中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

和草にこよかに

2019-05-19 | 《たおやかな風景》奈良新聞連載エッセイ

 御嶽山大和本宮を抱く森の麓、大渕池に注ぐ水路の脇に小さな農園を借りて三度目の春である。フキノトウが頭を出す湿地(しめじ)、ウドの新芽の芳香漂う藪、ヨモギがやわらかい葉を広げる土手、山野に春を告げる和草(にこぐさ)に出会える場所も概ねわかってきた。
 農園を見下ろす土手で摘んできたヨモギで、久しぶりにヨモギ団子を作った。白い産毛に覆われたビロードのような葉の、その切り口から放たれる香りといったら。子供のころ私はこの匂いが苦手であった。それがいつのころからだろう、この香りが心地よいと感じるようになったのは。

 アルテミシア(Artemisia)とはヨモギ属のラテン名で、その名はギリシャ神話の中の女神アルテミスに由来するという。アルテミスは古くは山野の女神で、豊穣や狩猟のシンボルとされていたが、のちに月の女神とされ、妊婦や出産の守護神、また子供の守護神ともいわれている。女性の心や体、出産と深い関りがあるとされる月の女神であるアルテミスは、女性そのものの守護神なのかもしれない。
 アルテミスは、女性の病や出産にヨモギを処方したという。毎日のように道端で目にするあのヨモギである。それが遠い神話の時代から女性のための薬草として使われていたというのだから、単なるロマンティックな話と聞き流すわけにはいかない。
 調べてみると、出てくる出てくる驚くべきその効能。フキノトウもウドも然り。この和草たちは、そのやわらかな葉や茎に、どれほど逞しい力を秘めているというのか。
 踏まれても、刈られても、引き抜かれても、ヨモギが何千年もこの地球に生き長らえているのは、実は女性を護るためなのではないか。

  女神アルテミスと言えば、思い出すのがこの人である。クララ・シューマン、ロベルト・シューマンの妻であり、世界的女流ピアニスト、作曲家である。
 ロベルトと結婚したクララは、わずか13年半の間に8人の子供を出産する。身体も休まる間もない中、クララは子供たちの母親として、作曲家ロベルトを支える妻として、家計の一翼を担うコンサートピアニストとして、作曲家として、想像を絶する多忙な日々を送る。
 ロベルト亡き後は、当代一のピアニストとして夫の作品を演奏し、夫の全作品を編纂し、その後半生を、夫の作品とその価値を後世に伝えることに捧げた。
 ドイツの100マルク紙幣(日本で言うならば1万円紙幣)を飾っていたあの女性がクララであると言えば、クララという女性の凄さが伝わるだろうか。

  葦垣の中の和草にこよかに 我と笑まして人に知らゆな 

  朝見の儀に臨まれる初々しい天皇・皇后さまお二人のご様子に、ふとこの歌を思い出した。「葦垣の中の和草のようににこやかに、私にだけそっと微笑みかけてください、決して周りの人にそれとは知られないように」、ひそやかに、それでいて深く想い合う男女の様を詠った万葉集の中の恋の歌である。
 「和草」とは、やわらかい草のこと。和草の「和」は「にこにこ笑う」の「にこ」である。それは令和の「和」であり、日本そのものである。
 雅子さまの前途にはこれまで以上の苦難が待ち受けているかもしれない。しかし日本の女性の代表として、どうか「和草にこよかに」、やわらかく、逞しく、乗り越えて行っていただきたい。

(新聞掲載日 令和元年5月10日)


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零からの出発

2019-05-19 | 《たおやかな風景》奈良新聞連載エッセイ

 子を育て上げ、親を看取り、無我夢中で生きた31年、その平成の時代が終わり、令和の時代が始まろうとしている。
 施行から一ヶ月前に新元号が発表されたことで、この四月は、終わりと始まりをつなぐ「のりしろ」のような月となった。憲政史上初めてという天皇の生前退位が、思いがけずもたらしてくれた、ゆとりの時間である。
 このニュートラルな感覚はなんだろう。終わりのエネルギーと始まりのエネルギーが相殺(そうさい)しているのだろうか。凪の海のようなこの時間に、私は零にリセットされていく自分を感じている。これも、新元号に選ばれた「令」の字の持つ力なのだろうか。零からの出発は、もうすぐそこ。

  このところ、私の頭の中をしきりにモーツアルトの音楽が流れる。それも、35年という短い生涯の中の、神童と呼ばれた時代と、数々の大作を生み出した晩年へと続く黄金時代をつなぐ、言わば「のりしろ」のような時期に生み出された数々の音楽である。
 例えば、26歳のころの作品『ヴァイオリンソナタ第34K.378』。実に優美で、開放的で、それでいて気品を備えた、これぞモーツァルトと言わしめる作品である。
 冒頭の喜びに満ちあふれたピアノとヴァイオリンの掛け合いといい、終楽章の躍動感に弾む主題といい、きらめく季節の訪れを予感させる音楽は、たちまち聴く者の心を穏やかなものしてくれる。
 励ましたり、慰めたりしてくれるという感じでもなく、「ありのままのあなたで」と語りかけてくるような、そう、零の自分にリセットしてくれる音楽なのだ。
 このことは、音楽療法の分野で、多くのモーツアルトの音楽が取り上げられていることでも裏付けることができそうだ。
 ところで、モーツアルトは人生で2回パリを訪れている。1回はこの曲を作ったころに、そしてもう1回は幼少のころに、父に連れられて訪れている。
 ヨーロッパを馬車で旅してまわったモーツァルトも、ショパンも、ドビュッシーも、ピカソも、ゴッホも、そしてピアフも、パリの歴史に名を刻む芸術家たちにも愛されてきた大聖堂だったのだと、今これを書きながら、失ったものの大きさを改めて痛感している。
 「Notre-Dame」、フランス語で「われらの貴婦人」、パリの空に母なるマリアの名を掲げて800余年、反乱や戦火の中も生き延び、セーヌ川に浮かぶ島からパリの町を見守り続けてきたノートルダム大聖堂が炎上した。おぞましい煙と炎の中に崩落する大聖堂の屋根、尖塔。頬をつねりたくなるような映像が、世界中を震撼させた。「大聖堂は永遠にあるものだと思っていた」という、一人の若者の言葉が耳に残った。何世紀にもわたり、当たり前のようにそこにあったものが、一夜にしてなくなる可能性があることを、私たちは思い知らされた。
 あれは持ち出せた、これは燃えなかったと、遺った聖遺物や美術品などのことが報道されるも、目の前の光景が、長い歴史の中を生き続けてきた貴い建造物の終焉の図であることは、誰もが心の中で理解している。
 しかし、人間はこれぐらいのことでくじけない。絶望のどん底から這い上がることができるのも、終わりを始まりに変えることができるのも、人間だ。人間の持つバネだ。Springだ。

 さあ、零からの出発だ!

(新聞掲載日 2019年4月26日)

 

 


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