詩集『暁を踏み割ってゆく』(ふらんす堂)を著者なりに、あれこれ紹介してみます。
【幻のタイトル】
詩作品そのもののタイトルも、詩集のタイトルも、私は最後に考えて付けています。
このたびの詩集は『暁を踏み割ってゆく』というタイトルになりましたが、初期段階では「スイッチ」という仮タイトルが付けられていました。
私なりに“スイッチ一つで世界が変わる”意味を込めたのですが、タイトルにしては軽すぎるというご意見をいただいて変更となりました。
ところで、『暁を踏み割ってゆく』は詩作品の詩行から抜き取ったものです。
どの作品の詩行かをぜひ、探してみてください。
【21編の詩/210のイメージの断片】
この詩集は断章形式の詩作品を21編収録しています。
1つの詩に1から10まで番号を振り、断片的にイメージを繋げました。
番号を振ることで詩のなかにコマ割りができて、絵のない漫画のように見えるかも、と作者が気付いたのはつい最近のことです。
大きな物語はありませんが、ここ!という場面を言葉に凝縮してみたので、お好きなように妄想をお楽しみください。
【詩集のテーマ/萌え・BL・終末/について】
なぜこのテーマにと聞かれたら、やっぱり私自身が「萌え」と「BL」が好きで、それらが癒しの感覚だからです。
終末については、終わることは寂しく、悲しいことだと思いますが、終わることが癒しになる可能性もあるのでは、と私は考えています。
この詩集は、萌えやBLというキーワードを添えた詩集にすることで、萌え読み・BL読みをして大丈夫という目印になってくれたら、と思います。
収録した詩作品は、見方によっては濃厚なBLにもなるし、ライトなBLにもなる、という感じです。
逆に、これらのキーワードが苦手で手を伸ばさない人もいると思います。
苦手なものは無理に読むものではないです。
私も苦手なものは、とりあえず後回しにしています。
でも、なにかのきっかけでいつか、読みたいと思う日が来るかもしれません。
そのときは、お手に取っていただけましたら幸いです。
【景色が景色を呼んでくる】
この詩集では、アニメ「終わりのセラフ」、ミュージカル「テニスの王子様」を見て書いた、二次創作の詩作品が含まれます。
どちらの作品も、アニメーション・演劇というかたちで表現されたものを、私が見たわけですが、私というフィルターを通過した瞬間に、画面や舞台上に制限されていた景色が、もっと大きな広がりを持って見えてくるんです。
その画面や舞台上からはみ出た部分を言葉に置き換えて、詩というかたちで表現しました。
私は、一次創作・オリジナル作品ってどういうものなんだろう、と常々考えます。
たとえば、詩集に収録した「薄目の無防備」という詩は、眼鏡についての妄想です。
だから、これは眼鏡がなければ生まれなかった作品で、眼鏡の二次創作作品と言えるでしょう。
世の中のあらゆるものを、自分という人間を通して表現したものが作品と呼ばれるのだとしたら、ほんとうのオリジナルって何だ?と、思ってしまうのです。
でも、既に在るものから見える景色も、人それぞれに少しずつ違っていて、その違いを伝えるために、表現したいんだろうなぁ、とも思います。
※アニメ「終わりのセラフ」を想って書いた作品は「プラスでもマイナスでも1であるべき彼らについて」、ミュージカル「テニスの王子様」を想って書いた作品は「たましいレイヤード」です。
【舞台装置としての詩】
私は、萌えを原動力に詩を書いています。
萌えから生まれた詩が、ほかの萌えと結びついたら、とても嬉しく幸せです。
なので、この詩集の言葉たちは、あなたの推しキャラ・カプのシチュエーションや舞台装置として、どうぞご自由に楽しんでください!
【幻のタイトル】
詩作品そのもののタイトルも、詩集のタイトルも、私は最後に考えて付けています。
このたびの詩集は『暁を踏み割ってゆく』というタイトルになりましたが、初期段階では「スイッチ」という仮タイトルが付けられていました。
私なりに“スイッチ一つで世界が変わる”意味を込めたのですが、タイトルにしては軽すぎるというご意見をいただいて変更となりました。
ところで、『暁を踏み割ってゆく』は詩作品の詩行から抜き取ったものです。
どの作品の詩行かをぜひ、探してみてください。
【21編の詩/210のイメージの断片】
この詩集は断章形式の詩作品を21編収録しています。
1つの詩に1から10まで番号を振り、断片的にイメージを繋げました。
番号を振ることで詩のなかにコマ割りができて、絵のない漫画のように見えるかも、と作者が気付いたのはつい最近のことです。
大きな物語はありませんが、ここ!という場面を言葉に凝縮してみたので、お好きなように妄想をお楽しみください。
【詩集のテーマ/萌え・BL・終末/について】
なぜこのテーマにと聞かれたら、やっぱり私自身が「萌え」と「BL」が好きで、それらが癒しの感覚だからです。
終末については、終わることは寂しく、悲しいことだと思いますが、終わることが癒しになる可能性もあるのでは、と私は考えています。
この詩集は、萌えやBLというキーワードを添えた詩集にすることで、萌え読み・BL読みをして大丈夫という目印になってくれたら、と思います。
収録した詩作品は、見方によっては濃厚なBLにもなるし、ライトなBLにもなる、という感じです。
逆に、これらのキーワードが苦手で手を伸ばさない人もいると思います。
苦手なものは無理に読むものではないです。
私も苦手なものは、とりあえず後回しにしています。
でも、なにかのきっかけでいつか、読みたいと思う日が来るかもしれません。
そのときは、お手に取っていただけましたら幸いです。
【景色が景色を呼んでくる】
この詩集では、アニメ「終わりのセラフ」、ミュージカル「テニスの王子様」を見て書いた、二次創作の詩作品が含まれます。
どちらの作品も、アニメーション・演劇というかたちで表現されたものを、私が見たわけですが、私というフィルターを通過した瞬間に、画面や舞台上に制限されていた景色が、もっと大きな広がりを持って見えてくるんです。
その画面や舞台上からはみ出た部分を言葉に置き換えて、詩というかたちで表現しました。
私は、一次創作・オリジナル作品ってどういうものなんだろう、と常々考えます。
たとえば、詩集に収録した「薄目の無防備」という詩は、眼鏡についての妄想です。
だから、これは眼鏡がなければ生まれなかった作品で、眼鏡の二次創作作品と言えるでしょう。
世の中のあらゆるものを、自分という人間を通して表現したものが作品と呼ばれるのだとしたら、ほんとうのオリジナルって何だ?と、思ってしまうのです。
でも、既に在るものから見える景色も、人それぞれに少しずつ違っていて、その違いを伝えるために、表現したいんだろうなぁ、とも思います。
※アニメ「終わりのセラフ」を想って書いた作品は「プラスでもマイナスでも1であるべき彼らについて」、ミュージカル「テニスの王子様」を想って書いた作品は「たましいレイヤード」です。
【舞台装置としての詩】
私は、萌えを原動力に詩を書いています。
萌えから生まれた詩が、ほかの萌えと結びついたら、とても嬉しく幸せです。
なので、この詩集の言葉たちは、あなたの推しキャラ・カプのシチュエーションや舞台装置として、どうぞご自由に楽しんでください!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます