11日の日曜日、「スピークアウト&デモ~:イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!」に参加してきた。
四谷地域センターでのリレートークの後、夕方5時より新宿に向けてスタートしたデモの様子を、写真でリポートする。といっても、当日何となくカメラを持っていったから何となく撮っておいた、だけのものなので、写真の質についてはどうこう言わないでほしい。実行委員会作成のリーフレットを配ったり、打楽器を叩いたり、あわただしくデモ隊に出たり入ったりしていた。時々思い出してパシャパシャ写したが、正直何が撮れているのかよくわかっていなかったのである。
案の定、後で確かめたら手ブレしまくりの写真が多くてがっかりしたが、これだと参加者の顔がはっきり映らなくていいというメリットもあったりする(クリアに写ってしまっている人で、不都合がある方は、遠慮なくコメントもしくはメール civil_faible@mail.goo.ne.jpにて申し付けてください)。
主催者発表では400人の参加者。前日のNGO主催のデモは1500人だったそうだが、こちらは三連休の中日でもあったし、「団体動員」もほとんど見込めない中での400人。正直僕はこんなに来るとは思わなかったし、両日とも参加した複数の人からも、こちらのデモの方が「熱い」という話を聞いた。
行進コースも新宿の近くなので、比較的人通りが多い。ただ、平日の方がもっと人が多い街であり、そのいつもの新宿との比較でいったら、今いち手ごたえがないというか。
それでも、千枚以上刷ったリーフがほとんどはけてしまった。参加者分400枚を抜いて、有志で手分けして500枚くらいは(たぶん。もっとかな?)街頭で配ることに成功したわけだ。このリーフレットはイスラエル支援企業が掲載されたりしているスグレモノなので、僕としてはデモ・アピールと同じくらい、一枚でも多く一般の人に配ることに意義を感じていた。
デモでのコールの在り方などについては、参加者の一人であるイルコモンズさんの問題提起もなるほどと思う。
前方・後方・中ほどと、それぞれの場所でそれぞれのコールが散発的に盛り上がるという、その統一性のなさ自体は、僕は別に悪いとは思わない。ただ、まだ決定的な「言葉」が足りない。用意されたプラカードの文句、「戦争をやめろ」「占領やめろ」は、まさにイスラエルに向けての言葉で、もしこれをインターネットでパレスチナ人が観ることがあれば、わずかでも心が勇気づけられることはあると思う。
でも同時に僕らは、東京の街を歩きながら日本人に向ってアピールしている。その時にただ「戦争をやめろ」という言葉だけを投げても、戦争をやっている自覚のない者には大したインパクトがあるはずもない。彼らに向けてあるべき言葉は「目を覚ませ」「俺達は共犯者になっちまうぜ」「無関心なあんた、すごくカッコ悪いよ」というような方向の言葉ではないかと思う。問題は、それを一つのデモの中にどう折りこむのか、統一させるのかさせないのか、というあたりだろう。
在日のパレスチナ人の一団が「Free Free Palestine!」と連呼する。日本人の一団もそれに呼応して唱和する。パレスチナの人は、自分の同胞のために、身体の内側から搾り出すようにそれを叫ぶ。だが日本人はもう一つ、自分の同胞に向けて「自由な日本人よ、目を覚ませ!」と言わねばならない気がする。もちろん、デモ中はそんなことを考えてる暇はなかったけれど。
この夜のMVP候補、アソウ首相の張りぼてプラカード(裏は核廃棄物)を担いでリーフレット配りに精を出してくれたキッドA(僕が勝手に名付けた)。集会の時にも、いろんな大人の周りをウロウロしながらちょっかい出していた人なつっこい子で、小学5年生だと言っていたが、結局親御さんは誰で・どこにいるのか、聞くのを忘れてしまった。そんなことを忘れてしまうくらい、普通にデモに溶け込んでいた。というか、リーフ配りを勝手に楽しんでいた。
一人で数十枚配りきってしまったから、「まだいけるよな?」と言って僕が途中で追加してやったくらい。さすがに子どもだと受け取り率高し。大人が配ろうとすると顔をこわばらせて足早に逃げ去る女性などが、キッドAだと、その笑顔に不意を突かれて受け取ってしまう(笑)。
えっ、子どもを使うなんてあざとい?子ども殺しを「仕方ない」なんてぬかす奴らには言わせませんのよ。
対して影のMVPは、おまわりさん。僕が参加した中で、こんなに警察官の数が少なく、しかも警備のゆるいデモは初めてだ。反貧困系のデモなどでの、それこそ人間の盾(爆)でデモ隊をサンドイッチする、挑発的で敵意丸出しの警察のイメージからすると、拍子抜けするくらい。車道のデモ・コースと歩道を行き来するのも自由だったし、ビラ配りも自由。コンビニにビール買いに行くのも自由(こらこら)。直接お国のお上に楯突くデモじゃないからなのか(「キッドA」のプラカードは除く)。
ともあれ、警察が余計なことをしなければデモは平和裏に終わる、ということが証明されて結構だった。
さて、今回特別印象的だったのは、初めて実際に見た建物への画像投影。有志の人が手押し車にプロジェクターを載せて、二人一組で操作していた。
特にカートゥーンなど、たとえばこれをネット上で見たとしても、「面白い」とか「わかるわかる」とか思う、それだけのものかも知れない。それがビルの外壁に突然映し出されると、まったく別の次元の感動を呼ぶ。
そう、僕は正直、感動してしまった。なぜだか少し、涙が出てきた。
ちょっとした「いたずら」ツール、なんかではない。ここには想いがある、と直感したからだ。この世界のむごたらしさの中で、瞬間瞬間を行き過ごしながら、それでも想いは続く。それを瞬間瞬間、形にする。そういう武器を、抵抗の文化の中で、人は手に入れたのかも知れない。──寒々しい建物が、本来の役割を取り戻したようにすら見えてしまい、うっとりしている自分がいた。
このプロジェクターの発案者・推進者の方に、敬意を表する。そしてスピークアウト&デモに参加したすべての皆さん、お疲れさま。そして闘いは続く、ってことで。
※スピークアウト(屋内集会)の様子も含めた参加者のリポートは、以下のページからも読めます。僕のページより写真がクリアです。
スピークアウト&デモ:イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!
http://www.mkimpo.com/diary/2009/stop_gaza_massacre_09-01-11.html
イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!~250人が怒りのデモ
http://www.labornetjp.org/news/2009/0111shasin
東京・新宿でイスラエルによるガザ侵攻反対集会とデモ行進
http://www.news.janjan.jp/government/0901/0901115165/1.php
四谷地域センターでのリレートークの後、夕方5時より新宿に向けてスタートしたデモの様子を、写真でリポートする。といっても、当日何となくカメラを持っていったから何となく撮っておいた、だけのものなので、写真の質についてはどうこう言わないでほしい。実行委員会作成のリーフレットを配ったり、打楽器を叩いたり、あわただしくデモ隊に出たり入ったりしていた。時々思い出してパシャパシャ写したが、正直何が撮れているのかよくわかっていなかったのである。
案の定、後で確かめたら手ブレしまくりの写真が多くてがっかりしたが、これだと参加者の顔がはっきり映らなくていいというメリットもあったりする(クリアに写ってしまっている人で、不都合がある方は、遠慮なくコメントもしくはメール civil_faible@mail.goo.ne.jpにて申し付けてください)。
主催者発表では400人の参加者。前日のNGO主催のデモは1500人だったそうだが、こちらは三連休の中日でもあったし、「団体動員」もほとんど見込めない中での400人。正直僕はこんなに来るとは思わなかったし、両日とも参加した複数の人からも、こちらのデモの方が「熱い」という話を聞いた。
行進コースも新宿の近くなので、比較的人通りが多い。ただ、平日の方がもっと人が多い街であり、そのいつもの新宿との比較でいったら、今いち手ごたえがないというか。
それでも、千枚以上刷ったリーフがほとんどはけてしまった。参加者分400枚を抜いて、有志で手分けして500枚くらいは(たぶん。もっとかな?)街頭で配ることに成功したわけだ。このリーフレットはイスラエル支援企業が掲載されたりしているスグレモノなので、僕としてはデモ・アピールと同じくらい、一枚でも多く一般の人に配ることに意義を感じていた。
デモでのコールの在り方などについては、参加者の一人であるイルコモンズさんの問題提起もなるほどと思う。
前方・後方・中ほどと、それぞれの場所でそれぞれのコールが散発的に盛り上がるという、その統一性のなさ自体は、僕は別に悪いとは思わない。ただ、まだ決定的な「言葉」が足りない。用意されたプラカードの文句、「戦争をやめろ」「占領やめろ」は、まさにイスラエルに向けての言葉で、もしこれをインターネットでパレスチナ人が観ることがあれば、わずかでも心が勇気づけられることはあると思う。
でも同時に僕らは、東京の街を歩きながら日本人に向ってアピールしている。その時にただ「戦争をやめろ」という言葉だけを投げても、戦争をやっている自覚のない者には大したインパクトがあるはずもない。彼らに向けてあるべき言葉は「目を覚ませ」「俺達は共犯者になっちまうぜ」「無関心なあんた、すごくカッコ悪いよ」というような方向の言葉ではないかと思う。問題は、それを一つのデモの中にどう折りこむのか、統一させるのかさせないのか、というあたりだろう。
在日のパレスチナ人の一団が「Free Free Palestine!」と連呼する。日本人の一団もそれに呼応して唱和する。パレスチナの人は、自分の同胞のために、身体の内側から搾り出すようにそれを叫ぶ。だが日本人はもう一つ、自分の同胞に向けて「自由な日本人よ、目を覚ませ!」と言わねばならない気がする。もちろん、デモ中はそんなことを考えてる暇はなかったけれど。
この夜のMVP候補、アソウ首相の張りぼてプラカード(裏は核廃棄物)を担いでリーフレット配りに精を出してくれたキッドA(僕が勝手に名付けた)。集会の時にも、いろんな大人の周りをウロウロしながらちょっかい出していた人なつっこい子で、小学5年生だと言っていたが、結局親御さんは誰で・どこにいるのか、聞くのを忘れてしまった。そんなことを忘れてしまうくらい、普通にデモに溶け込んでいた。というか、リーフ配りを勝手に楽しんでいた。
一人で数十枚配りきってしまったから、「まだいけるよな?」と言って僕が途中で追加してやったくらい。さすがに子どもだと受け取り率高し。大人が配ろうとすると顔をこわばらせて足早に逃げ去る女性などが、キッドAだと、その笑顔に不意を突かれて受け取ってしまう(笑)。
えっ、子どもを使うなんてあざとい?子ども殺しを「仕方ない」なんてぬかす奴らには言わせませんのよ。
対して影のMVPは、おまわりさん。僕が参加した中で、こんなに警察官の数が少なく、しかも警備のゆるいデモは初めてだ。反貧困系のデモなどでの、それこそ人間の盾(爆)でデモ隊をサンドイッチする、挑発的で敵意丸出しの警察のイメージからすると、拍子抜けするくらい。車道のデモ・コースと歩道を行き来するのも自由だったし、ビラ配りも自由。コンビニにビール買いに行くのも自由(こらこら)。直接お国のお上に楯突くデモじゃないからなのか(「キッドA」のプラカードは除く)。
ともあれ、警察が余計なことをしなければデモは平和裏に終わる、ということが証明されて結構だった。
さて、今回特別印象的だったのは、初めて実際に見た建物への画像投影。有志の人が手押し車にプロジェクターを載せて、二人一組で操作していた。
特にカートゥーンなど、たとえばこれをネット上で見たとしても、「面白い」とか「わかるわかる」とか思う、それだけのものかも知れない。それがビルの外壁に突然映し出されると、まったく別の次元の感動を呼ぶ。
そう、僕は正直、感動してしまった。なぜだか少し、涙が出てきた。
ちょっとした「いたずら」ツール、なんかではない。ここには想いがある、と直感したからだ。この世界のむごたらしさの中で、瞬間瞬間を行き過ごしながら、それでも想いは続く。それを瞬間瞬間、形にする。そういう武器を、抵抗の文化の中で、人は手に入れたのかも知れない。──寒々しい建物が、本来の役割を取り戻したようにすら見えてしまい、うっとりしている自分がいた。
このプロジェクターの発案者・推進者の方に、敬意を表する。そしてスピークアウト&デモに参加したすべての皆さん、お疲れさま。そして闘いは続く、ってことで。
※スピークアウト(屋内集会)の様子も含めた参加者のリポートは、以下のページからも読めます。僕のページより写真がクリアです。
スピークアウト&デモ:イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!
http://www.mkimpo.com/diary/2009/stop_gaza_massacre_09-01-11.html
イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!~250人が怒りのデモ
http://www.labornetjp.org/news/2009/0111shasin
東京・新宿でイスラエルによるガザ侵攻反対集会とデモ行進
http://www.news.janjan.jp/government/0901/0901115165/1.php
こちらでもビラにちょっとだけボイコットのことを書きました。そちらのビラも見てみたいな。
そして、行動の最後にはみんなでコールをしたのですが、インターナショナルな構成でしたので、「フリーフリー・パレスタイン!フリーフリー・ガーザ!イスラエル、ストップ・ザ・キリング!」という内容になりました。たしかに日本の人向けの呼びかけのことばがないんですよね。
アハリーの連帯メッセージも少しずつ集まっています。レイランダーさん、ありがとうございます。
組合室の窓からパレスチナの旗を出して、窓には「イスラエルはパレスチナ人民の殺戮を今すぐやめろ!STOP GENOCIDE!」と貼りだしています。旗のために窓を開けているので、組合室は極寒なのですが(しかも北側の全く日の当たらない部屋)、パレスチナ部屋と呼んでみんなに連帯の耐寒を強要してます(笑)。
裏道だけれど道行くひとが見てくれます。多少の効果を期待してます。
粘り強くやりましょう、、、。
京都の方、写真も交えて情報ありがとうございます。個人的には衝立を使ったパネル展示とか、即席パレスチナ・コーナーみたいのを街角に出現させるのってすごくいいなと思いました。
ほんとにいろんなやり方があるものです。普段自分があまり知恵を絞ってないことを痛感させられます・・・。各地で競い合って、いろんな工夫が生まれるようにしませんとね。
>月の子さん
アハリーの方、少しでも役に立てればと思いまして。僕にできることなんてこれくらいなんですが・・・。
年末からの一連の抗議行動を通じて、僕もパレスチナを「露出」させることの必要を実感するようになりました。街角にあれだけ星条旗やユニオンジャックが手を変え品を変え露出してるんだから。ただ本当は、気持ちの上では今のパレスチナ旗でもイスラエル旗でもない、「(新生)統一パレスチナ旗」みたいのを望んでるんですが、今それを言っても始まらないですからね。
月の子さんが確か好きな、イーノ先生のスピーチ見ましたか?これ、誰か訳してくれないかなー、と思ってるんですけど。
http://jp.youtube.com/watch?v=NekORBeP8K0
その後でこっちを観るとなお楽しいです。若き日の先生の豹柄(笑)。
http://jp.youtube.com/watch?v=4KwJDDLjNiA&feature=channel_page
>うろこさん
こちらこそありがとうございます。
アドレス掲載は、基本的にはウチのブログなら勝手にやってもらって構わないんです。ただこっちのエントリー自体が転載情報の場合、確かにちょっとややこしい時がありますからね。僕も時々悩むんですけど。転載とか引用とかしやすいように、なるべくわかりやすくするように心がけます。
「建物への画像投影」をしていた一人です。
ぼくは、あの日のデモで、旧知の大学教員が投影しているのを見て、すごく面白そうなので、頼んでプロジェクターを持たせてもらいました。
やってる方も、すごく楽しかったです。
正確にいうと3人一組でやってました。
PCを操作する人とプロジェクターを振り回す人、そしてジェネレータを積んだ台車を押す人です。
技術的なことをいうと、
暗いめの白っぽい壁がきれいに写りました。
やはり大きくて広い平面のある壁が気持ちよく画像を映せるのですが、画像の内容によっては細いベランダの前の帯のようなところにはまるものもありました。
今回の準備はその大学教員がひとりでしたということでしたが、このためにジェネレータを台車を購入したそうです。画像はWeb上で探したものとのことでした。この人は現代アートが専門の人なので、本当はもっとちゃんと準備したかったみたいでした。
とりあえずの情報提供でした。
プロジェクターの人達は最後尾の方でしたよね。僕も一度最後尾に行ったんですけど、いろいろ慌しくしていたんで、操作してる様子はちゃんと確認してませんでした。
確かに、説明的なカートゥーンの画像なんかでは、平坦な外壁の方が何を写してるのかわかっていいんでしょうけど、でこぼこしたところでも画像によってはハマるはずですよね。そうした経験をフィードバックして、進化していってもらいたいです。これからの街頭アクションでは、もっともっとああしたものの出番が増えるべきだと、個人的には感じていますから。