特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

思い出

2015-09-10 08:52:31 | 特殊清掃 消臭消毒
8月後半から今日に至るまで、なんだか変な天気が続いている。
8月のうちは「このまま秋になるはずはない」「キツい残暑に襲われるはず」などと勝手に警戒していたけど、9月に入っても様子は変わらず。
酷暑・猛暑はどこへやら、曇天雨天が続き、まるで梅雨のよう・・・
・・・いや、梅雨時期よりも晴天が少ないくらい。
どうも、このまま秋が深まっていきそうな気配を感じる。
涼しくて過ごしやすいのはいいのだが、災害や農産物のことを考えると、やはり季節にあった陽はほしいと思う。

毎年、秋になると、“もの悲しさ”“もの淋しさ”を感じる人は多いみたい。
私にも少しはその気持ちがわかるが、どちらかというと私の場合は安堵感のほうが強い。
酷暑の重労働を乗り切った安堵感と、涼しくなっていくことへの安堵感だ。
ただ、安堵ばかりもしていられない。
私には恒例の?冬期欝が待っているからだ。
もちろん、今年、それに襲われるかどうかはまだわからないけど、考えると不安が過ぎる。
とにかく、つまらないことを考えないように努める必要がある。

幸か不幸か、昨季はチビ犬の死がそれを吹き飛ばした。
チビ犬との死別は、私にとって、かなりショックな出来事だったが、あれから明日で10ヶ月・・・
大袈裟でもなんでもなく、チビ犬のことを思い出さない日はない。
さすがに涙することはなくなったが、「あんなこともあった」「こんなこともあった」と、色々なことを思い出し、「楽しかったなぁ・・・」「可愛かったなぁ・・・」と微笑むことが日課みたいになっている。
死んだ直後は、どうしようもない寂しさと、怒りにも似た悲しみに苛まれていたけど、もうそれもおさまった。
このところは、どうしてだか自分でもわからないけど、チビ犬を思い出す度に何かに励まされるような気がして「頑張んなきゃな!」という思いが起こされ、自分に小さな気合を入れることができている。



特掃の依頼が入った。
依頼者はアパートの大家で、住人が孤独死したよう。
そして、異臭が外部に漏れ出し、近隣から苦情が入っている模様。
私は、依頼の現場を優先して予定を変更。
かかっていた作業をテキパキと片付け現場に急行した。

到着した現場は、ゴミゴミとした住宅地に建つ古びたアパート。
大家宅はアパートと同じ敷地内にあり、私は、まず先に大家宅を訪問。
そして、部屋の鍵を借りようとしたところ、
「お兄さん(故人の兄)が先に来たので鍵は渡した」
とのこと。
私は、周囲から苦情がでるくらいの異臭を放っている部屋に遺族が入っていることを怪訝に思いながらも、とりあえず部屋に行ってみることに。
隣に建つアパートに移動し、装備品を確認しながら二階への階段をのぼった。

二階の通路にあがると、そこには例の異臭が漏洩。
「これじゃ苦情がきても仕方がないな・・・」
「ホントに遺族は中にいるのか?」
そう思いながら、目的の部屋の前に立ち止まった。
そして、中がどんな状況でも臨機応変に対応できるよう気持ちを整え、呼鈴を鳴らした。

「はい・・・どうぞ・・・」
中からは、すぐに返事がきた。
この酷い異臭の中でも、やはり遺族は中にいた。
私がそれに驚きながら、玄関ドアをゆっくり開け
「失礼しま~す」
と挨拶しながら足を踏み入れた。

部屋は1DK。
家財の量も多く、かなり散らかっており、ゴミ部屋に近い状態。
しかも、モノ凄い悪臭が充満。
私は、専用マスクを着けたかったが、マスクを着けた状態での参上は遺族に失礼かと思い我慢。
靴も履いたまま入りたかったが、それも我慢。
息を浅くしながら、つま先立ちで部屋に入っていった。

部屋には、高齢の男性が一人。
何か探しモノをしているようで、部屋の中の物を動かしたりひっくり返したりしていた。
私は、男性に近寄り、簡単に自己紹介をして挨拶。
私が来ることを大家から聞いていた男性は、私を助っ人と思ってくれたのか“待ってました!”とばかり愛想よく挨拶を返してくれた。

挨拶を交わして後、周囲をグルリと見回すと、汚染痕はすぐに見つかった。
それは、台所に併設されたトイレにあった。
液状化した元肉体が便器と床を覆い、それを纏ったウジによって壁の一部は変色。
見た目の光景も凄惨ながら、その異臭もハイレベル。
正直なところ、専用マスクなしでは息をしたくなかった。

故人は80代の女性。
男性も80代で、二人は兄妹。
一通りの貴重品は警察から受け取り、自分でも探し出した
ただ、
「ちょっと探したいモノがあってね・・・」
という。
それは浴衣。
その昔、亡き母親が兄妹に縫ってくれたもので、男性にとって大切なもの。
「昔ね、お袋が俺達(男性と故人)に縫ってくれたものでね・・・」
「おたくみたいな若い人にはわからないと思うけど、戦後のモノがないときに苦心してつくってくれたんだよ・・・」
男性はそう言って表情を和らげた。
若い頃、全国の建設現場を渡り歩いていた男性は、大切なそれを故人に預けていた。
そして、故人も自分の浴衣と一緒に大切に保管していたはずだった。

身のこなしから、男性が足腰を弱めているのは明白だった。
年齢を考えると、それはたいして不自然なものには映らなかったが、それだけではなく、男性は視力も弱めているようで、身体よりもそっちの方が大変そうだった。
その様を見た私は、ちょっと気の毒に思い、一緒に探し物をしてあげたくなった。
が、先にやらなければならないのはトイレの特掃。
それをやっつけたうえでないと、他の用を落ち着いてすることができない。
私は、先にトイレを掃除することの必要性を説明し、作業の手はずを整えた。

特掃って仕事は、何度もやって慣れてるはずなのに、何度やっても慣れないものでもある。
特に、着手する前と着手した当初は、自分の中の何かが拒絶する。
ただ、一旦、手を汚してしまえば、「開き直れる」というか「汚物が人に思えてくる」というか、そんな感覚で徐々に抵抗感が消えていく。
そして、キツさも忘れて作業に集中することができる。
私は、いつものような感覚を抱きながら、黙々と作業をすすめていった。

特掃が済むと、異臭はだいぶおさまってきた。
ただ、タンスをみたくても、押入の衣装箱をみたくても、大量の生活用品とゴミが邪魔をして引き出しを開けることも押入の物を出すこともできず。
とりあえず、私は、部屋に散らかっているモノを順にゴミ袋やダンボール箱に梱包していき、部屋の空間を広げていった。

浴衣は、タンスや収納ケース・衣装箱のどこかにしまってあるはずだった。
男性は、それらを一つ一つ開けていった。
しかし、目当ての浴衣は一向に見つからず。
結局、どこを動かしても、どこを引っくり返しても、浴衣は出てこなかった。

浴衣は、男性にとって自分の思い出であり、妹の思い出であり、母の思い出であり、家族の思い出だったのだろう・・・
「ないものは仕方がない・・・」
「どうせ俺が死んだらゴミになっちゃうだけだからな・・・」
「他人にゴミにされる前に妹がどこかにやったのかな・・・」
男性はとても残念そう・・・寂しそうにそうつぶやいた。
それでも、最後には、幼少期の楽しい思い出を見ているかのような目に薄笑を浮かべた。



「笑顔の思い出は人生の宝物」
・・・私の自論。
笑顔の思い出は過去ばかりのものではなく、今をも笑顔にしてくれる。

目に見える物理的なモノにも宝物は多い。
しかし、それらに永遠はなく、持って逝くこともできない。
自分の身体でさえ置いてかなきゃならないのだから。
目に見えない地位や名誉もそう。
それらは、この世のルールでつくられたものだから。
それでも、私は、笑顔の思い出は持って逝けるような気がしている。
確証もないし確信でもないけど、何となくそんな気がしている。
だから、思い出を大切にしたい・・・
苦しいこと・悩ましいことが多い人生だけど、それでも、笑顔の思い出をたくさんつくりたい・・・
・・・そう思う。

こうして生きている中で、“今”という時間は次々と過去に変わっていっている。
思い出は次々に生まれ、今は次々に過ぎ、未来は次々と失われている。
思い出は過去ばかりに置いておくものではない。
今と未来の支えにするもの。
そして、今を楽しく生きるために使うもの。

「笑顔の思い出をつくるには?」
「今を楽しく生きるには?」
その答は意外に簡単なことかもしれない。
その材料は、身近なところに、自分の中に、ゴロゴロ転がっているかもしれない。

何かを教えてくれているような気がして、今日もスマホにおさまったチビ犬に微笑んでいる私である。



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