特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

つぼみ

2017-03-27 08:17:53 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
三月も下旬。
冬の残寒の中にも春暖が感じられるようになってきた。
が、今日の東京の空は、まるで真冬に戻ったかのような厳寒冷雨。
桜の開花は既に宣言されているものの、ぶり返す寒さの中で、まだ ほとんど蕾(つぼみ)の状態。
とは言え、それも丸々と膨らんでおり、それが、一花咲かせるのをワクワクしながら待ちわびているようにも見え、何とも愛らしい。

一昨年は、仕事が終わってから夜桜を見に出かけた。
そして、他の花見客に混じって、弁当を食べたり露店を見て回ったりした。
桜もそうだけど、露店というものは人々の笑顔が集まるせいか、見ているだけでも楽しい。
ささやかなレジャーだったけど、幸福が味わえたひとときだった。
しかし、夜桜と露店を両方楽しもうすると時間が限られる。
昨年は、残念ながら都合がつかず、夜桜現物は叶わなかった。
さて、今年はどうなるか・・・暗い仕事からの いい気分転換になるから、できることなら楽しく出かけたいものである。


ゴミ部屋の片付けについて、相談の電話が入った。
依頼の声は、若い男性。
現場は、街中の賃貸マンション。
間取りは1K。
男性の説明によると、どうもライト級っぽい感じだった。

“ゴミ部屋”と言っても、そのレベルは様々。
ヘビー級になると、玄関ドアの向こうにゴミ壁が立ちはだかっているなんてことも。
ゴミと天井との隙間が数十センチで、匍匐前進(ほふくぜんしん)せざるをえないこともある。
あとは、腐敗食品や糞尿汚物が大量で異臭が充満している部屋とか、害虫・害獣が大量発生している部屋とか。
それでも、ほとんどのケースで、部屋の主は、他人から察知されることなく、きれいな身なりで、人と同じように働き、自宅以外では一般人と同じように生活している。
唯一、一般の人と違うのは、“自宅がゴミだらけ”ということだけ。
その私生活は興味深いところではあるが、実体験がないため、具体的には想像しにくい。
トイレ・風呂・食事等、一般の人は思いつかないような工夫を凝らして暮らしているのだろう。
ひょっとしたら、涙ぐましい努力をしているかもしれない。

ただ、男性宅は、そこまでの重症ではなさそう。
また、現地調査が無料(原則)であることをいいことに、“冷やかし”(情報収集のみ)で呼ばれることも少なくないため、私は、
「依頼があれば喜んでやりますけど、自分でやれば余計な費用をかけないで済みますよ・・・」
と、親切心を匂わせて、それを逆手に男性の真意を探ろうと試みた。
すると、男性は、
「それはわかってるんですけど・・・なかなか難しくて・・・」
とのこと。
男性に“冷やかし”のつもりがないことがわかった私は、それ以上言うと“やる気のない業者”と思われかねないので、その話はすぐにやめた。

電話で判断するかぎり、部屋はライト級。
だから、私は、そんなに緊張もせず男性宅を訪問。
実際、男性の部屋は、「ゴミ部屋」と言えばゴミ部屋だったけど、ゴミは山にはなっておらず。
床は所々に見えており、“散らかっている部屋に多目のゴミがある”といった程度。
決して、ヒドい方ではなかった。

しかし、男性は、自らの手で自宅をこんな風にしてしまったことを気に病んでいた。
「自分が、こんなにだらしない人間だとは思っていなかった・・・」
「自分に嫌気がさす・・・」
と、深刻に悩んでいた。
そして、ネットでヘビー級のゴミ部屋を見ては、“自分の部屋もいずれこうなるんじゃないか・・・”と、恐怖感を募らせていた。

平日は、早朝に家を出て、夜遅く帰宅するのが常の生活だから、家事はろくにできない。
しかし、週末には休みがある。
そして、その都度、「片付けなきゃ!」と決意する。
が、その意気はすぐにしぼんでしまう。
家事をやるも、ある程度のところで力尽きてしまう。
そんなことを繰り返しているうち、部屋は、次第にゴミ部屋化していった。

男性は、もともと几帳面な性格で、きれい好き。
部屋の隅や家具の上に薄っすら積もるホコリや、床の髪の毛も気になるくらいに。
そんな自分が変わってしまった原因について、男性自身、心当たりがあった。
それは、仕事。
今の会社に転職したのを機に、生活が変わってきた。
仕事の疲労とストレスが、男性の私生活を蝕んだのだった。

もともと、男性は、前職に大きな不満を持っていたわけではなかった。
多少の労苦はあったものの、大組織の歯車として安定したサラリーマン生活を送ることができていた。
ただ、将来に対して失望感のような危機感のようなものも抱えていた。
そんな中、転職の誘いが舞い込んだ。
それは、先に移っていた元上司からのものだった。

「現状に感謝して満足するべき」or「現状に満足せず向上心を持つべき」
“30代”という“攻”“守”どちらにつくか悩ましい年齢も相まって、男性の中で その二つが戦った。
そして、仕事のやり甲斐と出世できる可能性を天秤にかけ、
「せっかくの人生、小さくても一花咲かせたい」
と、男性は、転職を決意したのだった。

移った先は、同業他社。
前職よりも小さな会社だったが、右肩上がりの成長過程にあった。
だから、将来に夢が持てそうに思えた。
実際、就職から程なくして、肩書も給与も前職を上回り、表面上、転職は成功に見えた。
しかし、目に見えないストレスは、それらをはるかに上回った。

肌に合わない社風、ウマが合わない上司や同僚。
同じ会社で働く仲間のはずなのに、陰口と陽口を露骨に使い分け、責任を擦りつけ合い、足を引っ張り合う・・・
業績を上げるため、会社側も意図的にそんな風土をつくっているような感もあり、何とも殺伐とした雰囲気・・・
そんな人間関係に嫌悪感を覚え、人間不信・・・ひいては自分不信に陥った。

そうは言っても、それなりの決意をもってした転職。
簡単に辞めることはできない。
また、再度の転職先にアテもなく、再び転職を試みるパワーも残っていない。
となると、当面は、我慢して続けるしかない。
結果、男性は、会社に大きなストレスを抱え、ゴミ部屋にも大きなストレスを抱え、そんな自分に対しても大きなストレスを抱えることになってしまったのだった。

それでも、男性は、
「会社が悪いわけでも、誘った元上司が悪いわけでもない」
「ただ、自分の考えが甘かっただけ、すべては自分の責任」
「人のせいにして自分を慰めても自分のためにならない」
と潔かった。
私なんて、自己中心的な独善者になりやすい。
何かあるとすぐに他人のせいにして、他人を悪人にしてしまう癖がある。
しかし、男性はそうではなかった。
そこのところに、“男性の強さ”というか“成熟した人格”というか、そんなものを感じ、随分と年上の私も何かを教えられたような気がした。

片付け・清掃作業は、私一人で施工。
風呂、トイレ、キッチン等の水廻りは、そこそこ汚れていたけど、「特殊清掃」と呼ぶほどの仕事ではなかった。
また、過述にとおり、ゴミの量もほどほど。
トラックを乗りつけなければならないほどの量ではなく、愛車の1tワンボックス充分。
熟練技を発揮するまでもない作業で、ものの二~三時間で終了した。

「二度とこんなことしない!」
部屋がきれいになった後、男性はそう決意したはず。
しかし、根本原因がなくならない以上、あまり楽観はできない。
私の経験で考えると、ゴミ部屋を再発させてしまう可能性は低くなかった。
だから、
「○○さん(男性)を脅すつもりも売り込むつもりも毛頭ないですけど・・・」
と前置きした上で、私は、“ゴミ部屋の持つ常習性”を男性に語った。
そして、
「プレッシャーに思うと それがストレスになりますから、“散らかったら、また頼めばいい”くらいに割り切ったほうがいいですよ」
「また、必要があったらいつでも連絡下さい・・・重症になる前にね」
と、商売っ気をだしつつ男性を励ました。
すると、男性は、少しは気が楽になったのか、こんな仕事でも嬉しそうにやるオッサンが滑稽に見えたのか、
「ハイ・・・わかりました」
「でも、できるかぎり頑張ってみます」
と笑って応えてくれた。

今のところ、男性から再依頼はない。
その必要がないくらいの部屋を維持しているのかもしれないし、先々呼ばれることがあるかもしれない。
また、今の会社で頑張る決意をしたのかもしれないし、再度の転職を試みるための努力をはじめたのかもしれない。
どちらにしろ、「自分の考えが甘かっただけ」と自省できる誠実さを有し、自分の人生に責任を持って生きようとしている男性が道を外すようなことはなさそうに思えた。
誠実の樹からのびる希望の枝に蕾はつく。
人生の蕾は、そういう人格につくもの。
いつになるかわからないけど、この先、男性が今の苦境から脱し、一花咲かせることは充分に期待できると思った。


過ぎた日より来る日のほうが少なくなっている私。
残念ながら、「一花咲かせよう」なんて熱い思いを持ったこともなければ、花が咲いた時季があったかどうか憶えもない。
猜疑心が強く、冷めた性格で、花のない人生を送っている。
誰よりも勉強ができた小学時代、大人の建前に歯向かった中学時代、女の子にモテた高校時代、酒と車とバイクに費やした大学時代、自分を“できる人間”と勘違いした二十代後半、特掃隊長に就任(?)した三十代後半・・・
しいて言えば、あの頃、チョコチョコと小さな雑花が咲いていたのかもしれない。
それでも、大輪の花を咲かせたような記憶はない。
そうして、四十代後半・・・もう身体も精神も“枯れかけた葉桜”。
できることなら、「これから咲く蕾が まだ残っている」って思いたい。
だけど、「んなわけないか・・・」と、今の歳と能と境遇がそれを阻む。

しかし、それでも期待したい。
年甲斐もないし、期待と諦めの狭間にいるけど、自分なりの花を咲かせたい。
そのためには、ささやかでも 先の人生に夢の蕾をつける必要がある。
だから、私は、日当たりが悪く痩せた土地でも、今もこの場所に根を張り続けているのである。


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老の行方 ~その二~

2017-03-21 07:40:01 | その他
先月下旬、久しぶりに実家に行った。
数えてみると、両親と顔を合わせるのは三年九ヶ月余ぶりで、
「え!?もうそんなに経った!?」
と、自分でも驚いた。
ただ、よくよく振り返ってみると、それも仕方なかった。
私の仕事は、土日祝祭日も盆も正月も関係なく、私には“盆暮に実家に顔を出す”という習慣がない。
おまけに、私などは、あまり休みをとらないものだから、たまの休暇は自分のことをこなすだけで手一杯で、“親の顔を見に行こう”なんて気は起きない。
せいぜい、一~二ヶ月に一度くらい、様子伺いの電話を入れるくらい。
今回も特段の用があったわけではなく、たまたま仕事のタイミングがよかったのと、老い先短い両親ことが ふと頭に浮かんだからだった。

残念ながら、この歳になっても、私達は決して良好な親子関係ではない。
子供の頃から色々なことがあり、高校生の頃は、かなり親を困らせた。
また、大学を卒業してからこの仕事に就くまでの“修羅場”は、過去のブログに書いた通り。
そして、就業から数年間は絶交状態が続いた。
特に、母親とは折り合いが悪く、大喧嘩をしたことも数知れず。
その度に長い絶交を繰り返してきた。
となると、関係が疎遠になるのは必然。
干渉し合わないことが暗黙のルールのように。
結果、関わることも顔を合わせることも極めて少なくなったのである。

もちろん、私に“親を想う気持ち”がないわけではないし、親も“子(私)を想う気持ち”がないわけではないはず。
親の愛情を感じたこともたくさんあるし、感謝していることもたくさんある。
また、生み育ててもらったことに恩義も感じている。
ただ、私も短所欠点を持つ人間だし、親だって同じこと。
反りが合わないところがあっても不自然ではない。
で、私達親子の場合、それが極端なのである。

父親は齢八十。
手本にしなければならないくらい勤勉な人。
趣味らしい趣味を持たず、タバコもギャンブルもやらず、年がら年中、とにかく働いていた。
ただ、酒は好き。
泥酔したときの悪態はヒドく、子供の頃は、嫌な(恐い)思いをすることが年に数回はあった。
そんな始末だったのに、ある小さな失態がきっかけで、十年くらい前に酒はピタリとやめた(酒の誘惑と毎日戦って勝ち負けしている私は心底感心している)。
酒以外の問題が、もう一つあった
それは女性問題。
私が小学校低学年の頃だったと思うから、もう四十年くらい前になるだろうか、一度、浮気がバレたことがあった。
相手は、水商売の女性とか職場の女性とかではなく、よりによって近所の奥さん! しかも、同じ小学校の友達の母親! 更に、その夫は父の同僚!
この状況を見ただけでも、その後、大騒動になったことが容易に想像できると思う。
(実際、短編ブログが書けるくらいのドラマがあった。リクエストが集まれば「戦う男たち ~番外編~」として書くかも。)
そんな父も、老いて性格もまるくなった。
幸い頭もシッカリしており、車も普通に運転できているし、日常生活で人の手を借りなければならないことはないみたい。
近年は、血糖値が高めで、食事前に薬を飲むようになっているけど、健康寿命を意識して、摂生した食事と適度な運動を心掛け、また、ほとんどボランティアのようだけど やるべき仕事をみつけては積極的に動いているようで、“このまま元気でいてほしい”と願うばかりである。

母親は七十四・・・今年で七十五歳。
裕福な家庭ではなかったため、外で働くことが多かった。
外の仕事と家事・育児を両立し、苦労も多かったと思う。
そんな頑張り屋の母だけど、気性には難がある。
人からよく見られたいものだから、世間的には温厚な人柄で通してきたが、実は、感情の起伏が激しい。
わがままでヒステリックな性格は、年老いた今でも変わらない。
そして、上記の女性問題を今だに根に持っており、父に向かって時々悪態をついている始末。
ま、これも、気持ちが若い証拠、元気の源なのかもしれない。
そんな具合に精神は老いない母だけど、五十代で糖尿病を発症。
インシュリンを打つようになって十年くらいは経つと思うけど、医師も褒めるくらいの自己管理ができているため、それ以上は悪化していない様子。
九年前には肺癌を罹患。
片肺の大半を切除。
それでも、酸素量が不足することはなく、軽登山くらいはできるみたい。
何年か前には小さな再発が見つかったらしいが、進行が極めて遅いし歳も歳だし、医師の指導のもと定期健診だけで済ませている。
もっと柔和な性格になってほしいけど、二つの大病を患っているわりには元気にやれているので ありがたいかぎりである。

今は、二人とも、のんびりと年金生活を送っている。
今のところ、要介護認定の必要もない。
しかし、この先はどうなるかわからない。
仮に、人の手を借りなければ生活できなくなった場合でも、私に、親と同居して世話できる余裕はなく、自宅でポックリ逝くようなことでもないかぎり、いずれは病院や老人施設のお世話になることになるだろう。
そんなことを考えると、「死ぬまでの道程って、なかなか楽じゃないよな・・・」とあらためて思う。

世間の感覚では、死は自然なことだけど、孤独死は不自然なこと。
しかし、私の感覚では両方とも自然なこと。
だから、私は、親が自宅で孤独死することを想像することがある。
冷たいかもしれないけど、ポックリ逝くなら、それも悪くないと思っている。
長患いして苦しんだり、死を待つばかりの病院で、窮屈で退屈な日々に苦悩したりするより、死の間際まで愛着のある我が家で暮らし、ポックリ逝くほうがいいのではないかと思う。
その後、時間経過とともにその遺体が腐ってしまうのは自然なこと、仕方がないこと
その身体がおぞましい姿に変容しようと、肉体は、この世で使った“服”みたいなもの。
人生や生き様が朽ちたものでもなければ、魂・霊・心が現れたものでもない。
だから、発見が遅れてしまっても、そんなに悲しむ必要はない。
更に、その身内には“Spacialな奴”がいる。
現場が“ヘビー級”になっていようとも、そいつが掃除すればいいだけのこと。
もちろん、そうなって欲しいわけでも、親の特掃をしたいわけでもないけど、そんなに悲観はしていない。

この感覚は、周囲には理解できないかもしれない。
そして、世間体も悪いだろう。
亡親は“誰にも看取られず、寂しく死んでいった”と同情されるだろう。
子である私などは“冷たい息子”と揶揄されるかもしれない。
それでも、私は、そうなってもいいから、死の間際まで、健康な日々を、喜びをもって楽しく過ごしてもらいたいと思っている。

ただ、老いるのは、親ばかりではない。
私だって同じこと。
若いつもりでいても、あれよあれよという間に中年になっている。
老い先のことばかり心配して 今を暗く過ごしては元も子もない、されど看過もできない。
人に迷惑はかけたくないけど、老い先ながく生きれば人の世話にならざるをえない状況になる。
その弊害を少しでも小さくするためには、少しでも長く健康を維持し、少しでも大きい財を蓄えることが必要。
だから、日々の食生活や消費生活において、大きなストレスがかからない程度で、自制・摂生を心掛けている。

ありがたいとに、今のところ、私は だいたい健康(だと思う)。
振り返っても、半世紀近く生きてきて、大ケガや大病をしたことがない。
霊柩車には何度も乗ったけど、救急車に乗ったことはない。
入院というものもしたことがない。
若い頃、胃にポリープが見つかったり、暴飲暴食の結果 激太りして肝臓を悪くしたりしたこともあったけど、結果的に大事にはならなかった。
中年になってからも、原因不明の胸痛、腰・股関節・膝の不具合、目眩、蕁麻疹、風邪などに悩まされるくらい。
加齢にともなう衰えや不具合は色々とあるけど、とりあえず、身体は ちゃんと動いている。

それでも、私は、日々着実に老いている。
写真にうつる自分を見れば明らか。
白髪が目立ってきた髪はコシがなくなり、肌から艶やハリは消え、逆に、シミやシワは増えてきた。
肥満ではないはずなのに、皮膚もたるみ気味。
視力も低下。
もともと視力はいい方だったのだけど、だんだんと見えにくくなってきている。
次の運転免許更新時には 引っかかるのではないかと思っている。

一体、私は、この先、どんな老い方をするのだろう・・・
知りたいような、知りたくないような・・・
自分では短命と思っていても、そうなるとは限らない・・・
しかし、下手に長生きして苦労するのも難なもの・・・
そうは言っても早死にしたいわけではない・・・
心身ともに健康なら、長生きしたいような気もする・・・

この私、今しばらくは「中年」でいられるけど、「中高年」「初老」と言われるようになるのは、そう遠いことではない。
もちろん、老いた先に悠々自適な暮らしが待っていれば言うことない。
しかし、現実は、前にも書いた通り、年金だけで生活は成り立たないだろうから、どのみち、死ぬまで働く必要はあるだろう。
ただ、これは私だけの個人的な問題ではなく、これからますます深刻化する人口減少・少子高齢化社会において多くの人が潜在的に抱える共通の問題。
結局、将来、多くの庶民が私と似たような境遇で生きることになるのではないかと思う。
だから、この先、不慮の事故はもちろん、働けなくなるほどの病気やケガに勘弁してもらいたい。
そして、働くに必要なだけの体力と精神力は保っていきたい。

一体、自分は、どこに向かって老いていくのか・・・
どこに向かって老いていけばいいのか・・・
老い先のことを考えると、明るい想像はしにくい。
まさか・・・ひょっとしたら、このまま“特掃おやじ”から“特掃じじい”になるかも?
・・・死ぬまで特掃やらなきゃならないなんて・・・そんな人生、気が沈む。
でもまぁ、こんな仕事でも 悪いことばかりじゃない。
“楽しいこと”“嬉しいこと”“感謝なこと”・・・幸せを感じられることも間々ある(人の不幸を前にして言葉の使い方を間違えているかもしれないけど)。

“特掃じじい”か・・・ここまでくると、この人生は、悲劇を通り越して、もう喜劇。
・・・あまりに滑稽で、何だか笑える。
そうして、くだらないことに笑いながら働き続ける・・・
「これも俺の人生・・・“いい老い方”とは言えないけど、わるい老い方でもないのかもな・・・」
と、まるで趣味嗜好のように、今日も悩みながら生きている私である。

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老の行方 ~その一~

2017-03-15 08:50:14 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
「ゴミの処分をお願いしたいんですけど・・・」
「ただ、“ゴミ”といっても、普通のゴミじゃなくて・・・」
ある日、中年の男性からそんな電話が入った。

「ゴミの処分」と言ったって、自分で片付けることができれば、ほとんどの人は自分でやるはず。
自分の手には負えないから、他人に頼むわけで・・・
で、“自分の手に負えない”ということは、“それだけ困難な事情が発生している”ということ。
“ゴミが大量にたまってしまっている”とか、“ゴミが極めて不衛生”とか、または、その両方であるとか。
したがって、私は、すぐにゴミ部屋を想像し、また、男性が いよいよ追い詰められて相談をよこしたであろうことを察し、その緊張感や羞恥心を刺激しないよう、終始 明るい応対に努めた。

しかし、相談の内容は、私の想像とは少し違っていた。
現場は、男性の自宅ではなく、男性の両親が暮す家、つまり男性の実家。
両親は、数十年に渡り そこで生活。
が、寄る年波には勝てず、身体を動かすことが億劫になり、それに従って家事が疎かに。
掃除洗濯をはじめ、食事の支度や後片付けをキチンしなくなった。
更に、近年は、両親共に認知症が疑われるようになり、荒れた生活は深刻化していった。

息子である男性は、週末等、こまめに両親宅を訪れることを心掛けたが、自分にも都合があり、毎週のように訪れることはできず。
月に一~二度訪れるのが精一杯。
そして、その都度、たまったゴミを片付けてきたのだけど、それももう限界に。
特に、難題となったのが食品の始末と糞尿の清掃。
食べ残しはもちろん、まったく手をつけずに腐らせてしまった食品が大量に発生。
次々に買ってくるものの、食欲が湧かないのか買ってきたことを忘れるのか、食品はたまる一方、腐る一方。
とりわけ、生鮮食品は、凄まじい腐り方をする。
それらが、冷蔵庫や棚から溢れ、収拾がつかなくなった。
また、トイレの失敗や失禁も多くなり、便器だけではなく、トイレの床や廊下のあちこちを糞が汚染。
その掃除も手に負えなくなったのだった。

一通りの事情を聞いた私は、いつも通り現地調査に出向くことに。
「見たら驚くと思いますよ・・・」
男性は、恥ずかしそうに、また申し訳なさそうにそう言った。
けど、私は、
「慣れてるから大丈夫ですよ・・・伺った感じだと、今まで私が経験した中で一番ヒドいってことはなさそうですから」
と、男性の荷を軽くするつもりでそう応えた。
すると、男性は、
「え!?これよりスゴいところがあるんですか!?」
と、少し気が楽になったように言葉を躍らせた。
「あります!あります!詳しいことは言えませんけど、ありますよ!」
と、私はテンションを上げて男性の笑いを誘った。


訪れた現場は、古い一戸建。
荒れた庭、窓越に見えるガラクタ、薄汚れた玄関ドアからは「いかにも」といった雰囲気が漂っていた。
そして、そんな予想に反さず、玄関を開けると、糞尿のニオイと腐った食べ物のニオイと全体的なカビ・ゴミ臭が混ざり合った悪臭が噴出。
私は、本当は臭くて仕方がなく 顔を歪めたかったのだけど、申し訳なさそうにする男性が気の毒に思えたので、“慣れてるから まったく平気!”といった表情で平然を装った。
また、腐乱死体現場等で重宝する専用マスクを用意していたのだけど、それはフツーの紙マスクなどとは違って見た目が結構ゴツいため、男性に失礼なような気がして、それも使わなかった。

悪臭が証するとおり、家の中も酷い有様。
所狭しと家財生活用品が並び積まれ、ゴミかゴミじゃないのか判断つかないようなモノが床を覆い尽くしていた。
特に深刻だったのは台所と冷蔵庫。
台所には、食べ物ゴミ、残飯、手をつけず腐らせた食品etcが散乱。
また、流し台やテーブルには、汚れたままの鍋や食器が並び重ねられていた。
中には、食べ残したものが入ったままのものもあり、あるものはヘドロのようになり、またあるものはフサフサのカビで覆われていた。
また、冷蔵庫も腐敗食品で満パン。
特に、肉や魚などの生鮮食品や調理済みの惣菜などは酷いことに。
パックの中でドロドロに溶け、凄まじい異臭を放っていた。

トイレも重症。
失禁や失敗を繰り返したようで、糞は便器やトイレだけでなく、その前の廊下のあちこちまで汚染。
長く放っておいたせいでそれは乾いて黒くなり、まるで溶岩のように固く付着。
私のようにコツを心得ている者ならまだしも、男性の手に負えないことは一目瞭然。
また、同じように、尿痕もあちこちに散在。
更には、床板は今にも腐り朽ちそうになっており、そこから上がるアンモニア臭が他の悪臭を刺激し、悪臭濃度を高めていた。

「父は、潔癖症かと思うくらいきれい好きだったんですけど・・・」
「母も、家事はキチンとする人だったんですけど・・・」
「まさか、年老いてこんな生活になるとは、思ってもみませんでした・・・」
気マズそうに話す男性の言葉は、何か悪いことでもしたときの言い訳のように聞こえた。
そして、そんな男性の姿が気の毒に見え、また、何となく他人事とは思えず同情する気持ちが湧いてきた。

私の目には、両親二人だけの生活は、もう限界・・・いや、限界を越えているように見えた。
衛生的な問題はもちろん、急な病気やケガにも対処できないし、火事などの事故も起きかねない。
ただ、私が言うまでもなく、それは男性もわかっていた。
わかっているからこそ、男性は悩んでいた。

男性には家庭があり、また、できあがった生活スタイルがある。
家のスペースや自分や妻子にかかる負担を考えると、とても引き取れるものではない。
そうなると、第三者の手を借りるしかない。
訪問医療や訪問介護を受けたり、医療施設や介護施設に入ったりと。
民間の老人施設だと希望すればすぐに入れることが多いだろうけど、その分、費用も高額になる。
この家を処分して費用を捻出するにしても、値段がつけられるのは土地のみ。
ただ、一等地でもないうえ、面積も小さい。
更に、使い物にならない老朽家屋が乗っかっているわけで、とても満足のいく値段では売れそうにない状況だった。

また、男性の経済力にも限界がある。
家族の生活は優先して守らなければならないわけで、有料老人ホーム等の費用までは負担できず。
そうは言っても、二人の年金もそれには足りない。
特別養護老人ホーム等は比較的安く入れるけど、入所を希望する待機者が多過ぎて、すぐに入れる見込みはなし。
しかし、事は一刻の猶予のならない状況。
とりあえず、特別養護老人ホーム等の入所を申し込んでおくとして、当面は、介護保険を利用した訪問介護と家事援助を受ける方向で着地点を見出した。

私は、両親を自宅に引き取らない男性のことを
“血を分けた親子なのに、薄情だな・・・”
なんて、少しも思わなかった。
年老いた親を持つ私にとってもリアルな問題だから。
そして、私が同じような立場に置かれたら、同じようにするだろうから。

どちらにしろ、部屋があまりに不衛生だと介護ヘルパーも来てくれない。
仮に、それがなくても、現状のままにはできない。
今後の生活を考えると、ゴミを始末し、掃除し、害虫駆除と消臭消毒をかけることは必要。
提案した作業内容と費用に折り合いがついたので、その作業は、私の方で請け負うことになった。

食べ物が腐ったニオイは、人間が腐ったのとはまた違う凄まじさがある。
そして、それを片付ける際には、そのニオイは一段と放出される。
あと、見た目もグロテスク。
ほとんどのモノが原形をとどめず、ドロドロの正体不明物体に。
フサフサの毛(カビ)がはえた鍋皿も、何かの生き物のように見えて不気味。
しかし、このくらいなら まだかわいいもの。
この家ではないけど、ガスコンロにのせたまま長く放置された鍋の蓋を開けたら、雑炊と見間違えるほどのウジが溜まっていたこともある(この時は、蓋を開けた途端 驚嘆の声を上げてしまった)。
そんな類のモノをいちいち手に取って始末していかなければならないわけで、糞尿まみれのトイレを掃除する方がよっぽど楽だった。

ただ、どんなに大変な作業でも仕事は仕事。
親切心がないわけではなかったけど、ボランティアではない。
有料の請負契約なわけで、売上利益を手に入れることができた。
ただ、それ以上の収穫・・・自分が必要とされたこと、頼りにされたこと、役に立てたこと・・・も得ることができた。
とりわけ、男性の両親の行く末について思案することに関わらせてもらったことは大きな収穫だったように思う。


先々の心配ばかりしていては、人生 楽しくない。
だけど、“楽観的”と“無責任”とを混同してはいけない。
もちろん、“悲観的に考えること”が“責任感を持つこと”にはならないけど、現実に起こりうる可能性が高くなってきたことについては考える必要がある。
考えなければならないことを考えず、考える必要のないことを考えてしまうのが私の悪い癖だけど、親の老い先はもちろん、自分の老い先もキチンと考えておきたい。

私も、もうそんなことを考えなければいけないお年頃。
それにともない、少しばかり落ち着きをなくしている。
されど、進まされる人生に逆らうことはできない。
そんな人生途上にあって、
「このままじゃダメだ!」「このままはイヤだ!」
と、まるで趣味嗜好のように、今日も悩みながら生きているのである。


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大心災

2017-03-11 16:35:21 | その他
今日は、2017年3月11日。
あれから六年が経った・・・
“六年”という年月は、長いようで短く、短いようで長い・・・
ある人にとっては長く、また、ある人にとっては短かっただろう。
ほとんど第三者の私が、わざわざこのタイミングを選んで大震災のことに触れるのは“ありきたり”で安っぽいことかも。
また、まるで何かの記念日のように、節目の日だけ感傷に浸っているようで、偽善色を濃くするだけかもしれない。
しかし、地震大国に暮す以上、他人事にはできない現実があるわけで、そこのところを啓蒙するため、また、自分(人)にとって大切なことを訓ずるため、繰り返しになる内容を承知で書こうと思い立った。

被災地に比べれば、私の生活圏はほとんど“無傷”。
当初は色々な不自由が発生したけど、どれもこれも早々に解決。
街にも身体にも心にも、コレといった傷跡は残っていない。
ただ、この小さな一生において、あれほどの出来事に遭遇することは稀だろう。
そして、アノ時の衝撃は、生涯忘れることはないだろう。

大きな揺れがきたのは、アノ日の午後。
隣県某市のゴミ部屋を片付けて帰社して少し後、積んできたゴミを車から降ろしているとき。
“ザーザー”というか“ゴーゴー”というか、それまでに聞いたことがない類の騒音のような異音とともに、立っていられないくらいの揺れが襲ってきた。
そして、それは長く続き、また、大きな余震も何度となくやってきた。

「こりゃ、ただごとじゃないぞ!」
そう思った私は、情報を得るためすぐさま車のTVをON。
すると、どこの局も慌てふためきながら地震を報道。
そのうちに、あちこちの港、街、田畑が津波に襲われる映像が流れてきた。
その映像は、あまりに衝撃的で、
「大事になってる・・・」
と、胸が騒ぎはじめ、少し遅れて嫌な予感もしはじめた。

とにかく、揺れは凄まじいものだった。
本震だけでなく、何度もくる余震の揺れも大きかった。
もちろん、それは、それまでの人生で経験したことがないもの。
私は、仕事を切り上げて一刻も早く家に帰るべきか、それとも、このまま会社に留まっていた方が安全なのか、迷いに迷った。
しかし、いつまでも会社で途方に暮れていても仕方がない。
私は、余震が少なくなるのを待って家路についた。
そして、いつもより時間はかかったけど、無事に帰宅することができた。

TVは、どのチャンネルも地震のニュース一色。
バラエティーやドラマ、CMをはじめ、人の顔からは笑顔まで消えてしまった。
悲惨な津波の映像も繰り返し流された。
そんな中で、まったくの想定外だったのは原発事故。
結果的に、これも大惨事に。
「メルトダウン」「爆発」「核」そんな言葉が飛び交い、私の頭には一抹の不安が過ぎった。

その分野に明るくない私は、「爆発」と聞いてすぐに“原爆(核兵器)”を連想してしまった。
そして、そうなると私の生活圏にも影響は及ぶわけで、不安感は膨らんでいった。
しかし、それとこれとはまったく違うことはすぐに判明。
私は、TVの向こうで忙しそうに働く専門家の説明に胸をなでおろした。

そんな中でもデマは流れた。
そして、身近なところにも、それに踊らされる者がでてきた。
「国は情報を操作している!」
「福島原発から半径300km以内は危険だから西日本へ逃げたほうがいい!」
仕事の関係者の中には(同じ会社の人間ではない)、夜中にもかかわらず、私にそんな電話を入れてきた自称紳士もいた。
「東電の幹部は極秘で西日本に逃げているらしい!」
「私も実家(西日本)に帰るための飛行機をおさえた!」
近所には、そう宣う(のたまう)、オシャベリ好きの自称淑女もいた。

当人達は親切のつもりなのかもしれなかったけど、私は、
「余計なお世話! 逃げたきゃ勝手に逃げろ!」
と不愉快に思った。
もちろん、自分の生活圏にまで及んでくるかもしれない放射線が気にならいことはなかったけど、それにしたってレベルは低いはず。
私は、普段、それよりもっと身体に悪そうなものに遭遇しているわけで、あまり気にならず。
また、こんな私でも“責任”ってものがある。
いきなり仕事を辞めて逃げるなんてことできるわけがない。
だから、回りに騒ぐ輩がいても、行政の指示でもないかぎり自主的に避難する気は起きなかった。

スーパーやコンビニは薄暗く、棚の商品は疎(まばら)に。
それでも、
「口に入れられるものなら イザというときの足しになる・・・」
と、先走る不安感によって、普段なら食べないようなモノでも買い求めた。
GSは長蛇の列で、一台あたりの給油量を制限。
それでも、
「イザというとき車が動かせないとどうにもならないから・・・」
と、燃料が半分以上残っていても、給油できるかどうかわからない列に加わった。

いつ電気がとまってもおかしくない状況は続いた(結果的に、会社も家も長い停電には見舞われなかったけど)。
TVでも、節電が頻繁に呼びかけられた。
「俺一人が節電したって何も変わりはしない・・・」
普段ならそのように思ってしまう私だけど、原発のニュースを目の当たりにすると、
「微力でも協力しないよりはマシ!」
と、積極的に節電する気になった。
それで、寒い中でも暖房はつけず厚着でしのぎ、蛍光灯も最小限に早寝を心掛けた。
ただ、依然として、余震も原発も予断を許さない状況。
一刻を争うようなことが起きないともかぎらず、リアルタイムに情報を得るため、目を醒ましている間 TVだけはずっとつけていた。

震災以降の三月と翌四月、仕事は激減。
世の中、それどころではなかった。
ただ、その状態が長く続くと会社は立ち行かなくなる。
そうなると、当然、そこで働く者も職を失うことになる。
「失業・・・」
そんな不安を抱えながらも何の手を打つこともできず、私は、ただ厚着をして、ひたすら暗いニュースばかりを観ては気分を沈ませていた。

幸い(と言っていいのかどうか、ビミョーな仕事だけど)、五月に入ると少しずつ復調。
飽き飽きしていたはずの“日常”が、ありがたさとともに戻ってきて、とりあえず一息つくことができた。
そして、この六年、山もあり谷もあったけど、何とかこうして生きつないでいる。

しかし、この大震災を越えたからといって、先の心配が消えたわけではない。
「首都直下型地震」「東海地震」「東南海地震」「南海トラフ地震」・・・果ては「富士山噴火」等々、まだまだ色々な惨事が想定されている。
私と関わりが深いのは、「近いうちにくる」「いつきてもおかしくない」といわれて久しい首都直下型地震。
平和な日常にいても、私は、常にこのことを頭の隅に置いている。
だから、家には多めの水や米、生活消耗品等を備蓄している。
また、一都三県、あちこちの街に出かけることが多い私は、大地震が起こり、出先で足止めを喰らって帰れなくなったときのことを想定して、車にも水・非常食・防寒具をはじめとする非常用品を備えている。

その目的は、イザというとき、自分が助かること、自分が生きながらえること。
ただ、同時に、ある想いも沸いてくる。
それは、
「水を欲しがっている人がいたらどうするだろう・・・」
「お腹を空かせている人がいたらどうするだろう・・・」
「寒さに震えている人がいたらどうするだろう・・・」
といったもの。
そして、
「そういった人達に、俺は、自分が持っているモノを分け与えることができるだろうか・・・」
と自分に訊いてみる。
・・・残念ながら、返ってくる答は、
「・・・無理だろうな・・・多分・・・」
といったもの。
もちろん、命にかかわるような緊急事態や極限状態だったら、そんな邪心も消えるかもしれな。
だけど、私だって咽は渇くし腹も減る。
寒ければ身体も凍える。
そして、やはり、私は、自分が大事、自分が可愛い。
「自分を守るために自分で用意したモノを自分のために使って何が悪い」
てな具合に開き直って、自分の行いを“良し”としてしまうのではないかと思う。

ブログでは何かとカッコつけてるけど、私は、結構、冷酷非情な人間。
そこのところは、ある程度 自覚もできている。
そういった性質の悪さが、ときに自分を悩ませ、ときに自分を苦しめることもわかっている。
私が、晴々と生きていけない一因でもあると思う。
その証拠に、飢え渇いている人がいる中で、そういった人達の目を盗んでコソコソと咽を潤し空腹を満たす己の姿を想像すると、何ともおぞましく惨めな気持ちになる。
それでも、その性質の悪さは消えない、変わらない。

「人間なんてそんなもの」
「多かれ少なかれ、皆、似たようなもの」
そうやって、自分を慰め、ごまかしてはいるけど、結局のところ、これは一個人の“愛”の問題。
人のそれとは関係ないし、人と比べて優劣を決める類のことではない。

私の悩みが消えないのは、少しでも自分が楽できる方向へ逃げ回るばかりで、利己に対峙する勇気を持とうとしないから。
私の苦しみが消えないのは、人が本当に大切にしなければならないものを蔑ろにし、大切にする必要のないものに執着するから。
私の心が凍えるのは、人が冷たいからではなく自分が冷たいから。

究極の愛は、“自己犠牲”“利他愛”・・・・・つまり“隣人愛”。
「人に、世に、愛がないのは大きな災い」
例によってカッコつけてるみたいだけど、私は、自戒を込めてそう思うのである。


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ドンマイ!ドンマイ!

2017-03-07 08:51:38 | 特殊清掃
つい先日、一件目の現場から二件目の現場に行く途中のこと。
通りはかなり渋滞しており、車は、ノロノロ動いたり止まったりの繰り返し。
それに退屈した私はスマホを手に取り、自分で撮った写真を開き 思い出を楽しんでいた。
すると、“ピピーッ!!”と笛の音が。
スマホを手にした姿が、歩道をパトロール中の警官の目にとまったのだった。
とっさのことで少々慌てた私だったが、すぐに状況を把握。
「ハァ~・・・ついてねぇな・・・」
と、溜息まじりに苦笑い。
しかし、運転中にスマホを手にしたのは事実。
端から抵抗するつもりはなく、
「ルールはルールですからね・・・」
と、素直に非を認め、指示通りに路肩に車をとめた。
そんな私の態度が意外だったのか、警官は、同僚を呼ぶ無線で
「当人は認めています!認めています!」
と、ややハイテンションで業務連絡。
そして、言われる前に車検証と免許証を差し出した私に(←違反キップに慣れている)、
「お仕事中、申し訳ありません・・・急いで済ませますから・・・」
と、どっちが悪者なのかわからないくらい腰を低くした。

聞くところによると、運転中の携帯電話については、それを認めない人が多いらしい。
長時間に渡って揉めることも珍しいことではないとのこと。
確かに、スピード違反や飲酒運転と違って、携帯電話の使用は客観的に計測できるものではない。
しかも、明るい外から暗い車内は見えにくく、明らかに耳に当てていれば別だけど、そうでなければ判断しにくい。
となると、証拠写真でもないかぎり言い逃れができそうな気もしてくる。
だから、違反を認めないで抵抗する人が多いのではないかと思う。

私もスマホを耳に当てていたわけではなく、ただ手に持っていただけ。
しかも、外からは見えにくい低い位置で。
抵抗しようと思えばできたかもしれない。
警官も「多分、抵抗するだろう」と思っていたよう。
しかし、そこは小心者の私。
権力に抵抗できるほどの意気地は持ち合わせておらず、あっさり白旗をあげたのだった。

罰金は¥6,000・・・普段の節約生活が水の泡・・・
財布の都合で我慢している“にごり酒”が三升弱買える金額。
トホホホホ・・・溜息まじりの苦笑いしかでない。
しかし、思い直してみると、一年で5~6万km車を運転する私。
運転しない日は、年に数える程度。
そんな私には、交通事故のリスクが常につきまとっている。
それを考えると、今回も物損事故や人身事故じゃなかっただけよかった。
私は、
「ドンマイ!ドンマイ!」
と、自分を慰めながら、次の現場に向かって気持ちを入れ替えた。



「また でちゃいまして・・・」
「隣近所から苦情がきてまして・・・」
「ニオイがでてるみたいなんです・・・」
何度か仕事をしたことがある不動産管理会社から、そんな電話が入った。

現場は、郊外の賃貸マンションの一室。
時季は、酷暑の夏。
ニオイを嗅ぎたくないのだろう、管理会社の担当者は現場の部屋に近づきたがらず。
「大丈夫ですよ・・・フツーの人はそうですから、気にしないで下さい」
その心情は充分に理解できたので、私は担当者のそう声をかけ部屋の鍵を預った。
そして、一人、エレベーターに乗り上の部屋に向かった。

エレベーターを降りると、例の異臭はすぐに私の鼻に飛び込んできた。
共用廊下の片側は建物だけど、反対側はそのまま外で、充分外気に触れていた。
ただ、風向きが悪いのか、廊下全体がやたらとクサい!
「これじゃ、他の住人が黙ってるはずないよな・・・」
私は、これから入る部屋が至極凄惨な状態になっているであろうことを想像しつつ、目的に部屋に歩を進めた。

玄関前の異臭濃度は更に高かった。
近隣住民が置いたのだろう、その足元には、市販の芳香剤がいくつも並べられていた。
ただ、残念ながら、それは“焼け石に水”。
芳香剤のいい匂いは、玄関ドアの隙間から漏れ出る不快な臭いにかき消されていた。
更に、それだけでなく、ドアの隙間からはウジまでが這い出ていた。

「こりゃイカンなぁ・・・」
ウジを見つけた私は、思わずつぶやいた。
そして、ドアを開けた瞬間に這い出る奴等をどう始末しようか思案。
結局、周囲の様子を伺いながら小刻みにドアを開閉し、ドア付近を徘徊する連中を先に回収。
それから、特掃の下調べをするため、思い切って室内に飛び込んだ。

「うわぁぁ・・・凄いことになってんな・・・」
遺体系腐敗汚物は、無数のウジを泳がせながら畳三枚くらいの広さに流出。
オリーブオイルのような黄色の腐敗脂、赤ワインのような赤黒色の腐敗液、チョコレートのような黒茶色の腐敗粘度は重力にまかせて縦横無尽に拡散。
また、凄まじい悪臭が、無数のハエを遊ばせながら、肌にまで滲み込まんばかりの勢いで作業服に浸透。
私は、数分の時間を置くことなく“ウ○コ男”に変身したのだった。


亡くなったのは50代の男性。
病死で、死後約二週間。
真夏の出来事で、遺体はヒドく腐敗。
玄関から異臭がしだしたことで、近隣住民が異変を察知。
管理会社を通じて知らせを受けた警察が、人間の体をなしていない故人を発見したのだった。

部屋には、インシュリンの注射器や、たくさんの針・薬液があった。
どうも、故人は糖尿病を患っていたよう。
しかし、台所の床には、紙パックの日本酒と焼酎も並んでいた。
また、その隅には、折りたたまれたそれらの紙パックが、古新聞のようにきれいに積み重ねられていた。
医師から酒は止められていただろうに・・・それでも故人は、酒がやめられなかったようだった。

インシュリンを打ちながら酒を楽しむなんて、ある種の自殺行為・・・
それだけを見れば愚行にしか思えない・・・
しかし、人は、そんなに強くない・・・
人は弱い・・・
「いけないこと」と知りつつもやめられないことってある。
特に、酒やタバコといった嗜好品は、麻薬みたいな性質があるのだろう。
やめたくても なかなかやめられるものではない。

その辺の意志の弱さは私にも共通する。
当初は休肝日予定にしていても、
「休肝日は、また後日にしよう」
と、飲んでしまうこともしばしば。
また、もう充分に酔いが回っているのに、
「もう一杯くらいいいだろう・・・」
と、翌朝の後悔がわかっているのに負けてしまう。
挙句の果てには、
「一度きりの人生、楽しまなきゃもったいない」
と、大袈裟ないい言い訳をして自分の弱さを誤魔化す。
私は、そんな自分と自分が想像する故人像を重ね、故人に対して妙な親近感を覚えたのだった。


故人の部屋は至極凄惨。
更に、ムンムンに熱されたサウナ状態。
その暑苦しさはハンパなものではない。
しかも、相手は重篤な遺体系腐敗汚物と無数のウジ・ハエ。
だけど、「恐い」「気持ち悪い」等と弱音を吐いていては仕事にならない。
とにかく、自分の意思なんか放っておいて、義務的に、事務的に身を投じるしかない。

作業に入ると、そのうちに無我夢中になり、自分が何者なのかわからなくなってくる。
職務を負った会社人から、ただの人間になってくる。
もちろん仕事でやっているのだけど、次第にその域を越えてくる。
腐敗汚物との戦いが、自分との戦い、生きることとの戦いに変わってくる。
すると、自分自身が雑巾のようになる。
自分自身をボロ雑巾のようにしてこそ前に進める。

腐乱死体現場を描写すると、どうしても、暗く悲惨な表現ばかりになってしまう。
だけど、これが偽りない事実だから、どうしたって明るく華やかには描けない。
ただ、故人だって、こうなりたくてなったわけではないはず。
自殺という死に方に故意があることは認めざるをえないけど、孤独死(自然死)に故意は認められない。
「一人で死んでやる」なんて思いながら暮らしている人は、まずいないはず。
また、「酷く腐ってやる」なんて思っている人も。
管理会社、大家、近隣住民に迷惑をかけることになってしまったことも不本意のはず。
“ゆるされる”とか“ゆるされない”といった類のことは結論を得ることができないけど、少なくとも悪意はなかったはずである。

「こうなりたくてなったわけじゃないですよね・・・」
こんな現場で腐敗汚物と格闘する私は、心の中で、勝手に故人に話しかける。
もちろん、返事はない。
けど、
「もちろん!」
と、そんな声が返ってくるような気がする。
と同時に、
「ヨロシクたのむよ!」
という声も聞えてくるような気がして、一人でやる過酷な特殊清掃を何かの力(故人の力?)が支えてくれるような気がしてくる。

そして、私は、それに応えるように、
「ドンマイ!ドンマイ!」
と、誰もが恐怖する凄惨な痕を残してしまった故人に、そしてまた、誰もが嫌悪する日陰に生きている自分に、そう声をかけるのである。


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努め人

2017-03-03 09:07:23 | その他
暦のうえでは、三月は春。
気象の世界でも三月からは“春”とされるらしい。
しかしながら、春暖は、少しずつやってくるもの。
三月に入ったからといって、急に暖かくなるわけではない。
したがって、今、春になってもまだ寒い日が続いている。

寒暖の苦楽はあっても、春夏秋冬には、四季折々の趣と深い味わいがある。
そういった意味では、寒いことも暑いことも悪くはない。
ただ、日々の生活においては、寒冷より温暖のほうがいいし、暑熱より涼冷のほうがいい。
寒暑の酷は心身に堪えるから。

寒さが堪えるのは起床時。
多くの人がそうだろうけど、あたたかい布団から寒空に出ていくのは なかなかツラい。
あとは、入浴(シャワー)時。
水道光熱費を考えると(←ケチでしょ!)、毎晩、熱い湯に浸かるわけにもいかず、ガタガタと身を震わせながらシャワーを浴びている(当然、湯は出しっぱなしにしない)。
熱い湯に浸かるのは、重労働に疲れたときや、余程 身体が冷えたとき。
それでも、湯量は最低限にし、寝そべるように浸かっている。

汗をかくくらい湯に浸かった風呂上りにはビールでも飲みたくなるけど、冬期において、普段の晩酌でビールはほとんど飲まない。
ハイボールは毎度よく飲むけど、ビールは飲みたくならない。
だから、冷蔵庫には何ヶ月か前のビールがそのまま入れっぱなしになっている。
また、部屋には、あちこちでもらったビールがたまっている。
もちろん、賞味期限が切れる前に飲むつもりだけど、今、無理矢理飲んだりはしない。
暖かく(暑く)なってくると飲みたくなるに決まっているから、それまで待機させておくのだ。

ビールに関してはそんなところだけど、今季は、久方ぶりに“にごり酒”を飲んだ。
ここ数年は、コストと糖分を嫌って遠ざけていたのだけど、「たまにはいいか・・・」「少しならいいか・・・」と飲んでみた。
その様は、ついこの前のブログにも書いたとおりで、やはり格別だった。
私が愛飲している品は、アルコールが15度くらいあるのだけどツンとせず、まるでノンアルコールのように風味は極めて優しい。
だから、チビチビやりながらでも、かなりの量をイってしまう。

放っておくと、そのままズルズルと深みにハマる。
そうなっては、元も子もない。
私は、自制心を取り戻すため、スマホを手に「にごり酒 糖分」で検索。
そこで情報を収集して、にごり酒が自分の身体には不向きな酒種であることを再認識しようとした。
すると、トップ画面の上から四番目に、あるモノが映った。
それは、私自身のブログ。
2007年10月20日更新の、「のんだくれ(前編)」という記事がでてきた。
まったく違う世界を検索したのに、思いもよらず“過去の自分”がでてきて、この寄寓には、我ながらちょっと驚いた(妙に嬉しかった)。

それは自分が書いたもので、わざわざ読む必要もなかったのかもしれなかったけど、「このタイミングで目の前に現れたもの何かの縁」と思い、ホロ酔の頭で読んでみた。
内容は、好物の“にごり酒”について懇々と語ったもの。
読みすすめるうち次第に記憶が甦ってきて、十年近くも前のことなのに、まるで昨日のことのように思い出された。
そして、懐かしさとともに、あまりの進歩・成長のなさに呆れたような笑みがこぼれた。

歳をとるばかりで進歩・成長がない・・・
時の只中にいると、目も前のことを追うばかり、目の前のことに追われるばかりの生活で、無意識のうちに、自分が理想とする生き様とは程遠いに生き方をしてしまう。
そして、過ぎた日々を振り返るたび、「こうすればよかった」「あぁすればよかった」と後悔を繰り返す。
そして、過ぎ去っていく時間の中で、進歩のなさを嘆き、成長のなさを悲しむ。

それでも、日々、生きることに努めている。
「全力」とは言えないまでも、皆、それぞれの立場で、何らかのかたちで働いている。
地味な勤めでも、小さな務めでも、生きる努力をしている。
仕事に勤しむこと、勉学に励むこと、病気と闘うこと、人世に奉仕すること、社会の務めを果たすこと等々・・・
人と比べることなく一人一人の努力に目を向けてみれば、その実の美しさと、それがもたらす素晴らしさに気づくことができる。



昨年12月7日更新「万歳!」に登場した工事現場のガードマンのF氏。
今でも、ウォーキング中に顔を合わせることがある。
仕事中、少し離れたところにいても、私の姿を見るとわざわざ近寄ってきてくれる。
そして、その都度、とりとめもない話題で立ち話をし、日を追ってその深度は増している。

「歳はねぇ・・・え~っと・・・来月で76になるんだ」
「もう、いつ死んでもおかしくないよ」
てっきり60代後半くらいだと思っていた私は驚いた。
そして、“もっと若い”と思っていたことを伝えた。

「体か小さいから、そう(若く)見えるだけだよ」
「よく見れば、歳はわかるよ」
と、年甲斐もなく照れる自分が恥ずかしいのか、モゾモゾと落ち着きなく笑った。
その人柄が微笑ましく思えた私も、笑いながら御世辞じゃないことを伝えた。

「年金だけじゃ生活できないんでね・・・」
「(仕事は)楽じゃないけど、やるしかないもんね・・・」
その境遇が気の毒で切なくも思ったが、決して他人事ではない。
自分の老い先が重なり、私は、恐怖感にも似た緊張感を覚えた。

「若い頃から酒は好きでね・・・」
「今でも25度の焼酎をね、毎晩一合、ストレートでチビチビやるんだ」
日々の楽しみは晩酌だそう。
その“味”を知っている私も大きく頷きつつ、休肝日を一大イベントのようにしている自分に苦笑いした。

「今更やめるつもりはないね・・・」
「この歳まで生きると (余命には)もう関係ないからね・・・」
若い頃は健康のためにタバコをやめようと思ったことはあったけど、結局、やめられず。
F氏に残された時間を考えると、私は、即座に否定はできなかった。

「毎晩一緒に寝てるんだよ~」
「かわいいよぉ~!」
トイプードルを飼っているそうで、大層 可愛がっているよう。
今は亡きチビ犬で同じような思い出を持つ私は、目に涙が滲みそうになるくらい聞き入った。
「縁石に乗り上げて、車をオシャカにしちゃったんだよ」
「もう直せなくて、新しいの買ったんだよ」
近年、全国各地で高齢者運転の車による重大事故が多発している。
とんだ災難だったかもしれないけど、私は他人をケガさせなかったこと、またF氏がケガしなかったことを幸いに思った。

「暑いのも寒いのもツラいけど、どちらかというと寒いほうがいいかな・・・」
「暑いのはどうにもならないけど、寒いのは着込めば何とかなるからね・・・」
職種は違えど、私も一介の肉体労働者。
詳しい説明がなくても、その苦境は充分過ぎるほど理解できた。

「もうすぐお別れだね・・・」
「この現場、三月いっぱいで終わるから・・・」
一昨年12月からの長い現場も、今月末で終わるそう。
今生の別れになるのかどうかわからないけど、私は、少し寂しく思った。

「もう、いつ死んでもいいんだ・・・」
「でも、犬より先に死んじゃいけないけどね・・・」
同意するのは失礼、しかし、安易に否定するのもわざとらしくて不親切。
返事に困った私は、ただただ笑って聞いていたけど、諦めながらも、開き直りながらも、悟りながらも、とりあえず、毎日を直向に生きている姿に敬意を覚えた。



「F氏は将来の自分かもしれない・・・」
そんな風に思うことがある。
老齢で身体が衰えるのはF氏ばかりではなく、私だって同じこと。
筋力が弱まるだけでなく、各所に不具合が起きるだろう。
経済的にもそう。
私だって年金はかけているけど、年金だけでは食べていけないのは その受給金額を試算すれば一目瞭然。
そうなると、何らかの仕事に就いて働き続ける必要がある。
ただ、専門スキルや特別なキャリア、有力な人脈がない一般の高齢者がやれる仕事といったら限られている。
残念ながら、楽な仕事に就ける可能性は低い。
とりあえず、就かせてもらえる仕事があるなら、辛抱してそれをやるしかない。

だからと言って、悲観ばかりしているわけではない。
思いもよらない苦があるけど、思いもよらない楽もあるのが人生。
どんな仕事にせよ、“働ける”ってありがたい。
心身が、働けるくらいの健康を持っているわけだし、それで暮らしも少しは楽になるだろうし。
また、社会参加は健康維持に大きく貢献してくれそうだから。

とにもかくにも、まずは時間を大切に生きていきたい。
心身の健康に留意して歳を重ねていきたい。
と同時に、私は、仕事においては ただの勤め人だけど、人生においては ただならぬ努め人になっていきたいと思うのである。


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曇空の下

2017-02-21 08:50:34 | 特殊清掃
二月も早下旬。
立春を過ぎても、まだまだ寒い日が続いている。
とは言え、私の感覚では、今年の冬は暖かい。
雨(雪)も少なく、青空を仰げる日が多い。
寒いことは寒いけど、例年に比べると穏やかだと思う。
しかしながら、このところ、気分が晴れない日が続いている。
特に悪いことがあったわけでもないのに、身に周りに いいことはたくさんあるはずなのに、漠然とした過去の後悔と現在の不満と将来の不安が心を曇らせている。

例によって、最もキツいのは起床前の朝。
まだ夜も明けきらぬ暗いうちから、重い虚無感・疲労感・倦怠感に襲われて難儀している。
それでも、毎朝、重い身体を引きずり起こし、決めた時間に決めた通り動かす。
そしてまた、重い足を引きずるように、会社に向かって家を出る。
その壁を越えると、少しずつながら、気分は落ち着いてくる。
そして、会社に着く頃には、だいぶフツーに戻っている。
更に、現場に出てしまえば、欝々している余裕(?)もなくなるので、欝気は楽になる(別の意味での苦しさはあるけど)。

コイツとはもう長い付き合いなので、自分がどういう状況に陥っているのか、わりと客観的に把握することができていると思う。
で、その対処法も、いくつか持っているつもり。
しかし、それらを駆使しても、一向に気分は晴れていかない。
虚無感は感性が鈍いせい、疲労感は怠け心のせい、倦怠感は心構えが悪いせい・・・
旧態依然・・・燃えない自分が、強くならない自分が、賢くならない自分が情けなくて、涙が出ることもある。

本当は・・・
もっとポジティブな人間になりたい。
もっと強い人間になりたい。
もっと明るい人間になりたい。
ずっとずっと昔から、そう思っている。
しかし、いつまで経っても変わらない・・・
変わりたくても変われない自分が、ここにいる。

心の調子ばかりでなく、身体にも難があった。
同僚からうつったものと思われるが、先月下旬、A型インフルエンザ(多分)にかかってしまった。
しかも、休めない現場作業が重なり、病院にいくこともできず。
市販の咳止薬と栄養ドリンクを飲みながら、昼間は現場作業に勤しみ、夜はシッカリ御飯を食べ、シッカリ風呂に浸かり、早い時間から布団で休養。
もちろん、晩酌はなし。
それでも、一週間ばかり具合は悪く、なかなかしんどい思いをした。

例の目眩(めまい)は、たまに「?」と思うような軽いフラつきを覚えるくらいで、ほとんど治まっている。
蕁麻疹については、たまに、腰のベルト回り等に怪しい発疹がでることがある。
そして、重症化すると見た目も悲惨で痒みもツラいので、三種の飲薬は常時携帯している。
ただ、幸いなことに、重症化したのは最初だけで、それ以降の発疹は極小規模で治まっている。
あれから、原因とされるストレスが解消できた自覚もないし、疲労感が拭えたわけでもないし、リラックスして過ごせるようになっているわけでもないのだけど・・・
どちらかと言うと、その辺のところは何も改善されていないような気がしており、喜ぶべきか悲しむべきか悩ましいところに立っている。



出向いた現場は、立派な造りのアパート。
その一階一室で住人の男性が孤独死。
死後経過日数は2~3日。
季節は晩春で、遺体の腐敗はそれなりに進んでいた。
それでも、汚損レベルはライト級。
家財も少なく、汚染や異臭もほどほど。
一般の人には大きな難のある部屋だったが、私にとっては特に難のない部屋だった。

依頼者は、不動産管理会社の社長。
そして、このアパートのオーナーでもあった(いわゆる自社物件)。
社長は長年に渡って不動産業を経営。
しかし、管理物件で孤独死・腐乱死体が発生したのはこれが初めて。
何をどうしたらよいのか、何をどうすべきかわからず戸惑っていた。

「この部屋に次に入ってくれる人はいないかもしれない・・・」
「気持ち悪がって、他に出ていく住人がいるかもしれない・・・」
と、社長はヒドく心配していた。
しかし、外にまで異臭が漏洩したり、ハエが窓に張りついたりしたわけでもなく、そんなに悲観的になるような状態ではなし。
私は、社長が冷静になれるよう、もっと深刻な現場でも原状回復させてきた経験を話した。
そして、個人的見解であることを前置きし、人間(生き物)にとって死はごく自然なことであり、過剰に嫌悪することには抵抗感を覚える旨を伝え、
「あまり深刻に考えないほうがいいと思いますよ!」
と、熱っぽく自論を語り、社長を励ました。
しかし、それでも、その表情は晴れず。
何のリスクも負わない私が発する言葉は社長の心に届かなかったのか、残念ながら、その表情は曇ったままだった。


家財生活用品の撤去は後回しにし、とりあえず、私は汚れた布団・衣類とその下の畳を撤去することに。
愛用の道具類を備え、部屋に入った。
そして、軽症の汚腐団をビニール袋に梱包。
更に、その下の畳の隙間にマイナスドライバーを差し込み、両手に力を込めてコジ上げた。
腐敗液のほとんどは敷布団が吸収し、畳の汚染は極めて軽度。
水をこぼしたようなシミが小さくついているくらい。
そこそこの悪臭は放っていたものの、運び出す際に人目を気にしなければならない程の問題はなく、私は「エッサ」と担ぎ上げ「ホイサ」と運び出した。

そうこうしていると、窓ガラスに人影がうつった。
他の部屋の住人だろう、作業の物音を聞きつけて出てきたよう。
目を向けると、年配の男性がガラス越しにこちらを覗きこんでいた。
しかし、「野次馬?」と思った私は、男性を無視して作業を続行。
それでも、男性はいつまでもそこに立って動かない。
そして、再び私と目が合うと、私に向かって軽く会釈。
男性は何か言いたげで、無視するわけにいかなくなった私は、作業の手を止めて窓を開けた。

男性の用件がわからないため、私は、とりあえず、
「クサイですか? うるさいですか? ご迷惑をお掛けしてたらスイマセン・・・」
と頭を下げた。
すると、男性はすぐに、
「いやいや・・・そういうことじゃなくて・・・」
と、顔の前で手を横に振りながら、気マズそうに愛想笑いを浮かべた。

男性は、隣の部屋の住人。
そして、故人の死に最初に気づいたのもこの男性。
きっかけは、あるときからパッタリとしなくなった故人宅の生活音。
それまでは、物音が聞えてくるのが当り前の日常だったのに、ある日を境にそれがまったく聞えなくなった。
男性は、そのことを不審に思った。
と同時に妙な胸騒ぎを覚えた。
そうしてドタバタの末、還らぬ人となった故人は発見されたのだった。

故人と男性は、生前、特別に親しくしていたわけではなく、隣同士ながら、お互いの部屋を行き来したり飲食や外出を共にしたりするほどの間柄ではなかった。
ただ、玄関前で顔を合わせたときは、よく立ち話をした。
お互い、同性・同年代で近しい身寄りもない一人暮らし、時間に大きな余裕と金に少しの余裕がある境遇も似ていて、一身上のことが話題になることも多かった。
自分達の死について語り合ったこともあった。

「ついこの間まで元気にしてたのに・・・アッケなく逝っちゃったな・・・」
男性は、感慨深げにそう言って表情を曇らせた。
そして、それは、故人の人生を儚むと同時に、“自分もそうなるかも・・・”といった不安を抱える表情にも見えた。

「死は避けられないけど、他人に余計は迷惑はかけたくない・・・」
「そうは言っても、最期の世話や死後の始末を頼める人はいない・・・」
と、男性は、故人の最期と自分の行く末を重ねて悩んでいた。
しかし、老いには逆らえないながらも身体は健康そうで、経済的に困窮しているわけでもない。
焦って悲観的になるような状態ではなし。
私は、男性が冷静になれるよう、一般に認知されつつある“終活”をベースに、準備できることはいくつもあることを話した。
そして、個人的見解であることを前置きし、人間(生き物)にとって死はごく自然なことであり、過剰に不安視することは生きている時間を暗くしてしまうことを伝え、
「あまり深刻に考えないほうがいいと思いますよ!」
と、熱っぽく自論を語り、男性を励ました。
しかし、それでも、その表情は晴れず。
何の責任も負わない私が発する言葉は男性の心に届かなかったのか、残念ながら、その表情は曇ったままだった。


ありきたりの言葉だけど、“人生、晴れたり曇ったり”。
風も吹くし、雨も降れば雪も降る。
幼少期以降、雲ひとつない快晴の日なんて“ない”に等しい。
ほとんどの日は、多かれ少なかれ、雲がかかっている。
そして、心が曇ると、生きることが面倒に思えてしまうことがある。
ただ、青空を求める心を持っているからこそ頑張れる。
青空を期待する心を持っているからこそ耐えられる。
青空を信じる心を持っているからこそ上を向くことができる。

月並みに生かされたとしても、私の残人生は10年~20年くらいのものだろう。
誰にも予測できないことだけど、心身メンテナンスの粗さを考えると、到底、平均寿命には届かないと考えている。
だとすると・・・・・終わりは近い・・・・・あともう少し。

私は、時々見える青空を仰いでは、ささやかに笑っている。
また、人生の終わりがくるのを楽しみにしているわけではないけど、終わりがあること、終わりが近いことを頼みに、曇空の下で泣きながらも、粘って生きている。
「思い通りにいかないから人生は面白い」と、一途に自分を励ましながら。


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生きじまい

2017-01-17 08:10:18 | 生前相談
ある年の晩秋、空気が涼から冷に変わりはじめた頃。
私は、都会の喧騒遠い閑静な住宅地に建つ依頼者宅を訪れた。
依頼者は、高齢の女性。
病気を患っており、病院や老人施設を転々としながらの療養生活。
依頼の内容は、家財生活用品の処分・・・いわゆる生前整理について。
老いには逆らえず、身体は徐々に弱まっており、人生をしまう仕度をしようとしているのだった。

女性宅のエリアは、区画整理された住宅地。
だいぶ前の分譲地で、一帯は古い建物ばかり。
しかも、人影や車の通りもなく、寂しい雰囲気。
その中にある女性宅は、一段と寂れた様相。
庭や外周の手入れも行き届いておらず荒れ気味で、また、建物のメンテナンスもキチンとされておらず。
空き家っぽい雰囲気・・・生活の体温が感じられない冷えた佇まい(たたずまい)で、周囲の家とは趣を異にしていた。

私は、指定されていた時刻ピッタリにインターフォンをプッシュ。
すると、玄関ドアの向こうから「どうぞ~」と声が聞えてきた。
その返事を“入って来て下さい”の意と汲んだ私は、「こんにちは~・・・」とドアを引き、「失礼しま~す・・・」と玄関に足を踏み入れた。
そして、近づいてくるスローな足音を聞きながら、女性が出てくるのを待った。

女性は、ゆっくり ゆっくり、一歩一歩が前に出ているか確かめるように歩いてきた。
老齢病弱ということは先に聞いていたので、そのスローペースにも特に違和感は持たなかったが、女性は気になるものを身に着けていた。
それは、何かのボンベらしきものがついた機材。
そして、そこから伸びた管が鼻孔につながり固定されていた。
女性は、キャスター付のそれを傍らに引きずりながら出てきたのだった。

女性は特に苦しそうにしていたわけではなかったが、その装置は見た目に重々しく、それだけで、その場の雰囲気は重苦しいものになった。
が、女性はそんな私の小驚など気にもせず、やや苦しそうに息をしながらも丁寧な言葉で私を居間に招き入れ、ソファーに座るよう促した。
そして、
「病院からの一時帰宅なものですから、何のお構いもできなくてスミマセン・・・」
「買ってきたもので申し訳ないんですけど、どうぞ・・・」
と、傍らのレジ袋からペットボトルのお茶を出し、私の前に置いてくれた。

いつもの私なら、
「どこを悪くされているんですか?」
「それは何のための機械なんですか?」
等と、余計なことを根掘り葉掘り訊いていくのだが、医学に見識のない私でも、その病気が軽いものではないことは察せられた。
しかも、治る見込みも低そうに見えたため、私は、女性の病気や機材については何も触れなかった。
そして、その後、女性の口からは、“病気について触れなくてよかった”と思うような話が出てきたのだった。


女性には夫がいたが、その夫は数年前に先逝。
家族としては息子が一人いるのだが、息子のほうも重い病気と障害を負っており、長く施設で生活。
将来、社会にでて自立生活できる可能性は、極めて低かった。
となると、女性がいなくなった後、もうこの家は用なしに。
しかも、土地家屋や家財を置いたまま逝った場合、息子に負担がかかってしまう。
しかし、女性の身体は衰えるばかり。
生前にどうにもできないことは息子の成年後見人に頼むとしても、頭がシッカリしているうちに、身体が動かせるうちに家財を始末し、残して逝く息子のために家を金に換えておこうと算段。
そして、その一助になればと、私が呼ばれたのだった。

愛着ある品々も、想い出がタップリ詰まった家も、天国に持って行くことはできない。
それは、誰にだって、すぐわかること。
しかし、実際にそれを手放すとなると、なかなか理屈通りにはいかない。
懐かしい想い出や深い思い入れが邪魔をする。
それが、自分の死をリアルに悟れない時期であるなら尚更。
しかし、女性は、自分の死をリアルに想像していた。
そう遠くない将来にやってくるであろうこと悟っていた。
だから、自分の持ち物を始末することについて迷いはなく、感銘を受けるほど潔かった。

「もう、この家には、二度と戻ってくることはないでしょうから・・・」
「苦労は色々ありましたけど、過ぎてみると人生なんて短かいものですね・・・」
「もうじきこの人生が終わると思うと、寂しい気がしますよ・・・」
「楽しくないことが多くても、それでも、人生は楽しいものですね・・・」
少し前の女性が複雑な心境であったことは、容易に察せられた。
特に、病弱な息子を残して逝かなければならないことを思うと、胸が張り裂けそうになったかもしれない。
しかし、その類のことは相当の覚悟をもって片づけたのだろう、この時の女性は、穏やかな笑みを浮かべていた。
そして、外見は老い衰えた女性だったけど、その内面は、生気にも似た輝きを放っていた。

そこには、死を受け入れざるを得ない者の弱さと、終焉の閑寂があった。
死を覚悟した者の強さと、人生の輝きがあった。
そして、私にとっては、そのことを決して他人事として済ませてはいけない機会があった。
私には、とてもその境地に至ることはできなかったけど、できるかぎり自分に当てはめてみたかった。
銭金のためにやっている仕事だけど、銭金では買えないものを手に入れたかった。
せっかくの自分の人生、せっかくの人の死。
後悔の念にとらわれながらも 頑張っている仕事、人生の多くの時間を費やし 続けている仕事なのだから。



2015年の日本人の平均寿命は女性87.05歳、男性80.79歳で、いずれも過去最高を更新したとのこと。
うちの会社には「エンゼルケア事業部」という遺体処置(死後処置、死化粧、身体の清め、着せ替え、納棺など)を担う部署がある(かつて、私もここに所属していたこともあったけど、近年は「ライフケア事業部」いう部署に所属して活躍?している)。
そこで扱う遺体の多くは、やはり70代・80代の故人。
もちろん、もっと高齢の人もいるし、もっと若い人もいるけど、上数値を反映して高齢者が多い。

もちろん、皆、赤の他人。
見ず知らずの人、生前の縁は皆無。
だから、これといった情もなく、悲哀を感じることもない。
ただ、
「一人一人の人生が終わっていってるんだな・・・」
しみじみそう思う。
そして、
「俺の人生も終わりに向かってるんだよな・・・」
と、再認識する。

また、仕事のせいか性質のせいか、私は、
「“死”というものを想わない日はない」
と言っても過言ではないくらいの毎日を送っている。
「俺、死ぬんだよな・・・」
しみじみと そう想い、同時に不思議にも想う。
また、街の雑踏を眺めながら、
「この人達、いつか皆 死んでいなくなるんだよな・・・」
と現実的かつ不気味なこと?を想う。

生と死は常に隣あわせで、死の機会は、老若男女を問わず、万民平等。
すべての死は不可抗力。
この摂理は、多くの人が知っている。
しかし、平均寿命というデータによって、一般的には“若者より高齢者のほうが死に近い”と考えることが多い。
しかし、あくまで、それは全体的・相対的な数値。確率の問題。
人間個々で考えると、まったく当てはまらない。
幼少・若年で亡くなる人も多くいるわけで、だからこそ、“人生の終わり”を意識すること、考えることは、誰にとっても必要なことなのである。

“死”に教わること、“死”に気づかされることってたくさんある。
が、“死”というものは、かなりデリケートなもの。
揚々としたときには怖れ、欝々としたときには憧れたりもする。
人生を輝かせる遠因にもなれば、暗くする原因にもなる。
そして、“死”それ自体は、なかなかポジティブに捉えられるものではない。
そこから派生する思想や価値観は、容易にポジティブなものになりうるけど、死そのものはそうならない。
未知の恐怖、消滅の寂しさ、有限の切なさ、無力の虚しさ等、ネガティブなものが多く浮かんでくる。
気分の位置によっては、悲観的・短絡的な志向に傾いてしまうから難しい。

老齢や病など、自分の死をリアルに悟る時がきたとき、どういう心境になり、そういう心情になるだろう。
何を考え、何を想うだろう。
悲哀か、緊張か、恐れか、未練か、寂しさか、虚しさか、後悔か、諦めか・・・
それとも、笑顔の想い出か、安堵か、平安か、希望か・・・
そして、何をするだろう。
慌てて遺言を書くか、焦って生前整理をするか、別れを告げに誰かに会いに行くか、懐かしの地を訪れるか・・・
それとも、お金も人目も気にせず、楽しみに興じるか・・・
具体的には想像するのは難しいけど、理想は、穏やかな笑みを浮かべながら生きてきた道程を回顧し、また、天国に希望をもつこと。

死に対してどう向き合うか、どう備えるか、答をだすのは簡単ではない。
生きることとどう向き合うか、どう生きるか、それも同じ。
死を想うことは、生の力を削ぐものではない。
死を想うことは、生を力づけること。
死の準備は時間の密度を上げる。
そして、自分の人生を熱くするエネルギーが宿る。

“死を想いながら生きること”は、“人生を充実させること”“力強く生きること”の基となる。
本ブログにもしつこく書いているけど、私は、それを愚弱な自分に訴え続けていこうと思っている。
人生をしまう日がくるまで。


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難儀談義

2017-01-10 08:44:20 | 特殊清掃
「全滅・・・」
汚腐呂の扉を開けた私は、呆然と立ち尽くした。

賃貸マンションの浴室で住人が死亡。
そして、そのまま約一ヵ月が経過。
故人(遺体)は、湯(水)に浸かったまま溶解し白骨化。
浴槽には、暖色の腐敗粘土が大量に溜まり、底は見えず。
また、遺体(遺骨)が引きずり出された痕の汚染も残留。
更に、発生した虫によって侵された天井・壁・洗場は原色をとどめておらず。
黒茶・黄色・緑色に変色し、夜空に輝く満天の星のごとく(表現がミスマッチ?)涌いたあとの虫殻も無数に付着していた。

悪臭は浴室内にとどまらず、部屋全体に充満。
しかも、部屋死亡の腐敗臭に比べて風呂死亡の腐敗臭は生臭さが強い。
それは、玄関を開けただけで「風呂死亡」とわかるくらい。
さすがに、私は、吐気をもよおすことはなくなったけど、慣れていない人だと吐くかもしれない(慣れている一般人なんていないけど)。
空気を肺に入れたくなくなるような、何とも不快な臭気なのである。

故人に身寄りはなし。
賃貸借契約を保証したのは個人ではなく保証会社。
そして、家財生活用品の撤去処分はそこが担うことになっていた。
が、保証会社から委託されて出向いた業者の作業員は、あまりの臭いと凄惨な光景にダウン。
特殊清掃・消臭消毒なくして撤去作業を行うことは不可能と判断。
そこで、管理会社を通じたやりとりが行われ、私が出向くことになったのだった。

腐乱死体現場なんて、一般の人が具他的に想像できるものではない。
だから、大家は、この風呂も掃除をすれば復旧できると考えていた。
もちろん、それが可能な場合もある。
しかし、この風呂はかなりの重症。
私が言うところの“スーパーヘビー級”。
各所にシミや変色が残る可能性が高いし、何より、悪臭が残留する可能性が高かった。
妙な変色や、何となくでも異臭を感じる風呂を誰が使いたがるだろうか・・・家賃を格安にすればどうかわからないけど、通常なら、好んで入居する人はいないはず。
とりわけ、遺体が一ヶ月も放置されていた風呂なんて、通常、掃除したくらいでは使いものにならない。
設備の交換(解体撤去と新設)が必要となる。
その他の改修や修繕を含めると相応の費用がかかる。
賠償を求める相手がいない上、保険もきかなければ、原状回復工事にかかる費用はすべて大家負担になる。
それを避けるため、掃除だけで部屋を原状回復させようと考えるのは自然なこと。
しかし、現実的にそれはかなり難しい。
私は、後々トラブルになっては困るので、“原状回復を保証するものではない”ということを重々承知してもらった上で、特掃を請け負った。
そして、作業前の現場を、画像や人聞きの話とかではなく、直接 自分で確認してもらうことも要望した。

別の日。
私は、大家と現地で待ち合わせた。
はやり、大家は、腐乱死体現場を具体的に想像できていなかった。
もちろん、具体的に想像しようがないのだけど、それを言葉で理解させるのは難しい。
もっと言うと、画像でも肝心なところは伝わらない。
半透明の脂やゴマ粒大の虫殻は画像には写らない。
また、画像では、汚物や汚染の重量感や質感はまったく伝えられない。
凄まじい悪臭も、まったく表すことができない。

大家は、相当に困惑。
部屋を原状回させるには、相当の費用がかかる。
そして、それを請求する相手がいない以上、自己負担になる。
さらに、新たに入居者を募集する場合、地域の相場より家賃を下げる必要がある。
それでも、人が入る保証はどこにもない。

不動産賃貸業を営むうえのリスクは色々あるけど、一般的に気にするのは、空室率や家賃の滞納くらい。
ゴミ部屋、ペット部屋、住人の孤独死や自殺、その後の腐乱等々、部屋に重汚損が生じるリスクはあまり想定されていない。
しかし、現実には、そう珍しくないことなのである。

「まさか、自分の身にこんなことが起こるとはね・・・」
大家は、不愉快そうにそう言いながら、気休め程度の効果しかない紙マスクをつけた。
そして、私が引き開けた玄関ドアから、恐る恐る室内をのぞき込んだ。
その瞬間、言い表せぬほど不快な悪臭が大家の鼻を突いた。
と同時に、大家は仰天の表情を浮かべ、一歩・・・二歩・・・とジリジリ後退していった。

「うぁぁ・・・」
大家は、自分が これまでの人生で体感した最も臭いニオイを想像して来たのだろうが、実際のニオイは、それをはるかに超越。
それまで嗅いだことのない悪臭、想像を絶する悪臭を受け、大家は、掃除くらいではどうにもならないことを理解したよう。
想像もしていなかった災難に顔を曇らせ、消沈した。

「写真で見たほうがいいかな・・・」
あまりの悪臭にショックを受けた大家は、中に入ることを躊躇。
無理矢理 浴室を見せて精神を害されては困るし、そもそも責任がとれない。
私は、一人で中に入り、ケータイに写真を数枚撮影。
そして、顔を顰め(しかめ)ながら私の説明を聞く大家に、それを一枚一枚みせた。

「もう、この部屋は諦めます・・・」
結論はすぐにでた。
頭で計算しただけで判断できたよう。
改修工事代を家賃で回収するには何年もかかる。
しかも、家賃を地域相場よりも安くしなければならないし、それで人が入居する保証もない。
つまり、高額な費用をかけるだけのメリットが見出せないわけ。
これによって、空室率は一部屋分上がってしまうけど、全体の空室率や築年数(経費の償却)を勘案すると飲み込める範囲の負担で治められる算段だった。

「最低限 必要なことをお願いします・・・」
幸い、この件で、出て行った住人もいなければ、出て行きそうな住人も見受けられず。
だからと言って、先はどうなるかわからず、汚部屋のまま放置するのは得策ではないことは、大家の目にも明らか。
したがって、他に住人に出ていかれないための処理・・・浴室の特掃、消臭消毒、家財撤去まで行い、その後はクローズすることに。
その方針が定まると難儀なプレッシャーから開放されたのだろう、暗くなっていた大家も少しは明るさを取り戻した。

しかし、難儀だったのはそれから。
私にとって、本件のメインイベントは浴室の特掃。
そう大袈裟なことを言っても、作業自体は単純。
掬い取る、削り取る、拭く、磨く、洗う・・・その繰り返し。
高等の技術や相当の体力が要るわけではない。
ただ、対象が遺体系汚物であり、汚染は重度であり、恐ろしい悪臭と人の死が充満する中での作業であるところが並の掃除とは異なる。
根性とか忍耐力とかがどれだけ要るものかわからないけど、酷な作業であることに間違いはない。
だから、さすがの?私も気分が重くなった。
それを少しでも軽くするために、その日が来るまでに現場の画を思い出し、作業手順を何度もシミュレーション。
「余計なことを考えず、一つ一つ片付けていこう」
「たった数時間の辛抱!」
と自分を励ました。

実際の作業も予定通り進行。
ただ、予想通り、楽な作業にはならなかった。
予想通りに身体は汚れ、予想通り身体は臭くなり、予想通り気分は浮かなかった。
が、故人のことを想うと、次第にそれも気にならなくなった。
死を予期できないのは不可抗力であり・・・
浴室死亡の場合、故人は苦しむことなくポックリ逝った可能性が高く・・・
のんびりと温かい湯に浸かり、バスタイムを気持ちよく過ごしたように思え・・・
そんな最期の様が、現場の凄惨さを中和してくれ、精神面で私を助けてくれたのだった。


毎年のこととはいえ、このところ陰鬱な気分に苛まれている。
それでも、昨年までは、たいして重症ではなかったが、元旦の朝以降、症状は深刻に。
疲労感、虚無感、倦怠感etc・・・特に、朝目覚めてから仕事に行くまでがキツい。
何か因果関係があるのだろう、とりわけ、酒を飲んだ日の翌朝は重い。
だったら飲まなきゃいいのだけど、肉体労働に勤しんだ日や嬉しいことがあった日とかは飲みたくなる。
休肝日にしていない日は、その辺の葛藤を経て飲んだり飲まなかったり・・・
そうして、朝になると、自分の愚かさや自分の弱さを悲しく思いながら、自分の愚かさや自分の弱さに腹を立てながら、重い身体を引きずり起こすのだ。

思い起こされるのは三年前の冬。
症状は今よりもっと深刻で、発狂しそうなほど苦しんだことを憶えている。
寒いのに身体は熱く、脂汗でジットリ。
身体を動かしているわけでもないのに息は荒く、頭は朦朧(もうろう)。
横になっていることもままならず、布団に正座した状態で上半身を前に倒し、頭を抱え込んだまま起き上がらなければならない時がくるのを待つような始末だった。

人生において、日常の生活において、軽いものから重いものまで悩みや苦しみはいくらでもある。
もちろん、それらを喜んで受け入れることはできない。
できることなら、無縁でいたい。
それでも、“それらも人生を彩る味わいの一つ”と認めることができている。
ただ、心底で開き直れない自分がいる。
無力と知りつつ抗(あらが)おうとする自分がいる。
そして、それが、新たな苦悩の生んでしまう。

以前、親しい知人に「気難しい」と評されたことがある。
自分でも心当たりが充分にあるため、私をよく知る人にならそう思われても仕方がないと思う。
しかし、「それが俺」と開き直ったり、諦めたり・・・
そういうことだけは すぐ開き直ったり諦めたりできる私・・・
そのクセ 気が難しくなるようなことは、いつまでも思い悩まずにいられない・・・

そんな難儀な性格に難儀している私は、それを憂いて泣きつつも、それを味わい笑っているのである。


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幸せのドン底

2017-01-04 09:19:25 | その他
2017謹賀新年。
古来より何ら変わることがないスピードで時は過ぎ、また新たな年が明けた。
そして、正月三が日も終わり、街は祝の余韻を残しながら乾いた日常に戻りつつある。

世の中には、私のように、年末年始関係なく働いた人もいれば、休暇を楽しんだ人もいただろう。
そして、晴々した気分で仕事始めを迎えた人もいれば、欝々とした気分で仕事始めを迎えた人もいるだろう。
私の場合、元旦の朝、快晴の空とは裏腹にちょっと欝っぽくなってしまった。
寒いはずなのにジットリと脂汗がでて、夜が明けることに疲れを覚えた。
長年の付き合い・・・慣れた症状とはいえ、なかなかしんどいものがある。
何はともあれ、こうして新年を迎えることができたことに感謝!感謝!

そんな年末年始、多くの人が財布の紐をゆるませたことだろう。
私の財布の紐も少しはゆるんだけど、ほんの少しだけ。
質素倹約生活が身に滲みついているため、そんなに出費はかさまなかった。
また、仕事柄、複数日の旅行や遠出のレジャー等に出かけられないわけで、それも出費が抑えられた要因になっていると思う(嬉しいような、嬉しくないような・・・)。

とにもかくにも、お金は、得難く、使い易いもの。
気を抜いていると、アッという間に、しかも無尽蔵になくなっていく。
だから、細かいところも意識して、質素倹約を心掛ける必要がある。
いい年した社会人のクセに、一円もお金を遣わない日だってザラにある。
自分で言うのもなんだけど、その倹約ブリ(ケチぶり)は自慢してもいいくらいのレベルだと思う。
だけど、バカ丸出しになってしまうから、あまり細かな話は差し控える。

私の場合、日常生活では、口に入れるもの(飲食料費)に費やすコストが他のコストに比べて圧倒的に多い。
もちろん、飲食しないと身体を維持できないわけだから、これは、必要経費として仕方がない。
しかし、その中身を工夫することはできる。
そして、それがもたらす節約効果は、他のモノに比べるとかなり大きい。

ただし、食欲を満たすこと、“飲む”“食べる”という行為は、大きな幸せの一つ。
これを犠牲にすることは生きる楽しみを削ぐことにもなる。
そうは言っても、不摂生は、経済的にも身体的にも害となり、場合によっては精神まで害する。
不摂生もよくなければ、過度の摂生もよくない。
自分にとって最良と思われる芯を見出して、それを軸に生活するのが肝要だと思う。

私の場合はこんな感じ・・・
原則として、定価売りのコンビニや自販機は利用しない。
また、スーパーとかに行っても、目的のモノ以外は買わない。
誘惑も多いし、ついつい買ってしまいそうになるから、目的外のモノは見もしない。
飲食料については、安いモノ、安い店を探して、まとめ買いする。
その他の買い物も、ほとんど生活必需品のみとし、余計なモノは買わない。
酒は「余計」と言えば余計だけど、安い国産ウイスキー(味は充分に美味い)で済ませている。

「質素倹約」「節約生活」と聞くと、すぐに「我慢」「忍耐」「ストレス」といったものが思い浮かぶかもしれない。
しかし、ほとんどストレスは感じていない。
それどころか、「充実感を感じる」というか、「軽快さを感じる」というか、意外と快適。
私が“筋金入りのケチ”だからそう感じるのかもしれないけど、結構 楽しいものだったりしている。
また、金銭的メリットだけでなく、結果的にカロリーの過剰摂取リスクも低減でき、適正体重維持にも貢献。
まさに、一石二鳥・三鳥。
ま、こんな小器生活は、人にバカにされるかもしれないし、女性にはもてないだろうけど、誰かに迷惑をかけているわけでもないから、堂々と続けている。

常日頃はそんな私だけど、この正月はちょっと贅沢をした。
昨年12月上旬、ひいていた風邪が治りかけた頃 無性に飲みたくなり、いつまでたってもそれが治まらなかったため、超久しぶりに にごり酒と清酒を買ったのだ。
しかし、ウイスキーに比べると、清酒・にごり酒はかなりコスパが悪い。
また、糖質も気になる(“日本酒の糖質問題に科学的根拠はない”という説もあるが・・・)うえ、私の体質だと、蒸留酒に比べて翌日まで残るリスクが高いのである。
だから、ここ何年か飲むのは控えていた。

「飲みだしたらキリがない・・・金の無駄・・・」
「ウイスキーで充分じゃないか! 我慢! 我慢!」
私は、自分なりに一生懸命 自制心を働かせて、誘惑に負けて店に向かおうとする足を何度となく止めた。
しかし、そんなことが何度か続くと、自制心も疲弊してくる。
「普段は質素倹約に努めているわけだし・・・借金して買うわけじゃないし・・・正月くらいいいかな・・・」
と、徐々に挫け(くじけ)はじめた。
そして、結局、誘惑に負けてしまった。
ちなみに、にごり酒も清酒も、自分が気に入っている銘柄がある。
それぞれ違う店で売っているのだが、誘惑に負けた私は、
「今年もがんばったし、来年もがんばんなきゃいけないんだから・・・」
と開き直り、時間も手間も惜しまず いそいそと買いに出掛けたのだった。

何年ぶりかに飲むそれは、ニヤけてしまうくらいの美味。
だから、少しずつ飲めば長く楽しめるものを、どうしても多く飲んでしまう。
大晦日の夜も、自分なりに ささやかな贅沢を楽しんだわけだけど、やはり飲みすぎてしまった。
そして、それが翌朝にまで残り、若干 二日酔い気味に。
で、それが欝を重くさせる一因となってしまったのだった。


そんな感じで精神や身体に不具合を起こすことが少なくない私。
とりわけ、昨年は、体調を崩しまくった。
蕁麻疹や目眩など、初めて経験する不調もあり、ちょっとビビッたりもした。
それでも、私は、これまで、大病を患ったり、大ケガを負ったりしたことはない。
救急車に乗ったことも、病院に入院しなければならないくらいの重症に陥ったこともない。

別な視点で見ると、贅沢な暮らしはできないながらも、喰うに困っているわけでもない。
もう何年も、一般的な生活を維持できるくらいの糧を得ることはできている。
お金があっても物がなければどうにもならないけど、衣食住、日常生活に困らないくらいの物資にも恵まれている。

にも関わらず、心に湧いてくるのは、後悔・不満・不安ばかり。
人生は思い通りにならないことが常であることを悟ったつもりでいても、所詮、それは心底からでたものではなく、自分で外側だけを拵えた(こしらえた)作り物。
だから、鬱憤はシッカリたまっていく。
そして、それらは、
「幸せを感じることが少ない」
「不幸というほどでもないけど、幸せではない気がする」
等といった、漠然とした不幸感となって心を覆う。

確かに、生活をしていく上で、仕事をしていく上で大変なことはたくさんある。
時には、逃げ出したくなるような現実が、目の前に立ちはだかることもある。
悩みや苦しみは尽きることがない。
そして、それは、自分が不幸の中にいるような、そして、そのドン底に落ちていくような錯覚を覚えさせることも多い。

そんな私は、一体、どこにいるのだろうか・・・
本当に不幸の中にいるのか? 不幸のドン底に落ちているのか?
・・・そんなことはないはず。
私は、不幸の中にいるのではない。
社会的に、経済的に低いところにいても、不幸の中にいるのではない。
少なくとも、不幸の中ではなく、幸せの中にいるはず。
幸せを感じられることが皆無なわけではないし、また、目の前、身の回りには、数え切れないほどの幸せがあるのだから。

問題なのは、不幸に敏感で、幸せに鈍感である私の心。
幸せがあることに気づかない、幸せに気づけない私の心。
皮肉なもので、私の心は、幸せを欲しながらも不幸の種ばかりを集めてしまう性質がある。
そればかりに気が向き、そればかりに気をとられる性質がある。
それをバラバラに壊して、つくり直すことができればどんなにいいか・・・


始まったばかりの2017年。
今年も、色々と大変なことがあるだろう。
凄惨な光景に顔を歪める日々が待っているだろう。
過酷な作業に涙汗をかく日々が待っているだろう。
そして、相も変わらないことに苦悩することだろう。
楽に生きさせてはもらえなそうだけど、それでも、こうして自由な意志をもって生きていられることは幸せなこと。

ケガや病を抱える人や、心身に障害を持つ人と比べるつもりはないけど、私には、考えられる頭があり、見える目があり、聞える耳があり、話せる口があり、持てる手があり、歩ける足がある。
貧困にあえぐ人と比べるつもりはないけど、私には、生活の糧となる仕事もある。
何気ないことかもしれないけど、これは、とても幸せなこと。

地には春夏秋冬それぞれの美が現れ、空には晴曇雨雪それぞれの趣がうまれる。
浮世には人それぞれの愛が現れ、社会には人それぞれの機微がうまれる。
ありきたりのことかもしれないけど、これらが与えられていること、感じられることもまた幸せなこと。

贅沢な暮らしができるに越したことはないかもしれない。
しかし、質素倹約生活にも それなりの楽しさがある。
贅沢暮らしでは味わえない美味がある。
それと同じように、苦労多き人生の中にも幸せはある。
私の心が、それにどう気づいていくか・・・
そして、残り少なくなってきた人生をどう楽しんでいくか・・・

私は、“幸せのドン底”にある自分の心を少しでも上にもっていくため、目の前にある幸せを、身の回りにある幸せを、一つ一つ数えているのである。


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無才凡人

2016-12-31 09:01:13 | 生前整理
「怪しそうな人が来るんじゃないかと思ってました・・・」
依頼者の女性二人は、そう言って、気マズそうに笑った・・・・・


知人を介して、現場の調査依頼が入った。
依頼の内容は遺品処理の見積り。
訪れた現場は、郊外の住宅地に建つ古いマンション。
依頼者は、二人の初老女性。
二人は姉妹で、亡くなったのは二人の姉、三姉妹の長姉。
間取りは一般的な3LDK。
一人で暮すには広すぎるくらいの部屋だったが、夫に先立たれ子がなかった故の一人暮らしだった。

故人は老齢となった頃、癌を罹患。
ただ、高齢者特有の病状で、その進行はかなり遅く、病とは長い付き合いとなっていた。
そうは言っても、病状は少しずつ進み、晩年は、ほとんど病院生活。
そんな故人は、自分の死期を悟り、少しずつ家財を片付け始めた。
それは、“自分の後始末はできるだけ自分でしたい”との意志と、“残される親族の負担を少しでも軽くしておきたい”との配慮からくる故人なりのケジメだった。
だから、残された家財の量も多くはなく、室内は生活感がないくらい整然としていた。

それでも、自分が生きているうちにすべてを片付けることは不可能。
夫も子もない故人にとって後始末を頼めるのは二人の妹だけで、故人は、死後の後始末を二人の妹に託した。
しかし、そんな二人も老齢で、しかも未経験のこと。
何をどうすればよいのかよくわからず、遺品の処分は二人の手に余った。
が、自分達がよくわからないことを見ず知らずの人間に頼むのは不安がある。
また、精一杯の終活をして逝った姉を悲しませぬよう、事はトラブルなく処理したい。
かと言って、信頼をもって頼めそうな知人もいない。
そこで、人づてに私との接点が生まれたのだった。

昨今は、「消費者契約法」などという法制が必要になるくらい物騒な世に中になっている。
二人が、何を不安に思い、何を心配しているのか、だいたいの想像はついた。
それは、「自分達が老齢の女性であることをいいことに、無茶な契約を結ばされるのではないか?」「いい加減な仕事をされるのではないか?」ということ。
そのため、見ず知らずの人間ではなく、知人を介して頼める人間を探したわけ。
それでも、二人は用心深く、私に対して強い警戒心を抱いているようで、私が穏やかな雰囲気を醸しながら挨拶をしても表情と態度は硬く、それは、中年男のつくり笑顔くらいで崩れるようなものではなかった。

二人が、私の仕事やそれに従事する人間についていい印象を持っていないのは明らかだった。
ある意味で職業に貴賎はないが、ある意味では、職業に貴賎はある。
努力・忍耐とは縁のない、低学歴で無教養の無才凡人が行き着く仕事・・・
自堕落な無才凡人が、職を転々とした挙句に行き着く仕事・・・
そんな印象を持っていたのではないかと思う。
そして、それは、あながち間違っていないと思う・・・残念ながら。

私の仕事に対して持たれる印象やイメージに“偏見”を感じることは少ない。
「それは偏見だ!」と非難したいところけど、実のところ事実であることが少なくないから。
「儲かる」「稼げる」といった金銭がらみの偏見は事実に反するけど、従事している人間の人格・キャリア・能力・資質などは「世間の偏見≒事実」である。
この仕事は、世間(人)からは、“いいイメージは持たれない=悪いイメージを持たれやすい”のである。

先入観が沸く心や偏見をもって見る目は、誰かに備えつけられたものでもなく、誰に押しつけられたものでもない。
それは、生来の人間が持って生まれた性質、人が抱く素直な気持ち。
もちろん、それらを受ける当事者(私)にとって愉快なことではない。
だけど、憤るほどのことでもなければ、非難するほどのことでもない。
私だって、先入観をもち、偏見で人や物事を見ることはあるから。

私は、それを受け入れつつも、そのマイナスイメージをプラスに転じようと努力する。
丁寧な言葉をつかい、礼儀をわきまえ、態度や表情にも注意をはらう。
名刺もキチンとしたものを持ち、資格に裏打ちされた知識も駆使する。
現場を流しているから仕方がないときも多いけど、それなりに身だしなみにも気をつける。
業務上で酷い格好になってしまったときは、
「作業をやってきたものですから、汚い格好でスミマセン」
と、最初の挨拶に一言つけ加える。
事前印象はマイナスでも、第一印象でプラマイゼロまでもっていき、作業完了までにプラスに転じることができればいいと思っている。


家財の少ない3LDKを見るのに、そんなに時間はかからず。
一通りの検分を終えた私は、すすめられるままリビングのダイニングチェアに腰を降ろした。
お茶をすすめられたものの、そこに雑談を挟むような和やかな雰囲気はなく、私は、必要な作業の内容と費用を事務的に説明。
そして、業務上の質疑応答を二~三度繰り返して、とりあえずの話を終えた。

営業上は契約を勧める必要があったのだが、二人は、押し売られることを最も警戒しているはず。
それを察していた私は、あえてそれをせず。
また、仲介してくれた知人の顔を潰すようなことになったらマズイし、二人が契約の意向を積極的にみせないかぎり、現地調査だけで退散するつもりでいた。

「他に何かお尋ねになりたいことありませんか?」
「ないようでしたら、今日はこれで失礼します・・・」
私は、暗に、“契約の強要はしない”という意思を示しつつ、無用の長居はしない姿勢をみせた。
すると、二人は、少し間を置き、ちょっと訊きにくそうにしながら、
「このお仕事、長くされているんですか?」
と、質問してきた。

実際、この類の質問を受けることは多い。
したがって、それに応えた数も多い。
私は、“よくぞ訊いてくれました”とまでは思わなかったものの、それが二人の警戒心を解く会話の糸口になりそうな気がして、そんな期待感を抱きつつ話を始めた。

私が答えた従事歴は二人の想像をはるかに越え、その動機や仕事内容は、まったくの想定外だったよう。
二人は、“職を転々とするような人がやる仕事”“仕方なくやる仕事”といった先入観を持っていたのだろう。
しかし、幸か不幸か、私は職を転々とはしていない。
他にやれることがないから、ずっとこれをやっている。
また、生活のためとは言え、結構、積極的にやっており、「金のため 自分のため」とイキがってはいるけど、依頼者や関係者に感謝されたり頼りにされたりすると、喜びを覚えたりもしている。

二人は、私の話が進むと同時に、私がそんなに怪しい人間ではない(自分で言うのも変だけど)ことがわかってきたのか、少し驚いた表情をみせた後、硬かった表情を徐々に和らげていった。
そして、それが私の信頼度を計るバロメーターになったのか、話は契約締結の方へ進んでいった。


「実のところ・・・怪しそうな人が来るんじゃないかと思ってました・・・ごめんなさいい・・・」
その言葉に悪意は感じず、むしろ好意をもってもらえたが故の言葉、私を褒めてくれる言葉だと感じた私は素直に喜んだのだった。
そして、限界を感じることが多く、後悔だらけの職業人生だけど、長くやっていることを評価してもらえるだけで、人に認めてもらえたような気がして、自分の人生を肯定できる喜びを感じることができたのだった。



今日で今年もおしまい。
凛と澄んだ空の下、今のところ、今日は小さな現場を一件予定しているだけ。
追加業務が発生しなければ、夕方も遅くならず退社できるだろう。
そして、普段は粗食でも充分に満足できる私だけど、今夜は、少しはいいモノを食べようと思っている。
ただ、明日も仕事だから、深酒はできない。
ま、仕事柄、それも仕方がない。
まずは、そんな中にあっても、一年を生き通すことができ、また新たな年を迎えることができる(多分)ことに感謝!感謝!

ブログはあまり書けなかったけど、今年も色々なことがあった。
多くの現場を走り回り、そして、色々な人との出会いがあった。
そのほとんどは良識をもった良心的な人達なのだが、少数ながら、中には、苦手なタイプの人や嫌なタイプの人もいた。
心無い態度や言葉によって、悲しい思いや悔しい思い、惨めな思いしたこともあった。
自分自身の弱さや信念のなさで、悲しい思いや悔しい思い、惨めな思いしたこともあった。
世間一般にマイナスの印象を持たれるのは仕方がない。
それは、ある種、自然なこと。
ただ、誰かにとってプラスの存在になれればいいと思っている。
依頼者との関係において価値ある仕事ができればいいと思っている。
それが、汚仕事に従事してくたびれる自分を励まし、勇気づけるのだから。

私は、何事においても、一つのことを続けていくことは大切なことだと思っている。
「究める」なんて大袈裟なことは言えないけど、そう思う。
こんな仕事だけど、現に、そうしてきてよかったと思えることは多い。
しかし、肉体は老い衰え、精神は熟し鮮を失い、社会情勢は変化していく。
この先、いつまでこの仕事を続けていけるかわからない。
この先、いつまでこの人生を続けていけるかわからない。

この先、どうなるかわからない不安がある。
この先、どうなるかわからない恐怖がある。
しかし、どうなるかわからないから希望が持てる。
どうなるかわからないから期待ができる。
自由は不確かなところにあり、不確かな明日だからこそ自由に志向できる。

2016年大晦日にあって、この無才凡人は、新たな年に向かって覚える不安と恐怖を希望と期待を変えようと、マイナスの心とプラスの心を必死に戦わせている。
そして、幾度も繰り返されてきたその戦いに、幾度も繰り返されるであろうその戦いに、「俺って、懲りないヤツだよな・・・」と、希望を誘うための笑みを浮かべているのである。


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Gambler

2016-12-27 09:26:27 | 特殊清掃
唯一年の今年も残り少なくなってきた。
唯一生の私の人生も残り少なくなってきた。
「どうすれば、なりたい自分になれるのか・・・」
と苦悩しているうちに時間ばかりが過ぎている。
「この先、どう生きていくべきか・・・」
と思案しているうちに時間ばかりが過ぎている。

そんな年の瀬にあって、先日、不気味なくらい暖かい日があった。
日中も20℃近くまで気温が上がり、夜になってもほとんど下がらず。
車中だと暑いくらいで、とても12月の下旬とは思えないような気候だった。
冬の温暖と地球温暖化を直結するのは見識がなさすぎるのだろうけど、人知を超えた力が人類の望まない方向へいっていないことを願うばかり。
ただ、このところは冬らしい寒さが再来し、身体は縮こまっている。
プラス、年末の物入りで、懐まで寒くなっている人が少なくないのではないだろうか。

そんな真冬にあって、あちこちの街を走り回っている私は、先日まで、ある光景をよく目にした。
それは、宝クジの売店とそれに並ぶ人々。
売る側はアノ手コノ手で宣伝し、庶民の金銭欲をかき立てる。
過去に当選クジがでたことがある店は、派手な看板を掲げて大々的にPR。
そして、その看板の下には、厚着をした人々の長蛇の列。
お金は万能ではないけど、大きな力を持つのも事実。
この世には、お金で解決できる悩みが多すぎるため、一攫千金を夢見る庶民は1000万分の1の紙切れに人生の大逆転を懸けてみる。
同類の私にとっては、それは、微笑ましいような、また苦笑いがでるような光景だった。

列に並ぶ人達の気持ちはよくわかる。
私だって、お金は大好き。
楽して手に入れられるものなら手に入れたい。
しかし、稼金の王道は労働・・・働くしかない、一生懸命に。
“楽して稼ぎたい”という欲望を消すことはできないけど、労働意欲も失わないでいたい。
働かずして得る富は楽しいものだけど、働いて得る富は喜ばしいもの、そして尊いものだから。



出向いた現場は、公営団地の一室。
建物はかなり古く、近年、大規模修繕がされた様子もなし。
公営住宅は定期的に修繕がなされるのだが、それがされていないということは、その建物に“取り壊し・建て替え”の計画があるケースが考えられる。
となると、役所は、住人が退去した後に新たな入居者を入れたりはしない。
つまり、空室が多くなる。
同時に、建物や他住人に対して使う神経も少なくて済み、作業もやりやすくなる。
空室の有無や数は、建物全体をベランダ側から眺めたり、集合ポストを見たりすれば一目瞭然。
私は、約束の時刻まで時間があったので、その辺のところを確認するべく、建物の周囲をブラリと歩いた。

案の定、建物には多くの空室があった。
建物をベランダ側から眺めると、カーテンのないガランとした部屋がいくつもあり、1Fの集合ポストエリアには、テープで口をふさがれたポストがたくさんあった。
あとは、住人が一人もいなくなるのを待つのみ・・・
建築物としての“死”を待つばかりの老朽建物が醸し出すもの悲しさは、そこに暮す人々の人生と重なって、私に、時の移ろいの寂しさと切なさを感じさせた。


約束の時刻の少し前、依頼者の男性は、私が待つ玄関の前に姿を現した。
その玄関前には例の異臭が漏洩。
それが共用廊下に漂っており、何とも不快な状況をつくりだしていた。
「かなりニオイますねぇ・・・」
「そうですね・・・」
我々は、そんな言葉を交わし、それを初対面の挨拶とした。
ただ、幸いなことに、両隣は空室で、同じ階に住む住人もまばら。
苦情がきても不自然ではない状況でありながら、どこからも苦情はきていなかった。

玄関を開けると、異臭濃度は急上昇。
それでも、私に気を使ってだろう、男性は私と一緒に部屋に入ろうとした。
が、男性にとって、それは相当に酷なことのはず。
だから、私は、
「私は慣れていますから・・・」
「服にニオイもつきますし・・・」
と、一人で入ることを示唆。
すると、男性は、
「申し訳ありません・・・」
「正直・・・見たくないもので・・・」
と、申し訳なさそうに、私に頭を下げた。


亡くなったのは70代の男性。
依頼者の男性はその息子。
ただ、故人と妻(男性の母親)とは、もう何年も前に離婚。
以降、関係は疎遠になり、特段の要がない限り連絡を取り合うようなこともなかった。

故人と家族の別離の原因は、金銭問題。
故人は、真面目な職業人であったのだが、大のギャンブル好き。
家族に隠れて借金をしてまでギャンブルをするような人だった。
そんな生き方が明るく想像できないのは私だけではないだろう・・・
結局、それが祟って、家庭は崩壊。
以来、故人は、この部屋で一人暮しをしていたのだった。

定年で職を辞した後、故人は年金生活となったのだが、それでもギャンブルをやめず。
生活費を切り詰めてでも、ギャンブルにつぎ込んでいたよう。
そんな故人の生活ぶりを表すかのように、部屋は荒れ放題。
水回りはカビだらけ、床はゴミだらけ、この件(遺体腐乱)を除外したとしても相当に汚損。
また、部屋には、多くの公営ギャンブルのグッズや購入券をはじめ、消費者金融の明細書等も目障りなくらい散乱していた。

社会や人に迷惑をかけることなく、自分が責任をとれる範囲内でギャンブルを楽しむのは悪いことではないと思う。
けど、家族に迷惑をかけたり、借金を返さなかったりするのはよくない。
ただ、私には到底 理解できないけど、世の中には、借金をしてまでギャンブルをする人がいるのも事実らしい。
これは、薬物のような、一種の中毒みたいものなのだろうけど、どう考えてもマトモなこととは思えない。

「これまで、家が一軒建つくらいスッたんじゃないでしょうか・・・」
「それがなきゃ、いい父親だったんですけどね・・・」
男性は、諦め顔でそう言った。
そして、
「それでも、本人は好きなように生きたんでしょうから・・・」
「家族は迷惑しましたけどね・・・」
と、苦い過去は全て水に流して、良い父親だった故人だけを残そうとするかのように、薄い笑みを浮かべた。



「人生はギャンブルみたいなもの」
そう思える局面は多いし、そう考える人も多いだろう。
確かに、人は、日々、小さな選択 大きな選択を繰り返し、そして何かに懸けて生きている。
それが、吉とでるか凶とでるかわかならい中で。
しかし、ギャンブルとは少し違う。
人生は、ギャンブルとは違い、勝ち負けがハッキリ区別できない。
また、仮に負けたと判断したとしても、ゼロにはならない。
一生懸命やったこと、頑張ったこと・・・それらは“ゼロ”ではない。
目当ての“勝ち(価値)”がもたらされなくても、何かが残る。
それは、違うときに活き、違うかたちの“勝ち(価値)”を残す。

「自分に懸けてみる」
そう言えばカッコはいいけど、この俺(自分)は人生を懸けるに値する者かどうか・・・自信はない。
しかし、自分の人生を他人に懸けることはできない。
他に懸ける者はいない・・・誰にも懸けないで終わるか、自分に懸けて生きるか、どちらかしかない。
どうせなら・・・一度きりの人生なら、自分に懸けてみたいような気がする。
自分に懸けて“ゼロ”はないのだから。
せっかく、自分として生まれ、自分として生かされているのだから。

“自分に懸ける”とは、大きな夢や高い目標を持つことばかりではない(もちろん、それらを持てたほうがいいけど)。
自信の持てる自分をなろうとすることでもなければ、誇れる自分になろうとすることでもない(もちろん、そんな自分になれたほうがいいけど)。
夢や目標が持てなくても、自信がなくても誇れなくても、まずは、目の前の役割に誠実に取り組み、日常の使命を頑張ることが大切。
休肝日を守り、ウォーキングを心がけ、汚仕事へ いの一番に走り、駄欲を遠避け・・・
笑えるくらい些細なことをコツコツと着実にこなすことで、見えてくるものがあり、作られてくるものがある。
そして、それらは配当となって、人生の各所にもたらされるのだと思う。


ケチで小心者の私は、ギャンブルには向かない。
神経質で臆病者の私は、ギャンブルには向かない。
しかし、人生の終盤にさしかかり、ようやく、私は「自分に懸けてみようかな」と思えるようになってきている。
浮き沈みのある気分の中で、ときには恐れや躊躇いも覚えるけど、自分に期待しつつ、自分なりの力量で、日々の時間=人生を懸けてみようと思っているのである。


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万歳!

2016-12-07 07:28:05 | 腐乱死体
二ヶ月近く中断していたウォーキングを再開したことは、前記事で書いた通り。
寒中の外歩きは なかなか面倒なことではあるけど、どちらかと言うと、歩かない方がストレスになるような気がしている。
だから、“歩きすぎ”と左股関節の具合に注意しながら、また、日によっては休みながら続けていこうと思っている。

私のウォーキングコースは、主に二つある。
一つは会社の近くで、もう一つは自宅の近く。
早朝や夜間に歩くのは大変なので、回数的には、会社近くのコースを歩くことが圧倒的に多い。
時間帯を同じくすると、何人か同じ面々と重なる。
多いのは、高齢者。
時間があり、かつ健康が気になる年代だ。
あとは、犬の散歩で歩く奥さん方。
夕方、早い時刻だと、部活のトレーニングで走る高校生もいる。
その他、何かのトレーニングなのだろう、ハイスピードで駆けていく若者もいる。
筋力もなく、関節も痛め、心臓も弱く、とても走ることなんかできない私は、その若々しい姿を、羨ましく、また懐かしく思いながら眺めている。

今年の初めの頃だったか、会社近くのウォーキングコース近くで、私等 下々の者には縁のない利権がからんでいると思われても仕方がないような ある設備を設置する大規模な工事が始まった。
そして、現場周辺に何箇所かある工事車両通過ポイントにガードマンが立つようになった。
その中の一人に、60代後半くらいの男性ガードマンがいた。
男性の名は“Fさん”、胸元の名札に表示されていた。
毎日のように歩いていると、お互いに顔をおぼえ、そのうち挨拶を交わすようになり、次第に一言二言と言葉を交わすようになった。
そして、日が進むと、2~3分の立ち話をするように。
工事のことや天気のこと、たいして意味のない会話だけど、顔を合わせる度に何かしらの話をするようになった。
そうして、春・夏と季節は過ぎていき、仲秋になって、私はウォーキングを中断した。

そして、最近、二ヶ月近くぶりにウォーキングを再開。
再開初日、コースを進んでいくと、変わらず警備の仕事をするF氏の姿が遠くに見えはじめた。
更に進んでいくと、F氏も私に気づいて、
「最近、目が悪くなっちゃって・・・どっかで見たことある人なんだけど・・・誰だっけ?」
と、久しぶりに姿を現した私を、目をこすりながら冗談でイジり、
「久しぶりじゃないのよぉ! 何かあったのかと思って心配してたんだよ!」
と、笑って迎えてくれた。
「いや~・・・ちょっと・・・また股関節の調子が悪くなっちゃって、歩くの しばらく控えてたんですよぉ・・・」
と、私も笑いながらペコペコし、
「でも、最近、少しよくなったんで、ぼちぼち再開しようと思って・・・」
と、その場で高く腕を振り、軽快に足踏みをしてみせた。

積もる話があるような ないような妙な間柄だけど、とりあえず、股関節の具合を説明したり、工事の進捗具合を聞いたり、11月24日の雪が大変だったことを話したり、しばし、とりとめのない話をして後、
「じゃ、また近いうちに!」
と、私はF氏に浅く敬礼。
一方のF氏は、万歳をするように両腕を上げ、
「がんばって!」
と、再び歩き始めた私を見送ってくれた。

私は、F氏の正確な年齢や家族構成、この仕事に就くに至った動機や経緯などは一切知らない。
ただ、工事現場のガードマンって、決して楽な仕事ではないはず。
しかも、F氏は身体も小柄で若くもない。
夏の暑さや冬の寒さは、相当、身体に堪えるはず。
それでも、生活のため・・・生きるために頑張っている。
この工事は来春まで続くらしいから、F氏は、まだしばらくそこで頑張るのだろう。
そして、これからも、F氏と顔を合わせることは何度かあるだろう。
私は、“社交辞令かもしれない”とはいえ、自分のことを気にかけてくれる人がいることを、とても嬉しく思うと同時に、F氏が頑張って働く姿を励みにもしているのである。


腐乱死体現場の検分依頼が入った。
依頼者は、地元の不動産会社の社長。
悪く言えば「無神経」、良く言えば「腹蔵ない」、そんなニオイのする人物だった。

「店番する者が他にいないから、鍵を取りに来て」
とのこと。
現地に鍵を持ってきてもらうケースが多い私は、“面倒臭いなぁ・・・”と思いつつも、
「はい!承知しました!」
と、商売返事をして、不動産会社の住所を訊いた。

出向いた不動産会社は、小さな商店街の中にある、これまた小さな店舗。
造りも古く、店頭に掲げられている宅地建物取引業の免許更新番号も大きく(古く)、業歴が長いことがうかがえた。

狭い店に入ると、老年の男性が一人。
この人物が、依頼者である社長。
私は、客用なのかスタッフ用なのか判断つかない古い椅子に座らされ、一通りの話を聞かされた。


現場は、社長の会社が所有し賃貸しているアパートで、かなりの老朽建物。
ガタガタの木造二階建、風呂はなくトイレも共同。
部屋は四畳半で、押入とモノ凄く小さな流し台がついているだけの簡素な造りだった。

そこで、部屋の住人が、ひっそりと亡くなった。
そして、その肉体は、長い時間をかけて溶解。
発見されたときは、ほとんど原形をとどめていなかった。

狭い室内は、ゴミだらけ。
床なんて、まったく見えておらず。
壁際や隅の方にいたっては、ゴミがパズルのように結構な高さに積み上がっていた。

遺体痕は、部屋の中央、ゴミが一番低い部分に残留。
その部分だけは、使用済みの機械油をぶちまけたように変色・変質。
更には、そこを住処にするウジ達が、我が物顔(どこが顔だかわからないけど・・・)で、這いまわっていた。

当然、部屋には悪臭が充満。
しかも、恐ろしく濃厚。
干渉し合わないのがアパート生活の暗黙のルールとはいえ、これで他住人が気づかなかったことを不思議に思った。


一通りの検分を終えた私は、鍵を返すため、再び不動産会社へ。
身についた悪臭をにわかに漂わせつつ、そのことを先に断ってから店の中に入った。
そして、室内の状況を説明しつつ、必要な作業と費用を2~3パターン提示した。

部屋は、一度、社長も見ており、大方の状況は把握していた。
しかし、“気持ち悪い”やら“クサイ”やらで、室内には一歩も足を踏み入れることはできず。
何をどうすればいいのか、何からどう手をつければいいのか、見当もつかないようだった。

私の提案を聞いた社長は、
「次、人に貸す予定はないから、最低限の仕事でいいんだけど・・・」
「おたくだって、こんな大変なことやらされて儲からないんじゃ、やってらんないだろうしねぇ・・・」
と、配慮をみせてくれ、私の要望も寛容に受け入れてくれた。

「仕事とはいえ、大変だねぇ!・・・」
「俺も、仕事で散々苦労してきたクチだけど・・・」
私の身体から漂い出る“ニオイ”に苦笑いしながら、社長はそう言った。
そして、
「こっちから頼んどいて こんなこと言っちゃ悪いけど、“なんで、そんな仕事やってんのかな”って思っちゃうよ・・・」
「その金額じゃ、そんなに儲かるとは思えないしねぇ・・・」
と、溜息まじりの呆れ顔でそう言った。

これは、多くの人が抱く、率直な疑問だと思う。
これまで、似たようなことを訊かれたことは数知れず。
きれいな言葉を使って遠まわしに探られるよりは、よっぽど気分が悪くない。
だから、この時も、「まったく」と言っていいほど気分は害さなかった。

私は、
「詳しく話すと長くなりますから・・・」
と前置きしたうえで、この仕事に就いた動機や経緯、そして、続けている理由をできるだけ簡略に伝えようと試みた。
が、要点があまりに多すぎて、たいして話を短くすることはできず。
それでも、社長は、真正面からジーッと私の目を見つめ、最後まで黙って私の話を聞いてくれた。

一応の話が済んだところで、私は、引き上げることに。
私が席を立つと、社長も席を立ち、手振りで私を制止。
そして、
「いい話を聞かせてもらったから、これは、その御礼だ」
と言ったかと思うと、
「○○君(私のフルネーム)の前途を祝して、万歳!万歳!万歳!」
と、大きな声で万歳三唱。
そして、
「これからも頑張んなよ!」
と、豪快な笑顔で励ましてくれた。

私は、社長の思いがけない行動に、ちょっとビックリ。
そして、しばし唖然。
しかし、そのうちに、胸の内に熱い喜びがジ~ンと込み上げてきた。
そして、目の前の問題や人生の不安が解決したわけでもないのに、晴々とした気分が身を覆い、また、“元気に頑張ろう!”と自分に思わせる力が身体の芯から漲ってきたのだった。


もう何年も前の話になるけど、あの時の万歳三唱は、今でも、思い出すと笑みがこぼれる。
誰かに気にかけてもらえたこと、励ましてもらったことは、とても嬉しいことだから。
また、社長がそれを知ったうえで声を張ってくれたのかどうかわからないけど、「万歳」という言葉には“生きろ”という意味もあるらしい。
それ思うと、一時的な喜びを超越した、自分に対する責任感のようなものが湧いてくる。

このブログにだって、同じようなことが言える。
その根底には、「生きろ」というメッセージが流れている。
もちろん、特定の誰かを意識して書いているものではないけど(あえて言うと“自分”だけど)、それでも、読んでくれる誰かのことを気にしながら書いているのも事実であり、読んでくれる誰かのことを励ましたいと思いながら書いているのも事実。
そしてまた、読んでくれる人の存在と、また、何の応答もしないのに、わざわざ書いてもらえるコメントに、私も、大いに励まされている。

共に笑い、共に泣き、
共に考え、共に悩み、
共に生き、共に生かされ、
自分の人生のひと時、誰かの人生のひと時、この小さなブログが、その舞台になるとするなら、それは、私にとって万々歳!なことなのである。


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特別な日

2016-12-01 07:25:14 | 遺品整理
このところの私、色々と弱っているため体調を崩したネタが多い。
体調が悪くても頑張っていることを自慢しているみたい?だけど、無論、そんなつもりはなくない。
それはさておき、今度は風邪をひいてしまった話。
この前の日曜から喉が少し痛み始め、次第にその痛みはヒドくなっていき、翌月曜の夜になると唾を飲み込むのも躊躇われるほどのツラい痛みに。
そんな具合だから、夜中もしょっちゅう目が醒める。
おまけに、汗をかくくらいの熱がでてしまい、熱いやら寒気がするやら。
ただでさえ目眩でヨロヨロしてるのに、更に、倦怠感まで加わって、結構 大変。
それでも、体調不良にかこつけて、むやみやたらにゴロゴロ・ダラダラするのは、逆に、心身によくないから、“よく食べ よく動き よく寝る”の生活を心がけている。

何はともあれ、今日から12月、何かと慌ただしくなる師走に突入。
桜や新緑を愛でたのは、ついこの前のような気がするのに、もう冬。
それまでは寒暖を繰り返していた気温も、下降の一途をたどりはじめたよう。
先月24日、季節はずれの雪が降った日を境に、寒さも厳しくなってきているように感じる。

夏の暑さも堪えるけど、冬の寒さも相当に堪える。
現場作業は冬のほうが楽だけど、冬場は気分まで冷えてきて苦悩する。
そういって不満を覚えながらも春夏秋冬を愛でたがるこのワガママ人間は、結構なエコイスト(≒ドケチ)でもあり、寒くなっても暖房は最低限。
今年も、バームクーヘン調ファッションで寒さを凌(しの)ごうと思っている。

重ね着もそうだけど、寒さを吹き飛ばすには、積極的に身体を動かすことも有効。
そうすれば、始めは寒くても、じきに温かくなる。
現場仕事となると、真冬でも汗をかくことがある。
また、現場作業だけでなく、ちょっとした運動でも身体は温まる。
私にとっての運動はウォーキングだけど、股関節痛と仕事の都合で、ここ二ヶ月弱の間、それまで日課にしていたウォーキングを中断していた。
しかし、最近、股関節痛も和らいだし(代わりに目眩を発症してしまったけど・・・)、仕事にも余裕がでてきたので、目眩による多少のフラつきをともないながらも、徐々に再開している。
やはり、適度に身体を動かすのは、身体的健康だけではなく精神衛生上もいいことのように思えるから、身体と時間がゆるすかぎり日課としていきたい。

日課といえは、最近、新しい日課ができた。
それは、朝の独り言。
“朝の独り言”だなんて、根クラで変態的な感じがするけど、詳細は以下。

人の死に日常的に接している私は、時間の有限性や希少性を痛感している。
事故、事件、災害、急病・・・
亡くなった人や悲哀に苦しむ遺族に対して無神経な言い方かもしれないけど、人間ってものが呆気なく死んでしまう場面は少なくない。
最も多いのは闘病の末に亡くなる人なのだろうけど、そうでない人も意外と多い。
そう・・・“死”というものは、いつ どんなかたちで現れるかわからない。
また、いつ どんなかたちで現れてもおかしくない。
“必然”は“生”ではなく“死”。
にも関わらず、当り前のような気分で生きている(生かされている)。
その辺のギャップが、人(自分)を滑稽に映し、また、人間らしく映している。
そして、その辺りの見識を活かした生き方ができないため、苦悩している。
そこで、それを少しでも解決するために思いついたのがコレなのである。

朝の起床時や出勤時などに
「2016年12月1日、一度きりの今日 二度とない今日は、俺にとって 俺の人生にとって特別な日! 大切に過ごさなきゃ!」
と、口にするようにしている。
小声で一度つぶやくだけだけど、心で思うだけではなく声をだして言うようにしているのだ。

何のためか。
今日一日を頑張るため、今日一日を充実させるため、今日一日を無駄にしないため、
自分を励ますため、自分を鍛えるため、自分を喜ばせるため、
・・・意味や目的は色々ある。

どうでもいいような些細なことだけど、実際、このセリフを口にするだけで、ちょっと気分が変わる。
憂鬱な気分に支配されることが多い私にとっては、これがちょっとした妙薬になる。
ドシャ降り雨の気分が いきなり快晴に変わるような劇的な変化はないけど、曇空に薄日が差すくらいの好転はみられる。
また、時間に対する意識と、その使い方が少し変わってくる。
そして、それが、うつむきがちな顔を上げ、止まりがちな足を進める。
働くうえでも、休むうえでも、学ぶうえでも、遊ぶうえでも、これを意識して、とにかく、ただの“ひまつぶし”で時間を浪費しないための自律訓にしているのである。



遺品処理の依頼が入った。
現場は、郊外の閑静な住宅地にある、やや古い一戸建。
故人は、その家の主で、行年は初老。
残されたのは、その妻で、夫と同じ年代。
傷心を癒すために遺品を片付けないでおいたのだが、夫の死からしばらくの時が経つうち、自分の先々にとってそれはプラスにならないような気がし始めて、思い切って片付けることを決意したのだった。

女性の夫(故人)は、とある企業で、長くサラリーマンをしていた。
仕事人間で、もともと健康志向は薄く、酒を飲みタバコも吸い、運動らしい運動もせず、食生活も自分の好みに従った食事が中心だった。
60歳で定年退職すると、不摂生生活は更に加速。
生活の足しにするためアルバイトを始めたが、それでも、サラリーマン時代に比べると時間は有り余った。
時間を持て余す日々が続き、タバコや酒の量は増え、おまけに食事や間食の量まで増えていった。

そんな夫を女性(妻)は心配した。
が、夫は、そのまま不摂生な生活スタイルに陥ることはなかった。
生活習慣病による同年代の友人の壮絶な闘病生活とその後の寂しい死を目の当たりにし、自分の老後の生活や健康寿命が急に気にし始めた。
そして、それまでの欲に任せた生活スタイルや嗜好を見直し、改善すべきところは改善するべくチャレンジすることにしたのだった。

まず始めた着手したのは、タバコと酒の減量。
長年に渡って嗜好し続けたタバコや酒を急にやめるのが不可能なことくらいは、自分でもわかっていた。
だから、ストレスとのバランスをとりながら、徐々に減らすことに。
収入が減ったことに対する家計節約も一助にしながら、少しずつ減らしていった。
また、多めだった体重を適正値に減らすべく、ダイエットも実施。
そのため、それまではまったく縁がなかった運動・・・ウォーキングをするように。
食事にも気をつかい、肉中心だった食生活も野菜穀類中心に切り替え、更に、腹八分を心がけた。

はじめは、少し辛そうにしていた夫だったが、しばらくすると、逆に健康管理を楽しむように。
いそいそとウォーキングに出かけるようになり、以前なら車を使っていたような距離でも、わざわざ歩いて出かけるように。
また、それまでは興味を示さなかった地域のイベントにも積極的に参加。
家にいるときも、ゴロゴロ・ダラダラするのをやめ、家事を積極的に手伝うようになった。
女性には、そんな夫の時間が充実しているように見え、またその性格も、以前より明るく温和になったように思えた。

そんな具合に、“血の滲むような努力”というほどではなかったものの、余生を家族に迷惑かけることなく健康に快適に過ごすため、故人なりに努力していたのだった。


朝、夫は、女性より先に起きるのが日常だった。
そして、極端に寒い日や悪天候の日でなければ、早朝からウォーキングに出かけていた。
その日の朝も、夫はいつもの時刻に起き出していった。
女性も、いつも通り布団に横になったまま「いってらっしゃい・・・気をつけて」と、寝室を出ていく夫に声をかけた。
ただ、いつもなら、すぐに玄関を出て行く音が聞えてくるのに、その日は、その音が聞えてこない。
女性は、少し変に思ったけど、たいして気にすることもなく、自分の起床時刻がくるまで布団の温かさに身体を委ねた。

起床時刻になり、いつも通り起きだした女性は、いつも通り着替えて、いつも通り洗面。
そして、朝食の支度にとりかかるべく、いつも通り台所に向かった。
すると、その視界に夫の姿が入ってきた
夫は、ウォーキングには出かけず、食卓の椅子に座っていた。
寒い中 暖房もつけずに。

変に思った女性は、すぐに声をかけたが、返答はなし・・・
夫は、グッタリと首を下げたまま動かない・・・
女性は、“居眠りでもしている?”と思いながらも、日常では見たことがない姿なので心配になり、すぐさま駆け寄った。
すると・・・
夫は息をしておらず・・・
耳元で大きく声を発しても、身体をゆすっても反応はなし・・・
すぐに救急車を呼んだが、時すでに遅し・・・
必死の救命処置にもかかわらず、夫の蘇生はかなわず・・・
穏やかな老後を過ごすつもりでいたのに、人生の終わりは、突然やってきたのだった。

死因は、高血圧の中高齢者がなりやすい急性の血管系疾患。
事前の兆候はほとんどないうえ、発症した場合の致死率は高く、危険な病気。
それまでの故人は、大病を患ったことはなかったが、気づかないところで色んなところが傷んでいたのかもしれなかった。


「健康には、かなり気を使っていたのに・・・」
「何のために我慢してきたのか・・・ 何のために頑張ってきたのか・・・」
「こんなことになるんだったら、好きなようにしてればよかったのかも・・・」
女性は、そう嘆き悲しんだ。
対する私の胸内には、
“そんなことはない・・・故人なりに頑張って生き、その時間は充実していたはず”
との思いが湧いてきた。
が、そこには、そんなセリフで女性を慰められるほど やわらかい空気は流れておらず。
私は、故人の晩年に賛同の意を持ちつつも、女性の話を、ただただ黙って聞くことしかできなかった。


世の中、“結果がすべて”みたいな価値観や風潮は蔓延しているけど、そんなことはない。
もちろん、直接的な結果や成果は大きな意味がある。
しかし、努力した事実、辛抱した事実 チャレンジした事実が無意味なわけではない。
間接的な結果や成果もたくさんある。
大切なのは時間の使い方、無意味なのは時間の無駄遣い。
いちいちそんなことを深刻に考えながら生きるのは窮屈かもしれないけど、少なくとも“ひまつぶし”のような生き方をするほどの退屈さはない。

死は、誰にもやってくる。
死は、どうしたって避けることはできない。
結局、みんな死んでしまう。
だからといって、“どうせ死ぬんだから、生きても無駄”なんてことはない。
それは、“どうせ腹は減るんだから、食べても無駄”と悲観するのと同じこと。
食べ物があること、食べられること、美味しいこと、腹が満たされることは幸せなこと。
同じように、生まれてきたこと、生きること、生きていること・・・生きるプロセス(時間)に意味(楽しさ)があるのだ。
だから、そのプロセスを無駄にするのはもったいない・・・無駄にしちゃいけないと思う。


2016年12月1日。
一度きりの今日 二度とない今日は、誰にとっても 誰の人生にとっても特別な日!
大切に過ごさなきゃ!  ・・・ね。


公開コメント版

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Photograph

2016-11-25 07:31:10 | 特殊清掃
寒暖の差に振り回されつつ、早、11月も下旬。
今年も、残すところ一ヵ月余り。
昨日と打って変わって、今朝の東京は、気持ちのいい快晴。
しかし、その爽快感をよそに、私は、相変わらず、目眩(めまい)と付き合っている。

この目眩、発症してから三週間経つけど、治る気配はない。
前ブログを書いた前後、二日くらいは治まっていたのだけど、三日目の作業中に再発。
「治った?」と期待したところだっただけに、治っていないことが判明して少し元気をなくしてしまった。
ただ、発症当初のように、天井がグルグル回るようなことや、視界がハイスピードでスライドしていくような深刻な症状はなくなった。
更に、フラつくことに身体も慣れてしまって、結構、うまく操ることができるようになっている。
だから、今は、他に注意しなければならないこともたくさんあるし、目眩は気にしないようにして生活している。

昨日の雪も、目眩を忘れさせてくれた。
それどころか、季節はずれの雪に、私は、ちょっとテンションを上げた。
“雪”というものに、特別な想いがあるわけではないのだが、11月に雪が降るのが珍しくて、何だか新鮮な感覚をおぼえた。
晩秋の街に深々と降り続く雪を見ながら、
「“儚さにこそ輝く風情”ってあるよなぁ・・・」
「道路に積もると困るけど、しばらく降り続いてほしいなぁ・・・」
なんて思ったくらい。
そして、季節の情緒を撮ること多い私は、これもまた一つの想い出にするつもりで、この雪模様をスマホの写真におさめた。

そう言えば、この時代は、写真を撮るということが、随分と日常的になり手軽になった。
今は、スマホを持っていれば、気の向くまま、好きなように撮ることができる。
また、試し撮りもどんどんできるし、気に入らない写真もどんどん捨てられる。
しかし、昔は、写真を撮るにはカメラが必要だった。
しかも、フィルム枚数にも限りがあり、撮影は、特別な日・特別な場面に限られ、写り具合の良し悪しも一発勝負だった。
今思うと、そんな昔が滑稽に感じられる。

私は、自撮り棒を持つほどの写真好きではないけど、どこかに出掛けたときとかは記念に写真を撮ってもらうことがある。
そして、写真の自分を見て思うことがある。
写真の自分は、普段、鏡で見る自分とは、また違う感じ。
ハッキリ言うと、写真の自分は、鏡の自分より老けて見える。
もちろん、この歳になって若いつもりはないけど、写真の自分の老け具合は、その覚悟を越えてしまっている。
「俺って、こんなんなっちゃってるんだ(こんな酷い有様なんだ)・・・」
と、自分だけが一人で歳をとっていくような寂しさ覚えて、ちょっとしたショックを受けてしまう。
だからといって、歳に似合わない若作りをしたってイタイばかり。
写真に写る老顔は事実として素直に受け入れ、それよりも面構え(つらがまえ)を気にするほうに気持ちを切り替えて生きたいと思っている。



郊外の分譲マンションで一人暮らしをしていた老齢男性が亡くなった。
お互い干渉せず、一定の距離をあけた社交辞令的な付き合いをするのが、マンション生活のマナーなのか、近所付き合いもなく、同じマンションに親しい人もおらず。
また、故人は高齢で無職、介護・家事援助サービス等も利用しておらず。
そんな暮らしぶりで、発見がかなり遅れたのだった。

依頼者は、故人の兄。
妻子のない故人にとって、最も近い血縁者。
故人も高齢であり、当然、依頼者(以降、男性)も高齢で、八十を迎えようとしていた。
しかし、男性は、足腰も丈夫で話の受け応えもしっかりしていた。
そして、「血の遠い親族に迷惑は掛けられない」と、率先して事の後始末にあたっていた。

遺体痕は、玄関を入って左側の寝室、ベッドではなくドア付近の床にあった。
視界を和らげるためか、靴が汚れないようにするためか、警察が掛けたのだろう、そこはシーツで覆われていた。
しかし、大量の腐敗液を薄いシーツで隠しおおせるわけはない。
そのシーツ自体も腐敗液を吸いきれず、ほぼ全部が赤黒色の腐敗液に染まった上、濡湿してベトベトになっていた。

そんな状況だから、室内には著しい悪臭が充満。
それは、鍛えられた私の鼻を生々しく突いた後、更に腹までえぐってきた。
また、ウジ・ハエも大量発生。
ただ、その峠は越えており、ほとんどは死骸となって部屋のあちこちに転がり、無数の黒い点になっていた。

汚れたシーツの下からでてきた遺体汚染はミドル級よりもやや重いものだったが、私にすれば見慣れた汚れ。
しかも、ベッドの脚やタンスの下に絡んではいたものの、大半は平な床面に付着。
汚腐呂や汚便所に比べれば、その作業は格段に楽。
腐乱死体痕を見てホッとする自分を妙に思いながら、私は、作業の段取りを頭で組み立てた。

部屋中の建材や家財に浸透付着した悪臭を除去するのは一朝一夕にはいかないけど、腐敗液や腐敗粘度を除去するだけなら、そんなに長い時間は必要ない。
私は、
「フローリングにシミが残る可能性が高いですが、一~二時間もらえれば、ほぼきれいにできると思います」
と説明。
すると、男性は、
「是非、お願いします! このままだと気持ちも落ち着かないので・・・」
「ちょっと持って帰りたいものがあるので、作業の間、私は他の部屋でそれを探しますから」
と、即座に返答。
それを聞いた私の頭には、
“こんなにクサイ中で探し物をするなんて・・・よっぽどの御宝でもあるのかな・・・”
と下衆な考えが浮かんできた。
けど、そんなこと作業には関係ない。
とにもかくにも、話はまとまったわけで、私は、早速、準備を整え、作業に取り掛かった。
そして、我ながら感心するくらいスマートに、遺体痕を消していった。

男性には、どうしても探し出したいモノがあった。
それは、写真。
私が考えていたような金品や貴重品類ではなく、古い一冊のアルバム。
昔の思い出がたくさん詰まったもので、男性にとって大切なモノのようだった。

「しまってありそうなところは見たんですけど、見つからなくて・・・」
「確かに、弟(故人)が持っていたはずなんですが・・・」
「弟にとって大切なものですし、どこかにしまってあるはずなんです」
と、男性は、困惑した表情に寂しげな雰囲気を漂わせながら、そう言った。
「家財を片付ける中で見つかる可能性はあると思いますけど・・・」
「申し訳ないのですが、見つけ出すことを約束することはできません・・・」
「ただ、“見つけ出す努力はする!”ということはお約束できます!」
と、私は、後々のトラブル回避を担保しつつ、できるかぎりの誠意をみせた。

その数日後、家財を片付ける過程でアルバムは見つかった。
それは、問題の部屋に置いてあったベッドの枕元にある小さな引き出しに収まっていた。
かなりの年季が入ったもので、片手で持てるほどの小さなサイズ、ページ数が多くて分厚いもの。
そして、その中にはたくさんの白黒写真が貼ってあった。
私は、それが見つかってすぐにそのことを男性に電話し、現地にやってきた男性に手渡した。

「これ!これ!これを探してたんですよ!」
「どこにありました!?」
「実は、諦めかけてたんですよ・・・」
「よく見つけてくれました!ありがとうございます!」
「いや~・・・ホントに嬉しいなぁ!」
男性は、かなりのハイテンションで喜び、何度も何度も礼を言ってくれた。
一方の私の、男性がそこまで喜ぶことは想定しておらず、少し戸惑いつつも、嬉しさがこみ上げてきた。

男性一家は、両親と男性と弟(故人)と妹の五人家族。
戦後、旧満州から一家で引き上げてきて父親の実家があった町に移り住んだ。
男性は、そのとき小学生。
戦中から戦後にかけて、何もかもが変わった国での新しい生活は、相応の苦労をともなうものだった。
特に、男性の両親をはじめとする大人達は苦労に苦労を重ね、辛酸を舐めるのも日常だった。
しかし、子供達は違っていた。
窮々とした世の中にあっても、悠々と過ごしていた。
貧しさも空腹もそっちのけで、楽しく闊歩していた。
そして、アルバムの写真には、そんな時代の家族や友達が写り、その情景は、白黒にもかかわらず色を感じさせるくらい鮮やかに甦っていた。

撮った経緯、場所、季節、時代、社会、写っている人物等々、男性は、アルバムのページを一枚一枚めくりながら、写真一枚一枚に詰まっている想い出を語ってくれた。
それから、男性は、
「大変な時代でしたけど、この頃は、とにかく元気でしたよ! そして、楽しかった!」
「先の短いじいさんだけど、この写真を見ると、まだまだ楽しく頑張れるような気がしてきますよ!」
と、晴々した表情で笑った。
そして、その精気を見た私は、アカの他人のことながら、長い時空を越えた人生の機微と妙味を懐かしみ、また、深い感慨とともに、自分がたどってきた道とたどっていくであろう道に想いを馳せながら、一度きりの人生(時間)が恐ろしいくらい貴重なものであることを、しみじみと噛みしめたのだった。



私にも、似たような憶えがある。
今は、身体的(健康)不安、経済的(仕事)不安、将来的(老齢生活)不安など、生きていくうえでの不安を多々抱えているけど、子供の頃はそんなものなかった。
育ったのは裕福な家ではなかったけど、身体の心配も、お金の心配も、将来の心配もなく、嫌なことと言えば、学校の授業や宿題、家の手伝いくらいで、多少の見栄はあり世間体も気にはしていたけど、屈託なく気楽・呑気に生きることができていた。
今と同じく臆病で神経質ではあったけど、感受性は豊かで小さな楽しみを大きな喜びに変えることができていた。

しかし、残念ながら、今はもう、アノ頃のような軽い身体や軟らかい感性は失ってしまっている。
人の温かさと世間の冷たさ、生きられる喜びと生活の厳しさ、人の成功と自分の失敗・・・
努力の夢と不確実さ、忍耐の期待と報われなさ、挑戦の果実とリスク・・・
・・・そんなものに志を託し、裏切り裏切られ、疲れ老い、身体は重くなり、感性は固くなってしまっている。
それでも、ここまで生きてきた・・・
こうして生きている・・・
そして、これからも生きられる限り生きる。

「アノ頃はよかったなぁ・・・」
と、過去を羨むのではなく、
「アノ頃は楽しかったなぁ・・・」
と、過去を喜び、今と未来の糧にしたい。
そしてまた、二度とない今日 一度きりの今日、未来の自分を励ますことができるようなPhotographを残したい。

そのために、私は、目の前のことを頑張れるだけ頑張りたい・・・
頑張れないことが多いのも現実だけど、それでも、頑張りたいという思いは持ち続けていたいと思っているのである。


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