横浜産の梨・「浜なし」をいただきました。
(収穫量が少ないため市場には出回っていません)
果物がおいしい季節に
こんばんは。
O村ライターです。
明日から香川です。
全日本中学では自分の次女と同年代の選手たちを取材します。
取材に父親の心情が少し入ってしまうのは
どうかお許しください。
明日から全中だというのに、
インターハイのことがまだまだ書き足りません。
いろんな感動がありました。
そのうちの1つが、
「18年前の甲府」で高校生だった皆さんに会えたこと。
当時高校生だった皆さんが、教える立場になって、
その18年前以降に生まれた高校生たちを率いて、
また甲府に訪れ、
再会して、
取材させてもらって、
話題にできる幸せ。
心に沁みました。
おやじのノスタルジー&1996メモリーに
少しお付合いください。
懐かしい顔に向けて
ほんの数秒、ノスタルジーを
18年前に高校2年生だった、
城西大城西(東京)の山村貴彦先生、
安城学園(愛知)コーチの増田智実(旧姓・鈴木)さんは、
高校時代から頻繁に取材させてもらったお二人。
そんなお二人の教え子たちが活躍したので、
幸せにも、記事にすることができました。
山村先生が「初日に5レースを走った話」は
月刊陸上競技9月号に書きました。
読んでくださいね☆
18年前の智実さんは100m、200m、400m、4×100mRの4種目にエントリーしていたのですが、
大会直前にものもらいを切り取る、という不測の事態があり、
200mと4×100mRに絞っての出場になりました。
200mで圧勝し、4×100mRでは4~5人を抜き去ったわけです。すごい。
当時の智実さん、4×100mRの第4走者としては、
シニアを含めた日本最強だったと確信しています。
その1996年、インターハイより少し前の、5月の愛知県大会女子200m。
「23秒71(+2.1)」が、脳裏に焼き付いています。
0.1m風速が弱ければ日本新だったレースです。
男子スプリントで旋風を起こした北海道栄を率いるのは、
当時2年生だった掘下航先生です。
取材の手が回らず、残念でした。
東京学館新潟を率いるのは、
当時3年、スプリント黄金世代の一角を占めた田村和宏先生です。
400m、両リレーで決勝進出にあと1歩。
マイル準決勝3組3着、3分12秒75でした。
いずれご自身の
県高校記録(100m10秒42、100m21秒00)
県記録(100m10秒25、100m20秒77)
を破る選手を育ててくれることでしょう。
田村さん、その時は取材させてくださいね!!
高校指導者ではありませんが、
今年から京セラ女子陸上部を率いていらっしゃる、
佐藤敦之、美保ご夫妻にも、ばったりお会いしました。
美保さんは女子400m優勝の記事を担当しましたし、
敦之さんは、その年の福島県大会5000mを見に行き、記事に書いています。
小川選手と榊枝選手との3人が激突したレースです。
18年前の郷愁に浸ったところで、
マジメな分析もしてみましょう。
1996年当時の地区レベルはどうだったのでしょうか。
同じように、地区別で得点を調べてみました。
当時は種目数が男子19(→現在21)、女子12(→現在17)です。
「1996年インターハイ・地区別得点」
(1)北関東…205.5(男子 96・女子109.5)
(2)近畿……163.5(男子 99・女子 64.5)
(3)南関東…162 (男子112・女子 50)
(4)東海……136 (男子 81・女子 55)
(4)東北……136 (男子111・女子 25)
(6)北九州…101 (男子 42・女子 59)
(7)中国…… 76 (男子 62・女子 14)
(8)四国…… 55 (男子 25・女子 30)
(9)南九州… 42 (男子 28・女子 14)
(10)北信越…30 (男子 19・女子 11)
(11)北海道… 9 (男子 9・女子 0)
当時から、地区格差はあったわけです。
と同時に、勢力図の変動があることもわかりります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます