黒澤明の「八月の狂詩曲」に、カミナリを原爆と勘違いしたお婆さんが孫たちを必死に守ろうとするシーンがある。そのシーンを見るたび、僕は自身の祖母を思い出す。本当にそっくりなことが、幼い頃に何度かあったから。
幼時、昭和の40年代の真夏の台風の季節には、まだ停電が付き物だったが、カミナリの轟音のなか突然真っ暗になると、早寝の祖母が何故か跳び起きて寝ぼけたまま「B29や!」と叫ぶのだった。
僕は奈良旧市街の出身だが、なぜかというと、大阪大空襲の日に祖母と父が逃げて住み着いたからなのだ。
やっと好きなことが言える世の中になった、というのが祖母の口癖だった。えらく我慢して皆んな亡くなったんやから、お前は何でもええから本当にやりたいことせんとアカンよ。というのも度々だった。
そんな口癖やお説教がオンパレードする日が毎年8月15日だった。
お盆のせいで縁者も集まり、さんざん呑んだあげくは空襲、戦争、戦後、その話に流れる。トッコーの生き残りだという叔父も加わる年などウンザリするほど議論沢山で、8月15日は子どもの僕には少しばかり気が重い日だった。
しかし何十回も過ごした8月15日は知らないあいたに少しずつ普段に溶けてゆき、いつしか静かで暑い夏の夜になっていた。
祖母はある日、早よ遊ぼ、夜は遊ばなもったいない、と酒を飲んで花札をして、翌朝突然に逝った。
そしていつの間にか、戦争の記憶にうなされる人も、語り聞かせようとする人も、もう誰も居なくなった。
幼時、昭和の40年代の真夏の台風の季節には、まだ停電が付き物だったが、カミナリの轟音のなか突然真っ暗になると、早寝の祖母が何故か跳び起きて寝ぼけたまま「B29や!」と叫ぶのだった。
僕は奈良旧市街の出身だが、なぜかというと、大阪大空襲の日に祖母と父が逃げて住み着いたからなのだ。
やっと好きなことが言える世の中になった、というのが祖母の口癖だった。えらく我慢して皆んな亡くなったんやから、お前は何でもええから本当にやりたいことせんとアカンよ。というのも度々だった。
そんな口癖やお説教がオンパレードする日が毎年8月15日だった。
お盆のせいで縁者も集まり、さんざん呑んだあげくは空襲、戦争、戦後、その話に流れる。トッコーの生き残りだという叔父も加わる年などウンザリするほど議論沢山で、8月15日は子どもの僕には少しばかり気が重い日だった。
しかし何十回も過ごした8月15日は知らないあいたに少しずつ普段に溶けてゆき、いつしか静かで暑い夏の夜になっていた。
祖母はある日、早よ遊ぼ、夜は遊ばなもったいない、と酒を飲んで花札をして、翌朝突然に逝った。
そしていつの間にか、戦争の記憶にうなされる人も、語り聞かせようとする人も、もう誰も居なくなった。