初心者のクラシック

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モーリス・ラヴェル(最終話)

2008年02月27日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はジョセフ・モーリス・ラヴェル(最終話)です。

≪作曲家ゆかりの曲≫
ラヴェル:ピアノ協奏曲
アルゲリッチ(マルタ)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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【Joseph-Maurice Ravel】

アメリカの演奏旅行を終えて、ボレロを作曲し勢いに乗るラヴェル。次はピアノ協奏曲に取りかかるラヴェルですが、今日はその続きからです。

(第8話)【2つのピアノ協奏曲】
2つのピアノ協奏曲を作曲する事になったラヴェル。ひとつは自分が演奏するために作品ですが、もうひとつは戦争で右手を失ったピアニストのための作品です。

そして、ふたつのうち先に完成したのは「左手のためのピアノ協奏曲」でした。1931年にウィーンで初演が行われる事になりますが、依頼主であるヴィトゲンシュタインがこのピアノを演奏します。

ところが、ラヴェルの作品があまりにも技巧的すぎたのか?あるいは単純に曲が好みに合わなかったのか?
ヴィトゲンシュタインは、作曲者のラヴェルに何の断りもなく勝手に譜面を書き換えて、初演をサラッと弾きこなしてしまうのでした。

そのため、これを聞いたラヴェルはその後、ヴィトゲンシュタインとの仲が疎遠になってしまいます。

一方、もうひとつの「ピアノ協奏曲」がその後、完成するとラヴェルはこれを念願どおりに自分でピアノを演奏しようとしますが、この頃から体調が優れなかったラヴェルは、医者の勧めもあって、ピアノ演奏はあきらめて指揮のみで参加し、ピアノは組曲「クープランの墓」のときと同じピアニストのマルグリット・ロンが演奏する事になります。

こうして1932年パリで「ピアノ協奏曲」が初演されると、この曲は好評を受け、その後はこの曲とともにまた演奏旅行を続けていたようですが、

そんな1932年秋ごろ、突然の事故がラヴェルを襲います。
パリでタクシーに乗っていたラヴェルは交通事故に遭います。この事故のために脳に損傷を受けたラヴェルは、周りとの意思疎通が非常に困難になってしまいます。

楽譜はもちろん文字も事故前ほどは、思うように書けず、何よりも辛かったのは新しい曲が頭に浮かんでもそれを楽譜に書き起こすことができなくなってしまうのでした。

それでも、どうにか意欲的に音楽活動を続けようと各地を奔走します。しかし、病状は徐々に悪化する一方だったため、1937年、周囲の計らいもあって手術に踏み切りますが、これが失敗し数日後に世を去ってしまうのでした。享年62歳の生涯でした。


現在ではフランスを代表する大作曲家ラヴェルですが、交通事故が原因で寿命が短くなってしまうなんて、しかも、それがために作曲が困難になってしまうとは・・・、歴史に「もしも」はありませんが、もし、事故に遭わなければ、経験を積んだ晩年のラヴェルなら現在にも残る名曲をもっと生み出していたハズなんでしょうが、一番無念だったのはラヴェル本人なのかもしれません。

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