韓国労働運動情報

民主労総はじめとした韓国労働運動関連記事の翻訳

コルテック・ハイテックはなぜ送電塔を降りたか

2008年11月27日 13時32分13秒 | ハイテック
コルテック・ハイテクの2支会はなぜ送電塔から降りるしかなかったか
(自動翻訳版)

コルテック・ハイテック共同闘争団

11月13日、高空を拠点にしたコルト-コルテク、ハイテックの共闘がこわれ、40m高空にあった2人の支会長が降りてきた。

コルト支会-コルテク支会、ハイテック支会はコルテク支会長とハイテック支会長の高空ろう城で共闘を始めた。 そして高空で二人の支会長は、闘争事業場の共闘を拡大しようと30日間訴えてきた。 しかし高空ろう城30日、断髪断食ろう城20日目に高空から二人の支会長は降りてきた。 まだ降りてきたのを知らない同志たちもいて、どうなったかと尋ねる同志らがたくさんいる。 そしてはなはだしくは、上級組織の闘争事業場会議で、支会長の健康が悪化して降りてきた、と報告されて訂正するハプニングもあった。 それでも、現在闘争が進行している状況と、色々な議論および整理過程を経ながら、‘高空ろう城戦術を土台にした共闘’が幕を下ろす過程と事実に対して至急に同志らに知らせることができないことに対して申し訳なく思い、遅ればせながら、12日夜から13日午前まであったことを同志らにお話ししたい。あわせて、命をかけて15万4000ボルトの電流が流れる送電塔に上がって、悪質資本に対抗した闘争と闘争事業場共闘の拡大のために始まった‘コルト コルテク ハイテック共闘’が30日ぶりにハプニングのように終わってしまった全過程に対する総括は、各単位の闘争が終了する時点以後に、該当主体および関心のある同志らと共に慎重に行うことをお約束する。

闘争の主体であった組合員らが決めた13日闘争

会社はズボン(?)社長を前に出して、交渉の窓口は常時開けているとぺちゃぺちゃしゃべってきた。 交渉に責任ある当事者は鼻も見えなかった過程らを組合員らまたよく知っていた。 偽装廃業を撤回して工場を正常化せよ、現場に戻ろう、というあまりにも正当な要求は、交渉の内容にならないから、これを除くならば交渉の窓口は常時開けているという言葉をぺちゃぺちゃしゃべった資本であることをまた組合員らはよく知っていた。 共闘団が労働部に抗議闘争を行いながら‘私たちは労働部の仲裁を要求しない。 責任ある当事者、コルト-コルテクのパク・ヨンホ社長、ハイテックのパク・チョンソ社長が交渉に出てくるようにしなさい’と要求した理由もここにあった。 毎度労働組合を避けて、本社にも出勤しないで逃げ回るのに忙しかったパク・ヨンホ社長が本社にいるという知らせを聞いて共闘団は社長面談を要請していた。 その結果は、公権力が社長を引き出す雑種の犬の役割をしていることをはっきり確認すること以外になかった。 15万4000Vが流れる40m高空に上がって30日余り、断髪断食が20日余りを越えている状況で、組合員らはどんな闘争が必要かについて悩むほかはなかった。 何も出てくることがないことが明らかな交渉に時間を遅延させるのでなく、高空にある二人の支会長の闘争と同じように、下での闘争もすべての力量を動員して展開しなければならないということに組合員全員は同意を形成しており、13日の闘争を決めた。


決行される数時間前に崩れた闘争戦術

12日夕方、万全の準備が終わったし、闘争主体は、確保された動線に沿って動いた。
12日の遅い夕方に〔金属労組〕大田(テジョン)忠北(チュンブク)支部支部長と事務局長がろう城場を訪れ、状況室に結合していた大田・忠北支部副支部長とコルテク支会事務長と話を交わす姿を確認することができた。 11月10日、大田・忠北支部運営委でこの闘争に対してどのように責任をとって抱えていくのかについての鋭い答えを聞けないまま戻り、今までろう城を一緒に行ってきた大田・忠北支部副支部長の参加意思が大田・忠北支部運営委を通じて決定されなかったためかと、残っていた共闘団の構成員らは考えた。

しかし決行時間5-6時間前の夜11時になった時間に話を終えて出てきた大田・忠北支部副支部長から聞くことになった話は‘数日後に支部が闘争を準備して行うから、明日予定されている闘争は取り消すように’とのことだった。 だが、共闘団状況室には大田・忠北支部派遣者が2人も結びついていたし、高空ろう城30日、断食ろう城20日を迎えている状況で闘争が組織されて準備されていないために、単に幾日かさらに待って、準備された闘争をするということが説得力を持つだろうか? しかもこれに対する問題提起も、重要な闘争戦術を実行するわずか5~6時間前に変更あるいは取り消しを要求することが、果たして真実性があったのか? それも共闘団状況室で多くの判断と悩みを通じて決めた最高程度の闘争戦術についての話だ。

すでに大田・忠北支部から派遣された副支部長と、状況室長を引き受けていたコルテク事務長と話を終わらせた状態で大田・忠北支部長はハイテック副支会長に、ちょっと話をしようといった。
大田・忠北支部長がした話は次のようなものだった。

‘支部の役割を果たすことができなくて申し訳ない。 ソウル支部長に対し、大田・忠北支部長がこの闘争に参加しないことにしたという話を誰がしたのか? 大田・忠北支部が、口では責任を負うと言って、実際にはそうではない姿に映るではないか? 金属労組との関係や政派関係などにおいて問題を引き起こしかねないではないか? 二人の支会長をいつまでも高空に置くことができず、今回の闘争が最後の闘争だと見ることができるので、準備してやらなければならない。 準備してやれば自分も闘争を共にする’ 

これに対してハイテック副支会長は‘大田・忠北支部長がこの闘争を共にしないことにしたという話を誰がしたのかが今重要なのか? 本来重要なのは、闘争の主体である支会と組合員らが決めた闘争に対して、支部がどのように死守して結合するのかだ。 数時間を残したこの期に及んで、この闘争はだめだ、と話すのは、支部が共闘の骨格を壊すものだ’と、この闘争がこわれてはいけないということを強調した。

ハイテック副支会長と、残っていた共闘団構成員は、支部長の闘争廃棄主張に抗議し、闘争主体の決議決断が大田・忠北支部長の一方的な通知によって覆されることができないことを強力に提起した。 闘争主体の闘争の意志を受けいれて闘争を組織することが支部の役割であるのに、高空ろう城が始まって一ヶ月になるのに、闘争を受けとめる準備ができなかったといいながら、何日か時間を与えられれば最善を尽くしてみる、という話を聞いて、予定された闘争をたたむなどということが話になるのか、と抗議した。 それも、もうろう城場で最後に準備していた一部が出発しようとする時点にきて、こういう話をすることが話になるのかと。 この闘争戦術を使うことに組合員らがやっと決断をしたし、これを決行するという覚悟ですでに出発した状態で、今になって闘争を取り消せということは、両闘争主体間の共闘を、支部が壊すという通知に他ならない、と訴えた。

大田・忠北支部長が初めから共闘団状況室会議の招集を要請したわけでもなかったし、すでに共闘団メンバーである大田・忠北支部副支部長とコルテク事務長と話を終えた状態で個別的に話が進行した。 支部長は自身の主張が受け入れられないと見るや状況室会議の招集を要請した。 しかしすでに支部長によって、副支部長とコルテク事務長を揺さぶっており、この闘争の放棄を説得しようとする状況室会議の招集についての支部長の要求は受け入れることができないことだった。

状況室長であるコルテク事務長と大田・忠北支部の派遣として結合している副支部長の場合、状況室の決定に従ったし、これを土台に組合員らに会って組織して、コルト組合員らを組織してきた。 ところが、大田・忠北支部長だという人間が、準備ができなかったので‘予定された闘争を取り消せ’‘死守なしにどれくらい闘争を維持することがでるのか’‘こういう状況だと、まさにつぶれるだろうし、組合員らが敗北意識に陥るだろう’などと大田・忠北副支部長と共同状況室長のコルテク事務長に対する揺さぶりえをかけたし、結局二人の同志は、支部長の、話にならない主張を退けることができなかった。 大田・忠北支部長はその後12時30分過ぎに、高空にいるコルテク支会長にも、今回の闘争を中断するよう懐柔説得したし、副支部長とコルテク事務長も代わる代わる大田・忠北支部長の立場を伝え、何度も支会長の意中を尋ねる過程が反復された。 しかしコルテク支会長の立場は明らかだった。 ‘計画された闘争戦術を遂行せよ’とのことだった。

残っていた共闘団構成員だけでなく高空にいた二人の支会長も、共同状況室長だったコルテク事務長を説得した。 しかし結局、上いたコルテク支会長の確認によって、コルテク事務長と大田・忠北支部副支部長が、支部長によって完全に揺れたことがすでに確認された。 コルテク支会長は大田・忠北支部長の意見を伝えるコルテク事務長に、事務長自身の考えを単刀直入に尋ねた。 ‘明日か来週か?’これに対するコルテク事務長の答弁は‘来週’であった。 計画された闘争戦術が折れる決定的な答弁だった。 その時は計画実行まで3時間も残っていない時間であり、コルテク支会長は‘君たちの中ですでにすべて判断しておいて、なぜ私に尋ね続けたのか’と電話を切った。

以後、支部長は、本人の目的を達成したと判断したのか、‘共闘団が決めた今回の闘争に同意しない。 死守もしない。コルテク組合員らには自分が直接説得する’としてテントに入って、もうこれ以上の対話を拒否した。 ハイテック副支会長が、支部長の行為は共闘の骨格を壊すものだとして、支部長が入っていったテントの前で抗議して訴えたが、支部長は、一人で騒いでいろ、といった数語で答えた。

大田・忠北支部副支部長は、ろう城場に始めてきて、支部長がした話ですでにあきらめて、共闘は終わったと思うと、ため息をついた。 そして事務長は、支部長は間違っているというのは正しいが、支部が死守しないで闘争が成功するのかと言い、今回の闘争はならぬという考えに固まっっていった。 結局、残りの共闘団構成員らと二人の支会長は、この闘争において核心的な役割を果たさなければならない事務長を説得できなかった。

結局大田・忠北支部長は、この闘争を陣頭指揮するコルテク事務長、そしてそのかん責任ある姿で組合員らと一緒に行動してきた大田・忠北副支部長を揺さぶって、闘争を破壊した。 午前3時が近づく時間、連帯隊列まで動く時間に、闘争が取り消しになったことを共闘団は公示しなければならなかった。

‘高空を拠点にした共闘は崩れた’と自ら話さなければならなかった共闘団

東の空が明らんだ。 組合員らは沈鬱な表情でろう城場に集まったし、目的地に向かった共闘団構成員らも、歩をろう城場に戻した。 連絡を確認できなくて目的地から電話をかけてきた連帯隊列に、申し訳ないという言葉を繰り返さなければならなかったし、二人の支会長は夜中、一睡もできず、高空でまんじりともしないで夜を明かしたまま朝をむかえた。

コルテク組合員らを集めた席で大田・忠北支部長は、今回の闘争をできなくなったことに対して申し訳ない、と述べ、準備して、闘争を組織する、と話した。 そして副支部長は「共闘は崩れた。今回の闘争を破棄して、どうして支会長らに高空に残っていろと話せるのか」と話した。支部長の主張にくみしたものの、共闘過程で献身的な姿を見せた副支部長のできる最善の発言だった。

大田・忠北支部支部長には共闘に対する苦悩はあったのだろうか? 高空にあるコルテク支会長に電話をして、ハイテック支会長が降りてくるとしても、残ってコルテク闘争を一度組織してみようと話した。明け方ずっと、下で闘争が決行されることを要求したコルテク支会長は、断固として話した。‘私たちは共闘を組織して拡大するために高空に共に上がってきたのだ。 ところが共闘は崩れ、それでハイテック支会長が降りて行くと言っている状況だ。それで私も、ここに残っている理由はないと考える。だから一緒に降りて行く’とコルテク支会長は答え、これ以上支会長が高空に残っていなければならないという説得はなされなかった。

11時頃、状況室会議を通じてどのようにすべきかについての議論を行った。 昨日の夜と明け方の状況を知っている同志らもおり、あたふたと駆けつけてきて過程を聞くことになった同志らもいたが、やっとつくられた、高空を中心にした共闘に対する決定が必要な時点だった。

今回の闘争に対する2人の支会長の意志、状況室の決定、そして何よりも組合員らの決定が、大田・忠北支部長の横暴によって破壊される状況が発生した。明け方の状況は、大田・忠北支部長の行為が明らかに支部の力を背に強行されたものであるにもかかわらず、これに対して共闘団が対抗して闘争を推し進めることができないことを示した。大田・忠北支部長は、高空戦術を中心にした共闘の主体に対し、共闘を通して突破するのか、支部に依存する道を選ぶのかという二つのうちの一つを選択することを強要しながら揺さぶり、これに対し、闘争を主導すべき中心部分が後者の道を選択した。 二人の支会長の高空での共闘が進行しているのに、下では違う姿らが描かれている状況になってしまったのだ。 したがって、高空戦術を中心とした共闘が崩れたことを、共闘団自身が話すほかはなかった。

二人の支会長に闘争の生け贄になることを要求したのでなく、高空拠点を通じて共闘を作り出して、これを闘争事業場の共闘で拡大する闘争の中心に立つという共闘に対する決議決断だった。 外見を整えて手続きを踏む高空ろう城解除は何の意味も持ちえなかった。したがって状況室は、会議を通じて二人の支会長を高空からおろすことを決定した。

そして、高空を中心とした共闘はくずれたが、これから共闘をどのようにすべきかという問題については、状況室会議を維持して議論しようということでいったんは締めくくった。

まだ終わっていない闘争に対しても、変わらぬ連帯を訴えて

闘う同志らの共同闘争戦線を形成するために最後まで努力することを約束する。

30日間の高空ろう城を中心にした共闘は終わった。 しかしコルト、コルテク、ハイテック闘争は終わっていない。 そして共闘団が核心的に提起した‘共同戦術駆使を通した闘争事業場共闘戦線構築’は、依然として現在の情勢を突破するための道だと判断しつつ、絶えず戦線を拡大するための努力は続くだろう。

冒頭にも叙述したように、この一文は、12日夜と13日の間にあったことについて事実を知らせるために作成されたものだ。 これを契機に、事実が正しく伝えられ、誤りが克服され、より一層強固な闘争へと拡大することを期待する。

あわせて、大田・忠北支部は、今回の過ちを再び繰り返さないためにも、すでに提起したコルテク闘争を、責任をもって遂行しなければならない。 そしてその闘争が‘闘争事業場共同闘争戦線’を拡大する起爆剤として作用するよう心から望む。 大田・忠北支部を中心としたコルテク闘争が、‘偽装廃業撤回、工場正常化’を実現し、闘争事業場の模範としてすっくと立つことを切実に期待する。

この一文を読む同志たちも、今後行われるコルトゥ・コルテク・ハイテック闘争だけでなく、進行中の闘争事業場闘争に積極的に連帯結合することを切に訴える。

2008年11月22日

金属労組ソウル支部ハイテックRCDコリア支会
ハイテックRCDコリア闘争勝利のための共同対策委員会

ハイテック日本遠征11・27出陣式へ

2008年11月27日 09時24分24秒 | ハイテック
民主労組死守!!
整理解雇撤回!!
生存権争奪!!
敵より一日長く!!
ハイテックRCDコリア支会闘争再び立ち上がる。
第2次日本遠征闘争

 2002年から7年を越えて強行されているハイテック資本の労組弾圧は、終わりもなく激しくなっている。ハイテック資本は国家機関から各種不当労働行為に対する是正命令、差別是正勧告、CCCV労働者監視に対する有罪判決、解雇者復職確定判決などを受けた。にもかかわらず、ハイテック資本は「労組抹殺計画」の手綱を緩めないで、組合員らを路上に追い出すために2006年「法人分離」構造調整を断行した。
 ハイテック資本自らは絶対に労組弾圧のためであることではないと豪語、大言壮語したが、その言葉が真っ赤な嘘であることを自ら表わしている。
 はじめは生産法人から分離した資本金5000万ウォンの工場に転籍するか、慰労金なにがしかで希望退職をしろ、それも嫌なら強制的に整理解雇をすると三つのうちの一つを選択しろといった。そのどれもハイテックで組合員らを整理し、労働組合をなくすということだった。ハイテック組合員らはこれに屈服しないでハイテック支会の旗を守るために闘争を展開した。
 ハイテック支会を守って、組合員らの生存権が保障されることができるならば「転出」まで受けるという譲歩案を提示して、誠実な交渉を要求することもした。だがハイテック悪質資本は「組合員全員休業措置」を強行して「時間を長引かせる詐欺交渉」で問題の核心を避けるばかりだったが、ついに整理解雇を通知してきた。
 7年を越えるハイテック資本の労組弾圧で支会組合員らは皆「うつ病を伴った慢性適応障害」という精神疾患労災患者にならなければならなかったし、連帯した同志らは損賠請求、連行、手配生活の苦痛にあうこともした。ところでハイテック資本のこのような凶暴な労組弾圧は、せいぜい100万ウォンの罰金でもみ消されていかなる処罰も受けないでいる。
 だからハイテック資本に恐れることが何があるだろうか? 恐ろしいことがない彼らは、まさに今この瞬間にも、あらゆる卑劣な手段でハイテック支会組合員らが仕事をする現場をなくして、ハイテック組合員らの生存権を破壊するための蛮行をはばからないでいる。
 ハイテック支会長が高圧送電塔に上がって28日、食を断って生命を燃やしながら戦って18日を越す時点で、ハイテック資本はついに「九老(クロ)工場閉鎖」決定を下した。「法人分離構造調整→整理解雇→工場閉鎖→労組抹殺」という計画に最後の終止符を打とうとしたのだ。
 軽薄なトリックで一貫してきながら、ハイテック労働者らの生存権、民主労組運動の根元を削ろうとする、ハイテック資本のあくらつさに決して屈服することはできない。私たちは勝利のその瞬間まで闘争で前進すること以外に何も選択することがない。ハイテック資本がこの凶暴な労組弾圧を止めて私たちの生存権の要求を受け入れない限り、私たちの闘争は決して中断されないだろう。
 ゆえにハイテック支会はもう一度闘争の火ぶたを切ろうと思う。
 10年、20年血の汗流した日韓労働の代価で蓄積された資本が伸びている所であれば、どこでも追いかけて行って、ハイテック資本のあくらつな蛮行を暴露して闘争を展開するだろう。闘争!!!

法人分離新種弾圧で
工場閉鎖/整理解雇/労組抹殺行う
悪質資本撲殺!
ハイテックRCDコリア支会闘争勝利のための
日本遠征闘争出征式および決議大会
日時:2008年11月27日午後1時
場所:九老(クロ)工場