たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。
組曲「動物の謝肉祭」や交響曲第3番「オルガン」などの曲を作曲したサンサーンスは、どんな生涯を送っていたのでしょうか?
今日はシャルル・カミ―ユ・サン=サーンス(第1話)です。
≪作曲家の肖像≫
【Charles Camille Saint-Saens】
【フランス】
【1835~1921】
【ロマン派】
(第1話)【モーツァルトの再来?!】
1835年、サンサーンスはフランスのパリに生まれます。母親はクレマンス、父親はヴィクトルですが、・・・父ヴィクトルは息子サンサーンスが生まれて3ヶ月もすると肺結核でいきなり死去してしまうのでした。
子供が生まれて、すぐに夫に先立たれてしまった母クレマンスは、自分の叔母、(サンサーンスから見ると大叔母)のシャルロット・マソンと、2人で息子サンサーンスを育てていくのでした。
そして、この大叔母シャルロットは優れたピアニストだったため、サンサーンスが3歳にもならないうちから、ピアノの手ほどきを始めるのでした。(英才教育ってヤツですか?!)
サンサーンスに天性のものがあったのか?大叔母シャルロットの教え方が良かったのか?サンサーンスは、飲みこみが早く、みるみるうちにピアノは上達し、4歳になる頃には既に作曲もしていたというから驚きの上達ぶりだったようです。
5歳になるとベートーヴェンのピアノソナタを弾くようになっていたようですから、並々ならぬ神童ぶりを発揮していくのでした。
6歳になった頃にはピアノだけでは飽き足らず、子供の好奇心からかラテン語やギリシャ語を覚え始め、数学にも興味を持ちだしたようで、ピアノにとどまらず多くの学問を次々に吸収しはじめていくのでした。
7歳の頃には大叔母シャルロットの手を離れ、カミ―ユ・スタマーティにピアノを学ぶようになり、既にこの頃から本格的に音楽を学ぶようになっていくのでした。こうして、その有り余る才能を発揮させていくサンサーンスは、1864年5月、11歳になるまえに、パリのプレイエルホールでピアニストデビューを果たします。
曲目はモーツァルトとベートーヴェンのピアノ協奏曲で、これを見事に弾きこなしたサンサーンスは、聴衆から大喝采を浴びるのでした。
更にこの演奏会でサンサーンスはアンコールにベートーヴェンのピアノソナタのうちどれでもリクエストに応えると申し出るほど、ピアノの腕前は上達していたのでした。
こうして、若干10歳のサンサーンスは「モーツァルトの再来」と、そのピアノのを絶賛されるようになっていくのでした。
生まれてすぐに父親を亡くしてしまいますが、大叔母シャルロットにピアノを教わると、たちまちその才能を発揮していくのでした。10歳でデビューして大喝采を浴びるサンサーンス。このつづきはまた明日。
【その他の作曲家の生涯はこちら】
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有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
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【フランス】
【1835~1921】
【ロマン派】
(第1話)【モーツァルトの再来?!】
1835年、サンサーンスはフランスのパリに生まれます。母親はクレマンス、父親はヴィクトルですが、・・・父ヴィクトルは息子サンサーンスが生まれて3ヶ月もすると肺結核でいきなり死去してしまうのでした。
子供が生まれて、すぐに夫に先立たれてしまった母クレマンスは、自分の叔母、(サンサーンスから見ると大叔母)のシャルロット・マソンと、2人で息子サンサーンスを育てていくのでした。
そして、この大叔母シャルロットは優れたピアニストだったため、サンサーンスが3歳にもならないうちから、ピアノの手ほどきを始めるのでした。(英才教育ってヤツですか?!)
サンサーンスに天性のものがあったのか?大叔母シャルロットの教え方が良かったのか?サンサーンスは、飲みこみが早く、みるみるうちにピアノは上達し、4歳になる頃には既に作曲もしていたというから驚きの上達ぶりだったようです。
5歳になるとベートーヴェンのピアノソナタを弾くようになっていたようですから、並々ならぬ神童ぶりを発揮していくのでした。
6歳になった頃にはピアノだけでは飽き足らず、子供の好奇心からかラテン語やギリシャ語を覚え始め、数学にも興味を持ちだしたようで、ピアノにとどまらず多くの学問を次々に吸収しはじめていくのでした。
7歳の頃には大叔母シャルロットの手を離れ、カミ―ユ・スタマーティにピアノを学ぶようになり、既にこの頃から本格的に音楽を学ぶようになっていくのでした。こうして、その有り余る才能を発揮させていくサンサーンスは、1864年5月、11歳になるまえに、パリのプレイエルホールでピアニストデビューを果たします。
曲目はモーツァルトとベートーヴェンのピアノ協奏曲で、これを見事に弾きこなしたサンサーンスは、聴衆から大喝采を浴びるのでした。
更にこの演奏会でサンサーンスはアンコールにベートーヴェンのピアノソナタのうちどれでもリクエストに応えると申し出るほど、ピアノの腕前は上達していたのでした。
こうして、若干10歳のサンサーンスは「モーツァルトの再来」と、そのピアノのを絶賛されるようになっていくのでした。
生まれてすぐに父親を亡くしてしまいますが、大叔母シャルロットにピアノを教わると、たちまちその才能を発揮していくのでした。10歳でデビューして大喝采を浴びるサンサーンス。このつづきはまた明日。
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