特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

春爛漫

2016-04-07 09:07:26 | 特殊清掃
春本番。
ただ、今日の東京は、あいにくの雨天。
そして、終盤に入ってきた桜花も、今日でだいぶ散ってしまうだろうか。
それでも、低温のおかげで、咲いた状態が長く続いた。
だから、日々、あちこちの現場に走り回っている私も、多くの街に咲く桜を楽しむことができた。

咲き様、散り様が、日本の文化やそこで育まれた日本人の性質にマッチしているのだろうか、日本人はホントに桜が好き。
「狂ったように咲く様が気持ち悪い」と言う知人もいるけど、大半の人は、桜をみて心湧くものがあると思う。

私も、桜を愛でる気持ちは持っている。
「またこの季節が来たんだなぁ・・・」
と、時の移ろいのはやさをしみじみ感じながら、桜を見上げる。
そして、
「こうして春を過ごせるのも、あと何回かな・・・」
と、この命と人の世の儚さに切なさを覚える。

昨年は、夜桜見物に出かけたけど、今年は行かなかった。
気分を変えるために出かけてみようかとも思ったのだが、結局、行かず。
以前に書いたけど、どうにもクサクサした気分が抜けないのだ。

その反動か、この前、久しぶりに泥酔するまで飲んだ。
“家飲み派”の私が外で飲むことは滅多にないのだが、20年来の知人に誘われたため、「たまには・・・」と思って都心の酒場に出かけたのだ。

一件目は居酒屋。
まずはビールを一杯。
次に氷ぬきのハイボールを数杯。
この辺で、だんだんと酔いが回りはじめ、その後は、相手に付き合ってあまり好きじゃないワインをボトル飲み。
酔いが回っていく中で味なんかどうでもよくなり、ボトルが空くたびに追加。
そして、結構酔ったところで、一軒目は終わった。

しかし、酔うと気持ちが大きくなるのは小心者の典型パターン。
そんな私が、それで大人しく帰るわけはなく、「たまには羽をのばしてやろう!」という気持ちもどこかにあり、馴染みの街に電車で移動し飲みなおし。
ウイスキーの水割りを・・・もう何杯飲んだか憶えていないくらい好きなように飲み続け、更に、「どこでどう飲もうが俺の自由!」とばかり、気の向くままハシゴ酒。
結果、諭吉先生は愛想をつかして次々と出て行き、残ったのは英世先生たった一人。
ケチな私に似合わず散財し、“春乱漫”の頭を置いて懐は真冬に逆戻り。
深夜の一時頃、振る袖と体力がなくなったところで御開きとなり、ようやく帰途についたのだった(その数時間後、ヒドい二日酔で仕事に行ったのは言うまでもない)。



出向いた現場は、閑静な住宅地にある賃貸マンション。
間取りは、広めの2LDK
その分、家賃は高めで、住宅ローンを組んだほうが安く済むんじゃないかと思うような金額。
しかし、生前の故人は、「財産を残してやりたい人もいないから」と、あえて賃貸暮しを選択。
“家は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

亡くなったのは50代の男性。
独身の一人暮らし。
結婚歴もなく、一番近い親族は兄弟。
いい女(ひと)の一人や二人はいたのかもしれなかったけど、「家族に縛られるのはイヤ」と、持ち込まれる縁談も断り続け、結局、結婚せず。
“家族は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

職業は“物書き”。
どこで区別するのはよくわからないけど、「フリーライター」「コピーライター」「エッセイスト」とかいう類の仕事。
若い頃から、「好きな仕事をしたい」という志向が強かった故人。
一流大学を出たのに、大企業や役所等には目もくれずフリーランスの道へ。
“固い仕事に就いたほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

死因は病死。
寝室のベッドに横になり、そのまま死去。
死後経過日数は約一ヵ月。
皮膚は茶黒に変色し、顔も、すぐに本人確認できないほど変容。
ただ、季節は晩冬。
気温も低く乾燥した季節で暖房もついていなかったことが、事を小さく治めていた。

汚染痕は寝室にあり、ベッドマットに薄っすらと残る人型が、故人の最期の姿を映し出していた。
それは、リラックスして安眠している姿。
腐乱死体痕なんて、一見すると気味悪い光景ではあるけど、そこには、ありがちな寒々しさはなく、逆に、まだ故人の体温が残っているような気さえするほどだった。

そこから感じ取れたのは、“故人は最期に苦しまなかった” “眠るように、穏やかに逝った”ということ。
もちろん、真偽は定かではないけど、最期に苦しんだかどうかは遺体痕から観ることもできる。
不自然な姿勢だったり、身体を曲げた状態だったり、身体の一部をベッドからハミ出させた状態だったりすると、苦しんだ様が読み取れるのだ。

具合が悪くなったとき、119番くらいできたかもしれないのに、それはしなかったよう。
時間的な寿命より健康寿命を重んじ・・・最期まで好きなように生きようとしたのか。
ベッドに横たわり、朦朧(もうろう)としていく意識の中で、故人は最期を覚悟したかもしれなかった。

どういった想いが頭を廻っただろうか・・・
寂しさや虚しさではなく、好きなように生きたこと、好きなように生きてこられたことへの感謝の気持ちや満足感に満たされて逝ったのではないか・・・
目の前の光景を一連の想像でソフトに受け止めた私は、何の確証もない勝手な推察であることは承知のうえで、ホッと安堵した。


部屋の各所には、故人の几帳面な性格が表れていた。
汚れがちな水廻りもきれいに掃除され、整理整頓もきちんとできていた。
また、キッチンには、男の一人暮らしとは思えないほどの調理器具や調味料が揃えられていた。
そして、缶ビール・缶チューハイ、そして、ウイスキーのボトルもたくさんあった。
銘柄こそ劣るけど、この“三点セット”と炭酸水は私の家にも常備してあるもので、似たような好みに、私は勝手に親近感をもった。

故人は、それなりの経済力を持っていた。
また、趣味も多かった。
酒の銘柄もそうだし、部屋に置いてあるモノからは、その余裕と嗜好をうかがい知ることができた。
もちろん、それは、単に、時勢が合っていただけでも運が良かっただけでもなく、仕事の能力が高かったことはもちろん、相応の努力・忍耐・挑戦、ストレス受容等の結果がもたらした実のはずだった。

人の世話になることと迷惑をかけることは違う。
我流を通すことと社会に反することは違う。
自制できないことを自由とは言わない。
そして、自分を厳しく律しないと自立した生き方を貫くことはできない。

保守的で臆病者の私は、自立して生き通したであろう故人に興味を覚えた。
そして、自分にない素質に触れてみたいとも思った。
もちろん、苦労したこともたくさんあっただろう。
それでも、できるかぎり、自分の思うがままに生きようとした姿に、私は惹かれるものがあった。


人生なんて、なかなか好きなようには生きられないもの。
多くの人が、大きな不自由の中で、小さな自由を選び取って生きている。
自分次第で、小さな自由が大きな自由になることを学びながら。

「逃避」「諦め」「保守」「弱腰」「ネガティブ思考」
私は、つまらないことを恐れ、無用なことを心配し、消極的選択でここまで生きてきた。
楽しく幸せに生きるための選択をしてきたつもりなのに、逆に、それが、それらを遠ざけてきたような気がする。
本質的な何かを考え違いしていた・・・考え違いしているのだろう・・・
そして、そんな自分に、しばしばうなだれる。

「挑戦」「冒険」「革新」「自信」「ポジティブ思考」
私は、失敗を恐れず、自分を信じ、積極的選択で生きることができる人が羨ましい。
そして、そんな生き方ができる人を尊敬する。
例え、それが、他人から“負け”に見えるような生き方でも。

「過ぎた時はどうあれ、残された人生に、小さくてもいいから、きれいな花を咲かせたいもんだな・・・・・」
散り逝く桜花を愛でながら、なかなか熱を帯びない心に春爛漫を描いている私である。


公開コメント版

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