70日、止まらない「ロウソク」一代記
米牛肉、イミョンバクそして民主主義
イコンマム記者/チャムセサン2008年7月16日付
「市民の頭数が権力だ」
5月3日、街角で出会ったある市民が残した言葉だ。一旦票を入れたのだから、すべての権力を渡せというイミョンバク大統領に対して市民は、「われわれの声が権力であり、すべての権力は国民から生じるのだ」というスローガンとロウソクを掲げて街頭に出た。ふっと吹けば消えてしまうロウソク。市民はこのロウソクを、放水と警察の暴力、保守言論の悪意に満ちた扇動にも消すことなく、暑い夏を真正面から通過している。70日余りの市民の行進を振り返ってみる。
ロウソク、生きるために街頭に出る
4月18日、韓国政府が米国産牛肉輸入衛生条件の改正協議において米国と妥結したと公式発表した日、市民の怒りはインターネットからふつふつとわきあがりはじめた。韓米首脳会談を翌日にひかえ、交渉を開始してから9日目に終わった米国との牛肉開放交渉は、誰が見ても十分な期間をとってしっかりと行われたものには見えなかった。その後、メディアを通して韓国政府の交渉の問題が一つ一つ明らかになるや、市民の怒りは単純にオンラインにはとどまらなかった。
5月2日、初めてのロウソク集会がチョンゲ(清渓)広場で開かれた。初めてのロウソク集会には2万名の市民が集まった。市民のロウソクは、はじめから米国産牛肉反対にだけあったのではなかった。市民は、イミョンバク政府によってごり押しされようとしていた大運河事業や医療民営化、上水道民営化など各種民営化政策、4・15学校自律化措置に代表される教育政策に対する反対の声を上げ、こうした政策を推進するイミョンバク大統領は「弾劾」されるべきだと声を高めた。また、数ヶ月後に正反対の立場に転じ、米国産牛肉は安全だと、イミョンバク政府を持ち上げるのに余念がない保守メディアに対する批判の声も上がりはじめた。
「イミョンバク大統領が背後」…インターネットで武装した市民
市民の怒りは、健康かつ安全に生きる権利、誰もが享受すべき基本的な権利を侵害するなという要求、権力は国民から生じると記された憲法1条を守れという声だった。
だが、これに対するイミョンバク政府の対応は、市民の声を真摯に聞くどころか、「再交渉不可」の立場を固守し、ロウソク文化祭を「不法」規定し、ロウソク集会のために集会申告を出した高校生を捜すために学校にまでおしかけて処罰を云々したり、背後探しに熱をあげたのだった。
こうした政府の対応に市民は、「私の背後は米国産牛肉を輸入すると言ったイミョンバク大統領だ」と叫んだ。そして5月24日、「道路を占拠しなければこれ以上変わらない」と、市民はチョンゲ広場を飛び出し、道路に出て行進を開始した。道路に出た市民を警察は力で阻んだ。そして市民を強制連行しはじめた。ロウソク市民に対する警察の強制連行は翌日も続いた。2日後に70名の市民が暴力的に連行された。こうした警察の過剰対応に市民らは、80年代以降消えたと言われる「独裁打倒」というスローガンを再び持ち出し、掲げた。
警察は、ご多聞にもれず、取材のために見守っていた記者がいなくなる夜中に市民を強制連行したが、インターネットという武器を持った市民は、自ら現場を中継し、警察の暴力鎮圧の模様をそのままに知らせた。2MBよりも上の2GBのメモリーで武装した市民が登場したのだ〔※〕。これにあわてたイミョンバク政府は、生中継のホームページ「アフリカ」を運営していたムンヨンシク代表を拘束したが、これで市民の素早い現場中継を防げるわけがなかった。
〔※ 2MBはイミョンバクの頭文字をとった略語。容量が2メガバイトしかないという揶揄の意味が込められている〕
道路に出た市民は毎晩、警察に連行され釈放され、を繰り返した。政府は「ロウソクデモが次第に過激化し不法化している」と言い、「公安対策会議」まで開いて市民を圧迫した。だが市民は逆に「マル機バスツアー」をやろうという奇抜なアイデアで対抗した。
「国民を見捨てたイミョンバク政府、今度は国民が見捨てる」
毎晩市民は睡眠時間を削ってイミョンバク政府に対話を求め、韓国国民の健康に全く責任を負わない米国との牛肉交渉を今一度行うよう叫んだが、イミョンバク政府は耳をふさいだまま5月29日、新たな輸入衛生条件についての長官告示を強行した。
ロウソク市民の進路は市民自身が決定した。市民は誰の統制も受けようとしなかった。デモ隊列の一番前では論争も行われ、この過程で、スパイだと詰め寄られた者もいたし、また、これを整理してゆきながら方向を決定した。いわゆる「運動圏」のしるしである旗も自然に混ざってデモが行われた。市民の歩みが戦闘警察のバスに阻まれれば、そこが公演の場となり、論争の場となり、休息の空間となり、闘争の空間となった。ある人が言った「人々は街頭で自由と幸福に出会う」という言葉が実現した瞬間だ。
だが、2メガバイトのいじられキャラに転落してしまったイミョンバク大統領は、「1万人のロウソクは誰の金で買ったのか調べてこい」という言葉で、事態把握ができないことを自ら証明した。
ロウソク、民主主義を叫ぶ
市民は青瓦台に押しかけた。31日の夜だった。10万人の市民が集まった。青瓦台は10万本のロウソクで包囲された。市民は「イミョンバクは出てこい」を連呼した。だがイミョンバク大統領の対話とは、市民に向かって冷たい放水を浴びせることだった。市民は「温水! 温水!」と叫んで一歩も引かなかった。
そして夜が明けた。警察は棍棒と盾を市民を無惨に振り下ろした。女子大生が軍靴で頭を踏まれる事件も発生した。こうした中、市民は自らに向かって叫んでいた「非暴力」というスローガンをイミョンバク政府に向かって叫んだ。そして市民は「民主主義」を叫びはじめた。自らを大韓民国CEOと称し、国民をすべて従業員にしてしまったイミョンバク大統領。「ロウソクはどこの金で買ったのか」と言って市民の声を絶えず疑うイミョンバク大統領。市民はこの事態を、明確に「民主主義の危機」と規定していた。
そして20年前、民主主義へと一歩踏み出した6月10日がふたたびやってきた。大学生は同盟休業で、労働者はゼネストでイミョンバク政府を圧迫したが、イミョンバク政府はびくともしなかった。歴史に長く残る「ミョンバク山城」〔※〕を築いただけだった。
〔※ 青瓦台(大統領府)の前に積まれたコンテナの防御壁〕
ともにロウソクをともしていた故イビョンニョル氏〔※〕を失った市民の怒りは極に達した。主催者側推定70万人の市民が街頭にあふれた。そして巨大なコンテナに突き当たった市民は「イミョンバク式の交流とはこういうことか」と怒りを爆発させた。
〔※ 5月25日に米国産牛肉輸入阻止を叫んで焼身自殺した40代の労働者〕
コンテナに阻まれた市民は、コンテナをどう乗り越えるかをめぐって、何が暴力で何が非暴力かについて真剣な討論を続けた。警察に立ち向かって闘った市民に対する保守メディアの逆風が続いている中でのことだった。コンテナの前で行われた討論は「(コンテナを越えて青瓦台に行こうとする)われわれの意志を表現したなら、まさに翌日の朝中東(※)は「ロウソクデモ隊が暴徒に変わった」と書くだろう」という意見と、「朝中東に口実を与えることよりも大きな問題は、ここに集まった市民が、何もできずに無力感を持ち帰ることになってしまうことだ」という意見が真正面から対立した。
(※ 3大保守新聞である朝鮮日報、中央日報、東亜日報)
こうして街頭に出た市民は、絶えず、何が民主主義で、真の民主主義を実現するためには何が必要か、毎晩街頭で真剣な論争を行っていた一方、イミョンバク政府は、鉄パイプを使用したとして市民を拘束し、市庁前のテントを強制撤去するなど、ロウソクの火消しに躍起となった。常軌を逸して突っ走るイミョンバク政府の政策が中断されなければロウソクは消えないということを、実にイミョンバク政府だけが知らないようだった。
痛苦の反省の結果、市民から広場を奪う
イミョンバク大統領は6月19日、特別記者会見を行い、「10日、青瓦台の裏山に登って、切れ目なく続くロウソクを見た」とし、「痛苦の反省を行っている」と語ったが、「再交渉不可」というそれまでの立場から一歩も引かなかった。米国と追加交渉を行うと言い、米国に飛んだキムジョンフン外交通商部・通商交渉本部長の手みやげは、民間企業が自主的に品質を評価するQSAプログラムを導入するということだけだった。そして6月26日、長官告示は官報に掲載された。チョンウンチョン前農林水産食品部長官は、長官告示の官報掲載を発表し、「追加交渉を通して国益と国民の皆さんの意向が反映された対応が講じられ、幸いに思う」と評価した。
「痛苦の反省をした」と語ったイミョンバク大統領の態度は、長官告示の官報掲載を強行したあと180度豹変した。これ以上対話の意志はないことを、全身で、街頭で確認した市民が「イミョンバク政権退陣」のスローガンを明確にするや、青瓦台は「反政府を目標とした不法暴力デモは自制されるべき」と、強硬対応方針を今一度確認した。イミョンバク大統領のこうした立場に警察は、「催涙液と蛍光物質を混ぜた放水を噴射する」とし、「激烈暴力行為者は最後まで追跡し、無条件で拘束する」と応じた。
集会のための音響車両を押収し、景福宮駅に地下鉄を止まらせないようにし、歩道に立っていても無理やり連行することでもってイミョンバク政府は市民が街頭に出ることを阻んだが、市民は「反民主主義政権を審判する」と再び街頭に出た。6月28日だ。長官告示の官報掲載を強行し、あとはロウソクさえ消せばよいと判断したイミョンバク政府は、放水と盾、棍棒を動員して再び市民を暴行し、連行した。そして民主主義に対する市民の熱望に満ちたソウル市庁前広場は封鎖された。理由は、広場の芝生を復元する、だった。イミョンバク政府は芝生を復元するために市民を広場から追い出したのだ。
平和でいたい。けれども平和であり得ない
市民は広場を奪われたが、止まらなかった。市民が広場を奪われるや、イエスが、お釈迦様が街頭に出た。市民はカトリックの司祭とキリスト教の牧師と仏教の僧侶とともに行進を開始した。市民は「光に勝つ闇はない」というスローガンを前面に掲げた。宗教家の中で最初にソウル市庁前広場に来たカトリック正義具現司祭団は、「非暴力」精神を強調し、「ロウソクは平和の象徴であり、祈祷の武器であり、非暴力の花」だと市民に非暴力平和行進を呼びかけた。
これを受けて市民は、それまで抗議の行動として行ってきた戦闘警察バスを押すなどの行為を中止し、平和行進を続けた。そして7月6日、市民は「勝利」を宣言した。市民の「勝利」宣言は、何かを獲得したから宣言した「勝利」ではなく、まだ終わっていないことを互いに確認したことに対する「勝利」だった。この日も市民は平和的な行進と文化祭を開き、解散した。
だが、イミョンバク政府の攻撃は止まらなかった。使用者であるイミョンバク大統領に国政遂行能力がないことを、組合員の意見で示そうとした全国公務員労働組合の代議員大会を源泉封鎖し、ソウル市庁前の広場を源泉封鎖し、すべての集会を不許可とし、すべての経済問題をロウソクのせいにするのが、現在のイミョンバク政府が行っていることのすべてだ。10日には、歩道を平和的に行進していた市民6名を強制的に連行した。
「われわれは赤い薬を飲んで真実を見た」
市民は、来たる17日をもう一つのDデーとしている。憲法が作られたという制憲節。憲法を守るべき義務を負うイミョンバク大統領が、憲法1条すら守っていないということを示すために街頭に出る。
市民はこの2ヶ月間、憲法1条がいかに徹底的に踏みにじられたかを全身で経験した。市民はみずから、どのように集まり、何を要求すべきかを全身で体得している。そして、経済を立て直すと言って登場したイミョンバク大統領の言う経済とは、たった1%のためだけのものであることを、イミョンバク大統領が登場して100日目に気づいた。5月末のロウソク集会で自由発言に立ったある市民は、「ここに集まった人々は、マトリックス〔※〕に出てくる赤い薬を飲んで真実を知ってしまった」と言った。真実の赤い薬を飲んだ市民の行進は続く。
〔※ アメリカ映画〕
米牛肉、イミョンバクそして民主主義
イコンマム記者/チャムセサン2008年7月16日付
「市民の頭数が権力だ」
5月3日、街角で出会ったある市民が残した言葉だ。一旦票を入れたのだから、すべての権力を渡せというイミョンバク大統領に対して市民は、「われわれの声が権力であり、すべての権力は国民から生じるのだ」というスローガンとロウソクを掲げて街頭に出た。ふっと吹けば消えてしまうロウソク。市民はこのロウソクを、放水と警察の暴力、保守言論の悪意に満ちた扇動にも消すことなく、暑い夏を真正面から通過している。70日余りの市民の行進を振り返ってみる。
ロウソク、生きるために街頭に出る
4月18日、韓国政府が米国産牛肉輸入衛生条件の改正協議において米国と妥結したと公式発表した日、市民の怒りはインターネットからふつふつとわきあがりはじめた。韓米首脳会談を翌日にひかえ、交渉を開始してから9日目に終わった米国との牛肉開放交渉は、誰が見ても十分な期間をとってしっかりと行われたものには見えなかった。その後、メディアを通して韓国政府の交渉の問題が一つ一つ明らかになるや、市民の怒りは単純にオンラインにはとどまらなかった。
5月2日、初めてのロウソク集会がチョンゲ(清渓)広場で開かれた。初めてのロウソク集会には2万名の市民が集まった。市民のロウソクは、はじめから米国産牛肉反対にだけあったのではなかった。市民は、イミョンバク政府によってごり押しされようとしていた大運河事業や医療民営化、上水道民営化など各種民営化政策、4・15学校自律化措置に代表される教育政策に対する反対の声を上げ、こうした政策を推進するイミョンバク大統領は「弾劾」されるべきだと声を高めた。また、数ヶ月後に正反対の立場に転じ、米国産牛肉は安全だと、イミョンバク政府を持ち上げるのに余念がない保守メディアに対する批判の声も上がりはじめた。
「イミョンバク大統領が背後」…インターネットで武装した市民
市民の怒りは、健康かつ安全に生きる権利、誰もが享受すべき基本的な権利を侵害するなという要求、権力は国民から生じると記された憲法1条を守れという声だった。
だが、これに対するイミョンバク政府の対応は、市民の声を真摯に聞くどころか、「再交渉不可」の立場を固守し、ロウソク文化祭を「不法」規定し、ロウソク集会のために集会申告を出した高校生を捜すために学校にまでおしかけて処罰を云々したり、背後探しに熱をあげたのだった。
こうした政府の対応に市民は、「私の背後は米国産牛肉を輸入すると言ったイミョンバク大統領だ」と叫んだ。そして5月24日、「道路を占拠しなければこれ以上変わらない」と、市民はチョンゲ広場を飛び出し、道路に出て行進を開始した。道路に出た市民を警察は力で阻んだ。そして市民を強制連行しはじめた。ロウソク市民に対する警察の強制連行は翌日も続いた。2日後に70名の市民が暴力的に連行された。こうした警察の過剰対応に市民らは、80年代以降消えたと言われる「独裁打倒」というスローガンを再び持ち出し、掲げた。
警察は、ご多聞にもれず、取材のために見守っていた記者がいなくなる夜中に市民を強制連行したが、インターネットという武器を持った市民は、自ら現場を中継し、警察の暴力鎮圧の模様をそのままに知らせた。2MBよりも上の2GBのメモリーで武装した市民が登場したのだ〔※〕。これにあわてたイミョンバク政府は、生中継のホームページ「アフリカ」を運営していたムンヨンシク代表を拘束したが、これで市民の素早い現場中継を防げるわけがなかった。
〔※ 2MBはイミョンバクの頭文字をとった略語。容量が2メガバイトしかないという揶揄の意味が込められている〕
道路に出た市民は毎晩、警察に連行され釈放され、を繰り返した。政府は「ロウソクデモが次第に過激化し不法化している」と言い、「公安対策会議」まで開いて市民を圧迫した。だが市民は逆に「マル機バスツアー」をやろうという奇抜なアイデアで対抗した。
「国民を見捨てたイミョンバク政府、今度は国民が見捨てる」
毎晩市民は睡眠時間を削ってイミョンバク政府に対話を求め、韓国国民の健康に全く責任を負わない米国との牛肉交渉を今一度行うよう叫んだが、イミョンバク政府は耳をふさいだまま5月29日、新たな輸入衛生条件についての長官告示を強行した。
ロウソク市民の進路は市民自身が決定した。市民は誰の統制も受けようとしなかった。デモ隊列の一番前では論争も行われ、この過程で、スパイだと詰め寄られた者もいたし、また、これを整理してゆきながら方向を決定した。いわゆる「運動圏」のしるしである旗も自然に混ざってデモが行われた。市民の歩みが戦闘警察のバスに阻まれれば、そこが公演の場となり、論争の場となり、休息の空間となり、闘争の空間となった。ある人が言った「人々は街頭で自由と幸福に出会う」という言葉が実現した瞬間だ。
だが、2メガバイトのいじられキャラに転落してしまったイミョンバク大統領は、「1万人のロウソクは誰の金で買ったのか調べてこい」という言葉で、事態把握ができないことを自ら証明した。
ロウソク、民主主義を叫ぶ
市民は青瓦台に押しかけた。31日の夜だった。10万人の市民が集まった。青瓦台は10万本のロウソクで包囲された。市民は「イミョンバクは出てこい」を連呼した。だがイミョンバク大統領の対話とは、市民に向かって冷たい放水を浴びせることだった。市民は「温水! 温水!」と叫んで一歩も引かなかった。
そして夜が明けた。警察は棍棒と盾を市民を無惨に振り下ろした。女子大生が軍靴で頭を踏まれる事件も発生した。こうした中、市民は自らに向かって叫んでいた「非暴力」というスローガンをイミョンバク政府に向かって叫んだ。そして市民は「民主主義」を叫びはじめた。自らを大韓民国CEOと称し、国民をすべて従業員にしてしまったイミョンバク大統領。「ロウソクはどこの金で買ったのか」と言って市民の声を絶えず疑うイミョンバク大統領。市民はこの事態を、明確に「民主主義の危機」と規定していた。
そして20年前、民主主義へと一歩踏み出した6月10日がふたたびやってきた。大学生は同盟休業で、労働者はゼネストでイミョンバク政府を圧迫したが、イミョンバク政府はびくともしなかった。歴史に長く残る「ミョンバク山城」〔※〕を築いただけだった。
〔※ 青瓦台(大統領府)の前に積まれたコンテナの防御壁〕
ともにロウソクをともしていた故イビョンニョル氏〔※〕を失った市民の怒りは極に達した。主催者側推定70万人の市民が街頭にあふれた。そして巨大なコンテナに突き当たった市民は「イミョンバク式の交流とはこういうことか」と怒りを爆発させた。
〔※ 5月25日に米国産牛肉輸入阻止を叫んで焼身自殺した40代の労働者〕
コンテナに阻まれた市民は、コンテナをどう乗り越えるかをめぐって、何が暴力で何が非暴力かについて真剣な討論を続けた。警察に立ち向かって闘った市民に対する保守メディアの逆風が続いている中でのことだった。コンテナの前で行われた討論は「(コンテナを越えて青瓦台に行こうとする)われわれの意志を表現したなら、まさに翌日の朝中東(※)は「ロウソクデモ隊が暴徒に変わった」と書くだろう」という意見と、「朝中東に口実を与えることよりも大きな問題は、ここに集まった市民が、何もできずに無力感を持ち帰ることになってしまうことだ」という意見が真正面から対立した。
(※ 3大保守新聞である朝鮮日報、中央日報、東亜日報)
こうして街頭に出た市民は、絶えず、何が民主主義で、真の民主主義を実現するためには何が必要か、毎晩街頭で真剣な論争を行っていた一方、イミョンバク政府は、鉄パイプを使用したとして市民を拘束し、市庁前のテントを強制撤去するなど、ロウソクの火消しに躍起となった。常軌を逸して突っ走るイミョンバク政府の政策が中断されなければロウソクは消えないということを、実にイミョンバク政府だけが知らないようだった。
痛苦の反省の結果、市民から広場を奪う
イミョンバク大統領は6月19日、特別記者会見を行い、「10日、青瓦台の裏山に登って、切れ目なく続くロウソクを見た」とし、「痛苦の反省を行っている」と語ったが、「再交渉不可」というそれまでの立場から一歩も引かなかった。米国と追加交渉を行うと言い、米国に飛んだキムジョンフン外交通商部・通商交渉本部長の手みやげは、民間企業が自主的に品質を評価するQSAプログラムを導入するということだけだった。そして6月26日、長官告示は官報に掲載された。チョンウンチョン前農林水産食品部長官は、長官告示の官報掲載を発表し、「追加交渉を通して国益と国民の皆さんの意向が反映された対応が講じられ、幸いに思う」と評価した。
「痛苦の反省をした」と語ったイミョンバク大統領の態度は、長官告示の官報掲載を強行したあと180度豹変した。これ以上対話の意志はないことを、全身で、街頭で確認した市民が「イミョンバク政権退陣」のスローガンを明確にするや、青瓦台は「反政府を目標とした不法暴力デモは自制されるべき」と、強硬対応方針を今一度確認した。イミョンバク大統領のこうした立場に警察は、「催涙液と蛍光物質を混ぜた放水を噴射する」とし、「激烈暴力行為者は最後まで追跡し、無条件で拘束する」と応じた。
集会のための音響車両を押収し、景福宮駅に地下鉄を止まらせないようにし、歩道に立っていても無理やり連行することでもってイミョンバク政府は市民が街頭に出ることを阻んだが、市民は「反民主主義政権を審判する」と再び街頭に出た。6月28日だ。長官告示の官報掲載を強行し、あとはロウソクさえ消せばよいと判断したイミョンバク政府は、放水と盾、棍棒を動員して再び市民を暴行し、連行した。そして民主主義に対する市民の熱望に満ちたソウル市庁前広場は封鎖された。理由は、広場の芝生を復元する、だった。イミョンバク政府は芝生を復元するために市民を広場から追い出したのだ。
平和でいたい。けれども平和であり得ない
市民は広場を奪われたが、止まらなかった。市民が広場を奪われるや、イエスが、お釈迦様が街頭に出た。市民はカトリックの司祭とキリスト教の牧師と仏教の僧侶とともに行進を開始した。市民は「光に勝つ闇はない」というスローガンを前面に掲げた。宗教家の中で最初にソウル市庁前広場に来たカトリック正義具現司祭団は、「非暴力」精神を強調し、「ロウソクは平和の象徴であり、祈祷の武器であり、非暴力の花」だと市民に非暴力平和行進を呼びかけた。
これを受けて市民は、それまで抗議の行動として行ってきた戦闘警察バスを押すなどの行為を中止し、平和行進を続けた。そして7月6日、市民は「勝利」を宣言した。市民の「勝利」宣言は、何かを獲得したから宣言した「勝利」ではなく、まだ終わっていないことを互いに確認したことに対する「勝利」だった。この日も市民は平和的な行進と文化祭を開き、解散した。
だが、イミョンバク政府の攻撃は止まらなかった。使用者であるイミョンバク大統領に国政遂行能力がないことを、組合員の意見で示そうとした全国公務員労働組合の代議員大会を源泉封鎖し、ソウル市庁前の広場を源泉封鎖し、すべての集会を不許可とし、すべての経済問題をロウソクのせいにするのが、現在のイミョンバク政府が行っていることのすべてだ。10日には、歩道を平和的に行進していた市民6名を強制的に連行した。
「われわれは赤い薬を飲んで真実を見た」
市民は、来たる17日をもう一つのDデーとしている。憲法が作られたという制憲節。憲法を守るべき義務を負うイミョンバク大統領が、憲法1条すら守っていないということを示すために街頭に出る。
市民はこの2ヶ月間、憲法1条がいかに徹底的に踏みにじられたかを全身で経験した。市民はみずから、どのように集まり、何を要求すべきかを全身で体得している。そして、経済を立て直すと言って登場したイミョンバク大統領の言う経済とは、たった1%のためだけのものであることを、イミョンバク大統領が登場して100日目に気づいた。5月末のロウソク集会で自由発言に立ったある市民は、「ここに集まった人々は、マトリックス〔※〕に出てくる赤い薬を飲んで真実を知ってしまった」と言った。真実の赤い薬を飲んだ市民の行進は続く。
〔※ アメリカ映画〕