狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

吉田松陰の楠木正成を通した南朝への想い・・・明治天皇すり替え

2015-03-22 16:16:06 | 歴史・伝統・文化
 幕末、明治維新にかけ、その中心的存在であった現・山口県の長州藩。
 その長州藩の吉田松陰は、南北朝時代に南朝側に付いて活躍した楠木正成の墓碑を、その存在する神戸の湊川神社にて4度訪ね、「嗚呼忠臣楠子之墓」等と書かれた拓本を購入し、松下村塾に掲げたと記録が残っているとの事。
 ところで長州藩は、南北朝時代の後、南朝の末裔を大事に保護してその血筋・系統を保って来た。そして明治維新において、それまで隠してきた南朝系の末裔・大室寅之祐それまでの北朝系とすり替えて明治天皇に仕立て上げたのである。よって明治から現在の天皇までは南朝系となっているのである。
 吉田松陰や高杉晋作をはじめとした長州藩の楠木正成を通した南朝への想いと、その後の改革における南朝系天皇擁立の想いが垣間見えるのである。

 本ブログ過去の関連記事↓↓
  ・2013/11/05付:「福島県民に対する『棄民政策』を阻止しようとした天皇への陳情の何が悪いのか・・・万世一系では無い天皇、そもそも天皇の権威とは一体何なのか」
 
 参考記事↓↓
  ・2015/03/12付・神戸新聞夕刊:「松陰も参拝 楠公の墓碑脚光~大河『花燃ゆ』放映で神戸・湊川神社~長州藩士ら求めた拓本、今も人気」
     (同・神戸新聞NEXT:「『花燃ゆ』で脚光、神戸の『楠公さん』 松陰参拝の墓碑も」)

 参考文献↓↓
 南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)
南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)


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