Dance and Art by Sakurai Ikuya:CROSS SECTION*BLOG

ダンスアートユニット《櫻井郁也/十字舎房》発。コンテンポラリーダンスとオイリュトミーのレッスン、ステージ、エッセイなど。

stage photo:Sakurai Ikuya

2016-12-09 | 国内公演の記録 past dance works in JP



櫻井郁也ダンスソロ『緑ノ声、ヲ』(2016年10月)
Sakurai Ikuya dance solo "Voice of Green" Oct.2016.

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断片・12/8

2016-12-08 | ダンスノート(からだ、くらし)
足。

次の作品に向けて稽古を始めた。
というか、もがき始めた。

10月末に上演した『緑ノ声、ヲ』から日を経て、次、と肚が決まりました。

で、無性に、自分で自分に喧嘩を売っているような混沌を体験してます。

良くも悪くも、これまでやってきたことを破らないと「ダメだ」という切迫感が出てきた。無性に、自分の心根を叩き直したい感じで、、、。

まだ何もわからないから。稽古。他に何もない。

曖昧な立ち方はしたくない。いちばん嫌なのは、曖昧な立ち方。

ぎゅっと着地するのか、とつりと床に触れるのか、
まるで分かっていない足がある。まずそこから。

中途半端な立ち方をすると、進むことも、ひっくり返ってしまうことさえ出来ない。

確かな足がなければ、僕ら舞踊家は何をやってもダメなのです。

いる、からには、いる意味がある。ある、からには、ある意味があるはず。

そこをカラダとして、掴めるか。カタチに、絵に、音に、、、出来るか。

動けば良いということではないだろうけど、
やはり動かねば何も始まらない。
いよいよ、それが身にしみてきた。

確かさ。

考えて、まとめて、とやってもカラダは思うようになんかならないです。
本当の声はカラダから掘り起こすしかなくて、動き倒して、もがかないと、やはり、ダメ。だなぁ、なんて。

壊すことを怖れずに、立てるか。新しい足を妊娠し、出産できるか。

とにかく、動き倒すことから、始めています。
再出発であります。

何とかカタチにして、
夏には「オドリ」を舞台にのせたい。
切に、ご期待ください。

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断片・12/6

2016-12-07 | ダンスノート(からだ、くらし)
言葉はカラダの一部なのではないかと最近思う。
カラダを使わずに言葉ばかりで考えていると空回りして迷いばかり出てくる。
自分の言葉で言ってみろよ、なんてよく言うけど、要はカラダから沸々と出た言葉でないとダメなんだろう。

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感動しました!『この世界の片隅に』

2016-12-05 | アート・音楽・その他
こうの史代さんの原作を何度読んだかしれない。

なのに、
初めて触れる世界のように新鮮で、思い出のように切なかった。

この感覚は何なのかしら。

気がつくと主人公のとなりにいるような気持ちが湧いていた。
話しかけようとしたり、一緒に御飯を食べたり、
みたいな、、、。

そして、ほとんどずっと泣いていた。
なぜ涙が出てくるのかさえ、わからないまま、、、。

映画『この世界の片隅に』片渕須直監督。

戦時下の広島と呉を舞台に、ある女性を描くアニメーション映画だが、そんな説明はあまりにも不似合いで、いや、どんな説明も解説もしないほうがいいに決まっている。

あの戦争に、あの原爆に、うばわれた大切なもの。悲しみをこえて再生された何か。現代の根っこにあるはずの、僕らが忘れてはいけないはずの、壊されても壊されても大切にされてきたものが、スクリーンの向こうから、そっと手渡されるのだ。祖母から孫に伝えられてゆくように、、、。

傑作に出会えた。
ずっと忘れられないと思う。


公式サイト

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居る、という

2016-12-05 | ダンスノート(からだ、くらし)
自省を込めつつ、なのだけど、、、。

静まりのなかに人が立つ。
居る。
ということから踊りは始まる。

誰かが居る。

いや、その誰かの内部の子どもが、その誰かの内部の動物が、居る。

いや、居る筈がない何かさえもが、居る。

凄かった、と思える踊りにはそんな感覚が確かに、ある。

居方。
なにものかが居ることの確かさ。
それは時にショッキングだ。

(はんたいに、曖昧な居方をされると異様な虚しさや徒労感に満たされてしまう。早く、終わらないかな、やっと、終わった、ああ、何のために僕はここに、居たんだろう。なんて。)

踊る人の居方は、観る人の居方にも強く影響するのだろう。人と人。

良かった、凄かった、
と思う踊りは、居る鮮やかさ、居たものが居なくなった鮮やかさ、そこに独特な手ごたえがあるのだ。
そして、居なくなったところに、ハタと広がる時空がある。
その味わいは特殊で、素敵な踊りの格別さだと思う。

踊りが始まる前の、つまり誰かが居る前の時空と、踊りのあとの時空の落差が好きで、劇場に通ってきた感さえある。

素敵な居方であればあるほど、あとに広がる時空は得難い瞬間だ。
熱の名残りが、まるで言葉にならない空気感を生み出す。

素敵な踊りを観た夜は、いちばん最後に席を立つ。
踊りが終わり、終わったあとの拍手をきき、空舞台が残り、次第に人々が去り、がらんとした一瞬まで、味わいたくなる。

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悲しい、、、

2016-12-03 | ダンスノート(からだ、くらし)
あるダンサーが亡くなられた。
ひとつのダンスが去った。

命とともにダンスはあって、
命とともにダンスは去って、
でも確かに、
この地上には、
ひとつの確かな力がのこされていて、
そして、、、。

って、

わかっていても、つらい。
さびしいです。

黒沢美香さん、59歳

ご冥福を。

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冬の木

2016-12-02 | ダンスノート(からだ、くらし)
冬には木をみたくなる。なぜかな。
つい木のそばを通りたくなる。

そして、少しだけでも、ぼんやりと眺めていたくなるのだ。

木はしっかりと立っている。
だけど頑張っている感じじゃなくて、大らかだ。
太陽と地球を結んで、
その立っている姿に、
寒ければ寒いほど、
見惚れる。

そして、どこまでも染み込んでゆくように根は奥へ奥へと入ってゆくのが、思い浮かぶ。

直立する幹は地の底から噴出してきたようだし、
ワッと伸びた枝は、
落下する雷光のスジが生命に刻印されたようにも見える。

ひとつの木が立っている。そこには、強烈な力がある。あぁ、、、。

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呼吸

2016-12-01 | ダンスノート(からだ、くらし)

迷うときには、困ったときには、ゆっくりと呼吸してみる。
何かうまく出来ないときには息の仕方を変えてみる。
吐いていたところを吸ってみる、溜めてみる、テンポを変えてみる、それだけなのだが、不思議と改善のきっかけになることが多い。

呼吸に助けられることが、何かとある。

レッスンでもアップ中にメンバーから呼吸に関する話がでて、ずいぶん稽古が膨らんだ。

呼吸のトレーニングは土曜午後の基礎クラスで毎回たっぷりやる。全ての動きに、呼吸のテンポや長さや深さがセットになるようプランしているのだが、それらが、振付を踊ったり自由に踊るときも、次第に意識されるようになっているのかな、と嬉しくなった。

呼吸は姿勢を変える。腰痛や凝りの改善にも、横隔膜の運動や血流にも、深く関係している。もちろん心理面での変化は大きい。

ダンスそのものが、瞬間瞬間の呼吸を活かすことから大きく変わる。
身のこなしも表情も呼吸で変わる。

呼吸は踊りの原動力になる。いや、踊りは呼吸の変化そのものとも言えるかもしれない。

呼吸と力の関係、呼吸と体の仕組み。
呼吸と知覚、呼吸と気持ちの変化。
呼吸とリズム、呼吸と言葉、呼吸と音楽、呼吸と空間の広がり、呼吸と時間の流れ。
呼吸と自我、呼吸と他者、、、。
興味を広げれば、きりがないほど広げられる。

しかし呼吸は身体の記憶そのものだから、実際の動きのなかで掴む以外、ない。

誰しも生きているかぎり呼吸している。
息を、吸う、吐く、止める。というが、実際には呼吸はパターンではない。ケースバイケースで変化をする。一人一人ちがう。

無意識のうちに精妙なバランスをとって無数の吸う吐く止めるを融合している。それらはダンサーひとりひとりの表現力や魅力を生み出している。

いろんな人の稽古に関わらせていただいていると、大胆に踊る人は皆さんたっぷりと息をされている。何でもすぐに声に出さして話して下さる方は息がしっかりしていて、楽しそうに踊られる。いい呼吸が体感/体験で掴めると、踊る楽しさも倍増するようだ。

踊りだけでなく、日常生活の快適さも呼吸ひとつで実際に変わる体験が僕もあったし、まわりの人からもよく聞く話だ。

たっぷりと呼吸してゆくだけで、身体に力が満ちてゆくのだ。自信や勇気も出るのだろう。

でも、浅い息が癖になると、いつも緊張がとれない。体も硬くなる。横隔膜や胸は特に硬くなって、さらに息が浅くなってゆく。気が小さくなる。
溜息ばかりついて力も逃げて暗い気持ちを呼び込むだろうし、コミュニケーションも浅くなる。イメージ力も浅くなるようだ。

広げれば、こうやって書いているのも、たったいま読んでくださっているのも、一種の呼吸なのかもしれない。

書く、読む。話す、聞く。奏でる、聴く。は勿論、あらゆる表現は受け応えなのだから、その根底には、呼吸があるのではと思う。

呼吸、それは「息」であり、「活き」であり、「生き」であるのだろう。

毎日、一日にどれくらい呼吸するのだろう。一生のうちに、どれくらい呼吸するのだろう。
数え切れないよ、と思うとそれまでだが、たぶん限りある。

あと何回くらい僕は息をするのかな。
一回の呼吸をどれくらい大切にしているかな、と、振り返る。

そろそろ稽古に。さて、深呼吸、、、。


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踊り、人と人の、あいだの、、、。

2016-11-29 | レッスン・WSの記録
踊りの練習の楽しみの一つに、いい音楽や言葉を全身全霊で味わう経験がある。

クラスでいま取り組んでいるなかで、バッハの「無伴奏チェロ第一番」という曲がある。

この曲で踊ってみたい、ということになってから、いま半年くらいかしら。少しカタチになり始めている。少しずつ少しずつ、だ。

流れるような美しいメロディに始まる。
変化を繰り返しながら熱を帯び、やがて、畳み込むような鼓動のリズムに昇華されてゆく。

音の中に入ってゆく。
たゆたうように、流れるように、身を揺らす。
音楽の波やカーブを味わいながら、何度も繰り返し練習するうち、次第に他の人の身体とも馴染んでゆく。
呼吸を合わせたくなる。ステップを共有したくなる。

目を交わし、時に声をかけあい、足音に耳を澄ましあい、次第に次第に息が合ってゆく。

息が合ってくると、カラダの動きも滑らかになってゆくようだ。

そこから、空間や雰囲気が広々と広がってゆく。

やはり、人のカラダというのは気持ちと同じで、様々な、ものこと、との関わり方次第で変化するのだなあ、と教わり確かめているようだ。

踊りは色々なことを教えてくれる。
踊りはとても古い歴史をもつから、とても沢山の人の知恵や温度が秘められているのだろう。

踊り、人と人の、あいだの、、、。


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コンテンポラリーダンス&オイリュトミー:12月のレッスン(櫻井郁也ダンスクラス)

2016-11-28 | レッスン日程(毎月更新)
さて、12月のレッスン予定です。

おもいきり動く快感はもちろん、
ゆったりと立って音楽や言葉に耳を傾けてゆくのも味わい深い、
見よう見真似も面白い。
静かに見守っているのもアリかもしれない。
いずれも踊りの場ならではの過ごし方です。

お仕事やお家のことからひととき離れて、
のびのびと、踊りに、遊びに、来てください!!

PS:年末年始あわただしい時期ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

【12月のレッスン日程】

★12/27(火)が年内の稽古納め。新年は、1月5日(木)が稽古開きとなります。

★寒くなってきましたので、レッスン中は靴下・ウォーマーなどご利用ください。解説や対話時のカーディガン類や、温かい飲み物なども!

《通常クラス》_______________________

からだづくり/基礎オープン〕土曜:15:00~17:00  月謝制(多忙な方はチケット応相談)
conditioning, ballet workout, slow-yoga 
12月3、10、17、24日 土曜日

「からだづくり」と「からだの手入れ」。
ストレッチ&コアトレーニング~バレエおよびモダンの基本~リズム感などなど、
バランスの良い運動から身体を活性化させるクラスで、ダンスにとって最も大切な基礎技術を学びます。

クラス前半は、呼吸法から肩・腰・背中など凝ったり硬くなったりしやすい部位をほぐしストレッチへ。
後半は、ダンスの基本テクニックと身体の芯を強くするエクササイズ。
すべて講師のお手本を見ながらのレッスン。踊ることによって体調を良くして、快適な生活リズムを導きましょう!

コンテンポラリーダンス&オイリュトミー・土曜レギュラー〕13:15~14:45 月謝制
contemporary and Eurythmy basic works
12月3、10、17、24日 土曜日

やららかい身体をいざない解放感あふれるコンテンンポラリーダンス、そして言葉の響きを全身表現するオイリュトミー。

初級からじっくり、やさしい振付けで踊り楽しみます。
踊りと言葉、踊りと音楽、踊りと内面イメージなど、身体表現の原理を学び心の動きを全身に広げてゆくクラスです。
からだに優しい運動を使ったクラスなので、中高年の方もぜひ。
いろんな音楽や詩を紹介しますので、踊りながら世界観をひろげてゆくのも楽しいです。

オイリュトミー〕毎週水曜:19:00~21:00  月謝制
Eurythmy : standard works and music exercise
12月7、14、21日 水曜日

ドイツで生まれたメソッド『オイリュトミー』は、流れるように優美な動きが特徴の踊りです。
音楽や詩の朗読から、聴きとった音の響きを全身運動にします。
音感,リズム感、反射神経や判断力を高め、やわらかく敏捷な運動を身体から導きます。
言語に対して、音楽に対して、それぞれの踊り方があり、非常に良く考え抜かれたメソッドです。
ていねいな練習の積み重ねから踊る喜びを!

コンテンポラリーダンス/舞踏〕毎週金曜:19:00~21:00  月謝制のみ
contemporary and butoh : creation and basic technic
12月2、9、16、23日 金曜日

一人一人の受講者にふさわしいアドヴァイスをしながら、運動やダンスセンスを引き出してゆくクラスです。
シーズンごとにテーマや曲を決めた「作品練習」と、ピアノ演奏を聴きながら自由な動きを展開する「インプロヴィゼーション(即興)」のレッスンを週替わりに行ない、ダンスならではの身体感覚、発想、表現力を高めます。たっぷり踊って、対話して、とても充実したクラスです。


《フリークラス》_____________________________________

『舞踏』クラスin 西荻ほびっと村学校〕火曜/第2第4週:19時~21時 チケット制(単発もあり)
(土曜の基礎クラスとは別チケットになります)
butoh : energy-flow and improvisaton

12月13、27日 火曜日  (1月は10、24で決定)

全身に意識を満たしてゆく体験。イメージを膨らませて自由に踊る体験。
毎回前半は、舞踏に関する話をしながら身体をほぐし、
後半は講師が提示するさまざまなイメージや音に感応しながら自由に体をうごかして、即興の踊りを楽しみます。
踊りならではの豊かな体験を味わって下さい。
チケットクラスなので都合の良い日に自由に参加できます。

『舞踏』追加クラス〕火or木曜:19時~21時 チケット制

12月1、8、22日 木曜日 ※当月3回あり
 (1月は5、19の予定)

上記「舞踏クラス」に追加して行なう内容です。
舞踏クラスに参加したいけど日程が合わない方、もっと踊りたい方、もっと話しを聞きたい方などなど、どんどん利用してください。
チケット制・自由参加です。(月謝の振替もOK)
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参加方法・くわしい内容クラスご案内  
週1ペースから、ご参加ください。クラスはいづれも5名前後で行なっており、経験や年齢を一切問いません。
月謝クラスは各曜日とも相互振替が可能です。

稽古場は、杉並・荻窪駅からバス10分/西荻駅から徒歩圏(善福寺公園教室、西荻ほびっと村教室ほか)くわしくは、お問い合わせ時にご案内。

レッスンの様子など
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櫻井郁也ダンス公演情報

※ただいまは10月末に行なった公演の情報を掲載しています。次回の公演日程など、いましばらくお待ちください。


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カストロの死

2016-11-27 | ダンスノート(からだ、くらし)
カストロが死んだ。
これぞ革命家と実感していた最後の同時代人だった。

彼が政権を握ったのは1965年だから、僕の人生と同じ長さだけ、カストロのキューバは続いたことになる。

アメリカのすぐ隣りで、全く別なる価値観の小国が生き延びていること自体がすごいことだし、それはちょっとした希望や羨ましささえ感じることがあった。

豊かさや幸福の考え方が違う国。金持ちがいなく、皆が同じくらい貧しいが、不幸でない国。医療も教育も無料。ホームレスはいない。葬儀・お墓代も無料。

ベルリンの壁が崩壊して僕らの「現代」は走り始めた感があるが、世界には僕らの知らない「別の現代」がある、ということを、キューバはカストロの存在感とともに僕らに感じさせ続けたのかもしれない。

比肩できるような人物の政権を経験したこともなく、キューバに暮らしたこともないから、その為政について何かを言うことは出来ない。

しかし、彼が広島を訪れたときに語った
「日本国民は一言も恨みを発しなかった」
という一言には、非常に強く激しい力が潜んでいるように感じた。
政治家である前に、やはりカストロは革命家であったのだろう。

現代、という言葉があり、かつては第二次大戦後を現代と呼んでいたが、それは『ヒロシマ以後』、『アウシュヴィッツ以後』でもあった。

ダンスで『ベルリンの壁の崩壊』以後に発生したものをコンテンポラリーダンスと呼び、そこにあらかじめ表現の壁はないのは、あの日の共有から芽生えた現代意識ゆえかもしれない。

現代の起点をどこに置いているかで、その人の時代感覚や社会認識がわかる。

『9.11』以後、『フクシマ』以後、と、現代という時代は何度も始まり直す。じわじわとパラダイムが移り変わる。

11月25日、カストロが死んだ。
影響力のある人物の死は世界にとって喪失であるけれど、それは同時に新たな「生み」の始まりでもあると思う。

いま、『カストロ以後』という、さらに新しい現代が始まってゆくのかもしれない。まだ予感は余りにも微かだが。

「人間にとって重要な資本は金ではない。人間こそが、最大の資本なのである」

もちろんカストロの言葉だ。




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断片:11/26

2016-11-26 | 国内公演の記録 past dance works in JP
ダンスを観た人にもらう言葉は宝だ。

どうだった?と友人にきいても、まだ言葉にしたくないから少し待って、と言われることが多々だし、あえて顔を合わせず帰る人も多い。

せっかくだから会いたかったと淋しがっていると、スタッフからたしなめなれる。観る人の余韻を壊しちゃいけないよ、観る人にとって踊りはまだ終わっていないのだからね。と。

数日前、10月公演について初見のお客様がご感想を送って下さって、そこには詩のような言葉があり、そこに重なるご自身の思い出や、世の中に対する思いが美しい文字で綴られていた。

それを読みながら、スタッフが言ったことを身につまされた。

舞台は、もしかしたらダンスの導入なのかもしれない。ある場所に人が集い、ある身体の揺さぶりがあり、それを観た一人一人のココロの内部で何かが次第次第に蠢めいてイメージや言葉や新しい呼吸に結びついてゆくのだろう。

劇場の闇と光を通じて、身体と視線が絡まり、呼吸と呼吸が絡まり、いつしかカラダとカラダが関わっているのかもしれない。そして、一人一人の時間のなかで、ゆっくりとイメージや言葉や息吹になってゆくのかもしれない。

観客はいま体験したものに安易な言葉を与えることを嫌う。

だからこそ、もらう言葉には重みがあるし、胸に響く。それは新しい踊りを呼び込んでゆく。

ダンスは、思いのほか、ゆるやかで広いのかもしれない。

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踊りの記憶から:11/25

2016-11-25 | 国内公演の記録 past dance works in JP
「足の裏で地をさぐる。

足の裏には沢山の場所がある。

この足が立っていた沢山の場所の、

やわらかく、かたく、あつく、つめたく、いたく、ふくよかな、湿度やデコボコの、記憶。

が、足の裏に、沢山の場所をつくっている。

踏み、歩き、走った、沢山の場所の沢山の時間も。

それらすべての場所とともに

足はいまここという場所に立っていて

うまれようとしている全ての時間に

着地している」

時期はずれだが、先月末に上演したソロダンス『緑ノ声、ヲ』稽古ノートから。
リハーサル中期のもの。

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櫻井郁也ダンス公演情報 
※ただいまは10月末に行なった公演の情報を掲載しています。次回の公演日程など、いましばらくお待ちください。

レッスン情報 



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11月の初雪

2016-11-24 | ダンスノート(からだ、くらし)
抱きしめ合う裸体にキラキラと降る死の灰。
痛くなるような溜息、、、。
デュラスとレネによる『ヒロシマわが愛』、
そのファーストシーンだ。

なぜか、雪を見るたび、そのシーンが一瞬だけ、
記憶をかすめて消える。
雪が消えるように。

その映画を初めて観た日は実際、雪が降っていた。

初めてアウシュビッツ跡を訪ねた日も雪だった。
あの、死のレールの前で、
もうこらえきれず、目を空に背けた。
その目に雪が沁みた。
粉雪だった。
こまかな粒が固いまま落下していた。
溶けないまま、積もりもせず、
どこまでも風に転がっていった。
あまりにも気温が低いのだった。陽光はなかった。

大学入試の日も雪だった。
真っ白な池袋の街、積雪を踏む感触、
なぜか30年以上残って、
いや、、、。
雪が降っていたのは、
とりたてて何事もなかった日がほとんどだ。

とりたてて何事もないけれど、
ある日に雪が降って、
それを見つめる。

あ、ゆき、、、と呟いて、
窓を開く。
あ、、、と、
ふと足が止まり空を見上げる。

例えばそれくらいに小さな記憶が、
ずっと残って身のどこかに沈潜している。

雪の日の記憶を辿ると、
ずっと子どもの頃まで行けそうだ。
誰かと手を繋いで雪を見ていた記憶まで。

雪国に暮したことがない僕にとって、雪が降ってきた、ということ自体が、やはり特別なことなのだ。

つらいことも、
幸福なことも、
なんでもない
さりげなく過ぎる一瞬も、
雪と一緒に蘇る。

雪は記憶を増幅させるのだろうか。

11月24日。
早すぎる初雪を眺めている。
1962年以来54年ぶり、
そのとき未だ僕は生まれていなかった。

11月の初雪は、たぶん、
一生に一度のことなのだろう。

(本当は、すべてが一生に一度きりなのだけど、、、)





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断片:早朝の地震から

2016-11-22 | ダンスノート(からだ、くらし)
早朝の地震は怖かった。

大事に至らなかったのは幸いだけど、東日本震災の影響によるものだと聞いて、驚いた。

なんだか過去と未来が作用しあっているようだ。

記憶は予感のはじまり。

地震のたび、原発がまた爆発するのではと、びくびくする。神経が磨り減る。薄気味悪い。あれだけの経験をしたのに、理不尽な足踏みが続く。

自爆装置を抱えて火山で暮らしているようだ。

自然の力には抗いがたい。
いや、惑星という生き物の力だ。
僕らは生き物の背中に住んでいるのだと思う。

地球自体が生き物で、僕らも生き物。共存者だ。だから、どこかで運命も結びついていることを忘れるわけにいかない。

人は自然の力には抗いがたい。だけど、人は人の力には抗い得るにちがいない。おかしいものにはおかしいです、と。言い続けるだけでも、いや思い続けるだけでも、小さな声や小さな思いが長年積み重ねられ大きな波を生むことになると思う。

地震のたび、原発がまた、と、、、。

こんなとき、僕は、ただただ無力に怖く、目や耳をこらしてゆくしかなく、無性に心配が膨らんでゆくのだけれど、

それがカラダのなかで怒りや希望や恥じらいや叫びや音楽と、混然と渦をなして、立ち尽くしたり、踊りにもなるかもしれない。その前に、言葉を持たぬまま、ノー、ノーモア、というような気持ちを膨らませつづけるのだろうと思う。

ごく生理的に、ただ生き物として、なのだが。


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