私の世界は狭い。極めて小さい。
特異な小コミュニティーに属し、世の陰でレアな仕事をしながらひっそりと生きている。
一日中、外の誰とも会話しない日だってザラにある。
車での移動中、単独での作業中等、一人で黙っている時間は一日何時間もある。
だから、心の中の独り言が多い。自問自答が多い。
ただ、このポンコツ中年男、そうして歳は重ねているけど、中身はそれほど成長していない。
それでも、仕事においては大ベテラン。幸か不幸か。
教えることはあっても教わることはほとんどない。
新しいことは自らが吸収し、わからないことは自らが考えるしかない。
また、この歳になると、道を説いてくれる人もいない。
先に逝った人々の生き跡や、残された人々の生き様を受けて心の向きを変えながら、頭で理解する正義と心が傾く悪楽の狭間でブレながらフラフラと歩いている。
私は、子供の頃から、人見知りで引っ込み思案な性格。
人と競り合うことが苦手。単なる“負けず嫌い”とは少し違うと思う。
他人を押しのけて先頭を走るタイプではなく、誰かの後を大人しく着いていくタイプ。
性格なんて、そんなに変わるものではなく、その辺のところは、この歳になってもあまり変わらない。
しかも、私は社交的な人間ではない。
だから、大勢の中に属することにストレスを感じる。
ただ、前ブログにも書いたように、不特定の誰かと限られた時間関わることに面白みを感じることがある。
特段の話をするわけでもないのだが、何気ない言葉のやりとりで自分の存在意義を感じられるときがある。
好きでやっている仕事ではないし、他の仕事を羨んでばかりいるけど、誰かと競り合うこともいらず、そういうところでは、この仕事は自分に合っているのかもしれない。
呼ばれて出向いたのは、一般的な一戸建。
依頼者は、初老の男性。
落ち着いた雰囲気をもった人物で、物腰は紳士的でもあった。
応接間に通された私は、すすめられたソファーに腰掛けた。
対には男性が座り、その隣にお茶の支度を持った女性(妻)も座った。
そして、依頼したいのは家財の整理処分であることと、それに至った経緯を話し始めた。
男性は、中堅企業のサラリーマン。
高校を卒業してすぐに就いた仕事だった。
男性は、転職もせず定年までこの会社に勤めた
気の合わない上司の下に置かれたり、不本意な部署に転属させられたり、出世において同僚に先を越されたり、高学歴の年下上司に使われたりと、不愉快な思いもたくさんした。
途中、転職していった先輩・同僚・後輩もたくさんいた。
そんな中にあって、転職の誘惑に惑わされることもしばしばあった。
が、青くない隣の芝生が青く見えるのは世の常・人の常。
男性は、それを悟っていた。
“給料が安いから”“仕事がキツいから”“嫌いなヤツがいるから”等といったネガティブな理由で辞めるのを“良し”とせず、“逃げたら終わり”という考えが常にあった。
結果として、男性は定年まで勤め上げ、以降も嘱託社員として継続勤務していた。
そして、そのことを少し誇りに思い、その道に悔いなく満足していた。
男性夫妻の収入源は、嘱託社員としての収入と老齢年金。
家のローンも終わり、大きな贅沢はできないながらも、日常の小さな贅沢はできるくらいの生活をしていた。
しかし、穏やかな生活ができるのも身体の自由がきく間だけ。
時間は夫妻を老いさせ、夫妻も体力の衰えをヒシヒシと感じるように。
同年代の入院や死去の話も多く入るようになり、もう“他人事”とは済ませられなくなってきた。
そんな中にあって、どちらか一人が残されたときにことを考えるように。
子供のいない夫妻の法定相続人には甥や姪がいたが疎遠な関係。
ただ血のつながりがあるだけで人のつながりはない。
そんな甥や姪に過分な財産を残しても仕方がないし、またに迷惑もかけたくない。
そこで、夫妻は、この家を売却処分し介護付マンションに移ることに。
そしてまた、終末期の面倒や死後の始末を任せられる後見人を元気でいるうちに立てておくことにしたのだった。
色々と話しているうちに、話題は、私のことに。
遺体処置、遺品処理、ゴミ部屋の片付け、腐乱死体現場の処理etc・・・
長年に渡ってそんな仕事に従事している私に、夫妻は興味を覚えたよう。
この仕事に就いたきっかけ・動機にはじまり、やめずに続けている理由、苦労したこと、楽しかったこと等々、私に色々と質問。
他人事とは思えなかったのだろうか、とりわけ、孤独死については事細かく訊いてきた。
野次馬根性からくる好奇心だけならテキトーに応えておくのだけど、夫妻は、私の話を自分達の今後に適用させたいよう。
真剣に聴くつもりであることが夫妻の姿勢からうかがえた私は、グロテスクな表現や個人的な恥部露呈もいとわず率直なところを伝えていった。
「残念ながら、大学を卒業した年からずっとやってます・・・」
「今、○○歳ですから、もう○○年になりますね・・・」
「能力があれば、他の仕事にも就けたのかもしれませんけど・・・」
そういう私に、夫妻は感心した(呆れた?)ような顔をし、
「ご謙遜を・・・」
「どんな仕事でも、続けることが大切ですよ」
「それも大事な能力ですよ」
と、優しくフォローしてくれた。
「“続けてきた”というより“続けざるを得なかった”といった感じですかね・・・」
「責任感はもってるつもりですけど、使命感とかはないです・・・」
「とりあえず、生活と自分のためです・・・」
そういう私に、夫妻はうなずき、
「私を含めて多くの人がそうですよ・・・」
「口でいいこと言うのは簡単ですけどね・・・」
「それでも続けていることは素晴らしいことだと思いますよ」
と、私の思いを受け入れてくれた。
「他人から気持ち悪がられたり、奇異の視線を浴びることも多いですね・・・」
「バカにされて悲しい思いをすることもあるんですよ・・・」
「でも、自分の仕事を一番バカにしているのは、他でもなく自分だったりするんですよね・・・」
そういう私に、夫妻は悲しげな顔をし、
「私達にはわからない苦労があるんですね・・・」
「でも、辛抱して続けてきたことは絶対間違っていないと思いますよ」
「これからも頑張って下さい・・・陰ながら応援していますから・・・」
と、家族のように励ましてくれた。
この仕事、“辞められるものなら辞めてしまいたい”と思うのは日常茶飯事。
しかし、 “継続は力なり”。
そして、続けなければならない理由も事情もある。
男性が一つの会社で勤め上げたように、一つのことを続けるのは大切なことだと思う。
私も、嫌な思いや辛い思いをすることが少なくないこの仕事を、長年、続けてきた。
自分のため、生活のために。
もちろん、大切なのは仕事ばかりではない。
仕事じゃなくても何でもいいから一つ継続しているもの・継続できるものを持っていることが大切だと思う。
そうすると、それが人生の芯になると思う。
そして、その芯を持ってすれば、色んなことをやっても道が外れないのではないかと思う。
実際、この仕事が私の芯なのかどうなのかわからないけど、大きく道を外さないで生きることができているし、これを通じて賃金のほかにも多くの恩恵に与ることができている。
自分の不幸感を紛らわせるため、投げやりに始めた仕事。
とりあえず、生活するために続けてきた仕事。
労働することによって、人並みの生活はできている。
責任感はあるけど、使命感はない。
それでも、小さなやり甲斐とささやかな幸せはある。
報酬は、賃金の他、人の役に立てたことから生まれる自分の存在価値と、文字にも言葉にもなっていない説法。
それは、仕事に、生活に、生きることに疲れたとき、“生きることの意味”ではなく“生きることが意味”ということを教えてくれる。
晩冬初春の今、夏場に比べて身体は格段に楽。
チビ犬との死別の悲哀をのぞけば、昨冬に比べて精神も格段に楽。
ただ、このぬるま湯に浸かったような状態は、なんとも落ち着かない。
やはり、生きているかぎりは、熱を帯びたいし汗もかきたい。
今、与えられた役割を懸命にこなしたい・・・
今、与えられた時間を必死につかいたい・・・
・・・ガムシャラに何かをやってみたい。
「ただの貧乏性」と言ってしまえばそうかもしれないけど、私は、甘くない人生を甘く過ごしている自分に自己嫌悪感にも似た危機感を抱いている。
現実は近く、理想は遥か彼方・・・
この頭も、この心も、この身体も、自分の思い通りには動かない。
ダメな自分が嫌な自分が、ダメな自分に道を説く・・・
この馬鹿に説法は、一生続く・・・続けなければならないのだろうと思っている。
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特異な小コミュニティーに属し、世の陰でレアな仕事をしながらひっそりと生きている。
一日中、外の誰とも会話しない日だってザラにある。
車での移動中、単独での作業中等、一人で黙っている時間は一日何時間もある。
だから、心の中の独り言が多い。自問自答が多い。
ただ、このポンコツ中年男、そうして歳は重ねているけど、中身はそれほど成長していない。
それでも、仕事においては大ベテラン。幸か不幸か。
教えることはあっても教わることはほとんどない。
新しいことは自らが吸収し、わからないことは自らが考えるしかない。
また、この歳になると、道を説いてくれる人もいない。
先に逝った人々の生き跡や、残された人々の生き様を受けて心の向きを変えながら、頭で理解する正義と心が傾く悪楽の狭間でブレながらフラフラと歩いている。
私は、子供の頃から、人見知りで引っ込み思案な性格。
人と競り合うことが苦手。単なる“負けず嫌い”とは少し違うと思う。
他人を押しのけて先頭を走るタイプではなく、誰かの後を大人しく着いていくタイプ。
性格なんて、そんなに変わるものではなく、その辺のところは、この歳になってもあまり変わらない。
しかも、私は社交的な人間ではない。
だから、大勢の中に属することにストレスを感じる。
ただ、前ブログにも書いたように、不特定の誰かと限られた時間関わることに面白みを感じることがある。
特段の話をするわけでもないのだが、何気ない言葉のやりとりで自分の存在意義を感じられるときがある。
好きでやっている仕事ではないし、他の仕事を羨んでばかりいるけど、誰かと競り合うこともいらず、そういうところでは、この仕事は自分に合っているのかもしれない。
呼ばれて出向いたのは、一般的な一戸建。
依頼者は、初老の男性。
落ち着いた雰囲気をもった人物で、物腰は紳士的でもあった。
応接間に通された私は、すすめられたソファーに腰掛けた。
対には男性が座り、その隣にお茶の支度を持った女性(妻)も座った。
そして、依頼したいのは家財の整理処分であることと、それに至った経緯を話し始めた。
男性は、中堅企業のサラリーマン。
高校を卒業してすぐに就いた仕事だった。
男性は、転職もせず定年までこの会社に勤めた
気の合わない上司の下に置かれたり、不本意な部署に転属させられたり、出世において同僚に先を越されたり、高学歴の年下上司に使われたりと、不愉快な思いもたくさんした。
途中、転職していった先輩・同僚・後輩もたくさんいた。
そんな中にあって、転職の誘惑に惑わされることもしばしばあった。
が、青くない隣の芝生が青く見えるのは世の常・人の常。
男性は、それを悟っていた。
“給料が安いから”“仕事がキツいから”“嫌いなヤツがいるから”等といったネガティブな理由で辞めるのを“良し”とせず、“逃げたら終わり”という考えが常にあった。
結果として、男性は定年まで勤め上げ、以降も嘱託社員として継続勤務していた。
そして、そのことを少し誇りに思い、その道に悔いなく満足していた。
男性夫妻の収入源は、嘱託社員としての収入と老齢年金。
家のローンも終わり、大きな贅沢はできないながらも、日常の小さな贅沢はできるくらいの生活をしていた。
しかし、穏やかな生活ができるのも身体の自由がきく間だけ。
時間は夫妻を老いさせ、夫妻も体力の衰えをヒシヒシと感じるように。
同年代の入院や死去の話も多く入るようになり、もう“他人事”とは済ませられなくなってきた。
そんな中にあって、どちらか一人が残されたときにことを考えるように。
子供のいない夫妻の法定相続人には甥や姪がいたが疎遠な関係。
ただ血のつながりがあるだけで人のつながりはない。
そんな甥や姪に過分な財産を残しても仕方がないし、またに迷惑もかけたくない。
そこで、夫妻は、この家を売却処分し介護付マンションに移ることに。
そしてまた、終末期の面倒や死後の始末を任せられる後見人を元気でいるうちに立てておくことにしたのだった。
色々と話しているうちに、話題は、私のことに。
遺体処置、遺品処理、ゴミ部屋の片付け、腐乱死体現場の処理etc・・・
長年に渡ってそんな仕事に従事している私に、夫妻は興味を覚えたよう。
この仕事に就いたきっかけ・動機にはじまり、やめずに続けている理由、苦労したこと、楽しかったこと等々、私に色々と質問。
他人事とは思えなかったのだろうか、とりわけ、孤独死については事細かく訊いてきた。
野次馬根性からくる好奇心だけならテキトーに応えておくのだけど、夫妻は、私の話を自分達の今後に適用させたいよう。
真剣に聴くつもりであることが夫妻の姿勢からうかがえた私は、グロテスクな表現や個人的な恥部露呈もいとわず率直なところを伝えていった。
「残念ながら、大学を卒業した年からずっとやってます・・・」
「今、○○歳ですから、もう○○年になりますね・・・」
「能力があれば、他の仕事にも就けたのかもしれませんけど・・・」
そういう私に、夫妻は感心した(呆れた?)ような顔をし、
「ご謙遜を・・・」
「どんな仕事でも、続けることが大切ですよ」
「それも大事な能力ですよ」
と、優しくフォローしてくれた。
「“続けてきた”というより“続けざるを得なかった”といった感じですかね・・・」
「責任感はもってるつもりですけど、使命感とかはないです・・・」
「とりあえず、生活と自分のためです・・・」
そういう私に、夫妻はうなずき、
「私を含めて多くの人がそうですよ・・・」
「口でいいこと言うのは簡単ですけどね・・・」
「それでも続けていることは素晴らしいことだと思いますよ」
と、私の思いを受け入れてくれた。
「他人から気持ち悪がられたり、奇異の視線を浴びることも多いですね・・・」
「バカにされて悲しい思いをすることもあるんですよ・・・」
「でも、自分の仕事を一番バカにしているのは、他でもなく自分だったりするんですよね・・・」
そういう私に、夫妻は悲しげな顔をし、
「私達にはわからない苦労があるんですね・・・」
「でも、辛抱して続けてきたことは絶対間違っていないと思いますよ」
「これからも頑張って下さい・・・陰ながら応援していますから・・・」
と、家族のように励ましてくれた。
この仕事、“辞められるものなら辞めてしまいたい”と思うのは日常茶飯事。
しかし、 “継続は力なり”。
そして、続けなければならない理由も事情もある。
男性が一つの会社で勤め上げたように、一つのことを続けるのは大切なことだと思う。
私も、嫌な思いや辛い思いをすることが少なくないこの仕事を、長年、続けてきた。
自分のため、生活のために。
もちろん、大切なのは仕事ばかりではない。
仕事じゃなくても何でもいいから一つ継続しているもの・継続できるものを持っていることが大切だと思う。
そうすると、それが人生の芯になると思う。
そして、その芯を持ってすれば、色んなことをやっても道が外れないのではないかと思う。
実際、この仕事が私の芯なのかどうなのかわからないけど、大きく道を外さないで生きることができているし、これを通じて賃金のほかにも多くの恩恵に与ることができている。
自分の不幸感を紛らわせるため、投げやりに始めた仕事。
とりあえず、生活するために続けてきた仕事。
労働することによって、人並みの生活はできている。
責任感はあるけど、使命感はない。
それでも、小さなやり甲斐とささやかな幸せはある。
報酬は、賃金の他、人の役に立てたことから生まれる自分の存在価値と、文字にも言葉にもなっていない説法。
それは、仕事に、生活に、生きることに疲れたとき、“生きることの意味”ではなく“生きることが意味”ということを教えてくれる。
晩冬初春の今、夏場に比べて身体は格段に楽。
チビ犬との死別の悲哀をのぞけば、昨冬に比べて精神も格段に楽。
ただ、このぬるま湯に浸かったような状態は、なんとも落ち着かない。
やはり、生きているかぎりは、熱を帯びたいし汗もかきたい。
今、与えられた役割を懸命にこなしたい・・・
今、与えられた時間を必死につかいたい・・・
・・・ガムシャラに何かをやってみたい。
「ただの貧乏性」と言ってしまえばそうかもしれないけど、私は、甘くない人生を甘く過ごしている自分に自己嫌悪感にも似た危機感を抱いている。
現実は近く、理想は遥か彼方・・・
この頭も、この心も、この身体も、自分の思い通りには動かない。
ダメな自分が嫌な自分が、ダメな自分に道を説く・・・
この馬鹿に説法は、一生続く・・・続けなければならないのだろうと思っている。
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