ボート釣りの条件を、
すべて揃えている、釣り日和になる事は、しつこいくらい、
インターネットその他の天気予報、釣り情報、注意報情報、
等々で調べていたので、数日前から解っていた。

ある1点と言うのは、潮準が、長潮と、釣りには、最も適さない
潮周りであるという点である。

しかし、潮以外は条件が良いし、翌日の日曜日は、天気が崩れ、
更に、風が強くなり、波も高くなるので、多分、ボート釣りは出来ない、
と予想されていたので、なおさら、今日の釣行には、気合が入っていた。

僕の計画では、朝、5時に起きて、一番魚が釣れる、
朝方から、釣りをはじめ、大漁を目指す積りであった。

しかし、昨夜、仕事の関係で終電で帰宅した僕が、今朝目覚めたのは、
昼前で、かなりの出遅れとなったが、あせっても仕方が無いので、
散歩がてら、逗子海岸に海のチェックに行くと、
今年一番の賑わいかと言うくらい、逗子の海には、
ウインドサーファー、ヨット、クルーザー、そして勿論たくさんの釣り船に、
手漕ぎの釣りボートと、僕の同じ、エンジン付きの釣り用の
プレジャーボートも、これでもか!と言うくらい、出ていた。

さっきまで、あせっても仕方が無いと言っていたが、
こんな光景を見せ付けられたら、あせらない訳が無い。

僕は、走って家に帰って、急いでボートで出船した。

すでに、たくさんの釣りボートで賑わっていた。
僕も、負けてはいられない。

寝坊したとは言え、夕方までやるなら、7時間くらい出来るので、
今日は、葉山沖の一級ポイントまで、40分も掛けて出掛けた。

そして、釣りを始めようとしたら、水面辺りを、小魚がたくさん
泳いでいるのが見えたので、普段は余りやらない、
小魚の数釣り仕掛けの、サビキ仕掛けを海中に降ろした。

すると、すぐに、カタクチイワシが 鈴なりで釣れて来た。
一度に、5、6匹は釣れてくるので、仕掛けは、鯉のぼり状態である。

釣りは「地合い」(釣れる時間が限られている事)である。
今は、バンバン釣れても、その内、パッタリ釣れなくなる事は解っていたので、
とにかく、僕はカタクチイワシを釣り続けた。

カタクチイワシとは、普段、メザシにして食べているような、
イワシの中でも、小型の10cmほどの魚である。

なので、この魚を釣る事は、大して面白く無い。

なのに、僕は、どうしてこのカタクチイワシを一生懸命釣ったのか?

勿論、食べれば、非常に美味しいが、それが、第一目的では無い。

このカタクチイワシは、魚食性の魚、つまり、他の魚を襲って食べる
魚を釣る時の、最高の生餌になるのである。

そして、50匹も釣ったあろうか。
もう十分に生餌は確保したので、今日は、普段のように、キス釣りでは無く、
この生餌を使って、一発大物を狙う事にした。

早速、釣針付きの、この生餌を海中に泳がせて、釣りを始めたが、
なかなか、僕の思惑通りには、魚が食いついてくれない。

しかし、その内、イワシが漫画の魚の骨のように、頭と背骨と尾ひれだけを残して、
綺麗に食べられて上がって来た。

こんな、器用な食べ方が出来るのは、イカだけである。

早速、今度は、イカが掛かりやすいような場所に釣り針を差して、
再びイワシを海底に送り込んだ。

すると、作戦的中で、それほど大きくは無いが、ヤリイカが、釣れて来た。

作戦通りに、狙った魚が釣れる事なんて、そうそうあるものでは無いので、
非常に気分が良かった。

そして、だんだん波が高くなって来たので、逗子湾内に非難しようかな、
と思っていたところ、やはりイワシを生餌にして仕掛けている、
細竿に魚のアタリがあった。

一旦、ググッっと、アタリがあったものの、すぐに軽くなってしまったので、
魚に逃げられたと思っていたら、再び、このボートを買ってから、
味わった事の無いような、強烈な引きが竿に伝わって来た。

竿が、小魚釣り専用の細い竿だったので、竿が折れそうな引きだった。

その強烈な引きの魚は、実に激しく抵抗して、なかなか水面に
上がってこようとはせず、結構な時間、僕とファイトした。

その強烈な引きから、僕の頭の中には、いろんな魚が浮かんだ。

この激しい引きは、イカやタコでは無い。

その引きの強烈さは、ブリの若魚のイナダっぽいが、
季節的にまだ、イナダは居ないはずだし・・・・・

そうか!もしかしたら、ホンマグロの幼魚のメジマグロ?!

メジは、本マグロの幼魚だけあって、非常に泳ぐのが速いのでありえる。

などと、想像を膨らませたが、水面に上がって来たのは、大型のサバだった。

サバと解って、ちょっと気抜けしたが、このサバのファイトは、
ボートを買ってから、これまでに釣り上げた魚の中で、
一番、僕を楽しませてくれ、興奮させてくれたものだった。

これだから、釣りはやめられない!!!

イカと大サバをGETしたそのポイントで、もっと粘りたかったが、
波が危険なくらい高くなって来たので、逗子湾に戻った。

逗子湾の水深7mくらいの岩礁地帯で、又、一発大物を狙ったが、
流石に、そんな浅場では、大物は釣れなかった。

しかし、一度だけ、釣り針では無く、仕掛けのオモリに、
丸まると、大人の頭ほどもある、大きなタコがしがみついてきて、
何とか、それを取り込もうとしたが、針に掛かっていた訳では無いので、
流石に、水面あたりで、逃げられた。

あの、タコをと獲れていたら、100人前くらいのタコヤキが、
優に作れたのに、残念!!!

その後は、クラカケトラギスやキュウセンが釣れただけだったので、
大漁とは言いがたいが、狙い通りに釣り上げたヤリイカと、
僕を、そのファイトで十分に楽しませてくれた大鯖だけでも、
今日、釣りに出た、意味があった。

それから、厨子湾にも、強風が吹き始めたので、午後4時には、
沖上がりしたので、正味4時間の釣りだった。

ほどほどの幸せ、と言うところであろうか?

しかし、夕飯のおかずに食べた、イカの刺身は、抜群に美味しかった。

そして、超新鮮で無いと、刺身では食べられないサバだが、
生きているサバをさばいて、すぐに刺身で食べると言う、
釣師しか出来ない贅沢の、真鯖の刺身は、大分の関サバを
彷彿とさせるような、まろやかな味と油の乗りで、僕を感嘆させた。

明日は、おそらく波が高いし、雨なので、ボートでは、
海に出られないであろうから、明日は、今夜食べなかった、
キュウセン、クラカケトラギス、そして、生餌にかなり使っても、
まだまだ、30尾以上はある、カタクチイワシを、
いろんな料理法で食べようと思う。

釣っている時も楽しく、釣った後も、楽しく食べられるのが、釣りである。

ちなみに、今日の釣りの経費は、船外機エンジンの燃料代の約200円と、
カタクチイワシを釣る時に使った冷凍エサ250円だけなので、
総費用450円のレジャーであった。

安上がりな遊びである。

264, ペニレーンでバーボンは、もう呑めない

2006-04-21 15:52:04 | Weblog
原宿表参道。

この日本の若者の流行を象徴するような街には、
僕も、若い頃には、買い物や、ライブその他で、
良く行ったものだったが、やはり年齢的なせいか、
30代に入った頃からは、プライベートでは、あまり行く事が無くなっていた。

しかし、音楽業界と言う仕事柄、
原宿のラジオ番組録音スタジオに番組収録で通ったり、
原宿のはずれに有る、サザンオールスターズのアルバム、
「キラーストリート」でも有名になった、老舗のレコーディングスタジオの
ビクター青山スタジオに、レコーディングの仕事で行ったり、
原宿のホールでのライブの仕事とかで、何かと通っていた。

音楽業界の会社は、どういう訳か、昔のビクターレコードの本社も
表参道のど真ん中にあったし、原宿に居を構えている会社が多いので、
何かと原宿に行く機会はあったのであるが、
ここしばらくは、原宿に行く用事も無かったので、足が遠のいていた。

テレビのニュースで表参道の同潤会アパートが取り壊されて、
表参道ヒルズなるモノが新しくOPENしたのは知っていたが、
別にわざわざ見に行くほど、おのぼりさんでも無いし、
第一、休日に湘南逗子から行くには、いささか遠すぎるので、
別に、おとづれる事も無かった。

しかし、今日、仕事で制作するCDのジャケット写真用の
衣装関係の件で、原宿に行く仕事があって、表参道に久しぶりに行った。

表参道には、御無沙汰とは言っても、1年も来てなかった訳では無いが、
流石、スピードの速い街だけあって、町並みが少々変わっていた。

仕事が終ったら、丁度お昼時だったので、その原宿の新名所の、
表参道ヒルズで、昼食を食べようと、仕事仲間と向かったのであるが、
JR原宿駅から、表参道の交差点を越したあたりで、
緩やかな登り阪になっている表参道ヒルズの方面を見てみると、
平日の昼間だと言うのに、表参道ヒルズの前の歩道は、
満員電車のギュウギュウの乗客を吐き出したばかりの、
通勤ラッシュの朝の新宿駅のプラットホームのように、人でひしめいていた。

その人の多さは、ちょっと、異様な光景でさえあった。

それでも、今日を逃すと、今後何年も、表参道ヒルズには来ないだろうからと、
ちょっと足を伸ばして、中に入ってみたが、以前の同潤会アパートの
イメージは全く無くなっており、青山あたりにある、ファッションビルの
様相を呈していた。

今日、原宿を歩いていて思ったのであるが、
原宿同潤会アパートが表参道ヒルズに代わり、
六本木の古い住宅街が、六本木ヒルズに姿を変え、
原宿も六本木も、昔の面影を全く消し、全く新しい街として、
生まれ変わろうとしている。

新陳代謝が激しい街は、そうして、百面相のように、次々と
その顔を変えて行く事が、一番、似合っているのかもしれないが、
そんな、町にだって、色んな人の思い出の場所はある。

しかし、原宿の、そんな思い出の場所すら無くなってしまのが、
ちょっと寂しいと感じるのは、40代の男のノスタルジーなのであろうか?

ビートルズの曲のタイトルを取った、「ペニーレーン」と言うBRAが、
昔、表参道をちょっと入った所にあって、そこの常連だった
吉田拓郎さんが、「ペニレーンでバーボン」と言う、曲を歌ったせいで、
その店は一躍有名になった事があった。

僕を含めて、僕の友人も、その歌詞の通り、
ペニーレーンでバーボンを飲みたくて、
この店に通った連中は少なくなかったはずである。

しかし、時は流れ、ペニーレーンがあった場所には、今では餃子屋が有る。

今は、昔である。

ペニレーンでバーボンは、もう呑めない。

今夜は、星空が綺麗そうなので、昔、通った原宿ペニーレーンを偲んで、
家の近所の逗子海岸で、星空を見上げながら、チュウハイを呑もう。

逗子海岸でチュウハイを。

263, 僕は保父さん その2

2006-04-20 00:04:38 | Weblog
僕のアルバイトしている、幼稚園では、毎年夏になると、
夏合宿と称した、泊りがけの臨海学校や林間学校があった。

僕は、毎週担当している園児では無く、はじめて顔を合わす、
5歳児の団体を担当する事になった。

5歳児と言うと、親の付き添い無しで、外泊など当然した事など無い訳で、
この合宿で、彼等の人生初の、親の付き添い無しでの、
「お泊り」を、経験させようと言うのが、合宿の目的だった。

幼稚園でチャーターしたバスで海に向かうのであるが、
バス乗り場まで、自分の子供を見送りに来た親御さん達は、
皆、戦争に出征する子供達を見送るような、心配そうで
大仰な感じで、中には、涙ぐむ母親まで居た。

いつの世も、親馬鹿は居るものである。

かくして、バスの中で楽しい歌合戦やゲーム大会をしている内に、
目的地の海の街に着いた。

それがどこだったのかが、どうしても思い出せ無いが、
幼児が海遊びをするのに適した、
遠浅の海岸がある場所だったのは、覚えている。

可愛い5歳の子供達との海合宿なので、さぞ楽しかったかと言うと、
これが、滅茶苦茶疲れるのである。

まだ、山や林で行う林間学校だったら良いが、海では、
ちょっと目を離したスキに、幼児だと溺れてしまう危険性があるので、
子供達を海で遊ばせる時などは、常に、子供達が全員いるかどうかに
気を配っていて、神経が磨り減り、気疲れするのである。

たまに、1人足りなかったりすると、ドキーンッ!とするのであるが、
泳ぎの上手な子供が、海に潜っていただけだったりして、
心臓に悪いのである。

まあ、僕の場合、このブログでも書いたが、
トーマスの結婚式に出席していた外国人軍団でさえ、
露天風呂で笑い転げさせたり、
オーストラリアのカラオケパブでは、地元のオージー200人を
爆笑の渦に叩き込んだ、素人ギャグ5段なので、
5歳児を笑わせまくって、彼等のハートをわしづかみにする事なんて、
赤子の手をひねるより簡単なのである。

まあ、彼等は、赤子に毛の生えたようなものであるが・・・・・。

いや、5歳だから、まだ、毛は生えてないか?(うう、又、下ネタ)

5歳児用のスペシャルギャグで、彼等の心をとりこにしたのには理由がある。

僕が、人気者になると、子供達は、常にどこに行っても、
僕と遊びたいので、僕にくっついて来る。

僕にくっついていてくれれば、子供達が
僕の目の届かないところに行ってしまって、危険な事になる事が無いのだ。

その作戦は、まんまと成功したが、子供達に好かれすぎて、
2泊3日の海合宿の間中、常に僕の元には、8人からの
子供達がくっついていて、体力的にはかなりハードだった。

それに、まだ5歳児なので、分別が付かないので、
彼等は手加減と言う事を知らない。

民宿の部屋で休憩中に寝転がっていると、
「ニードローップ!」と言う大声と共に、押入れの上の段から、
子供が、僕の腹めがけて飛び降りて来たのである。

僕がよけると、子供が怪我をするかも知れないので、
仕方なく、僕の身体で、子供を受け止めるのであるが、
5歳児と言えど、それなりの体重がある訳で、痛くない訳が無い。

特に、ワルガキだったのは、今でも、彼のフルネームを覚えているが、
白人と日本人のハーフの男の子で、ジョン・ヘイマンと言う子供だった。

ジョンは、僕の腕に噛み付いて、それを僕が痛がるのが、
大層面白かったようで、合宿中に、何度も僕の腕に噛み付いた。

5歳児と言えど、本気で噛まれたら、それはもう、
筆舌には尽くせないくらい痛むので、
ジョンの顔を張り倒してやろうかと何度も思ったが、
立場上それが出来ず、粘り強く、人にこういう事を
してはいけないよ、とジョンをたしなめる僕なのであった。

そんな、悪ガキのジョンも、可愛いところがあって、
ジョンと同じ班だった、ひだまよ(漢字を忘れた)ちゃんと言う、
それはそれは可愛らしい女の子と、自分は、
将来結婚するんだ、と内緒で、僕に教えてくれた。

又、何が原因かは忘れたが、泣き出してしまった、
松島みのりと言う女の子をなだめる為に、
甘えん坊のみのりをおんぶして、何時間も掛けて、
泣き止ませ、得意のギャグで笑顔にさせた苦労も
昨日の事のように覚えている。

しかし、毎週担当していた、子供達の名前は1人も覚えていないのであるが、
1回だけ、合宿に一緒に行った、この子達のフルネームまで
覚えているのは、不思議である。

そして、夕食、野外でのキャンプファイアー、花火と、次々と
いろんな催しがこなされていき、ついに就寝時間となった。

そうなのである。

親元を離れても、子供達が、ちゃんとお泊り出来るかどぅかが、
この合宿の最大の目的なのであるからして、ここが一番重要なのである。

昼間は海で大はしゃぎして、キャンプファイアーや花火でも
滅茶苦茶盛り上がっていた子供達であったが、
いざ、寝るとなると、予想通り、母親が居ない寂しさから、
泣き出す子供が続出!!

1人が泣き出すと、他の子供も不安になったのか、
つられて泣き始め、ついには、泣き声の大合唱である。

早朝から、子供達の相手を1日中やって、ヘトヘトで、すぐにでも
寝たいのに、泣きたいのは僕の方である。

しかし、これがこの合宿の目的なのだから、
子供達には、ここを乗り越えてもらわなければならない。

泣き声の大合唱でワンワン泣いていた、我が、ドドンパ先生チームの
総勢8人の子供達も、そのうち泣き疲れたのか、
頬に涙の筋をつけたまま、中には、指をくわえたまま、
全員やっと眠りについた。

やれやれである。

僕のチームの子供達8人と僕の総勢9人は、
10畳ほどの和室に布団を敷き詰めて、
僕が彼等の真ん中に布団を敷いて寝たのであるが、
翌朝目を覚まして驚いた!

子供達は、みんなやはり寂しかったのか、
8人全員が、僕の布団にもぐりこんで来ていたのである。

僕の腕を枕に寝ている子、僕に抱きついて寝ている子、
僕の足をしっかり掴んで寝ている子。

可愛いにもほどがあるのである。

一番僕にしがみついていたのは、意外にも、
反則噛み付き攻撃で、僕を困らせた、ジョン・ヘイマンであった。

もう、あれから20年以上の月日が流れたが、この夏の日の事は、
いまだによく覚えている。

ジョンもまよも、みのりも、今では26歳くらいになっているはずである。

大人になった彼等に一度会いたいような、会うと、

「ドドンパ先生。老けたねえ。」

なんて、言われそうなので、やっぱり会いたくなかったり、複雑な所である。

何にしても、僕の大事な宝物のような、夏の思い出である。