初心者のクラシック

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第1話)

2007年09月10日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第1話)です。

「G線上のアリア」や「主よ、人の望みの喜び」などの親しみ深い曲から、「ゴールドベルク変奏曲」や「ブランデンブルク協奏曲」などの大作まで、多くの作品を送り出し近代音楽の基礎を築いたと言われるバッハはどんなどんな生涯を送っていたのでしょうか?

≪作曲家の肖像≫
ベスト・バッハ100
オムニバス(クラシック),パトリアシュ(キャサリン),ブレット(チャールズ),クルック(ハワード),シュリック(バルバラ),クーイ(ピーター),コーラス・オブ・コレギウム・ヴォカーレ・ゲント,オーケストラ・オブ・コレギウム・ヴォカーレ・ゲント,ヘレヴェッヘ(フィリップ),バッハ
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【Johann Sebastian Bach】

【ドイツ】
【1685~1750】
【バロック】


(第1話)【音楽一家】
1685年ヨハン・セバスチャン・バッハはドイツのアイゼナハに生まれます。父アンブロジウス・バッハと母エリザベートとの間に8人目の子供として生まれたバッハは(いや~子だくさん)文字通り“音楽一家”で父アンブロジウスもアイゼナハの音楽家でバッハの兄も後に音楽家になっているようです。

しかし、音楽家と言っても父アンブロジウスも一介の町の音楽家だったようですし、いわゆる“大作曲家”という位置付けではなかったようで、当時は職業自体が世襲的な要素を多く含んでいた事もあったようですから、“音楽一家”と言っても父の職業である音楽家を見て育った子供たちが、音楽家になった事も当然と言えば当然のなりゆきだったのかもしれません。

そして、バッハもその例に漏れず、迷うことなく音楽家への道を歩んでいくことになるのでした。

1692年7歳になったバッハは聖ゲオルク教会付属のラテン語学校に入学する事になります。ここで学びながら教会の聖歌隊として歌ってもいたようですが・・・、

1964年9歳になると母エリザベートが他界してしまいます。父アンブロジウスはすぐに再婚しますが、翌1695年に亡くなってしまうのでした。

こうなるとまだ10歳のバッハにはなす術もなく、オールドルフで既に教会オルガニストをしていた長男のクリストフの元に引き取られていく事になるのでした。

バッハを引き取ってくれた、この兄クリストフは、「カノン」でお馴染みのパッヘルベルに学んで音楽家として生活をしていたのでした。

バッハ、はこの兄クリストフからクラヴィア(ピアノ)の基礎を学んでいたようです。

そして1700年15歳になると、北ドイツのリューネブルクにある聖ミカエル教会に入学する事になります。ここには友人エールトマンと共にふたりで向うのでした。

15歳の少年バッハは、最初は聖歌隊としてボーイソプラノを歌っていましたが、変声期を迎えたバッハはボーイソプラノとしては歌えなくなってしまいますが、この頃から協会にあったオルガンに興味を示すようになってきたのでした。


少年時代に早くも両親を失ってしまったバッハ、その後は兄クリストフのもとに身を寄せて、音楽を学んでいきます。そしてオルガンに興味を示し始めるバッハでしたが・・・、このつづきはまた明日。

【その他の作曲家の生涯はこちら】

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