たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
今日はフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(第5話)です。
≪作曲家ゆかりの曲≫
【Felix Mendelssohn Bartholdy】
(第5話)【デュッセルドルフにて】
ベルリンジングアカデミーの指揮者選挙に落選したメンデルスゾーンでしたが、それを知ってか知らずか、早くも同1833年3月にはデュッセルドルフ市から地元音楽祭の指揮者と、同市の音楽監督を依頼されるのでした。
この話を快く引き受けたメンデルスゾーンは、予定されていたロンドンでの交響曲第4番「イタリア」の初演を終えると、デュッセルドルフへ向かうのでした。
イギリスから端を発した産業革命が進むこの頃のヨーロッパで、工業化が進むのはドイツでも同じでした。デュッセルドルフ市は工業化と共に文化面でもその発達を促すべく、最近評判のメンデルスゾーンに音楽面でその先導役を依頼したのでした。
デュッセルドルフでは音楽会の開催のほか教会音楽の作曲をはじめ、市の音楽活動全般に携わっていくのでした。音楽の他にも地元に住む画家から水彩画を学んだりもしていたようです。
デュッセルドルフの劇場でも、自分の楽団を手に入れたメンデルスゾーンは、敬愛するベートーヴェンの作品からヘンデルの作品などドイツの名立たる作曲家の作品を次々と演奏するのでした。
そんな昔の作曲家の演奏を行うメンデルスゾーンに対して、デュッセルドルフの劇場支配人からは、メンデルスゾーン自身の歌劇を作曲して欲しいと依頼します。ところが、市の音楽活動を一手に引き受けた形になったメンデルスゾーン。しかも、歌劇には慎重だったと言う事もあったらしく、この話を断ってしまいます。
更に、デュッセルドルフ市のオーケストラでメンデルスゾーンは演奏会を行っていきますが・・・、このオーケストラが、なかなかメンデルスゾーンの求めるレベルに達しない。
メンデルスゾーンがあまりにも高い技術力を求めたのか、単純にオーケストラの技量不足だったのかは分りませんが、ある日のリハーサルで、あまりにも自分の思うようにならないオーケストラに我慢ならなかったメンデルスゾーンは、スコアを破り捨てたというエピソードもあるようです。
そして、遂にデュッセルドルフ市の音楽監督を辞める決意をするのでした。しかしこの時既に他の都市から指揮者の依頼があったようです。
メンデルスゾーンに声を掛けたのは、ミュンヘンとライプツィヒでした。このふたつの依頼に対して、メンデルスゾーンは、年俸やその他の条件を父親に手紙で相談を重ね、ライプツィヒへ向かうことを決めます。
ベルリンジングアカデミーの指揮者選挙に敗れた後、デュッセルドルフからの依頼で指揮者に就任しますが、どうも馬が合わない様子。次はいよいよライプツィヒでデビューするようですが、今回も少し長めなので、このつづきはまた来週。
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今日はフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(第5話)です。
≪作曲家ゆかりの曲≫
メンデルスゾーン : 交響曲第4番イ長調Op.90「イタリア」NBC交響楽団, メンデルスゾーン, トスカニーニ(アルトゥーロ)BMG JAPANこのアイテムの詳細を見る |
(第5話)【デュッセルドルフにて】
ベルリンジングアカデミーの指揮者選挙に落選したメンデルスゾーンでしたが、それを知ってか知らずか、早くも同1833年3月にはデュッセルドルフ市から地元音楽祭の指揮者と、同市の音楽監督を依頼されるのでした。
この話を快く引き受けたメンデルスゾーンは、予定されていたロンドンでの交響曲第4番「イタリア」の初演を終えると、デュッセルドルフへ向かうのでした。
イギリスから端を発した産業革命が進むこの頃のヨーロッパで、工業化が進むのはドイツでも同じでした。デュッセルドルフ市は工業化と共に文化面でもその発達を促すべく、最近評判のメンデルスゾーンに音楽面でその先導役を依頼したのでした。
デュッセルドルフでは音楽会の開催のほか教会音楽の作曲をはじめ、市の音楽活動全般に携わっていくのでした。音楽の他にも地元に住む画家から水彩画を学んだりもしていたようです。
デュッセルドルフの劇場でも、自分の楽団を手に入れたメンデルスゾーンは、敬愛するベートーヴェンの作品からヘンデルの作品などドイツの名立たる作曲家の作品を次々と演奏するのでした。
そんな昔の作曲家の演奏を行うメンデルスゾーンに対して、デュッセルドルフの劇場支配人からは、メンデルスゾーン自身の歌劇を作曲して欲しいと依頼します。ところが、市の音楽活動を一手に引き受けた形になったメンデルスゾーン。しかも、歌劇には慎重だったと言う事もあったらしく、この話を断ってしまいます。
更に、デュッセルドルフ市のオーケストラでメンデルスゾーンは演奏会を行っていきますが・・・、このオーケストラが、なかなかメンデルスゾーンの求めるレベルに達しない。
メンデルスゾーンがあまりにも高い技術力を求めたのか、単純にオーケストラの技量不足だったのかは分りませんが、ある日のリハーサルで、あまりにも自分の思うようにならないオーケストラに我慢ならなかったメンデルスゾーンは、スコアを破り捨てたというエピソードもあるようです。
そして、遂にデュッセルドルフ市の音楽監督を辞める決意をするのでした。しかしこの時既に他の都市から指揮者の依頼があったようです。
メンデルスゾーンに声を掛けたのは、ミュンヘンとライプツィヒでした。このふたつの依頼に対して、メンデルスゾーンは、年俸やその他の条件を父親に手紙で相談を重ね、ライプツィヒへ向かうことを決めます。
ベルリンジングアカデミーの指揮者選挙に敗れた後、デュッセルドルフからの依頼で指揮者に就任しますが、どうも馬が合わない様子。次はいよいよライプツィヒでデビューするようですが、今回も少し長めなので、このつづきはまた来週。
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