たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
今日は「神童」ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(第9話)です。
≪作曲家の肖像≫
CDの絵は昨日と一緒ですけど、内容は違います(一応)
【Wolfgang Amadeus Mozart】
さて、アロイジアへのプロポーズを胸に秘めマンハイムへ向かうモーツァルト。
果たしてうまくいくんでしょうか?今日はその続きからです。
(第9話)【失意の帰郷】
パリを後にすると、アロイジアを訪ねてマンハイムへ向かうモーツァルト。ところがアロイジアはマンハイムを去って一家でミュンヘンに引っ越していたのです。そして当のアロイジアはミュンヘンの宮廷歌劇場で大活躍するソプラノ歌手になっていたのでした。
モーツァルトも引っ越したアロイジアを追ってミュンヘンへ向かいます。モーツァルトがミュンヘンに着いたのは、12月25日。そうクリスマスでした。
モーツァルトは自作のアリアをアロイジアに献呈して結婚を申し込むのでした。「アロイジア、ボクと結婚しよう!このアリアがあれば君は一段と劇場で輝けるハズ!!」とか、なんとか・・・、熱烈なプロポーズをするのでした。
ところが…、アロイジアは既にミュンヘンの宮廷劇場で人気を集める大スター!今更モーツァルトのアリアをもらったところで、どうということもなく、しかも定職も持たない青年作曲家に結婚相手としての魅力を感じるハズもなく、あっさりとモーツァルトのプロポーズを断ってしまうのでした。
パリでも仕事にありつけず、母を失い、挙句の果てにアロイジアにも振られてしまうモーツァルト。ボロボロの状態で失意のうちに故郷ザルツブルクへと帰り着くのでした。
ザルツブルクで気をもみながら待っていた父レオポルトも、モーツァルトの帰郷をただ待っていた訳ではありませんでした。パリから妻が亡くなった知らせを受けモーツァルトを呼び戻す手紙を書くと同時に、あのコロレド大司教にも「復職願」を既に提出していたのでした。(さすがレオポルト!頼りになる。)
モーツァルトがマンハイムでアロイジアを探しているころにはこの「復職願」はコロレド大司教に受理されて、復職も認められていたようですが、当のモーツァルトはそんな父の苦労も知らず一途にアロイジアを追いかけていたのでした。
1779年1月には、ようやくザルツブルクへ帰ってきたのですが、少年時代とは違い、行く先々でうまくいかないモーツァルトは父に合わせる顔も無かった事でしょう。
とにかく、モーツァルトは図らずも再びコロレド大司教の下で宮廷音楽家としてザルツブルクで勤める事になるのでした。モーツァルト23歳の冬でした。
さて、アロイジアにも振られてしまい、失意のうちに故郷ザルツブルクへ帰り着いたモーツァルト。再びコロレド大司教の元で宮廷に仕える事になります。
今回も週末になりましたので、このつづきは曲とドラマを挟んで、また来週。
≪この頃にモーツァルトが作曲した曲≫
♪きらきら星の主題による変奏曲
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今日は「神童」ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(第9話)です。
≪作曲家の肖像≫
CDの絵は昨日と一緒ですけど、内容は違います(一応)
モーツァルト:キラキラ星変奏曲〈パリのモーツァルト(2)〉ウーブラドゥ(フェルナン), フランソワ(サンソン), ペネデッティ(ルネ), ペルルミュテール(ヴラド), フェルナン・ウーブラドゥ室内楽団, パスカル弦楽四重奏団, シモン(アニック), モーツァルト東芝EMIこのアイテムの詳細を見る |
さて、アロイジアへのプロポーズを胸に秘めマンハイムへ向かうモーツァルト。
果たしてうまくいくんでしょうか?今日はその続きからです。
(第9話)【失意の帰郷】
パリを後にすると、アロイジアを訪ねてマンハイムへ向かうモーツァルト。ところがアロイジアはマンハイムを去って一家でミュンヘンに引っ越していたのです。そして当のアロイジアはミュンヘンの宮廷歌劇場で大活躍するソプラノ歌手になっていたのでした。
モーツァルトも引っ越したアロイジアを追ってミュンヘンへ向かいます。モーツァルトがミュンヘンに着いたのは、12月25日。そうクリスマスでした。
モーツァルトは自作のアリアをアロイジアに献呈して結婚を申し込むのでした。「アロイジア、ボクと結婚しよう!このアリアがあれば君は一段と劇場で輝けるハズ!!」とか、なんとか・・・、熱烈なプロポーズをするのでした。
ところが…、アロイジアは既にミュンヘンの宮廷劇場で人気を集める大スター!今更モーツァルトのアリアをもらったところで、どうということもなく、しかも定職も持たない青年作曲家に結婚相手としての魅力を感じるハズもなく、あっさりとモーツァルトのプロポーズを断ってしまうのでした。
パリでも仕事にありつけず、母を失い、挙句の果てにアロイジアにも振られてしまうモーツァルト。ボロボロの状態で失意のうちに故郷ザルツブルクへと帰り着くのでした。
ザルツブルクで気をもみながら待っていた父レオポルトも、モーツァルトの帰郷をただ待っていた訳ではありませんでした。パリから妻が亡くなった知らせを受けモーツァルトを呼び戻す手紙を書くと同時に、あのコロレド大司教にも「復職願」を既に提出していたのでした。(さすがレオポルト!頼りになる。)
モーツァルトがマンハイムでアロイジアを探しているころにはこの「復職願」はコロレド大司教に受理されて、復職も認められていたようですが、当のモーツァルトはそんな父の苦労も知らず一途にアロイジアを追いかけていたのでした。
1779年1月には、ようやくザルツブルクへ帰ってきたのですが、少年時代とは違い、行く先々でうまくいかないモーツァルトは父に合わせる顔も無かった事でしょう。
とにかく、モーツァルトは図らずも再びコロレド大司教の下で宮廷音楽家としてザルツブルクで勤める事になるのでした。モーツァルト23歳の冬でした。
さて、アロイジアにも振られてしまい、失意のうちに故郷ザルツブルクへ帰り着いたモーツァルト。再びコロレド大司教の元で宮廷に仕える事になります。
今回も週末になりましたので、このつづきは曲とドラマを挟んで、また来週。
≪この頃にモーツァルトが作曲した曲≫
♪きらきら星の主題による変奏曲
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