このたび、吉田広行さんの新詩集『記憶する生×九千の日と夜』(七月堂)の栞文を担当させていただきました。
この詩集は、「記憶する生」が断章形式の詩、「九千の日と夜」がある時代の詩と映画にまつわるエッセイという、二部構成になっています。
「記憶する生」の詩作品は、廃墟の都市やアンドロイドを想像したくなる、SF的な言葉が並んでいます。
眩しすぎる光にあふれてしまった世界の静寂に浸る詩、或いは死が、断章の断片に記憶されていました。
とくに好きな部分を一つ挙げておきます。
三
もう老いることはない
あらかじめ失われた老年の日々よ
永遠に二十歳に満たない緑の歳月よ
ぼくらは眠る、眠りつづける
生まれてから一度も目ざめたことのないぼくたち
ずっと未熟のまま
ぼくらは蚕のような生のcapsuleで活きる
一度も生きたことのないぼくたち
仮想の地平はどこまでも青い
(『記憶する生×九千の日と夜』「記憶する生」より)
「九千の日と夜」のエッセイは、80年代のバブルと崩壊したあとの90年代、そして2000年代と、約10年ずつに区切り、その時代ごとに映画や詩を紹介しつつ、時代背景を見つめるエッセイが綴られています。
栞文を担当した私自身は1988年生まれなので、80年代の記憶はほとんどないのですが、吉田さんのエッセイに脈打つ、何かが崩壊する予感に、共感することができました。
崩壊の予感や、崩壊そのものは、実は詩のパートでも繰り返し予言されているものです。
その予感を散文形式で表現したのが、このエッセイだと思われます。
詩とエッセイをあわせて、全73ページの読みやすいボリュームの1冊です。
秋の読書のお供にぜひ、ご覧いただけましたら幸いです。
この詩集は、「記憶する生」が断章形式の詩、「九千の日と夜」がある時代の詩と映画にまつわるエッセイという、二部構成になっています。
「記憶する生」の詩作品は、廃墟の都市やアンドロイドを想像したくなる、SF的な言葉が並んでいます。
眩しすぎる光にあふれてしまった世界の静寂に浸る詩、或いは死が、断章の断片に記憶されていました。
とくに好きな部分を一つ挙げておきます。
三
もう老いることはない
あらかじめ失われた老年の日々よ
永遠に二十歳に満たない緑の歳月よ
ぼくらは眠る、眠りつづける
生まれてから一度も目ざめたことのないぼくたち
ずっと未熟のまま
ぼくらは蚕のような生のcapsuleで活きる
一度も生きたことのないぼくたち
仮想の地平はどこまでも青い
(『記憶する生×九千の日と夜』「記憶する生」より)
「九千の日と夜」のエッセイは、80年代のバブルと崩壊したあとの90年代、そして2000年代と、約10年ずつに区切り、その時代ごとに映画や詩を紹介しつつ、時代背景を見つめるエッセイが綴られています。
栞文を担当した私自身は1988年生まれなので、80年代の記憶はほとんどないのですが、吉田さんのエッセイに脈打つ、何かが崩壊する予感に、共感することができました。
崩壊の予感や、崩壊そのものは、実は詩のパートでも繰り返し予言されているものです。
その予感を散文形式で表現したのが、このエッセイだと思われます。
詩とエッセイをあわせて、全73ページの読みやすいボリュームの1冊です。
秋の読書のお供にぜひ、ご覧いただけましたら幸いです。