櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

虐殺器官、観ました。

2017-03-02 | アート・音楽・その他
アニメ映画「虐殺器官」を観ましたが、原作にたがわず面白かったです。

現在進行形のテロ問題や現実の政情とSF的想像力が混然一体となり、哲学的な伏線が張られた会話が多く、政治的背景、言語心理学的でロジカルな側面、さらに、人によってかなり抵抗感があるに違いない戦場描写、などが、多分に含まれている内容にもかかわらず、このように、小説を幾分嚙み砕きながら、それでいて雰囲気を壊さずアニメにするのは、大変な仕事だと制作者に頭が下がりました。

読書とちがって、映画は束縛が強い。途中で言葉の意味を調べなおすことも出来ないし、描かれている出来事についての知識を得てから先に進んでゆくことも出来ない、また、想像力もある程度コントロールされ制限されてしまう。

しかし、この映画は、それらの映画特有のリスクをあまり感じさせないバランス感覚の作品でした。

SFアニメには珍しく、観ながら世界や人間について、じっくり考えさせられます。それでいて娯楽の面でも、煽られることない、ほど良い充実感。そして、原作者の世界観の重みと原作自体への興味が残ります。映画を観て、また小説に戻るという楽しみ方も計算されているのかもしれないなあと思いました。

共存する知恵を見つけられないばかりに、お互いを破壊する方向に進んでゆく人間世界を描いたアニメには、フランスの「ファンタスティックプラネット」が印象にあったが、勿論作風は著しく違うが、重なる感じもありました。

多様化から二極化へと突き進んでゆく世界。
個人認証の度を超した発達。
アメリカ国内で増加するテロリズを食い止めるために、テロリストのいる国に内戦を起こし虐殺を誘発し、それによって資本の保守化を促進しながら、かつ、アメリカ国民は平和に暮らすことができる。という論理。
繰り返し同じ言語パターンを人々に擦り込むことで人間の深層を操ろうとする権力者。
SFでありながら、非常にリアルです。
そして言語コントロールという問題への切り込み。
作中には「仕事だから」という言葉が繰り返し使われ、仕事という思考パターンのなかで人が人に操られ殺戮を犯し、また殺されてゆく。これはアイヒマン裁判での論議をも思い起こされますが、同時に現代の僕ら自身にとっても抜き差しならない問題でもあります。

観ながら、あらためて、原作者・伊藤計劃氏の早過ぎる死が惜しく、あまりにも残念すぎたなあと思えました。いまになってまたそう思わされる程に、この映画からは原作者と小説に対する敬愛を感じました。伊藤氏は、この映画の原作が処女作で2007年、わずか2年後の2009年に亡くなっている。小説3作、ノベライズ1本、34歳。鬼才。
彼の遺した作品を、もう一度、読み直したくなります。


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