本日のロック

酸性雨ってまだ降ってるの?って聞かれたんだ。

「バベル」とロック

2007-05-01 19:49:17 | Weblog

映画『バベルを鑑賞。画面がチカチカすることばかりが取り沙汰されていますが(実際、一緒に観ていたリエコも終演後に吐き気を訴えていましたが)作品自体はすげー完成度の高さ。ストーリーを簡潔に説明することは僕の筆力では不可能です。また、ネタばれに繋がるので以下の感想は鑑賞した方だけお読み下さい。

この作品では、モロッコ・アメリカ(及びメキシコ)・日本の三箇所でストーリーが同時(ではないのだけれど)進行します。通底するのは「バベル」という言葉から(非常に分かりやすく)想像出来るテーマ。 三つのストーリーは互いに関連し合い、各々のパートで「言語」・「宗教」・「文化」の違いに起因したトラブルが生じます。全ての登場人物は、善と悪、合法と非合法を分かつ、解釈すら曖昧な細い道の上を歩いており、時として足を滑らせてしまいます。

なかでも、菊地凛子が聾唖の女子高生を演じる日本のパートは最も象徴的で、だからこそ、日本人が見るべき映画ではないかと思います。身体的なハンディによって、一般的なコミュニケーションから阻害されているという条件付けは過剰な気もしましたが(後ほど述べるシーンでは大きな意味を持ちますが)、なぜ彼女が自ら「化け物」になっていくのか、ということは一考に価するものです。この日本編では、凛子は父親である役所広司と裕福な暮らしをしています。そして、このパートでは最終的にひとりの死者も逮捕者も出ません。しかし、役所のとった或る行為が、結果としてこの作品で起こる全ての出来事を誘発させたことは事実。また、距離感を図りかねている思春期の娘は「化け物」になってしまう。凛子と触れ合い、その闇を窺おうとする警察官も決してヒーローではなく、社会的立場としてはただの駒に過ぎない(それはモロッコで起きた事件を居酒屋のテレビで知る場面に現れています)。それと知らずに混乱の種を撒き、世界の動きには無頓着で、自らが傷つかない場所から俯瞰し、被害者面を決め込む。自称・日本通のリュック・ベッソンなどよりも、遥かに的確に、そして辛辣に日本を表現しています。この監督は本当によく取材していると思いました。ポケモン現象(そこまで狙っていたら凄いですけども)が言われる、クラブの場面での選曲も的を得ていました。リエコの言葉通りです。

「どんなにカッコつけたって、いまだに日本のクラブでは、アースウィンド&ファイアーの“セプテンバー”が一番盛り上がるんだから」(本日のロック語録)

凛子には爆音で響く『セプテンバー』が“聞こえていない”ことも含め、素晴らしいシーンだと思います。このことはワイドショーでは流れないでしょうし、最悪、この場面自体がカットされてしまう危険性もあるので書き留めておきます。

ラストシーンで、身内を傷つけられて初めて事の重大さに気付き、投降するモロッコの少年が描かれる一方、日本の親子は最後まで答えを見出せません。