人と鳥との大きな違いと言えばやはり彼らは「空を飛べる」という事だと思う。誰しも一度は「空を自由に飛んでみたい」と思った事ってないだろうか?仮に鳥から飛ぶ自由を奪ったらどうなるだろうか?恐らく生きてはいけないだろう。しかし飛べなくても一生懸命人生?を全うしたカラスがいた。そのカラスはハシブトガラスで左の翼が完全に折れていて垂れ下がっていた。私はこのカラスの事を「片羽ブト」と呼んでいた。
彼が公園に現われたのは今年の3月下旬だった。始めは遠慮がちに餌台の零れ落ちたヒマワリの種やリンゴを食べていた。他のカラスにもいじめられていた。一通り公園のカラスに制裁を加えられてある一定の場所に落ち着いた。その頃になると公園のカラス達にも「こいつは害なし」と判断されたのか誰もいじめなくなった。その内多くの人の目に触れて「可愛そうだね。何とかならないの?」などと良く言われた。しかし幾ら飛べないとはいえ捕まえる事は全くと言って良いほど無理で飛べない分走るスピードはずば抜けていた。きっと翼が機能しないので足で移動するしかなかったのだろう。雌雄は判らなかった。
いつもは嫌われ者のカラスも体が不自由となると話は別で皆から餌を貰っていた。もちろん自分でちゃんと採食も出来ていた。日頃「野鳥に餌を与えないで欲しい!!」と言って歩いている私も今回だけはその言葉を口にする事は出来なかった。
しかし人という生き物は実に勝手で最初はかなりの人が餌を与えていたのだがその内数人になり最終的には一人となっていた。この方は本当に毎日餌を与えていた。餌といってもほんの少しだったのだが、それでも片羽ブトにとっては何よりのご馳走だったに違いない。
片羽ブトも公園の生活に慣れてきて少しずつではあったが遠出するようになっていた。数日姿が見られないと「一体何処へ行ったのだろうか?何もなければ良いのに・・・・・」と心配までさせていた。何度か冒険には出ていたが必ず戻って来た。私も違う場所で片羽ブトを見た事があった。
しかし悲劇は突然起こってしまった。ある朝「池にカラスが浮いている」と言われて見に行くとそれは紛れもなく片羽ブトだった。すぐに池から上げて体を綺麗に洗ってあげた。特に外傷は見当たらなかった。恐らく池に水を飲みにやって来て転落して溺れてしまったのだろう。そう考えると気の毒で仕方がなかった。公園の池はバリアフリーではなかったのだ。
数日が過ぎて一番可愛がっていた方に片羽が溺死した事を伝えると頬に涙が零れ落ちていた。私も思わず目頭が熱くなった。しかしその方は「全く知らない所で死なれるより大好きな公園で死んでくれて良かったと思う。こんなにカラスに情熱を持てたのは初めてで一生忘れないと思う」と言った内容の事を告げられた。
更に数日が過ぎて偶然にも片羽ブトが溺れた所を目撃していた人と話しが出来た。真相は「カラスが池に水を飲もうとやって来たらそこにはマガモの雛がいて母親がカラスを度突いた。そうしたら落ちてしまい何か溺れているように見えた」と言っていた。どうやらその人は溺れていたカラスが飛べないなんて思っていなかったようである。この人を攻める事は出来ないし、マガモの母親を責める事も出来ない。なぜならマガモの母親は自分の雛を守る為に当然の事をしただけなのだ。マガモも溺れているカラスを見てどう思っただろうか?
数ヶ月ではあったが片羽ブトは多くの人々の心に深く刻まれているに違いない。きっと片羽ブトも楽しく過せたのではないだろうか?今頃は「天国で大空を羽ばたいているに違いない」と思うばかりである。
画像:片羽ブト
彼が公園に現われたのは今年の3月下旬だった。始めは遠慮がちに餌台の零れ落ちたヒマワリの種やリンゴを食べていた。他のカラスにもいじめられていた。一通り公園のカラスに制裁を加えられてある一定の場所に落ち着いた。その頃になると公園のカラス達にも「こいつは害なし」と判断されたのか誰もいじめなくなった。その内多くの人の目に触れて「可愛そうだね。何とかならないの?」などと良く言われた。しかし幾ら飛べないとはいえ捕まえる事は全くと言って良いほど無理で飛べない分走るスピードはずば抜けていた。きっと翼が機能しないので足で移動するしかなかったのだろう。雌雄は判らなかった。
いつもは嫌われ者のカラスも体が不自由となると話は別で皆から餌を貰っていた。もちろん自分でちゃんと採食も出来ていた。日頃「野鳥に餌を与えないで欲しい!!」と言って歩いている私も今回だけはその言葉を口にする事は出来なかった。
しかし人という生き物は実に勝手で最初はかなりの人が餌を与えていたのだがその内数人になり最終的には一人となっていた。この方は本当に毎日餌を与えていた。餌といってもほんの少しだったのだが、それでも片羽ブトにとっては何よりのご馳走だったに違いない。
片羽ブトも公園の生活に慣れてきて少しずつではあったが遠出するようになっていた。数日姿が見られないと「一体何処へ行ったのだろうか?何もなければ良いのに・・・・・」と心配までさせていた。何度か冒険には出ていたが必ず戻って来た。私も違う場所で片羽ブトを見た事があった。
しかし悲劇は突然起こってしまった。ある朝「池にカラスが浮いている」と言われて見に行くとそれは紛れもなく片羽ブトだった。すぐに池から上げて体を綺麗に洗ってあげた。特に外傷は見当たらなかった。恐らく池に水を飲みにやって来て転落して溺れてしまったのだろう。そう考えると気の毒で仕方がなかった。公園の池はバリアフリーではなかったのだ。
数日が過ぎて一番可愛がっていた方に片羽が溺死した事を伝えると頬に涙が零れ落ちていた。私も思わず目頭が熱くなった。しかしその方は「全く知らない所で死なれるより大好きな公園で死んでくれて良かったと思う。こんなにカラスに情熱を持てたのは初めてで一生忘れないと思う」と言った内容の事を告げられた。
更に数日が過ぎて偶然にも片羽ブトが溺れた所を目撃していた人と話しが出来た。真相は「カラスが池に水を飲もうとやって来たらそこにはマガモの雛がいて母親がカラスを度突いた。そうしたら落ちてしまい何か溺れているように見えた」と言っていた。どうやらその人は溺れていたカラスが飛べないなんて思っていなかったようである。この人を攻める事は出来ないし、マガモの母親を責める事も出来ない。なぜならマガモの母親は自分の雛を守る為に当然の事をしただけなのだ。マガモも溺れているカラスを見てどう思っただろうか?
数ヶ月ではあったが片羽ブトは多くの人々の心に深く刻まれているに違いない。きっと片羽ブトも楽しく過せたのではないだろうか?今頃は「天国で大空を羽ばたいているに違いない」と思うばかりである。
画像:片羽ブト
あの出来事は、私の胸に突き刺さっています
自然淘汰であることは私にも分かっているのですが、目の前の命に対して私はどうするべきなのかの問いに対して、感情が覆いかぶさってきてしまいます。
犬と共にそこに立ち尽くしてしまった自分
たった数分の出会いでしたが、私に大きな物を残してくれたように思います。
今でも片羽ブトの事は忘れません。本当に一生懸命生きていました。可愛がってもらえて幸せだったと思います。今度生まれ変わった時は立派な翼で大空を羽ばたいて欲しいですね。
カラスに限らず動物は皆そうですが、生きるということへのまっすぐな気持ちに頭が下がります。絶対に諦めませんよね。
生まれ変わったら元気に飛び回って欲しいです。
そうです。
あの時の動画に出ていたブト君はこのブト君です。
今でも思い出す事が多いです。
いつもご飯をくれる人が現れると、時間を掛けて樹上から下りてきて小走りでご飯を貰いに来ていました。
死んでしまった時、いつもご飯をあげていた方はとても悲しんでいました。
事故で死んでしまいましたが、このブト君はこの公園にたどり着いて良かったのだと思います。