気ままに自転車ツーリング♪

70代になり60代からの散歩が中心となりました。50代は健康維持のため何かスポーツをと、消去法でサイクリングでした。

ハムスター

2006-01-31 22:37:59 | Weblog
こどもたちが幼かった頃、動物を飼いたいといってショップで
ハムスターを買ってきた。飼育はこどもたちに任せた。
飼育箱におが屑を敷き、水のみ場、餌台、回転する遊具と
ひとおり揃えた。こどもたちは動物を世話する事に興味と喜びを
感じていたようだ。
ある日下の子が生まれたばかりの捨て猫をほおっておけないと
拾って持ち帰ってきた。牛乳をあげて育てていた。
世話の甲斐もあり拾われた頃からみ違えるように元気に育っていった。
多分、関心がそちらにいっていたのだろう。とある日ハムスターの
飼育箱の扉が餌を与えた折にきちんと閉まっていなかったようだ。
夜半、押し殺したような鳴き声にこどもの部屋に行くと、
豆電球の灯のなかに黒いものが・・・
灯をつけると子猫が口にハムスターを咥えているのを認めた。
持って生まれた習性だと思うのだが、きちんとしないからだろうと
異見され本人はしょげ返っていた。
まぁ、いまだにそんなところがあるような気がする・・・

一方、上のこの飼っていたハムスターはほったらかしにされながらも
健気に回転遊具であそんでいた。
が、ある日電池が切れたように、でも、ありがとう、とでも言うとように
こどものてのひらでこと切れた。そのことに悲しみ泣いたようだが。

私は生き物を飼うことには気乗りしない。なぜなら大変だし、日々の世話が
欠かせないことを知っているからだ。家猫はなんとでもなっても、牛の
場合そういうわけにはいかなかった。これでは、1日たりとも家を空ける
わけにはいかない。それは自らに新たな制約を課すことになるからだ。
飼うからには、飼いたいとねだるこどもに対して世話を疎かにしては
ならない、という条件を付ける。

だから世話は大変、そういう煩わしさは御免こうむりたいと言う結婚
しない子供を産み育てたくない、という風潮には組したくないなぁ。
人生観はいろいろだろうが、世話をする育てる成長を心から楽しむ、
という生き物の一員としての原点に立ちかえることも必要なのかな、と
少子化をちと憂えてみたりもする。
真の大変さ責任は継続・持続に参加するところに意義がありそうな。
悠久な時の流れの中で泡ブクみたいな人生だが連綿と続く生命の
意思の末席を担うことで自分の人生の意義をとらえたい。

孫の成長に安堵しぽっくり逝った父と長い人生を家族のために尽くし
最後の1年半ほど寝たきりで、少しは世話してねと逝った母に
自らの人生を投影し、引き継いでいくことがささやかな先祖に繋がる
人たちへの至誠の証かなと思う。
上面だけの形式を重んじて英霊に誠を捧げるなんて言って欲しくない。
叔父は無責任な為政者の犠牲になり、そのため遺族が辛く大変な思い
をしたことを知るにつけ、つくづくそう思う。
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