Dance and Art by Sakurai Ikuya:CROSS SECTION*BLOG

ダンスアートユニット《櫻井郁也/十字舎房》発。コンテンポラリーダンスとオイリュトミーのレッスン、ステージ、エッセイなど。

シンタイとして

2016-09-28 | ダンスノート(からだ、くらし)
ダンスの稽古は一挙一動に愛情を注ぐ稽古だと教わりましたが、僕の場合は逆に、動きに愛情を注がれる、という実感がしばしばあります。

自分がカラダを動かすよりも、カラダが自分を動かす。
自分が踊りをコントロールしているのではなく、踊りという何か大きなものが自分をコントロールしているのではないか。

ワタクシの以前にカラダがあり、カラダの以前にオドリがあって、そんな感覚が、、、。

毎夜の稽古が楽しみで生きているようなこともあり、クラスも舞台も、恵みのように思えてならない。

淡々としているが、非常に緩やかな変化の、確かさは踊りが教えてくれたと思う。小さなカラダのなかに広い世界があることも。いつも踊ってイルということが大切な仕事なのではないか、と、いつしか思っています。

何かつっかえているものがすうっと抜けていくまで息を長くして自分の体重をたっぷり感じてゆくと、空気や音や匂いがアンテナを研ぎ澄ましてくれる感じがしてならない。そんな空間のなかで、たまに思うのは、ワタクシがカラダを持って生まれたというより、カラダがワタクシというものを発生せしめたのではないかという感触です。あと、このカラダがなぜここにあるのかという不思議であります。

人が作ったものには一々理由があるが、このカラダは人が作ったものではないから、星や時間と同じで、理由など無くても存在できるということかもしれないが、ともかく、カラダがなぜこの世にあるのか、なぜ出来たのか、解明されていないのだから、面白いなぁと。思うのです。

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新作ソロ、作業経過

2016-09-28 | 新作ダンス公演 Next performance
新作ソロ『緑ノ声、ヲ』は音響製作の作業が多忙期に入っている。

きょうの稽古のあとはピアノパートの録音を少しだけ進めたが、踊っている時とピアノを弾いている時の感覚の違いがまだピタリと来ないからまだまだ。ほかにも様々な音を探して歩く。
歩きながら、遠くに近くに音は満ちてあるそのことが、ふと何だか凄いことに思える。
無数の音があるのは、無数の存在の証しなのだろう。

踊りも音も目下、果てなく動き続けているが、本番まで一歩また一歩を丁寧に歩いてゆく所存です。
現在報告まで、、、。

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Coming STAGE櫻井郁也ダンスソロ新作公演『緑ノ声、ヲ』
SAKURAI Ikuya dance solo"Voice of Green"

10月29〜30日開催
29-30.Oct.2016

In the attachement please find the detailed program.
Sakurai Ikuya Official HP (JP/ENG)

※席数に限りがありますので、お早めにお申し込み下さい。



参考:作品歴、ご感想リンクなど

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断片:星の光

2016-09-26 | ダンスノート(からだ、くらし)
星の光が見えるが
その星はすでに無くなっているのだという

星が無くなるとき
どんなことが起こったのか
かなしみはあったのだろうか
それともあっと気付かないほど一瞬のことだったのだろうか

生き物がいる星はなかなか無いと言うけれど
星自体が命で生き物だとすればどうなのか
命であったために、星が無くなったあと
こんな遠い私にまで光が届いてくるのではないかと思う。

生まれた場所を探したくなるのは、どうしてなのだろう
やはりもうなくなっているからだろうか



新作稽古の帰路、ふとそんなことを思っていたのはなぜだかわからない。
ダンスをしたあとで脈絡のないことが思い巡って来ることはしばしばある。
余り深くその理由を考えたりはしないが、、、。

(写真は過去のイメージワークの一つ。《かつてなき結晶(2012)》という舞台のチラシに使用している)
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Coming STAGE櫻井郁也ダンスソロ新作公演『緑ノ声、ヲ』
SAKURAI Ikuya dance solo"Voice of Green"

10月29〜30日開催
29-30.Oct.2016

In the attachement please find the detailed program.
Sakurai Ikuya Official HP (JP/ENG)


【これまでの公演 Past Performance】
公演記録(国内JPN)
公演記録(海外EUR)
櫻井郁也/十字舎房FACEBOOK
※過去作の動画あり。


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杉本博司「ロスト ヒューマン」展にて(感想)

2016-09-25 | アート・音楽・その他
同じ写真でも、杉本博司さんの展覧会は特異な趣きがあった。

インスタレーション、建築、舞台、あまりにも多様なご活躍で現代美術の旗手として有名なこの人を僕は写真家として認識してしまうのは、最初に観た沢山の海の(波と水平線と空だけを)映した写真の数々が余りにも強く心に残っているからか、あるいはこの人から差し出されるモノも空間も空気もが写真のようにピタリとした静止感をもたらすからなのだろうか。

恵比寿に新装された写真美術館で開催されている「ロスト ヒューマン」は、非常に多彩で盛り沢山の内容だった。

展覧会の場は、杉本氏の驚愕するような歴史的収集物とテキストに満たされ、それらは不穏な匂いを強烈に放つ。

会場で配布される展示リスト、これが有ると無いでは納得度が大きく違う。普通、展覧会では手ぶらで歩いて感性だけで観ることも多いが、ここでは展示の一物一物の品目名や年代が作品鑑賞のカギにさえなる。

このリストと眼に触れる物一つ一つを擦り合わせ、己れの知識に重ねながら歩くと、次第に人類の暴力と罪の歴史が脳に焦点を結んでゆく。

とても色々な味わい方があるような展覧会だった。

克明に見て感じて考えて、読み解いてゆくこと。それが楽しい展覧会だった。

しかし、その無数の要素のなかで、要所要所に配されている額装された静かな白黒写真の一枚一枚の美しさはまた格別だった。

それらの美に吸い寄せられて、また無数のモノに眼を戻し、ということを繰り返しゆくうち、まるで方丈記の世界に迷い込んだようでもあった。

目の前にある様々なモノの佇まいを味わう面白さ、精密な写真一枚に向き合う趣きの深さ、それらを関係させながら考え作家の心を読み取ってゆく興味深さ、いつしか、そうしている私自身をも遠方から見つめているような気分になった。

砂上楼閣のようにかすれてゆく世界、それを見つめている私自身の遠景。

無常で不可思議なビジョンがふと浮かんだ。

広いフロアをまる二階分つかった三部構成で、かなりのボリューム。
さらりと見流すことは出来ない内容だから、まともに味わうと軽く半日はかかる。

お休みの日に行かれるのが得策かと思いました。

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Next Performance 10/29-30


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rehearsal photo:Sakurai Ikuya for ''Voice of Green” 29-30.Oct.

2016-09-24 | 新作ダンス公演 Next performance






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Next Performance 10/29-30


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レッスン報告:9/23ダンスクラス

2016-09-23 | レッスン・WSの記録
全身全霊、たっぷりと音楽に浸ること。

それもまたダンスの魅力の一つだと思って、今日のダンスクラスでは、1時間余りにも及ぶ音楽を全曲聴くという時間を過ごした。
もちろん踊りながら。

なのだが、なにも全部を動いている必要はない。
音楽から衝動やイメージが湧けばそれを体現し、聴くことに集中したいときはじっと聴く。
もちろん他の人が踊るのに見とれる時もあるし、そこに交わる時もある。

ダンスのレッスンというと、いつも一生懸命に動いて、どうだったかな、という感じになりがちだが、そればかりでは何か足りない感じがする。

聴こえる何かに何かを感じる歓び、眼に見える何かから何かが拡がってゆく面白さ、そして自らも参入したくなる瞬間の待ち方。感じ取るあまり、想像が湧くあまり、関わりたくなる体験。動きを押さえがたいからこそ動く体験。そんな全部がダンスという現象なのでは、ということを味わってもらえたら良かったかなあと思う。

心おどるから身も踊る、のではないか。という素朴な場所に、時には立ってもらいたいのだった。

しかし、つい何かしら注意してしまうのは、悪い癖で、うるさくなかったかなと少し反省しながら、次の日を迎える準備をする。さて、、、。


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参加方法・くわしい内容クラスご案内  
週1ペースから、ご興味あるクラスにご参加ください。クラスはいづれも5名前後で行なっており、経験や年齢を一切問いません。

稽古場は、杉並・荻窪駅からバス10分/西荻駅から徒歩圏(善福寺公園教室、西荻ほびっと村教室ほか)くわしくは、お問い合わせ時にご案内。

レッスンの様子など
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STAGE INFO. 櫻井郁也ダンスソロ新作公演10月29〜30日開催





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川内倫子「The rain of blessing」展

2016-09-23 | アート・音楽・その他
この展覧会を味わって数時間が経つけれど、まだ爽やかな風が胸を明るくしてくれている。

川内倫子さんの写真に惹かれつつも、ナマの展示を観たのは初めてだった。

今までは出版物を通じてしか接していなかったから、ページをめくって、深呼吸するように一枚一枚をじっくり眺め、時に1日を振り返ったり、時に雑事を忘れたりしていたのだが、展覧会となれば作家の選んだ写真に、その一枚一枚の選び抜かれた大きさや質感に、ズラリと囲まれて全身に写真を浴びるのだから、まるで自分の眼が川内さんという女性の眼に入れ替わってゆくような感覚になった。

写真の前で、世界の見え方が爽やかに変わってゆくのが感じ取れるような体験だった。

一枚一枚の写真に込められた心を読み取る楽しみ方もあるのだろうけれど、それ以上に、瞼を開けた時に飛び込んでくる光や風のまぶしさに、ただただ、もう少し此処に居たい、もう少しじっとしていたい、という感じで、湧いてくる言葉や音楽は兎に角あとまわしにして、もう少し、ただ視ていたい。そう思いながら、写真に囲まれていた。

何かを視る歓び、視ることができることへの感謝のような気持ちで一杯になった。

それは、この場所で踊ってみたい、ここならば、という、踊り心をかきむしるような場所との出会いにも似た体験だった。

みとれる、みとどける、みまもる、みつめる、みしる、みほれる、、、。

眼を通じて様々な心の動きがあり、その心の揺れやさざめきが、いつしか生活や身の佇まいを育ててくれるのだと思うが、ああ、眼というのはやはり窓なんだなぁ、眼はこの暗い身体に光を取り入れてくれる呼吸器官のひとつなんだなぁ、と、感じ直させてくれる展覧会だった。
余韻のなかで歩く東京の喧騒さえ、いつもより少し明るみを増しているのは何故だろう。

もうすぐ終わりだが、素晴らしいですから、いかがでしょうか。

浜松町の駅から少し河辺に行くと真っ青に塗られた倉庫ビルがあるその中にある広いギャラリーが会場だが、これまた、なかなか素敵な空間でした。

(浜松町「ギャラリー916」にて、9月25日まで)

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●筆者現況●
STAGE INFO. 櫻井郁也ダンスソロ新作公演10月29〜30日開催

チケット予約受付中。上記サイトより


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オルテガの

2016-09-21 | ダンスノート(からだ、くらし)
(前稿と少し関連あり)

「われわれは突然この地上にとり残されてしまった、、、」

20世紀初頭の荒地のような心情を表しているこの言葉は、いま目にしたとき、どこか僕らの心性の始まりを描写しているようにも思えた。

発話者のオルテガは当時、ヨーロッパで起こりつつあった前衛芸術を観て、未来の芸術は現実の生活感から遠ざかり特別な人にしか分からないものに発展するのではと危惧していた人だ。彼の言葉にもう少し触れたくなり数冊を手にとったが、主著『大衆の反逆』はヘビーだった。


近代。
ニーチェが神様は死んだと宣言し、哲学や信仰は家庭や社会の共有物から個人の心の問題になり、あらゆる価値は多様性の一つであることが前提になった時代。
戦争もまた複雑で理解を超えた原因をもって、怪物のように現れ、命や街を食い荒らし始めた時代。
一人一人が自立せざるを得ないゆえに起きる断絶や葛藤。
人と人が互いに理解し合うしか道が無くなってゆくなか、強烈な思想を語る輩が跋扈する。
不条理や闘いや苦しみや淋しさが広がるなか、
経済や競争や集団心理が生き物のように姿を露わにしはじめた時代。
王様や神様のかわりに現れた資本の網とイデオロギーの嵐。
欲望の渦中に生き残されたことを沢山の人が感じ始めたであろう時代。

オルテガの先の言葉から、そんな時の流れを反省する機会を得た。


オルテガはアカデミックな論理構築よりも公開スピーチによる言論展開を好み政治家としても行動を起こしたそうだが、あらためてその言葉を読んでみると、言葉を思索の結果でなく、行動の始まりとして発話している感じが強い。『大衆の反逆』にちょろっと出てくるだけの「馬鹿は死ななきゃ直らない」という言葉はやけに有名だが、「馬鹿」とは誰に向けてのたまうか、ちょっと高飛車な書きっぷりを我慢しながら読書した。
気を静めて読んでみると、そこに描かれてある大衆像は当時以上に21世紀の現在に警句を出してくれている感が少ししてきた。

オルテガはこの書で「大衆」なるものを来るべき権力実体と捉え、その心理を「あの甘やかされた子供の特徴的な心理に」似ていると喝破する。
その大衆が少数者を排除する心理を生み出して社会を支配してゆくだろうと予見する。

みんな、こうしているみたいだ。
みんながんばってるのだから。
みんながまんしてるのだから。
みんな、こう思っているにちがいない。

大衆の合言葉は「みんな」であるが、その実体は何なのだろう、、、。

いまもしょっちゅう使われる「みんな」というさりげない言葉に、そのさりげなさに、しばしば得体の知れない暴力性を感じることがあるが、
この書を読んでいると少しその理由にも想像がおよぶ。

(僕の場合、この「みんな」という言葉との出会いは「学校」だったのだが)

個々の差異が放棄される一線が社会にはあるのだろうか。
ひとりひとり、と言いつつ思いつつ、いつしか集団的な幻想が社会を動かしてしまうのが、いわゆる大衆社会というものの厄介なところなのかもしれない。
世の中という場所がどんどん広がってゆく反面、個と社会の関係は抽象的になり、人と人のあいだにある筈の、身体性、差異の認識、距離感、それらが薄れるのかしら。

「自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分はすべての人と同じと感じ」ること。
「凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとする」「人々」。
とは書中からのもの。

みんな、という観念が主体になってしまう世界。
そこから個々の人の心にはどんな現象が起こるのか。
断定的な辛辣な、と思う反面、我が身を振り返りたくもなる。

「なぜ人々は、あらゆる行為は一つの未来の実現であることに気づかなかったのか」

日々の生活に気を取られているあいだに、何かが変化してゆく。
時代の足音が聞こえてくるのは非常にゆるやかで、気付いた時には取り返しがつかなくなっている。
直接にはボルシェビキやファシズムに支持が向かいつつあった当時の世相への警告だったかもしれないが、
すでに次代を生きている僕ら自身にも跳ね返ってくる感があるのは少し背中が寒くなる。

古いと思っていた「大衆」という言葉と意識、、、。
それは幽霊のように今も世界を徘徊して、僕らの存在の仕方に魔を放っているのではないか、とも思ってしまう。

個とは。我とは。

この書を読んでいると、省みざるを得ない言葉が沢山出てくる。

「私とは、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」

彼の一言一言は、どきりとする。


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断片:過去作「サヴァイヴァ」再考

2016-09-19 | ダンスノート(からだ、くらし)

われわれは突然この地上にとり残されてしまった、、、

という言葉がある対談本で引用されていて気になった。

スペインの政治思想家オルテガ・イ・ガセットの言葉だったが、過去作の舞踊衝動に接する感がその言葉にはあって、、、。

それは、両国のシアターXで踊った『サヴァイヴァ・あるいは安息の戸を叩く愚者の踊り』というソロダンス(写真)で、上演は2000年だから随分経つが、いま踊ることに切れてはいない。



バルトークのオペラ「ミラクルマンダリン」を原作とした短編で、身体が広い砂漠のなかで雷に打たれているように見えたと言われた。

「ミラクルマンダリン」は、不死を得た中国の官吏が殺されても殺されても蘇生してしまい様々な不条理に巡り合わされながら際限なく生き続ける苦しみを味わってしまうという物語。つまり、死の恐怖から逃れた者が体験したのは生の迷宮そのものでもあった、という怪奇な逆転劇だ。

そこから得た身体感覚がダンスに結びついたのだったが、そのときは上手く言葉に出来なかった心情を、先のオルテガの一言は代弁してくれたように思えた。もちろん、言葉になんかなっていたらダンスは生まれていなかったのだろうけれど、、、。

世紀末の怪奇譚のなかに
迷い込みながら、原作者のベラ・バルトークは何故こんなに不穏で孤独な歌を歌ったのかと考えさせられ、作曲当時の世相にも憶測や幻想は及んだ。

それは戦争やファシズムを体験した祖父母の時代でもある。
政治にも宗教にも革命を起こし自由を手に入れながらも自立の孤独に向き合わざるを得なくなった近代。経済支配が姿を見せ、自我と欲望が嵐のような競争を始める時代の始まり。

オペラの主人公である「不思議な役人」は、欲しいものを片端から手に入れ不死さえも手に入れながら彼は愛を手に入れることが出来ずにいる。
生きれば生きるほど欲望が膨らみ、同時に様々な不条理にばかり出会って虚無感にさいなまされニヒリストになってゆく、
その姿は欲望の悪霊に取り憑かれた近代エリートの象徴にも思えたが、あながち過去の話とも言えない。

作曲者のバルトークは激変する時代の空気を吸いながら、近代化のなかで失われゆく民衆歌の調査収集に務め自らの作品に反映しようともしていた。不気味で怪奇なオペラなのに、押し寄せる不協和音の奥で微かに響こうとする民謡風の「うた」の欠片は、失われてゆく人間の温度みたいでもあり、これが聴こえなかったら多分僕はダンスを踊ることが出来なかったかもしれない。身体は心を探しているのだから。

台頭する虚無と遠ざかる人間性。そんな空気感を底知れず反映したバルトークのオペラから、人が踊る、人が踊りを観る、という気持ちの奥に何があるのかを探し直させられた経過がある。

渇望の果て、ついに彼はある娼婦の愛を得る。肉の官能のなかで、エロスが心を揺らし始め、愛とはもしやこれか、と彼女の抱きしめ方が変わってゆくそのとき、彼は何故か不死の力を失ってしまう。彼女に芽生えた感情を、これを愛情というのか、これが生の証しなのか、と気付いたとき、彼は息絶えてしまう。愛の力は死を受け入れる者にしか降り注ぐことはなかったのだ。

そんなお話をダンスにすることは、踊りを通じてどこまで他者の魂に触れることが出来るかという試みでもあったし、ライフというものを或る悲喜劇として見つめ直したり、そこに自分が体験してきた出会いや孤独や渇望を重ねて人間を感覚しなおす経験でもあった。

他人の世界観を担うのだから、身体とダンスの力量を本当に試されたという体験でもあった。

しかし、一方で少し不可思議な体験をも、この舞台はくれた。

舞台は現世と異界との境目だという、そこを少しだけ垣間見たような体験だ。

物語を演じる者には、時に強い同化の余り、自分が自分でなくなることがある。憑依というのだろうか、別なる魂が身体に入ったきり出て行ってくれなくなるのだ。

俳優さんの経験を聴いたことこそあったが、ダンスでも、やはりそれはあるんだと、思い知らされたのが、この作品だった。

昼間の稽古をして毎夜毎夜バルトークの音を聴き楽譜を眺めオペラの歌詞を暗唱してゆく、それが癖のように止められなくなってしまうなかで、神経が狂いかけているのを感じた。僕はマンダリンではない、と思うほどに奇怪な幻想が離れなくなってゆくのだ。

舞台というものが、少し怖くなりもしたし、反面、より深く関わる肚も決まった。

その後、 アルトーの声と言葉で踊った本番のあとなかなか自分が帰ってこない、次第に情緒やバランス感覚が狂いかけ、関わった他人の棘が深く突き刺さってしまった、取り殺されたらどうしようかと不安になったことがあったが、それはこの作品で変化した感受性ゆえだったかもしれない。

作品をつくる自己がありながら、作品の方から、ある種の別なる身体というものが訪れて、自己に宿る、というようなことも、あるのだろう。

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STAGE information
10/29〜30上演!
櫻井郁也ダンスソロ新作公演『緑ノ声、ヲ』SAKURAI Ikuya Dance Solo ”Voice of Green” 2016.29〜30.Oct.・公式HOME PAGE

※席数に限りがありますので、お早めにお申し込み下さい。



参考:作品歴、ご感想リンクなど


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断片:稽古ノートいくつか

2016-09-17 | 新作ダンス公演 Next performance
1.生まれてきたのは何故なのだろう、死んでしまうことにも何かしら意味があるのだろうか。大袈裟でなく、やはり何かしらそこに当たる。一番身近な話なのに意外と判らないのが面白いが、、、。


2.ダンスというのは「限られた時」というものに深く関わっている気がしてならない。今やっておかなければ直ぐに無くなってしまうかも、急に死んでしまうかも、という思いと肉の揺れ振れがシンクロし始めるのだろうか。


3.踊りが、オドリという自立した言葉で伝わったのは、言葉なんかとは根本から違う現象なのだろう。落雷や野火のように、オドリはある身体とか場に落っこちてくるが、その狙い目は自己とか他者とかいう境目がぐらつくところにあるのだろうか。

4.いつまでも生きていられないのを感じるから人は踊れるのかもしれない。体も心も永遠でないと感じるから性愛のエロスが波打つように、もう無くなりそうな時間にオドリの現象は落下するのかもしれない。猫科のように、身を澄ましながら、その時をねらう。

5.日々、身体は太陽や月に食われてゆく。秒速で枯れ、ゆるやかに壊れながら、身体は舞うのだが、何を待望しているのか。舞場というカタストロフ、カタストロフという生成。

6.稽古していると、ああだこうだと小理屈を出そうとする自我というものが、子離れしない母親のようにウルサくなってきた。わたくし、という星に戦争を始めたくなる。

7.解体、解体、解体、解体、解体。壊れ生まれ、そのままに。

追記:ノート採録、まとまりなく失礼しました。次第に公演が近くなり緊張感が増す反面、早く早くと衝動を抑える日々です。生まれてきたのは何故なのだろう、死んでしまうことにも意味があるのだろうか。そんなことを、僕も思うが、カラダもカラダで考え悶え始めている実感あり。
いよいよ、さてここから。なのでしょう。
判らない処まで、どんどん行く所存です。

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STAGE information
10/29〜30上演!
櫻井郁也ダンスソロ新作公演『緑ノ声、ヲ』SAKURAI Ikuya Dance Solo ”Voice of Green” 2016.29〜30.Oct.・公式HOME PAGE

※席数に限りがありますので、お早めにお申し込み下さい。
※レッスン&WS会場での販売も開始いたしますのでご利用ください。

参考:作品歴、ご感想リンクなど



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コンテンポラリーダンス&オイリュトミー:10月のレッスン(櫻井郁也ダンスクラス)

2016-09-16 | レッスン日程(毎月更新)
いつもより早い告知ですが、10月のレッスン日程です。
10月は月末にソロ新作公演を行なうので、26日から月末の数回は追い込み稽古のため休講させていただきたく、
すみませんが、どうぞよろしくお願いします!
11月は2日(水)より休みなく行ない、新たな舞台経験なども内容に還元させていただければと思っております。

《通常クラス》_______________________

からだづくり/基礎オープン〕土曜:15:00~17:00  月謝制(多忙な方はチケット応相談)
conditioning, ballet workout, slow-yoga 
10月1、8、15、22日 土曜日 ※29=本番日のため休講
(11月は毎週開講)


ダンスにとっても健康にとっても最も大切な「からだづくり」と「からだの手入れ」。
バランスの良い運動から身体を活性化させるクラスです。
秋はカラダ全体をやわらかくして、可動域を拡げていきます。

ストレッチ&コアトレーニング~バレエおよびモダンの基本~リズム感などなど、基礎を身につけ、踊る身体へ。
クラス前半は、呼吸法から肩・腰・背中など凝ったり硬くなったりしやすい部位をほぐしストレッチへ。
後半は、ダンスの基本テクニックと身体の芯を強くするエクササイズ。
すべて講師のお手本を見ながらのレッスン。踊ることによって体調を良くして、快適な生活リズムを導きましょう!

コンテンポラリーダンス&オイリュトミー・土曜レギュラー〕13:15~14:45 月謝制
contemporary and Eurythmy basic works
10月1、8、15、22日 土曜日 ※29=本番日のため休講
(11月は毎週開講)

やららかい身体をいざない解放感あふれるコンテンンポラリーダンス、そして言葉の響きを全身表現するオイリュトミー。
初級からじっくり、やさしい振付けで踊り楽しみます。
踊りと言葉、踊りと音楽、踊りと内面イメージなど、身体表現の原理を学び心の動きを全身に広げてゆくクラスです。
からだに優しい運動を使ったクラスなので、中高年の方もぜひ。
いろんな音楽や詩を紹介しますので、踊りながら世界観をひろげてゆくのも楽しいです。

オイリュトミー〕毎週水曜:19:00~21:00  月謝制
Eurythmy : standard works and music exercise
10月5、12、19日 水曜日 ※26=リハーサルのため休講
(11月は毎週開講)

ドイツで生まれたメソッド『オイリュトミー』は、聴きとった音を全身運動に置き換えて踊る様式舞踊。
音感,リズム感、反射神経や判断力を高め、やわらかく敏捷な運動を身体から導きます。
言語に対して、音楽に対して、それぞれの踊り方があり、非常に良く考え抜かれたメソッドです。
ていねいな練習の積み重ねから踊る喜びを!
いま練習しているのは、言語オイリュトミーはオイディウスの「変身物語」からナルシスの神話、音楽はバッハの無伴奏ソナタの一部。
いづれも、とても美しい響きです。

コンテンポラリーダンス/舞踏〕毎週金曜:19:00~21:00  月謝制のみ
contemporary and butoh : creation and basic technic
10月7、14、21日 金曜日 ※28=リハーサル及び舞台準備作業のため休講
(11月は毎週開講)

個性とそれぞれの感性を最重視するクラスです。
ダンスならではの身体感覚やセンスを育てながら、毎回たっぷり踊ります。
一人一人のエネルギーやセンスを引き出してゆく作品練習と自由に踊るインプロヴィゼーション(即興)のレッスンを週替わりに行ないます。
インプロヴィゼーションでは、ピアノの即興演奏とダンスの即興セッションをメインに発想や表現力を高めます。
踊って、対話して、とても充実した時間があります。


《フリークラス》_____________________________________

『舞踏』クラスin 西荻ほびっと村学校〕火曜/第2第4週:19時~21時 チケット制
butoh : energy-flow and improvisaton(単発&チケットのクラスです)
10月11日、25日 火曜日 ※休講なし
(11月は8と22に開講)

全身に意識を満たしてゆく体験。イメージを膨らませて自由に踊る体験。
毎回前半は、舞踏に関する話をしながら身体をほぐし、後半は講師が提示するさまざまなイメージや音に感応しながら自由に体をうごかして、即興の踊りを楽しみます。
踊りならではの豊かな体験を味わって下さい。
チケットクラスなので都合の良い日に自由に参加できます。

『舞踏』追加クラス〕火or木曜:19時~21時 チケット制
10月6(木)、20(木)開講。 ※27=リハーサルのため休講
(11月は3と17を予定)

上記「舞踏クラス」に追加して行なう内容です。
舞踏クラスに参加したいけど日程が合わない方、もっと踊りたい方、もっと話しを聞きたい方などなど、どんどん利用してください。
やはりチケット制・自由参加です。
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参加方法・くわしい内容クラスご案内  
週1ペースから、ご興味あるクラスにご参加ください。クラスはいづれも5名前後で行なっており、経験や年齢を一切問いません。

稽古場は、杉並・荻窪駅からバス10分/西荻駅から徒歩圏(善福寺公園教室、西荻ほびっと村教室ほか)くわしくは、お問い合わせ時にご案内。

レッスンの様子など
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STAGE INFO. 櫻井郁也ダンスソロ新作公演10月29〜30日開催

チケット予約受付中。上記サイトより

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断片:異界と、、、。

2016-09-15 | ダンスノート(からだ、くらし)
夜というのはいったい何色なのだろうか。

数日前、石神井公園で体を動かしていたら、赤い月が見えているのに霧のような雨が降ったり止んだり、肌が濡れた。
きょうは雨のち曇りだったが、夏が遠ざかるなあ、と思いながら上を見ると、ハッキリではないけれど薄く広い雲のある部分がぼんやりと白んでいて、月が己の所在地を示しているようだ。

同じ夜を過ごすのでも、夏は星、秋は月、なのだろうか。
惹かれる天体も変わるが、季節と一緒に夜の色が変わってゆくのも感じる。

感じながら、ところで、夜というのはいったい何色なのだろうか。とも思う。
奥へ奥へと誘いかけるような深い色、夜色。

夜を見る、夜に見られている。

(絵に例えたら、マーク・ロスコの描き続けた絵の連続を眺めているような気分にも近いのかしら。
ロスコが心を込めて深く深く塗り重ねた色彩は、すでに何色ということも出来ないほど独特になっていて、その前に佇んでいると、まるで人間を包み込む夜のオーラに向き合っているようにも、僕は感じるのだけど、、、)

簡単には形容しづらい夜の色、そのゆっくりとした変化は、心の底に、色々な色が眠っているのがほどけて空に映写されているような錯覚をおこす。夜の色はその底から何か呟きを漏らしてくるみたい。

移ろいのなかに、いる。

こんな季節になると、なぜかな、古い怪奇譚の類いを読みたくなり、ありったけ床に積む。

ラフカディオ・ハーンの怪談、雨月に宇治拾遺、泉鏡花、中国の聊斎志異もいい。いずれも短い話の集まりだが、夜風に当たりながら今夜はどれにしようかな、と、一話読んだ余韻が夜の色が発する呟きに溶けて雲や月や闇の風情を増してくれるように思う。

最近の恐怖譚はリアルな仕立てで怖さの中に人間の恐ろしさが引き立つものが多いように思うが、昔の人が書いた怪奇譚は、少し怖くて少し不可思議で、ウソのようで少しホントにありそうな、でも洒落た文体で語る短いお話が沢山ある。
そんな話を古人は溜息が出るような美しい言葉や少し華やかな色や匂いで綴る。
幽霊と悲恋、変人奇人の滑稽と憂愁、、、。怖さが人間の哀歓や滑稽に重なるような。

この世とあの世の境目をふと思いながら読んでいると、目の前にある夜が広くなってゆくようだし、もっと不思議なのは、生死や虚実の境目を幻想するうちに何だかエロチックな感覚が芽生えてくることだ。

踊りでも、お能などやはり怪奇な話が底にあるし、西洋のバレエだってジゼルにせよ白鳥にせよ妖精や幻が大事にされていて、それを飛び切り美しく舞う姿を夜の帳が下りる頃に眺める。

あれは何でだろう。

昼の生活から眠りの夢に移ろう境目に、異界の存在とか美の世界に触れてみる。
夜、書物、舞、絵、、、。つかの間の、あわいの、ひとりの、心の旅の。


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レッスン報告・9/13

2016-09-14 | レッスン・WSの記録
きょうのレッスンで、受講メンバーの方の立ち姿が、ひとしきり美しく見えたシーンがあった。

ある方は懸命に動きを探し、それこそ身体を感じよう感じようと出てきた動きを繰り返してゆかれるさなかで、ある方は逆に、動けなくなっちゃって、とご本人は言われたのだが僕にはハラリと何かを捨て去ることができた一瞬の瞬間に見えた、そのときだった。

彼女らは何をも演じていなくて、純粋にご自身とそして一緒にいる私達や空間や時間の空気に接していたのだと思えた。

その人自身を受け止める瞬間、その瞬間の動きや佇まいを見ると、ある気持ちが光を発して立っているように見える。
どんな気持ち、などというものではなく只々「気持ち」というほか何も言う必要がないようなもの。
ご本人の自覚するしないを超えて、ある内的な響きが身体全体から滲み出してくるのだろうか。

心が動くことで身体が動く、という。
逆に、身体を動かすことで心も動く、ということもあるのではないか。

そんなことを今日のクラス(西荻ほびっと村学校・踊り入門)では強く感じた。

からだには血の流れがあり、体温や心拍や呼吸がある。それらと意識が交流するとき、人は自らを命の一つと感覚するのか。

感覚の冴えが何かしら新しい思考や感情や意思を生み、それがまた運動衝動に結びついてゆく。

内に外に無限に働きかけあいながら、心身にエネルギーが生まれてくる。
そのエネルギーは幽かなものから爆発的なものまで広い幅があるのだろうが、そのハタラキに気付いてしっかり寄り添ってゆくと、
踊りなるものに、すこしは接してゆくことができるのかもしれない。

自由に踊る練習を積み重ねてゆくのは、その連携を元気にしてゆく作用があるように感じ、それは、自己の稽古でも、他の人にレッスンしていても、年月を積むにつれて確信が強くなって、今日もまた、、、。

からだ、無限の連鎖、無数のバトンタッチ。

宮沢賢治が「わたくしという現象」という言葉を書いたが、あらためて流石と溜息する。

明日もまた踊ろうと思う。

____________

クラス案内(ダンス、からだづくり・基礎、オイリュトミーなど曜日別  

STAGE INFO. 10/29〜30:櫻井郁也ダンスソロ新作公演


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フリークラス 「舞踏~踊り入門」10月の予約受付

2016-09-12 | レッスン日程(毎月更新)
明日はフリー参加のダンス入門の日です。
ご参加をお待ちしております!

月2ペース。毎回、踊りや身体についてお話しをし、動きや音や言葉からさまざまな想像力を膨らませ、自由に踊る体験を重ねていきます。イメージとカラダの関係をたっぷりと楽しみに来てください。

西荻ほびっと村学校フリークラス
舞踏~踊り入門
講師=櫻井郁也

予約受付中
2016
10/11、10/25火曜日いづれも19~21時

毎月第2第4火曜日に開催です。

会場=西荻ほびっと村学校
杉並区西荻南3-15-3ほびっと村3F TEL 03-3332-1187
JR中央線西荻窪駅南口下車徒歩2分。みずほ銀行左折、最初の角。1Fが八百屋(自然食品店)のビルです。

開講日=毎月2回で通年開講します・ 第2第4火曜(2016年間スケジュール
時間=毎回19時~21時

参加ご予約
※ご予約先:juujishabou★gmail.com(★を@に) 
初めての方は来場前に必ずご予約下さい。(お名前・参加日・ご連絡先)各稽古日の開始時間まで受付。

・初心者よりok(単発3000円、チケット4回11000円、10回20000円)

・毎回5名前後を基本の人数としています。

・中高年の方にも楽しめる運動量です。

・毎回前半は、その日の参加者と対話しながら「イメージング」や「動きの基本練習」。後半はそれを応用して自由に踊る練習です。

・実技のほか、稽古の合間に個々の体感やイメージを話し合ったり、講師の側からはダンスに関連する知識の紹介も行います。

・ダンス経験や知識は全く必要ありません。はじめての方も、ぜひご参加ください!

ほびっと村学校クラスHP


【クラスについて】
感じ、即、動くこと。
表現力ゆたかな活き活きした身体へむけて、
感受性のひろがりへ、
ゆっくりと心身を磨いてゆくレッスンです。

体をほぐし、共に踊り、対話しみながら「カラダとココロ」「踊り」「表現」についての基本的な理解を深めます。

★講師より★
ジャンルとかスタイルといった先入観・既成の常識にふりまわされず、まず自由に踊ることから。
そして表面的な形やウマいヘタとかいう思い込みを捨てて、自分の感覚や身体をのびやかにしたいものだと思います。
踊るというのは運動もスルし汗もかきますが、日常の心配事や人間関係をいったん忘れて、まっすぐに心を見つめる行為でもあり、
とても丁寧でデリケートな作業でもあると思うのです。
口や文章では語り尽くせないような衝動や、喋ってしまうと嘘っぽくなってしまうような感情、言葉になる前の言葉、歌になる前の歌、、、。
じっくりと身体を感じ取り、いろんな音や言葉に出会い、わきたつイメージや感情を解き放って、踊りの面白さを味わってほしく思っております。
からだとの付き合い方、感覚の磨き方、いろんなことをつかんでください。

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Weekly
毎週のダンスクラス
曜日ごと5名前後にて。現在30代~50代まで参加しています。
土午後=基本のカラダづくり、金夜=コンテンポラリーダンス(一般レベルフリー)、水夜=オイリュトミー(初歩~一般)、土昼=レギュラー(コンテ&オイリュトミー初歩)
定期クラス要項
毎週水(19:00)、金(19:00)、土(13:15/15:00)、杉並・荻窪。週1ペースからご都合に合わせて参加可能です。からだづくりや基礎からゆっくり学びたい方、定期的に踊りたい方、ふるってご参加下さい。


舞踏・追加クラス(5月は19木、31火:いづれも19~21時)もあり。
チケット制の追加プログラム。
多忙・不定期の方も、ぜひご利用ください。
※チケットは「ほびっと村クラス」と共通。スケジュールと会場はメール案内。上記予約用アドレスよりお問い合わせ下さい。舞踏・追加クラスご案内
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Stage info.
櫻井郁也・新作ソロ公演10/29-30:公式HP
フェイスブック

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rehearsal photo:Sakurai Ikuya

2016-09-10 | 新作ダンス公演 Next performance






Next performance on 2016.29〜30.Oct.

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