Twitterで見知らぬ人たちとどんどん出会い、時にはしばし数人で立ち話したり、場合によっては二人でこっそりお茶飲みながら話したりしている。このカジュアルさがいいね。
ところで日々少しずつフォローしてくれる人が増えたり、こっちもフォローしたりしていると、意外に"現在地”が千差万別なことに気づく。東京に居て、しかもギョーカイに住んでたりすると、どうしてもいろんなことが東京から発信されてると思い込んじゃうけど、東京がいくら人口が多いって言ってもしょせん10分の1だ。残り9割は千差万別の道府県に住んでるんだからフォローしあう人たちも千差万別に決まってるよね。
そしてTwitterを通して伝わってきたのは、各地域でいろんな人が生き生きと、ぐいぐいと情報発信していることだ。Twitterで発信してるってだけでなく、みんないろんな活動をしている。そして地域で活動している人は多かれ少なかれ自分の地域を愛していてなんとか活性化しようとしているようだ。あるいは、東京の人でも自分の出身地の活性化やいま住む地域のために何かをしようとしている。
これはひょっとしたらひょっとしてすごいことかもしれないぞ。
政治家が施策として唱えているより具体的な地方分権を、Twitter市民たちはもうはじめているのかもしれない。
もしそうだとしたら、明治維新以来の中央集権に対する革命的な現象だ。Twitter市民革命だ。日本で初めての市民革命かもしれないぞ、これは。
実際にTwitterは完全な分散型だ。これほどの分散型コミュニケーションもかつてなかっただろう。もちろん、インターネットそのものが分散型ネットワークなのだけれど、こと"人が集まる”仕組みはどこかのWEB上に集まることになっていた。こっちから"どこかにいく"感覚だった。mixiも中心がないといえばないけど、やっぱりどこか"さーてmixiにでも行ってみようかな”という感覚。
Twitterだってtwitter.comに集まるのは同じだよって?それはそうだけど感覚的にはちがう。感覚的には"おれの前を人びとがつぶやきながら通りすぎていく”というものだ。それに他のクライアントアプリやiPhoneアプリで読む時には、twitter.comに"行く"感覚はほとんどなくなる。
本質的に地方分権、いや地方主権なんだな、Twitterって。
40代も後半になっちゃって、ぼくはこのところ、少年時代を過ごした鹿児島に思いを馳せることが多い。なにしろ鹿児島で学び、遊び、友だちができ、女性に振られ、不良とケンカし、ギターを弾きはじめ、そいでもって"会社に生かされない生き方"をめざそうと決意したのだ。おじさんになったら思いを馳せないわけにはいかない。
なーんて思ってたら昨日から今日にかけて、Twitter上で出会った鹿児島の方とお茶飲みながら話しこんじゃった。地方活性化とITについて、みたいなこととか。そうするといよいよ、鹿児島に思いが飛んでいったよ。あー、あの地に恩返ししなきゃなあとか。ぼくにできることは何かあるかなーとか。
たぶん、インターネットの登場以来、各所各地で起こりはじめていたことを、Twitterは結ぼうとしているんじゃないだろうか。それぞれの土地のひとつひとつの活動はいまひとつ心もとなかったとしても、Twitterで結びつきあうことで、大きな大きなうねりになっていくんじゃないだろうか。静かな、でもしたたかで腰の強いTwitter市民革命が、地方主権を巻き起こそうとしている。そんな気がする。革命じゃー、とか、倒すでごわす、とか、力入れて叫ぶんじゃなく、もっとおだやかーに、じわじわーっと、でもいつの間にかすごいパワーになっていくんじゃないだろうか。
しばらくこの、Twitter市民革命について、考えてみっかな!
ところで日々少しずつフォローしてくれる人が増えたり、こっちもフォローしたりしていると、意外に"現在地”が千差万別なことに気づく。東京に居て、しかもギョーカイに住んでたりすると、どうしてもいろんなことが東京から発信されてると思い込んじゃうけど、東京がいくら人口が多いって言ってもしょせん10分の1だ。残り9割は千差万別の道府県に住んでるんだからフォローしあう人たちも千差万別に決まってるよね。
そしてTwitterを通して伝わってきたのは、各地域でいろんな人が生き生きと、ぐいぐいと情報発信していることだ。Twitterで発信してるってだけでなく、みんないろんな活動をしている。そして地域で活動している人は多かれ少なかれ自分の地域を愛していてなんとか活性化しようとしているようだ。あるいは、東京の人でも自分の出身地の活性化やいま住む地域のために何かをしようとしている。
これはひょっとしたらひょっとしてすごいことかもしれないぞ。
政治家が施策として唱えているより具体的な地方分権を、Twitter市民たちはもうはじめているのかもしれない。
もしそうだとしたら、明治維新以来の中央集権に対する革命的な現象だ。Twitter市民革命だ。日本で初めての市民革命かもしれないぞ、これは。
実際にTwitterは完全な分散型だ。これほどの分散型コミュニケーションもかつてなかっただろう。もちろん、インターネットそのものが分散型ネットワークなのだけれど、こと"人が集まる”仕組みはどこかのWEB上に集まることになっていた。こっちから"どこかにいく"感覚だった。mixiも中心がないといえばないけど、やっぱりどこか"さーてmixiにでも行ってみようかな”という感覚。
Twitterだってtwitter.comに集まるのは同じだよって?それはそうだけど感覚的にはちがう。感覚的には"おれの前を人びとがつぶやきながら通りすぎていく”というものだ。それに他のクライアントアプリやiPhoneアプリで読む時には、twitter.comに"行く"感覚はほとんどなくなる。
本質的に地方分権、いや地方主権なんだな、Twitterって。
40代も後半になっちゃって、ぼくはこのところ、少年時代を過ごした鹿児島に思いを馳せることが多い。なにしろ鹿児島で学び、遊び、友だちができ、女性に振られ、不良とケンカし、ギターを弾きはじめ、そいでもって"会社に生かされない生き方"をめざそうと決意したのだ。おじさんになったら思いを馳せないわけにはいかない。
なーんて思ってたら昨日から今日にかけて、Twitter上で出会った鹿児島の方とお茶飲みながら話しこんじゃった。地方活性化とITについて、みたいなこととか。そうするといよいよ、鹿児島に思いが飛んでいったよ。あー、あの地に恩返ししなきゃなあとか。ぼくにできることは何かあるかなーとか。
たぶん、インターネットの登場以来、各所各地で起こりはじめていたことを、Twitterは結ぼうとしているんじゃないだろうか。それぞれの土地のひとつひとつの活動はいまひとつ心もとなかったとしても、Twitterで結びつきあうことで、大きな大きなうねりになっていくんじゃないだろうか。静かな、でもしたたかで腰の強いTwitter市民革命が、地方主権を巻き起こそうとしている。そんな気がする。革命じゃー、とか、倒すでごわす、とか、力入れて叫ぶんじゃなく、もっとおだやかーに、じわじわーっと、でもいつの間にかすごいパワーになっていくんじゃないだろうか。
しばらくこの、Twitter市民革命について、考えてみっかな!