初心者のクラシック

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「ピアノの魔術師」フランツ・リスト(第6話)

2006年11月01日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「ピアノの魔術師」フランツ・リスト(第6話)です。

≪作曲家の肖像≫
絵だといきなり老けちゃうんですよね
リスト:巡礼の年
ボレット(ホルヘ), リスト
ユニバーサルクラシック

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【Franz Liszt】

さて、パリは離れたものの、なんとか幸せな生活を送るふたりでしたが、今日はその続きからです。

(第6話)【その後のふたり】
 こうしてイタリアの都市を移り住み1839年には、3人目の子供ダニエルが生まれるのでした。パリから離れてはいるものの、3人の子供にも恵まれたリストは一見幸せそうに見えましたが、実はこの頃から二人の仲は怪しいものになりはじめていたのでした。

 この頃パリで大成功を収めた話はリストの祖国ハンガリーまで伝わっており、ハンガリー国民もリストの帰国を心待ちにしていたようです。それを知ったリストは凱旋帰国をして、演奏会を行うのでした。ハンガリー国民はリストのピアノに酔いしれて、熱烈な歓迎を受けることになるのでした。

 1841年、ドイツのワイマールを始めて訪れると、ワイマール公アレクサンダーからもピアノを絶賛され、その後ワイマール公はリストのパトロンとして支援を行うようになり、翌年にはワイマールの宮廷楽長に就任するのでした。

 こんな風にリストは華やかなステージが忘れられず、演奏旅行に出かけるとマリーと子供たちの元を離れている事が多くなりました。そして、リストの周りには他の女性の噂も絶えなかったようです。(そうとうモテモテだったらしい。)

 一方マリーの方も、パリにいた頃には多くの芸術家・作家に囲まれてチヤホヤされていたため、パリから遠く離れた異国の地では満足出来るはずも無く、しかも、ステージ上で女性に囲まれているリストに耐えられなくなるなるのでした。

 退屈な生活に我慢できなくなったマリーは、ついにパリへ戻るのでした。マリーはパリでサロンを開くと、さすがはマリー。フランスの芸術家たちはこぞって彼女のサロンに訪れるのでした。中でもフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーまで常連だったという事ですから、かなりの人気サロンだったようです。

 こうなると、もう両者やりたい放題です。完全に気持ちが離れてしまった二人の関係を終わらせるべく、1844年終にリストがマリーに別れを告げると、マリーもあっさりとそれを受け入れ、二人の関係は終わってしまうのでした。

 リストとの関係が終わりを告げると、1846年、マリーは作家としてデビューするのでしが、彼女はダニエル・ステルンというペンエームで「ネリダ」という小説を発表しました。これはリストとの破局に終わった恋愛の一部始終を書いたもので、まあ今で言うところの暴露本みたいなもんでしょうね。

 更に、マリーはパリのサロン業界では絶大な権力を持っていたため、リストと別れてからおよそ10年近くパリのサロンからリストを追放してしまうのでした。(コワイコワイ、愛しさ余って憎さ100倍ってヤツですね。)



せっかく大変な思いをしてまで手に入れたマリーとでしたが、最後にはパリを追い出されてしまうリストでした。やっぱり不倫なんかしてもロクな事はないんですね。
さて、パリを追い出されたリストのその後はどうなってしまうんでしょうか?つづきはまた明日。


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