初心者のクラシック

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「神童」アマデウス・モーツァルト(第2話)

2006年11月30日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「神童」ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(第2話)です。

≪作曲家の肖像≫
女帝マリアテレジアにもらった大礼服を着たモーツァルト
モーツァルト:ロンドン・ソナタ
浦川宜也 粟田口節子, 粟田口節子, 浦川宜也, モーツァルト
フォンテック

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【Wolfgang Amadeus Mozart】


さて、神聖ローマ皇帝から招待されたモーツァルト。今日はその続きからです。

(第2話)【ウィーンからパリへ】
 いよいよ女帝マリア・テレジアと皇帝フランツ1世に招待されて、シェーンブルン宮殿に向かうモーツァルト親子でした。姉ナンネルと弟モーツァルトは御前演奏を見事に弾きこなすのでした。初めてのシェーンブルン宮殿にはしゃいだ6歳のモーツァルトは、よほど嬉しかったんでしょうか、マリア・テレジアのひざに跳び乗り首に抱きついて、さんざんキスをしたという事ですから、付き添いだったレオポルトはさぞかし冷や汗モノだった事でしょう。

 シェーンブルン宮殿での有名なエピソードとしては、モーツァルトが宮殿でつまずいて転んだのを、ひとつ年上の皇女マリー・アントワネットが優しく手を貸して起こしたというものです。このときモーツァルトがマリーに「大きくなったらボクのお嫁さんにしてあげるね」とニッコリ返したという。

 多少のハプニングはあったものの、無事に御前演奏を終えたモーツァルト姉弟には女帝から大礼服が贈られたようです。

 見事に宮殿デビューを果たしたモーツァルトにはその後も貴族から、招待を受け演奏を続けるのですが、再びシェーンブルン宮殿に招待されたあたりから、モーツァルトは発熱してしまうのでした。

 まあ、なんだかんだ言っても子供ですからね。長旅の疲れと度重なる招待に応えての演奏がこたえたんでしょうね。10日ほど寝込んでしまっていたようですが、なんとか回復して帝都を後にして故郷ザルツブルクへ帰るのでした。

 ウィーン旅行で確信を掴んだレオポルトは1763年1月にザルツブルクに戻ると、今度は半年も経たないうちに再び一家で演奏旅行へ向かうのでした。

 レオポルトが次に目指したのはザルツブルクからは西の都パリとロンドンでした。
まずはドイツの諸都市ミュンヘン・アウグスブルク・マンハイム、フランクフルトの演奏会では14歳のゲーテが父親に連れられて、見物に来ていたという事ですから、ちょっとビックリです。

 ドイツを後にベルギーを経由してパリに着いたのはザルツブルクを出発して半年近く経っていた11月頃でしたから、昔は大変ですね。移動手段も馬車だし・・・。

 1764年、パリに到着したモーツァルト一家は、それまでの各地での演奏が評価を受けた事もあり、後援者の援助もあって、パリのヴェルサイユ宮殿でまたしても御前演奏を行うことが出来たモーツァルトでした。

 ここでもやはり、大絶賛を受けたモーツァルト一家には膨大な下賜金や、王族・貴族からも高価な品々を授かり、パリの晩餐会まで招待されていたようですから、当時としても異例の好待遇だったようです。



パリでも大絶賛を受けるモーツァルト。明日はいよいよ海を越えてイギリスへ、当時は大旅行ですが、ブログだとすぐに行けるからいいですね。という訳で、つづきはまた明日。


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